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特集・コラム

老朽車両が「新車」に化けた! 東武鉄道窮余の策、3000系列

2023.01.29

 都内の浅草駅および池袋駅をターミナルとし、埼玉県や栃木県、群馬県にまで足を延ばす東武鉄道は、関東地方で最も営業距離の長い私鉄として知られています。

 しかし距離が長いということは、それだけ運用される車両数も膨大であるわけで、特に戦後は車両の増備もままならぬ中で多数の老朽車両を抱え、その新陳代謝も容易にできない状況となっていました。

 そこで東武鉄道が昭和の高度経済成長期に進めた施策が、既存車両の部品を流用して新たな車体を新造し、「見掛け上の新車」とする更新工事でした。こうして生まれた車両が東武3000系列(3000系・3050系・3070系)の電車です。

あれ、こんな車両つい最近まで走っていたなぁ…と思わせる外観の3000系電車。この先頭車両(モハ3170形3173)の車籍をひも解くと、なんと1924(大正13)年製の木造客車がそのルーツとか…!

1995.9.4 東武宇都宮線 野州大塚 P:稲葉克彦

 

 関東地方の私鉄は、電気鉄道として誕生したものが大半ではありますが、東武鉄道はもともとの電鉄ではなく、当初は蒸気機関車の牽引による列車で運行されていました。

 電化が進む過程で客車は主にモーターのない電車(付随車・制御車)へと改造されていきますが、その経緯により電動車は1両単位での新造、付随車・制御車は改造車両が主体となるなど、編成を通して形が揃うことは少なく、見るからに種々雑多な車両の集合体といった外観が当時の東武電車の特徴でした。

戦後の東武鉄道に多数残存していた旧型車両たち。経年による老朽化や戦災での焼損など疲弊が進んでいた。

出典:『RM LIBRARY 271 生まれ変わった東武旧型電車(上)』

 

 しかし高度経済成長期にもなると、乗客の急増による輸送力の確保が急務となる一方、これらの旧型車両の老朽化が著しく、新造車の投入だけでは間に合わず大量の既存車両の体質改善が望まれました。

 そこで前述のように、高度経済成長期の真っただ中であった1964(昭和39)年の末から1975(昭和50)年初頭にかけて、まさに昭和40年代を通して改造された車両が3000系列となります。既存の旧型車両の下回り・走り装置を流用し、18m級3扉通勤形の全金属製車体を新造することで、外見上は当時の新造車両と何ら変わりのない姿の電車が誕生したのです。

旧型車両の部品を流用して生まれた3000系電車。改造当初は左上のオレンジとベージュの2色塗装で登場、時代の変遷とともにクリーム色や白に青帯の姿に塗り替えられて活躍した。右下2種は廃車後に上毛電鉄に払い下げられた時の姿。

出典:『RM LIBRARY 271 生まれ変わった東武旧型電車(上)』

 東海道新幹線が開業した年と同じ1964年より始められた3000系列への更新工事は、毎月ほぼ2両ずつのペースで継続して進められ、10年余りの間に実に236両もの車両が新車同然の姿に生まれ変わりました。それらの車両はこれまでの古色蒼然とした旧型車両に代わって支線区の主力として活躍し、東武鉄道のイメージアップに大いに貢献しました。

 しかし、昭和40年代には当たり前であった冷房のない車体も昭和60年代ともなると敬遠されるようになったほか、20m級車両の躍進で18m級車両は輸送力の面で劣ること、また車体は新しくても下回りの老朽化は隠せないことから、1987(昭和62)年より3000系列の廃車が進行、一部車両は群馬県の上毛電鉄に譲渡されたものの、それほど長く使用されることもなく役目を終えました。

 一方、東武線内では最後まで活躍が見られた、3000系列では最新の3070系と呼ばれるグループも1996(平成8)年を最後に廃車、236両の生涯にピリオドを打ちました。

■RMライブラリーの第271巻『生まれ変わった東武旧型電車(上) -3000系列ビフォー・アフター-』が好評発売中です。本書では1996年まで活躍した3000系列について、更新後の姿だけでなくその改造種車となり消えていった旧型車両の在りし日の写真を多数掲載し、貴重な記録として後世に残します。上巻では3000系に生まれ変わった戦前からの旧型電車概説を中心に、更新された3000系の概説や改造元の種車のほとんどを1両ずつ紹介します。

■著者:稲葉 克彦(いなば かつひこ)
■B5判/56ページ(うちカラー8ページ)
■定価:1,485円(本体1,350円+税)

 

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