鉄道ホビダス

2009年9月アーカイブ

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▲初めての来日というGordon Rushton さん。英国紳士らしい冗談を交えての熱い鉄道談義が続く。'09.9.29
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明日、10月1日から始まる日本鉄道保存協会の年次総会に合わせて、英国屈指の歴史ある保存鉄道Ffestiniog & Welsh Highland Railwaysで長年にわたって重責を務められたGordon RushtonさんとMartins Kreicisさんが来日、昨晩は東京・有楽町のレストランでささやかなウェルカム・パーティーが催されました。(昨年の総会の様子は→こちら

090930n2206.jpg先週来日されたお二人は、すでに肥薩線、山口線、梅小路、そして大井川鐵道と意欲的にわが国の動態保存蒸気機関車を訪ねられたそうで、新幹線を代表として、今や本家イギリスを遙かにしのぐ鉄道王国=日本を存分に堪能されたご様子。なかでも大井川鐵道井川線にはいたって感激され、その印象を繰り返し語っておられました。それもそのはず、お二方ともに熱心なナローゲージャーで、ゴードンさんはとりわけ電気機関車、マーチンさんはロッギング、つまり森林鉄道がお好きだそうですから、その両者のエッセンスを兼ね備えた井川線がお気に召したのも当然かもしれません。
▲ゴードンさんと一緒に各地を回られているMartins Kreicis さん。米山顧問が撮影した丸瀬布の画像に食い入るように見入っておられた。'09.9.29
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▲洋の東西を問わず、同じ趣味を共有し、そして保存活動に取り組む者同士ゆえ、初対面とはいえすぐに旧知の仲のように…。左から顧問の小池 滋先生、交通協力会菅 建彦会長・理事長、ゴードンさん、マーチンさん。'09.9.29

私が英国ナローゲージ・レイルウェイ・ソサエティーの会員証を見せるとたいそう驚かれ、話は一気に世界各地のナローゲージへ…。ちょうど名詞代わり(?)に持参していた小ブログのHythe Pier Railway(アーカイブ「最古の桟橋ナローHythe Pier Railway」参照)のプリントアウトをお渡しするとさらに驚かれ、“crazy”だとの有難いお褒めのお言葉(?)を頂戴いたしました。

090930n2264.jpgところでこの機会にうかがってみたかったpronunciation(発音)に関して貴重なお話を聞くことができました。まずは古くから諸説入り乱れていたメーカー名“Dubs”ですが、“Duebs”つまりカタカナ表記すると“ドゥェブス”が最も近い“音”のようです。1080号機のメーカーでもある同社ですが、従来語られてきた“ダブス”よりも“デゥープス”の方がネイティブ・スピーカーには認識されやすいことになります。
ところで、冗談好きのゴードンさんが余談として語るに、あるレストランでたいそう美味しい鶏料理を食べたお客が、ネイティブ・スピーカーではないウェイターにこの鶏料理はたいそう“Lovely”だと賞賛したところ、そのウェイターは料理長に“Rubbery”だと伝えてしまい、大変な悶着になったとか…。そう、“Rubbery”はゴムのように噛みきれなくぐにゃぐにゃしているという意味で、ことほどさように発音は難しいものというオチなのでしょう。
▲お土産に頂戴したDVD。“NARROW GAUGE Story 2”と題された2時間もので、ゴードンさんらもプロデューサー、カメラマンとして制作に参画している。内容はキングストン・フライヤー(ニュージーランド)からオーストリアのアッヘンゼー、インドのダージリン、マヨルカ島の古典電車とまさに百花繚乱。

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▲楽しく、そして有意義な夜も更けて記念撮影。左から日本鉄道保存協会顧問の堤 一郎先生、事務局として中心になっておられる菅 建彦交通協力会会長・理事長、来日したお二方のアテンドをなさっている小田恭一さん、ゴードンさん、顧問の米山淳一さん、マーチンさん、顧問の小池 滋先生、そして私。 '09.9.29
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ところで会場に選んだのは有楽町駅が間近に見下ろせるテラス付きのレストラン。新幹線の横をひっきりなしに行き交う山手線、京浜東北線、それに東海道線の“ナローゲージのコミューター・トレイン”を眼下にしてマーチンさんに「ここはナローゲージ・パラダイスだね!」と言われてしまったのには、さすがの私もちょっとビミョーではありました。

※というわけで、明日より日本鉄道保存協会総会のため小ブログは休載させていただきます。10月4日より再開予定ですので、なにとぞご了承ください。
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かつての三池炭鉱の町として知られる福岡県大牟田市の教育委員会から、興味深い「旧三池炭鉱専用鉄道電気機関車特別公開」のご連絡をいただきましたので、今日はさっそくその概要をご紹介してみたいと思います。
▲現役時代のシーメンス製1号機。1911(明治44)年製の超古典電気機関車である。'96.1.17 三池港
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三池炭鉱専用鉄道は福岡県大牟田市と熊本県荒尾市にまたがって路線を巡らせていた運炭鉄道で、一時は地方鉄道として三池浜駅~三池港駅間の旅客輸送も行なっていました。1973(昭和48)年7月末日で旅客営業を終えてからも、多くの支線を擁するわが国屈指の専用鉄道として活躍を続けていました(ムック『模「景」を歩く』参照)。

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▲現場では“がめ”(方言で亀のこと)と愛称されていたGE製15t機。1908(明治41)年製。今回はこの機関車も公開される。'96.1.18 三池港
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4年ほど前に小ブログでも現地の状況をお伝えしたことがありますが(アーカイブ「三井三池は今…」参照)、大牟田駅東方のかつて宮浦坑があった宮浦停車場から、JR線との接続点である大牟田駅北方の仮屋川ヤードまでの1.8kmほどの、かつて旭町支線と呼ばれていた区間は専用鉄道として今なお現役で、何輌かの古典電気機関車が活躍を続けています。しかし、工場内はもちろんのこと、宮浦駅構内や仮屋川ヤードも立ち入りれず、車輌たちを間近で見ることはかないません。それだけに今回の大牟田市の主催する特別公開はまたとない機会と言えましょう。

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▲東芝製標準型B-B凸電は合計6輌が在籍していた。公開されるのはこの17号機。'96.1.18 三池港
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大牟田市教育委員会では、毎年11月3日(文化の日)に三池炭鉱宮原抗や三池港といった炭鉱関連の近代化遺産を特別公開していますが、今回は三池炭鉱宮原抗や三池港と三池炭鉱専用鉄道といった炭鉱関連の施設が世界遺産の暫定リストに掲載されたことを記念して、一昨年と同様に旧三池炭鉱専用鉄道の電気機関車4輌を特別公開することとなったものです。なお、この4輌の電気機関車は大牟田市が所有していますが、いまのところ安住の地がないため化学工場の敷地内に仮保管されており、普段は非公開となっています。
■公開日時:2009(平成21)年11月3日(火・祝) 10:00~16:00
■開催場所:エスジーケミカル工場内(福岡県大牟田市合成町1番地)
■見学料:無料
■主催:大牟田市教育委員会
■公開車輌
●旧三池炭鉱専用鉄道電気機関車15トン級B形5号機
1908(明治41)年アメリカ・ゼネラルエレクトリック社製L型電機で、国内に現存する最古級の電機。
●旧三池炭鉱専用鉄道電気機関車20トン級B形1号機
1911(明治44)年ドイツ・シーメンス社製凸型電機。
●旧三池炭鉱専用鉄道電気機関車20トン級B形5号機
ドイツ・シーメンス社製凸型電機をモデルに、1915(大正4)年に三菱造船所で製造された国産としては最古級の電機。
●旧三池炭鉱専用鉄道電気機関車45トン級B-B型17号機
1932(昭和7)年東芝製凸型電機。私鉄・産業用の標準電機として昭和初期から昭和20年代にかけて製造。
■その他
・運転台内部も見学可能(15トン級5号機を除く)
・10:00から16:00頃まで、約30分間隔で大牟田駅よりシャトルバスを運行
■問合せ先
 大牟田市教育委員会 文化・スポーツ課 文化担当
 TEL:0944-53-1503/FAX:0944-41-2210

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▲大牟田市教育委員会作成のリーフレット。
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▲歴史ある砲金製のオリジナル・ナンバープレートを掲げたボールドウィン。バルーン・スタックには薪焚き用火の粉止めのパテント銘板が付く。P:木村一博
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4回目を迎える「根利森林鉄道まつり」が今度の日曜日、10月4日に開催されます。小ブログでもたびたびその活動をご紹介してまいりました「よみがえれボールドウィン実行委員会」ですが、昨年のホイットカム修復披露(アーカイブ「沼田のホイットカムが修復完成」参照)以降ご紹介する機会がなく、気になっていた方も少なくないかと思います。

090928n004.jpg実は、今年はこれまでに修復を終えた3輌の機関車(ボールドウィン、協三、ホイットカム)のメンテナンスを行ないながら、運材台車の整備に取り組んでいたのです。沼田の林業機械化センターに保存されている運材台車は岩崎レール工業製の“後期型”と通称される、長野営林局管内では比較的ポピュラーなタイプのものです。「よみがえれボールドウィン実行委員会」では、この2輌1組の運材台車の汚れを落とし、再塗装を施すべく、夏前から作業にとりかかっていました。
▲運材台車は意外と複雑な形状で、ディスクサンダーなどの電動工具が使いづらく、結局錆落としは手作業となった。'09.7.12 P:木村一博
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▲ユニックで吊り上げて両面に錆止め塗装を施してゆく。昨年同様に群馬県立高崎産業技術専門校塗装科の先生に指導を仰いだ。'09.8.23 P:木村一博
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これまでの機関車と比べれば容易そうに思える運材台車のレストアですが、これがどうして、形状が複雑なこともあって結構たいへんだったようで、9月13日に行なわれた今年6回目となる修復作業でようやく完成状態となったのだそうです。

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▲下地処理が完成してすっかりきれいになった運材台車裏側(左)。昨年修復を行なったホイットカムと同様のグリーンに塗られて線路上に復帰した運材台車(右)。'09.8.23/'09.9.13 P:木村一博
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日曜日の第4回根利森林鉄道まつりでは、延長された線路上を昨年修復を終えたホイットカムがこの運材台車を牽くかたちで展示される予定です。ホイットカムの加藤製ガソリンエンジンもレストアされているそうで、願わくば動く姿を目にしたいところではあります。もちろん、ボールドウィンや協三工業製DLも展示されますので、ぜひお出でになってみられては如何でしょうか。

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▲終戦直後の昭和20年9月20日に発行されたという『最新・日本交通圖』。左は復刻版のパッケージ、右は本体の表紙。 (『最新・日本交通圖』より)

