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大阪の街に眠る貨物線の記憶 40年前に廃止された「淀川貨物駅」その周辺の遺構を探検する!

2025.07.12

text & photo:福島鷺栖
取材日:‘25.5.27(特記以外)

 大阪駅から大阪環状線外回り電車で乗ること2駅目。以前、明治時代の鉄道遺構の宝庫としてご紹介した桜ノ宮駅から徒歩5分とないところに、実は国鉄の貨物駅と電車区があったことをご存知でしょうか。
 その貨物駅というのが「淀川駅」です。阪神電車にも同じ駅名がありますが、こちらは旧淀川である大川左岸に設けられています。今回は、そんな街中にある廃線跡をめぐっていきたいと思います。

【写真】街中の道路が廃線跡!?40年前に思いを馳せて貨物線跡を写真で辿る!

■町中にぽっかりと空いた怪しい空き地?

 まず、淀川駅は桜ノ宮の駅の北側に位置しており、大阪環状線、城東貨物線(現:おおさか東線)を介して片町線(現在の通称:学研都市線)にも接続していました。また、貨物駅だけでなく1932(昭和7)年の片町線・城東線(現:大阪環状線 大阪~天王寺)の電化に合わせて関西初の電車区として淀川電車区が併設されました。なお、淀川電車区の機能は現在、放出駅付近に設けられた網干総合車両所明石支所放出派出所に移転しており、現在も学研都市線の基地として機能しています。

▲1936(昭和11)年~1942(昭和17)年ごろの航空写真と現在の地図。引用元:国土地理院撮影の空中写真・国土地理院発行地理院タイル(標準地図)

 ではさっそく廃線跡を見ていきましょう。駅跡は現在、医療センターやマンションに転用されており、大規模な区画整理がなされたため痕跡はあまり見られませんが、この広大な敷地こそがその証拠といえるでしょう。

▲廃線跡からかつての貨物駅方面を見る。大きな医療センターが立っている場所が貨物駅。前のグラウンドは線路跡。

▲幹線道路貨物跡を過ぎたところで不自然な高低差があるが、これは貨物線をオーバーパスしていたころの名残。

▲廃線跡に設けられた公園には線路をかたどったタイルと駅名版を模した看板が設けられていた。

 貨物線は京橋駅手前で大阪環状線と合流するため、同線に平行するような形で進み合流地点手前で緩いカーブを描く線形となっています。また、貨物線の他に電車区への入出区線を兼ねていたことから、廃線跡の幅が広いことも特徴の一つです。

▲京橋方面を望むと緩くカーブしている。

▲廃線跡の側に鉄道用地を示す「工」の杭を見つけることが出来た。今となっては貴重な遺構。

 貨物線は大阪環状線と片町線方面への分岐点に差し掛かります。現在も分岐点近くにはJR西日本の詰所が建っており、この土地が現在も鉄道にまつわるものであることを示しています。

▲大阪環状線の築堤には現在でも橋台が残っている。この上は保守基地となっている。

▲片町線方面を望む。廃線跡は線路一本分程度の幅に一気に狭まる。

 廃線跡は京阪電車のガードをくぐると城東貨物線への合流地点へまた分岐していきます。城東貨物線の上下線それぞれに接続するよう、デルタ線となっていました。この分岐点は当時、巽信号場と呼ばれていました。現在も、築堤や遊歩道のカーブから当時の様子をしのぶことができます。

▲吹田方に接続していた合流部の跡。城東貨物線に通じる築堤は削られている。

 貨物駅は昭和57(1982)年に、淀川電車区は昭和60(1985)年に移転し、淀川貨物線はその役割を終えました。廃止から40年、その痕跡は徐々になくなりつつありますが、現在のJRの電車網の礎を作った歴史ある廃線跡をぜひめぐってみてはいかがでしょうか。

▲昭和54(1979)年ごろの淀川駅~淀川貨物線の航空写真。引用元:国土地理院撮影の空中写真(1979年撮影)

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