鉄道ホビダス

2009年7月アーカイブ

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「鉄道だいすき®」から小田急だいすきファミリーお待ちかねのスペシャルブック、その名も『小田急だいすき』が誕生しました。小田急電鉄の全面的なご協力のもとに実現した本書は、ロマンスカー・アテンダント密着取材をはじめ、車輌やオリジナルグッズ開発者インタビュー、大野工場全検レポートなど、ちびっこファンのみならず必見の内容が満載です。

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巻頭は「ロマンスカーではたらく人たち」。ロマンスカー・VSE(50000形)を使用した新宿10:00発「スーパーはこね13号」と、折り返し箱根湯本11:49発「はこね14号」に同乗取材。運転士や車掌、アテンダントの仕事を密着紹介しています。特に箱根湯本の折り返しはわずか25分ですので、現場で働く人たちのたいへんさがうかがい知れます。

odakyu_daisuki_h1.jpg続いて誌面を飾るのは、ロマンスカー・MSE(60000形)の開発者インタビューです。地下鉄乗り入れ可能なロマンスカーとして颯爽と登場したロマンスカー・MSE(60000形)の開発者・鈴木剛志さんにインタビューを敢行し、MSE(60000形)に賭けた思いとその知られざる舞台裏を細かく紹介しています。通勤特急と観光特急の両側面の要素を備えた同車ですが、こども目線でデザインを検討したり、利用者だけでなく働く人たちにも配慮してデザインするなど、私たちにはなかなか知ることのできない開発秘話は必読といえましょう。

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「大野工場探検レポート」では、普段は見ることのできない車輌の全般検査の様子をお届けしています。車体上げから仮台車への車体載せの模様などは必見です。

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「カラー写真でふり返る小田急電鉄あのころ」では、三谷烈弌さん撮影の貴重なカラー写真で懐かしい小田急電鉄の車輌たちが生き生きと誌面に甦ります。さらに「昭和30年代、小田急線の駅」では、荻原二郎さん撮影の写真で新宿から和泉多摩川までの懐かしい駅の光景を紹介しています。

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「小田急電鉄車両オールカタログ」では、小田急電鉄の現行のロマンスカーを筆頭に、一般車輌から保存車輌、さらには小田急グループの箱根登山鉄道と江ノ島電鉄の車輌も紹介し、ちびっこファンに大好評のチェックシートも掲載しています。ちなみにこの「小田急電鉄車両オールカタログ」、一見変哲のない編成写真のように見える中に、いくつか超レアなものが混じっています。ぜひ見つけてみてください。

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このほかにも小田急のオリジナルグッズ開発者インタビューやグルメスポット紹介などの見どころ読みどころ豊富な記事を満載。ちびっこファンだけでなく、大人の方にも存分に楽しめる一冊となっています。小田急各駅売店、コンビニをはじめ、全国書店で発売中ですので、ぜひお手にとってご覧ください。なお、既刊『西武だいすき』に続いてのこの「鉄道だいすき®」シリーズ、秋には第3弾『○○電鉄だいすき』を発売の予定です。どうかご期待ください。

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今日から東京・品川のキヤノンギャラリーSで、3月14日に急逝された鉄道写真家・真島満秀さんの写真展“「鉄道回廊」一期一会を求めて”が始まりました。昨晩、ひと足早く内覧会とオープニングパーティーが行なわれ、あらためて真島さん縁の皆さんが集いました。

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この写真展は、決して遺作展ではなく、真島さんが生前に企画されていたもので、ご自身も会場を下見しながら開催を楽しみにしておられたそうです。それが第一回の打ち合わせを最後に、再びここ品川の地を訪れることかなわず、はからずも遺作展となってしまったのは、かえすがえすも残念でなりません。

090730n004真島さん亡きあと、猪井貴志さんをはじめとした現スタッフの皆さんが実現に向けて尽力され、加えて真島満秀写真事務所を“卒業”していったプロカメラマンの方々がサポートに加わって今回の写真展が形となっていったのだそうです。会場内にはそんな、いわば真島門下の8名の写真家の皆さんからの、師匠・真島さんへのメッセージが掲げられていますが、いずれも強く心を打つメッセージで、会場を訪れた際はぜひともじっくりとお読みいただきたいと思います。

