1933(昭和8)年川崎車輌製。関西地区から米子機関区に転入。倉吉線を中心に活躍した。倉吉線のお別れ列車牽引に際して、デフに巨大なツバメのイラストをペンキ書きされ、ファンの度肝を抜いた。この写真はお別れ運転当日の朝、米子機関区で撮影したものだが、さすがに写欲が大いに削がれたのを覚えている。その後、九州・志布志機関区に転属。「おばけツバメ」は日南の海を背景に走った。 ’74.4.28 米子機関区 P:山下修司