text & photo:水野宏史
本日は2023(令和5)年6月30日。かつて飯田線で運行していた旧型国電が1983(昭和58)年6月30日に営業運転を終了してからちょうど40年という節目にあたります。今回はその飯田線での旧型国電引退時の動きについて紹介しましょう。
▲大嵐(おおぞれ)駅で並ぶ戦前型旧型国電(左)と80系湘南型電車。先に引退したのは意外にも右の80系電車の方であった。
1982.5.30 大嵐
1980年代の国鉄晩年期、レイル・ファンの注目を集めていた路線のひとつが飯田線でした。当時の国鉄では、新製車両の投入は優等列車や大都市圏の通勤・近郊電車が中心で、地方のローカル線ともなると車齢を重ねた旧型車両の活躍する姿が見られたものでした。
特に飯田線は、関東や関西圏で活躍した昭和初期~中期の旧型国電が100両以上配置され、沿線の風光明媚な情景とともに、撮影を行うファンには絶好の被写体となっていました。
▲飯田線北部の名所、半径140mの「田切のカーブ」を行く旧型国電。荷物電車を2両連結した245Mはいかにも「飯田線らしい列車」として人気があった。
1981.8 田切~伊那福岡
当時は飯田線のように2~4両編成の電車が分割併合しながら運転される地方ローカル線用には、用途に合致した好適な新製車両が存在せず、それが車齢半世紀にもおよぶ旧型車両を使用せざるを得ない理由となっていました。
しかし接客設備面はもちろんのこと、老朽化が進んだことで車両保守の面からも困難をきたすようになったことから、国鉄では2両編成から走れるローカル線向け通勤型電車105系を1981(昭和56)年に開発、その派生形として近郊型に改めた119系電車を飯田線に投入することが決まりました。
こうして、旧型国電の牙城であった飯田線から、その旧型国電が去る日がやってきました。
▲飯田線旧型国電の引退第一弾は、4両または6両編成しか組めなかった80系であった。飯田線からの引退により、80系電車は国鉄線上から姿を消した。
1982.8 柿平~三河槇原
1982(昭和57)年当時、飯田線には80系電車が60両、戦前型旧型国電が48両、荷物電車が5両の計113両が営業用に在籍していました。そのうち湘南型電車として知られる80系は本来の用途上からも4両より短い編成は組めず、最初に引退することになりました。
まず1982年11月より他線で余剰になっていた165系電車が30両入線、続いて1983(昭和58)年2月14日より119系のうち一次車30両が新製投入されたことから、2月24日の624M三河川合→豊橋間を最後に80系は引退しました。
残った戦前型旧型国電48両は、6月14日からの119系27両の二次投入により順次引退、6月28日からは旧型荷電5両の代替としてクモユニ147形も5両投入され、ついに6月30日の1226M上諏訪→豊橋間を最後に、飯田線より旧型国電の一般営業運転が終了したのです。
その後同年7月23・24日、8月6・7日、8月20・21日には、「さよならゲタ電」と称する旧型国電4両による臨時列車が中部天竜~伊那松島間で運転されましたが、数量限定のフリー乗車券購入者のみを対象とした列車であったため、普通の乗車券のみで乗れる一般営業列車としての飯田線旧型国電は、6月30日が最後の運転となりました。
◆書誌情報:増補版 写真で綴る 飯田線の旧型国電