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真島さんの作品についてはあらためて申し上げるまでもないでしょう。
「この写真展で感動して頂ける“一枚の作品”と出会ってくだされば真島の思いをお伝えできたということで、本人も満足するでしょう」とマシマ・レイルウェイ・ピクチャーズ代表の猪井貴志さんが会場入口に挨拶文を掲げておられますが、この写真展を見て、ひとつの時代の終焉を見届ける感慨を抱くよりも、次なる時代の幕開けを確信することこそが、亡き真島さんへの最大無二の鎮魂となるに違いありません。

canonstowermap01.jpg■真島満秀写真展「鉄道回廊」一期一会を求めて
・7月30日(木)~9月14日(月) 10:00~17:30 日曜・祝日休館
・キヤノンギャラリーS (キヤノンSタワー1階) 入場無料
・JR品川駅港南口より徒歩約8分、京浜急行品川駅より徒歩約10分

▲画像・地図はいずれもクリックするとポップアップします。

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※明日31日(金曜日)15時30分から約20分間、NHKラジオ第1「金曜旅倶楽部」で「夏休み 家族で楽しむ秩父鉄道の旅」と題して生トークを放送いたします(→こちら)。全国どこでもお聴きいただけます。

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下り「はつかり」 ▲キハ80系に置き換わる直前のC62牽引特急「はつかり」を常磐線江戸川橋梁で撮影。手近な撮影地にもかかわらず、当時カメラを構える人はほとんど見かけなかった。’60.12.4 常磐線 金町─松戸 P:中島正樹 (『わが国鉄時代』vol.2誌面より)
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『わが国鉄時代vol.2』がいよいよ発売となりました。「出会い、そして別れ。忘れえぬ日々…」のサブタイトルが物語るように、今回もネットを経由してお寄せいただいた皆さんの思いがぎっしりと詰まった一冊となっております。今日は編集を担当した山下よりあらためて本書の見どころをお伝えいたしましょう。

090729n003.jpg1月30日に発刊いたしました『わが国鉄時代vol.1』は、さまざまな方面よりたいへんご好評を頂戴いたしました。「vol.1」というからには「vol.2」はいつ出るのかとのお問合せも多く、ブログの管理を行なっております私にいたしましても大いに励みとなっております。vol.1から半年、多くの方々からのご投稿に支えられて、vol.2が7月28日に発売となりました。その間、アップ数も通算で1000枚を超え、7月28日現在1100枚となっております。アップ待ちのご投稿も含めますと相当な数に上り、ますます充実したアーカイブに成長いたしました。

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整備作業 ▲北海道に初めて渡る前に青森で途中下車。職員の方3名が炎天下でC61 20の整備作業中だった。'71.8.3 青森機関区 P:宮山幸雄 (『わが国鉄時代』vol.2誌面より)
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090729n004.jpgさて、『わが国鉄時代vol.2』もvol.1同様、車輌とともにいつしか消え去ってしまったさまざまな光景が甦る温もりのある本となりました。特急がひっきりなしに発車する上野駅ではふるさとに向う親子連れがお土産のたくさん詰った紙袋を持って列車の入線を待っています。同じ駅でも蒸機の煙が濃厚に漂う後藤寺ともなるとランニング姿の少年が改札のラッチを掴んで9600の通過を眺めています。煤まみれになってC61を整備する係員、EF10の機関助士に背伸びをしてタブレットを渡す助役、C57三重連が通り過ぎ満足感にひたる蒸機ファン、この本の中では登場人物の数だけストーリーがあるのです。
朝の名物 ▲長門市駅の朝のホームは獲れたての海の幸をひさぐ行商の人でいつも賑わっていました。これから家々を訪ねて売りに行くのでしょう。そんな光景もD51とともに消え去ってしまったのかもしれません。'74.11.9 山陰本線 長門市 P:永井修二 (『わが国鉄時代』vol.2誌面より)
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これらの写真は、会心の作の走行写真とは違って、ネガの片隅に写っていることすら半ば忘れていた存在だったと多くの方々が言います。スキャナーを買ったのがきっかけとなって、改めてネガを見直してみると…、というケースがほとんどのようです。みなさんももう一度ご自分のネガをみてみると、新たな「国鉄時代」がいくつも眠っているのにお気づきになることでしょう。

