鉄道ホビダス

2009年10月アーカイブ

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▲Stonehenge Works stationで機回しをするCタンク“DOLL”(Barclay/1919)。手前の一見古そうなダブルルーフ客車は、実はもと国防省のスタンダードゲージの2軸DC(1958年製)だったそうで、英国の北陸重機(?)アランキーフでカットダウンしてこのようなナロー客車に生まれ変わったという変り種。'08.10.26
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ここ数年、この季節になるとやたらと目につくのが“ハロウィン”の装飾です。ジャックランタンと呼ばれるカボチャ提灯が商店街に溢れ、地下コンコースにまで出店が出る有様ですが、クリスマス、バレンタインに続く第三のお菓子商戦を根付かせようという思惑なのか、少々違和感を覚えずにはいられません。

091024nIMGP8271.jpgそんなジャックランタンを見ると思い出すのが、ちょうど一年前、イングランドのレイトン・バザード鉄道の“ハロウィン・スペシャル”です。ロンドン郊外で開催されたエキスポ・ナローゲージ(アーカイブ「EXPO NARROW GAUGEの旅」参照)を訪れた際に足を伸ばしたのですが、実はこの渡英は家内と一緒で、エキスポの方は大英博物館に“リリース”して事なきを得たのですが、続いてレイトン・バザードとなるとそうもいきません。こちらのお目当ては復活を遂げた旧鉄聯のボールドウィン1Cタンク機(778)なのですが、「本物のハロウィンを見に行こう」と甘言を弄して、高速M1を北へと向かいました。
▲Page’s Park stationでハロウィン・スペシャルを見送る地元の魔女(?)。不気味なぬいぐるみをパクパクさせていた。'08.10.26
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▲車内はさぞやデコレーションされて…と思いきや、なんのことはないささやかなモールがぶら下がっているだけ。'08.10.26
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なんでもかんでもキリスト教とひと括りにしてしまう私たち日本人にはわかりませんが、カトリックの諸聖人の祝日「万聖節」(All Hallows=11月1日)の前夜祭を祝う10月31日のハロウィン(Halloween)は、アイルランドやスコットランドでは一般的ですが、イングランドではほとんどその風習がなく、むしろ最近になってアメリカのイベント化したハロウィンが逆流してきたとも言われています。

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▲途中唯一の交換設備Leedon Loopで対向列車と待ち合わせ。対向列車は1915年製Avonside製Bサイドタンク機とDLの重連牽引だった。'08.10.26
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果たしてレイトン・バザードのハロウィンとはどんなものなのか…6年ぶり(アーカイブ「レイトン・バザードの秋」参照)となる起点のPage’s Park駅は、なんら変わることなくひっそりと佇んでいました。それにしても静かです。“ハロウィン・スペシャル”と銘打つだけに、朝からさぞや賑やかなことだろうと想像していたのとは裏腹に、本当に運転日なのかと疑いたくなるような閑散ぶりです。

091024nIMGP8317.jpg訝しく思いながら駅舎に入ってみると、確かに出札窓口には本日ハロウィン・スペシャルの告示が…。狐につままれたような思いで待つこと一時間余り。ようやくそれらしき幽霊風なドレス(spookiest clothes)を着込んだ子どもがお母さんに連れられて待合室に入ってきました。続いて同じような風体の親子も数組。どちらの家族も駅員(ボランティア)とは家族ぐるみの付き合いのようで、世間話に花が咲いています。そのうちに駅事務室から魔女(?)らしき人物が現れ、ようやくそれらしい雰囲気になってきたものの、この魔女(?)もお仲間らしく世間話をぺちゃくちゃ…。結局、ハロウィン・スペシャルの発車時間が近づいても、駅周辺は賑わうというより“村の鎮守様の祭り”に集まってきた近所の人たちの様相です。
▲とにかく徹底して質素。ハロウィン・スペシャルの牽引機“DOLL”の正面も前照灯掛けに小さなジャックランタンが刺さっているだけ…。'08.10.26
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あっけにとられている日本人夫妻に、あなたたちも乗るの?とばかり、ホームの魔女に見送られてハロウィン・スペシャルはPage’s Park駅をあとにしたのです。

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▲Stonehenge Works stationで機回し中の“DOLL”。キャブの軒に蜘蛛の巣を模した小さなデコレーションが吊るされているのが見えるが、これが“specially decorated steam trains”の正体か?。'08.10.26
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とかく華美な装飾と鳴物がないと気がすまなくなっている日本人からすると、なんとも脱力系のハロウィンではありましたが、列車の中で楽しそうに歌っている親子を見ていると、むしろそれこそが本当の原点であることに気づかされもしました。この週末、レイトン・バザードでは、きっとまたあの列車が走るに違いありません。

※明日は不在のため休載させていただきます。

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▲在来車の塗色変更もどんどん進んでいる。寝屋川車庫にずらりと並んだ新塗色車たち。左から6000系6006F、9000系9005F、3000系3001F、8000系8005F、7000系7002F、5000系5557F。'09.10.28 寝屋川車両基地 P:高橋 修
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「開業100周年」という記念すべきアニバーサリーイヤーを来年に控え、中之島線開業や車輌塗色のドラスチックな変更など、なにかと話題の多い京阪電気鉄道ですが、このたび、その中之島線4駅と、同線開業に合わせて就役した新型3000系車輌が「2009年度グッドデザイン賞」をダブル受賞するという栄誉に輝きました。

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▲グッドデザイン賞を受賞した3000系。中之島線開業に合わせて8輌編成6本が就役している。'09.10.28 寝屋川車両基地 P:高橋 修
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3000系は現在、おもに中之島と京都を直通で結ぶ「快速急行」として使用されており、車輌全体の基本デザインコンセプトは、世界的なブランドである京都と、大阪の文化ゾーンである中之島を結ぶという京阪沿線の風土である「文化・風情」の香りに、「現代的感覚」を融合させた「風流の今様」とされています。外観は、「風流の今様」を具体的に表現するため「花鳥風月」、特に月をモチーフとし、フロントフェイスに円弧状のデザインが取り入れられています(アーカイブ「京阪新3000系誕生」参照)。

091029n7091-1000.jpgグッドデザイン賞(Gマーク)を主催する財団法人日本産業デザイン振興会は、この3000系を、「変更できる個所を最大限生かし、デザインテーマを継承しながらダイナミックに変更し新しいイメージを作り出している。インテリアも大胆なテーマを生かしながら細かなところまで行きとどいた造形をしている点は評価に値する」と2009年度の授賞を決定しました。
▲3000系側面の京阪新ロゴとグッドデザイン賞ロゴ。'09.10.28 寝屋川車両基地 P:高橋 修
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091029n7096-1000.jpgいっぽうの中之島線は、昨年10月19日に開業した営業距離約3.0㎞で、建設にあたっては「償還型上下分離方式」が採用され、中之島高速鉄道㈱が施設保有し、京阪電気鉄道㈱が列車運行を担当するという新たなスキームが採用されています(アーカイブ「開業を控えた京阪中之島線を見る」参照)。駅デザインのテーマは「水都大阪のゲートステーションの構築 ―水辺への導入空間― 」。4駅の共通コンセプトとして、川面を流れる「水」を象徴する素材として「ガラス」を、また公園の木々や街路樹などを表現するのに加え、国際都市があるがゆえに求められる「和」の感覚や、「大人の街」中之島を象徴する素材として「木」を用いているのも特徴です。また、各駅のホーム壁には、それぞれの街を代表する素材を使用することで差別化を図り、車窓からの風景を演出しています。
▲ドア横に貼られたグッドデザイン賞ロゴ。'09.10.28 寝屋川車両基地 P:高橋 修
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▲開業100年に向けて新時代の到来をアピールする新塗色車のラインナップ。最奥に在来塗色車が見える。'09.10.28 寝屋川車両基地 P:高橋 修
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財団法人日本産業デザイン振興会はこの中之島線の授賞理由を「中之島線は堂島川と土佐堀川に囲まれた東西3キロ程に、京阪本線からの乗り入れや多くの鉄道との連携により、今後大阪の行政、経済、文化の中心的役割を果たす都市のインフラとして期待されている。川沿いに建つ4つの駅は地上の出入り口部分、そして地下のコンコースから改札、ホームに至る環境はシンプルな表現ながら天然木などを使用して高い質感と表情を出し、景観との調和を達成している。特に煩雑になりがちなサイン、ファニチャー等情報掲出のまとめ方は、機能性もさることながら独自性にも優れ、今後の公共交通のあり方を示唆するものである」としています。

京阪3000系は、鉄道友の会が主催する2009年のローレル賞にも輝き、京阪にとっては開業100年を前にしてこれまた嬉しいダブル受賞となりました。

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話題のC61 20号機を見る。

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▲非公式側キャブ側面のプレート類。最終配置区であった宮崎機関区の区名札の横には三菱重工業昭和24年第659号の製造銘板が残されている。'09.7.21 華蔵寺公園
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今年2月に毎日新聞が「JR東日本が復活を検討」と報じて以来、注目を集めている群馬県伊勢崎市の華蔵寺(けぞうじ)公園遊園地のC61 20号機を見てきました。さすがに“復活”の噂が流れるだけあって、素人目にもその保存状態はきわめて良好に見えます。

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▲保存場所は各種の遊戯物が備わる公園中心部の最奥。小さな腕木式信号機とともに展示されており、管理公社の手によって手厚くメンテナンスされているだけあってその状態はきわめて良好。'09.7.21 華蔵寺公園
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華蔵寺公園遊園地は財団法人伊勢崎市公共施設公社が管理運営する入園料無料の大遊園地で、C61 20号機はのりものゾーンとも言える遊戯物エリアの奥に置かれています。定期的に塗装を含めた保守がされているとのことで、一見した限りでは欠品や欠損品もなく、白羽の矢が立てられるのもわかります。

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▲“ハドソン”の特徴でもある従台車回り。機炭間距離はハドソン3兄弟のうちで最も短く、この角度から見るとキャブとテンダがかなり接近して見える。'09.7.21 華蔵寺公園
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091028n055.jpgあらためてご説明申し上げるまでもなく、C61形はわが国最初の“ハドソン”(2C2)として1947(昭和22)年に誕生しました。戦後の逼迫した輸送需要を背景に、余剰貨物機D51形のボイラを利用してC57形に順じた新製走行部を組み合わせることによって大型旅客機を作り出そうと計画され、動輪上軸重の増大を抑えるために2軸の従台車を採用して2C2機となったものです。並行してD52形のボイラを流用し、C59形同等の走行部を組み合わせてC62が誕生するわけですが、計画当初はC61形が三菱21輌(うち1輌は試作)、日車12輌、汽車13輌の計46輌、C62形が日立21輌(うち1輌は試作)、川崎15輌の計36輌、両形式あわせて総計82輌とされていたそうです(『国鉄時代』vol.19所収 髙木宏之「瓢箪から出た駒 国鉄蒸機の2軸従台車」参照)。結果はご存知のようにC62形が当初計画を上回る49輌となり、その結果C61形が三菱21輌、日車12輌の計33輌(両形式総計は変わらず82輌)となりました。
▲解説看板によると、総走行距離は2,869,889㎞、約地球71周分とのこと。'09.7.21 華蔵寺公園
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▲直径1750㎜の動輪。動輪間軸距1900㎜+1900㎜はC54以降のパシフィック、ハドソン各形式共通のディメンション。'09.7.21 華蔵寺公園
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わが国初となるメカニカル・ストーカー(自動給炭装置)を採用したC61形は、「SL甲組の肖像」でもたびたび言及されるように、優等列車牽引に際してとりわけ乗務員に歓迎されたようで、東北本線では「はつかり」、「はくつる」(仙台~青森間)、奥羽本線では「日本海」(秋田~青森)、鹿児島本線・長崎本線では「はやぶさ」の先頭に立って栄光の時代を築きました。

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▲C61の特徴のひとつであるメカニカル・ストーカー。写真は機炭間の送りネジのケーシング部(左)。南国・宮崎では取り外されていたスノープラウも装備されている(右)。'09.7.21 華蔵寺公園
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20号機は1949(昭和24)年7月31日の竣功(三菱重工業三原工場製番659)。沖田祐作さんの「機関車表」(本誌300号付録)等によれば、ボイラはD51 1094(1944年日車)のもので、同年8月27日に新鶴見操車場を経由して仙台局に配属(達第174号)、8月30日に青森機関区に配置され、翌1950(昭和25)年1月18日に仙台機関区に転属、東北本線(主に仙台~青森間)で使用されたのち、1966(昭和41)年12月14日付けで再び青森機関区に舞い戻り、無煙化直前の奥羽北線で活躍いたしました。1969(昭和44)年9月12日に土崎工場を全検出場、1971(昭和46)年9月15日に遥か宮崎機関区に転じ、これまた無煙化直前の日豊本線で最後の活躍をしたのち、1973(昭和48)年8月28日付けで休車、同年11月18日付け「工車976号」をもって廃車決済されています。

