鉄道ホビダス

2009年12月アーカイブ

091227n0106n.jpg

皆さん、それでは良いお年を…
この一年、小ブログにお付き合いいただき、ほんとうにありがとうございました。年末年始はしばし休載とさせていただきます。新年は6日(水曜日)より再開する予定にしておりますので、どうか来年もかわらぬご愛読のほどをお願い申し上げます。
皆さん、それではご家族ともどもよいお年をお迎えください。
編集長:名取紀之 敬白

091226n3969.jpg
▲2基のクレーンによって仮台車に載せられた主台枠からボイラーが吊り上げられる。'09.12.29 梅小路運転区 P:高橋 修
クリックするとポップアップします。

運転開始30周年を迎えた「やまぐち」号で活躍するC57 1号機が全般検査に入場、今回の検査ではボイラ部を解体、専門メーカーで徹底的な検査・修理が行われることになりました。

091226n3852.jpg
▲扇形庫6番線で搬出を待つボイラ。搬出作業は9時15分頃から始まった。'09.12.29 梅小路運転区 P:高橋 修
クリックするとポップアップします。

今週月曜日(12月21日)に梅小路運転区で報道公開された搬出作業では、扇形庫6番線から仮台車に載せられて庫外に出されたボイラが、待ち受ける50トンと65トンクレーン車2台によって吊り上げられ、大型トラックに積み込まれました。

091226n3873.jpg091226n3729.jpg
▲仮台車に載せられた主台枠とボイラーを人力で搬出する。右は給水温め器。'09.12.29 梅小路運転区 P:高橋 修
クリックするとポップアップします。

091226n3910.jpg
▲転車台上をゆっくりと移動する。めったに目にすることの出来ない貴重なシーンだ。'09.12.29 梅小路運転区 P:高橋 修
クリックするとポップアップします。

C57 1号機は1937(昭和12)年3月22日川崎車輌製、来年で73歳を迎えることになります。とはいえ、戦時中の酷使と被弾等もあって1958(昭和33)年にはボイラを新製して載せ替えていますので、現在のボイラは新製時のものではありません。その後、1961(昭和36)年に羽越本線村上?間島間で急行「日本海」を牽引中に土砂崩れに遭遇して脱線転覆、大破して廃車の危機に陥りましたが、運良く復活。さらには1995(平成7)年には鷹取工場に検査入場中に阪神・淡路大震災で罹災するなど、幾度の艱難辛苦を乗り越えたまさに“強運”の機関車と言えます。

091226n4129.jpg
▲大型トラックに載せられて梅小路を出てゆくC57 1号機のボイラ。来春には再びこの路を戻ってくるはず。'09.12.29 梅小路運転区 P:高橋 修

専門メーカーによる検査・修理が完了してボイラが再び梅小路に戻ってくるのは来年4月下旬とのことで、来シーズンにはリフレッシュしたボイラで快調に津和野を駆けるC57 1の姿を目にすることができるはずです。

hirota_2.jpg
calender_520px.jpg

今度の日曜日は「猫市」へ。

091225n2935.jpg
▲「鉄ホビ・ヤード」はこの日は定休日。「猫市」に向けて続々と集まってくる「お宝」のチェックに励むB滝さん。「猫市」当日はB滝さんも皆さんをお出迎え。'09.12.24

昨年末に弊社社屋で「ホビダス感謝DAY」を開催いたしましたが、大変ご好評をいただきましたことから、今年は来る12月27日(日)にジャンルを拡大し、その名も「猫市」として開催することとなりました。

091225n2934.jpg鉄ホビ・ダイレクトから鉄道模型や鉄道趣味グッズ関連の商品はもちろん、ホビダスダイレクト、模型ホビダス・ダイレクト、ホビダスオート・ダイレクト、ホビダスダイレクト・ホーム&ガレージからも様々なアイテムが登場する予定です。もちろんネット上には掲載していないアイテムも数多く登場いたします。また、当日は「鉄ホビ・ヤード」のオープン・デーでもあり、まだお出でになったことのない方にとっても絶好の機会と言えましょう。日曜日は是非「猫市」にお出でください。
▲編集部スタッフをはじめとした放出品の数々。もちろんNゲージ系の「お宝」も続々登場予定。
クリックするとポップアップします。

091225n2933.jpg
▲そしてこんな「お宝」も…。いったいどんな出会いが待っているかはお出でになってのお楽しみ。

■イベント内容
・ネコ・パブリッシングでの展示即売会
・特価品、ワケあり品、長期在庫品セール
・編集部員/社員によるフリーマーケット、絶版本/雑誌特価販売
■出展店舗
・ホビダスダイレクト
 (世田谷ベースグッズ、アパレル全般)
・鉄ホビ・ダイレクト
 (鉄道模型、鉄道趣味グッズ関連)
・模型ホビダス・ダイレクト
 (ミニカー、フィギュア、プラモデル、トイ)
・ホビダスオート・ダイレクト
 (自動車関連部品、アパレル、グッズ、ミニカー他)
・ホビダスダイレクト・ホーム&ガレージ
 (ガレージグッズ、インテリアグッズ、雑貨)

091225nekoichi_520px.jpg○開催日:2009(平成21)年12月27日(日)
○時間:11:00~17:00
○開催場所:株式会社ネコ・パブリッシング本社
      〒152-8545 東京都目黒区碑文谷4-21-13
○問い合わせ:TEL 03-5723-6300
●入場無料!!
ご来場いただいた方には記念品をプレゼントします。
(記念品がなくなり次第終了します)
●交通機関について
駐車場はございません。おクルマでお越しの際は近隣の有料駐車場をご利用ください。
電車でのアクセスの場合は東急東横線・都立大学駅より徒歩10分。
バスでのアクセスの場合はJR目黒駅西口発・黒01系統「大岡山小学校前」行き「平町」バス停下車徒歩1分。

hirota_2.jpg
calender_520px.jpg

2009.12.24-70_1.jpg
1968(昭和43)年以来40年以上にわたって運用している6000系車輌に代って、東京メトロでは2010(平成22)年秋以降、新型車輌16000系16編成(160輌)を投入することとなりました。
▲千代田線の新型車輌16000系の外観イメージ。 (東京メトロ ニュースリリースより)

新製される16000系は、駆動システムに永久磁石式同期型モーター(PMSM:Permanent Magnet Synchronous Motor)を採用。10000系搭載の誘導モーターに比べて約10%の消費電力量を削減し、各装置の省エネルギー化をはじめ、走行騒音の低減やリサイクル性、安全性の向上を積極的に図っています。また、客室内は、天井構造の見直しにより荷棚上の空間を拡大するほか、連結面に大型ガラスを採用、荷棚と座席横の仕切りの一部にガラスを採用して、広がりのある空間を実現するとともに快適性の向上を図っています。さらに、車輌床面高さを下げることで、ホームとの段差を少なくし、バリアフリーにも配慮がなされています。

2009.12.24-70_2.jpg
▲車内快適性や利便性を向上した16000系の客室内イメージ。 (東京メトロ ニュースリリースより)

東京メトロ発表による主な特徴は次のとおりです。
■車内快適性の向上
○車内快適性を高めるため、冷房能力を48kW/輌(6000系)から58kW/輌に向上。
○一人あたりの座席幅を430mm(6000系)から460mmに広げるとともに、クッション性を高めることで座り心地を向上。
■利便性の向上
○車内表示器は各ドア上部に17インチワイド液晶を2画面配置、乗換案内や駅設備案内等、より多くの情報を見やすく、きめ細かに提供する。
○車内の床面高さを1,200mm(6000系)から1,140mmとし、ホームとの段差を縮小。
○立った状態での姿勢保持や立ち座りの補助の目的から、座席前にスタンションポールを設置。
○車端部では、手荷物の上げ下げの容易性を高めるため、荷棚高さを1,770mm(6000系)から1,700mm(両端部以外は1,750mm)に下げるとともに、吊手の高さを1,640mm(6000系)から1,580mmと低くした。
○出入口の床に、床の色とコントラストを付けた識別板を設け、出入口部を識別しやすくした。
○車輌内外からドアの開閉のタイミングを確認できるよう、出入口上部に開閉動作に合わせて点滅する表示灯を取付け。
■環境負荷低減
○従来から導入しているアルミニウム合金製車体の技術を継承し、各部材の材質を極力統一してリサイクル性を向上。
■車体強度向上
○ダブルスキン構体の採用や車体四隅の隅柱強化等により車体強度を向上するとともに、振動を低減して乗り心地を向上し、走行騒音の低減を図った。
■火災・有毒ガス対策の強化
○火災発生時に有毒ガスを発生する材料や高温で溶け落ちる材料は使用しないなど、火災・有毒ガス対策を強化。

1992(平成4)年に後継と目される06系1編成が投入されたものの、6000系はのべ36編成の大勢力として、時代を超えて千代田線の“顔”として親しまれてきました。16000系の登場で、来秋以降、ついにその牙城も崩れてゆくこととなります。

hirota_2.jpg
calender_520px.jpg

ドコービルの厩。

091223decauville1nn.jpg
▲“聖地”ドコービル家に陽が沈む。ポータブル軌道=軌匡は、コの字型に配されたこの巨大な農家から全世界に広がっていった。'95.10.26

街がクリスマスの賑わいに包まれるこの季節になると思い出すのが、ベツレヘムの厩ならぬドコービルの厩です。かれこれ14年前、フランスのガレージキットメーカー=デュトン・プロダクションのレイモンド・デュトンさんをパリ郊外のお宅に訪ねた際、わざわざ駆けつけてくれたのがドコービル博物館設立準備委員会のファーレー会長でした。

091223decauville2n.jpgポータブル軌道(可搬式軌道=軌匡)の発案者であるポル・ドコービルはパリ郊外の大農場の長男に生まれ、自らの農地から甜菜を運搬するために、独自の可搬式軌道を考案したとされます。時に1873(明治6)年。5年後にはパリ万国博覧会で金賞を獲得し、ドコービル・システムは一気に世界へと伝播してゆきます。恒久軌道としてのナローゲージが、4フィート(1219㎜)や4フィート8インチ(1422㎜)といった19世紀初頭のマザーゲージからダウンサイジングして発達したのに対して、ドコービルは突如としてフランスの農場の片隅に、いわば “降臨”したのです。
▲納屋の中に残されたオリジナル・ドコービルの軌道。'95.10.26
クリックするとポップアップします。

091223decauville4n.jpgファーレー会長にぜひ見せたいものがあると促されてクルマを飛ばすこと30分あまり、案内されたのは時代がかった巨大な農家の納屋でした。なぜこんなところに連れて来られたのか訝しがる私に向かって、ファーレー会長はおもむろに切り出しました。
「今あなたの立っているここがドコービル家です。ドコービル・システムの生みの親であるポル・ドコービルはこの家で生まれ、この家で最初の軌匡を生み出したのです。そして足元にわずかに残された軌道こそがオリジナル・ドコ-ビルなのです。」
▲博物館設立に向けて保存車輌も集められつつあった。写真は戦後製のTMB15形小型ディーゼル機関車。'95.10.26
クリックするとポップアップします。

なんの心構えもないまま、突然目の前に現れたベツレヘムの厩ならぬドコービルの厩。この線路がなければ、その後百年にわたって世界を席捲したインダストリアル・ナローゲージも、ひいては自分自身の趣味もなかったのかと思うと、ただただ言葉がありませんでした。

091223decauville3n.jpg
▲ドコービル家の中庭にて。ご当主の奥様と出てくるのはドコービル博物館設立準備委員会のファーレー会長。'95.10.26

“聖地”ドコービル家に博物館を…と奔走されていたファーレー会長をはじめとした設立準備委員会ですが、残念ながらその後、公開に至ったという情報は伝わってきていません。
去り際に夕日の中で見たドコービル家の光景は、生涯決して忘れることなく深く心に刻まれています。

hirota_2.jpg
calender_520px.jpg

091222nn001.jpg
▲甲種輸送で東海道本線を一路任地・東京へと向かうEF510 501。'09.12.19 東海道本線真鶴―根府川 P:鈴木龍一 (「今日の一枚」より)
クリックするとポップアップします。

昨年末にプレス発表されて以来、その誕生が待ち望まれていた「カシオペア」「北斗星」用のJR東日本のEF510形交直流電気機関車の第一陣が完成、先日、兵庫県の川崎重工をロールアウトしたトップナンバー機は、すでに田端運転所に到着、試運転の時を待っています。注目の車体デザインはブルートレイン客車とコーディネートしたブルーの車体に金色の帯、そして側面には流星を思わせる星のマークが施されています。

