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特集・コラム

「最初の姿は大人しかった」勇ましい印象の電気機関車EF57 変遷の歴史

2024.04.13

text:RMM

 戦前の東海道本線の旅客列車増発用として1940年に登場した電気機関車EF57。この機関車はそれまでのEF53やEF56といった機関車に比べ、出力の拡大とともに角ばった車体を持ち、屋上には鈴なりの換気装置、そして前方に突き出たパンタグラフなど、全体的に「厳つい」といえる印象を持った電気機関車です。そんな尖がった姿から、1976年の引退まで多くのレイル・ファンの間で高い人気があった電気機関車の一つでした。

 当然ながら、こうしたディテールの主張が強い姿というのは人気を得たくてそのような形になったのではなく、機能の必要性から、この形に辿り着いたのです。ここではEF57の外観の変遷を少し追ってみたいと思います。

■最初はおとなしい姿だったEF57

 EF57の1号機はそれ以前のEF56の後期型の車体を踏襲し、主電動機を1350KWから1600KWヘ乗せ換えただけのものでした。

▲『鉄道車輌ガイドvol.39 EF57』より抜粋。右頁の上がEF56後期型の形式図、下がEF57 1号機の形式図。外観は瓜二つといってよい。

 それもそのはず、EF56の製造期間は1937年から1940年。EF56の後期型とEF57は同じ年に登場しており、本来ならば「EF56 13号機」として製造されてもおかしくないタイミングだったのですが、途中でEF57の計画が浮上し、主電動機を出力アップした形で世に登場したのがEF57 1号機だったのです。

▲『鉄道車輌ガイドvol.39 EF57』より抜粋。右頁の上がEF57 1号機(撮影:鈴木靖人)。特徴あるパンタグラフは車体中央に寄っており、側面の換気ルーバーなどの数も少ない。

 そんなEF56譲りの車体を持つEF57 1号機、しかし運用する中で、出力拡大による機関車内部の冷却不足の問題や、パンタグラフのトロリー線への追随性など、いろいろ問題も明るみになったのでしょう。1941年に登場した2号機からは設計を刷新。車体中央寄りのパンタグラフはトロリー線を押し上げた力が後位のパンタグラフの追随性の妨げになることが判り、出来るだけ離す形での設置となりました。そして、機関車の出力の制御にかかわる主抵抗器は機器室中央部天井にむき出しで並べられ、その排熱・換気のため大型のモニター屋根と屋根各所のベンチレーターのほか、車体側面には空気取り入れ用の鎧戸を拡大・増設した車体となり、後年ファンを魅了するディテールフルな車体の基礎がここに出来上がったのです。

 このあたりの事情も、『鉄道車輌ガイドvol.39 EF57』に詳しく掲載されています。

▲設計変更を受け、1941年に登場したEF57 2号機。しかしパンタグラフはまだそれほど前方に突き出しておらず、垂直方向に持ち上がるスタイルだった。『鉄道車輌ガイドvol.39 EF57』より抜粋。

 しかし、2号機の当時でも、まだ我々の知っているEF57のあの姿ではないのです。1949年(昭和24年)東海道本線の沼津~浜松間の電化延伸時に、静岡県内の沿線構造物がパンタグラフの高さ制限に抵触してしまうことが発覚。1号機以外はそれまで運転台直上だったパンタグラフは前方に迫り出させ、パンタグラフを100mm下げる改造が行われたのです。沿線構造物を作り変えるのではなく、EF57総勢15両のパンタグラフを改造した点が興味深いですね。

 こうした諸事情によって作り上げられたのが、デッキ型電気機関車の最高傑作として誉るEF57なのです。

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 戦前、拡大する東京~大阪間の旅客需要に応えるため、東海道本線における旅客列車の増発を計画しました。この増発のため従来のEF56形電気機関車に対し、出力を増加させる形で1940年に完成したのがEF57です。その出で立ちは勇猛果敢な印象の強い外観の仕上がりとなり、デッキ付き電気機関車の最高傑作とまで謡われました。戦後、東海道本線から上越線へと活躍の場を移し、さらに1960年代には東北本線へと転出、同線の優等列車から普通列車まで幅広く牽引しました。

 本書は、登場の経緯から各線での活躍や出来事などを紹介。年代ごとの各部、ディテールの変遷、主だった列車編成、そして唯一の保存機である宇都宮駅東公園7号機を宇都宮市の特別許可により、車内や屋上、床下などのディテールを取材。またとない資料となっています。

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