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▲テンダは舟底型の10-17S形を装備する。なお、テンダのナンバープレートは書体も奇妙で、のちに取り替えられたものと思われる。'09.7.21 華蔵寺公園
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6月11日付けの読売新聞(群馬版)は、5月上旬にJR東日本から伊勢崎市に「再利用する場合には返してほしい」旨の打診があった」と写真入りで伝えていますが、果たしてこのC61 20号機の動態復活は“正夢”となるのか、注目です。

■C61 20号機の現役時代の写真を募集します!
このC61 20号機の現役時代の写真を募集します。仙台区時代、青森区時代、宮崎区時代、カラー、モノクロを問いません。11月4日(水曜日)までに「わが国鉄時代」の投稿フォームにお寄せください。郵送でも結構です。

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加賀一の宮…あと4日。

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▲いよいよ終焉の時が近づいてきた。正面には「鶴来←→加賀一の宮FINALRUN」と記されたステッカーが貼られている。'09.10.25 加賀一の宮 P:佐野 徹

本誌今月号誌面でもご紹介している「名残の北陸鉄道加賀一の宮を訪ねる」(→こちら)をご覧になった佐野 徹さんから、廃止がいよいよ目前に迫った加賀一の宮駅を訪ねてきましたと、写真をお送りいただきました。

091027nn%EF%BC%A2.jpg早いもので私が加賀一の宮を訪ねてから一ヶ月あまり、夏の名残を感じた手取川沿いもすっかり秋の装いとなっているようです。石川線鶴来~加賀一の宮間の最終運転は今週土曜日の10月31日、つまり残すところあと4日となってしまいました。
佐野さんのお便りでも、先週末はお名残乗車や撮影の方たちでただならぬ賑わいとなっていたようですが、野町から加賀一の宮まで乗務されていたアテンダントの女性の方の心配りが素晴らしく、たいへん印象に残る訪問となったそうです。
▲加賀一の宮駅に停車中のFINALRUNステッカーを掲出したクハ7212。'09.10.25 加賀一の宮 P:佐野 徹
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▲加賀一の宮駅の改札口には手作りのささやかな飾りが付けられた(左)。また、駅入口には「八十二年間ご利用ありがとうございました」と廃止の公示が掲げられている(右)。'09.10.25 加賀一の宮 P:佐野 徹
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091027nnA.jpgこれまでにもご紹介してきたように、この鶴来~加賀一の宮間は1927(昭和2)年に金名鉄道が開業した区間です。金名鉄道はその壮大な名称が示すように、金沢と名古屋を結ぼうという荒唐無稽とも思える夢を描いていましたが、結局、白山下までの16.8㎞(実際は白山下が起点)を開業するのが精一杯でした。開業2年後鶴来~加賀一の宮間は金沢電気軌道に譲渡され、さらにその後、いわゆる戦時統合で他の石川県内の小私鉄とともに北陸鉄道に統合されて「石川線」の一部となったわけですが、開業から82年を経て、ついに金名連絡の夢の名残が消えてゆくことになります。
▲石川線車内の運賃表の鶴来~加賀一の宮間の表示も今週末で見納め。'09.10.25 加賀一の宮 P:佐野 徹
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▲夕日を全身に浴びて手取川沿いを終点・加賀一の宮へと向かう7701F。この光景もあと4日で永遠に見られなくなってしまう…。'09.9.20 加賀一の宮 P:名取紀之
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最終運転日の10月31日は折りしも土曜日。週末を利用して多くの方が名残の加賀一の宮を訪れるに違いありません。

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▲多くの方に愛され、定期運用最終列車は満員。'09.10.25 御坊―学問 P:早川一茂さん (RMニュースより)

かねてよりその引退が取りざたされていた紀州鉄道の古参気動車キハ603が、昨日ついに最終運行を行ないました。地元紙などでは春頃から引退間近かと報じられていましたが、とりたてて大きな事前発表もないまま、実にひっそりとした最終運行だったようです。

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▲懐かしい白熱灯の客室内。木製の床にエンジン点検蓋、天井の換気扇など、とうの昔に消え去ってしまったはずの光景が残されている。'08.7.20 西御坊
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091026n037.jpgキハ603は大分交通耶馬溪線の生き残りで、1960(昭和35)年新潟鐵工所製。全長18m、正面2枚窓のいわゆる“湘南顔”に懐かしい“金太郎”塗り分け、そしていわゆるバス窓と、DMH17形のエンジン音とともに、非電化ローカル私鉄華やかなりし頃の生き証人ともいえる車輌です。大分交通時代は先に廃止された国東線用の2輌(602、604)とあわせて4輌の仲間がおり、601は「やまびこ」、604は「なぎさ」と愛称が付けられて主力として活躍していましたが、1975(昭和50)年秋の同線廃止後は603と604がここ紀州鉄道へ、601と602が地元・中津市内のレストランに静態保存され、幸運なことに全車が今もってその姿を留めています(アーカイブ「紀州鉄道キハ603を見る」参照)。
▲側面の形式番号標記は大分交通時代のまま。手書きのサボが味わい深かった。
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紀州鉄道では僚車キハ604を部品取り用としてキハ603を使用してきましたが、さすがに各部の老朽化によって交換部品の確保が難しくなり、北条鉄道から2輌目のレールバス(フラワ1985-1)を導入したのにともない、ついに使用休止を決めたものです。それでもキハ603の人気は日増しに高まるばかりで、今年は金・土・日・祝日に優先して同車を運用に充当するありがたい配慮もなされていました(アーカイブ「紀州鉄道は今…」参照)。

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▲間仕切りのない開放式の運転台。ワンマン機器が追加されているが、概ね大分交通時代と変わってはいない。'08.7.20 西御坊
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昨日のお別れ運転は定期運用で行われ、「惜別 1960~2009」と描かれたヘッドマークを付けて、34年間にわたって走り続けた全線2.7キロを往復、御坊15:25発西御坊行きがラストランとなりました。なお、地元紙『日高日報』によれば、御坊商工会議所地域活性化委員会が来る11月29日(日曜日)に開催する「復活 商工祭」の一環としてこのキハ603の“引退式”を計画しているとのことで、諸々の問題がクリアすれば同日9時から15時にかけて、ふたたびキハ603の走る姿を目にすることができそうです。
鉄ホビ・最新鉄道情報「紀州鉄道キハ603 定期運行終了へ」参照

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保存された雨宮製台車。

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▲銚子電鉄笠上黒生で解体されて2週間あまり、再塗装を施されて見違えるほど綺麗になった雨宮製台車。ペアのもう1台は東武博物館に引き取られている。'09.10.18 大胡 P:瀧口宜慎
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先週の「上毛電鉄感謝フェア」(→こちら)の際、当日のサプライズとして大胡会場で展示されていたのが、銚子電気鉄道のデハ101が履いていた雨宮製作所製の板台枠式台車です。銚子電気鉄道最初のボギー電車として、1939(昭和14)年の新製以来、一貫して銚子の地で過ごしてきた同車でしたが、1999(平成11)3月に廃車、先月、9月29日に留置されていた笠上黒生駅構内でついに解体されてしまいました。

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▲花巻電鉄のいわゆる“馬面電車”でも使用されていた雨宮製の古典台車。そのルーツは2フィート6インチゲージの下野電気鉄道用のもの。'09.10.18 大胡 P:瀧口宜慎
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そのデハ101の台車がなにゆえ上毛の地にあるのでしょうか。この謎を解くには、この台車が辿ってきた数奇な生涯を遡ってみる必要があります。

091026nnn001.jpgこの雨宮製台車は、東武鉄道鬼怒川線の前身である2フィート6インチ(762㎜)ゲージの下野電気鉄道が1926(大正15)年に雨宮製作所から購入したデハ103が履いていたものです。1929(昭和4)年に下野電気鉄道が3フィート6インチ(1067㎜)ゲージに改軌される際にこの台車も改軌されたものの、続いて1931(昭和6)年に下野電気鉄道が550ボルトから1500ボルトに昇圧するにあたって不要となり、同鉄道が東武系列となってからは東武鉄道浅草工場に保管されていました。1939(昭和14)年に日本鉄道自動車工業によって引き取られたこの台車は、同社が製造した銚子電気鉄道初のボギー電車デハ101用として再利用され、思いもかけぬ長命を得ることとなったのです。
▲「雨宮製作所 大正十五年」の銘のある銚子電気鉄道デハ101台車銘板。エッチング製の小さな銘板だったが、残念ながらその後失われてしまった。'79.5.19 銚子電気鉄道仲ノ町 P:名取紀之
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今回の解体を受けて、先般リニューアルを果たし積極的な展開を見せている東武博物館(アーカイブ「東武博物館がリニューアルオープン」参照)が、自社関連の貴重な実物資料として引き取ることとなり、そのうちの一個を縁ある上毛電気鉄道で保存することとなったというわけです

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雨宮製作所(雨宮鉄工所・大日本軌道鉄工部)は日光電気軌道納入の単車を処女作として、京成電気軌道や京王電気軌道などにまとまった数の製品を送り込んでいますが、中川浩一さんらによる『軽便王国雨宮』(丹沢新社)所収の「雨宮の台車」によれば、こと電車の場合は車体だけを雨宮が製作し、台車は輸入品や住友、川崎、汽車などの大手製品を取り付ける例が多く、自社ブランドの台車は何種類もなかったようです。
▲花巻電鉄デハ1形組立図(雨宮製作所大正15年7月作図・部分)に見るその台車。ホイールベースは4フィート11インチ(1499㎜)、車輪直径は2フィート10インチ(864㎜)。
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そのなかでひときわ異彩を放っていたのが、大正末期に製造されたこの板台枠式台車でした。鋼板とアングルを使った手法は、H1形、H2形と称される京成、京王(玉南)向け台車と共通で、前出書によれば、当時の「雨宮の工作施設の関係」ゆえの苦肉の策だったようです。ちなみに、やはり同年製造された“馬面電車”として知られる花巻電鉄デハ1~3のものとほぼ同形で、そう聞くといかに“珍品”かがよりわかりやすいかもしれません。

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▲東武鉄道5700系クハ701が履いていた汽車会社製直角カルダンKS-105形台車も同時に公開された。'09.10.18 大胡 P:瀧口宜慎
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なお、大胡車庫では同時に汽車会社製直角カルダン式のKS-105形台車も保存展示されました。これは1953(昭和28)年に東武鉄道5800形5800・5801号に取り付けられた、汽車会社初の直角カルダン台車です。その後、駆動装置を外して特急車5700系クハ701号に転用されていましたが、長らく処分保留で留置されていた同車が去る7月29日に解体されたため、技術遺産として保存されることとなったものです。

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▲クハへの転用にともなって最大の特徴である直角カルダン駆動装置は失われているものの、戦後の電車史を語る重要な保存品。'09.10.18 大胡 P:瀧口宜慎
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ふたつの台車ともにすっかり綺麗に整備されてお披露目されましたが、デハ101、104、そしてデキ3021とともに、上毛電気鉄道は今後、北関東の“ヘリテージ・センター”としてますます注目を集めてゆくに違いありません。

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▲二階ホールではレイアウトの公開運転が行われている。写真は初公開となる鉄模連自らが製作したNスケールのレイアウトで、なんと実質3ヶ月で完成させたという。強固な組立式台枠の構造とともに、さすがプロ中のプロの仕事。'09.10.24
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ついに30回目となった日本鉄道模型連合会主催の「日本鉄道模型ショウ」が今日から始まりました。会場は恒例の大田区産業プラザ(PIO)一階大展示ホールと二階の小展示ホール。一階会場には80社あまりのメーカー、トレーダーがブースを構え、午前10時の開場時には近隣の国道にまで行列ができるほどの賑わいぶりとなっています。

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▲派手なディスプレーこそないものの、注目すべきはパブロ・モデリングが試作品を発表したベアリング車軸。車軸に組み込まれたベアリングによって左右の車輪が自由に動き、デファレンシャル(差動)役を任って曲線通過を容易にする新機構。'09.10.24
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▲ベアリング車軸のアップ(左)。車軸中央にベアリングのカップリングが見える。右は曲線線路上のベアリング車軸組み込み台車。今後さらに改良を加え、来年には市場に送り出したいとのこと。'09.10.24
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どちらかというとHO/16番系、しかもブラス系のイメージが強いこの日本鉄道模型ショウですが、ここ数年はスケールやジャンルのボーダーを超えて、実に幅広いアイテムが見られるイベントとなりつつあります。大手メーカーの注目の新製品については『RMモデルズ』次号で詳細にご紹介する予定ですので、今回は個人的に気になったアイテムをいくつかご紹介してみたいと思います。