091222n0480.jpg現在「カシオペア」「北斗星」運用に充当しているEF81形の老朽化に伴って、その置き換え用として、JR貨物が開発したEF510形15輌を新製するとJR東日本が発表したのが昨年12月。あらためて申し上げるまでもなく、EF510形はJR貨物が当初からEF81形の置き換え用として開発した3電源方式の交直流電気機関車で、2001(平成13)年に1号機が完成しました。
▲多くのファンが注目する中、工場を出るEF510 501。'09.12.18 川崎重工業兵庫工場 P:長井崇志
クリックするとポップアップします。

081203n003.jpg
▲在来のEF81とEF510との比較。なお、JR東日本としては発足以来初めての電気機関車の新製となる。(JR東日本プレスリリースより)
クリックするとポップアップします。

091222n0405.jpg
▲車体構造は貨物機と変わっていないように見えるが、車体塗色が変更されたことによってまったく別の機関車のようにさえ見える。'09.12.18 川崎重工業兵庫工場 P:長井崇志
クリックするとポップアップします。

091222n0431.jpg091222n0377.jpg
▲正面ライト回りには金色の帯が入れられている。キャブ側面のJRエンブレムはシルバー。'09.12.18 川崎重工業兵庫工場 P:長井崇志
クリックするとポップアップします。

しかもEF510形はもともとEF210形の交直流版として日本海縦貫線での使用を想定して開発され、現在は全機16輌が富山機関区に集中配置されて、大阪(タ)~青森(信)間で運用されています。それだけに、耐寒・耐雪機能も実証されており、JR東日本はそのポテンシャルに注目して、会社を超えて自社のEF81形置き換えに起用することとなったものです。

091222n0302.jpg
▲側面には流星を思わせるマークが輝く。裾部に入れられた金帯の上部には“EAST JAPAN RAILWAY COMPANY”の文字が…。'09.12.18 川崎重工業兵庫工場 P:長井崇志
クリックするとポップアップします。

091222n0350.jpg091222n0425.jpg
▲番代は500番代に区分されている(左)。車体側面の星マークと側面の形式番号標記(右)。'09.12.18 川崎重工業兵庫工場 P:長井崇志
クリックするとポップアップします。

091222n0477.jpg091222n0472.jpg
▲サイドビューを見る。来年には本機が「カシオペア」や「北斗星」の先頭に立って活躍を始めるはず。'09.12.18 川崎重工業兵庫工場 P:長井崇志
クリックするとポップアップします。

新製輌数は15輌。注目の番代は500番代が付与されています。使用が開始されると、現在田端運転所のEF81が受け持っている寝台特急「カシオペア」や「北斗星」などの寝台特急列車は順位このEF510形に置き換えられることになります。

hirota_2.jpg
calender_520px.jpg

091221n4-18.jpg
▲昇降式のスノープラウが一面の銀世界と化した鉄路をかき分ける。茶志内の“大コン”9217は美唄からの転属機だ。'59.2.10 三菱鉱業茶志内専用鉄道 (広田尚敬『昭和三十四年二月 北海道』より)

寿都鉄道で幕を開けた撮影行は、偶然耳にした胆振線のキマロキ運転で早くも旅程の変更となります。佳き時代のことゆえ、幸いにも添乗を許され、3台のレンジファインダーカメラはキマロキの信じがたい雪との闘いを活写してゆきます。そのアングルはまさに広田写真の真骨頂ともいえるもので、必見です。

091220n2929n.jpg夕張地区の数々の私鉄・専用線を丹念に巡りながら、広田さんのカメラアイは鉄道そのものではなく、いわば“空気感”をも写しとってゆくのです。その一連の作品は、鉄道写真を志す皆さんに時代を超えて普遍の方向性を示すとともに、模型心を持った方にとっても、掛け替えのないインスピレーションとなって響くに違いありません。

091221n4-30.jpg
▲8850の動輪が躍動する。ランボードからの流れ、第1動輪に集中するロッド。ドイツ機の血をひくテンホイラーは奈井江の地で元気だ。'59.2.22 三井鉱山奈井江専用鉄道 (広田尚敬『昭和三十四年二月 北海道』より)

そして本書のもうひとつの白眉ともいえるのが、『鉄道ファン』宮田寛之名誉編集長による解説です。「広田さんの昭和34年の北海道撮影行と当時の私鉄・専用線の蒸気機関車について」と題された16ページにわたる解説は、「私の前半生は広田さんとともにあり…」と記される宮田さんならではのもので、昭和二十年代後半の鉄道趣味界の動向から解きおこされ、当時の諸先輩方のつながり、そして鉄道写真黎明期の胎動がひしひしと伝わってくる必読の内容です。

091220n%EF%BD%8813.jpg
▲憧れの“ランケンハイマー”についに出会った。十勝の野を走るランケンハイマー、感激の一瞬である。'59.2.26 日本甜菜糖十勝清水専用鉄道 (広田尚敬『昭和三十四年二月 北海道』より)

もちろん登場する各私鉄・専用線の蒸気機関車についての的確かつ味わい深い解説は宮田名誉編集長ならではのもので、期せずして宮田さんが師と仰ぐ臼井茂信さんが『鉄道讃歌』に寄せられた解説を彷彿させます。素晴らしい形式写真の数々とともに、間違いなく後世に残る解説ページとなっております。

091220n%EF%BD%8832.jpg■本書に登場する主な鉄道
寿都鉄道、胆振線、日本製鋼所室蘭工場、栗林商会、北海道砂鉄伊達工場、大夕張鉄道、真谷地専用鉄道、角田鉱業所専用鉄道、夕張鉄道、美流渡専用鉄道、美唄鉄道、茶志内鉱専用鉄道、奈井江鉱専用鉄道、茂尻鉱業所専用鉄道、芦別森林鉄道、油谷鉱業専用線、日本甜菜製糖十勝清水専用鉄道、北海道拓殖鉄道、根室拓殖鉄道、庶路鉱業所専用鉄道、雄別鉄道、尺別鉱業所専用鉄道、釧路臨港鉄道、釧路埠頭、日本甜菜製糖磯分内専用鉄道、置戸森林鉄道、運輸工業専用線、北日本製紙江別工場専用線、定山渓鉄道、茅沼炭化工業専用鉄道/簡易軌道風蓮線
▲“銀竜”のエンジンをかけるべくクランクを回す。'59.2.16 根室拓殖鉄道 (広田尚敬『昭和三十四年二月 北海道』より)

091221n174_175.jpg
▲16ページにわたる詳細な解説は『鉄道ファン』名誉編集長の宮田寛之さんによるもの。 (広田尚敬『昭和三十四年二月 北海道』より)

そして巻末には、4年後の昭和38(1963)年10月に撮影された「一馬力の殖民軌道 ―簡易軌道風蓮線の一日―」を収録いたしました。根釧原野に最後に残された馬力による簡易軌道に会いたくて、はるばる根室本線厚床を訪れる情熱は、『昭和三十四年二月 北海道』の時となんら変わってはいません。

09120n18814.jpg
▲見渡す限りの秋の根釧原野を「一馬力の殖民軌道」が行く。'63.10 簡易軌道風蓮線 (広田尚敬『昭和三十四年二月 北海道』より)

カメラこそニコンFに進化してはいるものの、被写体の鉄道、そしてそれを取り巻く人びとへの眼差しは、鉄道写真の“原点”を深く心に刻んでくれるものです。『昭和三十四年二月 北海道』は、鉄道写真を志すすべての方に、是非、是非、ご覧いただきたい珠玉の一冊です。
■広田尚敬写真集『昭和三十四年二月 北海道』 (限定出版)
・A4判変形(本誌同寸)208ページ(モノクロ/一部2色刷り)
・上製本、ケース入り
・定価:10,000円(税込)

RML125bnn.jpg
calender_520px.jpg

091220n02.jpg
▲時刻は8時12分、山のくすんだ朝日が9237を照らし出す。北国の冬は石炭の匂いで充満していた。'59.2.9 大夕張鉄道大夕張炭山 (広田尚敬『昭和三十四年二月 北海道』より)

今年の掉尾を飾るに相応しい一冊、広田尚敬さんの写真集『昭和三十四年二月 北海道』が間もなく発売となります。

091220n2931.jpgちょうど50年前の昭和34(1959)年2月2日19時25分、東北本線経由青森行き115列車で広田尚敬さんの北海道撮影行が始まりました。それまでにも青木栄一さんをはじめ(RMライブラリー『昭和29年夏 北海道私鉄めぐり』参照)何人かの先達が、北海道の鉄道、とりわけ私鉄・専用線に残された古典蒸機を求めて渡道されてはいましたが、冬季、しかも厳冬期の2月に撮影のために津軽海峡を渡った方は誰もおられませんでした。
▲ブックデザインはわが国を代表するブックデザイナー祖父江 慎さんの手によるもの。
クリックするとポップアップします。

091220nS34-01.jpg
▲昭和34年2月2日夜、いよいよ無謀ともされた厳冬の北海道撮影行が始まる。115列車発車前の上野駅ホームで“機関車グループ”のささやかな壮行会。左から3人目の学生帽姿は本書の解説を担当してくださった『鉄道ファン』名誉編集長の宮田寛之さん。'59.2.2 上野 (広田尚敬『昭和三十四年二月 北海道』より)

当時、広田さん24歳。大先輩の萩原政男さん(『鉄道ファン』初代編集長)からは「やめなさい。冬行ったら凍え死にます。それにお目当ての古典ロコは、雪と蒸気に包まれて見えませんよ」と忠告されながらも、夏に南九州、冬こそ北海道、寒い時にこその表情を写し撮りたいと、無謀とも思われる渡道を決意されたのでした。

091220n04.jpg
▲清水沢6時32分発の一番列車が大夕張炭山駅に到着。貨車からは天然冷凍品となった海辺の街からの荷物が次々とおろされる。'59.2.8 大夕張炭山 (広田尚敬『昭和三十四年二月 北海道』より)

鉄道友の会の「機関車グループ」のメンバーでもあった広田さんは、この当時すでに鉄道写真コンクールの常連入賞者で、『鉄道ピクトリアル』誌上でも数々のグラフを発表されていただけあって、世代を超えて多くの方々がこの渡道を支援されました。国鉄工作局にお務めで、のちに「ゆうづる」のヘッドマーク・デザインなどでも知られる趣味の大先輩・黒岩保美さんもそのお一人で、事前に数々のレクチャーをされるばかりか、旅程に沿っていくつかの国鉄宿泊所まで紹介してくださったそうです。

091220n11.jpg
▲海抜244メートルの真谷地に向かう8100形5052。客車はコハフ1とホハ1。完全逆光のためフードが役に立たず、画面左上には覆った手が写り込んでいる。'59.2.8 北炭真谷地炭礦専用鉄道五区?六区 (広田尚敬『昭和三十四年二月 北海道』より)

091220n%EF%BD%8824.jpg
▲夕張鉄道11号機のテンダーからすれ違う“アメB”夕鉄6号機を捉える。'59.2.7 夕張鉄道若菜 (広田尚敬『昭和三十四年二月 北海道』より)

そして北海道の鉄道の第一人者で鉄道友の会北海道支部長でもあった小熊米雄さんは、ほとんど情報のなかった道内の私鉄・専用線の現状を伝えてくださり、24日間にわたる旅の最後には桑園の小熊さん宅を訪ねることになります。

091220n17.jpg
091220n21.jpg091220n22.jpg
▲夕張鉄道の新二股から角田炭礦へは小さなポール電車が往復していた。当時はこんな山の中の炭礦街も活気に満ち溢れていた。'59.2.21 北炭角田鉱業所 (広田尚敬『昭和三十四年二月 北海道』より)

こうして多くの皆さんに支えられながらスタートを切った厳冬の北海道撮影行ですが、カメラはなんとレンジファインダー機3台だけ。しかもレンズは標準50㎜と35㎜、そして85㎜の3本のみ。フィルムはもちろんモノクロで、しかも潤沢にあるわけではなく、ひとコマひとコマ指折り数えながらの撮影だったと聞きます。

091220n34.jpg
▲沼ノ沢で発車を待つ真谷地行き5051。三脚にセットしたレオタックスFのシャッターをTにセットし、マグネシュームをドンと発光させて写した一枚。'59.2.8 北炭真谷地炭礦専用鉄道沼ノ沢 (広田尚敬『昭和三十四年二月 北海道』より)

寿都鉄道の8100を皮切りに24日間にわたったこの撮影行の作品は、これまで数枚を除いて発表されたことがなく、イヤーブックとして発行していた『鉄道写真』2001~2005にその途中までを連載いただきましたが、この『昭和三十四年二月 北海道』はその完成編としてお送りするものです。半世紀前、3台のレンジファインダーカメラでこれだけ圧倒的なドキュメント、いや作品が生み出されていたことに改めて驚かされるとともに、この一冊は広田写真、ひいては近代鉄道写真の“原点”を物語るものといっても過言ではないはずです。

