星 晃さんが55年前に撮影された、RMライブラリー202巻『琴平参宮電鉄』の表紙写真の場所の現在。振り返ったところに多度津線の起点である多度津桟橋通駅があった。その先には昔も今も国鉄・JRの多度津工場がある。トンネルは道路に変わったが、電車が走っていたころの面影が今も残る。 2016.5.20 P:伊藤真悟RMライブラリー202巻では、香川県の坂出、丸亀、多度津、善通寺、そして琴平という、西讃の要所を結んだトロリーライン、琴平参宮電鉄について、宮武浩二さんがまとめられました。このなかでも触れられているように、琴平参宮電鉄にはいくつかの実現しなかった路線がありました。ここでは紙幅の都合で収録できなかった資料をご覧ください。讃岐電気軌道丸亀多度津間予測平面図 所蔵:国立公文書館1922(大正11)年に申請されたこの路線は、琴平参宮電鉄開業時の起点であった丸亀・堀端付近を起点として、省線の山側を進み、多度津駅手前で省線を跨ぎ、浜多度津駅(旧多度津駅)への引き込み線(現在の多度津工場への引き込み線)に沿って後の多度津桟橋通駅付近に至る3マイル16チェーン(約5.1㎞)。社名は開業前の旧社名である「讃岐電気軌道」が書かれています。坂出琴平間線路予測縦断面図 所蔵:国立公文書館琴参の路線全体をショートカットするようなこの路線は、1923(大正12)年に免許を得たものの失効、この図は1926(大正15)年の再度申請時のものです。ルートは異なるものの、後にこの区間を琴平急行電鉄が走り始めることになります。琴平鋼索鉄道予測平面図 所蔵:国立公文書館こちらは参道沿いの土産物店からの猛反対に遭ったという、大正末期に計画された金刀比羅宮へのケーブルカーの平面図です。ちょうど参道を迂回するように曲線を描きながらの20チェーン(約402m)の路線が計画されていました。つづく