185系

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活躍たった7年!その特異さから短命に終わった115系「セキR編成」

2024.08.10

text:MSかぼちゃ(X:@MS3167)
photo:おれんじらいん

 111系・113系・115系といった直流近郊型電車の研究を活動のメインとし、鉄道系サークル「日本かぼちゃ電車学会」の主宰も務め、動画や同人誌でその成果を発表しているMSかぼちゃさんの連載!「徹底研究!国鉄近郊型電車113系115系」。今回は、広島地区の115系の中でも、ごくわずかな期間活躍した「セキR編成」にクローズアップします。7年間しか活躍することなく消えていった編成ですが、どのような構成だったのでしょうか?詳しく見ていきましょう。(編集部)


【写真】刹那的な存在だった115系「セキR編成」現役時代の写真はこちら!

 広島地区のJR線で活躍していた115系たち。個性豊かな面々の中に、「セキR編成」という少数派の編成区分がありました。2012年頃に登場した彼らは、長いものでも7年間、最も短い編成は2年ほどでその役目を終え、227系に置き換えられていきました。
 今回は、2010年代の広島を駆け抜け、そして走り去っていった「セキR編成」と、この編成を構成したクハ115-2500/2600/750番代について紹介します。

少数派の区分であったが、時にはこのようにR編成同士で顔を合わせることもあった。

R-05編成(写真左)/R-03編成(写真右) ‘13.4.2 山陽本線 広島 

 以前に当連載でも紹介したように、広島地区115系の中には個性的なクハ115・111初期型車が在籍していました。しかし、このグループの中でも一部の車両は経年もさることながら、半自動装備が使用不可能であったり、台車が他の車両と異なるなど、運用上の不都合が多く、一刻も早く置き換える必要があったのです。
 一方、同じ広島地区でも113系に目を向けると関西地区から転入した「P編成」が新たに登場し、元から広島に所属していた「F編成」に余剰が発生していました。ですが、瀬野〜八本松間の連続急勾配区間を走行する関係で、山岳線区に対応しない113系で直接115系を置き換えることはできません。このため、余剰となったクハ111を115系のクハ115に編入する改造を行ない、初期型の車両を置き換えて115系の編成に組み込むことになりました。
 この時登場した車両こそが、115系最後の番代区分であるクハ115-2500/2600/750番代であり、それを組み込んだ編成にはR編成という新たな区分が与えられたのです。
 種車となった車両はクハ111-2000/2100/750番代で、全ての車両が改造時点で半自動ドア扱いに対応していたため、改造内容はマスコンを抑速ブレーキ対応のものに交換するなどにとどまり、特に車体の外見においては113系時代との差はほとんどありませんでした。

▲種車の都合により、R-06編成に組み込まれたクハ115-759だけは113系700番代から改造された。

R-06編成 ‘13.4.3 山陽本線 横川

 2012年ごろから登場したR編成は、その後1年弱ほどで全7編成が登場し、計10両の初期型クハ115・111を置き換えます。しかし、R編成の活躍が長く続くことはありませんでした。

 2015年3月の227系登場により、115系は特異的な編成より順に運用を離脱します。そして、この時運用を離脱した編成の中に、R-06編成の姿がありました。
 この編成は種車の都合で唯一113系700番代から編入改造を行なった1区分1両の存在であるクハ115-759を連結していたため、真っ先に227系に置き換えられることとなりました。どこまでも皮肉な話ですが、特異的な車両を置き換えるために登場したこの車両は、自らの特異さによって登場からたった2年でその役割を終えることとなったのです。
 その後も2015年中に2本が運用を離脱し、R編成は4本にまでその本数を減らしますが、これらの編成は一部編成の編成組替を挟みつつ運用を続け、特にR-01/R-04の2編成は広島地区から115系が撤退する2019年まで運用に入り続け、その役目を全うしました(R-04編成に至っては定期運用終了後も山口地区の予備編成として数か月間残存)。現在、これらの車両はすべて姿を消し、唯一R-02編成のモハユニットとして運用された車両が岡山に転属し、A-15編成として活躍を続けています。

▲最後まで活躍をつづけたR-04編成。登場時は体質改善30N施工車にも関わらず瀬戸内色に塗装されていた。

R-04編成 ‘13.4.5 山陽本線 東尾道~尾道

 知ってか知らずか227系登場の3年前に登場したR編成。その活躍は10年に満たず、経歴も華々しいものではありませんでした。しかし、他の編成に混ざり「ショートリリーフ」として黙々と運用に入り続けたその姿は、広島地区の115系・113系を語るうえで欠かすことのできない存在であったといえるでしょう。

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