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▲昨年に続きナローものの新製品が目についたのは、決して個人的嗜好からばかりではないだろう。しかも超の付くマニアックなアイテムが次々と製品化されているのは驚くばかり。写真はわれわれの世代には“珍犬ハックル”の愛称で知られた明治鉱業平山鉱業所のバテロコ(アーカイブ「“明鉱平山”、完成せず」参照)で、ワールド工芸からソリッドモデル(1/87 6.5㎜)として製品化された。'09.10.24
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▲積極的にナローのラインナップを広げているワールド工芸はストラクチャーも次々とリリースしてきている。左は尾小屋鉄道の終点・尾小屋駅手前にあった給水タンク(RMライブラリー『尾小屋鉄道』36ページ参照)、右はいかにもな木造トイレ(いずれも1/87)。'09.10.24
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ところで、今年も弊社は会場右手にブースを構え、雑誌・書籍、それに鉄ホビ関連商品の販売を行っております。ことに一般書店になかなか並びにくい書籍や、“観音トム”に続く鉄ホビ・オリジナル“木造ワム”の先行販売など、実際にお手に取って見ていただくまたとない機会でもあります。ご来場の際はぜひとも弊社ブースにもお立ち寄りください。

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▲ペアーハンズからは1/48の“シンプレックス”が登場。といってもシンプレックスそのものがわが国ではほとんど知られておらず(アーカイブ「12年ぶりのライン河上流工事事務所 ―イエンバッハとシンプレックス―」参照)、既存製品のパーツ流用のなかばフリーランスとはいえ製品化されること自体が驚き。'09.10.24
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091024n2667.jpgさて、この第30回「日本鉄道模型ショウ」、明日25日(日曜日)までの開催(10:00~17:00)です。会場の大田区産業プラザへは京浜急行京急蒲田駅から徒歩4分、JR京浜東北線蒲田駅からだと徒歩12分ほど。入場料は1000円(保護者同伴の小学生以下は無料)ですが、オールカラーの年度版カタログ(\500)が入場券とともについてきます。今年の特集はD51。こちらも必見です。
▲モデルワムのブースで見かけたクラシックストーリーのHOスケール旋盤。完成品16,380円(キット8,190)円と情景部品としては高価だが、その完成度の高さも驚き。'09.10.24
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■第30回日本鉄道模型ショウ
●開催日時
10月24日(土)10:00~18:00
10月25日(日)10:00~17:00
●入場料
1,000円(保護者同伴の小学生以下無料)
※入場券で「2009年版鉄模連カタログ」1冊付き。
●開催場所
東京都大田区南蒲田1-20-20
大田区産業プラザ(PIO)
1階大展示ホール、2階小展示ホール
※京急蒲田駅東口より徒歩4分/JR京浜東北線蒲田駅より徒歩12分

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▲そして、京急蒲田駅から会場に向かう道すがら毎年行っている恒例の京急空港線定点観測撮影。写真上が本日撮影、下が昨年撮影。高架化工事もいよいよ大詰め。来年の第31回日本鉄道模型ショウの際はいったいどう変貌していることだろうか…。'09.10.24/'08.11.1
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▲見事に整備されて古参のデハ104と並んだデキ3021。こうやって見ると、昔からいた機関車のようにも見えるから不思議。'09.10.18 大胡 P:木村一博
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去る10月18日の日曜日、上毛電気鉄道で「上毛電鉄感謝フェア」が開催されました。大胡車庫と西桐生駅の2ヶ所を会場として開催されたこのイベントの今年の“目玉”は、先日、東急長津田車両工場より搬入されたデキ3021号のお披露目です。

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▲午前中の運行を終えたデハ101が戻ってきた。3輌の歴史的車輌が並んだ姿につめ掛けたギャラリーの熱い視線が注がれる。'09.10.18 大胡 P:木村一博
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▲前橋方から見たデキ3021。秋晴れの空の下、漆黒と表現するのがふさわしいような車体の黒が艶やかに輝く。'09.10.18 大胡 P:木村一博
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09103n6331.jpg長津田車両工場をトレーラーに載せられてあとにしたのが9月24日(アーカイブ「東急デキ3021が上毛電気鉄道へ」参照)、大胡車庫に到着後、別に搬送されたパンタグラフが載せられてただちに整備とお化粧直しが行なわれ、キャブ側面には上毛電気鉄道の社紋もくっきりと描かれました。また、「平成2年10月 長津田工」の検査標記と並んで「平成21年10月 上毛列車区」の標記も追加されました。もちろん車輌としての籍は失われていますから、標記といっても法的なものではなく、記念的意味合いのものと思われますが、なんとも粋な計らいといえましょう。
▲側面には上毛電気鉄道の社紋が描かれた。'09.10.18 大胡 P:瀧口宜慎
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▲車端の車籍銘板はオリジナルの「東京急行電鉄」のまま(左)。外観上の整備だが、「21-10 上毛列車区」の検査標記が入れられた(右)。'09.10.18 大胡 P:瀧口宜慎
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当日は人気のデハ101の特別運転のほか、デハ104も入出庫線に留め置かれ、デキ3021は2輌の古参電車に挟まれるかたちで展示されました。思えばデハ101と104は同社創業時の1928(昭和3)年生まれ。かたやデキ3021は一年遅れの1929(昭和4)年生まれですから、期せずして“兄弟”が顔を揃えたことになります。

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▲東急時代のデキ3021の活躍ぶりや上毛への搬入作業の様子などが写真パネルで展示された(左)。また、庫内では各種の鉄道部品やグッズの販売コーナーが設けられて終日賑わっていた(右)。'09.10.18 大胡 P:木村一博
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▲電車庫内も開放された。普段は立ち入れないピット線や、所狭しと並べられた部品類に訪れた親子連れも大喜び。'09.10.18 大胡 P:木村一博
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大胡の電車庫は駅舎、変電所などとともに国の有形文化財となっており、昭和初期の木造電車庫の構造を今に伝えるたいへん貴重なものです(アーカイブ「上毛電気鉄道大胡車庫を訪ねる」参照)。今回のイベントでは普段は立ち入ることのできないこの電車庫も全面的に開放され、訪れたファンにとっては実に満たされた一日となったようです。
(姉妹ブログ「RMMスタッフブログ」でも当日の様子をご紹介しています。→こちら

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▲駅から列車区への道路から展示車輌を見る。自走こそしないものの、パンタグラフを上げて前照灯を点灯したデキ3021の姿がひときわ異彩を放つ。'09.10.18 大胡 P:木村一博

当日はデハ101の運行も行なわれました。全国的に風前の灯となってしまった吊掛電車の生き残りとしても注目を集めるデハ101ですが、木村一博さんから「今日の一枚 The Movie」に動画をお寄せいただいていますので、こちらもご覧いただきましょう。これまたなかなか聞くことのできない昔ながらの鐘撞式(アーカイブ「“鐘撞き”の踏切」参照)の踏切警報音も収録されています。

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※上のキャプチャー画像をクリックすると「今日の一枚 Tha Movie」上の動画がご覧になれます。
(Macでは再生できない場合があります。音声付きですので、再生する際は周囲の状況をご考慮ください。)

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▲内部から見た“光り前頭”部(画面右上)。乳白色のメタアクリル樹脂製の前頭部がほのかに光っているのがわかる。左側は前照灯で、尾灯切り替え用の赤色板が見える。
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修復にあたっては、“車両はできるだけ開業時に近い状態に復元する”ことを目指し、随所に並々ならぬ拘りが見てとれます。その代表格が伝説の“光り前頭”の再現です。0系先頭車は当初その先頭部(いわゆる丸鼻)が乳白色のメタアクリル樹脂製で、内部からの照明で光るようになっていました(本誌最新号「一枚の図面から」参照)。しかし、鳥などが衝突して破損することから透明性のない強化プラスチック(FRP)製に交換されてしまったため、実際に“鼻”が光っているのを目にした方はけっして多くはないはずです。今回の展示では鉄道博物館収蔵品を取り付けることによって、その幻の“光り前頭”が見事に再現されています。

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▲21-2の運転台。0系新幹線電車の運転台は在来線電車と異なり、右マスコンハンドル、左ブレーキハンドルと機関車と同様のレイアウトとなっていた。
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▲運転席のメーターパネルまわり(左)。メーターは左から圧力計(上:SAP、BC/下:MR、CP)、速度計、架線電圧計、インバータ電圧計の順。助士席(右)は新製当初設備されておらず、後年追加されたもの。
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▲乗務員室ドアのロック装置と戸閉スイッチ(左)。右は乗務員室背面の配電盤で、リレーを多用した現代的感覚ではきわめてアナログな機構。
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ところで新幹線電車の運転機器配置はマスコン・ハンドルが右、ブレーキ・ハンドルが左と、在来線電車とは逆、つまり機関車と同様のレイアウトとなっています。入換え時など乗務員室窓から後ろを振り返ってのブレーキ操作が頻繁な機関車の場合はブレーキ弁が左側配置なのは理にかなっていますが、新幹線電車の場合はなぜ右=加速、左=制動となったのでしょう。停車駅も少なく、ATCを装備したことによって、加速操作に重点を置いたため…とするのが定説ではありますが、開発・設計段階での経緯もありそうで、こんなところにも興味をひかれます。
※ご注意:乗務員室内は一般公開されていません。

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▲“ホーム”中間部はピット状に掘り下げた床下観察スペースとなっている。通常はなかなか見ることのできない0系の床下機器をゆっくりと見学できる。
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▲0系新幹線の要でもあったDT200形台車(左)と、CS21形主制御器(右)。カム軸式の内部が良く見えるようにミラーが置かれているのがありがたい。
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もうひとつ特筆されるのが床下です。もともと深いスカートに覆われた新幹線電車の床下は見ようにも見られない部分ですが、今回の展示あたっては線路脇にピット状の観察スペースを設け、主要床下機器に解説パネルを添えて見学できるようになっています。一部はケーシングを透明アクリルに変更して機構内部がシースルーで見えるようになっているほか、主制御器など角度的に見にくいものに関してはミラーを立てるなどの配慮もなされています。

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▲東京駅新幹線中央乗換コンコースの19番線側正面柱に1967(昭和42)年に設置された記念碑のレプリカ。「この鉄道は日本国民の叡智と努力によって完成された」と高らかに謳いあげている。
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▲新丹那トンネル熱海口で行なわれた東海道新幹線起工式で十河総裁が使用したクワと、新幹線総局モデル線管理区の看板(左/ともに実物)。右は東海道新幹線0キロポスト(レプリカ)。
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091021n3670.jpg車内のPCモニターでの各種情報検索・掲示もさることながら、展示室内に設けられた大型モニターによる0系縁の方々へのインタビュー映像も必見です。とりわけ、当時、国鉄本社工作局の旅客車設計担当として関わられた星 晃さんのインタビューは、はじめてお聞かせいただく秘話も少なくなく、まさに目から鱗…の思いで拝見いたしました。ちなみに今回の展示にあたっては、RMライブラリー101巻『国鉄車輌誕生 ―車輌開発の黄金時代―』でもその片鱗をご紹介している星 晃さん撮影の画像がふんだんに活用されております。ぜひその辺もお目をとめていただければ幸いです。
▲展示スペースに設置された大型モニターでは星 晃さんや島 隆さんら、東海道新幹線開発に尽力された方々のインタビューを見ることができる。
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▲公開初日には夕方からの一般公開にも関わらず250人もの方が列をつくったという。0系新幹線のその温和な顔は、今や日本国民共通の“心の故郷”とさえ言えるのかもしれない。
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▲既設のヒストリーゾーンに隣接して新設された展示室に収まった0系21-2。開業時の東京駅19番線を再現したディスプレーとなっている。博物館収蔵品のオリジナルに取り替えられた半透明の“光り前頭”に注目。
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JR東日本が昨年8月にJR西日本から譲り受け(アーカイブ「0系21形が大宮へ」参照)、大宮総合車両センターで修復作業を行なっていた0系新幹線電車21-2が、本日16時15分から鉄道博物館ヒストリーゾーン大宮駅方に新設された展示棟で一般公開されました。

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▲“ホーム”からエントランス部を見る。壁面には東海道新幹線開業までの詳細な歴史が掲示され、モニターでは当時を物語るニュース映像などが流されている。
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21-2は1964(昭和39)年の東海道新幹線開業に向けて最初に量産された360輌のうち新大阪方先頭車(21形)の1輌で、大阪府吹田市にあるJR西日本の社員研修センターで保管されていたもの。1964(昭和39)年7月24日に日車支店で落成した本車は、開業時は「N2」編成の1号車=新大阪方先頭車を務めた歴史的車輌で、残された0系の中でも当初の原型の姿をとどめる貴重な1輌です。

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▲その客室内。モケット類もすべて当時の部材を用いて張り直されたそうで、見事に開業時の雰囲気を伝えている。
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▲壁側となる3列シート側の窓には星 晃さんや久保 敏さん撮影の歴史的写真がディスプレーされてるほか、一部はPCモニターによりその詳細な歴史と技術を見ることができる。ディスプレーをタッチすることによって数百枚の写真はもとより、生産図面まで見られるのは驚き(右)。ちなみに開業時の0系車輌には各車に非常口が備えられていた。写真左の窓下腰板部(テーブル部)にあるのが非常口で、その構造が理解できるように非常コック部は透明のアクリルによって覆われている。
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ヒストリーゾーンの大宮駅方に新設された展示棟内は、東海道新幹線開業当時の東京駅19番線の情景を一部再現しており、開業当日の祝賀看板も復元されてディスプレーされています。また、ホームから車内へも自由に立入りすることができ、さらにピット状に設けられた観察スペースから床下機器、台車等が見学できるようにもなっています。

