text:RM LIBRARY編集部
photo:Rail Magazine編集部
鉄道の日々の安全運行を支えるためには、保線作業は欠かせません。それらの作業を的確で効率的に処理してゆく保線車の存在は、今日の作業現場ではなくてはならない存在といえましょう。そしてその保線車の物々しいいで立ちは、営業車とは違った魅力があるものです。
【写真】貴重な日中の写真!平成初期の新幹線保線車たちの記録をもっと見る!
保線作業の中でも特に高速運転を支える新幹線の現場は、線路の検査・部品交換などの煩雑な作業できるだけ画一的で統一的な作業とするため、建設当時から高架橋やトンネルなど共通の設計が行なわれ、その分保線作業も機械化が早くから進んでおり、各新幹線に多くの保線車両が登場し、活躍しています。
ここでは、平成初期に「Rail Magazine」誌が取材したJR東海・浜松レールセンターの新幹線保線車たちの明るい場所での貴重な記録写真を見ていきたいと思います。

▲一見、欧州のディーゼル機関車のように見えるが、これは国内で撮影されたもの。
これは現在はJR東海系の保線企業となった日本機械保線株式会社が、1984年に導入したスペノ製(スイス)のレール削正車。大きなドーム状の屋根や英語の標記が異国情緒を醸し出しています。
スペノのレール削正車の正面には「DO NOT SHUNT」(入換禁止?)の注記や車体側面にはメーカーや製造工場の大きなプレートが入るほか、国鉄時代に納入されたため「JAPANESE NATIONAL RAILWAYS」と国鉄を表すプレートがペンキで消されていました。
また、3両編成の内、中間に入るのはナハフ11のような一段上昇窓を持つ車2軸車。窓や扉の作りから、この車両のみ国産と思われます。

▲911形ディーゼル機関車。
車体の大きさや最高時速など国内最大級のディーゼル機関車で、1972年には開業前の山陽新幹線新大阪~岡山間で平均時速165km/hという世界記録を樹立しています。本来は新幹線電車の故障時に本線で連結して救援運転をするというもので、新幹線のダイヤをなるべく乱さぬよう、16両編成の新幹線電車を最高時速160km/hで牽引するというものでありましたが、新幹線列車の高頻度運転により、営業時間帯には本線上に多くの列車が在線することとなり、車両故障時に現場まで急行すること自体困難となったことから、新幹線の故障救援運転を行なった実績はなく、晩年はレール運搬など保線列車の運転に従事していたようです。なおこの後1995年に引退しています。

▲こちらは2tトラックを改造した新幹線保線車。
「静保MO-1140-S」と標記されています。外観から種車は当時でも希少車だったダイハツ・初代デルタ2tトラックなのがわかります。後部席もあるダブルキャブというのが更に希少です。デルタはダイハツがトヨタの系列下のもとダイナの兄弟車として作られ、シャシーはダイナと共通でした。しかしフロントグリル廻りは同じ時代の三菱キャンターに似た雰囲気を持ちつつ、フロントガラス下部からせり出す正面形状はまさしくダイナを思わせる作りでした。保線車としても、2tトラックの記録としても貴重な記録と言えるでしょう。

▲新幹線の事業用車両の中では比較的多数派の912形ディーゼル機関車。
東海道と山陽新幹線で総勢20両が在籍しました。ベースは在来線用のDD13で、写真の912-6はDD13 51から改造したもの。DD13の前期型の改造車で、正面のボンネット中央部のヘッドライトと、ボンネット正面と側面の大型のグリルに前期型の特徴が見て取れます。正面の端梁には自動連結器と新幹線車両と連結するためのU字型のアダプターが跳ね上げられており、新幹線の故障時や車庫内での入換などに使われました。また、912-2・4は国鉄時代に東北新幹線の仙台基地に転属しています。比較的近年まで在籍しており、2011年までに全車引退となりました。
さて、ここまで新幹線の保線車を見てきました。現在はより高度化や自動化が進み、オーストリア・プラッサー&トイラー社製のマルタイなども活躍する新幹線の保線車ではありますが、平成初期にも異国情緒あふれる海外製車両や、在来線車両からの改造車、自動車改造の車両など、当時から多様な車両が多く在籍していました。