RML125bnn.jpg
calender_520px.jpg

091219n032jpg
▲C62にとってもっとも輝いていた時代、4レ特急「はと」の先頭にたって山科の大カーブをゆく宮原区の30号機。P:佐竹保雄 (『国鉄時代』vol.20より)
クリックするとポップアップします。

21日発売の『国鉄時代』vol.20は2号連続特集の第二弾、C62(下)をお送りします。今号の目玉はなんといっても「C62栄光の軌跡」です。「栄光の…」「極限の…」といった形容がされる急客機C62ですが、果たして49輌全機が特急牽引の栄光に浴したことがあるのでしょうか。今回の企画は編集を担当する山下のそんな疑問からスタートしました。それでは山下より今号の見所をご紹介いたしましょう。

091219n001.jpgまずは特集の「C62栄光の軌跡」。年配のベテランファンの方々でも、全機特急を牽引したとは考えられないと言いますが、一輌一輌、特急牽引の写真が残されているか検討していくと、ざっと40輌は見つかります。履歴を見ると全機特急運用のある機関区に所属したことがありますから、可能性はあると判断し、“特急のヘッドマークを掲げた走行写真”にターゲットを絞り、多くのベテランファンの方々にもう一度ネガを点検していただきました。

091219n015.jpg撮影時はめずらしいなどとは思わなかったから、ほとんど忘れかけていたけれど…とおっしゃって、多くの写真が編集部に届きました。結局、45号機のみ、編成を牽引しているシーンは見つからず、機関区の停車シーンと、5レ「ゆうづる」牽引の帰りにヘッドマークにカバーを付けて各駅停車を牽引する姿、いわば「状況証拠」といったところです。それでも、全機特急を牽引したということが実証でき、大好きなC62に「特急機」という面目をほどこすことができたことは、ファンとしてこの上なく嬉しく思います。49輌ただ並べたわけではなく、順番をなるべくくずさぬように東海道・山陽本線から常磐線までグラフィックに名場面を構成いたしました。
▲1号機から49号機まで全機を特急ヘッドマーク付きで収録した画期的特集。トップを飾るのは宇田賢吉さん撮影の201レ「かもめ」を牽く広島二区の1号機。 (『国鉄時代』vol.20より)
クリックするとポップアップします。

091219n026.jpg
▲C62 21〔尾〕の牽く2レ「はつかり」や23号機〔平〕の牽く「ゆうづる」の姿は首都圏のファンにとって忘れられないものであった。 (『国鉄時代』vol.20より)
クリックするとポップアップします。

巻頭を飾るのは細川延夫さんの遺作、呉線です。呉線にC62が本格的に入線したのは昭和40年からですが、その前にも米軍関係の列車を牽引して入線していたことがよくあったとのことで、瀬戸内海を背景にした見開き写真はその列車のようです。撮影時の記録がなく、詳細な撮影時期はいまや分からなくなってしまいましたが、その海を背景にした写真以外はすべて昭和40年以降と思われます。文章は細川さんと親交の深かった元機関士の宇田賢吉さんに添えていただきました。乗務員ならではの視点でお書きいただいた文は、我々ファンには宝にも等しい記録と言えます。また個々の写真の解説のために、呉線沿線にわざわざ確認に行っていただいたりして、正確を期すという面でも宇田さんならではのこだわりがある記事です。

091219n036.jpg091219n038.jpg
▲尾久区の38号機や39号機の牽く「はつかり」。39号機の「はつかり」牽引の姿は珍しい。 (『国鉄時代』vol.20より)
クリックするとポップアップします。

Vol.20は前号ではあまり触れなかった「西」にシフトしており、列車史研究家の三宅俊彦さんの「山陽本線 中・西部のC62」はその中でも昭和30年代後半のブルートレイン牽引全盛期を語る上ではこの上なく貴重な資料といえます。短編成の「かもめ」とは対照的な堂々の20系編成の先頭に立つ山陽型のC62は、同機の歴史の中でもやはり華の一つに挙げられるでしょう。

091219n0045.jpg
▲宇田賢吉さんによる「呉線とC62」。細川延夫さんによる瀬戸内をゆくC62の姿が強く印象に残る。 (『国鉄時代』vol.20より)
クリックするとポップアップします。

091219n047jpg091219n002.jpg
▲形態分類と運用で振り返る「宮原区EF58の輝ける日々」は、1970年代中盤、正面窓のHゴム化やヒサシの左右一体化、さらにはパンタグラフのPS22B化などが急速に進むなか、最後まで美しい姿を保っていた宮原区所属機の動向を克明に追った記録。 (『国鉄時代』vol.20より)
クリックするとポップアップします。

一般記事では「宮原区EF58の輝ける日々」が目を惹きます。東海道に君臨したEF58ですが、その末期に焦点を当てた運用と形態分類。「ゴハチ」ファンならずとも懐かしくも刺激的な記事となっています。

091219n021n.jpg「常紋1984」では蒸機全廃後約10年、最も地味だった時期の北の峠の撮影記。大自然の景観は今も変わりませんが、DD51の牽引する緑のコンテナやスイッチバックに時代の流れを感じます。
大好評の特別付録DVDは、三品勝暉作品「C62重連怒涛の旅路」、宮内明朗作品「小海線のC56」です。スピードも大きさも対象的な2形式の活躍ぶりをご覧ください。
『国鉄時代』も創刊5年、vol.20を迎えました。来年もますます「圧」を上げて驀進したいと思っております。

RML125bnn.jpg

calender_520px.jpg

091218n1.jpg
▲雨の朝、人影も少ない早朝の大宮駅に寝台特急「北陸」がすべり込んできた。'09.12.3 東北本線大宮 P:織田澤潔さん (「今日の一枚」より)
クリックするとポップアップします。

本日(18日)14時、JR東日本から来春のダイヤ改正の概要が発表となりました。「成田エクスプレス」の増発や、横須賀線武蔵小杉駅開業などの明るい話題のかげで、上野~金沢間の寝台特急「北陸」と、最後のボンネット車定期運用だった急行「能登」が消えてゆくことが判明しました。

091218n3.jpg
▲夜明け前、「能登」が終着・上野に向けてラストスパート。'09.12.6 東北本線尾久―上野 P:宮田 誠さん (「今日の一枚」より)
クリックするとポップアップします。

091218n5.jpgJR東日本の今回のダイヤ改正の主な内容は以下のとおりです。
○「成田エクスプレス」の増発・新型車輌増投入
・「えきねっと」によるチケットレスサービス開始
○横須賀線「武蔵小杉駅」が開業
・横須賀線・南武線朝通勤ピーク時間帯の増発
○「東京メガループ」の利便性を向上
・横浜線朝通勤時間帯の根岸線直通列車増発
・横浜線データイムの快速列車増発
・武蔵野線データイムの東京直通列車増発
○上越新幹線「とき」の到達時分短縮
▲都心で見られる最後のボンネット。この姿が見られるのもあと3ヶ月。'09.12.13 東北本線尾久―上野 P:梅木智晴さん (「今日の一枚」より)
クリックするとポップアップします。

このうち「成田エクスプレス」は来年夏頃には全編成がE259 系に統一される予定です。また車輌関連では、すでにご紹介したように(アーカイブ「209系 京浜東北線・根岸線から引退へ」参照)京浜東北・根岸線へのE233系大量投入(昨年度まで480 輌、今年度350輌投入)により、同線の830輌全車がE233系に統一されます(2010 年1 月25 日予定)。また来年夏頃より京葉線へのE233系投入(アーカイブ「京葉線にもE233系」参照)が開始されます。

091218n4.jpg
▲上越国境を駆け下りて東京を目指す「能登」。国鉄特急色を纏う伝統のボンネットスタイルもついにカウントダウンの時を迎えた。'09.12.12 上越線水上 P:神山宗二さん (「今日の一枚」より)
クリックするとポップアップします。

いずれにせよ、趣味的には、昨春の「銀河」、今春の「富士・はやぶさ」に続いて、またしても寝台列車・夜行列車が消えてゆく寂しさは禁じえません。プレスリリースには「ご利用の減少と車両の老朽化に伴い、寝台特急「北陸」(上野~金沢間)及び急行「能登」(上野~金沢間)の運転を取り止め、週末や夏休みなどお客さまのご利用の多い時期を中心に臨時列車を運転します」と記されています。

091218n2.jpg
▲寝台特急「北陸」尾久駅通過。 金沢へのブルートレインの旅路は始まったばかり…。'09.12.10 東北本線上野―尾久 P:梅木智晴さん (「今日の一枚」より)
クリックするとポップアップします。

またひとつ消えていってしまうブルートレイン、そしてボンネット車最後の定期運用の消滅…注目のダイヤ改正実施日は3月13日(土曜日)に決まりました。
なお、JR西日本金沢支社では最終運転日となる3月12日(金曜日)に、金沢駅で「北陸」と「能登」両列車の最終列車出発式を予定しているそうです。

RML125bnn.jpg

calender_520px.jpg

091217n2892.jpg
▲志水 茂さんはEF55最後の日々を追い続けていた。今回の個人的テーマである“鉄橋”との組み合わせも披露されている。'09.12.17

一昨年、新宿のギャルリー トラン・デュ・モンドで初めての写真展(アーカイブ「第1回鉄人会写真展“線路はつづくよ…”」参照)を開催した「鉄人会」の2年ぶりとなる第2回写真展が今日から始まりました。あらためてご紹介すると、「鉄人会」は趣味の大先輩・宮澤孝一さんを核に、写真コンテストで上位入賞された方々などが自然発生的に集った写真集団で、現在メンバーは40代から70代まで8名。すでに10年以上にわたって親交を深めておられるのだそうです。

091217n2909.jpg
▲会場は鉄道写真展ではすっかりお馴染みのギャルリー トラン・デュ・モンド。喧騒の新宿にあって別世界のような静寂の空間が広がる。'09.12.17
クリックするとポップアップします。

2回目となった今回の写真展もメインテーマは前回同様に「線路は続くよ…」。メンバー8人がそれぞれのテーマで作品を発表する方式で、まさに8者8様の視点と感性が縦横無尽に展開されています。「My Favorite Ones」と銘打たれたこれらの作品は、近作と青春のひとコマとのコラボレーションあり、人との出会い、ふれあいの中で熟成された一枚ありと、自由でのびのびとした雰囲気に満ちており、メンバーの皆さんが本心から鉄道写真を楽しんでおられる様子がひしひしと伝わってまいります。

091217n2882.jpg091217n2898.jpg
▲会の要でもある宮澤孝一さんは、今年の春、ワイオミング州シャイアンからネバダ州エルコまでの1000キロあまりをUP844を追った作品(左)と、50年以上前の山手線の記録(右)を発表。その歴史と守備範囲の広さに改めて圧倒される。'09.12.17
クリックするとポップアップします。

また今回は共通テーマとして「ともに過ごした鉄旅から」と題し、この2年間に実施した撮影旅行からの競作も紹介されています。ジェネレーションを超えての撮影行もこの趣味ならではの醍醐味で、展示されているポートレートを拝見しても、どの写真も笑顔に満ちています。
なにはともあれ、まずは皆さんの力作の数々をダイジェストでご覧いただきましょう。

091217n2894.jpg091217n2902.jpg
▲志水 茂さんはご専門の土木工学の世界ともシンクロさせて“鉄橋”をフィーチャー(左)。西山明徳さんは昨春廃止された「銀河」と今春廃止された「富士・はやぶさ」の東京駅スナップをまとめた「惜別 東京発ブルートレイン」を組写真で発表。'09.12.17
クリックするとポップアップします。

091217n2885.jpg091217n2883.jpg
▲松村 寛さんは1982年に初めて渡道して以来魅せられている北海道をテーマに発表。下車印だらけの北海道周遊券に同時代体験を積まれた方は感無量のはず。'09.12.17
クリックするとポップアップします。

091217n2923.jpg
▲石澤潤一さんは「名鉄のりば」と題して先ごろ引退した名鉄パノラマカーを撮り込んだ作品を発表。前回の名鉄600Vに続いての名鉄をテーマと組写真となった。'09.12.17
クリックするとポップアップします。

091217n2917.jpg
▲馬場典昭さんは豪雪の飯山線で雪と闘う鉄道員と車輌をドキュメント。ひとつのテーマに通いつめたからこその力作が並ぶ。'09.12.17
クリックするとポップアップします。

