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特集・コラム

【今日でお別れ】太宰も愛した「三鷹跨線橋」94年の歴史に幕 今後の動きは?

2023.12.10

▲いよいよ渡れなくなる日が近づいてきた「三鷹跨線橋」。

‘23.11.23 東京都三鷹市 三鷹跨線人道橋 P:東條ともてつ

 三鷹駅から西へ向かって400mほど進んだ位置にある古びた跨線橋。長らく中央線と三鷹の街を見守ってきたこの橋ですが、いよいよ撤去の時が近づいてきました。

【写真】三鷹車両センターが一望!三鷹跨線橋の写真を見る

■1929年生まれの跨線橋 太宰治ゆかりの地

 この跨線橋は戦前となる1929(昭和4)年に、当時の三鷹電車庫(現・三鷹車両センター)の建設に伴い設置された跨線橋です。正式名を「三鷹跨線人道橋」とし、その名の通り歩行者の往来のために設置されたものです。また、三鷹の地で暮らしていたこともある太宰治がよく訪れていた場所としても有名です。ちなみに太宰の代表作の一つである短編「走れメロス」も、ちょうど三鷹に住んでいた頃に発表された作品。そう考えると実に感慨深いものを感じます。

■鉄道省、国鉄、そしてJR東日本と引き継がれた

 この跨線橋は国鉄の前身となる鉄道省が設置したものです。戦後には日本国有鉄道が、さらにその後1987年には分割民営化によって誕生したJR東日本へと継承され続けてきました。この三鷹跨線橋は代々鉄道会社が維持・管理していたもので、自治体のものではありませんでした。

 そして94年の歴史の中で三鷹の車庫に出入りする車両も変わり続けました。茶色い旧型の省線電車から、戦後の黄色やオレンジ色を纏ったカラフルな国電、そして民営化後に続々と登場した銀色のステンレス製電車たちと、ここを行き交う列車たちを常に見守り続けてきたとも言えます。

 また、この跨線橋からは三鷹車両センターが一望できることからレイル・ファンの観察スポットとしても有名です。列車の入出庫の様子や、車両の留置状況などを見るファンたちでも賑わった場所でもありました。

■12月11日より撤去工事開始

 もちろんレイル・ファンのみならず、地元の方々からも愛され続けたこの三鷹跨線橋ですが、跨線橋自体は鉄道施設というより生活通路としての役割が強いため、JR東日本より自治体である三鷹市に無償譲渡する申し入れがありました。ですが1929年に建設された当時のままでは、老朽化が進行している上に、現在の厳しい耐震基準をクリアすることができず、列車の安全運行の観点から存続には大規模な対策が必要になりました。そのためには巨額の費用がかかるだけではなく、愛されていた跨線橋自体の姿が大きく変わってしまうこと、跨線橋から東寄りには地下道もあることから、JRから自治体に譲られることなく撤去される方針になりました。
 その撤去工事が2023年12月11日より着手されることとなり、10日がこの橋をいつも通りに渡れる最後の日となりました。なお15日から17日にかけては応募者限定の渡り納めイベントが開催される予定です(応募は締め切り)。

 ただし、90年以上もの間あった跨線橋ということで文化的な価値は非常に高いものであり、三鷹市ではJR東日本から跨線橋の一部を譲り受けた保存や、映像や写真などで記録するなどといった取り組みを行なうとしています。

 長きにわたって愛された跨線橋、何らかの形でまた残り続けてくれることを願うばかりです。

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