国鉄通勤車の代名詞的存在の同車。この制御電動車。前照灯のシールドビーム二灯化や側開扉が国鉄時代の特別保全工事施工の絡みからSUSガラス押えに替っていたもののこの当時、ほぼ原型を保っていた。同車は、’67年東急製、京浜東北線用として蒲田区へ新製配置。国鉄時代は浦和、中原と異動後に、’88年2月、松戸区へ転出。常磐快速線の基本編成へ組まれていた。しかし長続きせずに、再度、中原区へ出戻り、晩年まで鶴見線用として活躍。冷改(AU712)や車体更新、前面補強工事等により晩年は原型から替ったスタイルとなった。’05年5月廃車。 ’88.3.4 上野 P:梶村昭仁