091217n2921.jpg091217n2926.jpg
▲本村忠之さんはフランスの「文化遺産の日」に訪れたブルゴーニュ地方の保存車輌とそれを取り巻く人びとをテーマに選んだ(左)。長谷川博美さんは足尾線時代以来しばらくご無沙汰していたというわたらせ渓谷鐵道を再び撮り込み始めた近作を組写真で展開(右)。'09.12.17
クリックするとポップアップします。

この第2回鉄人会写真展は本日17日(木曜日)から来週23日(水曜日)までの一週間の開催。メンバーの皆さんも可能な限り会場におられるそうですので、作品の鑑賞はもちろんのことながら、鉄道写真談義に訪れてみられてはいかがでしょうか。

091217n2912.jpg■会期:2009(平成21)年12月17日(木)~23日(水・祝)
■時間:11:00~18:30(最終日は16:00まで)
■会場:ギャルリー「トラン・デュ・モンド」
■交通:JR新宿駅東口より徒歩10分、都営大江戸線新宿西口より徒歩8分、西武新宿線西武新宿駅北口正面徒歩0分

▲写真展初日、会場でご案内いただいた志水 茂さん(左)と宮澤孝一さん(右)。今週の土日はメンバーの皆さんの多くが会場におられるとのことで、鉄道写真談義に花が咲くにちがいない。'09.12.17
クリックするとポップアップします。

■鉄人会メンバー(五十音順)
石澤潤一(いしざわじゅんいち)・志水 茂(しみずしげる)・西山明徳(にしやまあきのり)・長谷川博美(はせがわひろみ)・馬場典明(ばばのりあき)・松村 寛(まつむらひろし)・宮澤孝一(みやざわこういち)・本村忠之(もとむらただゆき)

091217ntetsujin_002.jpg
091217ntetsujin_001.jpg


RML125bnn.jpg

EF13_002h1n1.jpg
▲新鶴見機関区で待機する凸型第1次装備改造車体の5号機。わが国のF級電機のなかで異色のスタイルであった。P:三谷烈弌
クリックするとポップアップします。

お待たせいたしました。かつて小ブログ上でも皆さんに写真のご協力をお願いいたしましたRMライブラリーの『国鉄EF13形-戦時型電機の生涯-』がいよいよ完成いたします。ひさしぶりに国鉄電気機関車にスポットをあてた本書は、技術士として長く国鉄の研究部門にお務めで、模型の世界でもつとに知られる小林正義さんが、まさにライフワークの一環としてまとめられた大作で、いち形式としては異例のことながら、今月と来月の上下巻でお送りいたします。

RML125h1.jpgサブタイトルにもある通り、EF13形電気機関車はD52形蒸気機関車や省電モハ63形、あるいは3軸貨車のトキ900形と同じく「戦時型」と呼ばれる車輌で、第二次世界大戦末期の1944(昭和19)年に誕生しました。戦況による資源の枯渇や人材不足が深刻化するなか、それまでのEF12形の設計変更による資材の節減も限界に達し、EF13形は当初から資材の節減とともに工数の低減を徹底して設計されました。それは本線用電機としては異例の凸型車体の採用に象徴されますが、勇壮なその姿とは裏腹に、大型電気機関車の必需品とも言える高速度遮断器を省略したことによる主回路機器の焼損事故が発生するなど、トラブルが続発、さらに乗務員も冬季の隙間風など過酷な乗務環境を余儀なくされたそうです。

RML125_12_13p.jpg
▲数々の貴重な未発表写真とともに、本書の白眉ともいえるのが著者・小林正義さん自らがCADを駆使して作図した図面類。モデラーの皆さんにもまたとない資料となるはず。 (RMライブラリー『国鉄EF13形-戦時型電機の生涯-』上巻より)
クリックするとポップアップします。

そんないわば“問題児”であったEF13形ですが、1948(昭和23)年からは高速度遮断器の取り付けをはじめとする第1次装備改造が始まり、以後、戦後復興に大活躍することになります。車体補機室前方に出入台の手摺りが付いた模型などでもお馴染みの姿はこの時代のものです。もっとも、そのスタイルも長くは続かず、1952(昭和27)年から始まった第2次改装によりEF58の旧車体と振り替えられ、EF12形に似た箱型デッキ付きの標準的な貨物機の姿へと変わってゆくのです。

RML125_%2028_29p.jpg
▲わずか31輌ながらその形態は実に多種多様。本書では可能な限りのバリエーション違いを、時期による差異も含めて紹介・解説している。 (RMライブラリー『国鉄EF13形-戦時型電機の生涯-』上巻より)
クリックするとポップアップします。

RML125_%2038_39p.jpg
▲東海道本線をゆく凸型車体のEF13たち。弱め界磁さえ持たない急拵えの電機ながら、戦後復興の担い手として大活躍を果たした。 (RMライブラリー『国鉄EF13形-戦時型電機の生涯-』上巻より)
クリックするとポップアップします。

本書上巻では誕生時から第2次改装が始まるころまでの、凸型車体の時代を収録しています。車体はもちろん、台車、主回路に至るまで資材の節減が徹底された戦時型として仕様と、その後の装備改造を詳細に解説するほか、当時の運用、さらにEF58の車体を譲り受けた第2次装備改造の概要を多くの貴重な写真とともに収録しています。ちなみに著者の小林正義さんは実際に機関助士としてEF13に乗務した経験をお持ちで、それだけに外観上の形態分類はもちろん、主回路つなぎや主接触器作用順序のEF12形との比較など、内外にわたって詳細に解説していただいています。

RML125_46_47p.jpg
▲偶然にもEF58の旧車体と同数だったことから、凸型車体を脱ぎ捨てて箱型車体への第2次装備改造が行なわれることとなった。車体載せ替えのためB50 23に推されて川崎車輌へと入ってゆくEF13 11と、廃棄された凸型車体。 (RMライブラリー『国鉄EF13形-戦時型電機の生涯-』上巻より)
クリックするとポップアップします。

なお、7月13日付け小ブログ「EF13凸の写真を探しています」でも写真のご提供をお願い致しましたが、おかげさまで全31輌のうち8割強の機番の凸型時代の姿を収録することができました。東京近郊はもちろん、東海道線浜松、さらに上越国境まで、わずか13年で幕を閉じた凸型EF13形を記録した貴重な写真50点以上を収録した本書は、わが国の車輌史に残る一冊だと自負しております。どうか1月発売の下巻とともに書架にお揃えください。

RML125bnn.jpg

091216n1.jpg
▲現在、京浜東北線ではウラ52、64、66の3編成が運用に就いている。写真はウラ66編成。'09.11.28 上中里―王子 P:小野雄一郎
クリックするとポップアップします。

1993(平成5)年の誕生以来、京浜東北線・根岸線で活躍してきた209系電車が、来年2010(平成22)年1月24日(日)の営業運転をもって、両線から引退することとなりました。すでに房総地区の113系電車置き換え用としてセミクロス化改造を施された2000番代、2100番代が誕生し、幕張車両センターに配置されていますが(アーカイブ「房総地区に209系セミクロス車」参照)、ついに“本拠”ともいえる京浜東北線・根岸線から209系の姿が見られなくなります。

091216n3.jpgこの引退にあわせて、JR東日本大宮支社と横浜支社で引退記念イベントが開催されます。
■記念ヘッドマークの取付
209系1編成の両端部に記念ヘッドマーク(デザイン1種類)を取り付け、大宮―大船間を定期列車として運行。
○期間:2010(平成22)年1月17日(日)~2010(平成22)年1月24日(日)
▲東十条で発車を待つウラ66編成。'09.10.30 東十条 P:中西裕一さん (「今日の一枚」より)
クリックするとポップアップします。

■「ありがとう京浜東北線209系」記念入場券の発売(大宮支社)
大宮駅から川口駅までの埼玉県内9駅のおとな硬券入場券10枚組(南浦和駅のみ2種類・台紙付)を2,000セット限定販売。
○発売日時:2010(平成22)年1月24日(日) 10:00~16:00(売切れ次第、発売終了)
○発売箇所:大宮駅 西口2階イベントスペース
 ※1月25日(月)以降に発売する場合は、中央みどりの窓口にて1月31日(日)まで発売し、売切れ次第、発売終了となる
○発売金額:1セット1,300円
 ※郵送等での申込はできない
 ※券番指定の購入はできない。また、一人5セットまでの発売

091216n5.jpg
▲16年間にわたって日常風景として見慣れたこんな光景も間もなく過去のものに…。写真は今はなきウラ59編成。'09.9.9 東十条 P:中西裕一さん (「今日の一枚」より)
クリックするとポップアップします。

■「京浜東北線・根岸線209系引退記念入場券」の発売(横浜支社)
川崎駅から大船駅までの京浜東北線・根岸線の16駅分の記念入場券(硬券洋式おとな用)を記念台紙付きで発売。
○発売日時:2010(平成22)年1月24日(日)~2010(平成22)年1月31日(日)
 ※8:30から発売開始(売切れ次第、発売終了)
○発売箇所:JR大船駅 みどりの窓口
○発売金額:1セット2,080円
 ※郵送・電話などでの申込はできない
○発売枚数:2,000セットの限定発売
 ※券番を指定しての購入はできない。また、一人5セットまでの発売

091216n6.jpg■記念弁当・記念グッズ等の販売(大宮支社)
運転終了前日の2010(平成22)年1月23日(土)に、209系の記念ヘッドマークを掛け紙にデザインした記念弁当や記念グッズを販売。
○販売日時:2010(平成22)年1月23日(土) 10:00~17:00
○販売箇所:大宮駅 西口2階イベントスペース
○販売商品
 記念弁当や記念グッズ(記念サボ・ヘッドマークレプリカ)・鉄道関連グッズなどを予定。
 ※記念弁当のみ、1月24日(日)にも大宮駅構内のNRE弁当売店で販売
▲品川に停車中のウラ70編成。この編成もすでに見られない。'09.6.20 品川 P:小野雄一郎
クリックするとポップアップします。

■記念弁当・記念グッズ等の販売及び駅内イベント開催(横浜支社)
○期日:2010(平成22)年1月24日(日)
○場所:JR大船駅改札内コンコース
○時間:10:00~15:00(予定)
○内容
記念弁当・記念グッズの販売、子供用駅長制服撮影会、ヘッドマーク展示会、鉄道写真パネル展などを予定。
(※イベント内容は変更になる場合もある)

091216n2.jpg
▲最後に生き残った3編成のうちのひとつウラ52編成が北行線を行く。残された時間はあと40日…。'09.10.31 田町 P:小野雄一郎
クリックするとポップアップします。

いっぽう、房総地区に転身した209系2000・2100番代は、すでに総武本線(千葉~成東~銚子間)、成田線(千葉~成田~銚子間)、内房線(千葉~館山~安房鴨川間)、外房線(千葉~勝浦~安房鴨川間)の一部普通電車で営業運転を開始しており、今後、2011年度末目標で在来の113系250輌、211系70輌の計320輌すべてが209系に置き換えられることになります。

calender_520px.jpg

091214n6586.jpg
▲積み込み作業を完了、トレーラーで園内をゆっくりと移動する車体部分。屋根の額部分に見える2つの“ツノ”のようなものが、後部運転台から遠隔操作するためのワイヤーの取り込み口とプーリー。'09.12.7 P:山田 司
クリックするとポップアップします。

機関部を大型トラック、車体部をトレーラーに積まれた蒸気動車キハ6401は、正面ロータリーで待機後、12月8日(火曜日)深夜3時過ぎに、40年以上にわたって住み慣れた博物館明治村をあとにしました。

091214n6605.jpg091214n6616.jpg
▲一般道での搬送に備えてシートで梱包される車体部分(左)。機関部も厳重に梱包されて深夜の出発を待つ(右)。'09.12.7 P:山田 司
クリックするとポップアップします。

犬山市の明治村を出発した搬送車列は県道453号→県道195号(旧桃花台駅前)→県道199号を経由して坂下町6南交差点から国道19号に入り、深夜の国道を静々と名古屋市内へと南下してゆきます。

091214n6637.jpg
▲午前3時に明治村を出発、国道19号線を一路JR東海名古屋工場へと向かう。'09.12.8 P:山田 司
クリックするとポップアップします。

091214n6659.jpg091214n6641.jpg
▲大型トレーラーによって慎重に搬送されるキハ6401。国道19号線新尾頭交差点から県道29号線に入り、中川区の名古屋工場を目指す。'09.12.8 P:山田 司
クリックするとポップアップします。

名古屋市内の繁華街・丸の内の日銀前交差点を左折、伏見通を直進し、金山駅の新橋陸橋で東海道本線と名鉄をオーバークロスし、新尾頭交差点を右折、県道29号を経由して松葉公園交差点を右折、名古屋環状線に入り長良町3丁目交差点を左折、中川区長良町のJR東海名古屋工場に到着したのは午前5時半近くのことでした。

