特集・コラム

第2回 DD51の完成

2021.03.17

■凸型の本線ディーゼル機関車

 DD51はDD13と同じく運転室の前後に機関、過給器、液体変速機、冷却装置などのユニットを配置したセンターキャブスタイルとなった。当初、このボンネットスタイルの車体は、設計陣にとって入換機のようなイメージを与え、歓迎されなかったと言われるが、車体の軽量化や製作費の縮減、またメンテンスや通気性に優れていることから導入されたもので、機関、過給器、液体変速機をコンパクトにまとめてセンターキャブからの視界を確保した。

▲DD51 1156号機の運転室内。写真は、JR貨物稲沢駅一般公開時のもの。
なお、運転室内にSG機器は設けられていない。

’19.6.9 P:近藤 旭
レイル・マガジン447号より

 この結果、DD51の連転整備重量は84tとなり、軸配置は中間台車を設けたB-2-Bとして、軸重を14tに抑えることが可能になった。なお、動台車はDD13で実績のあるDT113を基本としたDT113B、中間台車は基礎ブレーキ装置のないTR101を採用した。また、SGはDF50に採用した自動形のSG-3を小型化したSG-4を運転室に配置している。

■1号機の落成

 DD51 1号機は1962年3月31日に日立製作所で落成したが、当時はディーゼル機関車の標準塗色であったぶどう色で、前面エプロンとボンネットにクリーム色1号の帯を配した姿で登場した。1号機はそれ以降の量産車と異なり、運転室の屋根が丸みを帯びており、ボンネットに飛び出た前照灯は、まさに「海坊主」のニックネームそのものであった。落成後、秋田地区で性能試験に望んだものの、当初は前後位の機関と液体変速機の特性が一致せず片肺起動の状態になり、計画通りの粘着性能を発揮することができなかった。また、高速域での変速機の性能にも改善の余地が残された。

▲廃車後、高崎機関区で保管されていたDD51 1。写真は国鉄DL標準色に塗り替えられた姿。
現在は、碓氷鉄道文化むらでぶどう色時代の塗装に復元の上で保存されている。

‘87.4 高崎機関区 P:長岡行夫
消えた車両写真館より

 この失敗をもとに、翌1963年には第2次量産試作車(2~4)を製造した。粘着特性を確保するため、ノッチ割りを7ノッチから14ノッチに細分化し、機関と液体変速機の性能均一化、砂撒管の増設を行ない、さらに中間台車の枕バネに軸重調整用のライナーを設けて、起動時の同軸の軸重を14tから15tに増加させる台車構造に変更した。また、液体変速機は正転軸、逆転軸の回転数を下げ、併せて軽量化を図ったDW2Aに変更し、これが以降の標準となった。
 この結果、第2次量産試作車では10‰で1,160tの引き出しに成功し、量産への足掛かりを築いた。また、2次車では、車体全般の形状と塗色が見直され、運転室前面にヒサシを追加、前照灯もライトボックスに納めた形態となり、塗色はオレンジに白帯、ボンネット上部と屋根上が灰色というDL標準色に変更され、以降誕生する新型ディーゼル機関車の標準塗色となった。

▲DD51 4号機。第2次量産試作車の2~4号機は運転室屋根の丸みがなくなりヒサシが前後に延長された。

P:堀岡健司

 一定の成果を得ることができた第2次量産試作車は、1号機と共に盛岡機関区に配置され、東北本線奥中山の十三本木峠越えで活躍を始めた。投入直後は機関のクランク軸受、冷却ファン駆動用の静油圧ポンプ、制御系統などに若干の初期故障を見たものの、幸い致命的な欠陥には至らず3次車への量産展開に反映されることになった。

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