1940年4月、三菱重工業神戸造船所で製造され、新潟局に配置される。新潟地区で活躍し長野工場で切取式除煙板「N-3 」タイプを装備、その後関西地区を経て鹿児島へ。肥薩線、日豊線で活躍の後、1974年6月宮崎から旭川へ転属。検査期限に達したC55 50に代わりデフを切り詰め予備灯を設置し宗谷線の客車をけん引、わずか3か月余り北の大地を駆け1975年2月除籍された。 ’74.9 旭川機関区 P:佐々木裕治