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都会の中のローカル線 ▲プッシュプルの列車が通過した後は線路が通勤路となる。'81.6.1 和田岬線 P:筒井智裕 (『わが国鉄時代』vol.2誌面より)
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ブログ「わが国鉄時代」は大変ご好評をいただいており、多くの方々からの投稿が寄せられています。編集の仕事の関係で、何日かアップが滞ってしまうとたちまち未アップがたまってしまってしまうほどです。その面ではご迷惑をお掛けいたしておりますが、お送りいただきました作品は時間がかかってもアップしていきますので、今後ともよろしくお願いいたします。(山下修司)

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▲今回の特別付録は昭和39年版「日本国有鉄道案内図」の東北・上信越編。

■『わが国鉄時代』vol.2 ※ご購入は→こちら
・B5判 180ページ
・定価1800円(付録共)

▼『わが国鉄時代』vol.1も好評発売中!
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▲蒲郡付近を駆け抜ける0系16連の「ひかり」。当時、東京?新大阪間の所要時間は3時間10分であった。'78.11 豊橋?名古屋 P:浅原信彦 (『ガイドブック 最盛期の国鉄車輌6』より)
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ご好評いただいている浅原信彦さんの連載「ガイドブック 最盛期の国鉄車輌」の単行本第6巻が完成いたしました。本連載は昭和43年10月ダイヤ改正、いわゆる「よん・さん・とう」の時点に在籍した全ての国鉄車輌を網羅しようという壮大な試みで、これまでに第1巻(戦前型旧性能電車)第2巻(戦後型旧性能電車)第3巻(直流新性能電車/上)第4巻(直流新性能電車/下)第5巻(交直流・交流電車 新性能直流郵便電車)を発売しておりますが、続く第6巻のテーマは「東海道新幹線」。これにより、「よん・さん・とお」の時点で国鉄に在籍した全形式の電車を網羅したことになります。


090726jnr6.jpg今回の第6巻では、昨年惜しまれつつ引退した0系新幹線のうち、いわゆる大窓車について、誕生から年次による改良などの変更点を詳細に解説するほか、その原形となった試作車A・B編成、その改造車である電気試験車や救援車、さらに東海道新幹線誕生の背景について、戦前の弾丸列車構想まで遡って解説しています。また、単行本化にあたり、諸元表も新たに収録しました。

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▲神奈川県・鴨宮のテスト線で試験走行を繰り返した試作車A・B編成。のちに事業用車に改造されたが、保存されることなく姿を消した。 (『ガイドブック 最盛期の国鉄車輌6』より)
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さらに今回は後半に、本誌302号で大好評を博した「よん・さん・とお40年」を再録しています。これは本連載の掲載基準であり、国鉄にとっても動力近代化の大きなターニングポイントとなった「よん・さん・とお」について、当時の国鉄のPRパンフレットなどを交えつつ、浅原さんが詳細に解説したもので、その内容は「最盛期の国鉄車輌」の時代背景そのものといえます。当時の国鉄車輌の活躍を知る上でぜひお読みいただきたい一冊です。

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▲「よん・さん・とお」で誕生した583系「はつかり」。上野?青森間8時間30分は、キハ81時代に比べ2時間弱もの短縮であった。'68.10 金谷川?福島 P:浅原信彦 (『ガイドブック 最盛期の国鉄車輌6』より)
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▲「よん・さん・とお」最大の目玉の一つが東北本線の全線電化。北海道連絡の所要時間が大幅に短縮された一方、多くのファンをとりこにした十三本木峠の蒸気機関車三重連もこの改正で姿を消した。 (『ガイドブック 最盛期の国鉄車輌6』より)
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■『ガイドブック最盛期の国鉄車輌』第6巻「東海道新幹線」
・A4判変形(本誌同寸)/132ページ
・定価2200円(税込)