私もこれまで見たことのない戦後直後の『最新・日本交通圖』が復刻されました。1945(昭和20)年9月10日印刷、9月20日発行というこの路線図、終戦一ヶ月後のものにも関わらず、なぜかいわゆる“外地”まで収録されており、その意味でも大きな謎を秘めた地図といえましょう。

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▲北海道の部。樺太、千島列島も記載されている点に注目。ちなみに道内各線には渡島海岸鉄道、河西鉄道、早来軌道、殖民軌道枝幸線といった私鉄も含まれている。 (『最新・日本交通圖』より)
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復刻されたのは仙台市にある株式会社セルプランの川村信太郎さん。国立国会図書館にも収蔵されていないこの路線図を、時代を語り継ぐ史料として、そして鉄道史研究の一助として復刻を決断され、このたび解説リーフレットとともに発売されたものです。

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▲東京付近図。いわゆる“大東急”時代の東急小田原線、東急井ノ頭(井の頭)線の表記や、私鉄各駅の旧駅名など興味が尽きない。 (『最新・日本交通圖』より)
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この『最新・日本交通圖』、天地196㎜、左右約1m、20面経折りのハンディなものながら、終戦直後の物資不足の最中に表裏多色刷りで印刷されており、“外地”の記載とともに、なぜこのようなものが作られたのか不思議でなりません。その辺を川村さんは以下のように推理されております。
「終戦時300万人もの日本国民が外地に取り残されました。自分の足と鉄道だけが頼りの時代、これらの人たちを速やかに祖国へ、故郷へ戻すために、また、待ちわびる家族や行方の知れない友人たちと再会を果たすためにも必要な交通図であったと思われます。奥付に記された編集・発行元の「興亜協調會」や軍指定工場と目される「東方美術印刷社」の名称、凡例に残る「要塞地帯」の標記など。本図は終戦処理の一つとしてGHQによる旧軍組織解体までのわずかな期間に取り急ぎ作られたものと推察されることなど、鉄道ファン、地図ファンに限らずたいへん興味深い一帖です」。

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▲戦後の発行にも関わらず、いわゆる“外地”が収録されているのが不思議。朝鮮半島と台湾の部。 (『最新・日本交通圖』より)

たしかに、いわゆる不要不急路線として廃止もしくは休止されたはずの線区も消されることなく記載されており、1939(昭和14)年頃に初版発行(未発見)されたものに、要塞地帯の消しこみなど最低限の修正を加えて応急的に発行されたものなのかも知れません。
ちなみに“外地”の路線網は、樺太、台湾、朝鮮、満州、中華民国が収録されております。

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▲「満州国」の部。南満州鉄道最終期の路線網が手に取るようにわかる。 (『最新・日本交通圖』より)

ポケットに入るほどの路線図ですが、見ればみるほど新たな発見もあり、広くお薦めしたいものです。現在、仙台市内の一部書店と東京の書泉グランデで販売(定価762円+税)されておりますが、“鉄ホビ・ダイレクト”でもお分けできることになりました。送料込みで1200円となりますが、ネットショッピングでお気軽にお求めいただけます。
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▲朝日を浴びて加賀一の宮駅構内に入る7101F。この踏切が鐘撞式警報機を備える。左後方の手取川に架かる橋が鶴来バイパスの山上郷大橋。'09.9.21
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北陸鉄道石川線鶴来~加賀一の宮間2.1㎞の廃止予定日は来る11月1日。つまり10月31日の運転をもって、82年間にわたる歴史に幕を降ろすことになります。

turugimapn001.jpg訪問したのが5連休の真っ最中とあって、さぞや名残を惜しむファンで賑わっているのではと思いきや、各列車に十人程度のファンの姿はあるものの、拍子抜けするほど普段と変わりない日常風景が展開していました。ことに沿線で本格的に撮影されている方の姿はあまり見かけず、コンパクトデジカメや手持ちのビデオカメラで記録されている皆さんが目につきました。

▲地形図に見る今回の廃止区間。(国土地理院・電子国土より)
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▲隣接する古宮親水公園から加賀一の宮駅ホームを見る。対向式ホーム時代と異なり、写真撮影はなかなか難しい。'09.9.21

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▲鶴来駅構内に留置されているED201(右)とED301(左)。除雪用とはいえ、2輌の電気機関車が残されているのは嬉しい限り。なお、この写真は道路から撮影可能。'09.9.21
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090924n002.jpgこれまでにもご紹介してきたように、今回の廃止予定区間はとりたてて特筆されるロケーションとは言えず、加賀一の宮駅駅舎のほかにあえて挙げるならば、加賀一の宮駅手前の鶴来バイパス山上郷大橋からの展望(下のカットや一昨日のトップに掲げたカット)が最もこの区間を象徴していると言えましょうか…。
▲鶴来駅上り方の跨線橋から唯一車籍を残す旧型車3752とホム1をのぞむ。'09.9.21
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▲鶴来バイパス山上郷大橋から加賀一の宮駅を発車してゆく列車を撮る。開けた場所の少ない鶴来~加賀一の宮間にあって随一の撮影ポイントといえる。'09.9.21
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▲夕闇の加賀一の宮駅で折り返しを待つ。こんな光景もあと二ヶ月ほどで見られなくなってしまう…。'09.9.21
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10月末には手取川周辺も見事な紅葉に覆われるに違いありません。その艶やかさをせめてもの餞として、金沢と名古屋を結ぼうとした金名鉄道の野望は、ついに夢幻と消えることになります。

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▲加賀一の宮で折り返しを待つ7701F。旧東急電鉄7000系ばかりの石川線にあって、7701Fは唯一の旧京王電鉄3000系。'09.9.20
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終点の加賀一の宮駅は1927(昭和2)年に金名鉄道が開設した駅で、当初十年ほどは「神社前」という駅名でした。全国の白山神社の総本社である白山比咩(しらやまひめ)神社参詣の玄関口としての位置づけだっただけに、駅舎も実に凝った造りとなっており、その威容は今なお衰えてはいません。

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▲「石川総線」全盛期の鶴来周辺地形図。加賀一の宮からはさらに白山下へ金名線が、鶴来から西進して新寺井へは能美線がネットワークを形成している。 国土地理院発行1:50000地形図「鶴来」1975(昭和50)年修正・発行より。
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かつてはここ加賀一の宮から白山下まで金名線が続いていましたが、1983(昭和58)年に手取川橋梁の岩盤崩壊で部分不通となり、翌年、仮復旧されたものの、結局、1987(昭和62)年4月に廃止となってしまいました。現在でも加賀一の宮駅下り方には僅かながら線路が残されており、往時を偲ぶことができます。

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▲1927(昭和2)年に金名鉄道の「神社前」駅として開業した加賀一の宮駅は、その旧名称からも知れるように、白山比咩(しらやまひめ)神社の最寄駅。築80年以上となった駅舎はまさに寺社仏閣の趣。'09.9.21
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090924n005.jpg今では無人となってしまった加賀一の宮駅ですが、初詣シーズンはたいへんな賑わいだったそうで、駅舎内の改札口のほかに外にも臨時改札口の名残を見ることができます。また、かつては2面2線対向式の構内配線となっており、現在公園(古宮親水公園)となっている西側部分にもホームがありました。金名線末期に訪れた当時は、白山下まで直通する列車は昼間時間帯にはなく、多くの列車がこの2面2線の加賀一の宮駅で野町へと折り返していました。
▲駅舎上り方より妻面を見る。画面右奥がホーム。'09.9.21
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▲夜の帳が降りると、駅周辺はうるさいほどの虫の音に包まれる。発車を待つ電車の明かりがあたたかい。'09.9.20
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天井の高い待合室も一種独特の雰囲気で、賑わったであろう出札窓口もその姿を残しています。現在はワンマン運転のためすべて車内精算となっており、切符類を入手することはできませんが、合格祈願とあわせた加賀一の宮駅の硬券乗車券を鶴来駅窓口で購入することができます。

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▲加賀一の宮駅の周りにはローカル私鉄を実感させてくれる貴重なアイテムがいくつか見られる。鐘撞式の踏切警報機(左)や、シンプルトロリーの架空線(右)などもしっかりと目に焼き付けておきたいもの。'09.9.21
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▲停止位置から先の線路はすでに草生してしまい、かつての金名線の栄華を思い起こすことはできない。画面左がかつての対向ホーム跡。'09.9.20
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090924n017.jpgところで、この加賀一の宮駅構内に入る手前の踏切に懐かしいものを見つけました。あの鐘撞式の踏切警報機(アーカイブ「“鐘撞き”の踏切」参照)です。今年は十和田観光電鉄三沢駅でも鐘撞式の踏切警報機を見かけましたが(アーカイブ「十鉄三沢駅を訪ねる」参照)、周囲が静寂に包まれたここ加賀一の宮の“鐘の音”は風情も格別で、お出でになった際にはぜひとも耳を澄ましてあの懐かしいアナログな踏切警報音をお聴きいただきたいものです。なお、同様の鐘撞式は鶴来駅を出た市街地の踏切でも見かけましたので、ほかにもまだ残存しているのかも知れません。
▲上の写真を撮影した廃線跡の踏切、というよりはかつての生活通路。歴史を感じさせる蔵の横の石積み階段が印象的。手前左側がかつての対向ホーム。'09.9.20
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▲廃止から22年、その名のとおり金沢と名古屋を結ぼうと壮大な夢を描いた金名線の線路は、森に包まれて静かに自然に還ろうとしている。'09.9.21
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▲いつの間にか季節はすっかり秋。手取川にようやく朝日が差し込む頃、冷気をついて朝2番の上り野町行きが発車してゆく。'09.9.21 加賀一の宮
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このところ小康状態を保っていたかに見えるローカル私鉄の路線廃止ですが、既報のとおり(アーカイブ「北陸鉄道石川線部分廃止へ…」参照)、北陸鉄道石川線の鶴来~加賀一の宮間2.1㎞が来る11月1日を持って廃止となります。

