185系

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40年前からあった?初代遠隔操作系プラレール「ラジオコントロール」ってどんな製品だった?

2025.06.06NEW

text & photo:なゆほ

 60年以上の歴史があるプラレールの製品・歴史・情報をまとめ、自身のホームページ「プラレール資料館」で公開しているプラレールコレクター なゆほさん の鉄ホビ連載!長い歴史を持つプラレールというおもちゃをコアな目線から語っていただきます!今回はプラレールの「ラジオコントロール」製品についてクローズアップします。プラレールをコントローラーで運転して遊べる製品というのは、実は約40年前から存在していましたが、その製品にもさまざまな歴史がありました。(編集部)


【写真】40年前の遠隔操作プラレール「ラジオコントロールひかり号」の詳しい写真はこちら!

 プラレールは、1961年に電動車が登場して以来、2025年現在に至るまで「電池を入れてモーターのスイッチをONにすると走り続ける」という構造を維持しています。列車を停めたい時は、動輪を物理的にレールから離す「ストップレール」を使うか、モーターのスイッチをOFFにするのが基本です。
 しかし、遊んでいるとやはりスイッチやギミックを使わずに手元で列車を操作してみたくなるものです。こうしたニーズに応えるため、今まで数多くの遠隔操作系プラレールが発売されています。テレビ・スマートフォンに接続して車両に内蔵したカメラを見ながら運転できるもの、車両にカードをかざして操作するもの、鉄道車両の運転台を模したコントローラーで運転するものなど、様々です。そんな遠隔操作系ですが、実は既に40年の歴史を持ちます。今回はその初代製品に焦点を当てていきます。

▲1984年発売の「ラジオコントロール ぼくはうんてんしゅ ひかり号」

 2025年現在のラインナップに載っている「キミが運転!グリップマスコン」シリーズは、片手に収まるサイズのコントローラーが付属し、段階的な加速・減速ができる遠隔操作系のプラレールです。2014年から展開している「のせかえシャーシ」に受信ユニットを組み込んだ専用シャーシを用い、対応する車両ならシャーシを交換するだけで好きな車両を運転できるという優れものです。このように今でこそ片手持ちのコントローラーと一台のシャーシで実現出来ている「運転」ですが、遡っていくとかなり大掛かりなギミックで操作を実現していたものに行き着きます。
 それが1984年に発売されたプラレール史上初の遠隔操作系シリーズ「ラジオコントロール ぼくはうんてんしゅ」です。当時発売されていた車両のうち、「ひかり号」「東北上越新幹線」「L特急」「ブルートレイン」「東海型急行電車」「地下鉄電車」の6種類をRC化し、専用のコントローラーで操作できるようにしたものです。
 先頭車の動力ユニットはそのままに、中間車にコントローラーの信号受信ユニットを搭載、当時としては珍しい3両永久連結で構成されています。中間車のシャーシは受信ユニットを搭載するために改良が加えられ、ユニットを保持するためのフックを引っ掛ける穴が開けられています。これ以降に発売された上記6車種はこの時のシャーシをそのまま使用しているため、2025年現在もイベントやメーカー公式のグッズショップ「プラレールショップ」などで発売中の「ブルートレインはやぶさ」の中間車にはラジオコントロールの名残が見られます。

▲箱は他の製品と差別化を図るために水色基調となった。

 コントローラーは国鉄型車両の運転台を模したと思われるライトグリーン成型。2ハンドルマスコンをモデルとしていますがコントロールに使うのは右手のON/OFFスイッチのみです。動作も単純で前進・停止の2パターンしかありませんが、これは当時としては非常に画期的だったと思われます。6種類用意された車種ですが、車種によって受信周波数に40MHzと49MHzの2種類が用意されており、対応する車両とコントローラーがあれば2編成を同時に動かすことが出来るように工夫されているのも特筆されます。
 走行用と受信用にそれぞれ単2電池を2本、コントローラー用にV9電池1本の合計3本の電池を使用するという、遊ぶだけでもなかなか金銭的にハードルの高い構成で、さらに製造コストも高くついたらしく、当時の車両単品が1,250~1,350円の時代に3,500円の値段で販売されました。そのせいか、あまり売れ行きは良くなかったと伝わっています。それでもセット品が発売されており、こちらでは当時最新型だった東北上越新幹線が選ばれています。
 箱は当時の「EC箱」をベースに水色基調とされ、コントローラーを収納するため上方向に伸びた形をしています。永久連結の車両の収納には特別に製作された形の発泡スチロールが使われ、箱に仕舞う際に形が崩れないように配慮されている点も通常のプラレールとは異なる特徴です。
受信ユニットはL特急を除いて水色に成型され、一見して窓がはめられているように見えるのであまり違和感なく仕上がっています。L特急は台車と帯の色に合わせた赤色に成型されています。中間車の車体はネジ棒を撤去し、被せるものとなったことにより固定はされていませんが、ユニットの凹みに噛み合う突起を新規に取り付けることで脱落を防ぐ工夫もされています。

 現在まで脈々と受け継がれる遠隔操作系の走りとなった「ラジオコントロール」シリーズですが、実は登場の背景はあまり良くないと言われています。というのも、発売された1984年頃は国鉄の分割民営化が決定するか否かの時期にあたり、国鉄も財政難により新型車両の開発が滞っていました。プラレールは今も昔も変わらず、話題の新型車両を製品化する事例が多いですが、私鉄よりも国鉄の車両を製品化する例がまだまだ多かった80年代のプラレールにおいては、新型車両が登場しないという状況はとても苦しいものだったと思われます。この時期に発売された新製品が「東海型急行電車」を塗り替えて作った185系と阪急6300系だった事からも、その苦悩が伺えます。とは言え、新製品の発売を止めるわけにもいかなかったのでしょう。この時に新型車両よりも「新たな遊び方」を目指して製品化されたのが、この「ラジオコントロール」ではないかというのがファンの間での通説になっています。
 しかし、翌1985年には国鉄最後の新型車両である100系新幹線と205系がデビュー。プラレール化もされ、人気の車種となります。「ラジオコントロール」シリーズは前述の通り高価な値段設定だったため、シリーズとしてはあまり長続きせず、動力更新を前にした1987年頃までに全て絶版となってしまいました。
 こうして幕を下ろしたプラレール初の遠隔操作系車両でしたが、この試みそのものはメーカー内外やユーザーから評価され、以降も続々と発売されるようになりました。1988年には後進とライトの点灯も可能になった「ぼくがうんてんする スーパーひかり号セット」が登場。2000年の「TVで遊ぼう!僕はプラレール運転手」では922形ドクターイエローにカメラを仕込み、テレビで前面展望を楽しめるものが開発されたり、2004年発売の「サウンド・特急サンダーバード・セット」ではコントローラーではなくICチップを組み込んだカードで車両をコントロールし、電子基盤同士の通信により駅での自動的な停車、踏切では通過音を車両から発するようにするなど、更なるハイテク化が進みました。

 40年前に「ラジオコントロール」が開発されなければ、今日のプラレールの姿もまた変わったものになっていたかもしれません。

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