Text & Photo:福島鷺栖
取材日:2021.5.9
大阪府岬町は、大阪と和歌山を隔てる和泉山地が大阪湾に突き出たまさしく岬に位置しており、紀淡海峡を行く船舶の汽笛とさざ波が聞こえる静かな街です。この街には、「南海電鉄多奈川線」が走っています。現在は2両編成のワンマン列車が行き来していますが、この路線もかつて多くの乗客で賑わった時代がありました。今回は、そんな多奈川線に行ってみたいと思います。
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現在は2000系に置き換わっているが、訪問時はまだ2200系が活躍していた。
■大阪の「先っちょ」を走る2両編成
大阪の「ミナミ」のターミナル、南海なんば駅から多奈川線へのアクセスは、特急「サザン」に乗って50分ほど。みさき公園駅まで行くと乗り換えることができます。ちなみに、「みさき公園」とは2020年で閉園した南海電鉄の遊園地で、園内には南海電鉄の保存車両も展示されていました。現在は、町営として営業を行っているようですが、保存車が展示されていた「わくわく電車らんど」は閉園となっています。
多奈川線への乗り換えは支線らしく本線用ホームの端の5番乗り場から発車します。支線ということもあってか、データイムの列車本数は1時間に1本です。

なんば方面ホームの和歌山方の端が多奈川線ホーム。ホームにはすでに列車が待機していた。
みさき公園を発車すると、深日町、深日港、終点の多奈川とわずか3駅を6分で走破してしまいます。あっという間に終点の多奈川駅に到着しました。

現在は1面1線の終着駅だが、構内は広い。

駅舎はシンプルな平屋スタイル。駅名標に歴史を感じる。
■主要路線だった時代の名残
終点の多奈川駅構内は非常に広く、現在使用しているホームの他にも使用しなくなったホームが構内に残っています。これらの遺構からかつては2面2線ほどの規模はあったことが推察できます。それもそのはず、この路線は戦時中の1944年に、多奈川駅近くの軍需工場への通勤路線として開業しました。さらに戦争が終わると、隣の深日港駅には淡路、徳島までの航路が設定され多奈川線は四国への玄関口としてなんばからの直通列車も走るようになり、大いににぎわったそうです。隣の深日港駅にその痕跡が残っているようですので、歩いて行ってみたいと思います。

深日港駅。駅舎は平屋だがかつての栄華を感じる。
深日港までは多奈川駅からは徒歩8分程度で行くことができます。多奈川駅の海側には工場がありますが、深日港は降りて海側に行くとすぐに大阪湾が広がります。
現在、徳島行きのフェリーの発着は和歌山港に移り、本四連絡の役目は譲っていますが、かつてはここから淡路島や徳島へ渡る人で賑わったそうです。現在は静かな漁港ですが、その当時の臨時改札が今でも駅舎の脇にひっそりと残っています。
なお、現在でも運行日は限定されているようですが、深日港と洲本を結ぶ高速船が運行されています。

深日港駅の臨時改札跡。かつては、フェリーへの連絡で賑わったであろう。
最後に深日町駅を見てみましょう。ここはかつて交換駅だったようです。その証拠に、反対ホームの遺構が残っている他、道路を跨ぐ架道橋も2線分用意されています。かつては短い線内で列車交換を行うほど本数が多かったのでしょう。

使用されていないホームへの階段は崩れていた。
軍需工場への通勤路線として多くの通勤客を乗せ、そして戦後はフェリーとの連絡という大きな役割を担った南海多奈川線。現在はゆったりとした時間とさざ波の音が聞こえるのどかな路線ですが、各所にかつての栄華を見ることができます。この夏はぜひ、片道6分の時間旅行に出かけてみるのはいかがでしょうか。




