185系

特集・コラム

もうひとつの70系 「戦災復旧客車」とは?

2023.07.22

鉄道好きの人の間では、70系というと戦後間もない1951(昭和26)年に横須賀線用として営業開始した70系電車を思い出す方が多いかと思います。一方、70代の形式称号を冠した車両として、70系電車の登場からさかのぼること数年、太平洋戦争中に空襲や事故などで被災した車両を応急復旧したいわゆる「戦災復旧客車」というものが存在していた、ということをご存知の方もいらっしゃるでしょう。

▲救援車に改造されたことから、「戦災復旧客車」としては奇跡的に平成の世まで残存していたオエ70 16。被災した鋼体化電車からの改造で、車体の傷み具合が著しい。

1989.3.13 姫路 P:藤田吾郎

戦災により数千両にも及ぶ膨大な車両を失った国鉄(当時は運輸省鉄道総局)では、戦後の輸送力逼迫にも関わらず、資材や生産力の不足などから、失った車両を新製車両だけで補うのは到底不可能でした。そこで、被災車両のうち台車や台枠、車体など再利用可能なものを流用したうえで応急的な復旧を行った70系戦災復旧客車が、1950(昭和25)年までの間に376両製造されました。

 

▲戦災を受けた車両は被災状況に合わせた復旧方法が採られたため、車両ごとにまちまちの形態であった。

出典:RM LIBRARY 277巻『70系戦災復旧客車(上)』

 

 

▲座席車としての代表形式はオハ70形とオハ71形。オハ70形は17m級車両として113両が復旧されたもので、種車は客車のほか電車からの改造車も存在した。

出典:RM LIBRARY 277巻『70系戦災復旧客車(上)』

▲オハ71形は20m級車両として155両が復旧されたもので、オハ70形と同様に客車・電車双方からの改造車が存在した。20m級でも、3軸ボギー台車のものはオハ77形(後の改番でオハ78形)とされた。

出典:RM LIBRARY 277巻『70系戦災復旧客車(上)』

これらの車両は元が被災車両なだけあってその経歴も外観もさまざまであり、さらに種車の被災状況によって流用の度合いが異なっていたため、車体をほぼ完全に新製したものから種車の面影を残したものまで、同形式の中にも実に多彩なバリエーションが存在していました。

 

▲3等座席緩急車のオハフ71形は2両のみが誕生。見てお分かりの通り、半流線形電車(モハ60形・クハ55形)の車体をほぼそのまま利用して復旧した車両である。

1952.7.21 門司港 P所蔵:鉄道友の会客車気動車研究会

 

合計376両が改造されたうち、3等座席車はオハ70・オハ71・オハ77(→後にオハ78)・オハフ71の4形式で計299両、他の77両は郵便・荷物車やその合造車、事業用車でした。しかし応急復旧ゆえ座席車は接客設備が著しく劣ることから、わずか数年で荷物車などに改造されたほか、1960年代までには大半が廃車されました。しかし、その後救援車などの事業用に改造された一部の車両が、国鉄末期(一部は民営化後の)1980年代後半まで残存していました。

 

■RMライブラリーの第277巻『70系戦災復旧客車(上)-その形態バリエーション-』が好評発売中です。本書では終戦直後という時勢ゆえに写真などの記録が極端に少ない戦災復旧客車について、その外観のバリエーションを中心に、3巻にわたり写真や外観図を使って解説します。

上巻では戦災復旧客車の概要に続き各形式概説の初回として、座席車および郵便荷物合造車のうちオユニ71までを解説します。見たことのないような車両の連続に驚きが止まらないこと請け合いです。

 

■著者:藤田 吾郎(ふじた ごろう)

■B5判/56ページ(巻頭カラーグラフ8ページ含む)

■定価:1,485円(本体1,350円+税)

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