091214n6677n.jpg
▲明治村を出てから2時間半あまり、未明のJR名古屋工場に到着した蒸気動車キハ6401。これから博物館展示に向けての整備が始まる。'09.12.8 P:山田 司
クリックするとポップアップします。

JR東海博物館(仮称)展示車輌の搬送第一弾となったキハ6401は、46年前に修復を受けた名古屋工場へ再び舞い戻ったことになります。今後、同工場で再整備を施され、2011(平成23)年春のオープン時には、真新しい延床面積14,100㎡の博物館建物(アーカイブ「JR東海が“JR東海博物館(仮称)”建設へ」参照)の中にその歴史的な姿を見せてくれるはずです。

calender_520px.jpg

091213n6698.jpg
▲2基のクレーンで吊り上げられる車体部。写真は後部運転台側。汽車会社製工藤式蒸気動車のキハ6401は両運転台で、こちら側の運転台からは屋根上に這わせたワイヤーで運転操作していた。'09.12.7 明治村 P:山田 司
クリックするとポップアップします。

鉄道記念物20号に指定された直後の1963(昭和38)年に国鉄名古屋工場で分解・修復された際の貴重な工程写真がRMライブラリー『日本の蒸気動車』下巻に収録されていますが、今回の分解・搬出作業ではそれ以来のたいへん貴重なシーンを見ることができました。

091213n6593.jpg
▲主動輪(後輪)に近い個所にセンターピン、サイドベアラーがあるのが分かる。'09.12.7 明治村 P:山田 司
クリックするとポップアップします。

さながら鳩時計か、からくり人形のように観音開きの前面扉から抜き出された機関部や、ほとんど側梁と水槽だけとなった機関室内部などを白昼の野外で目にすることは二度と再びできないでしょう。

091213n6502.jpg
▲下から見た台枠だが、長土台受(側梁に直角に取り付けた三角のリブ様)と長土台(車体側下部全長にわたる角材で、それから間柱を建て、その上部は長桁で支持)、センターピンの状態が知れる。右側機関部は側梁しかないから、端梁を外してしまうと強度は著しく下り、搬出には気を使ったはずである。'09.12.7 明治村 P:山田 司
クリックするとポップアップします。

ところでこのキハ6401に代表される工藤式蒸気動車は、実は「両運車」なのです。機関室側に機関士と助士が乗務し、機関部を先頭にしか走れないと思われがちですが、逆端の2エンド側にも運転台があり、こちらから“遠隔操作”で運転することが可能です。遠隔操作といってもそこは究極のアナログで、屋根上を這わせた2本のワイヤーによって機関部の加減弁等を操作するだけです。当然、助士は投炭・給水をせねばなりませんから1エンド側から離れることはできず、2エンド側に乗務した機関士とは伝声管を通して連携を図ることになります。

091213n6505.jpg091213n6496.jpg
▲キハ6401の車体標記。名古屋工場の検査標記も見える。'09.12.7 明治村 P:山田 司
クリックするとポップアップします。

伝声管も三等室の吊手保持パイプを兼ねたもので、騒音と振動の中でどれほど意思疎通が図れたのか首を傾げます。汽笛や蒸気・手用制動機も2エンド側から操作できたようですが、はたしてカットオフの調節はどうしていたのでしょうか…。

091213n6624.jpg091213n6620.jpg
▲左:機関室前部の床部分だが、カラッポなのは機関部がここに入っていたから。水槽のホースに注意。枕梁は機関部のセンターピンを支えるが、その後ろの決して広くない床部分で機関士が運転し、助手が投炭していたのだが、居住性は良くなかったはず。右:機関室内のサイドタンク(固定)で、機関部台枠後部のタンクとはホースでつながれている。'09.12.7 明治村 P:山田 司
クリックするとポップアップします。

この2エンド側運転台からの遠隔操作時の助士による誤操作を防ぐために、エンド切り替え時に機関室側の加減弁等がロックできる機能が工藤式蒸気動車の特許であった(RMライブラリー『日本の蒸気動車』上巻参照)そうですが、今回の取材では残念ながら2エンド側の運転台細部を撮影することはかないませんでした。

091213n6608.jpg
▲後部(非機関側)のバッファービーム。前部もそうだが、中央螺旋連環連結器の根本に四角い座金があり、これは恐らく前回復元時付加したと思われる。元来あるはずのないものだから、今回組立時には是非撤去してほしい。'09.12.7 明治村 P:山田 司
クリックするとポップアップします。

なお、今日も湯口 徹さんによる解説を交えてお送りします。写真解説の文字色が緑の部分は湯口さんによる解説です。

calender_520px.jpg

IMG_6556.jpg
▲取り外されてクレーンで吊り上げられる機関部。軸距5フィート6インチ(約1676㎜)とえらくショーティーな超小型蒸気機関車の趣。'09.12.7 明治村 P:山田 司
クリックするとポップアップします。

2011(平成23)年春のオープンを予定している「JR東海博物館(仮称)」(アーカイブ「JR東海博物館(仮称)展示車輌を発表」参照)への展示車輌の搬出が開始されました。第一弾となったのは明治村に保存されている蒸気動車キハ6401で、去る12月7日(月曜日)朝からJR東海名古屋工場への大掛かりな搬送が行われました。

IMG_6457.jpg
▲ボイラーの焚口(左右にスライドして開く)とその開閉レバーがよく分かる。'09.12.7 明治村 P:山田 司
クリックするとポップアップします。

キハ6401(もとジハ6006)は1912(大正元)年汽車会社製。“キハ”を名乗るものの内燃動車にあらず、内燃機関ではなく外燃機関=蒸気機関を動力とする旅客車です。とても現代的感覚では理解できないシロモノですが、ひと言で言えば、ボギー客車の片側の台車が蒸気機関車となっているわけです。

IMG_6463.jpg明治村に保存されているキハ6401は、戦時中の1944(昭和19)年に名古屋鉄道が当時非電化の蒲郡線に投入する目的で国鉄(鉄道省)から払い下げを受けたものの、結局使いものにならず終戦後の1948(昭和23)年に廃車、その後、犬山遊園で展示されていました。しかし、現存唯一の蒸気動車であることから1962(昭和37)年に鉄道記念物に指定され、翌年、国鉄名古屋工場においてバッファーや螺旋連環連結器に復元し、塗装も赤帯を復活させるなど大規模な修復・復元工事が施工されました。こののち、一時は犬山遊園に戻されたものの、1967(昭和42)年以降は明治村に保存場所を移して展示されていたものです。
▲水槽側面に付けられた汽車会社の立派な銘板。'09.12.7 明治村 P:山田 司
クリックするとポップアップします。

IMG_6474.jpgIMG_6476.jpg
▲外した機関側バッファービーム。バッファーと連結器は名古屋工場での復元に際し、最後まで螺旋連環式を使っていた淡路鉄道から譲り受けたものの由。上部煙突(途中の継ぎ目を外し上へ抜く)のツバは雨防ぎだが、少しきつい雨なら機関室内に降り込んだことだろう。'09.12.7 明治村 P:山田 司
クリックするとポップアップします。

IMG_6669.jpg
▲吊り上げ作業中の車体部。形式図によれば、バッファー間全長49フィート6インチ(約15m)、定員80人(うち座席38人)、自重23.75t。'09.12.7 明治村 P:山田 司
クリックするとポップアップします。

今回の搬出作業は現存唯一の蒸気動車を分解、移送するとあって、その構造をつぶさに目にすることのできるまたとない機会です。明治村での搬出から深夜の名古屋工場到着までを、地元の山田 司さんに撮影していただきましたので、その様子を詳しくお伝えしてみることにいたしましょう。
なお、RMライブラリー『日本の蒸気動車』(上下巻)で今年の島秀雄記念優秀著作賞を受賞(アーカイブ「島秀雄記念優秀著作賞を受賞」参照)した蒸気動車研究の第一人者・湯口 徹さんには簡単な解説をお願いいたしました。写真解説の文字色が緑の部分は湯口さんによる解説です。

IMG_6632.jpgIMG_6630.jpg
▲左:付随台車内側軸の車軸発電機用プーリーが分かる。右:下から見上げた台枠、床で、縦根太が木の角材であることが理解できよう。'09.12.7 明治村 P:山田 司
クリックするとポップアップします。

IMG_6549.jpgIMG_6553.jpg
▲付随台車。ホイルベース7フィートのイコライザー式で、TR10系と大同小異である。足元のレールが双頭式であるのに注意。大正末期か昭和になっての改造で、端梁の一部を欠きとり、補強している。( 『日本の蒸気動車』下18頁中国鉄道キハ1、2竣功図参照)'09.12.7 明治村 P:山田 司
クリックするとポップアップします。

meijimurakiha6401.jpg
▲名古屋工場で修復、犬山遊園に搬入されて間もない頃のキハ6401。1967(昭和42)年には明治村に移設されている。P:三谷烈弌
クリックするとポップアップします。

calender_520px.jpg

E5系新幹線東京へ。

091211n001.jpg
▲初めて東京駅に姿を現した東北新幹線E5系量産先行試作車。その特徴あるロングノーズがホームに居合わせた人びとの注目を浴びていた。'09.12.9 東京 P:濱田昂之さん (「今日の一枚」より)
クリックするとポップアップします。

2010(平成22)年12月に予定されている東北新幹線全線開業(八戸~新青森間開業)に向け、いよいよ本格的な胎動が始まりました。今週9日からは“アローライン”と呼ばれるロングノーズの先頭形状が大きな特徴のE5系量産先行試作車(10輌編成)が初めて東京駅まで試験走行を行ない、大きな注目を集めました。

091211n002.jpg
▲大宮を越えて初めて東京都心へと進むE5系試運転列車。現在は8M2Tの10輌編成。'09.12.9 大宮―上野 P:菅野照晃さん (「今日の一枚」より)
クリックするとポップアップします。

すっかり日の暮れた20番線ホームに姿を現したE5系は、通勤客の注目の中、停止位置やドア位置など、開業に向けた確認作業を行ない、翌10日も東京駅に姿を見せています。

091211n004.jpg091211n003.jpg
▲東京乗り入れ2日目。「つばさ」と顔を合わせる(左)。右はホーム縁石にマーキングされたE5系のドア位置。'09.12.10 東京 P:宇佐美康貴さん(2枚とも) (「今日の一枚」より)
クリックするとポップアップします。

既報の通り(アーカイブ「E5系量産先行車を公開」参照)、このE5系は東北新幹線全線開業時ではなく数ヶ月後の2011(平成23)年春から東京~新青森間に投入され、この時点で注目の「スーパーグリーン車」(アーカイブ「新型“はやて”(E5系)に“スーパーグリーン車”」参照)が編成に組み込まれる予定です。なお、2010年度の全線開業時には300km/h運転で東京~新青森間を最短3時間10分で結ぶ予定ですが、開業2年後の2012年度にはわが国最高速となる320km/h運転を開始、同区間の所要時間は最短3時間5分程度にまで縮められる計画です。

091211hachinohemap.jpgところで、この東北新幹線八戸~新青森間(約82㎞)開業をもって、並行在来線となる東北本線八戸~青森間(96㎞)を廃止する旨、JR東日本が国土交通省に届け出ました。これによって、新幹線開業後の同区間は第三セクターの青い森鉄道が引き継ぐこととなりますが、現在同区間で運転されている特急「スーパー白鳥」、「白鳥」(ともに八戸~函館間)、特急「つがる」(八戸~弘前間)は消滅してしまいます。もちろん寝台特急「北斗星」、「カシオペア」や貨物列車は、青い森鉄道となった線路をこれまでどおりに通過するかたちとなります。なお、八戸線、大湊線については、前者は新幹線とは接続するものの、後者は他JR線とまったく接続しない、第三セクターから分岐するJR線というこれまでに類例を見ない存在となります。
▲東北新幹線新青森開業時の八戸~青森間概略図 (編集部作成)
クリックするとポップアップします。

calender_520px.jpg

091210n001.jpg
▲広島支社管内で運行されている在来線電車の新しい「濃黄色」塗色のイメージ図。 (JR西日本提供)

クリックするとポップアップします。

JR西日本は昨日(12月9日)、広島支社管内の電車・気動車の塗色を全面的に変更すると発表しました。「地域色を表現した上で、統一性を持たせ」、「シンプルなデザインとすることで、地域色をより強調」するためだそうですが、両車種ともに単色塗装となるわけで、これまで見慣れた在来線の光景が一変することになります。

