photo(特記以外):羽田 洋・浅水浩二・青柳 明
ステンレスボディといえば今では通勤電車の代名詞のようにJR線をはじめ、各大手私鉄の通勤電車やJR九州・四国・北海道では特急車両にもステンレスのボディの車両が活躍しています。そんなステンレス車両の黎明期、外板のみをステンレスにした機関車が存在しました。
【写真】日本のステンレス車の歴史を模型と実車写真で振り返る!
このステンレス車の歴史を遡ると、日本国内では1958(昭和33)年製の東急5200系や同じ年に登場した国鉄サロ153形900番代、そして1962(昭和37)年に登場した日本初のオールステンレス車の東急7000系などが有名ですが、これらの車両より先にステンレスボディ(外板のみ)を採用していた車両があったのです。
それが戦前生まれの直流電気機関車EF10です。EF10は1934(昭和9)年の9月に登場した初号機を皮切りに16号機までこの年に誕生。先行車両の運用の結果、安定した性能と扱いやすさなど評判を得、1938(昭和13)年には8両が追加され、関門トンネルが開通した1942年の前年である1941年から1951年に相次いで門司機関区への転属がなされたのです。
戦後1950(昭和25)年からは、海底トンネル内の塩分を含む漏水が車体に降りかかるため、腐食防止対策として24号機をはじめとした27・35・37・41号機の5両は外板をステンレスに張り替える改造が施されました。そのうち、27・35・37・41号機の4両はブドウ色2号に塗られました。
このステンレス外板が採用されたのは戦後とはいえまだ敗戦の色合いが濃い昭和25~28年の頃ですから驚きです。この改造を受けた中で24号機だけは関門トンネルでの活躍を終えた後もしばらくはステンレスの地色のままで、首都圏の運用に戻ってきた1962年ごろのまで銀色ボディで活躍していたそうです。当時、黒や茶色の鉄道車両がほとんどの中で、非常に目立つ存在だったことが想像できます。
ちなみに国鉄が本格的にステンレスの車体を採用したのは1984(昭和59)年登場の205系と、1985(昭和60)年登場の211系まで待つことになります。EF10のステンレス化の最初から昭和59年までの30余年間、EF30やEF81 300番代、サロ153 900番代、キハ35 900番代などが登場していますが、EF30を除いてはごく少量の試作で終わっています。
その理由として当時、ステンレスによる車体工作の技術はまだ特殊な工程が多く、国鉄は各メーカーへ偏りなく発注する手前、独自の技術を持ったメーカーへの集中した発注は難しく、逆に独自の工作技術を持つメーカーへ技術の公開をさせることのハードルは高いものでした。また、塗装工程が無くなることで、保守整備の現場の労働組合の反発にあったこと、コルゲートのボディ自体の清掃の難しさなどから、軽量・耐食性など利点よりも、まだまだ解決しないといけない問題が多かった国鉄の時代背景が挙げられます。
▲EF10 24号機。関門トンネル用に日本国内ではいち早くステンレスの外板を採用した車両。写真のモデルはNゲージ・KATO製で、台車砂箱形状がややことなる「タイプ」であるが雰囲気は十分。
■EF10の各年代のディテールが紹介されている『鉄道車輌デイテール・ファイル愛蔵版』シリーズ最新刊にEF10が登場!
1934(昭和9)の9月に誕生したEF10。先行した16両の運用の結果、安定した性能と扱いやすさなど評判を得た機関車です。その製造期間は9年、総製造数は41両という、電機発展途上のなかでは異例の長期、多数に亘りました。発展途上にある機関車製造技術がその時期ごとに反映された結果、同一形式でありながら、別形式を名乗っても良いほどの形態差が生まれることとなったのです。
本書は2009・2010年に発行した『鉄道車輌ディテール・ファイル』002・004・007をひとつにまとめ、再編集し、あまり総覧されることのなかった、電気機関車の礎の1両といえるEF10について各車のディテールをつぶさに見ていきます。