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■相模鉄道が開業させたから相模線…
「○月の鉄道のデキゴト」は、当月にあった過去の鉄道の「デキゴト」(路線の開通や車両の新製・廃車、そのほかの事件など)を振り返るコーナーです! ティーブレイクにでも気軽にお楽しみください。
▲205系一族の中でも一際ユニークな前面スタイルで独自性を出していた相模線用205系500番代。
‘21.6.24 相模線 橋本~南橋本 P:箆伊 正(今日の一枚より)
今回はとっておき、ちょうど100年前となる1921年9月28日のデキゴトから振り返ってみましょう。この時に相模線の最初の開業区間として茅ケ崎~川寒川(現在は廃止)間が開業、JR東日本では本日より相模線開業100周年記念イベントを開催することになっています。
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ここでいきなりですが、JRの相模線と大手私鉄の相模鉄道。名前が似ていると思いませんか? ちょっとややこしいのですが、相模線をもともと作ったのは、今の相模鉄道なんですよ、実は。
▲日立電鉄の名物電車だったモハ13形4両は、実はかつて相模鉄道時代の相模線で活躍した車両で、登場時は相模鉄道キハ1000形。つまり気動車だったのだ。日本初の電気式ディーゼルカーでもあり、しかも横から見て運転台部に大きく後退角がつく一種の流線形車体だった。
‘82.8 日立電鉄 常北太田 P:寺尾武士
今は横浜から海老名・湘南台を結び、2019年には東京都心乗り入れも開始、大手私鉄の一員として成長し続けている相模鉄道ですが、祖業は今の相模線の方で、1917年12月に創業され、前述の通り1921年に一部開業に漕ぎつけています(橋本まで到達したのは1931年)。そして相模鉄道とほぼ同時に創業されたのが神中(じんちゅう)鉄道という会社で、こちらが開業させたのが今の相模鉄道本線。最初に開業したのは二俣川~厚木で、1926年のことでした(横浜まで到達したのは1933年)。
▲キサハ04形はかつての相模線名物だった珍車。キハ04を付随車化した成り立ちで、1961~65年にラッシュ時増結用として使用された。
‘62.3 相模線 寒川 P:髙澤一昭(消えた車両写真館より)
厚木で接続していた両社は戦時中の1943年に合併し、相模鉄道が存続会社となります。そしてそれも束の間、翌1944年に旧相模鉄道線は戦時買収により鉄道省へ編入され、省相模線となったのです(東海道本線と中央本線を連絡する路線として、戦略上重要と判断された)。ここで相模鉄道には旧神中鉄道線のみが残ったことになり、相模鉄道と相模線という、本来は一体であったはずのものが別れ別れになってしまったのでした。
▲相模線のキハ35系は、晩年、クリーム色に青帯という相模線色に塗り替えられた。写真はステンレス製キハ35 900番代の1両・904。
‘89.10.20 相模線 相武台下~下溝 P:高澤一昭(消えた車両写真館より)
さて戦後の国鉄相模線は長年非電化ローカル線として地域輸送に勤しみ、キハ10系やキハ35系の活躍が印象に残っている方も多いでしょう。気動車向けの朱色5号一色塗装、通称「首都圏色」は、1975年の相模線キハ10系から始まりました。
▲30年間地道に通い続けたおなじみの路。いよいよゴールが見えてきたようだ。
‘21.7.22 相模線 相武台下~下溝 P:三田村 裕(今日の一枚より)
ここが電化されたのが30年前の1991年で、相模線専用の205系500番代がその後独占的に活躍してきたのはご存じの通り。そしてその置き換え用のE131系500番代が先日お披露目され、100周年の節目のこの年、11月18日から営業開始とアナウンスされております。
▲相模線用電車第二世代E131系500番代。11月18日より営業運転開始となる。
’21.9.22 国府津車両センター P:RM
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