東急玉川線、通称玉電に活躍した80形は1950年より製造され、終戦直後の当時としては斬新なスタイルの路面電車であった。新玉川線(現田園都市線)の建設に伴い1969年に廃止となった。80形の中で玉電当時から「連結二人乗り」に改造されたもの等は、引き続き世田谷線に残存し近年まで活躍を続けたが、未改造の電車は江ノ電に身売りしたほかは廃車となった。写真のデハ96は未改造のまま玉電廃止に伴う廃車まで活躍した姿である。中央のドアーは外側にステップがあり、しかも手動なので通常は混雑時の渋谷など駅員配置駅を除き、他のの停留所では用いられなかった。しかも現代のようなワンマンカーではなく、後部にも車掌が乗務し、運賃の収受に当たった。 ’69.2 二子玉川園 P:永野晴樹