text:MSかぼちゃ(X:@MS3167)
111系・113系・115系といった直流近郊型電車の研究を活動のメインとし、鉄道系サークル「日本かぼちゃ電車学会」の主宰も務め、動画や同人誌でその成果を発表しているMSかぼちゃさんの連載!「徹底研究!国鉄近郊型電車113系115系」。今回は113系・115系の歴史を彩った「分散式クーラー」を搭載した車両たちについて迫ります。非冷房車の冷房化改造で誕生したこれらの分散式クーラー車は、民営化後各社で独自発展を遂げて、非常に研究しがいのあるテーマです。ここでは国鉄時代、JR東日本、JR東海、JR西日本のそれぞれの仕様を例に解説していただきました!(編集部)
113系・115系の屋根上に搭載された冷房装置。その多くはAU75形などの集中式冷房が使用されていますが、車両によっては分散式のクーラーを搭載した「変わり種」の車両も存在しました。
今回は、改造時期や会社によってさまざまな形態を見せていた「分散式クーラー車」について紹介します。
【写真】よく見るとカタチが違う!貴重な113系・115系分散式クーラー車の画像はコチラ!
■AU13冷改車(国鉄)
▲115系としては最後まで残存した分散クーラー車であり、2018年までその姿を見ることができた。
クハ115-608 ‘16.9.15 広島 P:おれんじらいん(日本かぼちゃ電車学会)
113系・115系では初めての分散冷房を使用した冷房改造車(以下、冷改車)は国鉄時代の1984年、広島地区向けに登場しました。
国鉄特急型・急行型でおなじみであったAU13形クーラーを4基搭載し、1984年に試験的に先頭車2両が、翌1985年にはクーラー数を6基に増強し、同じく先頭車が5両改造されました。
しかし、国鉄はいったいなぜこのような車両を登場させたのでしょうか。
当時、113系・115系に搭載される冷房装置は、主に国鉄通勤・近郊型に広く使用されたAU75形が採用されていました。これは大型のものを車両屋上中央に1基搭載する「集中式クーラー」と言われる方式です。しかし、このクーラーは重量が850kgと重く、さらに集中式クーラーは荷重が一点に集まりやすく、非冷房車に後付けで搭載するためには車両構体や屋根の補強を伴う大規模な改造を必要としました。
このため中・小型の冷房装置を数基搭載し、一点にかかる荷重を低減させる「分散式クーラー」での冷改を行い、工期短縮と費用削減を図ったという訳なのです。
また、この当時は広島地区から153系が撤退していた時期でもあるため、廃車発生品の活用という意味合いでもAU13形を用いた冷改車が登場したようです。
この「冷房改造の工期短縮・費用削減」という考え方は国鉄民営化でさらに重視されるようになり、その後JR各社が登場させたバリエーション豊かな冷改車へと繋がっていくのです。
■AU712冷改車(JR東日本)
国鉄分割民営化当初、JR東日本で非冷房の113系・115系は、長野・新潟・房総地区にまとまった両数があり、東北・高崎線系統と中央東線系統にも一定数在籍したことから、冷房の搭載を進めていく必要がありました。
当初からAU75形の搭載を前提として製造された冷房準備車は原則として計画通りAU75形での冷改を行うとされたものの、それ以外の車両には、工期・費用に優れるAU712形クーラーを搭載することとなりました。
集約分散式であるこのクーラーは屋根上に2基が搭載されている他、113系・115系では冷房電源を担う静止型インバータ(SIV)も搭載されているため(これを搭載せず従来通りのMGより給電する車両も一部存在)、合計2種3基の冷房ユニットが屋上に搭載されているのが外見上の大きな特徴です。
115系では1989〜90年頃、113系は1991〜92年頃を中心に改造がなされましたが、新系列電車の製造によって置き換えが進められ、関東地区からは2006年に消滅。例外的に新潟地区で2010年代まで残存したものも、E129系の投入直前に大多数が運用を離脱したほか、その後も唯一営業車として残存した弥彦線用のY編成についても2015年に引退しています。
▲最後までAU712を搭載して活躍した新潟のY編成。独自の塗装を纏って活躍した。
クモハ115-501 ‘06.7.22 新潟 P:永尾信幸
■C-AU711冷改車(JR東海)
JR東海にも、民営化当初は東日本と同様に多くの113系・115系非冷房車が在籍していました。
しかも、民営化当初から東海道線などの主要線区においては冷房化がある程度完了していた東日本とは異なり、在来線の中核である名古屋地区においても多くの非冷房車が残存していたため、こちらも冷房工事を急ぎました。
