text:鉄道ホビダス編集部
‘13.10.31 東武鉄道伊勢崎線 姫宮―東武動物公園 P:吉田賢司
(鉄道投稿情報局より)
鉄道車両というのはある程度量産されることが前提となる場合が多いので、それを見越して車両の番号を付けていきますが、中には初期の想定以上に作ることとなり、番号が「インフレ」を起こしてしまうこともしばしば。今回は大量に作ったがために、番号が繰り上がってしまった東武8000型について触れていきます。
■「私鉄の103系」大量製造により番号が枯渇する
東武8000型は1963年に登場した通勤型電車です。その製造期間の長さや、総製造数の多さ、また4ドア20m級の車体という特徴が、国鉄の通勤型電車である103系に共通していたことから、いつしか「私鉄の103系」と言われるようになりました。そんな8000型ですが、各形式とも一の位と十の位で固有番号を示し、百の位は形式を表していました。ですが、下2桁で製造番号を表す性質上、99番を超えて100番となった時困った問題が起こります。例えばモハ8200形の99番であるモハ8299の次の番号として、普通に数えると8300番になりそうですが、すでにモハ8300形は存在しており、8300番代を使うと番号の重複が発生してしまいます。
■モハ8299の次はモハ82100?
そこで形式の番号は変えずに番号を示すため、8000型では各形式ともに99番以降の番号は繰り上がる方式を採りました。再びモハ8200形を例とすると、モハ8299の次はモハ82100となりました。もちろん、「80000系・80000型」というような系式に変わったわけではなく、あくまで「8000型 モハ8200形の100番」という意味を表しています。これは番号が枯渇した他形式も同様に繰り上がりました。
同様に、東武で繰り上がった車番を持った系式は8000型のみではなく、6050型の野岩・会津鉄道所属車も当てはまります。野岩鉄道所属車は100番代としてモハ61101〜61103・クハ62101〜62103の3本が、会津鉄道所属車は200番代としてモハ61201・クハ62201の1本が製造されました。
■実は103系も番号に困っていた
▲103系の中でも飛び番となって以降のクハ103形(844番)とモハ102形(2036番)を組み込んでいた日根野のHK613編成。
‘12.9.13 阪和線 新家―長滝 P:妹背光洋
(鉄道投稿情報局より)
さて、8000型が先ほど「私鉄の103系」と呼ばれていたと述べましたが、そんな103系も一部形式で車番が行き詰まりました。0番代のうち、クハ103形が499番にまで達し、500番と行きたかったところですが、すでに500番代が存在していたためその次は701番まで飛んだほか、モハ102形も899にまで達し、すでに存在していた試作車の900番代や、地下鉄用1000・1200番代などを避けるために一気に2001番まで飛ぶということがありました。
それ以外でも、東急電鉄では番号が枯渇したことで数字が逆戻りし、インフレではなくデフレナンバーとも呼べる車両が登場しました。8500系ではデハ8700形・デハ8800形が99番にまで達し、デハ0700〜・デハ0800〜と、千の位の数字を0として対応したり、8090系でも下2桁が99まで達し、80番代の車番を使うようになったり、近年でも5050系で10両編成が登場した際、番号を4000番代とした例もあります。
車両がヒットして多く作られるようになると、どうしても避けられない車両番号のやりくり。鉄道会社ごとに付番方法や事情も違うことから、枯渇した際の対応も変わってくるのは、鉄道趣味的には研究しがいのある点と言えます。