091210n021.jpg
対象となるのは、電車では103系、105系、113系、115系、117系、123系、気動車ではキハ40、キハ47、キハ48形で、注目の塗色は、電車は「濃黄色」、気動車が「朱色」。濃黄色は「瀬戸内地方の豊かな海に反射する陽光をイメージ」したものだそうで、黄色というよりは黄土色に近い色味でしょうか。いっぽうの気動車は「新製当時の朱色で統一を図る」としており、朱色5号、つまり首都圏色(いわゆるタラコ)が復活するものと思われます。

091210n002.jpg
▲広島支社のキハ40系気動車の塗色は「朱色」に統一される。(図はキハ40系ではなく、あくまで塗色のイメージ) (JR西日本提供)
クリックするとポップアップします。

注目の施工時期ですが、この年末以降、順次塗色変更が始まり、地元の新聞報道によれば約8年をかけて全車が“新塗色”に塗り替えられる予定だそうです。なお、観光コンセプトと一体化している「瀬戸内マリンビュー」、「みすゞ潮彩号」は対象外とアナウンスされています。

waga_jnr003b.jpg

走り始めた「セントラム」。

091209n01n.jpg
▲国際会議場前電停に停車中の銀の9002号。富山城址に建つ模擬天守(富山市郷土博物館)をバックに撮影できるこの付近は、新たらしい「お立ち台」になりそうだ。'09.12.5 国際会議場前 P:高橋一嘉
クリックするとポップアップします。

先日も富山ライトレール「ポートラム」の近況をお伝えしましたが(アーカイブ「2年ぶりの富山ライトレール」参照)、今月23日には富山駅と市内中心部を循環する市内電車環状線「セントラム」がいよいよ開業します。これに向け、今月2日からは日中の習熟運転が開始され、市民やファンの注目の的となっています。先週末、編集部の高橋一嘉君が個人的に現地を訪ねたそうですので、タイムリーな報告をしてもらうことにいたしましょう。

091209n02an.jpg091209n02bn.jpg
▲環状線では常に先頭に立つセントラム9003号のA車体(右)。扉の横には所有者の富山市と、運行する富山地方鉄道の両者の英語表記がデザインされている。左はB車体。環状線用に新造された9001~9003号は将来乗り入れることになる富山ライトレールの0600形と同型の超低床電車で、9001から順に白、銀、黒の単色でまとめられている。'09.12.5 大手モール-グランドプラザ前 P:高橋一嘉
クリックするとポップアップします。

091209nmapn.jpgこの市内電車環状線は従来の富山地方鉄道が運行する軌道線の路線に、富山市が建設する新路線を組み合わせて環状線を形成するもので、富山駅と県庁、富山城址、国際会議場、そして市内の中心的な繁華街である総曲輪(そうがわ)地区をリンクする一周3.4km、所要時間約20分の行程です。運行は富山駅前→丸の内→荒町→富山駅前の反時計回りのみで、朝夕は20分、昼間10分間隔での運転を予定。運賃は既存の市内軌道線と同じく200円均一で、南富山および大学前方面とは追加運賃なしで乗り換え券による乗り換えができます。
▲市内電車環状線のルート概略図。(編集部作成)
クリックするとポップアップします。

091209n03n.jpg
▲一番町交差店を行く白い9001号。この平和通り上の区間は1973(昭和48)年まで地鉄軌道線の西部線で走っていた区間で、今回36年ぶりの路面電車「復活」となる。'09.12.5 大手モール-グランドプラザ前 P:高橋一嘉
クリックするとポップアップします。

今回新設される路線は丸ノ内~西町間の「富山都心線」940m(単線)で、途中に「国際会議場前」、「大手モール」、「グランドプラザ前」の3電停が新設されます。簡単に言うと、既存の市内軌道線が走っている東・西・北の3辺に、南の一辺が加わる形になります。この富山都心線の軌道・電停などの施設、さらに環状線用として新造される車輌3編成は富山市が所有し、これらを富山地方鉄道が借り受ける形で、既存の軌道線と一体で運営されます。

091209n04n.jpg091209n05n.jpg
▲地鉄軌道線の基地である南富山車庫も、セントラムの受け入れに際して建屋の増築など改修工事が進んでいる(左)。南富山車庫(踏切より撮影)/美しく整備された大手モールに続く富山都心線の線路(右)。正面が大手モール電停。歴史的に見れば線路は富山城の大手門(があった場所)を潜り抜けていることになる。'09.12.5 大手モール付近 P:高橋一嘉
クリックするとポップアップします。

ちなみに丸ノ内~西町間には、ルートは異なるものの1973(昭和48)年まで地鉄軌道線の西部線があり、今回開業する富山都心線のうち、大手モール付近から西町までの平和通り上の区間は36年の時を隔てて路面電車が「復活」することになります。

091209nyobi06n.jpg
▲師走の到来を感じさせる新巻鮭を横目に真新しい「セントラム」が行く。'09.12.5 大手モール-グランドプラザ前 P:高橋一嘉
クリックするとポップアップします。

この市内電車環状線「セントラム」は今月23日に開業式典や撮影会、無料試乗会が行われ、翌24日から通常運行(平日:79本、土休日:80本)が開始されます。開業時の段階では既存の運行系統に環状線が加わった形ですが、ご存知の通り、富山駅高架化完成時には富山ライトレールと地鉄軌道線の直通運転も予定されており、その完成の折にはこの環状線を核として、運転系統も大きな変化を遂げることになるのではないでしょうか。

waga_jnr003b.jpg

祝! C61 20復活決定。

1972.8.6n091208.jpg
▲日豊本線で活躍していた晩年のC61 20号機。九州に転じてからの稼動は2年ほどだった。'72.8.6 日豊本線佐土原 P:古澤成博 (『わが国鉄時代』vol.3より)
クリックするとポップアップします。

本日、12月8日14時からのJR東日本の定例社長会見において、C61 20号機の動態復活が正式に発表されました。C62 3号機が火を落としてから14年、日本の鉄路に再び“ハドソン”の煙が戻ってくるのです。

09n1208n021.jpg本誌今月号でも詳細をご紹介しているように、C61 20号機は現在、群馬県伊勢崎市の華蔵寺(けぞうじ)公園遊園地に静態保存中です(アーカイブ「話題のC61 20号機を見る」参照)。財団法人伊勢崎市公共施設公社の手によって手厚く保守されてきたため、保存状態はきわめて良く、欠品部品もほとんど見受けられません。現在、同機はこの入園無料の大遊園地ののりものゾーンとも言える遊戯物エリアの奥に保存されています。
▲伊勢崎市華蔵寺公園で保存されている現在の状態。東北時代を偲ばせるスノープラウも装着されている。'09.7.21 P:名取紀之
クリックするとポップアップします。

JR東日本の発表では、「今回、より多くのお客さまにSLの旅を体験していただくとともに、鉄道の産業遺産である蒸気機関車を後世に伝えることを目的として、新たにC61形蒸気機関車を復元します」と前置きしたうえで、注目の復活時期は再来年2011(平成23)年春以降としています。

asahara_C6120_2n.jpg
asahara_C6120_3n.jpg
▲東北本線で客車列車を牽引するC61 20号機。特急牽引の任にもあたった仙台時代が、20号機にとっては最も栄華に満ちた時代だったといえる。'68.1 東北本線厨川-滝沢 P:浅原信彦
クリックするとポップアップします。

注目の配置区所ですが、D51 498号機と同じく高崎車両センター高崎支所となるようで、リリースでも「復元後は、主として高崎エリア(高崎~水上、高崎~横川)で運行します」と発表されています。D51 498号機とあわせて、毎週末及び繁忙期など年間110日程度、蒸気機関車がこの区間を運行することになるとされていますが、東北本線、常磐線、奥羽本線といった東北地方の幹線での活躍が最も記憶に残るC61 20号機だけに、各地への“出張”にもぜひ期待したいところです。

c61002n.jpg
▲16時17分、水上発上野行きの746列車を牽いて高崎駅を発車するC61 7〔尾〕。7号機はこののち白河機関区を経て青森に転じ、1968(昭和43)年に廃車となっている。'51.8.14 高崎線高崎 P:田部井康修
クリックするとポップアップします。

また、さらに嬉しいのはこのC61 20号機の動態復元とあわせて旧型客車7輌の整備も発表されたことです。この旧型客車も「各地で開催されるイベントや新たな旅行商品などとして使用できるように」するそうですから、C61の牽く旧型客車7輌などという迫力ある編成も、あながち夢ではなさそうです。

c61004n.jpg
▲駐留軍専用客車を牽いて高崎を出る誕生わずか一年後の尾久機関区のC61 18。後ろに続く客車は白帯に“ALLIED FORCES SECTION”の標記があるスロフ730〔東ヲク〕。'50.10.1 高崎線高崎 P:田部井康修
クリックするとポップアップします。

ちなみに、高崎とは縁がなさそうに思えるC61ですが、実は上野~高崎間での運用に就いていた時期もありました。尾久機関区時代の仕業で、その“証拠”ともいえる写真を田部井康修さんからお借りしましたので、お目にかけることにいたしましょう。残念ながら20号機は尾久、宇都宮、水戸といった関東圏のC61配置区に在籍したことがありませんから、貸し出しでもない限り、恐らく高崎の地を踏んだことはないはずですが、僚機の高崎での活躍を見ながら、「2011年春以降」に思いを馳せたいと思います。

c61001n.jpg
▲高崎駅構内で待機する一番違いの僚機C61 19〔尾〕。同じ三菱三原製で製造年月日も3日早く、製造番号も連番の兄貴分。こののち、白河区、盛岡区、仙台区、青森区と転じ、20号機と一緒に宮崎区へと渡った。現在でも鹿児島県国分市城山公園で保存されている。'51.3.31 高崎 P:田部井康修
クリックするとポップアップします。

最後にもう一度C61 20号機のこれまでの足取りをおさらいしてみましょう。

1949(昭和24)年7月31日竣功(三菱重工業三原工場製番659)。
   ※ボイラはD51 1094(1944年日車)のもの
1949(昭和24)年8月30日青森機関区に新製配置
1950(昭和25)年1月18日仙台機関区に転属
1966(昭和41)年12月14日青森機関区に転属
1969(昭和44)年9月12日土崎工場全検出場
1971(昭和46)年9月15日宮崎機関区に転属
1973(昭和48)年8月28日休車
1973(昭和48)年11月18日付け「工車976号」をもって廃車決済
1974(昭和49)年1月より群馬県伊勢崎市華蔵寺公園遊園地に保存展示


waga_jnr003b.jpg

さようなら207系900番代。

091207n001.jpg
▲207系900番代の引退に伴いツアー形式で撮影会が実施された。この日をもって同車の地味な23年間の活躍に幕が下ろされた。'09.12.5 松戸車両センター P:岡田誠一
クリックするとポップアップします。

国鉄で初めてVVVFインバータ(可変電圧可変周波数)制御を実用化した207系900番代がこのたび現役を引退しました。JR東日本ではこの引退を受けて「ありがとう207系の旅」というツアーを企画、先週土曜日(12月5日)にさようなら運転と撮影会を実施しましたが、11月20日14時から「えきネット」限定で発売したものの、約20分で売り切れになるなど人気は想像を超えるものとなったようです。

091207n005.jpg207系900番代は常磐緩行線(綾瀬~取手)と営団地下鉄(現東京メトロ)千代田線の相互乗り入れ用として、1986(昭和61)年11月に川崎重工と東急車輛により10輌編成1本のみが製造された、国鉄として最初で最後の営業用VVVFインバータ制御電車です。これまでの技術開発の成果を生かすことを目的として、その効果が十分に期待できる、常磐線から地下鉄千代田線への乗り入れ用に充当されることとなりました。あくまでも203系の増備車との位置づけから基本的な性能もこれに合わせられましたが、車体は205系に準じた軽量ステンレス製車体が採用されました。もちろん、前面中央部に非常用の貫通扉が設けられたスタイルとしたため雰囲気はかなり異なったものとなりました。
▲「ありがとう207系」のヘッドマークは川崎重工出場時の公式試運転時に付けていたものを意識したデザインであった。'09.12.5 松戸車両センター P:岡田誠一
クリックするとポップアップします。

091207n003.jpg
▲小雨の降る中、E233系、209系、203系、E231系に見守られながら花道を飾った。'09.12.5 松戸車両センター P:岡田誠一
クリックするとポップアップします。

車体腰部のカラー帯は常磐線のラインカラーである青緑1号(エメラルドグリーン)の塩ビ製のカラーフィルムが貼られています。当初JNRマークは前面が白色1号、側面が青20号でしたが、分割民営化後に前面はJRマークとなり、側面のものは消されて両先頭車の戸袋部にJRマークが貼付されています。

