電車の車体材料が木造から鋼製へと変わりつつあった昭和初期の時代、当時より日本を代表する車両メーカーのひとつであった日本車輌製造(日車)では、今でいうレディーメイドの車両を各地の私鉄に供給していました。
当時開業しつつあった各私鉄の輸送需要にマッチした電車を各種設計し提案することにより、鉄道会社側でも初めての導入となる電車をいちから設計する必要がなくなるなど、お互いの利益に適う状況で車両の増備がなされていきました。
▲小田原急行鉄道、現在の小田急電鉄に導入された日車の標準設計電車2種(日車カタログより)。
出典:『RM LIBRARY 266 日本車輌の標準設計電車(下)』(以下同)
小田原急行鉄道が1927(昭和2)年の新宿~小田原間開業時に導入した日車製標準設計電車は2形式30両。ひとつは短距離用のモハ1形(左)18両、もうひとつは長距離用のモハニ101形(右)12両です。
モハ1形が3扉ロングシートの通勤型スタイルであるのに対し、モハニ101形は2扉でクロスシートを備えるほか、車端にはなんとトイレを設置。長距離用として相応しい車両となりました。
▲モハ1形とモハニ101形。後者はトイレ付近に丸窓を備える。のちに前者はデハ1100形、後者はデハ1200形としていずれもロングシートの通勤型電車と化した。
モハニ101形のトイレ部分には丸窓が採用されていました。このモハニ101形の登場は1927(昭和2)年。同時期の日車製の電車として、先日営業運転より引退した高松琴平電鉄の3000形300号が1925(大正14)年製、そして「丸窓電車」として知名度の高い上田交通(引退時)モハ5250形が1928(昭和3)年製と、この時代の日車製電車の多数に丸窓が採用されていたのがわかります。
他にも北陸鉄道、京福電鉄福井支社、近鉄志摩線(いずれも名称は晩年期のもの)に導入された車両に丸窓が採用されていました。ただいずれも晩年期に埋められていた例も多く、先の小田原急行101形も後にトイレの撤去やロングシート化が行われ、丸窓も失われていったのでした。
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上記の小田原急行1・101形のほかその他私鉄譲渡車、志摩電気鉄道(後の近鉄志摩線)、博多湾鉄道汽船(後の西鉄貝塚線など)、神戸有馬電気鉄道(後の神戸電鉄)、広浜鉄道(後のJR可部線)などに導入された日車製標準設計電車について解説します。
●著者:宮下 洋一(みやした よういち)
●B5判/48ページ
●定価:1,375円(本体1,250円+税)
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