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特集・コラム

「駅」を訪ねて…延伸構想も具体化、ひたちなか海浜鉄道編スタート「ひたちなか海浜鉄道 那珂湊駅(その1)」

2022.07.24

取材日:’21.11.2
text & photo(特記以外):羽山 健(RM)
同行取材:遠藤イヅル 取材協力:ひたちなか海浜鉄道

 隔月刊行時代のレイル・マガジンで連載した「シーナリー散歩」。WEB編は「『駅』を訪ねて…」に再構成してお届けしています。2022年1月号では、茨城県の第三セクター鉄道・ひたちなか海浜鉄道を取り上げました。

レイル・マガジン2022年1月号(452号)書誌情報

常磐線・勝田から伸びる非電化ローカル線
 かつて茨城県内の常磐線各駅からは、枝葉のようにローカル私鉄が伸びていましたが、この30年ほどで筑波鉄道、日立電鉄、鹿島鉄道…といった味わいのある鉄道が廃止されていきました。勝田~那珂湊~阿字ヶ浦を結ぶ茨城交通湊線も経営は厳しく、しかし茨城県などの出資により2008年にこの第三セクターのひたちなか海浜鉄道に経営が移行しています。

 成り立ちは非常に古く、開業は109年前となる1913(大正2)年、この時の区間は勝田~那珂湊。当時の社名は湊鉄道と言いました。その後1928(昭和3)年に阿字ヶ浦まで全通、1944(昭和19)年には戦時統合で茨城県下の他の私鉄であった水浜電車、茨城鉄道などと合併して茨城交通が発足、同社湊線となりました。

 水浜線・茨城線は1970年前後に廃止となり、この湊線が長年茨城交通唯一の鉄道路線となっていましたが、2008年に前述の通り第三セクターの新会社に移行(茨城交通はバス会社として存続)。その後は自治体との連携で積極的な経営を行っており、なんと2024年頃を目標に、終点からさらに2駅延伸する計画も動き出しています。

イラスト:遠藤イヅル

本社、車両基地のある中枢駅「那珂湊」
 今回は、路線中ほどに位置し、同社の本社や車両基地を併設する那珂湊駅を見ていきます。1回目では主に駅施設をご紹介しましょう。中枢駅ですので、当然有人駅となっています。

▲壁面などはリフォームされていますが、開業時以来の木造建築を維持している那珂湊駅舎。シンボルツリーも植えられています。

▲少し引いた位置から駅舎を見たところ。旧那珂湊市(現在はひたちなか市に合併)の代表駅として、バスターミナルを備えたロータリーがあります。

▲本社機能は駅舎内ではなく、隣接した別の建物の中にあるようです。

ホームは2面3線
 駅舎に面する単式ホームの1番線と、構内踏切で結ばれた島式ホームの2・3番線から成る2面3線式の構造を持ちますが、2番線には留置車両が止まっていましたので、事実上は1・3番線の2線使用です。1番線が勝田方向の上り列車用、3番線が阿字ヶ浦方向の下り列車用となります。

▲1番線に進入してきた勝田行きのキハ37100。

▲2番線にはキハ205やモーターカーが留置されていて、乗降用には使用されていない模様。

▲構内踏切から、1番線停車中のキハ37100を見たところ。右手に車両基地が広がっています。

▲構内踏切には階段で降りていきますが、近年拡幅された模様。

▲構内踏切への動線で、車いす用スロープも併設されていました。この設置のために上屋の柱に対して工事も加えられたようです。

▲1番線ホームから、阿字ヶ浦方向を見たところ。2番線のレールは構内踏切手前で合流しています。

▲2・3番線ホームに設置されている、小ぶりな上屋。

▲一方、1番線ホームは幅も広く、かなり長い大屋根が被さっています。

▲1番線ホームの大屋根の骨組みは見事な木製です。

▲1番線ホームの大屋根の端部。

■面白ポイントを見つけよう

▲各駅に、特徴的な書体(むしろイラスト?)の駅名板が設置されています。「珂」の字の中には、ステンレス製ケハ601の前面が描かれています。「湊」の字の中には、かつての名物駅ネコ「おさむ」がいるみたい。

▲非常に歴史を感じさせる名所案内の看板。

▲1番線ホームに設置されている、レールでできた鳥居。終点・阿字ヶ浦駅にできた鉄道神社への「壱ノ鳥居」という位置づけで、つまりこのまま列車に乗っていくこと自体が「参道」を行くことになるのです。

▲日が暮れてからもう一度駅に行った際、昼間は姿が見えなかった駅ネコ「ミニさむ」がなんだがふてくされたような表情でうずくまっていました…。兄貴分の「おさむ」が亡くなってから、寂しいのかもしれません?

 次回は、車両基地の様子をご紹介します。

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