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▲開業時の東海道新幹線では車体側面に“サボ”が入れられていた。新大阪行き「ひかり1号」を示す行き先表示板。「超特急」の文字が誇らしい。
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▲各種の標記もきれいに再現されている。左はデッキ部の間仕切りに入れられた号車札、右は乗務員室扉の編成番号標記。
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▲客室内間仕切りにはアナログな温度計が付く(左)。荷棚のパイプ接合部(右)のゴムパッキンまで新品に取り替えられたというから、復元に際しての徹底した拘りには脱帽。
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▲2列シート側の小テーブルとその下に設けられた灰皿(左)。懐かしい冷水機もきれいにレストアされている。ただし、あの紙コップは備えられてはいない。
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大宮総合車両センターで全塗装はもちろん、たいへんな努力を払って修復されたという21-2は、まさに新車と見間違えるほどの輝きを放っています。明日と2回に分けてその注目の細部と拘りをご紹介することにいたしましょう。

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▲座席肘掛部に収納された小テーブルと引き出し式の灰皿(左)。ただし、セキュリティーの問題もあって固定されていて引き出すことはできない。右は洗面所。便洗関係は入口ドアが透明アクリル板に替えられていてシースルーとなっている。
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▲昭和39年の開業時は時代の最先端設備であった便所。ただし、ステンレス製の便器は後年取り替えられたものでオリジナルではない。
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EOS 7Dで498を撮る。 動画付き

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▲91.128キロポスト「川久保踏切」アウトカーブから試9733レを狙う。200㎜(35ミリ換算320㎜)、縦位置手持ちという少々意地悪な設定で高速連写を試みた。露出条件が厳しくISO感度を640に設定、いわゆる“面撮り”のためそれほどの高速シャッターは必要なかろうと、シャッター感度優先AEで1/400(実勢1/395)を選択した。250W前照灯を正面から捉えるためオートフォーカスが幻惑され、露出も乱れるのではと懸念したが、結果はご覧のとおり、高精度のデュアルクロスセンサーとAIサーボAFがあいまって全コマ見事にピントの芯を捉えている。レンズの個体特性か、画面左下(スノープラウ部)にゴーストが出たのは少々残念。
■撮影データ:'09.9.30 10:26:19?20 上越線八木原-渋川(試9733レ) Canon EOS7D EF70~200㎜F4L IS USM 1/395 F4 露出補正EV0.7 200㎜ オートホワイトバランス JPEGラージ
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昨年12月に陸羽東線「SL湯けむり号」の運行を前に故障し、一時は復帰まで一年と取りざたされていたD51 498号機が、この9月から「SLみなかみ号」として本線復帰しています。しかも平日にも乗務員の訓練運転が行われていると聞き、こちらも発売直前のキヤノンEOS 7Dの“試運転”に高崎へと向かいました。今回エスコートしてくれたのは「よみがえれボールドウィン実行委員会」の木村一博さん。地元・沼田市の林業機械化センターで活動を繰り広げている木村さんだけに、上越線高崎~水上間はさながら庭のようなもの、これほど心強いナビゲーターもいないでしょう。

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▲上越線沿線はすっかり秋の装い。日本の原風景を感じさせるはざかけの向こうをD51 498が快走する。流し撮りを狙おうとISOを100に設定、シャッター速度優先AEで1/125を選択したが、予想より列車速度が遅く、もう一段スローを切れば…と反省。蛇足ながら、このポイントは晴れていると逆光になる。逆サイド東側からが定番だが、背景が空となるため、曇天の空に白煙が溶けてしまうのを嫌いこのポジションを選んだ。気温が低めなこともあって、3キロあまり続く連続10‰の最終区間を登るD51 498は予想通りの完全燃焼の白煙を披露してくれた。
■撮影データ:'09.9.30 11:10:25 上越線渋川-敷島(試9733レ) Canon EOS7D EF-S15~85㎜F3.5~5.6 IS USM 1/128 F5.0 露出補正EV0.7 46㎜ ISO100 オートホワイトバランス JPEGラージ
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「IMAGE MONSTER」のキャッチコピーを冠せられた高性能デジタル一眼レフカメラEOS 7Dは、約1800万画素のCMOSセンサー搭載で約秒8コマの高速連写が可能、しかも動画撮影機能も充実しています。最速約秒8コマは最上級機種のEOS-1D MarkIIIの約秒10コマに匹敵するポテンシャルで、しかも外付けバッテリーを取り付けることなく活用できるのは嬉しいかぎり。まさに鉄道写真のために誂えられたスペックとさえ言えましょう。

091020nn101.jpg今回の上越線は取説片手のおぼつかない撮影ではありましたが、さっそく高速連写機能の恩恵に預かることができました。しかもミドルクラスのEOSでは最多となる19点AFセンサーと、被写体との距離に加えて縦横方向も追従するAIサーボAF IIがあいまって、迫り来るD51 498の正面をがっちりと捕捉、全コマまったくピントを外すことなく連写することができました。AFが幻惑されがちな前照灯が入るだけに、正直言ってかなり不安があったのですが、この成果は驚きです。

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▲水上手前の撮影名所「諏訪峡」で定番ショット。ほぼ標準レンズ画角でのオーソドックスな撮影で、スチルとしてはやや面白みに欠ける。こんな時、動画に切り替えられるポテンシャルを秘めているのは嬉しい限り。ちなみにこの時点での気温は17℃。D51 498はきれいな白煙をたなびかせてくれた。紅葉の名所としても知られる諏訪峡だが、地元の方の話では今年の紅葉はとりわけ期待できそうだという。
■撮影データ:'09.9.30 11:59:28 上越線上牧-水上(試9733レ) Canon EOS7D EF-S15~85㎜F3.5~5.6 IS USM 1/512 F4.5 露出補正EV0.7 29㎜ ISO640 オートホワイトバランス JPEGラージ
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そしてもうひとつ。一眼レフ黎明期から体験を積んできている私たちの世代にとって、なにより嬉しいのは視野率約100%、倍率約1.0倍のファインダーです。従来はごく一部のプロ用機材でしか実現していなかった“見たままの世界”が、ようやく身近なものとなってきたのです。
EOS 7Dとの二人三脚は始まったばかり。あいかわらず取説片手に、今度はどこへ行こうか、嬉しい悩みが続きそうです。

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▲これまでのEOS 5D Mark II、EOS Kiss X3にも動画撮影機能が搭載されているが、EOS 7Dではこの機能がさらに進化。HD、SD画質では60fps(frame per second)を実現し、鉄道のような動きが早い被写体でも滑らかな映像を記録することができる。動画撮影を開始する際も「ライブビュー撮影/動画撮影」切り替えスイッチを動画側にあわせ、ピントを合わせてスタート・ストップボタンを押すだけで、操作性もきわめて良い。
今回は水上の転車台で転向するD51 498の姿を動画で記録してみたが、そのクォリティーは驚くべきもの。なお、水上転車台での転向は従来時計回りだったが、見学スペースから正面が見られるように反時計回りに変更するありがたい配慮がなされている。

※上の画像をクリックすると、EOS 7Dで撮影したこのシーンの動画がご覧になれます。
(Macの場合は再生できない場合があります)

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▲二河橋を行く3003号。背後には鉢巻山がそびえる。西六-呉駅前 P:細川延夫 (RMライブラリー『呉市電の足跡』より)
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二ヶ月にわたって『国鉄コンテナのすべて』をお届けしたRMライブラリーですが、今月発売の第123巻は、地方鉄道史研究のジャンルから長船友則さんによる『呉市電の足跡』をお届けします。

091819nRML123.jpg呉はご存知の通り、明治期に鎮守府(海軍拠点)が設置されて以来、軍都として栄えましたが、呉市電もそれを追うかのように、まず1909(明治42)年に呉市街地の区間が呉電気鉄道により開業しました。その後、東側の郊外へと路線を伸ばす芸南電気軌道が開業、後に市内線を芸南電気軌道が吸収する形で一つにまとまり、最終的には川原石~長浜港間の11.3kmの路線となりました。その成り立ちからもわかるとおり、呉市電の特徴のひとつは、呉の市内電車であるとともに、呉市東側の阿賀、広、長浜などの街を結ぶ郊外電車の性格も持ち合わせていたことです。特に呉と阿賀の間の呉越峠には52‰という急勾配が存在するなど、その沿線はなかなか変化に富んだものでした。

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▲沿革の項では、公式試運転の様子を記録した貴重な絵葉書を交えて呉電気鉄道の創業時が甦る。 (RMライブラリー『呉市電の足跡』より)
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公営化されたのは戦争が本格化した1942(昭和17)年のこと。これは軍の要請によるものでした。戦後は積極的に新車が投入されましたが、これらは1967(昭和42)年の廃止後、仙台市交通局、岡山電気軌道、伊予鉄道に売却されています。一番新しい2000形を譲り受けた仙台市電が一番先に廃止されたのは不運でしたが、伊予鉄が譲り受けた1000形は2002年まで走り続けましたので、読者の皆さんの中でも乗られたことのある方は多いのではないでしょうか。

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▲呉線を跨ぐ呉陸橋を行く(右)。呉線を境に二分されていた西六~川原石間は、この陸橋の完成により再び接続されることになる。 (RMライブラリー『呉市電の足跡』より)
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▲廃止当時の線路縦断面図。その名も呉越をサミットとして、50‰前後の急勾配が続く。 (RMライブラリー『呉市電の足跡』より)
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▲呉市電の最後を彩った超軽量電車1000形やワンマンカー2000形。ライトブルーとオレンジのツートンが最終期の呉市電のシンボルカラーであった。 (RMライブラリー『呉市電の足跡』より)
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本書では呉電気鉄道の開業から呉市電廃止までの沿革とともに、歴代の車輌について著者の長船さんが詳細に解説されているほか、ありし日の呉市電を捉えた数多くの写真を収録しています。1950~60年代の呉の街並みも再現する一冊、ぜひお手にとってご覧ください。

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▲「電車基地見学・展示会」で公開された新京成電鉄の97式軽貨車。手前が日本車輌製、奥が新潟鐵工所製。画面奥に軌匡の展示スペースが見える。'09.10.17 くぬぎ山車両基地 
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昨日の復元軌匡に続いて、同じく新京成電鉄くぬぎ山車両基地で一般公開されていた97式軽貨車についてご紹介してみましょう。

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▲幸いなことに2輌ともに製造銘板が残されている。左は新潟鐵工所・昭和13年11月・No.482、右が日本車輌東京支店・昭和13年9月・No.287。日本車輌分には「千」の打刻も認められる。'09.10.17 くぬぎ山車両基地 
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旧日本陸軍鉄道聯隊の制式車輌である97式軽貨車については、本誌トワイライトゾ~ンをはじめ、小ブログでも幾度となくご紹介(アーカイブ「人吉機関庫で97式発見」「中国大陸に残る97式軽貨車」参照)してまいりましたが、ここくぬぎ山の97式一組はトワイライトゾ~ンの記事がきっかけで修復保存されることになった小誌としてもたいへん縁ある個体です。今回は軌匡の復元に関してお知恵を拝借した、千葉の鉄道研究の第一人者・白土貞夫さんと二人でご案内いただきました。

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▲ありがたいことに解体された別の個体の輪軸のみも保存されている。97式軽貨車最大の特徴である軌間可変機構が、まるで“標本”のようにわかる。'09.10.17 くぬぎ山車両基地 
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もともと新京成にはかなりの輌数の軽貨車が存在していたようですが、お話では、保存を検討し始めた段階ではすでにその大半が失われており、しかも残されたものも状態が悪かったり欠品があったりで、結局、可能な限り原形を損なわないように部品を寄せ集めて、最終的にこの一組を保存対象にしたとのことです。片方は新潟鐵工所・昭和13年11月製のNo.482、もう一方が日本車輌・昭和13年9月製のNo.287で、こちらの銘板には別途「千」の打刻が読み取れます。「千」の打刻はこれまでに各地で発見されてきた97式でも報告されており、カタカナの「チ」ではないかと推測していましたが、この“287”の打刻を見る限り、明らかに漢字の「千」で、しかも製造番号等の刻印とは異なる強度で、のちに打ち込まれていることがわかります。つまり、この「千」はメーカーの打刻ではなく、受け入れの鉄聯側が打ち込んだ、第一聯隊・鉄道材料廠の所在地「千葉」の「千」である可能性が高いと思われます。

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▲ピットから新潟製の個体を見上げる。残念ながらブレーキ装置は失われてしまっているが、軽め穴のあけられた梁や、朝顔カプラーの緩衝構造などが解明できる。'09.10.17 くぬぎ山車両基地 
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ちなみに新潟鐵工所・昭和13年11月製の個体は大井川鐵道新金谷車両区でも確認されており、こちらは№599と報告されています(トワイライトゾ~ン・マニュアル4「さまよえる軍用貨車の亡霊」)。新京成の個体と同月生まれながら製番には100番以上の差があり、シリアルナンバーとすれば驚くべき輌数が生産されていたことになります。しかも、97式軽貨車はその名のとおり皇紀2597年(1937年=昭和12年)に制式化されたもので、昭和13年製ということは制式化翌年。新潟のみならず、日車、汽車、川車といった大所から梅鉢にいたるまで、一定以上の生産能力を持つ車輌メーカーに生産を割り振っていたわけですから、その総輌数は想像を絶するものだったはずです。

