特集・コラム

シーナリー散歩 Scene:1-3 御殿場線 駿河小山駅

2020.12.12

 取材日:’20.10.27
text & photo:羽山 健(RM)
同行取材:遠藤イヅル

 レイル・マガジン2021年1月号から新連載となった「シーナリー散歩」。全国の鉄道路線を訪ね、思わず模型にしてみたくなるような魅力的なシーナリーを見つけてご紹介して参ります。連載第1回でお送りしているのは、JR東海の御殿場線。そのWEB編3回目では、前回の足柄駅からさらに一駅上り方向へ進んだ駿河小山駅を見ていきましょう。

▲いかにも昭和40年代の国鉄建築、という感じの近代的駅舎。現在は無人駅というのがちょっと信じがたい。

 御殿場線の駅舎は、明治時代~昭和初期にかけての木造のものを大切に使っているものが多く、さすがにごく近年になって完全に建て替えられる例も多くなりましたが(前回の足柄駅のように)、昭和時代中盤に建て替えられたケースはあまり多くありません。そんな中でこの駿河小山駅は非常にレアなケースと言えるでしょう。

▲ホームから駅舎を見上げる。手前側は何らかの詰所的な部分だろうか。

 この鉄骨造りの非常に近代的な駅舎は1968年に建造されたもの。同線が電化された年で、駅舎だけでなく何らかの詰所と同居しているのか建物自体がかなり大規模です。現代の鄙びた同駅周辺の雰囲気からするとやや違和感を抱くほどの規模と様式であると感じます。ここは富士紡績(現:富士紡ホールディングス)の発祥の地であり、駅裏手に大きな紡績工場があって栄えたそうですが(今も同社関連企業の工場は操業中)、1968年の時点ではモータリゼーションも進んでおり、あるいは観光需要に活路を見出すべく、立派な駅舎が建てられたのかもしれません。実際、当駅を最寄り駅とする冨士霊園は1965年開業、富士スピードウェイは翌1966年開業であり、今も当駅からのバスが存在します。

▲駅前の小規模なロータリー。ちょうど冨士霊園行きのバスが停車中。

 さてこの駅舎、立地もかなり特殊で、傾斜地でありかつ線路よりも一段高くなっています。正面から見ると1.5階ほどの高さまでの階段で駅舎入口となりますが、裏手の入口は地面とレベル。そして駅舎内からはほぼ水平な高さで跨線橋が延び、島式1面2線のホームへ下りて行く形です。この跨線橋は木造のトラディショナルな形態で駅舎とは様式が異なり、ひょっとしたら旧駅舎時代のものが引き継がれているかもしれません。

▲駅舎の位置が高いため、階段部が片側にのみ付いている木造跨線橋。

 駿河小山駅は、今でも一部の特急「ふじさん」が停車する主要駅ではありますが、既に駅員配置はない無人駅。閉じられた出札窓口が寂しげですが、御殿場駅管理下で清掃などは行き届いているようでした。

▲閉鎖された出札窓口が少々寂しげ。

 ホームは例によって列車長よりだいぶ長く、またホーム屋根も近年延長された形跡があります。また保線車両用の車庫線がいわくありげな分岐角度で延びていますが、やはりこれは元の富士紡績小山工場専用線を一部活用したものです。それと逆側には、元の貨物ホームと思われる貨車1~2両分の切り欠きのあるコンクリート地面(現在は駐車場)も残されています。

▲保線用車両の車庫へ延びる線路は、富士紡績小山工場専用線跡を活用したもの。

▲右手のコンクリート地面の右端、直角の切り欠きは元の貨物ホーム跡の可能性が高い。

 単なるノスタルジーだけでなく、ペーソスも感じながら駅を離れ、国府津方へ進みます。駅から700mほどでしょうか、第一小山踏切を目指していくと、そこに複線時代の遺構である箱根第7号隧道の沼津方入口が見つかります。トンネルの遺構自体は列車内から前面展望しているといくつも見られるのですが、安全に公道から観察できる場所はあまり多くありません。ここもフェンス越しの観察とはなりますが、元の下り線が現在活かされており、上り線は放棄された様子が分かります。ポータル前に柱状の構造物が突き出ており、その上に斜めにバルコニーのような構造物が載っています。これは関東大震災の時に隧道上から土砂が崩れて線路をふさいでしまったことがあり、復旧の際、今後の対応としてポータル上部に庇を設けたものだそうです。(’20.12.15 加筆修正)

▲箱根第7隧道の、放棄された旧上り線の沼津方入口。不思議な構造物が見られる。

 ちなみに御殿場線の単線化は、東海道本線→御殿場線に「格下げ」された時点ではなく、その9年後、戦時中の1943年に資材供出を最大の目的として行なわれたもので、そのまま現在に至っております。

🔶レイル・マガジン2021年1月号(446号)新刊情報

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