090924nmap.jpg1970年代末までは加賀一の宮~白山下間の「金名線」、鶴来~新寺井間の「能美線」と合わせて「石川総線」と通称される一大ネットワークを形成しており、クロスシート車での準急運転や、ジャンクションとなる鶴来駅でのせわしい発着風景などを目にするたびに、私鉄王国=北陸を実感したものです。その王国も1980(昭和55)年の能美線廃止、1987(昭和62)年の金名線廃止と櫛の歯が抜けるように痩せ細り、いつしか石川線野町?加賀一の宮間15.9km間のみとなってしまいました。そして、その石川線もついにその一部が欠けることになるのです。
▲1980年代以降の北陸鉄道路線変遷。かつては石川線、金名線、それに能美線を含めて「石川総線」と通称されていた。
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▲石川線の中枢・鶴来駅は加賀一の宮に伍する格式ある駅舎が特徴。正面に掲げられた社紋が燦然と朝日に輝く。'09.9.21
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▲今回の廃止区間唯一の中間駅である中鶴来。かつてはこの駅と鶴来駅との間に並行する能美線の本鶴来駅があった。'09.9.20
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シルバーウィークなる妙な名称を付けられたこの連休、所要で北陸方面に出向いたついでに、名残の鶴来~加賀一の宮間を再訪しました。かつての金名線の素晴らしいロケーションを知る者としては、今回の廃止区間は、加賀一の宮駅の風格ある駅舎以外にとりたてて印象に残ってはいませんが、いざ現地を訪れてみると「石川総線」健在なりし頃の記憶が次々と甦ってくるから不思議です。

090924n009.jpg鶴来を出た列車は、市街地の中を大きく右にカーブをきって手取川の堤防を目指します。1980(昭和55)年秋まではまるで複線区間のように能美線が並行しており、市街を抜けたところに本鶴来の駅がありました。石川線はこの本鶴来には停まらず、手取川に沿うように左にカーブをきって、今回の廃止区間唯一の中間駅・中鶴来駅へと至ります。ちなみに能美線跡はこの本鶴来駅を出たところの用水路を越えるガーダーがしっかりと残っており、車窓からも間近に確認することができます。
▲加賀一の宮駅(写真左奥)手前にはがんばれ石川線の看板が…。'09.9.21
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▲まさに威風堂々とした構えの加賀一の宮駅駅舎。残念ながら現在は無人で、ワンマン運転の列車は出迎える人もなく静かに折り返してゆく。'09.9.21
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中鶴来駅からしばらくは用水路と宅地に挟まれた区間で、決して車窓展望が良いとはいえませんが、終点の加賀一の宮駅手前で一気に視界が開けて手取川沿いに躍り出ます。といっても四半世紀前の牧歌的な印象とは異なり、手取川には巨大な山上郷大橋(橋長241m)が架かり、高速道路並みに整備された鶴来バイパス上をひっきりなしにクルマが行き交っています。

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▲加賀一の宮駅を出て手取川沿いを鶴来へと向かう上り列車。7101Fは今週末に開催される「ほうらい祭り」のヘッドマークを掲出している。'09.9.21
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山上郷大橋を渡った加賀一の宮駅のちょうど対岸側には道の駅「しらやまさん」が出来ており、連休中とあってドライブインも大混雑の様子。閑散とした石川線とは対照的な光景に、抗えない時の流れを実感せざるをえませんでした。

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▲初冬の寒気の中、東海道の檜舞台・山科の大築堤を全力疾走する上り「つばめ」。C62 36〔宮〕 '55.12.11 P:佐竹保雄 (『国鉄時代』vol.19誌面より)
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C62が誕生したのは1948(昭和23)年から翌1949(昭和24)年にかけて。ということは今年、人間で言えば「還暦」を迎えたことになります。われらがC62の還暦祝いの大特集をとかねてより計画していたのが『国鉄時代』vol.19です。

k0iutetsu19.jpg巻頭は「つばめ」「はと」を頂点とする優等列車の先頭に立って華の東海道を疾駆していた黄金時代のC62。檜舞台・山科を中心にダイナミックな写真が展開する佐竹保雄さんの「C62栄光の日々」は、編成記録、撮影記録、牽引機一覧表などの詳細な記録とともに構成、誇り高き特急牽引機の堂々たる走りが甦ります。1953年以降装備C62 42に装備された集煙装置については成田冬紀さんに解説していただきました。1953年3月に佐竹保雄さんが記録した京都駅における牽引機一覧の中に集煙装置試験のC62 42が見出せます。
高橋 弘さんにも関ヶ原、山科、京都と蒸機を追い求めた時代を振り返っていただきました。高橋さん独特の階調豊かな作品はモノクロ写真の真骨頂とも言えます。「『つばめ』の時代」は4色分解でそのトーンと立体感を忠実に再現すべく努めました。

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▲稲穂峠を制した「ニセコ1号」は、間髪を入れず倶知安峠に挑む。“山線”重連最後の日々を追った渾身の撮影記。 (『国鉄時代』vol.19誌面より)
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さてC62のもう一つの華は、あらためて申し上げるまでもなく、函館本線山線における重連でしょう。「ていね」「ニセコ」を厳冬の後志の峠に追った若き日の記録を成田冬紀さんが綴った「風雪のC62重連急行」は、吹雪を突いて2輌のC62が豪快無比に誌面を驀進します。多くのレイルファンを魅了した冬のC62重連は、雪と寒さを凌ぎ運を味方にしなければ、決して思い描いた写真が撮れない、撮影者にも闘いを強いる難物。当時の苦労と興奮が偲ばれます。

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▲三宅俊彦さんの「運用から見た小樽築港機関区のC62」は膨大な資料を駆使して解き明かされる17年間の変遷。 (『国鉄時代』vol.19誌面より)
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1956年に3号機が初めて津軽海峡を渡り小樽築港機関区に配属されてから、1973年9月末の運用離脱まで17年間にわたる北の大地での活躍をたどる「運用から見た小樽築港機関区のC62」は鉄道史研究家・三宅俊彦さんならではの緻密な記事。函館本線を中心とした運転史と関連づけられた「大雪」「まりも」「あかしあ」から「ていね」「ニセコ」に至るC62の運用は、大いに興味をそそられます。
また、函館本線の藤城線と姫川回りはC62「ニセコ」は、単機牽引ながら堂々たる編成を牽引し10‰の勾配を高速で駆け抜ける本線蒸機の本領を発揮する区間。髙木宏之さんの「渡島の旅から」は、東海道・山陽本線を疾駆していた頃の面影を求めて、渡島の丘陵地帯を歩いた頃の記憶をたどります。

090918n005.jpg「暁のハドソン街道」はベテラン水木義明さんの常磐線撮影記。「北斗」「十和田」「みちのく」、20系寝台特急「ゆうづる」を追った1965年から1967年までの記録です。日の出とともに木戸-広野の築堤を目に染みるような白煙をたなびかせ颯爽と駆け抜ける上り「ゆうづる」は、胸を打つ光景です。さらに時代を遡って尾久機関区のC62全盛時代、「はつかり」「北上」「みちのく」などの優等列車を牽引し、首都近郊を行く姿を捉えたのが伊藤昭さん・伊藤威信さんの「常磐線C62回顧録」。ローカルムード溢れる平以北とはうって変わった広大な関東平野を行くC62は、貫禄十分、整備の行き届いた車体も眩いばかりです。また、仙台機関区に配置された7輌のC62については元仙台機関区勤務の大山 正さんに、当時の運転計画などを秘話を交えて語っていただきました。運用面では「乙組」に甘んじ不遇をかこっていたこの7輌ですが、実はさらに北への大いなる夢があったのです。多くの秘蔵写真を掲載いたしましたが、中でも仙台機関区配属時代のC62 42の写真はきわめて貴重なものです。
▲平の機待線で5列車「ゆうづる」の牽引機C62 47が佇む。ヘッドマークが夜目にも鮮やか。P:水木義明 (『国鉄時代』vol.19誌面より)
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090918n002.jpg一般記事は石橋一郎さんの青春記「形式写真に憧れた頃」、犬山徹夫さんの「EF18の生涯」、宮内明朗さんの「彩りの頃」(秋の米坂線)、宮地 元さんの「米坂紀行」、服部基寛さんの「油須原の風景」など。
また、新企画として再び蒸機を撮ってみたいというベテランファンの方々に贈る撮影地ガイド「再会ナビ」が始まりました。今回は只見線のC11を徹底的にご案内いたします。今後も『国鉄時代』ならではの視点で、「いつか見た光景」が撮れる撮影地ガイドを掲載していこうと考えております。
▲カラー50分の大作「激闘C62重連急行」を収録した特別付録DVDは必見。
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(Macの場合は再生できない場合があります。) 

特別付録DVDではベテラン三品勝暉さんの8㎜作品から、冬の山線の「ていね」「ニセコ」を追ったカラー50分の大作「激闘C62重連急行」(原題:雪中力行C62重連)を収録いたしました。小樽築港機関区の出区前点検風景から長万部到着まで、上りを牽引するC62重連を何シーズンもかけて撮影した大のC62ファン三品さんが力をそそいだ長編です。今や伝説となった渾身の走りに誰しも深い感動を覚えるに違いありません。

※連休中は不在のため小ブログは休載させていただきます。24日より再開いたしますので、あしからずご了承ください。

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▲フレートライナー用のコキ19000に搭載された三種規格のC900形コンテナ。私有コンテナ制度の発足により、国鉄所有の10トン積みコンテナは小数に留まった。 (RMライブラリー『国鉄コンテナのすべて』下巻より)
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今月のRMライブラリーは、先月に引き続き、吉岡心平さんによる『国鉄コンテナのすべて』の下巻をお届けします。上巻では歴史、規格、標記と塗装といった国鉄コンテナの概要に続き、一種規格の有蓋および冷蔵コンテナと、全ての通風コンテナを収録しましたが、下巻では独特の姿でコンテナ列車のアクセントとなっていたホッパ・タンクコンテナと、1971年以降の標準型となった二種規格コンテナ、10トン積みの三種規格コンテナ、そして試作のみに終わったフレキシバンコンテナを解説しています。

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▲『国鉄コンテナのすべて』下巻表紙(左)。試作のみに終わった車掌室コンテナ(右)。当然ながら車掌弁を機能させる必要があるため、貨車とはデッキ部のホースにより連結する構造であった。 (RMライブラリー『国鉄コンテナのすべて』下巻より)
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現在では私有コンテナに移行したホッパおよびタンクコンテナですが、私有コンテナ制度が発足する前は様々タイプが国鉄所有で製作されました。その数、ホッパは9形式521個(改番による重複4個含む)に対し、タンクは24形式186個。形式数はタンクがホッパの倍以上ありますが、個体数では逆にホッパがタンクの3倍近くあり、タンクコンテナがいかに細分化されていたかがわかります。

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▲国鉄コンテナのなかでも特に独特の姿だったのがホッパコンテナ。 (RMライブラリー『国鉄コンテナのすべて』下巻より)
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一方、二種規格は1971年以降に製作された5トンコンテナの規格であり、C20などJR貨物に引き継がれ、最近まで姿が見られたものも多く含まれます。また三種規格はISO規格1C形(20フィート)形に準拠した10トン積ですが、これは間もなく私有コンテナに移行したため、合計46個が製造されたに留まりました。

