text:鉄道ホビダス編集部
あっちへ配属と思ったら今度はこっちへ配属となり…。目まぐるしい転勤を繰り返す人がいるように、鉄道車両にもさまざまな路線を行ったり来たりした系式が存在します。そんな中でも特に209系500番代の一部編成は首都圏の通勤各線を点々とし続けていました。今回はこの209系500番代の半生について迫ります。
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■E231系登場までの繋ぎ役としてデビュー
‘15.12.18 総武本線 平井 P:芦原やちよ
1998年10月、209系をさらに発展させた次世代一般型電車として209系950番代が落成しました。この車両は系式こそ209系を名乗りましたが、中身は209系とは別物の次世代試作車そのもの。系式も量産時には「E231系」と改めています。
ですが、その次世代車の開発を待てない程に中央・総武線103系の置き換えは急務となっていました。そのため、この209系950番代の量産車が登場するまでの間、ほぼ同一の車体を持った従来型の209系が1998年11月に落成しました。それが今回の主役の209系500番代です。ちなみにこの209系500番代、JR東日本新津車両製作所(当時 現・総合車両製作所新津事業所)が初めて独自に設計・製造を行なった、ある種記念碑的な車両でもあるのです。
E217系などと同様の全幅2,950mmの拡幅車体としつつ、6ドア車は連結しないオール4ドアの10両編成として登場しました。床下走行機器に関しては従来の209系0番代とほぼ同様のものとしており、ここにあくまで「繋ぎ役」であることが垣間見えます。
■全車が中央・総武線に配置されたけど…
この209系500番代、全車が落成直後は中央・総武線用として習志野電車区に配置されました。10両編成17本の計170両のみが製造された少数派ですが、製造時期によって1次車と2次車と分かれており、1次車が9本、2次車が8本製造されました。外観上での大きな違いとして1次車が菱形パンタのPS28B、2次車がシングルアームのPS33Aとなっているので見分けは容易です。
実はほとんどの編成が落成から長らく中央・総武線で運用され、2003年の習志野電車区廃止に伴う三鷹電車区への転属などを除いて大きな動きはありませんでした。が、後半に製造された2次車の5本(クハ209-513〜・514〜・515〜・516〜・517〜以下10両 以降はこの先頭車の車番で記載)はその後多くの転出を経験することとなります。
■転属したと思ったらまた転属の日々
‘08.8.23 東京総合車両センター P:田中 友
(鉄道投稿情報局より)
2次車の最終編成2本(516〜・517〜)については製造時からデジタルATCの取り付け準備を行なっていました。これは京浜東北線へのデジタルATC改造予備車を確保するため、浦和区への転出を新造時から視野に入れており、その通りに2001年、同区へ転属しています。
さらにその後、209系900番代置き換えのため中央・総武線用から3本(513〜・514〜・515〜)が転属し、一時は計5本の500番代が京浜東北線で活躍していました。ですが、こちらもE233系1000番代の置き換え対象となり、5本のうち4本(513〜・514〜・515〜・517〜)が矢継ぎ早に京葉線へと転属、201系を置き換えました。ですがまたさらにその京葉線でもE233系5000番代の置き換え対象となり、4本のうち3本(513〜・514〜・515〜)が8両に短縮の上武蔵野線へと活躍の場を移しました。なおクハ209-517〜以下10両、「ケヨ34編成」については現在もワインレッド帯で京葉線に残留しています。
この5本の編成の中でも、特異な動きを見せていたのはクハ209-515〜・516〜以下10両の編成です。515〜については京浜東北線で予備車が不足した2005年10月〜2006年3月頃まで三鷹所属のまま浦和へ貸し出されました。この時は転属ではないので帯色こそスカイブルー帯になったものの、編成番号札は三鷹の黄色い「515」札をかけたままとなっていました。その後返却はされたものの、直後に先述の通り209系900番代置き換えのために浦和区に戻ります。この時は正式に転属としており、編成名も「ウラ84編成」としました。
▲C516編成の帯色は前面はあまり濃い印象はないが、側面帯を見るとその違いがハッキリとわかるものであった。
‘13.12.12 山手貨物線 恵比寿 P:大野貴行
(鉄道投稿情報局より)
516〜については、習志野区へ新製配置されたものの、直後にデジタルATC改造予備車として京浜東北線へ転属したグループ。長らく同線で活躍していましたが、E233系1000番代登場で置き換えられ、2009年に三鷹車両センターへと転属(ミツ516編成)。他の仲間たちが京葉線に行く中、唯一古巣の中央・総武線へと「里帰り」します。
もちろんこれにもワケがあり、当時廃車が始まっていた山手線E231系500番代の6ドア車と、その置き換え用新製4ドア車の配給伴走車に、中央・総武線E231系0番代1本(ミツ27編成)が抜擢。同車が一時的に東京総合車両センターへ転属する穴埋めに伴うものでした。
なお515〜は浦和区から三鷹区へ返却され、再び浦和区へ正式転属するまでのわずかな期間、516〜は浦和区から三鷹区へ転属したタイミングで帯色が黄色に貼り替えられましたが、この時2編成の帯色は、通常の黄1号ではなく少し色味が濃い黄5号の帯を巻いており、見慣れた人であれば遠目で見てもその違いを判別することができました。
現在では中央・総武線で長らく活躍を続けていた12本も八高・川越線(4両に短縮され3500番代化)や武蔵野線に転属。先述のクハ209-516〜以下10両の編成についても、2018年の初めに武蔵野線へと転属。黄色帯が少し濃い中央・総武線の車両も過去のものとなりました。
‘13.10.1 山手貨物線 大崎―恵比寿 P:大野貴行
(鉄道投稿情報局より)
主に老朽車取り替えとE233系導入の影響によって、さまざまな通勤路線を短期間で渡り歩くことになった209系500番代。現在、八高・川越線用3500番代に改造された以外はほぼ武蔵野線に所属し、気がつけばオリジナルの10両編成で残るのは京葉線のケヨ34編成のみとなってしまいました。最後のワインレッド帯、最後の10両編成の500番代、そして500番代としてのラストナンバーと、この編成の注目度は年々上がっていっています。
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