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▲やはりピットから車軸の軌間可変部を見る。もちろん軌間は4フィート8インチ半(1435㎜)に設定されているため、カラーは内側に組み付けられている。'09.10.17 くぬぎ山車両基地 
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ところで、今回の公開でありがたかったのが、輪軸のみの展示も行われていたことです。97式軽貨車最大の特徴は、その軌間可変機構ですが、通常はその要となる“カラー”(スペーサー)が組みつけられた状態しか目にすることができませんので、まさに目から鱗の展示でした。簡単にご説明すると、カラーを外すと滑りキー溝の切ってある車軸に対して車輪が左右に動き、それぞれの軌間の定位置にあわせて再びカラーを組み付けるというプロセスです。

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▲軌間可変車軸はこのような構造となっている。極めてアナログだが、車軸に切られた滑りキー溝に沿って車輪が動き、定位置で締結用カラーをボルト締めする。車軸には各軌間用のボルト溝が切られているが、4フィート6インチ(1372㎜)軌間は設定がなかったため、新京成側が独自に溝を切ったという(指差している部分)。'09.10.17 くぬぎ山車両基地 
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▲軌間可変用のカラー。大小があり、この組み合わせでリゲージをはかる。右はもうひとつの特徴でもあるベアリング入りの軸受。メタル軸受が大半だった時代に陸軍はすでにベアリングを用いている。試しに押してみたが、現在でも片手で軽々押せるほどの転がりの良さだ。'09.10.17 くぬぎ山車両基地 
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3フィート6インチ(1067㎜)をスタートとして、1953(昭和28)年に4フィート6インチ(1372㎜)に、さらに1959(昭和34)年に4フィート8 1/2インチ(1435㎜)にと、たびたび軌間が変更されてきた新京成電鉄にとってもこの軌間可変機能を持つ軽貨車はたいへん重宝だったようで、改軌工事の際などは資材を満載して電車に牽引されて大活躍したそうです。ただ、現場の方によればこの軌間変更はそう容易いものではなく、スプラインに沿って車輪を動かすのはとても人力では不可能とのこと。鉄道聯隊が果たしてどのようなノウハウを持っていたのかも興味を引かれます。

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▲「電車基地見学・展示会」で初めて展示された鉄道聯隊の軌匡。壁面には新京成電鉄と縁の深い鉄道聯隊の解説が掲示されている。'09.10.17 くぬぎ山車両基地 P:名取紀之
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本日開催された新京成電鉄の「電車基地見学・展示会」で、旧日本陸軍鉄道聯隊の“軌匡”(ききょう)が初めて一般公開されました。くぬぎ山電車基地を会場に毎年行われている「電車基地見学・展示会」も今年で15回目。これまでにも保線用に使用されていた鉄道聯隊の97式軽貨車を修復展示するなど、新京成路線の誕生に縁の深い鉄聯関連の歴史遺産を積極的に保存しようと努めている同社ですが、今回は沿線から“出土”した軌匡用の鉄枕木を用いて、今やまったく現物が残されていない軌匡を復元されたのです。

091017n012.jpg“軌匡”とは、野戦鉄道において迅速に線路を敷設するために考案された梯子状の仮設軌道のことで、旧日本陸軍が用いていたものは軌間600㎜、全長5mを基本とする直線、曲線線路です。枕木は鉄製のプレス材で、強度確保と地盤(バラス等)への食いつきのためにお椀を伏せたような形状となっているのが特徴です。日本の鉄聯が範としたドイツ鉄聯の軌匡には、フィッシュプレート(継ぎ目板)さえ用いず、さながら模型の線路のように差し込み式のジョイナーを用いるものさえあり、何よりも迅速な敷設と撤収を第一義とした特殊な線路資材であることが知れます。
▲特徴的な鉄枕木の端部。外側の角型締結ボルト穴は検証の結果762㎜用と判明。一番外側の小さな丸穴は地面に打ち込む締結杭用のもの。'09.10.17 くぬぎ山車両基地 P:名取紀之
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▲オリジナルの締結金具とボルト。φ12のボルトはリベット状の丸い頭(右)で頸部が四角形となっている。鉄枕木の角穴にこの頸部が嵌り、レンチ1本で速やかに作業が可能。こんなところにも軍用鉄道のノウハウが見てとれる。'09.10.17 くぬぎ山車両基地 P:名取紀之
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ご承知のように新京成電鉄はその路線の多くが鉄道聯隊の演習線ルートで、97式軽貨車や100式鉄道牽引車など古くから鉄聯引き継ぎ資材の宝庫でもありました。それだけにかつてはこのような軌匡もかなりの量が沿線の柵などに用いられていたようですが、いつしか忘れ去られてしまっていました。

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▲13年前に薬園台で最初に出土した鉄枕木。左が160㎜幅、右が180㎜幅のもの。P:新京成電鉄
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091017n052.jpgそんな軌匡をあらためて思い起こさせてくれたのが1996(平成8)年に薬園台で“出土”した2本の鉄枕木でした。新京成の歴史を物語るものとして保線区で保管されていましたが、その後も沿線各所で同様の鉄枕木が発見され、そのたびに廃棄されずに収蔵されてきたのです。現在までにその数は11本。なかには二次利用の用途上か、欠き取りのあるものなどもあり、欠損のないものは8本、ちょうど軌匡1本分の所要数に達したこともあって、今回の復元プロジェクトとなったわけです。
▲みのり台駅で発見された鉄枕木の状況。土留め用に縦に打ち込まれていた。P:新京成電鉄
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▲八柱1号踏切の柵として利用されていた鉄枕木の状況。一部には締結金具も残されていた。P:新京成電鉄
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残された締結金具のピッチ等から割り出すと該当するレールは12㎏/mと思われ、復元にあたって新京成さんからご相談を受けて該当レールを探しましたが、幸いにも、先般ガソリンカーを復元された足尾歴史館からお分けいただくことができました。わざわざ足尾の地からくぬぎ山の工場に運び込まれた12㎏/mレールは、京成車両工業の協力を得て、出土した鉄枕木に丁寧に締結され、再塗装されて今日の公開展示となりました。

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▲京成車両工業の協力を得てくぬぎ山車両基地で復元作業中の軌匡。歴史遺産として末永く保存されるという。P:新京成電鉄
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わずか5mのささやかな軌匡ではありますが、新京成電鉄の歴史の証人であるとともに、今後、わが国の鉄道史、いや近現代史にとっても、欠くべからざる重要な遺産となるに違いありません。

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▲日南線の名所「七ツ岩」をバックに南郷を目指す8051D日南観光特急「海幸山幸」。右側がキハ125-401“山幸”、左側がキハ125-402“海幸”。愛称は潮嶽神社や青島神社が舞台となっている「海幸彦」「山幸彦」の神話から名づけられている。'09.10.10 日南線大堂津─南郷 P:宇都宮照信
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先週の10月10日(土)から日南線宮崎~南郷間に日南観光特急「海幸山幸」が走りはじめました。九州新幹線全線開業を控えた南九州の観光をより一層盛り上げるために誕生したこの日南観光特急「海幸山幸」は、土・日・祝日を中心に、同区間を1日1往復運転されます。

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▲キハ125-402“海幸”。元高千穂鉄道のTR402をベースにした自由席車。'09.9.29 小倉工場 P:宇都宮照信
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▲キハ125-402“海幸”の車内。ソファーシートの前に展示棚がある(左)。腰掛は青系のモケット(右)で運転席横には前面の風景を楽しめる2人掛の席(フリースペース)も用意されている。'09.9.29 小倉工場 P:宇都宮照信
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車輌は廃止された高千穂鉄道のTR401とTR402をJR九州が購入、小倉工場で改造したもので、種車は2003(平成15)年3月新潟鐵工所製。新たに設けられた形式番号はキハ125-401とキハ125-402 で、前者が“山幸”、後者が“海幸”命名されています。1号車は指定席の“山幸”で定員は21名、2号車は自由席の“海幸”で定員は30名。機関や運転台はJR九州のキハ125系に準じた改造が施工され、内外装はデザイナーの水戸岡鋭治さんが担当しています。

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▲キハ125-401“山幸”。元高千穂鉄道のTR401をベースにした指定席車。'09.9.29 小倉工場 P:宇都宮照信
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▲キハ125-401“山幸”の車内。日除け、床など随所に木材が使われている。車端部には車椅子スペースがあり、“海幸”とを結ぶ貫通路にはのれんが掛けられている。'09.9.29 小倉工場 P:宇都宮照信
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デザインコンセプトは「木のおもちゃのようなリゾート列車」。このため、車体側面には地元素材の飫肥杉(おびすぎ)が使われ、側窓は沿線車窓を楽しむため大窓化されているのが特徴です。また室内にも飫肥杉が多彩に使われ、ぬくもりのある雰囲気を醸し出しています。腰掛は2輌とも2列+1列のゆったりとした造りで、リクライニング機能付。車端部には誰もが利用できるソファーシート(定員外)も用意されているほか、“山幸”の南郷方には地元特産品などを販売するサービスカウンターと展示棚も設けられています。

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▲飫肥駅には山幸連絡バス“にちなん号”も用意されている(左)。車内にはアテンダントも乗車。紙芝居などのサービスも…(右)。'09.9.29 小倉工場 P:宇都宮照信
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運転日は2月28日までの土曜・日曜・祝日・年末年始期間の毎日(12/26~1/3)。主な駅の時刻は…
8051D/宮崎11:10→飫肥12:16~12:26→由津12:36~12:37→南郷12:53
8052D/南郷15:45→由津15:57~16:05→南宮崎17:12~17:18→宮崎17:21
乗車には乗車券のほかに特急券が必要となります。
(取材協力:JR九州)

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「鉄道の日」祝賀会にて。

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▲盛大に行われた「日本鉄道賞」の授賞式。今年は西大阪高速鉄道㈱と阪神電気鉄道㈱の「阪神なんば線開通」が選定された。'09.10.14
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16回目となる「鉄道の日」の昨日、鉄道の日実行委員会主催による恒例の祝賀会が、東京・台場のホテルグランパシフィック LE DAIBAで開催されました。8回目となる「日本鉄道賞」の発表・授賞式と合わせたレセプションには、各鉄道事業者のトップをはじめ多くの方が出席され、広いバンケットルームもたいへんな混雑ぶりとなりました。

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▲来賓祝辞に立つ前原誠司国土交通大臣。ウィットに富んだ挨拶に会場は大きな拍手に包まれた。'09.10.14
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鉄道の日実行委員会の中村英夫会長の挨拶ののち来賓挨拶に立たれたのは前原誠司国土交通大臣。“時の人”だけにテレビ各局をはじめ多数のマスコミも駆けつけておりましたが、挨拶の冒頭でご自身が国会議員の中で間違いなく一番の鉄道好きであることを宣言され、万雷の拍手を浴びておられました。ただ、鉄道好きだからといって、数多ある所管の中で鉄道だけを特別視することはできず…とその苦悩の一端を吐露される場面もあり、例年の型通りの大臣祝辞とは打って変わっての親しみやすい挨拶に、来場者の注目が集まっていました。

091015n004.jpgさて、第8回となった「日本鉄道賞」は、25件の応募の中から、西大阪高速鉄道㈱と阪神電気鉄道㈱の「神戸・難波・奈良、つながる。阪神なんば線開通!」が受賞いたしました。小ブログでもご紹介したように(アーカイブ「阪神なんば線開業」参照)、阪神・近鉄の相互直通運転により神戸・難波・奈良の広域ネットワークを形成し、新たな交通体系を構築したことがその授賞理由です。
▲乾杯の挨拶に立つ上條清文民営鉄道協会会長。右奥は前原国土交通大臣、左は辻元清美国土交通副大臣。'09.10.14
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また、表彰選考委員会特別賞にはIGRいわて銀河鉄道の「鉄路は命を繋ぐ! IGR地域医療ラインの挑戦」、財団法人鉄道総合技術研究所の「揺れる前に、列車を止める!」が、さらに地方鉄道技術連携賞には東北鉄道協会の「中小鉄道事業者連携プロジェクト ~人・モノ・技術・知恵の共有による安全性の向上、技術の継承、利用の促進~」が、エコフレンドリー賞にはパーク24㈱の「交通ICパーク&ライド(お気軽!お手軽!全自動無人のパーク&ライドサービス)が、廃線文化観光賞には北九州市の「休止された貨物線を活用した観光トロッコ列車の運行」が選定されました。