091207n000.jpg1986(昭和61)年12月29日に営業運転が開始されたものの、結局、試作車1本のみで量産車は作られませんでした。以後二十年以上にわたって松戸電車区(松戸車両センター)を離れることなく活躍を続け、希少な車種としてファンの注目を浴びていましたが、特殊な機器が多く、なおかつ交換部品の確保も難しいため、このたびE233系2000番代へ置き換えることになったものです。ちなみに、JR西日本の207系は全く異なるコンセプトで製造されたもので同系列ではなく、当時ファンの間では、この東西異なる同系列名並存が、分割民営化の象徴のように語られたものでした。
▲さようなら運転で配布された記念弁当と乗車記念サボ。ファン垂涎のアイテムである。  '09.12.5 P:小野雄一郎
クリックするとポップアップします。

091207n004.jpg
▲後継車輌たちに見守られて住み慣れた松戸車両センターで有終の美を飾る207系900番代。名残の雨が降り続いていた…。'09.12.5 松戸車両センター P:岡田誠一
クリックするとポップアップします。

12月5日のさようならイベントでは、通いなれた松戸~取手を往復して松戸車両センターに入区、名残の撮影会が行なわれました。残念ながら同編成はこのまま廃車となる模様で、「国鉄」が生んだ最初で最後の営業用VVVFインバータ制御電車は歴史の彼方へと去ってゆくことになります。

waga_jnr003b.jpg

090820n008.jpg

上毛電気鉄道は今。(下)

091205n0440.jpg
▲歴史ある電車庫の前に車齢81歳の電車と80歳の“電関”が待機する。一年前にはまさかこんな光景が見られようとは誰も思ってもみなかったはず…。'09.11.29 大胡
クリックするとポップアップします。

長らく東急長津田車両工場で入換えに従事してきたデキ3021が大胡車庫に搬送されたのが9月25日。その後、上毛電気鉄道の皆さんの献身的な努力によって見事な再塗装が施され、10月18日のお披露目となりました。残念ながらこの一般公開にはうかがえませんでしたので、私が大胡の地でデキ3021と対面するのは今回が初めてです。

091205n0397.jpg
▲下地から丁寧に修復されて再塗装を施されたデキ3021はまるで新製車輌のような輝きを放つ。キャブ側面には上毛電気鉄道の社紋が入れられている。'09.11.29 大胡
クリックするとポップアップします。

デキ3021は1929(昭和4)年川崎車輌製。ということは、1928(昭和3)年、同じ川崎車輌製のデハ101とは一歳違いの弟分ということになります。上毛電気鉄道は開業以来、電気機関車を所有したことはなく、かつて線内で行われていた貨物輸送もすべて電車牽引で行われていましたから、大胡の地に電気機関車が姿を現すのは開業以来のこととなります。

091205n0404.jpgところで、デキ3021が東急線内で活躍する姿を目にした方は少ないのではないでしょうか。本誌今月号で関田克孝さんが「東急電関物語」として東急デキ3021の80年を詳述下さっていますが、東横電鉄初の本格的電気機関車として誕生した同機は、横浜線と接続する菊名駅からの直通貨物授受を主に、昭和30年代まで菊名~田園調布間で定期運用を持っていましたが、1966(昭和41)年の菊名駅改良工事着工とともに運用休止、翌年3月には貨物列車そのものが廃止となってしまったため、以後は夜間の工事列車牽引に従事するのみとなってしまったからです。
▲その面構え。機械室前部に付けられた2基の補助灯は夜間の工事列車用に1965(昭和40)年に追加されたもの。'09.11.29 大胡
クリックするとポップアップします。

1972(昭和47)年の長津田車両工場完成時に同工場の入換専用機となったものの、3年後の1975(昭和50)年12月27日付けで車籍を失って機械扱いとなってしまいました。それでも同工場の重要なシャンターとして、その後30年以上にもわたって活躍することとなるのです。

091205n0390.jpg
▲車輌としての籍はないため本線上での走行はできないが、来年1月3日に予定されているイベントでは大胡車庫構内を初めてデモ走行する予定。'09.11.29 大胡
クリックするとポップアップします。

残念ながら車籍を失っている以上「車輌」としての復活はそう簡単には望めそうにありません。それでも本線と隔離された構内で動かすことは可能で、昨日もお伝えしたとおり、上毛電気鉄道では来年1月3日のイベントでこのデキ3021の初の公開構内運転を予定(→こちら)しております。古澤社長の数々の英断のもと、上毛電気鉄道は北関東のヘリテージ・センターとして、来年も新たな展開を見せてくれるに違いありません。

waga_jnr003b.jpg

090820n008.jpg

上毛電気鉄道は今。(上)

091205n0426.jpg
▲最古参のデハ101と並んだ“最新”のデキ3021。いずれも見事に整備されている。'09.11.29 大胡
クリックするとポップアップします。

東急長津田車両工場で余生を送っていたデキ3021の保存を受け入れ(アーカイブ「東急デキ3021が上毛電気鉄道へ」参照)、自社生え抜き車輌であるデハ101の動態保存とともに俄然注目を集めている上毛電気鉄道ですが、先週の日曜日、東武博物館の花上館長らと大胡車庫を訪れ、同社の古澤社長のご案内でこれらの歴史的車輌をつぶさに拝見することができました。

091205n0312.jpg
▲デハ101は1928(昭和3)年川崎車輌製の16m級両運車で、上毛電気鉄道開業時からの生え抜き車輌。全国的に見ても、現役の鉄道線電車としては最も古い1輌。'09.11.29 大胡
クリックするとポップアップします。

091205n0300.jpg国の登録有形文化財(建造物)に指定されている大胡の電車庫は、木造2線の矩形庫で、プーリーベルトによる古典的な工作室を備えた、まさに歴史的建造物です(アーカイブ「上毛電気鉄道大胡車庫を訪ねる」参照)。去る10月18日にはこの大胡車庫をメイン会場に、デキ3021のお披露目を兼ねた「上毛電鉄感謝フェア」が実施され(アーカイブ「“上毛”のデキ3021」参照)、西桐生会場と合わせて実に7,300人もの来場者が詰め掛けたそうです。同社ではこのようなイベントをはじめ、ファンのみならず沿線利用者の皆さんへのハートフルなアピールをいくつも行っており、現在も大胡駅をLED電球2万8千個で彩る電飾ライトアップを行っています(→こちら)。「手をつなぎたくなる駅、大胡」をデザインコンセプトとしたこのイルミネーションにはデハ101と104もモチーフとして登場、かつては“お荷物”でしかなかった旧型車輌が、ここでも活性化に一役買っています。
▲登録有形文化財となっている電車庫とデハ101。開業時から変わらぬこの光景が“今なお現役”。'09.11.29
クリックするとポップアップします。

091205n0299.jpgさてそのデハ101ですが、昨年秋の全般検査時に客室内をニス塗りに復元するなど大がかりな改修工事がなされました(アーカイブ「80歳を迎え美しくなった上毛デハ101」参照)。定期運用を離脱したのが1997(平成9)年。その後はバラスト散布用の工臨等でしか出番がなく、その去就が注目を集めていただけに、この全検はまさに画期的な英断だったと言えましょう。今回現車を拝見しても、美しく磨き抜かれた車体や客室内からは、自社創業以来の歴史的車輌に敬意を払い護り抜こうという愛情がひしひしと感じられ、見ていて実に清清しい思いでした。
▲ボールドウィンタイプの川崎製KO形台車。現在ではメタル軸受だが、新製当初はローラーベアリングを用いていたという。'09.11.29
クリックするとポップアップします。

091205n0297.jpg
▲列車区で佇む。さりげないこんな光景の中にも、上毛電気鉄道の長い歴史が滲む。'09.11.29
クリックするとポップアップします。

ところで、上毛電気鉄道では来年1月3日に新春企画として「上毛電鉄イベント」(→こちら)を計画中です。大胡車庫を会場に、デキ3021の構内初走行やデハ101の臨時運行などが予定されています。今からお正月休みの計画に加えてみられてはいかがでしょうか。

waga_jnr003b.jpg

090820n008.jpg

PA120031%5B1%5D.jpg
▲塗装と車体標記を施した完成例。完全なスケールモデルではないが、ヨンサントオ以前は“どこにでもいそう”な国鉄のワム1形/ワム3500形をモチーフとしている。
クリックするとポップアップします。

鉄ホビ・ダイレクト特製品として今年初めに発売し、多くの皆様にご好評をいただきました16番「観音トム」トータルキットに続き、16番の“ちょっと旧めの貨車シリーズ”第2弾として発売した「木造ワム」トータルキットが好評をいただいております。しばらく品薄状態が続いておりましたが、来週には再出荷可能となりますので、この機会に店長のB滝より再度ご案内させていただきたいと思います。

GG6O4659.jpgこの製品は、トム同様に精密ロストワックスで車体を製作したもので、車体の補強リブや細かなパーツ取り付けという面倒な工作を一切省いた構成。屋根板、床板、そしてフレーム材はエッチングおよびプレス加工を行なった真鍮製パーツを使用しています。足廻りのパーツはシュー式軸受、φ10.5のスポーク車輪、ブレーキテコ関連や床下器具パーツなど一切が付属します。パーツ取り付け用の穴あけ+ネジ切り(タップ立て)とハンダ付け工作はユーザーの皆様に行なっていただく必要がありますが、手馴れた方でしたら半日もあれば完成に持ち込んでいただける貨車のキットです(軸受の取り付け穴を調整していただくと、13mmゲージにも対応します)。
▲すでにたいへんな好評をいただいている「観音トム」。やはりヨンサントオ以前の、ことに地方鉄道のシーンには欠かせない仲間。
クリックするとポップアップします。

GG6O3591%5B1%5D.jpg
▲「木造ワム」トータルキットの構成内容。車体側板と妻板はロストワックス一体となっており、工作性はすこぶる良い。
クリックするとポップアップします。

製品のプロトタイプは国鉄のワム1形/ワム3500形で、車体補強無し、鋼製貨物ドアの極めてプレーンなスタイルを再現いたしました。ヨンサントオまでの国鉄貨物列車編成に混ぜていただければ雰囲気の良い列車が蘇ります。またヨンサントオ以降とする場合は車体に黄色の帯びを巻いた「ロ車」としていただくか、救援車や工作車などの事業用となった仲間とするのも一興。加えて私鉄に払い下げられた仲間や、国鉄木造ワムの設計を流用して誕生した私鉄貨車とすることも出来ます。

GG6O3569%5B1%5D.jpg
▲いわゆる“素組み”未塗装状態の「木造ワム」。ブラス製品ならではの輝きがモデラーの心をくすぐる。端梁のバッファー穴もその歩んできた歴史を物語るようで魅力的。
クリックするとポップアップします。

さて、トム、ワムに続く“ちょっと旧めの貨車シリーズ”の次期予定製品も設計、試作が着々と進んでおりますので(思いがけない車種、形式になる予定です)どうぞご期待ください。
鉄ホビ・ダイレクト特製●16番「木造ワム」トータルキット
価格:9,800円(税込)
ホビダスナンバー 51897119

waga_jnr003b.jpg

090820n008.jpg

IMG_0537n.jpg
▲6時19分、上野定時到着。エンド切り替えを終えた先頭部のヘッドマーク。このマークが着雪に覆われる季節も近い。ちなみに、「北陸」の列車名は、1950(昭和25)年11月に日本海縦貫線経由で上野と大阪を結ぶ急行に命名されたのが最初。来年で生誕60年を迎えることとなる。'09.12.2 6:32:23 上野 Canon EOS 7D EF-S15-85㎜ F3.5-5.6 IS USM 1/30 f5 50㎜ ISO800 オートホワイトバランス JPEGラージ
クリックするとポップアップします。

鶯谷の跨線橋でお目当ての「北陸」を撮影後、すぐに京浜東北線南行で上野駅地上ホームへ。14番線に到着した「北陸」はすでにエンド切り替えも終えて尾久への“推回”態勢となっていました。未明とはいえ、ホーム上とあればそれなりに露出もあり、あえてISO6400に拘ることはありませんが、せっかくの機会ですので、何ショットか同一カットをISO感度を変えて撮影してみることにしました。

IMG_0533n.jpgIMG_0534n.jpg
▲上野14番線に到着した「北陸」をISO6400(左)とISO800(右)で撮り比べ。ノイズリダクション機能が標準設定でもほとんど遜色ない画質を得られる。'09.12.2 6:31:28 上野 左:Canon EOS 7D EF-S15-85㎜ F3.5-5.6 IS USM 1/100 f5.6 61㎜ ISO6400 オートホワイトバランス JPEGラージ/右:ISO800
クリックするとポップアップします。

