text & photo:なゆほ
60年以上の歴史があるプラレールの製品・歴史・情報をまとめ、自身のホームページ「プラレール資料館」で公開しているプラレールコレクター なゆほさん の鉄ホビ連載!長い歴史を持つプラレールというおもちゃをコアな目線から語っていただきます!今回はプラレールにおける通勤型電車のベースを築いた「電動プラ電車」に注目します。1960年代に発売され、その後30年以上に亘り親しまれた製品の歴史について振り返ります。(編集部)
【写真】持っていた方も多いのでは?懐かしい「電動プラ電車」の写真はこちら!
プラレールの通勤型電車と言えば、実車が4扉車なら3扉にするショーティーデフォルメが一般的です。全国流通品、事業者限定品を問わず、20m級4扉車をモデルとした製品の多くは2024年現在もこのデフォルメが採用されています。車体長も基本的にはどれも同様で、共通のシャーシが使われている例が多く見られます。
実はこのデフォルメを確立したのが、1960年代に発売された「電動プラ電車」でした。国鉄のモハ90系→101系・103系をモデルにしたこの車両は、仕様変更やバリエーション展開を広げながら30年以上の長期に亘って生産されました。今回はそのうち1999年に発売された「復活!電動プラ電車トリオ」を中心に、その歴史を紹介していきます。
▲1960年代発売の最初期仕様の「電動プラ電車」3色。スイッチが屋根上にあるのが特徴だ。
「電動超特急ひかり号」に続く実車系車両として発売された「電動プラ電車」は、先述の通り国鉄の101系・103系をモデルとした製品です。箱の側面には両形式の写真が掲載されており、特に区別せず統合してデフォルメされた形になっています。
色は赤・黄・緑の3色が用意されました。このうち「赤」は複数のセット品に入っており、電動プラ電車の標準色と言えます。「黄」は総武線のカナリア、「緑」は山手線のウグイスを反映したものですが、「赤」のみは実在のカラーリングではありません。中央線のオレンジバーミリオンをイメージしたものだと考えられますが、当時は「電動超特急ひかり号」を始めとして車両や情景部品でも赤色の樹脂が多く使われていたため、プラレールの世界観に合うようにアレンジが加わったものだと思われます。
車体は前後に運転台があるいわゆる「両運転台」タイプでしたが、乗務員扉の表現は省略されたため3両連結させてもあまり違和感のない仕上がりになっています。また発売された当初は電動車のスイッチ位置が屋根上にありましたが、後に台車前面に移動し、このタイミングで新色の「青」が仲間入りしました。しかしこの時は「青」はあまり多く生産されず、一足先に絶版となっています。箱は4色とも共通のものを使っており、外見からは色が分からないため、何色が入っているか分かるシールが貼られていました。
1970年に行われた車両ラインナップ再編時にも引き続き発売され、翌年には国鉄301系を模したと思われる銀メッキ塗装の「ニューでんしゃ」、113系・115系のような湘南色を纏った「かいそくでんしゃ」が発売され、あくまでもモデルを定めない「電車のおもちゃ」としての立ち位置を確固たるものにしました。
1974年になると今までの箱を刷新して当時の他のラインナップに合わせたものになり、プラスチック製の電動玩具をアピールする時代では無くなったことから「でんしゃ」に改称されました。程なくして、おもちゃ然としていた両運転台の車体も更新されて片運転台仕様となりました。中間・後尾の区別を付けないこのやり方は、同時期に発売が始まった中間車単品を買い足しても違和感なく繋げられるという面で優れているデフォルメだと言えます。全車に運転台が付いているのは変わりませんが、繋げてみるとあまり違和感がないのもプラレールならではです。
片運転台になった車体は、色こそ今まで通りの単色成型であるものの、運転台下の通風口蓋や屋根のグローブ型ベンチレーター、梨地仕上げの屋根が表現され、再現できるところは再現するという設計思想が伺えます。
この時に採用された動力車とトレーラー車のシャーシが、冒頭でも述べたように50年近く生産され続けるプラレールの標準的なシャーシとなりました。
▲「復活!プラ電車トリオ」の3本。ベンチレーターと方向幕・運行番号表示器が塗り分けられた。
