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特集・コラム

大正〜昭和生まれ 古典電気機関車最後の「楽園」近江鉄道の貨物輸送とは?

2024.11.23NEW

text & photo:福島鷺栖

▲米原方に設けられた授受線を用いて行われた譲渡。

’24.10.21
東海道本線 彦根

 2024年10月、近江鉄道に西武鉄道から西武2000系2編成が甲種輸送されました。JR貨物から譲渡先の近江鉄道へ受け渡しが行われたのは、近江鉄道の車庫も併設されている彦根駅でした。さらに受け渡しは、彦根駅構内の米原方に設けられた授受線を用いて行われましたが、この授受線こそかつて近江鉄道が貨物輸送を行っていた名残なのです。では、近江鉄道の貨物輸送とはいったいどんなものだったのでしょうか?

【写真】近江鉄道でかつて活躍した古豪機関車たちの写真はこちら!

■近江鉄道の電気機関車と貨物輸送

 まず近江鉄道の貨物輸送は、沿線の工場などからの出荷や、砂利・セメント原料の輸送がメインでした。牽引機は国鉄からの譲渡機も多く、様々な出自を持った個性派ぞろいの古典派電機の動く博物館として多くのレイル・ファンを魅了しました。
 これら古典電気機関車たちは引退後も彦根駅併設の近江鉄道ミュージアムで保存されていましたが、2018年の閉鎖によって一部を除いてほとんどが解体されました。

 続いては、これら近江鉄道で保存されていた電気機関車を中心に、貨物輸送の歴史も振り返っていきます。

■ED14

▲近江鉄道ミュージアムフィナーレイベントで御召装備を取り付けた「ED14 1」。

’18.12.8
近江鉄道ミュージアム

 近江鉄道の電気機関車の中でも存在感が強かったと言えるのがED14形です。製造された4機全てが近江鉄道に譲渡され、ミュージアム閉鎖までこの4機全てが保存されていたという貴重な存在でした。
 本形式は1926年に米国ゼネラル・エレクトリック社より東海道線電化開業時に輸入され、中央線や飯田線、仙山線でも活躍しました。近江鉄道への譲渡後は多賀~彦根間のセキ車を用いた石灰石輸送や、同じく多賀駅から延びていたキリンビール工場からのビール輸送などに従事した他、鳥居本~彦根間の日本石油の石油輸送、彦根駅東側に設けられた住友大阪セメント彦根工場へのセメント輸送でも活躍していました。特にキリンビールの工場からの列車はワム80000を20両近く連ねた姿が見られました。また、貨物廃止後も1号機は除雪列車や工事列車にも充当されていました。
 なお、現在は全て解体されて現存しません。

■ED31

▲後ろに貨車をつなげた状態で展示されたED31 3。現在は東芝府中工場で保存されている。

2018.12.8
近江鉄道ミュージアム

 ED31形は、1923年に芝浦製作所・石川島造船所で製造された40t凸型機です。ED14の様に最初から国鉄所属機であったわけではなく、飯田線の前身、伊那電気鉄道デキ1~6として製造されました。ED31 6は上信電気鉄道に譲渡され、近江鉄道には1955~60年に5機が導入されました。
 本形式は主に、武佐~近江八幡の東洋カーボンのカーボン輸送列車や新八日市~近江八幡間の一般貨物列車などに従事しました。

 なお、現在は3号機が武蔵野線北府中駅に隣接する東芝府中事業所にて、4号機が滋賀県内の酒造会社で保存されています。

■ロコ1101

▲角ばった凸型の形状の中にどこか洗練された雰囲気を感じる。

’18.12.8
近江鉄道ミュージアム

 ロコ1101は1930年に現在の阪和線の前身である阪和電気鉄道が導入した東洋電機・日本車輌製の30t入換用電気機関車で、近江鉄道には南海電鉄などを経て1951年に譲渡されました。近江鉄道では主に彦根駅構内や住友大阪セメント彦根工場内の入換に従事していました。小さいながらもその背中に背負っている歴史は深く、その歴史に翻弄された電機ともいえます。

 近江鉄道の貨物輸送は1988年に廃止されましたが、その拠点は彦根駅でした。セメントやビール工場からの貨物等国鉄線への受け渡しも行われていました。今回譲渡に使われたこの授受線は、かつて近江鉄道で活躍した古豪たちも歩んだ、いわば歴史の活躍の証人とも言えるでしょう。

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