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特集・コラム

「川造型」ってなに? 造船所生まれの武骨な電車

2022.12.15

「川造(かわぞう)型」と呼ばれる電車をご存知ですか?

 今から90年以上前の大正末期から昭和初期に製造された電車であるため、現役で活躍する車両はすでになく、形を留めるものもわずかですが、旧型車両や地方私鉄を愛好するレイル・ファンの間ではそれなりに知られた存在なのです。

▲「川造型」の数少ない保存車両、1926(大正15)年製の阪急電鉄600形602号。およそ一世紀前の車両とは思えないほど気品あふれる姿に復元され保存されている。

2022.12.1 阪急正雀工場 P:宮下洋一

 川造型の「川造」とは、兵庫県に存在していた川崎造船所の略です。「当時は造船所でも電車を造っていたのか」と驚かされますが、川造型が製造されていた大正から昭和にかけてはそれまで「木」を車体の主材料としていた鉄道車両が「鉄」に変わりつつあった転換期。造船で培った鉄鋼の加工技術を鉄道車両に応用し、レディーメイドの標準設計電車を私鉄各社に売り込むことで、鋼製車両の時代を先導しようとしたに違いありません。

 

▲川崎造船所が製造した「川造型電車」が最も多く投入されたのは西武鉄道。20両が製造され、約40年にわたって西武各線、特に多摩川線などの支線区で使用された。

 出典:『RM LIBRARY 269 川造型電車(上)』

 「川造型」は今でいう阪急電鉄や西武鉄道、東急電鉄など大手私鉄の始祖となる各社に納入されたほか、長野電鉄や豊川・鳳来寺鉄道(後に国有化され飯田線の一部に編入)などの地方私鉄にも投入されていきました。さらに川崎造船所以外の車両メーカーが同型の電車を製造して納入することもあり、近鉄京都線の前身である奈良電気鉄道に日本車輌製の「川造型」が24両導入されるなど、私鉄電車の一時代を象徴するスタイルとして広がっていきました。

▲晩年は長野県の上田交通別所線で活躍した川造型電車、モハ5271。川造型らしい特徴を晩年まで残していた。

1982.10.11 中塩田 P:宮下洋一

 丸みを帯びた深い鋼製屋根に張り付いた、特徴的な弧を描く水切り。そしてリベットの頭がズラリと並んだ車体に小さな窓。お世辞にもスマートとは言い難い武骨な車体ではありましたが、見た目通りの頑丈さが取り柄で、新製投入された各私鉄での活躍は40~50年ほど続けられました。

▲「川造型」が現在でも親しまれている理由のひとつに、全国の地方私鉄への譲渡が活発に行われ、比較的近年まで活躍が見られたことが挙げられる。登場当時では考えられなかったようなカラフルな塗色をまとい、長いものは平成の時代に入っても活躍を続けた。

 出典:『RM LIBRARY 269 川造型電車(上)』(以下同)

 導入各社で使命を果たした「川造型」は、関西私鉄に所属していたものはほぼ解体されましたが、各地の地方私鉄に譲渡されたものも多数ありました。特に西武鉄道に投入された20両は、その製造数すべてが北は青森から南は熊本まで文字通り全国各地の地方私鉄で再起し、第2または第3の職場での復活を果たしたことは特筆されます。

▲最後まで現役で活躍した「川造型」は、津軽鉄道で客車として使われていたナハフ1200形。西武鉄道からの譲渡車で、現在でも1202(写真手前)と1203の2両が解体はされず残存している。

2000.10.29 大沢内~川倉 P:宮下洋一

 地方に渡ったこれらの車両は、長いものでは1980~90年代まで(津軽鉄道に至っては2000年に至ってもなお)活躍していたため、目にしたことのある方もいらっしゃるかと思います。

 ちなみに、これらの電車を製造していた川崎造船所はその直後に鉄道車両製造部門を川崎車輛として独立し、日本を代表する鉄道車両メーカーのひとつに成長しています。近年およそ半世紀は川崎重工に合併されていましたが、2021(令和3)年に「川崎車両株式会社」として分社化され、懐かしい名前が蘇りました。

■RMライブラリーの第269巻『川造型電車(上) -川崎造船所標準設計電車とその類似車両-』が好評発売中です。上巻では、西武鉄道や東急電鉄など、主に関東地区に新製投入された車両とその譲渡車について解説します。

著者:宮下 洋一(みやした よういち)
B5判/56ページ(うちカラー8頁)
定価:1,485円(本体1,350円+税)

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