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▲タンクコンテナは細分化が進み、1形式あたりの個体数は小数のものが多かった。 (RMライブラリー『国鉄コンテナのすべて』下巻より)
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変わったところでは、1972年に試作されたS90形があります。これは車掌車や緩急車を連結する代わりに、車掌室自体を1個のコンテナとして貨車に積もうという試みでしたが、残念ながら実用化されることなく終わりました。

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▲二種規格コンテナでは最初の量産形式であったC20。製造個数は実に37,934個で、国鉄コンテナの中では圧倒的勢力であった。 (RMライブラリー『国鉄コンテナのすべて』下巻より)
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また、巻末にはコンテナ個数変遷表も収録しています。この表はコンテナ特急「たから号」が運転開始された1959年度から国鉄最後の1986年度までのコンテナ各形式の動向がひと目でわかるもので、JR化後の国鉄コンテナの残存数も収録しています。これまでほとんど顧みられることのなかった国鉄コンテナの全貌に迫る本書、ぜひ、上巻と共に書架にお揃えください。

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JR西日本が225系を発表。

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本日、JR西日本が京阪神エリアに投入する新型近郊電車225系の概要を発表いたしました。「新快速」等に充当される予定のこの225系の特徴をお伝えいたしましょう。
▲京阪神エリアに新たに投入される225系直流近郊型電車の外観イメージ。 (JR西日本プレスリリースより)
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225系最大の特徴はサバイバルファクターの観点から、新たな安全対策が実施されていることです。先頭車輌には衝撃吸収構造(クラッシャブルゾーン)を採用することによって、衝突時の衝撃を上方に誘導・吸引し、乗客にかかる衝撃加速度を概ね半減するとともに、客室のつり手や手すりも改善が図られています。具体的には、つり手は大型化するとともに在来車輌比50%増設、さらに咄嗟の際に目立ちやすいオレンジ色に変更、手すりも握りやすいように直径を大型化するとともに、端部の角ばった部分を曲線化し、身体の一部に衝撃力が集中しないよう見直しが行なわれています。

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▲225系の客室設備。つり手・手すりが咄嗟の際に目立ちやすくつかみやすい構造となっている点に注目。 (JR西日本プレスリリースより)
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そのほかにもトイレ床面積の拡大、同ドア開口部拡張、荷棚高さを在来車より低く変更するなど車内利便性の向上が図られます。また識別性の向上のために優先席つり手を緑色に変更し、乗降口には黄色のラインを付加、ドア開閉動作ランプの設置(赤色灯が点滅)などが計画されています。さらに321系と同等の液晶画面による情報案内装置も設けられる予定です。

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▲225系の衝撃吸収構造。クラッシャブルゾーンが設置されている。 (JR西日本プレスリリースより)

この225系直流近郊型電車は、来年2010(平成22)年5月頃からお目見えする予定で、JR西日本の発表によれば、最終的には約200輌が新製(投資額約300億円)されることになります。

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▲鉄道友の会須田会長、小田急電鉄大須賀社長、岡部デザイナーの手によって、くす玉がまさに開かれようとしている。'09.9.13
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一昨日13日(日曜日)10時から小田急新宿駅地上1番ホームで「小田急ロマンスカー・MSEブルーリボン賞受賞式」が執り行われ、私も参列させていただきました。

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▲開会の辞を述べられる鉄道友の会須田会長(左)と、選考経過の報告に立たれる岩沙ブルーリボン賞選考委員長(右)。'09.9.13
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▲受賞のよろこびを述べられる小田急電鉄大須賀社長(左)と岡部憲明デザイナー(右)。'09.9.13
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すでに本誌でもご承知のように、52回目となる2009年ブルーリボン賞は、小田急電鉄が昨年3月から運行を開始した初の東京メトロ乗り入れロマンスカー60000形MSEが受賞いたしましたが、1958(昭和33)年の第1回ブルーリボン賞を3000形SE車が受賞して以来、1964年3100形(NSE)、1981年7000形(LSE)、1988年10000形(HiSE)、1992年20000形(RSE)、2006年50000形(VSE)と、小田急ロマンスカーは実に7世代にわたってブルーリボン賞を射止めたことになります。

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▲1番線で発車を待つ受賞記念列車「はこね15号」。多くのファンが記念列車の発車を見守った。'09.9.13
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受賞記念列車となる「はこね15号」が発車を待つ1番線ホームに設けられた特設ステージでは、まず須田 寛鉄道友の会会長が開会の辞を述べられ、ついで岩沙克次ブルーリボン賞選考委員長が選考経過の報告をされました。岩沙委員長によれば、60000形MSEは車輌のみならず、東京メトロ地下鉄線内への初の民鉄有料特急の乗り入れという新たなスキームを切り拓いたことも大きな評価を得たようです。

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▲先頭部にはブルーリボン賞受賞を記念して青いリボンを模した記念ステッカーが貼られた。'09.9.13
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式典は続いて須田会長から小田急電鉄大須賀社長への表彰状授与、久保 敏鉄道友の会副会長から小田急電鉄嶋崎常務への記念盾授与と続き、大須賀社長と車輌デザインを担当したデザイナー岡部憲明さんの挨拶ののち、いよいよ盛大なくす玉開披となりました。

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▲車内ではブルーリボン賞受賞プレートが除幕された。左下は昨年受賞した第10回ブルネル賞記念プレート、右下はデザインを担当した岡部憲明アーキテクチャーネットワークの銘板。'09.9.13
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「はこね15号」車内では新宿方先頭車クハ60051車内で恒例の「プレート除幕式」が行われ、乗務員室間仕切り上部に取り付けられたブルーリボン賞受賞プレートが披露されました。

※“鉄ホビ・ダイレクト”では「ピンバッジコレクション 栄光のブルーリボン賞 受賞車輌50年の軌跡」を好評発売中です。

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▲まるで動態と見まごうばかりの矍鑠とした姿に甦った1080号機。あえて艶を押さえた仕上げに注目。梅小路蒸気機関車館
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日鉄鉱業羽鶴から7月26日未明に梅小路に運び込まれた1080号機が、二ヶ月近くにわたるお化粧直しを終えて、今日、正式に日鉄鉱業からJR西日本へと譲渡されました。

090914n002.jpg14時から梅小路蒸気機関車館で行われた譲渡式では、JR西日本の百田和之執行役員広報部長が挨拶に立ち、車齢108歳を数える1080号機が梅小路17形式19輌目の保存機に加わることによって、明治、大正、昭和を代表する蒸気機関車が揃ったことの意義と、譲渡の英断をされた日鉄鉱業への感謝が伝えられました。
▲検修庫7番線で化粧直し最終段階を迎えた1080号機。梅小路運転区
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▲蒸気機関車館13番線で行われた譲渡式。挨拶に立つJR西日本百田執行役員広報部長(左)と日鉄鉱業松本社長(右)。'09.9.14 梅小路蒸気機関車館
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090914n005jpg入れ替わりに挨拶に臨まれた日鉄鉱業の松本六朗社長は、同社の創立と時を同じくして移籍し、まさに社業の年輪とともに過ごしてきた本機への、会社を挙げての思いを披露されました。本誌誌上でも一部ご紹介しましたが、赤谷鉱業所から羽鶴への転属にしても、その後の郡山工場最終入場にしても、その時代、その時代それぞれにこの機関車を残そうという日鉄鉱業の皆さんの思いがあってからこその今日なのです。「どうか末永くかわいがってやってください」と結ばれた松本社長の声が少し掠れていたように聞こえたのは、お風邪をめしているからと仰られたからだけではないような気がします。
▲JR西日本から日鉄鉱業松本社長にナンバープレートの複製が贈られた。'09.9.14 梅小路蒸気機関車館
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日鉄鉱業からは「D9形改造、形式1070形、番号1080号」を譲渡する旨の目録がJR西日本湊京都支社長に手渡され、返礼としてJR西日本からは1080号機のナンバープレート(レプリカ)が松本社長へと手渡されました。

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▲昭和初期、梅小路には1070形の僚機が配置されていた。実に80年近い歳月を超えて、1070形が重要文化財となっている1914(大正3)年建造の扇形庫に戻ってきた。旧字体の「梅」の区名札が誇らしげだ。梅小路蒸気機関車館
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梅小路運転区とサッパボイラの手によってお化粧直しされた1080号機は、ほど良いつや消しの黒にロッドの赤も鮮やかに、明日からいよいよ一般公開となります。

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▲『機関車種別及哩程』鉄道作業局汽車部(明治35年頃?発行)よりD9形650号(のちの6270形6288号=1070形1078号に改造)。上付き弁室がよくわかる。 (本多邦康さん提供)
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▲『機関車種別及哩程』第四 鉄道作業局汽車部(明治39年発行)よりD9形形式図。 (本多邦康さん提供)
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引き続き本多邦康さんからお送りいただいた1080号機関連の資料を見てゆくことにしましょう。
『運転便覧』(昭和8年)所収の「軌道応力に依る機関車制限速度」によれば、1070形は30㎏/mレールで制限速度90km/h、25㎏/mレールで制限速度45km/h、22㎏/mレール以下は入線禁止であったことがわかります。

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▲「局別機関車現在数表」(昭和7年12月末日現在)。この時点で1070形の在籍数は53輌。機関車のみならず、蒸気動車や、まだキハニ5000やキハニ36450の2形式のみだった気動車も含まれており、興味は尽きない。(『運転便覧』昭和8年2月18日発行) (本多邦康さん提供)
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090911n040.jpg模型製作で知られる平野和幸氏からは「大阪鉄道局機関車配置表」の昭和5年版と昭和17年版を頂戴しましたが、昭和5年8月末現在の大阪鉄道局機関車配置表を見ると、1070形は、梅小路庫・使用休止車1090号、湊町庫・営業列車用1092号・1107号・1110号、王寺庫・入換工事用1117号、和歌山庫・営業列車用1088号、奈良庫・営業列車用1091・1093・1106・1108・1109・1111・1115・1116・1118号の合計15輌が配置されているのがわかります。
一方、昭和17年9月30日現在の大阪鉄道局機関車配置表では、鳥取区・営業列車用1117号。奈良区・入換専用1110号、紀伊田邊区・入換専用1076号の3輌に減少しています。

▲「蒸気機関車の構造(車輪配置)に依る制限速度」。1070形の理論上の最高運転速度は92km/hと読み取れる。(『運転便覧』昭和8年2月18日発行) (本多邦康さん提供)
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▲昭和17年9月30日現在の大阪鉄道局機関車配置表より装備一覧。 (本多邦康さん提供)

