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小田原市内線唯一の生き残り「モハ202号」の帰郷が実現

2021.03.13

 取材日:’21.3.11
text :鉄道ホビダス photo:伊藤岳志

 小田原ゆかりの路面電車保存会が進める「『小田原市内線モハ202号』〝帰郷〟プロジェクト」で長崎から運搬してきた路面電車が、2021年3月11日に内覧会で報道向けにも公開された。

 このプロジェクトは、1952~56年まで神奈川県小田原市を走り、2019年まで長崎電気軌道で活躍した「箱根登山鉄道小田原市内線モハ202号」の保存・活用を目指すもの。小田原市の報徳二宮神社内の結婚式場・報徳会館が新たに整備した「Hakoneguhi-Garage 報徳広場」に設置されたもので、3月12日にオープンとなった。

 車両の移動にあたっては、クラウドファンディングにて計600人以上から800万を超える資金を調達し、2020年12月に長崎市からの輸送が完了。今後は地域の交流の場や観光スポットの一つとして活用していく予定。

■報道向け公開の様子

▲公開されたモハ202号。クラウドファンディングの資金で再塗装が施された。

▲箱根口ガレージ(報徳広場)に展示されている。

▲▼公開された車内。普段は非公開となる。

▲この電車は元をたどると現・都電荒川線の王子電軌を走っていた。その関係でご縁のできた、三ノ輪橋の都電カフェオーナーの藤田さん(写真右)から、小田原ゆかりの路面電車保存会の小室会長に1:80の模型が進呈された。

箱根登山鉄道小田原市内線とは
 その起源は、東海道本線の国府津から、鉄道がまだなかった小田原への連絡のために敷設された馬車鉄道にある。電化によって小田原電気鉄道となり、箱根湯本~強羅の登山線も開業(今も営業中の箱根登山鉄道線のこと)。しかし元々の路線は小田原への鉄道省の路線が通じた後、路線網を縮小し、登山線に鉄道事業の主力を置くべく、箱根登山鉄道として会社組織を再編。結局、市内線は1956年に廃止された。最末期の路線は、小田原駅前から箱根板橋間2.4kmであった。

小田原市内線モハ202号とは
 そのルーツは、1925年に王子電軌(今の都電荒川線)が製造した木造ボギー車400形の1両。王子電軌の都電への編入により都電100形となり、戦後の1952年に箱根登山鉄道(の小田原市内線用)へ譲渡された。

 その後、小田原市内線での活躍はわずか4年間と短く、1956年の路線廃止によって長崎電気軌道に譲渡される。この時、改軌(1,372→1,435mm)だけでなく、全長を0.8mほど短縮し、鋼板張り車体化するという改造が箱根登山鉄道側で行われ、外観は大規模に変化した。長崎電軌への入線は1957年で、同時に譲渡された本車含めて5両が同社150形となる。一時期は事業用とされるも、辛くも151号(小田原市内線モハ202→長崎電軌152号からの番号振り替え)が生き残り、近年はイベント用として活躍。塗装も小田原時代を再現したイエローとスカイブルーの塗り分けとされていた。2019年の引退後、小田原の地へ里帰りし、安住の地を得たことになる。

■場所
 神奈川県小田原市南町2-1-60 箱根口交差点そば

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