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▲広いバンケットルームも多くの参加者でたいへんな混雑ぶり。会場ではJR東日本交響楽団の演奏が披露された。'09.10.14
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091015n003.jpgところで、祝賀会開始直前、SPに護られて入ってこられた前原さん、いや、前原誠司国土交通大臣が、私の姿を認めるや、数多のお歴々を差し置いて「名取さん、来られていると思いました」と近寄ってきていただいたのには恐縮しました。思えば前回お会いしたのは『門鉄デフ物語』の出版を祝って関 崇博さんと会食をした6月末…まさか大臣、しかも所管大臣になられるとは、その時点では想像さえしておりませんでした。ましてや昨年、磐越西線にご一緒した(アーカイブ「前原さんと磐越西線へゆく」参照)ことなど遥か昔のことのようにさえ思えます。
▲ひさしぶりの再会となった前原さん、いや前原国土交通大臣と。'09.10.14 P:池田岳人
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一緒に“線路端”でカメラを構えることはもう当分できそうもありませんが、鉄道趣味を誰よりも理解しておられる国土交通大臣として、あらためてそのご活躍に期待したいと思います。

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追憶の入川林用軌道。(下)

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▲2号車牽引の別の列車をミニティンバーでスナップです。'83年初夏 P:石澤 究
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以上、私の入川林用軌道の訪問記でした。たった1回の訪問でしたが、非常に内容が濃く、かつたっぷりと森林鉄道の雰囲気を満喫できました。

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▲本線最大の勾配難所でしょうか?機関士?さんも手押し!(左)。しっとりと濡れた緑とガスがかかっての入川は幻想的で期待した以上のトワイライトゾ~ンでした(右)。'83年初夏 P:石澤 究
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▲一番機関車らしい3号車です。'83年初夏 P:石澤 究
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091013n14.jpg26年前、1983(昭和58)年の入川は、今では考えられないほどの“山奥”でした。秩父鉄道三峰口駅からバスで秩父湖へ、さらにバスを乗り継いで川又集落を目指し、そこから延々と林道を歩くわけで、都内から日帰りするにはかなり無理がありました。当時は関越自動車道も東松山IC~前橋ICが延長開業して3年目。今では秩父往還道として見事に整備された国道140号線も二瀬ダムから先は片側交互通行さえある未舗装路で、クルマで行くにもそれなりの覚悟が必要だったのです。それだけに入川軌道の復活を目にすることのできた方は決して多くはありませんでした。
▲さすがに動力車が導入されていることもあり、運転に関するさまざまな規則が設定されていました。'83年初夏 P:石澤 究
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▲サービスカットでは、こんな山奥にワンチャンも登場です。横の砂は軌道の滑り止めのものでしょうか? '83年初夏 P:石澤 究
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今回、石澤さんからお送りいただいた写真を拝見し、あらためてあの“つかの間の夏”が鮮明に思い出されてきました。まるで約束事のように午後になると襲ってくる雷雨、写真屋さん(?)大丈夫か…と合羽を持って3号機で探しに来てくれた現場の方、渓谷に響く甲高いフランジ音、シャワーのように降り注ぐエゾハルゼミの鳴き声…あの夏は、私にとっても石澤さんにとっても生涯の宝物に違いありません。あらためて石澤 究さん、ありがとうございました。

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追憶の入川林用軌道。(上)

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▲現地を訪れたのは確か周囲の木の感じからも1983年の初夏のころだと思います。ひ弱な1号車は小屋の中で休憩中で、2号車と3号車の当番でした。何しろはじめての生きた林鉄の撮影で、自分の足で走りながらの「追っかけ」でしかも当日はあいにくの雨模様と悪条件このうえなしでした。'83年初夏 P:石澤 究
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少々間が空いてしまいましたが、本誌9月号の編集長敬白「入川森林軌道再訪」(→こちら)をご覧になった埼玉県の石澤 究さんから、学生時代にご自身がお出でになった際の体験記と写真をお送りいただきましたので、今日と明日の二日間にわたってお目にかけることにいたしましょう。「つかの間の夏 ~入川森林鉄道復活の日々~」(『トワイライトゾ~ン・マニュアル 5』所収)でも詳しく紹介いたしましたが、川又発電所取水口工事のために入川軌道が奇跡の復活を遂げたのは1983(昭和58)年4月。それから8月末までわずか5ヶ月ほどの、まさにつかの間の夏のことでした。
では以下、石澤さんのレポートをご覧ください。

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▲写真でもお分かりのように、当番の動力車は2号機が横置きエンジンのベルト駆動で、3号車が縦置きエンジンでまだ見慣れた機関車然としていましたがなかなかのゲテモノぶりに感動!2号車はナベトロチックな貨車(ただ台車に索道用のナベを乗せただけ)と足場のような鋼材を乗せた台車2輌編成がティンバー手前で脱線し悪戦苦闘。'83年初夏 P:石澤 究
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先日編集長敬白のページおよびRM本誌に「入川林用軌道」の記事が載り、以前もトワイライトゾ~ンにて拝読いたしておりましたが、とても懐かしくお便りさせていただいた次第です。
私は当年とって48歳になります。
鉄道の趣味は写真を中心に昭和48年頃から始めました。始めたころはまだ小学生ということもあり、またSLの最晩年にも当たりそのほとんどは、実際に写真を撮ったこともなくRMをはじめ諸兄の方々の写真を楽しませていただいております。
また、大変興味を持ったナローの世界も1975年の木曾谷の終焉には中学生で、現地から遠く離れた福岡在住でしたので、テレビや新聞で記事を読んだ程度でライブでの林鉄にはお目にかかれず終いでした。
しかしながら、大学時代に「入川」で林鉄が動くとの情報を聞きつけ、同友2人と現地を訪れることにしました。
今思えば、もっと行けばよかったと後悔しきりですが、モノクロ3本にしっかりと林用軌道の息吹をとらえてまいりましたので、拙作ながら笑覧いただけたら幸いと存じます。

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▲写真ではわかりづらいですが3号車と2号車の続行運転でした。'83年初夏 P:石澤 究
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▲索道との合流点での風景。機関士?さんのスナップをいただきました(左)。中でも感動したのはこの木材列車?です。林鉄ライブ初の私としては大感激。木曾谷他でも日常の風景として展開されたことでしょう(右)。'83年初夏 P:石澤 究
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▲そして、木材を満載した列車?の走行風景です。折からの雨でガスった感じはまるで屋久島にでもいるような錯覚を覚えました(左)。こんな断崖を削っただけの小径をヘロヘロレールが伸びていて興奮の連続でした(右)。'83年初夏 P:石澤 究
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▲ところどころに存在するティンバートレッスルにも感動いたしました。(左)。本線最大の見せ場であるΩカーブでの木材列車です。(右)。'83年初夏 P:石澤 究
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石山に残る小型木造庫。

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▲さながら小レイアウト上のストラクチャーのような小型木造矩形庫。かつてはどこにでも見られたこのような建造物も、今や風前の灯。“そのうち”ではなく“今”記録しておくことこそ肝要。'09.8.15 石山
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東海道本線石山といえば、京阪石山坂本線との接続駅であるとともに、かつては東洋レーヨン専用線のポーターCタンク(現在「加悦SL広場」で保存)や日本電気硝子専用線のホイットカムなど、個性的なスイッチャーたちに彩られた専用線群でも知られていました。残念ながら一昨年の日本電気硝子専用線廃止でかつての賑わいはどこへやら、現在では構内に貨車の姿を認めることさえできませんが、往時を彷彿させる魅力的なストラクチャーが残っていると知り、先日立ち寄ってみました。

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▲石山駅構内から緩い曲線を描いて伸びる専用線。画面奥が石山駅旅客ホーム(左)。屋根上には煙出しの煙突と換気扇が見える(右)。'09.8.15 石山
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情報源は本誌トワイライトゾ~ンに森田利成さんがお寄せくださった記事。今年3月14日のダイヤ改正で日本電気硝子専用線への分岐器が取り外されてしまい、ついに専用線が孤立してしまったが、スイッチャー小屋だけはまだ残されている…という報告でした。周囲の近代化からそこだけ取り残されたような木造の小型車庫は模型心をくすぐる趣深いものです。

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▲庫の横をすり抜けた線路はすぐに一般道を横切って工場内へと入ってゆく。'09.8.15 石山
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石山駅の北口は京阪との接続で賑わう南口とは打って変わって、まるで日本電気の専用出口のような雰囲気で、階段を下りてこれまた企業専用駐輪場の脇を左に進んでゆくと、その名も「側線門」という専用線入口に至ります。この手前、JRの構内側にお目当ての木造矩形庫が残されていました。残念ながら敷地内のため近付くことはできませんが、外から観察するに全長は10mほどでしょうか、屋根に煙出しのような煙突と古めかしい換気扇を備えていることから見ても、かなりの年代ものに見受けられます。

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▲一般道を横切った線路はその名も“側線門”をくぐって工場内へ。なお、社名はNECセミコンダクターズ関西㈱に変わっている。'09.8.15 石山
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資料によれば、この庫には古くはホイットカム製の10t機が、その後は伊予鉄道からやってきたDB3が収まっていたはずです。近年は日本輸送機がOEM生産した三菱製15t機が活躍していたようですが、残念ながら私はそのいずれも実見することはかないませんでした。
車輌の姿はなくとも、こんなささやかなストラクチャーからも夢は広がります。ただ、「ここにあるスイッチャ-小屋もそのうち壊されるのではないでしょうか」と森田さんが結ばれているように、このささやかな庫も遠からずその姿を消してしまうに違いありません。

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▲長津田車両工場の天井クレーンに吊り上げられるデキ3021。この工場の開設とともに長津田の地にやってきたデキ3021だが、ついに住み慣れた地を去る日がやってきた。なお、東急の車籍は1980(昭和55)年に抹消されており、以後は機械扱いとなっていた。'09.9.24 東急電鉄長津田車両工場 P:RM(高橋一嘉)
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本誌312号で東急長津田車両工場の入換車(デキ3021、ED30 1、デワ3043)引退の報をお伝えいたしましたが、このうちのデキ3021が縁あって上毛電気鉄道で保存されることとなり、先日約37年間にわたって過ごしてきた長津田の地をあとにしました。

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▲超低床トレーラーに載せられて工場建屋を出るデキ3021。'09.9.24 東急電鉄長津田車両工場 P:RM(高橋一嘉)
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9月24日、長津田車両工場の建屋内に引き込まれたデキ3021はパンタグラフを外され、天井クレーンに吊られて待ち構えた超低床トレーラーへと載せられ、一般道を終の棲家となるであろう群馬県の上毛電気鉄道大胡車庫(アーカイブ「上毛電気鉄道大胡車庫を訪ねる」参照)へと向かいました。

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▲搬送にあたっては高さ制限からパンタグラフが取り外された。'09.9.24 東急電鉄長津田車両工場 P:RM(高橋一嘉)
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デキ3021は1929(昭和4)年川崎車輌製(製番31、ただしメーカー側資料では1930年3月製)の40t機で、東急電鉄の前身である東京横浜電鉄のデキ1として就役しました。いわゆる大東急時代に電動貨車に準じてデキ3020形デキ3021に改番され、戦前・戦後を通して東横線唯一の電気機関車として活躍を続けてきました。同系機には製造番号1番違い(製番32)の弟、高畠鉄道デキ1(のちの山形交通高畠線ED1)や、伊勢電気鉄道デキ501・502(のちの近畿日本鉄道デ1・2/製番26・27)がいます。
(詳しくは『新ディテールファイル』参照)

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▲準備完了、長津田車両工場をあとにいよいよ上毛電気鉄道を目指すデキ3021。'09.9.24 東急電鉄長津田車両工場 P:RM(高橋一嘉)
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上毛電気鉄道では、次の日曜日10月18日に「上毛電鉄感謝フェアイベント2009」を開催しますが、その際に保存車として仲間に加わったデキ3021も初めてお披露目される予定です。

091011nfig.jpg■上毛電鉄感謝フェアイベント2009
このイベントではデハ101を臨時運行するほか、大胡電車庫においてデハ101、デハ104、さらに東急電鉄より搬入予定のデキ3021の写真撮影会などを予定している。
■日時:2009(平成21)年10月18日(日) 9:30~16:00
■実施内容
●大胡会場 大胡駅徒歩1分
○デハ101・デキ3021・デハ104写真撮影会
○電車庫見学会(登録有形文化財)
○鉄道グッズ販売(東武博物館、東急電鉄、上信電鉄、わたらせ渓谷鐵道、上毛電鉄 によるグッズ等の販売)
○ミニトレイン運行(2015年の公共交通をつくる会)
○軌道自転車・人車体験乗車
○車輌の洗車体験
○犬釘打ち体験
○制服撮影会
○上泉伊勢守コーナー
○東京スカイツリー(建設中)写真パネル展示
○東武鉄道旧57型車輌台車展示
○五代目堀込小源太&上州桂会の八木節と踊り
○食べ物・飲み物コーナー
●西桐生会場 西桐生駅
○買場紗綾市(かいばさやいち)
 桐生の織物関係及び食品の販売
○伝統的建造物群保存地区の紹介パネル展示
○近代化遺産のパネル展示
○市内の近代化遺産めぐり
 モデルコースのパンフレット配布
※当日は上毛電鉄一日乗り降り自由の切符『ワンデーフリー切符』を発売(大人用800円・小児400円)。この『ワンデーフリー切符』は10月・11月の土曜、日曜、祝日および10月28日の「県民の日」の計22日間発売する
(都合により内容を変更することもある。)