この昭和17年9月30日現在の大阪鉄道局機関車配置表には機関車の装備一覧表も併載されており、昭和17年の1070形は、電気前灯装置・速度計装置・空気砂撒装置が付いていないこともわかります。入換機関車に電気前灯装置が付くのは、C53など廃車部品転用の頃なのですが、空気制動機がついても砂撒は、自然落下式のままだったわけです。

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▲『機関車種別及哩程』第四 鉄道作業局汽車部(明治39年発行)より機関車牽引定数表。 (本多邦康さん提供)
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あらためまして本多邦康さんありがとうございました。今回の資料の数々で、これまで知られていなかった1070形という機関車の実態が多少なりとも見えてきた気がいたします。
折りしも、梅小路蒸気機関車館では明日、1080号機の譲渡式が執り行われ、翌9月15日(火曜日)から一般公開される予定です。すっかり綺麗になった1080号機と再会できるのがなんとも楽しみです。

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▲1080号機の僚機1112号機。真空制動機と空気制動機の両方併用時代の姿。1112号機は6286号機からのタンク機関車化改造機で、1927(昭和2)年浜松工場の施工。(『略図の機関車』初版=昭和8年) (本多邦康さん提供)
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引き続き本多邦康さんからお送りいただいた1080号機(鉄道作業局D9形651号→鉄道院6270形6289号→タンク機関車化改造1070形1080号)関連の資料をお目にかけましょう。

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▲名鉄所属『機関車一覧表』大正15年9月1日現在より1080号機の項目を見る。項目中、給水器の「G」はグレシャム式給水器を、火床の「DrR」はドロッププレート付きのロッキング式を、弁装置の「SB」は上付き弁室のステフェンソン式を、「SD」は内側弁室のステフェンソン式を示す。 (本多邦康さん提供)
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話を1070形1080号に移して、名鉄所属『機関車一覧表』大正15年9月1日現在をご覧ください。1080号は、他の1070形と特に違いはなく(弁室の位置種別のみ)、タンク機関車らしく暖房管は前後とも装備されており、真空ブレーキを示す「眞」表現があります。

090911n036.jpg次にD9形651号に関する資料です。『機関車種別及哩(マイル)程』鉄道作業局汽車部(明治35年頃発行)によれば「組立後(明治)三十三年度末迄ノ運転哩数」について、D9形651号は、明治33年は新製(1901年=明治34年製)前年度のため記述がありませんが、ここにお目に掛ける『機関車種別及哩程』第四/鉄道作業局汽車部(明治39年発行)によれば、「(明治)三十七年度末迄ノ運転哩数」について、D9形651号は、121,782.9哩とD9形の中では少なめの走行距離です。

121,782.9マイルはキロ換算すると約194,852キロとなりますから、新製後4年と考えて、1年約5万キロ程度の走行状態であったことがわかります。さらに…

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▲「機関車種別及哩程」第四.鉄道作業局汽車部(明治39年発行)。各機の走行距離とともに車軸番号が記載されていることに注意。 (本多邦康さん提供)
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「番号蘭内ノ大数字ハ機関車番号 小数字ハ全車軸番号ニシテ種別欄内ノモノハ炭水車ノ車軸番号ヲ示ス」とあり、651号で言えば、先輪の車軸番号が4563・4564、動輪の車軸番号が459・460、炭水車の車軸番号が6717・6718・6719となります。
明治41年の車輌履歴簿制度導入以前の車輌管理は、まず走行距離と車軸管理だったと思われます。受持ち工場別に車軸管理台帳(軸焼け履歴等)があったのかどうか?想像が膨らみます。また、現在の1080号の車軸に残る刻印が、4563・4564・459・460かどうか見てみたいものです。もしそうであれば製造時のオリジナル車軸という事になると思います。

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▲『汽車之友』明治41年2月号のD9形229号(のちの6205)口絵。ブルーに着色されているが、一般向けの絵本などと違い“専門誌”だけに実機の色彩に近いのではなかろうか。 (本多邦康さん提供)
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本誌8月発売号で梅小路蒸気機関車館入りを詳しくお伝えし、小ブログでもその搬出の様子をお伝え(アーカイブ「1080搬出の記録」参照)した1080号機については、多くの皆さんからお便りを頂戴しておりますが、大阪の本多邦康さんからはたいへん興味深い史料をたくさんお送りいただきました。参考までに…というにはあまりにもったいない史料の数々ですので、本多さんにお願いしてここに公開させていただくことにいたしました。

090911n021.jpg梅小路への1080号の移籍を非常に喜んでおります。1080号を今後もぜひブログとRMに取り上げてください。さて我が家の資料からD9に6200・6270形および梅小路と1070形に関して少しお送り致します。 まずは6237号の絵葉書と、技術雑誌『汽車之友』(汽友社)からD9形229号及びD9の表紙です。6237号はのちに東武へ払い下げ。D9形229号は、1070形へ改造されていますが、どちらもデゥープス製ではなく、ニールスン製D9です。
▲『汽車之友』第22号表紙。月2回刊と謳われているから驚き。 (本多邦康さん提供)
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『汽車之友』は明治35年創刊の日本でもっとも古い蒸気機関車従事員向けの機関車技術雑誌です。229号の着色写真は青みがかった緑に塗られているのがわかります。市販の絵葉書と違って、鉄道部内者向けの技術雑誌のため、着色の精度が高いのではと期待しています。黒岩保美氏がご健在であれば非常に喜ばれたことでしょう。

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▲絵葉書に見るD9形6237号機(もと619)。のちに東武鉄道に払い下げられ、同社の47号機となり、1959(昭和34)年まで存命した。 (本多邦康さん提供)
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次は昭和15年当時梅小路機関区長だった今村一郎氏の著書『機関車と共に』(昭和37年発行)です。昭和2年秋頃、梅小路の京都~園部の補機運用専用に1070形2台があてられていたが、蒸気不昇騰を頻発して使っていなかった云々の記述があります。ちなみに文中のM区長は昭和一桁当時の梅小路庫の名物機関庫主任本山邦久氏を指します。

この記述は梅小路区に配置されていた1070形の実態について、当事者が語ったきわめて貴重な証言であり、さらには鉄道省内のヒエラルキーも見て取れる興味深いものですので、あらためてテキスト入力した該当部分をご覧に入れましょう。

「いまはなくなったかも知れないが、昔は機関車の毎日の使用状況を番号別に取りまとめて、毎月機関区から局に報告されておった。
 神戸鉄道局が大阪に移転するすこし前であったから、昭和2年秋のことであったと思う。課長の馬場さんが私を呼んで、梅小路機関区所属の1070形が2両とも2ヶ月以上に亘ってほとんど休車しておるのは何故かとの質問である。そのころ梅小路機関区のこの形式は、山陰本線京都園部間の補機に専用しておったが、ここ2ヶ月ほどほとんど8620形を補機に使用して指定の1070形を使っていないのである。これについては何べんも検修の担当者から機関区に対して指定の形式を使用するよう注意し、あわせてその理由をたずねておったが、機関区からは、機関車状態が不良で蒸気の騰発が悪いため勾配線での使用に耐えないといって来ておったので、私からその旨をお答えすると、馬場さんが、なおもう一度君から直接区長に話して見よとのことである。私が区長に課長のこの旨を伝えて実情を尋ねたところ、区長曰く「この1070形は2両とも蒸気騰発が悪く、とても勾配線の補機仕業には使えない。一般状態が悪いのだから次回入場の際徹底的に修理するしかあるまい」とのことである。私からこの区長の返事を聞いた馬場さんは少し荒い語調で私に、現車について直接調査して見よといわれた。
 私はその道の大家であるM区長(Mさんはその後吹田区長から門鉄、名鉄の機関車課長、大阪運輸事務所長を歴任された機関車界の大先輩)が調べて判らないものを、私が行って見たとて判る筈がないからといって辞退したが、判らなければ判らなくともよい、兎に角直接調べて見よといって私の辞退を聞入れて下さらない。私は仕方ないので出かけることにしたが、手ぶらで出かけても仕様がない。蒸気不騰発といえば先ず吐出筒口の適否如何ということになるので、私は鷹取工場に話をして1070形に適合する吐出筒口を大小4個と、吐出管の中心を修正する傾斜板数枚を用意して機関区へ出向いた。
 そして先ずこの機関車を重連で使用してその状態を見たのであるが、給気運転中の排気の音調が不良でほとんど連続しておる。一見して弁室かシリンダの漏れの普通でないことが観取できた。それで途中で調査を打ち切って機関車を機関区に引取り、試みに弁室の漏洩検査をやって見たところ、漏洩のため気室の圧力が缶圧力まで上がらない。漏洩時分は5秒にも達しないのである。弁室を開けて見たら、いつか油をきらしたものらしく、弁座も弁も大変な掻疵である。流石のM区長も全く顔色なしといった恰好であったが、私としては調べに来ただけの甲斐はあったわけであった。」
(『機関車と共に』より)

中部地方の名古屋鉄道局の大正10年8月1日改正(まだタンク改造されていない)の機関車運行表の抜粋が以下です。「甲組」ならぬ名古屋機関庫「己組」が、6200形(6270形も含むと思われる)8輌で名古屋から熱田・千種・白鳥・名古屋港・大垣の仕業を受け持ち、「庚組」が、6250形4輌で名古屋から名古屋派出・亀山間、「辛組」が6250形6輌で名古屋から熱田・多治見間を受け持っているのが見てとれます。

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▲きわめて貴重な大正10年名古屋鉄道局の機関車運行表。運用表と交番順序表が組み合わされたものだが、運用表の表記方法が現在と異なる点にも注目。 (本多邦康さん提供)
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本多さんからお送りいただいた目から鱗の資料はまだまだ続きます。

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▲まるで時間が止まったかのような情景が残る多賀線とのジャンクション高宮駅。フホハニ32・33もこのホームで荷扱いをしていたのだろうか…。'09.8.15
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先日2日にわたってご紹介した「近江鉄道桜川駅の謎の廃車体を探る」には多くの方から反響をいただきましたが、京都にお住まいの美濃功二さんからは、桜川の廃車体の“母体”となったと思われるフホハニ32・33が最後の活躍をしていた昭和18年時点のダイヤグラムをお送りいただきました。非常に興味深い史料ですので、以下、美濃さんの解析とともにご紹介させていただきたいと思います。

