text & photo:諸富光法
2027年4月に蟹田~三厩間の廃止が濃厚となったJR津軽線。廃止されるのは末端の閑散区間ながら、一部は電化されて電車や貨物列車が走るなど、二つの顔を持つ路線として知られています。津軽線とはどんな路線なのか?廃止を前に今一度振り返ってみたいと思います。
▲三厩方面へは蟹田駅で接続する。写真は北海道新幹線開業前の様子で、隣のホームには函館行の特急「スーパー白鳥」が停車中。
■津軽線とは
津軽線は青森~三厩間55.8kmの路線です。そのうち青森~蟹田(新中小国信号場)は北海道へのアクセス路線であった津軽海峡線に取り込まれ、軌道改良と共に電化。特急列車や貨物列車が頻繁に走っていました。一方、そこから外れた蟹田~三厩間は非電化のまま残され、1日数本の列車が走るだけの閑散区間となってしまいました。北海道新幹線開業後もその状況は変わりませんでしたが、2022年8月の大雨による水害により蟹田~三厩間が運休に。元々閑散区間であったことに加えて、復旧に多額の費用がかかることから存廃問題に発展し、2027年4月を目途に廃止されることが決まりました。
未電化である蟹田~三厩間は気動車がピストン運行しており、運休時時点で1日5本が走っていました。蟹田から新中小国信号場までは電化されており、ここから青函トンネルへ続く海峡線が分岐。三厩へは津軽線と海峡線が近ず離れず並走し、津軽二股と海峡線の津軽今別(現・奥津軽いまべつ)は隣り合って設置されていました。北海道新幹線が開業した現在も、貨物列車は引き続き青森~新中小国信号場間を走行しています。
▲キハ40が運行していた頃の津軽線車内の様子。非冷房なため、窓を開けるとさわやかな風が車内を流れた。終点近くは海沿いを走り、車窓から海が見渡すことができた。
■津軽線の二つの転機
津軽線には二つの大きな転機がありました。一つは先述の津軽海峡線の開業、もう一つは北海道新幹線の開業です。まず津軽海峡線の開業で、蟹田~三厩間が非電化のまま取り残された形で実質分離されてしまいます。北海道新幹線開業後は特急列車が津軽線から撤退したため、末端区間の孤立に拍車がかかることになりました。ただし、津軽今別駅が北海道新幹線の奥津軽いまべつ駅へと生まれ変わったため、ここが新たな津軽線と新幹線の接続駅となり、今別周辺の住民にとっては、若干便利になったと思われます。
▲左写真は建設中の奥津軽いまべつ駅を通過する特急「白鳥」。右写真は津軽二股駅から見た津軽今別駅で、奥津軽いまべつ駅へ改装工事中。駅舎とホームを結ぶ通路が津軽線を跨いでいる。
■隣同士なのに別駅!津軽二股駅と奥津軽いまべつ駅
津軽線の津軽二股と北海道新幹線の奥津軽いまべつは隣り合っていながら別々の駅という特殊な構造をしています。今でこそ在来線と新幹線の駅なのでそれほど不自然に感じませんが、新幹線開業前の津軽今別駅時代は全国的にも珍しい存在でした。
▲左写真は津軽二股駅に停車中のキハ40。津軽二股駅と津軽今別駅(現・奥津軽いまべつ)は階段で接続されていた。撮影時は新幹線建設工事に伴って津軽今別駅が全列車通過となり、階段は閉鎖されていた。
■本州最果ての駅「三厩駅」
大湊線の大湊と共に本州最果ての駅として知られる三厩は竜飛岬の手間にあります(とは言ってもかなり距離はある)。1面2線の島式ホームを有し、先端には車庫を備えています。そこそこ街の中にある大湊と異なり、ここ三厩は‟最果て”に恥じぬのんびりした場所です。駅が位置する外ヶ浜町は、蟹田地区とこの三厩地区が今別町を挟んで飛び地となっており、駅前には三厩エリアの観光マップが設置されていました。この看板や駅舎が役目を終えることを考えると、ゆっくりした時間が流れるこの路線が廃止されてしまうことが残念でなりません。
▲左写真は三厩駅に並ぶキハ40とリゾートあすなろ。現在は両車両とも引退と改造によって姿を消しており、さらに駅までもが過去のものになろうとしている。
▲三厩駅前には外ヶ浜町三厩地区の観光マップが立っており、一つの観光の拠点になっていたことが窺える。