箱が再度更新された際に商品名を漢字表記の「電車」に改め、しばらくラインナップに載っていましたが、1970年代後半から実在する車両をモデルにした精巧な造型の新製品が続々と誕生するようになり、「ニューでんしゃ」「かいそくでんしゃ」が1976年に絶版。旧来の世界観を維持していた実在しないカラーリングの「赤」も1981年に絶版となりました。この時入れ替わるように「青」が復活しています。この頃も引き続き3色共通の箱を使っていましたが、1985年に括弧書きで色を表記するようになり、黄・緑・青の3色それぞれが専用の箱で発売されるようになります。
1987年の動力更新の際に屋根にも塗装が施されるようになり、薄いグレーの一色塗りとなった事で少々リアルさが増しました。しかし「通勤電車」(1985年)や「近郊電車(オレンジライン)」(1987年)といった国鉄末期のステンレス車を製品化したものが出てくると、長らくプラレールにおける通勤電車の枠を担っていた「電車」も旧世代の車両という印象が拭えなくなり、既に山手線から撤退して過去の車両となっていた「緑」が1991年に絶版、続いて「青」「黄」も1993年に絶版となりました。実車の各色は当時はまだ現役だったとは言え、ステンレス車の導入が進んでいる路線においては過去の車両となりつつあった実情を反映したものだと考えられます。
絶版から6年後の1999年、プラレール40周年を記念して「復活!電動プラ電車トリオ」が発売されました。「電車」として初登場となる「オレンジバーミリオン」に、往年の「ウグイス(緑)」「スカイブルー(青)」が塗装面を向上させて復活。翌2000年には、当時存在したファンクラブの誌面上投票で選ばれた車両を揃えた「みんなが選んだ復活トリオ」にて、「カナリア(黄)」とこれも初登場となる「エメラルドグリーン」が製品化。国電の特徴であるカラフルな車体が勢揃いしました。この両セットでは正式にモデルが103系であると明記され、箱の写真には山手線・阪和線・青梅線・常磐線・総武線の車両が使われています。
2001年には「復活!〜」の塗装技術を応用し、青梅線仕様になったオレンジバーミリオン色がメインとなる「シーズントライ紅葉」が発売され、話題を呼びました。2005年1月にはプラレール45周年を記念した「プラレール45周年記念セット」にて「赤」「緑」が復刻。発売当初の単色塗りのものを再現したもので、前者は24年ぶりの復活となりました。
こうして復活を遂げた「電車」ですが、2005年8月に発売された「山手線環状運転80周年記念セット」でリアルな造型となった高運転台103系が登場した事により、プラレールの103系としての立場を新規金型の方へ譲ることとなりました。
新規金型は車体と前面を別パーツとした事でより細かなバリエーション展開が可能となり、高運転台では山手線・京浜東北線・総武線・常磐線・中央線・大阪環状線の6種類、低運転台では大阪環状線・奈良線・京都鉄道博物館のクハ103-1がそれぞれ製品化されています。これらは全て商品の絶版により2024年現在では入手困難となっていますが、今でも絶大な人気を誇る車両としてプラレールファンの間で知られ、今なお再販を求める声が多いほどです。
実車が風前の灯となった現在、今一度スポットライトを当ててほしい車種のひとつです。
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オレンジ色の電車は中央線…。すべてが茶色1色に塗られていた通勤型国電にあって、その鮮やかな塗色がラインカラー制定の契機となった車両が1957(昭和32)年登場の90系(後の101系)電車でした。国鉄で最初にカルダン駆動を採り入れた90系はその静寂さと高性能ぶりから「新性能電車」と呼ばれ、以降の国鉄車両に多くの影響を与えました。
しかしそんな90系も始祖を辿ると、戦時設計の4扉通勤車モハ63形が基本となっています。戦時設計ゆえの乏しい資材や簡易構造で造られた63形は事故や故障が多発、なかでも1951(昭和26)年、多数の死傷者を出した「桜木町事故」では同形式の構造的欠陥が露呈し、全車を対象に緊急改造工事を実施、続く更新工事で不燃化が徹底され、モハ72・73形として安全で快適な電車へと発展していきます。
本書では63系から90系に至る国鉄通勤型電車の進化の過程を、私鉄割当車や72形としての新製車も含め解説します。