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【戦後の国鉄客車史】「特ロ」登場後の「並ロ」(普通2等客車)の盛衰

2023.06.01

戦後になると、国鉄の2等客車(現在のグリーン車に相当)に「特ロ(とくろ=特別2等車)」が登場します。進駐軍の要請で誕生したリクライニングシート装備の2等車で、1950(昭和25)年に登場した当初は、日本人にとっては贅沢過ぎる設備ではありましたが、世情が安定し増備も進んでくると、それに対して車齢も古く固定クロスシートまたは転換式座席という昔ながらの設備を持つ従来の2等客車「並ロ」は見劣りが進んできました。

 

▲「並ロ」の象徴的存在であったオロ36形。1,300mm幅の大窓が見た目に優雅で、ゆったりとした固定座席が特徴であったが、リクライニングシートを備えた「特ロ」に対する見劣りは隠せなかった。1960年代に2等級制となり、1等車になった後の姿。

1963.3.30 上野 P:和田 洋

営業施策面では、例えば「特ロ」は指定席、「並ロ」は自由席などといった具合に料金差が設けられたほか、優等列車には「特ロ」を優先、普通列車には「並ロ」といった具合に使い分けがなされました。

1960年代に入ると、国鉄は積極的な輸送改善策として列車増発に踏み切ります。そこで生じたのが「並ロ」にまつわる車両需給バランスのミスマッチです。優等列車の増発が相次ぐ一方で普通列車の近距離化が進み、全体の輸送力を増やしたい一方で「並ロ」の余剰感が明らかになってきたのです。

そこで、360両を超える「並ロ」が、2等級制移行後の1等車(ロ)から現在の普通車に相当する2等車(ハ)に格下げされることになりました。

 

▲1,300mm幅窓のオロ36形は、2等車に格下げされてオハ55形に変更された。写真は格下げの直後で、等級帯を塗りつぶした跡が見える。

出典:RM LIBRARY 275巻『並ロ(なみろ)のすべて(下)』

「並ロ」の格下げ改造にあたっては、大掛かりな改造を避けたため旧来の座席がほぼそのまま残り、特別料金なしでゆったりした乗り心地が味わえる、今でいう「乗り得」車両としてファンには喜ばれました。

しかし、2等車として使われることで座席の傷みが進行したことや座席定員が少ないなどの問題から、早期に他形式への種車として改造されることになりました。


一部の車両は通勤形車として、外観はそのままに室内の座席を「ゆったりとしたクロスシート」からロングシートに改装されたものが45両登場し、1980年代初頭まで活躍しました。

 

▲通勤形改造車の最大形式であるオハ41形。この2003号は旧オロ40形からの改造で、幅1,200mmの大窓を持ちながら室内はロングシートという、ユニークな車両であった。

1977.9.18 山形 P:和田 洋

また、当時不足していた寝台車を補うため、余剰感のあった「並ロ」格下げ車が絶好の種車となり、302両が台枠などを流用して軽量客車と同様の新製車体に載せ替えを行い、オハネ17形(後の冷房改造後はスハネ16形)として改造されました。

またさらに荷物車(マニ36形)に改造される車両もあって、ピーク時の1955~58(昭和30~33)年に627両が在籍していた「並ロ」は、1967(昭和42)年までに全廃されました。

▲スロ43形を荷物車に改造したマニ36形。改造後にも残るアルミサッシ窓が、近代化改造後の「並ロ」の面影を残している。

1975.9.14 盛岡 P:和田 洋

「特ロ」と違って後に冷房化改造されることもなく、改造種車としてそのままの形で残る車両も少なかった「並ロ」ですが、その晩年のベールに包まれた経歴は謎が多く、客車ファンの間でも関心を集めています。

 

■RMライブラリーの第275巻『並ロ(なみろ)のすべて(下)』-鋼製普通2等客車の系譜-』が好評発売中です。昭和初期以降に登場した鋼製客車の「並ロ」各形式を解説するもので、下巻では35系以降の並ロ各形式解説のほか、その後の推移や北海道での運用実績などを紹介します。

とりわけ晩年期の1960年代、短期間に目まぐるしく形式が変更された経緯については資料も少なくなかなか知られていないだけに、本書が貴重な記録になることでしょう。また、スロハ33・スロニ36などといった軍用客車の室内見取り図も必見です。

▲耳慣れない軍用客車9形式の室内見取り図も誌面に掲載。
出典:RM LIBRARY 275巻『並ロ(なみろ)のすべて(下)』


■著者:和田 洋(わだ ひろし)
■B5判/48ページ
■定価:1,375円(本体1,250円+税)

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