ISO感度は軍艦部のISO感度設定/ストロボ調光補正ボタンとメイン電子ダイヤルを使って手軽に変更が可能。試写結果は最大10倍までの拡大ズーム機能を持つ液晶モニターで瞬時に確認することもできますが、慌しい現場では落ち着いて検証することもできませんので、帰社後、パソコンの画像処理ソフトを使って仔細に検討してみました。

IMG_0554n.jpg
▲「2022列車トウサンバン接近」…上野駅13番線に何十年と変わらぬ節回しの業務放送が流れる。青森から長駆12時間50分、特急「あけぼの」の今日のラストランナーは茶色の37号機。'09.12.2 6:54:36 上野 Canon EOS 7D EF-S15-85㎜ F3.5-5.6 IS USM 1/125 f5.6 85㎜ ISO3200 オートホワイトバランス JPEGラージ
クリックするとポップアップします。

EF57n75.11.7.jpg
▲34年前の同シーン。宇都宮のEF57 11を先頭に到着するのは102列車急行「八甲田」。'75.11.7 上野 Canon Flex FL85㎜ F1.8 トライXパン
クリックするとポップアップします。

カスタムファンクションの「高感度撮影時のノイズ低減」は「標準」設定(ほかに「弱め」「強め」「しない」が選択可能)のままでしたが、ISO6400では拡大すると多少ザラつきが気になるものの、ISO3200ではほとんど気づかない程度で、そのポテンシャルの高さにはあらためて脱帽です。もちろんハイエンド機種ではすでに実現されているスペックではありますが、より身近なEOS 7Dだけに、そのありがたさもひとしおと言えましょう。

IMG_0574n.jpgさて、14番線の「北陸」が“推回”で去っていった二十数分後、今度は13番線に青森からの寝台特急「あけぼの」が到着します。すでに露出はEV6程度まで改善してきているものの、銀塩であればISO400のフィルムで1/60のf2.8といったところでしょうか。いくら入線時とはいえ、動態ブレを考えると最低でも1/125は切りたいところで、ISO3200を選択しました。
▲「あけぼの」のテールサインを狙う。ISO3200設定でかなり余裕をもったシャッタースピードが得られた。'09.12.2 6:57:11 上野 Canon EOS 7D EF-S15-85㎜ F3.5-5.6 IS USM 1/40 f5.6 85㎜ ISO3200 オートホワイトバランス JPEGラージ
クリックするとポップアップします。

実はこの13番線進入は昔から幾度となく狙ってきたお気に入りのシーンで、34年前に撮ったEF57が牽く急行「八甲田」は『感動の所在地』でも使用しています。あらためて現場に立ってみると、出発や入信の位置はもとより、支柱の番号までもが変わっておらず、激しく変貌を遂げてきた都心の駅にあって、そのワンシーンだけが奇跡のようにも思えてきます。「う?えの~、うえの~」という独特の抑揚の到着アナウンスを耳にしながら、そろそろ高感度撮影の時間も終わろうとしていました。

IMG_0615n.jpg
▲長岡のEF64 37は人気の“茶ガマ”。13番線の頭端部は案内表示板があって正面写真が撮りにくい。そこでライブビュー機能と水準器機能を利用して、EOS 7Dを頭上に掲げて撮影した一枚。'09.12.2 7:09:01 上野 Canon EOS 7D EF-S15-85㎜ F3.5-5.6 IS USM 1/10 f5.6 63㎜ ISO800 オートホワイトバランス JPEGラージ
クリックするとポップアップします。

思えばパンドール(増感現像液)でトライXをASA(!)1600に上げるのが精一杯だった私たちの世代にとって、ISO6400など想像を超越した世界です。もしあの時にEOS 7Dがあれば、あのシーン、あの場面も記録できたのにと思うのは詮無いことでしかありません。それよりも、昔からこの世界で言われてきた「早起きは3本の得」で、高感度撮影を手軽にできるありがたさを実感したいものです。

waga_jnr003b.jpg

090820n008.jpg

IMG_0514n.jpg
▲払暁の静寂を衝いて上野14番線へと下り込んでゆく特急「北陸」。金沢から夜の帳の中を走り続けた8時間1分の旅が間もなく終わる。なお、実際はほとんど暗闇状態で、肉眼ではとてもこんな風には見えてはいない。'09.12.2 6:16:33 鶯谷 Canon EOS 7D EF-S15-85㎜ F3.5-5.6 IS USM 1/50 f4.5 32㎜ ISO6400 オートホワイトバランス JPEGラージ
クリックするとポップアップします。

キヤノンEOS 7Dが手もとに来て2ヶ月あまり、一度試してみたいと思っていたのが、同機が誇る高感度画質です。カメラ専門誌のレポートではISO6400でも充分実用になるポテンシャルと評されており、額面どおりに受け取れば、厳しい露出条件での撮影が多い鉄道写真にとってはまたとない福音です。

IMG_0473n.jpg高感度撮影となれば、ひと月前であれば東京駅に出入りする500系新幹線の夜景も狙いどころだったのでしょうが、今となってはそれもかなわぬこと。そこで白羽の矢を立てたのが未明に上野駅に到着する夜行列車群です。金沢からの612M急行「能登」が6時05分、同じく金沢からの3012レ特急「北陸」が6時19分、そして青森からの2022レ特急「あけぼの」が6時58分上野着と、いずれもこの季節には手強い相手です。しかも今日12月2日の東京地方の「日の出」は6時33分、「能登」と「北陸」は完全に日の出前の到着となります。
▲「能登」の通過はほぼ6時。月明かりもなく、条件はかなり厳しい。「こだま」以来の伝統の3灯前照灯は遥か遠くからでもその存在を主張する。'09.12.2 6:01:15 鶯谷 Canon EOS 7D EF-S15-85㎜ F3.5-5.6 IS USM 1/15 f5.6 73㎜ ISO6400 オートホワイトバランス JPEGラージ
クリックするとポップアップします。

IMG_0494n.jpg
▲「能登」と「北陸」の間に思わぬ珍客も登場。軌道総合試験車E491系“East i-E”だ。'09.12.2 6:10:36鶯谷 Canon EOS 7D EF-S15-85㎜ F3.5-5.6 IS USM 1/40 f5 50㎜ ISO6400 オートホワイトバランス JPEGラージ
クリックするとポップアップします。

最初の撮影地となる鶯谷駅に到着したのは5時41分。天気予報によれば今日は快晴。ちょうど満月とあって、自宅を出る頃は月明かりが煌々と照らし、これならば…と期待しながらホームに降り立ったものの、辺りはえっと驚くほどの暗闇ではないですか。それもそのはず、今日の「月の入り」は6時18分で、「能登」と「北陸」の到着時間帯は「月の入り」と「日の出」に挟まれたまさに魔の時間帯だったのです。試しに手持ちの単独露出計で計測してみるとEV値はなんと「1」。理論値ではf1.4で1秒(ISO100)相当ですが、現実的には“写らない”世界です。

IMG_0523n.jpgJR東日本のモバイルサイトで運行情報を確認すると、上野到着の夜行列車は各列車とも定時運行。「能登」通過直前にはようやくEV値も「2」近くまで改善したものの、あいかわらず“闇夜の烏”状態は続いています。鶯谷駅跨線橋上の気温は8℃、北北西の風1mと、幸いにして12月にしてはそれほど寒くはないものの、ISO6400に設定したとしても果たしてこの条件下で写るのか…まずは試し撮りです。
▲鶯谷の跨線橋は頭端式ホームの上野から尾久へと戻る回送も狙えて二度おいしい。営業列車「能登」が通過してからちょうど20分後、回送となった「能登」が戻ってきた。この時分になると露光条件もかなり改善されてくる。'09.12.2 6:21:43 鶯谷 Canon EOS 7D EF-S15-85㎜ F3.5-5.6 IS USM 1/125 f5.6 85㎜ ISO6400 オートホワイトバランス JPEGラージ
クリックするとポップアップします。

ISO感度を6400に設定、プログラムオートでファインダーをのぞいてみると、モニター上の表示は1/4開放。さすがに厳しい値です。それでも前照灯などの照度が加われば多少スペックが好転すると期待して待つことにしました。

IMG_0500n.jpg
▲ようやく夜が明ける。太陽こそまだ姿を見せないものの、すっかり明るくなった空の下、今日も都会の一日が始まる。'09.12.2 鶯谷
クリックするとポップアップします。

果たして結果は冒頭でご覧のとおり。シャッタースピードは1/15まで持ち直したものの、流し撮りに頼らざるをえませんでした。14分差で雁行して来る「北陸」ではかなり条件が改善され、やはり流し撮りとなってしまったものの、こちらは一見昼間のような明るさに…。実際はまだまだ日の出前の闇の中だったわけですから、まさにISO6400の実力や恐るべしです。

waga_jnr003b.jpg

090820n008.jpg

091201nn0250.jpg
▲C58 363号機の機関士席で至福の時間を過ごす前原さん。詰めかけた報道陣のリクエストに応えて汽笛を鳴らしたものの「本職のように良い音では鳴らせません」。'09.11.28 三峰口
クリックするとポップアップします。

またとない秋晴れの空の下、波久礼-樋口間で「門デフC58」を堪能した前原さんは、ふたたびSPに護られながら三峰口駅へ。三峰口ではテレビ・新聞等のプレス対応の囲み取材が予定されており、車列は国道140号線の秩父市内の混雑を避けて荒川左岸を武州日野駅へと向かいましたが、幸いなことに5001レを追い抜くことができ、急遽、武州日野駅で予定になかった撮影を行なうこととなりました。

091201n0224.jpg091201n0225.jpg
▲三峰口に到着した前原さんは駅長室でナッパ服に着替えてC58のもとへ。すでに駅前には大臣をひと目見ようとする人垣が…。'09.11.28 三峰口
クリックするとポップアップします。

波久礼の撮影地で「今日はワンチャンスですから…」とちょっと寂しそうにおっしゃっておられた前原さんにとっては、願ってもないシャッターチャンスとなったようです。

091201n0228.jpg5001レの到着を追いかけるように三峰口駅に到着した前原さんは、まずはナッパ服に着替えるために駅長室へ。すでに駅周辺にはテレビ中継車やプレス関係車輌がびっしりと停まっており、駅前は大臣の姿をひと目見ようとする地元の皆さんで黒山の人だかりとなっていました。真新しいナッパ服に着替えた前原さんは、さっそくC58のキャブへ。機関士席からプレスの囲み取材に応えようというわけです。
▲いざ転車台へ。わずかな区間ながら、憧れの添乗にご満悦の様子。'09.11.28 三峰口
クリックするとポップアップします。

091201n021n.jpg
▲たくさんの報道陣に囲まれる機関士席の前原さん。こののち転車台へ、さらにホームへとプレス関係者もC58を追って構内を右往左往…。'09.11.28 三峰口 P:武田忠雄
クリックするとポップアップします。

テレビ・新聞関係の記者さんからの質問は、私たち専門誌からみると「?」なものが多く、機関士席に座った前原さんからは「C58のCはどういう意味か知っていますか」と逆質問が投げかけられる場面も…。それでも「ご自分を蒸気機関車に例えると何形ですか?」という女性記者の質問に、「一番好きなのはC55、C57ですが、スタイルが良いC型機よりも、スピードは遅くともしっかり粘着をとって確実に重量物を牽引してゆくD型機になることが政治家には大切です」と応じられていたのが印象的でした。

091201n0268.jpg
▲前原さん一行は三峰口駅から秩父駅まで5002レに乗車。名残の「門デフ」を掲げて軽快に下りこむC58 363号機。'09.11.28 武州日野-武州中川
クリックするとポップアップします。

昼食をとる間もなく慌しくプレス取材を終えられた前原さんは、三峰口駅から5002レで秩父駅へ。到着後は秩父まつり会館を訪れ、12月3日に迫った秩父夜祭(2日宵宮、3日大祭)の笠鉾と屋台の山車を見学、そののち秩父神社を参拝されて、分刻みの視察日程を終えられました。

capture_520px.jpg
▲上の画像をクリックすると動画(再生時間 0分51秒)がご覧になれます。
※音声付きですので、再生の前に周囲の環境にご配慮ください。なお、MACでは再生できない場合があります。

わずかな時間ではありましたが、ほんとうにひさしぶりの“線路端”で、愛機のシャッターを切り、石炭の匂いを嗅ぎ、超多忙な前原さん、いや国土交通大臣も多少なりともリフレッシュされたのではないでしょうか。

waga_jnr003b.jpg

090820n008.jpg

レイル・マガジン

2009年12月   

    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31    
「編集長敬白」が携帯電話でもご覧になれます。下記アドレスもしくはQRコードを読み取ってアクセスしてください。
http://rail.hobidas.com/blog/
natori/m/

ネコ・パブリッシングCopyright © 2005-2016 NEKO PUBLISHING CO.,LTD. All right reserved.