185系

特集・コラム

2階建車両の赤いマークの意味とは?全てが新しかった100系新幹線

2023.09.22

text:鉄道ホビダス編集部

‘11.4.2 山陽新幹線 新岩国 P:上石知足

 1985年、長らく0系のみで運行されていた東海道・山陽新幹線に初めてのフルモデルチェンジ車両である100系新幹線が登場しました。それまでは0系のマイナーチェンジで繋いできた新幹線に、新たな風を吹き込む車両として注目されました。

■新幹線史上初となるダブルデッカー車

▲「NS」マークがあった頃の100系。2両のダブルデッカー車のうち、手前が168形、奥が149形。写真は登場直後の試運転時のもの。

’85.5.15 山陽新幹線 岡山
P:松本テツヤ(消えた車両写真館より)

 従来の0系は全車両が動力車でしたが、100系からはすでに登場していた東北・上越新幹線用の200系をベースに改良を加えたことで、4両を付随車としても十分な性能を有していました。この4両の付随車のうち2両は先頭車、もう2両は中間に組み込まれる新幹線初のダブルデッカー車とし、話題を呼びました。このダブルデッカー車、8号車168形は1階が売店、2階を食堂で、9号車の149形には1階に初の試みとなるグリーン個室、2階にグリーン席が設置されるなど、従来の0系では陳腐化が否めなかった新幹線のサービス面でのイメージアップに貢献しました。

 ●国鉄時代の100系ダブルデッカーに描かれたマーク

 登場当時、国鉄時代の100系ダブルデッカーには、赤いマークが記されていました。鉄道玩具の100系にも描かれていることが多く、平成生まれ世代でも馴染みがあるマークかと思われますが、これは「NSマーク」と呼ばれ、「New Shinkansen」の頭文字「N・S」をデザイン化したものです。それまでの新幹線にはなかった特定車両のシンボルマークということで非常に目立つ存在でしたが、1987年の国鉄民営化によりJRマークへ置き換えられ、姿を消しました。

■JR化後もフラッグシップとして活躍

 100系は民営化後も増備を続け、最初に登場したX編成の他に、食堂車の代わりにカフェテリアとしたG編成や、JR西日本が4両の付随車全てをダブルデッカーとしたV編成(グランドひかり編成)などのバリエーションが登場することとなります。そして1990年代初頭の東海道・山陽新幹線におけるイメージリーダーとして各種CMにも出演し名実ともに新幹線の顔となりました。

■後継車両の登場、そして引退

▲300系と並ぶ100系。折しも両系式共に2012年3月ダイヤ改正での引退となった。

‘11.4.2 山陽新幹線 新岩国 P:上石知足

 そんな100系の華の時代は後継車両の登場により終わりを迎えます。1992年からは300系による「のぞみ」が運転開始されると、その勢力を徐々に拡大し、1997年には最高速度300km/hの500系が、1999年には最高速度285km/hの700系が登場し、100系はその高速化の流れに押されることとなります。そして今からちょうど20年前となる2003年9月16日、東海道新幹線から100系は姿を消しました。これは同時に16編成ダブルデッカー組み込みの100系が消滅した事を意味し、新幹線の一つの時代が終わりを迎えました。

 その後も山陽新幹線区間で「こだま」として6両のK編成、4両のP編成が活躍していましたが、これらも2012年までに全て引退しました。最後まで残っていた6両のK編成については後年変更されたフレッシュグリーン塗装から、登場当時のオリジナルカラーである青白塗装に戻され、折しも同時に引退することとなった300系と共に有終の美を飾りました。

 一つの時代を作り上げた100系新幹線。その後JRになってからは目まぐるしく新幹線のモデルチェンジが続くこととなりますが、その嚆矢となった車両として、今後もなお語り継がれていくことでしょう。

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