text:鉄道ホビダス編集部
‘24.4.20 新潟車両センター P:東條ともてつ
(鉄道投稿情報局より)
4月20日に行なわれたE653系1100番代による「上沼垂(かみぬったり)色」の復刻撮影会。この撮影会では、特別に国鉄特急型が取り付けていた「特急シンボルマーク」の装着が特別になされ、大きな話題となりました。そもそもこのシンボルマークはいつ頃からあったものなのでしょうか。
■151系「こだま」デビューと同時に登場
1958年、従来の機関車牽引の特急に代わる新時代の電車特急列車として登場した151系「こだま」。この151系にはこれからの新しい特急を象徴する「シンボルマーク」の公募が行なわれました。その際採用されたのがこの逆三角形をしたマークでした。さらには同じ公募で惜しくもシンボルマークとしては採用されなかったものの、「国鉄のマーク」として、日本国有鉄道を英訳した「Japan National Railways」の頭文字「JNR」を図案化したマークも側面デザインに採用。いずれのマークもこの後登場する国鉄特急型に代々受け継がれていくことになります。
■JR誕生で過去のものに
このシンボルマークは、国鉄時代に登場したほぼ全ての特急型の先頭部のどこかに掲げられていました。中には貫通構造用に左右に分割できたものや、窓下の狭いスペースに配置した185系や貫通扉内に収めたキハ82系・キハ181系などでは小ぶりなものが用意されるなど、掲げるスペースや形状によってそのバリエーションも多岐に亘りました。
ですが、国鉄分割民営化を直前に控えた1986年にデビューしたキハ185系とキハ183系500・1500番代では、特急型ながらなんと特急シンボルマークも、JNRマークもないデザインで登場しました。そして1987年に国鉄は民営化。JRグループ各社が誕生し、従来車に着けられていたJNRマークは順次JRマークへと置き換わった反面、特急シンボルマークはそのまま残されていました。
とはいえ、新たに登場する新型特急車両たちにこのシンボルマークが受け継がれることは一切なく、JR各社それぞれ個性を発揮した車両が続々と登場し、国鉄のイメージは一掃されていくことになります。また、90年代も半ばとなると国鉄型車両も陳腐化が目立ち、リニューアルを受ける車両も見られるようになります。JR東日本の国鉄特急型のリニューアルでは一部シンボルマークを撤去した塗装デザインが現れるなど、その存在は確実に過去のものとなっていきました。
■国鉄型は風前の灯に「リバイバル」として復活するシンボルマーク
JR東日本の「あずさ」「あさま」のリニューアル車はシンボルマークを撤去したデザインが採用されていました。その後置き換えや列車の廃止によって余剰となった183系や189系の一部は波動輸送用とされ、国鉄色に戻される編成もありましたが、多くはシンボルマークがないままの姿で戻され、「何か足りない」といった先頭部になっていました。
そんな中、引退やリバイバル運転の際にシンボルマークを再び取り付ける編成も登場し、さらにはJNRマークまで復刻する例も見られるようになります。とはいえ、すでに民営化から30年以上が経過した昨今では、そもそも国鉄型車両自体が風前の灯となり、貴重な存在になりつつあります。
そんな中、JR世代に当たるE653系による国鉄型風のリバイバルとして、冒頭の通り「上沼垂色」が復活しました。この上沼垂色は、JR化後に生まれた地域カラーで、新潟地域に所属する485系に施されていました。そもそもJR以後の塗装ではあるものの、すでに登場から30年以上の月日が経っており、これもまた国鉄型を象徴するカラーリングの一つとなっています。このE653系の撮影会は「特急シンボルマーク」を取り付けた状態で行なわれ、より485系のイメージに近づいた形になったということでSNSを中心に話題となりました。なお営業運転時にはこのシンボルマークは取り外されることとなっています。
ついにJR世代の車両にも取り付けられた「特急シンボルマーク」。国鉄型車両が数少なくなっている今、JR型車両に往年の姿を投影する、というのが新しい時代のリバイバルの形なっていくのかもしれません。