text:鉄道ホビダス編集部
‘15.4.6 鉄道博物館 P:RM
現在、さいたま市にある鉄道博物館の一角で保存されているEF55。他に類を見ない流線形を持った電気機関車であるEF55は、一度見たら忘れられないような特異な形状をしています。その姿から、後年では「ムーミン」とも呼ばれるようになりますが、その車歴は戦前まで遡ります。
■流線形ブームの中で生まれたEF55
1930年代、欧米では100km/h以上での列車運転を目指すようになります。もちろん速度が上がると無視できないのが空気抵抗。それを低減させるために生まれたのが「流線形」でした。その後世界中で流線形車両が作られるようになり、その流行は日本にも伝わります。もっとも、当時の在来線のような100km/h以下の速度域ではあまり効果は期待できなかったと言われます。
そんな時代背景の中、1936(昭和11)年に登場したのがEF55でした。基本的にはEF53をベースとしつつ一部機器を設計変更し、車体はもちろん流線形。形状の検討にはアメリカのペンシルベニア鉄道のGG-1形電気機関車を参考に、前後を流線形にするか、片方のみとするか慎重に検討されました。その後、空気抵抗の観点などから片方を流線形に、片方を切妻とするEF55が完成しました。ちなみに空気抵抗値は、切妻と比較して流線型は9%ほど少ないことが試験で示されました。
■方向転換が必要な電気機関車
▲2009年1月の引退後、前位側連結器カバーが復元されたEF55。
‘09.2.21 高崎車両センター P:小澤忠司
(鉄道投稿情報局より)
ただ、そんなEF55ですが 製造されたのはたったの3機でした。通常、電気機関車というのはどちら向きでも走行でき、折り返し時に方向転換しないで済むことが大きなメリットとして挙げられますが、このEF55は従来の蒸気機関車同様に折り返しの際は基本転車台などを使用した方向転換を必要としました。戦前はEF55は東海道本線の花形特急列車牽引にも活躍し、戦後もしばらく活躍を続けていましたが、やはり運用や保守上では不利でした。2号機と3号機については解体や他機への機器供出で消滅し、残ったのは国鉄中央鉄道学園の教材となっていた1号機のみでした。
■復活、そして終焉
1号機は中央鉄道学園から高崎第二機関区に戻され保管され、1978年に準鉄道記念物に指定。その後1986年に整備の上なんと車籍が復活。1987年4月の国鉄分割民営化によりJR東日本に承継され、イベント列車を中心に活躍することとなります。この頃にその見た目から人気アニメのキャラクター「ムーミン」の愛称で親しまれていましたが、戦前は「ドタ靴」「カバ」のように呼ばれていたと言われます。
車齢が70年を超えてもなお活躍を続けていましたが、2009年を最後に引退。高崎車両センター内で保存されてからしばらく動きはありませんでしたが、2015年にはついに鉄道博物館入りを果たしました。激動の時代を生き抜いた流線形の機関車は、今も博物館でその勇姿を見届けることができます。
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戦前のある時期、乗り物の世界に流線形ブームというものが世界的に起こりました。日本の国鉄の前身である鉄道省も例外ではなく、各種車両に流線形の設計を取り入れました。その一つとして特急用電気機関車として1936年に登場したのがEF55です。
本書では、EF55の登場の経緯から末期までの姿を追うとともに。1986年の復活時に撮影された各部のディテール写真や、図面でEF55の全てに迫ります。
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