元阪急の81形84号。両運転台で神戸線で活躍したが900形の登場で宝塚線に移る。後に運転台、電装品を撤去し付随車となる。1953(昭和28)年、車体は和歌山鉄道(後の南海貴志川線)に売却、同鉄道手持ちの台車、機器を載せ「モハ603」となって1969(昭和44)年まで生き延びた。1964(昭和39)年、トロリーポールからパンタグラフに載せ換えられている。 1965.1.24 伊太祁曽 P:柿浦和敏