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大井川鐵道での復活で話題! 古き良き「客車列車」はなぜ消えていったのか?

2023.07.03

text:鉄道ホビダス編集部

 機関車が客車を牽引して運行される「客車列車」。黎明期から存在する旅客鉄道の最も基本的な運行方法ですが、日本においては民営化前より減少傾向にあり、現在JR各社では定期運用での客車列車は全廃されました。そんな客車列車の置き換えは国鉄時代にまで遡ります。

■戦後は電車・気動車が主流になった客車列車

’81.8.3 和田岬 P:藤村巌雄
(消えた車両写真館より)

 戦後しばらくは依然として蒸気機関車による客車列車が主流でしたが、1960年からは「無煙化」とも呼ばれる動力近代化計画が始まり、蒸気機関車は順次電車や気動車に置き換えられていくこととなり、1975年度には蒸気機関車が定期運用から退きました。
 同時に客車列車も、機動性に優れた電車・気動車に置き換えられていく動きが始まります。そもそもとして広大な土地が少なく、勾配の多い日本の鉄道において、折り返し運転の容易さや、加速性能の良さなどにより、電化が進むにつれて電車が鉄道の主役となっていきました。ですが、長距離を走る夜行列車や、団体・臨時列車といった波動輸送、さらにローカル線区などではまだまだ客車列車が残り続けることになります。

■国鉄民営化により一気に消えた客車

▲JR最後の急行列車であり、かつ最後の定期客車列車となった急行「はまなす」。14系の座席車と寝台車を連結していた。元「はまなす」用の14系座席車はその後、東武鉄道や大井川鐵道に譲渡された。

’08.5.18 津軽海峡線 中小国~新中小国(信) P:芝山喜久男
(お立ち台通信より)

 辛うじて生き残った客車たちですが、国鉄の民営化に前後して、夜行列車の減少、ローカル線区の短編成化、後継車の登場や新幹線の開業により電車や気動車に余剰が出たことなどもあり、本格的に客車は姿を消すことになります。快速を除く狭義の「普通客車列車」に関しては筑豊本線に2001年まで残っていたものが電化により消滅。快速に関しても「海峡」が2002年に廃止され昼行客車列車が消滅。2016年には北海道新幹線の開業により最後の定期急行でもあった「はまなす」の廃止で定期客車列車はJRから完全に姿を消しました。

■「昭和の日常」は「令和の非日常」となった

▲大井川鐵道で期間限定復活を遂げた普通客車列車。もちろん普通乗車券のみで乗れる「普段着の」客車列車が令和の世に現れたとあって話題になっている。

’23.06.22 大井川鐵道 大井川本線 家山 P:濵田俊彦
(今日の一枚より)

 そんな中、今でも数多くの客車と電気機関車を保有し運行している大井川鐵道で驚きの運行が開始されました。それが「~蘇る、昭和の日常~大井川本線 普通客レ」です。客車列車が貴重なものになって久しい令和のこの時代に、なんと「普通列車」としての客車列車が期間限定ながら復活することとなったのです。

 これは現代の主流である電車とは一線を画す、旧来の「鉄道」の姿がこの令和の世に蘇ったということで話題になりました。機関車牽引による独特の揺れや乗り心地、昭和初期〜中期にかけて製造された年季の入った客車など、時間が経ったことでそれらも一つの「味わい」や「旅情」として人気となる理由になりました。

 また、JRでも客車自体が完全消滅したというわけではなく、「カシオペア」のE26系や、「ななつ星 in 九州」の77系など、豪華列車として新造されるケースのほか、「SLやまぐち号」用の客車更新として登場した35系は、旧型客車をイメージした車体や内装、民営化後初となる普通座席の客車の新造ということで大きな話題となり、ブルーリボン賞のほかグッドデザイン賞も受賞しました。

 電車や気動車に取って代わられ、現在では過去のものとなった客車列車ですが、その魅力は今も人を惹きつけます。

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