そこで、AU712形同様の集約分散式クーラーであるC-AU711B/C-AU711C形クーラーを開発し、113系を承継したJR三社のなかで最も早い1987年度より改造を開始しました。
B形とC形の2種が用意されたのは冷房電源が理由であり、C形は従来通りのMG給電、B形はDC-DCコンバータ(SCV)を使用した給電というように区別されています。
特に電源にSCVを利用したC-AU711B形においては、冷改と同時に車番を5000/6000番代(原番+5000、SCV搭載車は+6000)に改番しており、東海地区113系の特徴の一つとなっています。
また、JR東日本とは異なり、冷房準備車においてもAU75形を用いずC-AU711形を用いた改造を行っていることも特徴であり、これらの車両は不自然にAU75用のランボードが残存していました(東日本にも例外的に数両存在)。
比較的新しい車両である冷房準備車にも改造を行ったこともあり、末期までその姿を見ることができましたが、JR東海の113系・115系の引退時期自体が早く、C-AU711搭載車は2008年に消滅しています。
▲SCV電源を採用したC-AU711B冷改車。この写真からは確認できないが、反対側の床下に電源装置が取り付けられていた。
クハ111-6434 ‘88.08.30 名古屋 P:永尾信幸
■WAU102冷改車(JR西日本)
民営化当初は各所に非冷房車が残存していた関西地区のJR西日本でしたが、先述した2社とは異なり、主要線区の非冷房車統一編成に関しては221系の投入により早い段階で置き換えることができていました。
しかし、この当時の関西地区では先頭車が多く使われていた関係で、仮に非冷房編成を全て置き換えたとしても、先頭車に若干数の非冷房車が残ってしまうことが考えられました。また、福知山線など、その時点で新型車の投入が予定されていない路線には非冷房車が残存しており、これに冷改を行う必要もありました。
そうした背景の中、1987年に試作としてWAU101形を開発、広島地区での試験の後、量産形としてWAU102形クーラーが開発されました。
AU75形を搭載した中間車と併結すること、また改造後に編成組替を行うことを考えて、冷房電源は基本的に従来通りの回路を引き続き採用し、1編成全車に冷房改造を行う場合に限りSIV電源を採用しました(この場合でもAU75搭載車との混結は可能)。
互換性の高い構造を採用していたことからか、AU75搭載車と分け隔てなく運用され、福知山区・網干所から113系が撤退した2004年ごろまで第一線で多くが活躍を続けました。
また、関西地区から転用された車両はその後も少数が活躍し、特に広島地区では2016年、金沢地区では2020年までその姿を見ることができました。
余談ですが、2000年ごろまで活躍したJR四国の111系においても、これに類似した冷房装置を使用していました。
▲2020年まで活躍した415系800番代は113系0番代/800番代を改造して登場した区分であった。
クモハ415-802 ‘16.3.23 森本 P:おれんじらいん(日本かぼちゃ電車学会)
■WAU202冷改車(JR西日本)
JR西日本向けの分散式クーラーとして登場したWAU102形ですが、1編成に1つの電源装置を設ける方式を採っている関係上、どうしても1両や2両編成などの「電源装置に対して両数が短い」場合に改造費が割高になってしまいます。
そこで、「短編成用の簡易クーラー」として開発されたものが、WAU202形クーラーです。なお、分散式クーラーとは異なる分類になりますが、便宜上こちらで解説します。
このクーラーはバス用のクーラーを基に開発されたもので、架線電圧の直流1500Vで駆動するために冷房電源を必要としないのが最大の特徴です。
冷房装置は車内床上に設置された本体と、床下に設けられた廃熱を放出するための熱交換機、車内天井の送風部分と3つにセパレートされており、後に熱交換器は廃熱がたまりにくい屋根上に移設されました。
2両編成である105系を中心に採用されたクーラーでしたが、113系では福知山の3連3本、115系では下関の2連4本と少数ながら採用例が存在し、どちらも2008年ごろまで活躍しました。
▲かつて山口地区で活躍した2両編成の115系550番代。モハ114/115の0番代を先頭車化改造し登場した区分である。
クモハ114-552 ‘07.5.5 岩国 P:おれんじらいん(日本かぼちゃ電車学会)
90~00年代の113系・115系を彩った分散式クーラー車ですが、今やすべての車両が廃車・解体され、その姿を偲ぶことができるものもほとんど残っていないといえます。それでも、変わり種のクーラーを屋根上に搭載し、他の車両に混ざって活躍するその姿は、ファンの記憶に残る物だったのではないでしょうか。
2024年7月1日 加筆修正の上掲載。