1952(昭和27)年に新潟鐵工所で製造された機械式気動車で、国鉄キハ07とほぼ同じ設計だが、前面窓は最初から4枚であった。その後1957(昭和32)年には液体式に改造、1960(昭和35)年には中央扉を埋めて2扉化されるなどの改造を受けた。旅客営業廃止の1974(昭和49)年には岩手開発鉄道に僚車キハ202と共に売却されたが、キハ201は部品取りであったという。 ’74.9.7 鹿ノ谷 P:青柳 明