text:RMライブラリー編集部
今から100年前の1924(大正13)年、炭鉱都市・夕張と札幌方面を結ぶために創設された夕張鉄道。新夕張(後の夕張本町)~野幌間の53.2kmを結ぶことで夕張から札幌や小樽への距離を既存の夕張線経由に比べ約50kmも短縮し、昭和期は貨物・旅客ともに大活躍しましたが、炭鉱の閉山などが相次ぎ、およそ半世紀の活躍ののち1975(昭和50)年には廃止されてしまいます。
しかし、同鉄道は営業距離も長く、旺盛な貨物および旅客輸送で賑わっていたため、使用された車両たちはどれも先進的で個性的なものでした。それらの一部を紹介します。
夕張鉄道は創業時より廃線まで、蒸気機関車が主力として活躍した。
▲出典:RM LIBRARY 286巻『夕張鉄道 車両編』
●蒸気機関車
大正期の開通ですので、創業以来蒸気機関車が輸送の中心となって活躍しました。ドイツ・コッペル社製のタンク機関車1・2号機に始まり、1926(大正15)年にはコンソリ型と呼ばれるテンダ機関車を導入しています。
1941(昭和16)年からは、特に北海道で愛用されていた国鉄形式9600形を導入しますが、最初の1両は9600形と同形の「21形」という自社発注の新造機でした。後に国鉄9600形を7両受け入れて21形に編入するなど、文字通り夕張鉄道の主力として活躍しました。
新造機1両を含め、8両が活躍した国鉄9600形タイプの21形。
▲出典:RM LIBRARY 286巻『夕張鉄道 車両編』
●内燃動車(ディーゼル機関車)
戦後の国鉄では無煙化ということで蒸気機関車の内燃動車や電気機関車などへの転換が進められましたが、夕張鉄道でディーゼル機関車(DD1000形)が導入されたのは1969(昭和44)年と、廃止のわずか6年前でした。しかも両数は2両のみで、依然として蒸機が輸送の中心となって活躍していました。廃線後、車齢の浅いDD1000形は2両とも北海道内の他の専用鉄道に譲渡されました。
満を持してディーゼル機関車DD1000形が登場したのは、廃止のわずか6年前であった。
1969.10.14 継立-角田 P所蔵:夕張市石炭博物館
●気動車
最後まで蒸機主導だった貨物輸送に対し、積極的に無煙化が図られたのは旅客輸送の方でした。気動車の導入については戦前より計画があったのですが、1952(昭和27)年に当時の国鉄キハ07形の同型車がキハ200形として2両入線したのが最初となります。
その翌年、1953(昭和28)年には北海道初の液体式気動車としてキハ250形が導入されます。湘南型前面に「バス窓」と呼ばれる側面窓など、当時の最先端の流行を取り入れた新造気動車で、その後片運転台版として登場したキハ300形も含め6両が新製されました。
その結果、夕張鉄道で活躍した気動車8両はいずれも新造車両ということになり、不足分はかつて蒸機に牽かれて活躍した客車を気動車用の中間車として整備し、多客時はDDTDTDなどといった6両編成も見られるほどでした。
気動車急行の運転開始式。車両は1958(昭和33)年に片運転台で登場した当時最新鋭のキハ300形。
1961.9.1 夕張本町駅 P所蔵:夕張市石炭博物館
他にも客車や貨車など、夕張鉄道では実に多数の車両が活躍しました。比較的近代まで残った地方私鉄といえば電車や気動車が中心であるなか、晩年まで蒸気機関車を中心にディーゼル機関車、気動車、客車、貨車と様々な車両が残存していた夕張鉄道は、現在の趣味者にとっても興味深い鉄道であるに違いありません。
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■著者:奥山 道紀(おくやま みちのり)
■判型:B5判/48ページ
■定価:1,375円(本体1,250円+税)