090909n003.jpg「近江鉄道桜川駅の謎の廃車体を探る」を読んで、フホハニという形式が出てきたので、手持ちのダイヤグラムの事を思い出し、その画像をお送りしますのでご覧下さい。
ダイヤグラムは改正日等の表記はありませんが、米原で接続する東海道線列車時刻と貴生川での省線接続に信楽線が無い(恐らく戦時休止か)こと、高宮~多賀間の駅名(土田停留場)が省略(これも戦時休止か)されていることから昭和18年10月1日改正と推察されます。

▲八日市で顔を合わせる貴生川行き1802と彦根行き1809。近江八幡~八日市(新八日市)間は八日市鉄道合併(1944年3月1日)区間のため、今回のダイヤグラムにはまだ記載がない。'09.8.15
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このダイヤグラムには郵便取り扱い列車(〒マーク付)やフホハニ連結列車(フホハニと明記)が明示されており、改造間もないフホハニの運用実態が判る史料です。それ以外にも手続き上休止されたはずの土田停留場も、休止前と同じく一日数本客扱いがあったり、「車禁」や「荷禁」(これは荷物扱い禁止列車か?)等の意味不明の記入もあり、戦時中の輸送実態について興味が尽きません。このダイヤグラムを今回のフホハニ車輌の研究に役立てていただければ幸いです。

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▲八日市~貴生川間にはかつての貨物・荷物扱いを偲ばせる施設がいくつも見られる。ここ水口駅でも1972(昭和47)年まで貨物扱いが行なわれていた。'09.8.15 水口
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お送りいただいたダイヤグラムを改めて見てみると、貴生川6:49→米原8:11の第4列車、米原13:20→貴生川14:46の第9列車、貴生川15:08→米原16:31の第14列車、米原17:11→貴生川18:36の第15列車の2往復4本に「フホハニ」の表記が認められます。とすると、フホハニは貴生川でいわゆるマルヨとなり、翌早朝の第4列車でまた運用が始まる行路であったことになります。

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▲美濃功二さんがお送りくださった1943(昭和18)年10月改正と思われる近江鉄道列車ダイヤ。フホハニ連結列車をはじめ、見れば見るほど興味が尽きない。
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いずれにせよ、このダイヤグラムが1943(昭和18)年10月改正時のものだとすると、フホハ32・33から荷物合造車化された(同年3月6日認可)わずか半年後の運用ということになります。この当時、あの廃車体に残されたドアから盛んに荷物の積み卸しが行なわれていたのだと思うと、万感迫る思いです。
美濃功二さんほんとうにありがとうございました。あらためてお礼申し上げます。

※明日はホビダスオフィシャルブログのシステム・メンテナンス(バージョンアップ)のため、小ブログは休載とさせていただきます。あしからずご了承ください。

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▲大船駅で発車を待つ試乗列車E259系試9732M(右)と回着した在来の253系(左)。新旧の成田エクスプレスが顔を合わせた。'09.9.8 大船
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いよいよ10月1日から営業運転を開始する新型「成田エクスプレス」E259系の試乗会が行なわれ、ひと足先にその快適な乗り心地を堪能してまいりました。

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▲試乗列車の側面表示。列車名と号車が交互に表示される。'09.9.8 大船
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試乗列車に充当されたのは鎌倉車両センターNe007編成。クロE259-7を先頭とした6輌編成で、大船11:00(6)発→品川11:36(9)着の試9732M列車のダイヤで運転されました。新聞・テレビ各社はもとより、旅行代理店などの参加者も多く、たいへん賑やかな試乗会となりました。

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▲グリーン車クロE259形(6号車)車内。2+2配列の回転リクライニングシートは本革張りで、照明は電球色の間接照明となっている。'09.9.8
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▲グリーン車のシートピッチは1160㎜、床は絨毯敷きとなっている(左)。座席の回転は肘掛後部の小さなレバーを引く(右)。'09.9.8
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E259系の詳細についてはすでに本誌312号誌上をはじめ、小ブログ(アーカイブ「新型成田エクスプレスE259系続報」参照)でもたびたびお知らせしておりますが、実際に乗車するのはもちろん今回が初めてです。赤・白・黒をベースカラーとした従来の「成田エクスプレス」のイメージを踏襲しつつ、各所に最新先端技術と新素材が活かされたE259系は、まさに日本の空の玄関口にふさわしい完成度の高さに進化しています。

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▲E259系の特徴のひとつがWiMAX通信網を活用した無線LANによるインターネット接続サービス。ロザ・ハザを問わずトンネル区間を除いた全運転区間で利用可能。'09.9.8
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▲天井部に設けられた17インチ液晶モニターによる情報提供装置(左)。4カ国語(日英中韓)に対応している。右は大型荷物置場のダイヤルロック式錠。'09.9.8
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e259_shijo.jpg普通車、グリーン車ともに回転リクライニングシートが採用され、全席にパソコン利用が可能なコンセントが設けられ、無線LANによるインターネット接続が可能となっています。実際のデモンストレーションを見せていただきましたが、今風の言葉で言えば実に“サクサク”とストレスなく接続が可能です。ただし、このサービスを受けるためにはあらかじめUQコミュニケーションズ㈱の「UQ Wi-Fi」もしくはソフトバンクテレコム㈱の「BBモバイルポイント」との契約が必要となります。
▲キャプチャー画像をクリックすると動画がご覧いただけます。 (再生時間9分12秒)

行先案内、運行情報、ニュース、フライト情報(下り列車のみ)などを4カ国語(日本語・英語・中国語・韓国語)で案内する大型液晶案内装置など、スチル写真ではおわかりににくい部分は動画を用意いたしましたので、ひと足先に体感してみていただければ幸いです。

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▲10月1日の営業運転入りを前に訓練運転がたけなわ。試乗列車が到着した品川駅ホームには3編成のE259系の姿を見ることができた。'09.9.8 品川
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取材協力:JR東日本

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▲私が1973(昭和48)年に撮影した画像をもとに、山手線車内のトレインチャンネルで放映されている36年を経た渋谷駅ハチ公口の定点撮影。ジェイアール東日本企画作成のキャッチコピーが秀逸。

今日からJR東日本の「山手線命名100周年記念キャンペーン」が始まりました。「山手線」の名称が決まったのは、1909(明治42)年10月12日。当時の鉄道院が「国有鉄道線路名称」を制定し、全国50以上の鉄道路線が都市名や地方名などを冠するようになった際に、「山手線」の名称も含まれていました。当時の山手線は、品川~新宿~赤羽間の品川線、池袋~田端間の豊島線、大崎~大井聯絡所の貨物支線を合わせて命名されたもので、山の手地区を中心に走ることが命名の由来だったとされます(JR東日本プレスリリースより)。

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▲渋谷駅を発車する山手線命名100周年記念E231系「復刻調ラッピング電車」内回り820G。'09.9.7 渋谷 P:名取紀之
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090907n052.jpgJR東日本ではこの命名100周年に因んでさまざまな記念企画を計画していますが、その第一弾として今日から1編成(トウ502編成)を旧型国電を模したぶどう色2号調のラッピングを施した「復刻調ラッピング電車」として運行を開始しました。このラッピングにはチョコレート色つながりということもあってか明治製菓株式会社が特別協賛しており、車体側面には同社のチョコレートのコマーシャルが掲出され、車内の広告関連も同社一色となっています。
▲今日から山手線内のトレインチャンネルで「山手線で逢いましょう」が流れている。写真は私が1973(昭和48)年夏に撮った上野駅公園口。'09.9.7 P:名取紀之
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090907sikin.jpgさらに今日から車内の情報案内装置で放映している“トレインチャンネル”で、命名100周年記念キャンペーン「山手線で逢いましょう」が流されています。懐かしい山手線各駅の情景と現在の姿をオーバーラップして、東京人にとって最も身近な存在である山手線をもう一度見つめなおしてもらおうという趣旨で、この画像には4年前の夏、JRが運営する上野駅のBreak Station Galleryで開催した写真展「山手線・1973年 夏 ~定点観測に見る山手線29駅の32年~」(→こちら)をベースにした私の写真が活用されています。
▲上のキャプチャー画像をクリックすると「今日の一枚 The Movie」の動画がご覧になれます。

このトレインチャンネル「山手線で逢いましょう」は、今日から13日(日曜日)までは上野や渋谷の変遷を追ったパターンA、14日(月曜日)からは秋葉原などを取り上げたパターンBが放映される予定ですが、小ブログをご覧の皆さんには首都圏在住以外の方も多いことですし、今日は一足先にその両者のダイジェスト版をご覧いただきましょう。山手線に乗る機会があれば、ぜひこのトレインチャンネルにもご注目ください。
山手線で逢いましょう。

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▲古枕木の柵、年季の入った木戸、彼方に広がる夏の田園…忘れられたように置かれた木造客車の廃車体。'09.8.15 桜川
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果たしてお目当ての木造客車の廃車体は、お盆の炎暑の中、しっかりとその姿を残していました。どうやらかつては保線用の用品庫兼詰所として利用されていたようですが、今ではまったく使われておらず、荒れるに任せたような状態です。

090905n001.jpg幸いなことにお願いして車内も見せていただくことができました。外観ではわからなかったのですが、車内に入るとなんと二重屋根がしっかりと残されているではないですか。しかもモニター部のさながら欄間のような意匠も見て取れ、やはりこの廃車体が尋常ならざる由緒あるものであることが察せられます。天井中央に目を転じると円形の穴を塞いだ跡も見受けられます。どうやら電灯化される以前のいわゆる“油灯”を下げた穴のようです。現在、さいたま市の鉄道博物館で展示されている明治期の客車(レプリカ)で、情景再現展示として掛員(フィギュア)が屋根から油灯を入れるシーンが見られますが(→こちら)、まさにあの油灯穴です。
▲貴生川方の妻面を見る。オフセットした出入り扉からすると、妻はどうやら詰所化する際に新たに設けられたものらしい。'09.8.15 桜川
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▲彦根方の車内。驚いたことに二重屋根がそのまま残されている。現在の屋根は2車併合改造した際に載せられたものに、さらに倉庫用のものが重ねられているようだ。'09.8.15 桜川
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▲凝った意匠の明り取り窓部もそのまま残る(左)。油灯(アセチレンランプ)用の穴も残されている(右)。湯口さんの調査によれば、1926(大正15)年8月24日付けでアセチレンランプを電灯に改良する旨の申請が出されている。'09.8.15 桜川
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▲貴生川方の車内。隅々まで検証したが、残念ながら福岡鉄工所製を示すものは見つからなかった。'09.8.15 桜川
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例によって簡単な実測もしてきましたので、帰京後「近江鉄道の木製ボギー客車」(『鉄道史料』98号)の著作もあり、なおかつ福岡鉄工所の研究でも知られる湯口 徹さんにご意見をうかがってみました。