■10月18日(日) デハ101臨時運行時刻表
            大胡 9:50→西桐生10:27
 中央前橋11:52←大胡11:32←西桐生10:55
 中央前橋12:00→大胡12:18
            大胡13:20→西桐生13:57
 中央前橋15:22←大胡15:02←西桐生14:25
 中央前橋15:30→大胡15:48
(混雑の場合は乗車できないこともある。)

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▲デキ3021のお披露目を一週間後に控えた上毛電気鉄道大胡駅。公開当日はこのデハ104の撮影会も予定されているとのこと。'09.10.10 上毛電気鉄道大胡 P:名取紀之

土壇場で解体を免れ、上毛電気鉄道という新天地で保存されることとなったデキ3021ですが、実はこのレスキューには、故吉川文夫さんの天国からのお導きがありました。その辺の経緯はまたいずれお伝えできる機会が来るかも知れません。

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▲高砂検車区で顔を揃えた3300形懐かしの塗色車たち。手前から“ファイアーオレンジ”、“赤電”、“青電”。'09.10.3 高砂検車区 P:RM(新井 正)
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今年創立100周年を迎えた京成電鉄では、これを記念して往年の塗色をリバイバル塗装した記念列車を次々と登場させています。先日、出揃った3種類のリバイバル塗色車が勢ぞろいしてプレス公開が行なわれましたので、まずはその様子をお目にかけましょう。

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▲創立100周年記念リバイバル塗色車勢ぞろい。9月19日に第3弾となる“ファイアーオレンジ”が運用を開始し、ついに3色が営業運転入りした。'09.10.3 高砂検車区 P:RM(新井 正)
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第1弾としてまず登場したのは6月30日より運行を開始した“青電”(3356-3355-3354-3353)、続いて8月25日には“赤電”(3324-3323-3346-3345)、そして先日、9月19日には第3弾の“ファイアーオレンジ”(3312-3311-3310-3309)がデビューし、ついに3つの歴代カラーが営業線上に戻ってきました。

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▲リバイバル塗色車運行を告げるポスター。右は車体側面に張られた創立100周年のステッカー。'09.10.3 高砂検車区 P:RM(新井 正)
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3編成ともに現在は通常の運用に充当されており、京成成田-成田空港間を除く京成線全線(都営浅草線・北総線へは乗り入れず)でその姿を目にすることができます。もちろん限定運用ではありませんので、どの列車に充当されるかは指定されておらず、いったいどの色に出会えるかは運次第。それもまた楽しそうではあります。

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▲さまざまな世代がさまざまな思い出とともに見つめるであろう3色のリバイバルカラー。しばらくはその姿を目にすることができる。'09.10.3 高砂検車区 P:RM(新井 正)
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今後、当分の間はこのリバイバルカラー3編成の姿を見ることができるはずで、運が良ければ試運転を開始した新型スカイライナー(アーカイブ「新型スカイライナー誕生」参照)との出会いもファインダーに収めることができそうです。

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▲千葉駅で顔を合わせた“赤電”と“青電”。しばらくはこんなラッキーなシーンに出会うことができるかもしれない。'09.9.19 千葉 P:稲葉克彦さん (今日の一枚より)
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▲“NE Train スマート電池くん”の外観。パンタグラフを搭載して、蓄電池ユニット搭載部の側窓を換気口に変更している。 JR東日本提供

キハE200系ディーゼルハイブリッド車輌を開発し、2007(平成19)年から小海線で営業運転を行なっているJR東日本は、さらに新たな非電化区間の環境負荷の低減策として「蓄電池駆動電車システム」の開発を進めていますが、このシステムを搭載した試験車輌がこのほど完成いたしました。その名も“NE Trainスマート電池くん”。電化区間では通常の電車として走行し、非電化区間では蓄電池のみで走行、さらに折り返し駅などの非電化駅に設けられた地上側充電設備で充電して走行することが可能で、今月から試験走行を開始する予定です。

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▲主な改造項目の概略図。 JR東日本提供

「蓄電池駆動電車システム」は、電車に大容量の蓄電池を搭載して非電化区間の走行を可能とするものです。環境負荷の低減(CO2排出や騒音の低減)や車輌運用の効率向上(電化区間・非電化区間の共通運用化)、車輌メンテナンスの効率化(エンジン・変速機など手のかかる機械部品の削減)の実現を目指します。

091009n005.jpg試験車輌“NE Trainスマート電池くん”は、燃料電池ハイブリッド車の“NE Train”(旧キヤE991系=アーカイブ「世界初燃料電池ハイブリッド鉄道車輌誕生」参照)を東急車輌で改造したもので、全長は19500mm、幅は2800mm、全高は4052mm、重量は44t。制御システム機器と大容量蓄電池を搭載し、屋根上には停車中の大電流通電に対応した、試作型シングルアーム式パンタグラフが新設されています。側窓の一部を換気口に変更して、この部分の室内にはリチウムイオン蓄電池9ユニット(600V、163kWh)が搭載されています。床下には、架線の直流1500Vと蓄電池用600Vを双方向に変換できる電力変換装置と、VVVFインバータ方式(入力電圧600V)のモーター制御システムを搭載。主電動機は誘導電動機95kW×2台が1台車のみに装架されています。
▲室内に搭載された蓄電池ユニット。 JR東日本提供

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▲運転モードと開発課題。 JR東日本提供

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▲試験車輌“NE Trainスマート電池くん”主要諸元表。 JR東日本提供

最高速度は100km/h。平坦な線区で駅停車時の電力消費を含まない場合は、約50kmの走行が可能とのことです。なお、試験走行は大宮総合車両センター内の構内試験線で今月から開始するとともに、来年1月頃からは本線での試験走行を予定しており、試験では最適な蓄電池容量の見極めや、充電に要する時間などが検証されます。また、非電化区間の地上側に設ける充電設備の開発を進めるほか、2010(平成22)年度以降には、車輌と地上側に設ける充電設備を組み合わせた「蓄電池駆動電車システム」の総合試験を実施する予定となっています。

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▲林業機械化センターに仮設された線路をエンジンの唸りも勇ましく疾走するホイットカム。距離は短いとはいえ、“動態”の素晴らしさをあらためて実感。'09.10.4 P:木村一博
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昨日は津軽森林鉄道の保存車輌が焼失という残念なニュースをお伝えいたしましたが、同じ森林鉄道の保存車輌でも、打って変わって今日は明るい話題をご紹介いたしましょう。日曜日に行なわれた「第4回 根利森林鉄道まつり」で、なんと1926(大正15)年米国ホイットカム製のガソリン機関車が“動態復活”を遂げたのです。

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▲午前11時開式。林業機械化センター所長の挨拶に始まり、「よみがえれボールドウィン実行委員会」の丸山会長、来賓各位の挨拶ののち、お披露目のテープカットが行なわれた。'09.10.4 P:木村一博
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沼田市利根町根利にある林野庁森林技術総合研修所林業機械化センターが所管している森林鉄道車輌が経年劣化してしまっているため、これを見かねた有志が「よみがえれボールドウィン実行委員会」を立ち上げたのが2006(平成18)年のこと。同年にはボールドウィン3号機(1921年製)の塗装修復を完了し、以後、2007(平成19)年には協三工業製DL(1956年製)、2008年(平成20)年にはわが国の森林鉄道に初めて導入された輸入ガソリン機関車の1輌であるホイットカム(長野営林局7号)と作業を進めてきました。今年は運材台車(岩崎レール工業製)の塗装修復作業を行っていましたが、実は並行してホイットカムの動態化も進めていたのだそうです。

091008whitcomb04n.jpg好天に恵まれた10月4日(日)、多くの来場者の前で、当日一番のサプライズとしてホイットカムの動態披露が行なわれました。開会のテープカットに続いて「ホイットカム」の警笛が2声。すると重厚なセルの回転音とともにエンジンが始動、ホイットカムが息を吹き返したのです。その後、呼応するかのように「ボールドウィン」「協三DL」と汽笛2声で応じ、再び「ホイットカム」が警笛1声。運材台車を牽いた「ホイットカム」が多くのギャラリーに見守られながら走り出しました。1回目の披露運転は一往復。停車してエンジンを止めると、会場は大きな拍手に包まれたそうです。
▲運材台車が連結されるとホイットカムの手ブレーキだけでは心許ないため、ブレーキ係が運材台車に添乗しブレーキをアシストする。'09.10.4 P:木村一博
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今回の披露にあたっては、保管されている古レール(15㎏/m)を使用して、既設の展示用線路から15mほど延長するかたちで仮設線路が敷設されました。歪んでいるレールを「ジンクロ」という道具で修正し、枕木を並べてスパイクしていきますが、想像以上にたいへんな作業だったようです。

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▲運材台車の最後の仕上げ(左)。塗装剥離前に写し取っておいた「営」の字を完成した台車に書き写してゆく。右はレタリングも完了した晴れ姿。'09.10.3/4 P:木村一博
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展示棟建物内ではこれまでの修復過程を紹介したパネル展示も行なわれ、車輌修復とともに進められてきた根利地区に存在した森林鉄道(利根林道)遺構調査報告の展示も行なわれました。

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▲ボールドウィンと並んだ“動態”のホイットカム。来年の「育樹祭」に向けて新たな展開が期待される。'09.10.4 P:木村一博
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ところで来年秋に行なわれる「第34回全国育樹祭」の開催地は群馬県。この千載一遇の機会に、「よみがえれボールドウィン実行委員会」のこれまでの成果がどう反映されてゆくのかも、今から楽しみでなりません。
なお、木村一博さんからホイットカム走行シーンの動画をお送りいただきましたのでご覧ください。

動画「ホイットカム+運材台車習熟運転」(2分33秒)は→こちら
動画「ホイットカム添乗」(2分57秒)は→こちら

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▲すっかり焼け落ちてしまった津軽森林鉄道の客車。隣の運材台車にも延焼してしまっているのが見てとれる。'09.9.20 P:芝山喜久男
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わが国最古、かつ最大規模を誇った「津軽森林鉄道」については、3年ほど前にその現状をお伝えしましたが(アーカイブ「津軽森林鉄道跡をゆく」参照)、その際にもご紹介した五所川原市金木町の金木歴史民俗資料館前の保存車輌が、先月、なんと火災によって焼失してしまいました。

091007n076.jpg地元紙『陸奥新報』の報道によれば、9月9日午前1時過ぎ、芦野公園横をクルマで通りかかった人から展示車輌が燃えているとの119番通報があり、ただちに消防が出動したものの、木造の客車と運材台車の荷台部分の木材、それに展示場の屋根が焼失してしまったとのことです。芦野公園では7月にも看板が燃やされる不審火があり、どうやら人為的な放火によるものと思われます。
▲焼失前の展示状況。酒井工作所製5t機が牽く列車を見立てて、中間には運材台車を挟んだミキストとして展示されていた。'06.11.24 P:名取紀之
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▲展示場の屋根も焼け落ちてしまった現状(上)と、きれいに整備されて展示されていた3年前の状況。機関車のキャブ後部も一部焼損しているようだ。'09.9.20 P:芝山喜久男/'06.11.24 P:名取紀之
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報道から一ヶ月近く、いったいどんな状況なのか気になっていましたが、先日、『国鉄時代』でも健筆をふるわれている芝山喜久男さんが現地を訪問、その画像をお送りくださいました。芝山さん曰く…
「好天に恵まれた連休、津軽鉄道の撮影を楽しむ合間に訪問しましたが、骨組みとなった復元客車や煤残る木材車に、思わず心曇る惨状でした。」
写真を拝見するに、やはり客車は骨組みだけを残して焼け落ちてしまっており、いわば全焼の状況です。しかし心配された機関車までは類焼が及ばなかったようで、写真を見る限りでは、大きなダメージがなさそうなことだけが救いでしょうか。

091007n079.jpgこの機関車と客車、それに運材台車は1967(昭和42)年の最終廃止まで金木営林署に残されていたもので、廃止後はながらく金木小学校大東ヶ丘分校に保存されていました(当時の画像は→こちら)。1997(平成9)年に、「わが国最初の森林鉄道」の歴史を後世に伝えようと、地元・金木町が金木営林署や林鉄関係者有志の協力を得て芦野公園内の歴史民俗資料館前に移設・展示したものですが、この際に腐食の激しかった客車の車体部分はコマツ青森㈱の手によって新たに作り直されています。
▲展示開始から7年近く経過するにも関わらず、素晴らしい保存状態だった客車。車体は復元したものとはいえ、なんとも残念。'06.11.24 P:名取紀之
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このような経緯だけに、客車は厳密に言えばオリジナルではありませんが、原形に忠実に、しかも名産のヒバ材を用いて丹念に作られた車体だっただけに、かえすがえすも残念でなりません。

