185系

特集・コラム

「駅」を訪ねて…「上着をはぎ取られたような?」橋上駅舎が誕生したワケ「流鉄 小金城趾駅」【シーナリー散歩】

2022.05.01

取材日:’21.12.28
text & photo(特記以外):羽山 健(RM)
同行取材:遠藤イヅル

 レイル・マガジンで連載した「シーナリー散歩」(誌面連載はレイル・マガジンの定期刊行終了により完結)。WEB編は新タイトルを『「駅」を訪ねて…』として展開致します。千葉県の流鉄を順次取り上げていますが、今回は前回の鰭ヶ崎駅からさらに一駅馬橋方向に進んで、小金城趾(こがねじょうし)駅を見ていきます。前回も記した通り、ここから馬橋駅まではすべて松戸市内になります。

レイル・マガジン2022年3月号(453号)新刊情報

●流鉄唯一の交換駅
 全線単線の流鉄流山線、途中で交換可能な唯一の駅がこの小金城趾駅です。島式ホームで1面2線、駅舎は橋上駅。日中は必ず当駅で列車交換が行われるダイヤとなっています。開業以来長年、線内に交換設備がなく、列車増発に限界があったため、1967年に当駅をそれまでよりも流山寄りに移転させ、交換設備を設けたとのこと。

▲ホームの流山寄りから見た列車の交換シーン。左の「あかぎ」が馬橋行きの上り列車、右の「流星」が流山行きの下り列車。

 高度成長期に駅が事実上新設されたことから、以前は際立つ特徴がありました。駅舎北東側に隣接して6階建ての県営集合住宅が建設され、駅舎入り口がこの建物を経由する構造になっているというもの。出札口もこの集合住宅2階に組み込まれ、利用者はここからもうちょっと階段を上がって橋上駅舎に至り、階段を下りてホームに…という動線になっていました。

▲現在の小金城趾駅の橋上駅舎(駅の東側から見たところ)。このように駅が丸見えになったのはここ数年のことです。

▲【2014年撮影】上写真とほぼ同位置から撮影したもの。商業施設が階下に入る比較的近代的な集合住宅が目の前にあり、駅への動線はこの建物を通っていました。既にこの時点で住民も店舗も退去していたようです。

▲【2014年撮影】駅西側に通じる橋上通路から、かつての集合住宅を見たところ。そこまで老朽していたようには見えませんが、耐震的にNGであったこともあり、この時点で廃墟化していました。

▲上写真とほぼ同位置から撮影したもの。こうして見ると、かつての6階建ての集合住宅はこの規模の駅前にはやや分不相応の規模感だったようにも感じます。

▲集合住宅の跡地は、駐車場とレンタル倉庫となりました。

 つまり、駅の東側からは、橋上駅舎の姿は一切見えなかったのです。その集合住宅の1階にはこの地域を発祥の地とするドラッグストアが長年テナントとして入り、2階も医療施設などのテナントで賑わっていた時期があったのです。

▲もう一度、現在の橋上駅舎を東側から見たところ。踊り場のところからかつては向かって左に動線が伸び、集合住宅2階にあった出札口につながっていました。

 商業施設としての衰退が先だったのか、東日本震災後の耐震審査でNGが出てしまったのが先だったのか…2014年頃にはもう閉鎖・無人化され、2015年から解体。今は周囲は駐車場やレンタル倉庫となり、橋上駅舎がやや所在なさげに屹立しております。

駅舎やホームにも味わいが…
 少々不思議なのは、橋上駅舎内にも小ぶりな出札口があり、こちらはもちろん今も現役。かつての集合住宅2階の出札口との使い分けをしていたのかどうか? 筆者の記憶では集合住宅の方は比較的早い段階で使用が停止されていたように思います(集約するなら橋上駅舎内の方にした方が、駅西側からの利用者には確実に便利ですので)。

▲橋上駅舎内の、駅事務室を兼ねた小ぶりな出札口。西日と相まって強烈に郷愁を呼び覚ます感じです。

▲最近見ることがほぼ無くなっていた感のある「定期券拝見」の看板。流鉄には自動改札機の類は一切設置されていません。

▲電照式の番線表示看板。書体なども由緒正しい駅のそれです。

▲交換待ちの「あかぎ」+「なの花」(故障によって変則的な編成)の前方に、対向列車の「流星」が見えてきました。

  • このエントリーをはてなブックマークに追加