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▲桜川駅の廃車体実測図。巻き取りメジャーによるアバウトな計測ながら、正体解明の手掛かりとして実測は欠かせない。
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湯口さんによると、この桜川駅の廃車体は1956(昭和31)年に改造名義でクハ1207・1208となった木製ボギー客車フホハニ32・33のいずれかのカットボディーではないかとのことです。しかも不思議なことに車端部を切断したのではなく、なぜか車体中央の荷物扉と窓7個分を切断し、新たに前後に妻板を設けたもののようです。

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▲2軸客車2輌を合体して誕生した近江鉄道のボギー客車のうちの1輌フホハ33。1933(昭和8)年にフホハユ2から改造されたが、側面郵便室扉は存置されている。独特のデッキ形状に注目。P:湯口 徹所蔵
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▲形式乙、は1・は2竣功図。明治31年5月大阪福岡鉄工所製造は1+は2、は3+は4を大正3年3月「近江鉄道工場ニテ併合改造」と記載されている。屋根上にはまだアセチレンランプのケースがあるのがわかる。提供:湯口 徹
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さらに奇奇怪怪なのは、この“種車”となった木製ボギー客車は1913(大正2)年に木製2軸客車2輌を“併合改造”して誕生したもので、元を正せば近江鉄道創業時の2軸客車、つまりは福岡鉄工所製の客車だったのです。明治31(1898)年に生まれ、彦根車庫の火災できわめてわかりにくい改番をされ、2輌を合体してボギー化され、郵便合造化され、モノクラスに戻され、再び荷物合造化され、台車と名義だけ電車に譲り…とこれ以上ないほどの数奇な運命を経て、辿り着いたのが桜川駅構内だったのです。

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▲末期のフホハニ32。荷物室の標記が見える。ちなみにこの時点で書類上はすでにクハ1208に車籍を譲っていたはずだが…。'56.2.9 米原 P:湯口 徹
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▲すでに台車を外されて留置されているフホハニ33。荷物扉上部の形状も酷似しており、この2輌のどちらかが切断されて現存していることになる。'56.2.7 彦根 P:湯口 徹
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▲フホハユ31・32組立図。桜川の廃車体は赤枠の部分が切断されたものと思われる。提供:湯口 徹
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湯口さんの資料と白土さんの「私鉄車両めぐり」をもとに、あらためてその複雑怪奇な道のりを遡ってみましょう。
年月日不明:車体を切断し倉庫化
昭和31年1月19日認可:台車を利用し改造名義で車籍だけクハ1207・1208に。
昭和18年3月6日認可:フホハニ32・33に再改造。
昭和15年12月18日認可:オープンデッキを密閉化。広幅の引き戸を新設し中妻を撤去。
昭和8年12月16日認可:郵便室仕切を撤去してロングシートを設置しフホハ32・33に改造。
大正15年11月16日認可:乙形は1・2を郵便合造車フホハユ1・2に改造。同時にイコライザー式台車に履き替え。アセチレンランプを蓄電池式電灯に変更。屋根上のランプケースを撤去。
大正2年9月15日認可:2軸客車2輌を併合改造。は1(初代)+は2(2代目)を乙形は1に、は3(2代目)+は4(2代目)を乙形は2に。
明治45年7月1日:彦根車庫火災に伴い、は3(初代)をは2(2代目)に、は4(初代)をは3(2代目)に、は5(初代)をは4(2代目)に改番。
明治31年5月:近江鉄道開業に備え、大阪・福岡鉄工所で、は1・3・4・5として誕生。

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▲かつては桜川のみならず各所にあったという木造客車を利用した倉庫だが、最後に残されたこの個体が近江鉄道創業時の客車であったとは、まさに奇跡的。'09.8.15 桜川
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は1・3・4・5の4輌のうちのどれかはわからないものの、この廃車体が近江鉄道が創業に際して用意した客車のうちの1輌であることはほぼ間違いなさそうです。御料車などの特別車輌は別として、現存する明治期の一般客車はきわめて数が少なく、先述のように鉄道博物館にしてレプリカを展示しているのが実状です。原形への復原は不可能としても、一昨年から公開されている近江鉄道ミュージアム(アーカイブ「近江鉄道ミュージアムを見る」参照)の一隅にでも創業期の車輌として置いていただけたら…そんな思いを抱きながら桜川駅をあとにしました。

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▲一見するとただの廃屋のようにも見える桜川駅構内の廃車体。かつては倉庫として用いられていたようだが、いったいいつからここに置かれているのだろうか…。'09.8.15 桜川
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かねてより一度見てみたいと思っていたのが、近江鉄道桜川駅構内の木造客車と思われる廃車体です。 『トワイライトゾ?ン・マニュアル 10』で下嶋一浩さんがレポートされたのが8年前、続いて広田尚敬さんが『鉄道写真2003』の「近江紀行」でモチーフとして取り上げられていますが、いかんせん、その時点でもかなりの荒廃ぶりで、すでに現存しないのではと思っていました。

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▲全景を見ると明らかに木造客車の成れの果てであることが知れる。D7の側面窓割りが何とも中途半端。'09.8.15 桜川
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ところが、今年5月31日付けの「今日の一枚」で兵庫県の山口敦史さんが現状を発表され(→こちら)、2009年の現在でもほとんど変わらぬ姿のまま残っていることが知れました。そこで先日、五箇荘の側線(アーカイブ「近江鉄道五箇荘側線を訪ねる」参照)を訪れたその足で桜川駅へと向かうことにしたのです。

090905n002.jpgそれにしてもこの木造客車と思しき廃車体、それなりに知られた存在でありながら、これまでなぜかその正体は本格的に究明されてはいません。先述の下嶋一浩さんのレポートをはじめ、木造客車の切断車体では…といった記述は少なくないのですが、残念ながらどこにも傍証が見当たらないのです。そこで今回は現車を仔細に見て、何か出自を示す証拠となるものを見つけ出せないものかと、淡い期待を抱いての現地入りです。
▲逆側(東側)から見る。無粋な屋根はどうやらのちに載せられたもののようだ。'09.8.15 桜川
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▲線路の反対側は用水路があり近づけない。これは用水路を挟んだ道路から撮影したもので、Rのついたドア幕板部などがよくわかる。'09.8.15 桜川
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百年以上の歴史を持つ近江鉄道の車輌史はきわめて複雑で、ことに創業(1898年)間もなく発生した彦根車庫の火災(1912年)による改番がその難解さに輪をかけています。訪問前に、『鉄道ピクトリアル』誌で「私鉄車両めぐり/近江鉄道」を執筆され、その判じ物の客車史を解説されている白土貞夫さんにうかがってみましたが、残念ながら白土さんをして決定的な判断材料はお持ちではありませんでした。

090905n024.jpgところで、近江鉄道は13輌の2軸客車で創業しましたが、注目すべきはそのすべてが福岡鉄工所製であったことです。福岡鉄工所といえば、そう、あの石油発動車の福岡鉄工所です。福岡駒吉さん率いる同社は1900(明治33)年前後、驚くほど多くの客車・貨車を製造しており(RMライブラリー『石油発動機関車 ~福岡駒吉とわが国初の内燃機関車~』参照)、近江鉄道が開業に備えて調達した客貨車もすべて福岡鉄工所によるものだったのです。
▲次々とコミュニティー施設を併設した近代的な駅舎に生まれかわりつつある近江鉄道の駅だが、ここ桜川駅は驚くほど“昭和”の風情を残している。鬼瓦に残る旧近江鉄道社紋も見所。'09.8.15 桜川
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▲朝の通勤・通学時間帯のみ窓口が開くが、昼間は無人駅となる。構内には貨物側線と上屋も健在。'09.8.15 桜川
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もちろん、その後の増備や八日市鉄道からの転入車などもあって、最盛期には30輌を超えていた客車群だけに、にわかに判断は下せませんが、歴代在籍客車の大半は福岡鉄工所製でもあり、桜川の廃車体が同社製、つまりは“駒吉さんの客車”である可能性はきわめて高いわけです。

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関東鉄道5000形を公開。

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▲水海道車両基地で並んだ5001号と5002号。余談だが、取材に行った小野君によれば、シャッタースピード1/80秒で撮影しても前面の行き先表示機のLEDの文字が切れることがあったとのことで、撮影時には注意が必要。'09.9.2 水海道車両基地 P:RM(小野雄一郎)
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関東鉄道が常総線用に新造車輌キハ5000形5001号・5002号の2輌を導入したすることはすでにお伝えしたとおりですが(アーカイブ「関東鉄道がキハ5000形を導入」参照)、去る8月24日に水海道車両基地に無事到着し、このたび報道公開が行なわれましたので、その模様をお伝えいたしましょう。

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▲キハ5000形5001号を1位側(取手側)より見る。新たなカラーリングが斬新。'09.9.2 水海道車両基地 P:RM(小野雄一郎)
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090904n002.jpg鬼怒川(青)と小貝川(青)とを並行して走る常総線(赤)をイメージした新しいデザインが目を引くキハ5000形ですが、車内のデザインも一新されています。従来車は一般席が「すおう色」、優先座席が「パープル」でしたが、キハ5000形では一般席が「青色」、優先座席が「すおう色」に変更されており、清潔感のある配色となっています。
また、仕切棒(スタンションポール)が設置されたことも大きな変更点です。その他にも、大型の袖仕切が新たに設置されています。
▲KE93・KE53ジャンパー連結器を装備したキハ5000形の1位側(取手側)前面。なお、キハ2300形・2400形とで総括制御運転が可能。'09.9.2 水海道車両基地 P:RM(小野雄一郎)
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▲2位側(下館側)よりキハ5000形の室内を見る。仕切棒(スタンションポール)と大型の袖仕切が設置されたことで従来車とは印象が異なる。'09.9.2 水海道車両基地 P:RM(小野雄一郎)
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090904n004.jpgエンジンは新潟原動機製の最新型エンジンである「6H13CRE」が搭載されています。キハ5000形専用のプログラムを用いたコモンレール式電子燃料噴射システムを採用して微粒子状物質の減少を図るなどの環境への配慮がなされているほか、関東鉄道としては初のエンジンブレーキ(排気ブレーキ付き)装備車ということも特筆に価します。
▲取手側に車イス用のスペースが設けられている。また、仕切棒の設置により座席幅が若干広くなり、1人あたり450mmとなっている。'09.9.2 水海道車両基地 P:RM(小野雄一郎)
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また、台車にも変化が見られます。従来車は住友金属製のものを履いていましたが、製造およびメンテナンスのコスト削減を図るため、新潟トランシス製のボルスタレス台車「NF01HD」(動台車)および「NF01HT」(従台車)が採用されています。なお、これによってキハ5000形の製造はすべて“新潟”系列によってなされることとなりました。