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▲サイドから編成全体を見るとその惨状が良くわかる。幸い機関車のダメージはそれほど大きくなさそうで、再整備されるのを祈るばかり。'09.9.20 P:芝山喜久男
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先日、10月4日夜には岩手県二戸市にある“座敷わらし”が出る旅館として知られる「緑風荘」が焼失する火災が起きています。直近の例だけでも、モーガン邸、旧吉田邸、そして“トトロの家”と歴史的建造物の罹災が相次いでおり、今回の火災にも言葉がありません。何とか再生していただければ…と願うばかりです。

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▲秋風の津軽海峡を横目にED79牽引の14系団臨がゆく。この付近は津軽森林鉄道がさながら複線のように津軽線に寄り添っていたはず。'09.9.6 津軽線蟹田-瀬辺地 P:芝山喜久男
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最後に芝山さんからお送りいただいた画像の中にあった津軽線蟹田-瀬辺地間の写真をお目にかけましょう。芝山さんは小ブログで津軽森林鉄道の概要をお知りになったそうで、「ブログを拝読して、この夏、ほかの撮影の合間に津軽林鉄の保存車を巡りましたが、全盛期を想像するだけで、ワクワクしてしまいます。(中略)この写真の手前に並行する道路のあたりが林鉄軌道跡と思うと、興味津々でした」と書き添えてくださっています。

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特急「きのさき」や「北近畿」などで運用されている183系特急型電車の置き換え用として、JR西日本は新型直流特急型電車287系を投入すると発表しました。
▲287系の外観レンダリング。カラーリング等は後日決定される。 イラスト:JR西日本提供

基本コンセプトは新型“サンダーバード”を踏襲しつつ、さらなる安全性向上のため車体の構造強化を行ない、オフセット衝突対策や衝撃吸収構造が採用されます。また外観の先頭形状は“サンダーバード”など在来のJR西日本の特急のデザインを踏襲しつつも、新たなデザインとするとしており、外観カラーリングの詳細は追って発表される予定です。

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▲ついに終焉の時が迫ってきた福知山電車区の183系。国鉄特急色に順じた塗色で「北近畿」に充当されている。'09.9.21 福知山線川西池田 P:田井 直さん (今日の一枚より)
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また、客室内も新型“サンダーバード”のコンセプトを踏襲した設備とし、多目的室や車いす対応トイレを設置してバリアフリー対応を図るとともに、座席の座り心地の向上や足元スペースの拡大、女性専用トイレの設置、グリーン車の全座席と普通車の車輌最前部・最後部座席へのモバイル用コンセントを設置といった、車内での居住性・快適性の向上も図られる予定です。

投入輌数は4輌編成×7本と3輌編成×6本の計46輌。2011(平成23)年春頃より大阪・京都―城崎温泉・天橋立・東舞鶴間などで営業運転を開始する予定で、JR西日本の183系最後の牙城・福知山電車区も大きな変貌を遂げることとなります。

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▲工業技術博物館では動態保存されている2109号機を特別運転していただいた。1891(明治24)年製の“英国機”の元気な姿にゴードンさんも感激の様子。ただ、降り止まぬ雨には「テクノロジーの発達した日本には“雨のスイッチ”があるだろう。オフにしてくれ。」と無理な注文も…。'09.10.2 日本工業大学工業技術博物館
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2日目は埼玉県宮代町にある加盟団体・日本工業大学の工業技術博物館を見学いたしました。東武伊勢崎線の東武動物公園駅にほど近い日本工業大学は、B6・2109号機の動態保存で知られていますが、収蔵機器178点が国の登録有形文化財という工業技術博物館は世界に誇れる施設で、この機会にゴードンさんらにも是非ご覧いただこうと、松野建一館長にご案内いただきました。

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▲工業技術博物館はわが国の産業発展に寄与した工作機械等250台以上を機種別、製造年代別に展示しており、しかもその7割が“動態”で維持されている。写真はベルト伝道の機械加工工場で、東京の実在工場をほぼそのまま移設しており、こちらももちろん動態。'09.10.2 日本工業大学工業技術博物館
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この工業技術博物館には“マザーマシン”と呼ばれる各種の機械製品を生み出す工作機械を中心に、大小合わせて400点以上にのぼる機械・機器類が保存されており、しかもその多くが動態であることが驚異的です。

091002n006.jpg2109号機もこの工業技術博物館の収蔵・展示品のひとつで、もちろん動態に保たれています。通常は毎月第3土曜日(8月、12月を除く)に有火運転が行われていますが、この日は日本鉄道保存協会の見学会ということで特別に運転していただくことができました。参加団体にはこのB6の寄贈元である大井川鐵道さんもおられ、ひさしぶりに目にする元気な姿には感無量のようでした。
▲本館入口には1909(明治42)年フランス・ドライエ社製の古典自動車が素晴らしい状態で展示されている。'09.10.2 日本工業大学工業技術博物館
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▲快走する2109号機のキャブ。右側運転台で、お話によると現在の使用圧力は4㎏/c㎡、元空気溜めへの補給は地上のコンプレッサーを併用しているとのこと。'09.10.2 日本工業大学工業技術博物館
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ところでこの2109号機を目にして最初にゴードンさんがおっしゃったのが、キャブの屋根が嵩上げされているということ。確かに多くのB6はキャブ屋根が嵩上げされていてオリジナルのシルエットを崩していますが、B6自体をご存知のはずもないのに、ひと目見てそこを指摘するゴードンさんの慧眼にはあらためて恐れ入りました。

091002n002.jpg松野館長のご配慮でゴードンさんとマーチンさんをキャブにご案内。わずかな距離ながら自走する“19世紀の英国機”を体感していただくことができました。保存状態の素晴らしさにもいたく感激されたようで、昼食会を兼ねて行なわれたフェアウェル・パーティーでは、「わが英国の“最新”の機関車をお買い上げいただきありがとう」とまたまた冗談を交えてその感動を語っておられたのが印象的でした。お二人はこの日の夕方の成田エクスプレス、しかも営業運転二日目のE259系で成田空港へと向かわれ、続いてオーストラリアで行なわれる保存鉄道国際会議に出席のため日本を後にされました。
▲これが英国式の投炭だ…とばかり投炭にトライするゴードンさん。さすがに手馴れたもの。'09.10.2 日本工業大学工業技術博物館
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▲B6のキャブでゴードンさんとマーチンさんお二人揃って名残の記念撮影。お二人にとって初めての日本でのエクスペリエンスは生涯忘れ得ぬものとなったに違いない。'09.10.2 日本工業大学工業技術博物館
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東武博物館と日本工業大学を舞台に催された今回の日本鉄道保存協会総会も、多くの加盟団体、賛助会員、そしてオブザーバーの参加を得て成功裏に幕を閉じることができました。来年の総会開催地団体は北海道遠軽町(丸瀬布森林公園いこいの森)。それまでには一般社団法人化をはじめとして課題が山積していますが、私も顧問の一人として微力ながらお手伝いできればと思っております。

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▲総会を前に東武博物館リニューアルオープン後の人気展示5700系を見学。復元の経緯のみならず、その理想的な保存展示方法が参加加盟団体の関心を呼んでいた。'09.10.1 東武博物館
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19年目を迎えた日本鉄道保存協会の年次総会が東京・東向島の東武博物館を会場に開催されました。日本鉄道保存協会は歴史的鉄道車輌や構造物、建物等を保存している団体が集い、情報を交換するとともに将来にわたる保存・活用を推進することを目的として設立された任意団体で、現在、JR各社をはじめとした鉄道事業者はもとより、北は遠軽町(旧丸瀬布町)から南は屋久島町まで33団体が加盟しております。

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▲モハ5701車内で花上館長の解説に耳を傾ける参加者たち(左)。右は新たに展示に加わった“ネコひげ”復元用の先頭部金型。'09.10.1 東武博物館
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今回の総会はこの7月にリニューアルオープンしたばかりの東武博物館(アーカイブ「東武博物館がリニューアルオープン」参照)のホールをお借りして行われました。総会に先だち、同博物館の花上館長のご案内でリニューアル後の最大の見所とも言える“ネコひげ”ことモハ5701とED101を見学、その理想的な保存・展示方法に参加者からも賞賛の声があがっていました。

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▲もうひとつの目玉展示、1928(昭和3)年英国イングリッシュ・エレクトリック製のED101にはゴードンさんらも大興奮。ディッカーの銘板を前にご満悦。'09.10.1 東武博物館
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ゲストとして来日されているゴードン・ラシュトンさんはナローゲージの電気機関車が何よりもお好きとのことで、お国のイングリッシュ・エレクトリック製の“ナロー電機”ED101には大興奮。花上館長のおはからいで特別に入れてもらった運転席に座り、英国式に背筋を伸ばしてエンジニア・ポーズをとり、記念撮影に興じておられました。

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▲午後からはいよいよ総会議事が始まった。会場は東武博物館の素晴らしいホールで、昨年に続いて司会進行は私が務めさせていただいた。'09.10.1 東武博物館 P:木村一博

総会ではこれまで代表幹事団体を務めていた財団法人交通文化振興財団が、東京・神田の交通博物館の残務処理終了にともなって大阪(交通科学博物館)に移転するため、新たに財団法人交通協力会(東京・千代田区)を代表幹事団体とするとともに、新しい公益法人制度を利用し、早い時期に一般社団法人化することが決議されました。

091004n008.jpg続いて観光庁の和田浩一観光資源課長による記念講演「観光立国の取り組み」が行われました。折りしもこの日、10月1日は国土交通省内に観光庁が設立されてちょうど一年目にあたります。2006(平成18)年12月に観光立国推進基本計画が策定されて以後、わが国は2010(平成22)年までに海外からの来日観光客を1000万人/年に増やすべく“VISIT JAPAN CAMPAIGN”をはじめとするさまざまな施策を講じてきましたが、国外のみならず、国内の観光資源の掘り起こしも、地域活性化と少子高齢化時代の経済活性化の切り札として積極的に取り組んでおられる現状が披露されました。鉄道を題材とした観光地域創りの例として、参加団体でもある若桜町が取り上げられ、今後は観光庁が軸となった産学官の連携強化も重要との認識を示されました。
▲観光庁の和田観光資源課長による講演「観光立国の取り組み」。終了後には参加団体からの熱心な質問があいついだ。'09.10.1 東武博物館
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091004n009.jpg恒例となったシンポジウムでは、陸別町商工会(りくべつ鉄道)小田専務理事、若桜鉄道沿線活性化協議会・若桜町自立政策課竹本係長、片上鉄道保存会森岡代表がそれぞれの取り組みを報告、コメンテーターとして顧問の堤 一郎先生が登壇いたしました。保存鉄道というカテゴリーが存在しない法令の狭間での苦悩や、資金の確保、それにマンパワーの問題と、決して他所事ではない報告に、会場の参加団体を交えて熱心な討議が続きました。
▲シンポジウムでは加盟3団体による事例報告が行われた。それぞれのフィールドでの取り組みがパワーポイントを駆使して披露され、続いて問題提起がなされた。'09.10.1 東武博物館
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▲会場を錦糸町の東武ホテルに移してゴードンさんによる特別プレゼンテーション「フェスティニオグ鉄道とウェルシュ・ハイランド鉄道」が行われた。次々と披露される支援の厚みに驚嘆の声があがった。'09.10.1 東武ホテルレバント東京

会場を懇親会が行われる錦糸町の東武ホテルレバント東京に移し、ゴードン・ラシュトンさんによる特別講演「フェスティニオグ鉄道とウェルシュ・ハイランド鉄道」が行われました。ゴードン・ラシュトンさんは英国屈指の保存鉄道、ウェールズのフェスティニオグ鉄道の元総支配人で、現在は英国鉄道保存協会で活躍されておられます。フェスティニオグ鉄道は1832年の開業で、ゲージは1フィート11 インチ半(600㎜)。現存する営業鉄道としては世界最古のものです。1946(昭和21)年に廃止されたものの、保存鉄道として復活、現在は実に6000名のメンバーによって運営されているそうです。

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▲参加者全員揃ってエントランスホールで記念撮影。今年の総会では東武博物館の全面的なご支援をいただいた。'09.10.1 東武博物館 P:山崎友也

しかも訪問者数は年間18万人、収入は何と3億円にのぼるとのことで、パワーポイントの画面を見つめる参加者からは大きな溜息が漏れていました。1937(昭和12)年に廃止されたお隣のウェルシュ・ハイランド鉄道の復活も進めており、今年、ついにこの両者を接続することがかない、ウェールズ地方に一大保存鉄道ネットワークが完成しました。このように順風満帆に進んできたかに見えるゴードンさんらの活動ですが、今回のプレゼンテーションで沿線住民への説明や行政の説得などたいへんなご苦労があったことが知れ、加盟団体にとっても大きな参考となったはずです。

ちなみにこのフェスティニオグ鉄道、スペルは“Ffestiniog”で、発音がきわめて難しく、ゴードンさんにマンツーマンで教えを請いましたが、なかなかOKをもらえませんでした。

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