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あの小田急ロマンスカーにも影響を与えたという西鉄の「関節車」とは一体どんな車両?

2026.05.18NEW

text:RMライブラリー編集部

 鉄道車両の「関節車」…なんだか耳慣れない名称ですね。「連接車」だったら聞いたことがある、という方も多いことでしょう。

 実はこの関節車、現在の「連接車」と同じもの。日本工業規格JISにおいて「隣接する車体間を、台車又は自在に動く継手によって結合した永久連結車両」と定義されるもので、対応する英語表記は”articulated unit”または”articulated car”。この”articulated”が「関節式の」との意味であることから、当初は関節車と呼ばれていたとのことです。

▲各社の連接車(←関節車)。左上は京阪電鉄60形「びわこ」、左下は小田急3000形(SE)、右上は今回話題の西鉄大牟田線500形。

出典:RM LIBRARY 310巻『西日本鉄道の「関節車」 -連接車王国の黎明期-』

 

 日本の連接車で数多く見られる「車体間を台車によって結合した永久連結車両」のルーツをたどると、ドイツの鉄道技師ヴィルヘルム・ヤーコプス(WillhelmJakobs)が1902(明治35)年に提唱したものが始まりとされます。国内では、大阪と滋賀を鉄道・軌道線経由で直通するために1934(昭和9)年に製造された京阪電鉄の60形「びわこ」が最初とされますが、完全な高速電車スタイルで登場したのは1943(昭和18)年製の西日本鉄道(にしにっぽんてつどう)大牟田線500形が最初とされます。

▲流線型が麗しい、3車体連接の西鉄大牟田線500形。戦後にツートンカラーになった後の姿。

都府楼前-西鉄二日市 P:山本魚睡コレクション(監理:NPO福岡鉄道史料保存会)

 

 大牟田線500形は当初より3車体連接で計画されたものの、戦時の資材不足により中間車体が完成したのは戦後の1948(昭和23)年でした。流線型車体を持ち、室内は転換式のクロスシート(ただし進行方向固定で施錠されるため、乗客による個別転換は不可)を装備し、特別臨時急行に用いられるなど、西鉄のフラッグシップとして活躍しました。

 500形はわずか2編成の製造にとどまりましたが、珍しい連接構造の高速列車ということで、当時小田急電鉄が構想していた次世代の高速列車に連接構造を採用するにあたり、同社の技術者が福岡まで視察に訪れています。実際に営業運転中の連接車の関節構造と使用実態を調査することで、後年の3000形ロマンスカー(SE車)の開発に大いに役立てられたことと思われます。

▲西鉄が乗客の急増する北九州線に新製投入した、軌道線型の1000形(川崎車輌公式写真)。後に福岡市内にも同様の車両が導入された。

P所蔵:NPO福岡鉄道史料保存会

 

 大牟田線の500形以降、支線区や軌道線で数々の関節車を模索した西日本鉄道。その中には計画のみで終わったものもありましたが、1953(昭和28)年には乗客の急増で輸送力増強が急務の北九州線に、満を持して軌道線用の新型関節車1000形が登場します。

 輸送力の増大に多大な貢献があったことから、福岡市内線にも翌1954年より発展形の1001形・1101形を投入。両者は増備と改良を重ね、最終的には北九州には77組(2両連接車×57本、3両連接車×7本、北方線用2両連接車×13本)の計161両、福岡には2両連接車×35組の計70両が導入され、合計112組231両の連接車群は正に「連接車王国」と呼ぶにふさわしいものでした。

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戦前~戦時の輸送力増強が急務となっていた西日本鉄道で、試行錯誤を重ねて導入された「関節車」。本書では西日本鉄道の各線(大牟田線、三井線、北九州線、福岡市内線)に登場した試作的な連接車や計画のみで終わった幻の車両、高度成長経済期において北九州地区と福岡市内に投入された新型車両など、輸送力確保の要となった「関節車」の模索の過程を解説します。

■著者:松田 義実(まつだ よしみ)

■B5判/48ページ

■定価:1,430円(本体1,300円+税)

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