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▲新潟原動機製最新型エンジン「6H13CRE」エンジンを見る(左)。エンジンの左下部から細く伸びる銀色のパイプが金網に覆われる直前の箇所に排気ブレーキが設置されている。2位側(下館側)が動台車「NF01HD」(右)。なお、従台車「NF01HT」と外観はほぼ同一である。'09.9.2 水海道車両基地 P:RM(小野雄一郎)
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気になる営業運転開始時期ですが、すでに募集は締め切りとなりましたが9月26日に試乗会が開催され、一般の営業運転には10月初旬ごろとなる予定です。また、運用線区は、常総線水海道駅を境とするいわゆる“北線”と“南線”の両方に入る予定で、遠からず取手駅でもキハ5000形の姿を目にすることができるでしょう。

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京葉線にもE233系。

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▲京葉線に投入されるE233系の外観イメージ。 (JR東日本プレスリリースより)
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「故障に強い車輌」、「人にやさしい車輌」、「情報案内や車輌性能の向上」、「車体強度の向上」をコンセプトに開発されたJR東日本のE233系電車は、一昨年秋に中央線用の0番代が誕生して以来、次々とバージョンが登場して今や首都圏の通勤電車の顔と言っても過言ではありませんが、このたび新たに京葉線への投入が発表されました。

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京葉線に導入されるE233系は、従来車と同様に拡幅車体を採用して混雑緩和を図るほか、電気機器や保安装置などの主要機器を二重系化して、車輌故障における輸送障害の低減が図られる予定です。また、新たにWiMAXを活用した情報案内表示装置を客室内各ドア上に設置して、運行情報やニュース等が迅速に表示されるようになります。
▲京葉線用E233系の概要。WiMAXアンテナによる案内放送設備に注意。 (JR東日本プレスリリースより)
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新造輌数は計250輌で、投入開始時期は来年2010年夏とアナウンスされています。なお、運用区間は京葉線(東京―蘇我間)のほか、外房線(千葉―勝浦)、内房線(蘇我―上総湊)、東金線(大網―成東間)が予定されています。

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▲これまでに誕生したE233系の各番代。上から中央線用0番代、京浜東北・根岸線用1000番代、常磐線用2000番代、東海道線用3000番代。P:RM

ところで、改めて整理してみると、東海道“中電”用3000番代を別としても、中央線用0番代688輌、京浜東北・根岸線用1000番代830輌、常磐線用2000番代180輌、そして今回の京葉線用250輌、総計1948輌もの通勤電車がE233系となるわけで、数年後には首都圏はまさにE233系に席巻されることとなります。

■これまでにご紹介したE233系関係のアーカイブ
E233系がデビュー!
E233系試運転に乗る。
常磐緩行線にもE233系。
京浜東北・根岸線用E233系1000番代登場。
E233系1000番代が正式にお披露目。
E233系「ローレル賞」受賞式典。
東海道本線用E233系3000番代登場。
常磐緩行線用E233系登場。

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▲ローカル線と侮るなかれ、7m85㎝という驚愕の積雪を記録したこともある飯山線の冬は、まさに白魔との闘いの毎日だ。C56を蹴って飯山機関区の苦闘が続く。 (『「SL甲組」の肖像』第4巻より)
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2003(平成15)年2月号でスタートした本誌連載「SL甲組の肖像」もまもなく7年目に突入しようとしております。線路端でカメラを構えていた私たちファンにはうかがい知れない蒸気機関車乗務員のご苦労と矜持を、全国各地の「甲組」と呼ばれた腕利きの機関士OBの皆さんを訪ね、その聞き取り取材をもとに後世に残そうというこの企画は、これまでに3冊の単行本となり、名誉なことに日本図書館協会選定図書ともなって、趣味界のみならず大きな評価を頂戴しております。

090902h1.jpgその単行本『「SL甲組」の肖像』の最新・第4巻が好評発売中です。今回収録した機関区は、北は宮古機関区から南は鳥栖機関区までの12機関区・支区。大型機を蹴って幹線特急を受け持つ仕業から、深山幽谷の支線に分け入ってゆく運用まで千差万別ですが、本書を読み返してみると、それぞれの線区がそれぞれの苦難を抱えながら、それを「甲組」をはじめとする皆さんがただならぬ技術と熱意で克服してきたことが知れます。
■第4巻掲載区所
広島第二機関区(山陽路に「広二」あり)/瀬野機関区(西の函峯を押し上げる)/飯山機関区(果てなき白魔との闘い)/中込機関区(遥かなる高原鉄道)/一ノ関機関区(ここより陸中、巨人機D62とともに)/釜石機関区(地獄の仙人峠越え)/宮古機関区(慟哭の区界峠)/盛岡機関区北上支区(奥羽の脊梁を越えて)/亀山機関区(鈴鹿の峻険加太を制す)/横川機関区(碓氷の険、関守の庫)/門司機関区(関門を守るのは俺たちだ)/鳥栖機関区(門鉄最長運転距離の誇り)

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▲宇田賢吉さんに山陽本線の蒸機全盛時代を語っていただいたインタビュー記事は必見。糸崎機関区の構内配線図なども併載。 (『「SL甲組」の肖像』第4巻より)
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今回の単行本化にあたっては、単に再録にとどまることなく多くの資料を追加しております。また、これまでにもご好評をいただいている取材秘話ともいえる「出会った人びと」も区所ごとに挿入、本編に登場する“武勇伝”がさらに身近なものとなって読み返せると思います。

090902n003.jpgさらにこの第4巻では『鉄路100万キロ走行記』(グランプリ出版)や『電車の運転』(中央公論新社)などの著作でも知られる宇田賢吉さんのインタビューを収録しており、必見です。糸崎機関区を皮切りに、岡山機関区や岡山運転区で蒸気機関車、電気機関車、電車と各種の動力車を自らの手で運転されてこられた宇田さんは、古くからのファンでもあり、今回は自ら撮影されたドラマチックな写真の数々もご提供いただいております。また、あわせて『広鉄運転80年のあゆみ』より「特急を牽き、急勾配に挑む」を6ページにわたって載録しております。糸崎機関区でのC62 2号機の性能試験や、C52にまつわる苦心談、瀬野機関区の自動自連解錠装置の開発など、興味深い歴史が満載で、蒸気機関車ファンのみならず引き込まれることうけ合いです。
▲C59やC62が席巻していた頃の山陽路に燦然と輝く名門機関区が広島第二機関区だった。 (『「SL甲組」の肖像』第4巻より)
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▲これまでほとんど知られていない小本線(現・岩泉線)の“山上げ”と称される特殊な運転方法も、自ら体験された元宮古機関区機関士・岩城徹雄さんの詳細な記録で再現。単行本化にあたって資料とともに収録している。 (『「SL甲組」の肖像』第4巻より)
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『「SL甲組」の肖像』第1巻、第2巻、第3巻も好評発売中です。ぜひこの機会にお揃えください。
第1巻
盛岡機関区/小郡機関区/人吉機関区/東京機関区/青森機関区/夕張鉄道/追分機関区
第2巻
長万部機関区/倶知安機関区/熊本機関区/宮地機関区/中津川機関区/郡山機関区/郡山工場/高崎第一機関区/名寄機関区/原ノ町機関区/平機関区
第3巻
小樽築港機関区/豊岡機関区・和田山支区/福知山機関区/沼津機関区/福島機関区/長野機関区/直江津機関区/新得機関区/鷲別機関区/美唄鉄道/鉄道聯隊/水戸機関区
各巻 定価2,800円(税込)

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▲こちらは209系2000・2100番代の4輌編成。4輌編成は編成番号がC400番代となっている。'09.8.24 幕張車両センター P:RM(伊藤真悟)
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LED_movie_skin.jpg前面と側面の行先表示器は字幕式からLED式に変更され、前面は路線名表示、側面は路線名と路線名+行先の交互表示とされています。このほか、松戸車両センターのE231系と同様に、長時間停車時における冷暖房効果を図るために3/4ドア閉扉機能が追加されているほか、セミクロスシート部分には小型のテーブルが設置されています。
▲上の画像をクリックすると、側面行先表示器の交互表示を動画(再生時間0分13秒)でご覧いただけます。

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▲京浜東北線ではATCを搭載していたが、転用にあたりATS-P・Snに変更されている(左)。右はクハ208の所属標記部分。セミクロスシート化により、定員は146名から142名に。'09.8.24 幕張車両センター P:RM(伊藤真悟)
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保安装置等では、ATCからATS-P・Snへ変更、EB装置の取付け、前面には電気連結器と自動分併装置を取付けるとともに、前面スカート形状も変更されています。さらにVVVFインバータ制御装置、補助電源装置、ブレーキ制御装置、運転台のモニタ装置といった主要な機器は、最新型の信頼性の高いものに更新されています。

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▲4輌編成、6輌編成の2号車に連結されるモハ208-2100番代。トイレ部分の窓が埋め込まれているのが特徴。床下にはSIV装置を搭載する。'09.8.24 幕張車両センター P:RM(伊藤真悟)
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▲2号車のモハ208の客室内。中間車はすべてロングシートだが、この2号車は後位側(千葉方)の車端に車椅子スペースと身障者対応洋式トイレを設置。'09.8.24 幕張車両センター P:RM(伊藤真悟)
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car_no2_interia003.jpgこの209系2000・2100番代は、10月1日(木)より4輌編成5本、6輌編成3本の計38輌が総武本線(千葉~成東~銚子間)、成田線(千葉~成田~銚子間)、内房線(千葉~館山~安房鴨川間)、外房線(千葉~勝浦~安房鴨川間)の一部普通電車から営業運転を開始します。また2010年からは東金線・鹿島線での運行も予定されています。
▲2号車のモハ208は車端に車椅子スペースと身障者対応洋式トイレを設置したため、優先席は7人掛部分に設置している。'09.8.24 幕張車両センター P:RM(伊藤真悟)
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▲2号車のモハ208の客室内。中間車はすべてロングシートだが、この2号車は後位側(千葉方)の車端に車椅子スペースと身障者対応洋式トイレを設置。'09.8.24 幕張車両センター P:RM(伊藤真悟)
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さらに今後順次投入が行なわれ、2011年度末目標で4輌編成42本、6輌編成26本の合計324輌が配置され、113系250輌、211系70輌の計320輌すべてを置き換えることが計画されています。
取材協力:JR東日本千葉支社

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