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1080が梅小路に到着。

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▲深夜の大宮通を超低床トレーラーに載せられて梅小路を目指す1080号機。360年余の歴史を持つ東寺の五重塔(5代目)が108歳のオールドタイマーを見送る。'09.7.25 京都市南区大宮通 P:尾崎 誠 (「今日の一枚」より)

先日、梅小路入りの第一報をお伝えした日鉄鉱業羽鶴の1080号機(アーカイブ「日鉄羽鶴の1080が梅小路へ」参照)ですが、昨日26日未明、無事に梅小路蒸気機関車館に搬入されました。

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▲巨大な360tクレーンで吊り上げられる1080号機。「SLスチーム号」の線路までには駐輪場のフェンスを越さねばならないため、緊張感漲る作業が続く。'09.7.26 P:高橋 修
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▲大宮通高架橋横の側道をバックしてきたトレーラーが梅小路公園横へと進む。いよいよ歴史的な取り下ろし作業が始まろうとしている(左)。午前1時半、クレーンに吊り上げられた1080号機の姿が暗闇に浮かぶ(右)。'09.7.26 P:高橋 修
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半世紀にわたって住処としてきた日鉄鉱業羽鶴をあとにしたのが7月21日(火)夜。高さ制限から煙突のみ取り外された1080号機は、床面高約80センチの超低床トレーラーに載せられて東海道を下り、足掛け5日を掛けて京都の地へとやってきました。

090727n024.jpg梅小路蒸気機関車館への搬入は26日の深夜1時頃から始まり、部分通行止めとなった大宮通をゆっくりとトレーラーがバック、梅小路公園脇に控えたクレーンの下へと進んでゆきました。ちなみにこのクレーン、吊り上げ荷重360tという超巨大なもので、自重36t(昭和27年版形式図、昭和4年「全国機関車要覧」では34.6t)の1080号機を軽々と吊り上げ、普段は「SLスチーム号」が走る線路へと無事取り下ろしました。
▲線路に下ろされた1080号機を迎えに来たのはこれまで梅小路最古参機であった8630号機。大正生まれ(1914年製)のハチロクが明治生まれ(1901年製)の1080号機をエスコートする。'09.7.26 P:高橋 修
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▲無火牽引とはいえ、ハチロクに牽かれて実に18年ぶりに線路の上を走る1080。終の棲家となる蒸気機関車館はもうすぐだ。'09.7.26 P:高橋 修
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090727n022.jpgここで待ち受けていたのが、これまで梅小路最古参機関車であった8630号機です。明治生まれの古典機への敬意でしょうか、ディーゼル機関車ではなくわざわざ蒸気機関車、しかもハチロクがエスコート役を務める粋な計らいがなされました。1080号機は最後の自力走行を行なったのが1979(昭和54)年、DL牽引により羽鶴構内を回送されたのが1991(平成3)年ですから、どのような形にせよ、線路上を動くのは18年ぶりとなります。それでも1972(昭和47)年8月29日に当時の国鉄郡山工場を乙種修繕(臨時)出場してからほとんど走行していないこともあってか、不具合もなく、実にスムースに構内へと引き込まれてゆきました。
▲扇形庫前に到着した1080号機。明かりが灯された庫内から“後輩”たちが見護っている。'09.7.26 P:高橋 修
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▲国の重要文化財に指定されている梅小路の扇形庫は1914(大正3)年の竣工。歴史的建造物でさえも、1901(明治34)生まれの1080号機から見れば13歳も年下ということになる。'09.7.26 P:高橋 修
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8630号機によって転車台に載せられた1080号機は扇形庫7番線に転線、DLによって検修線奥へと押し込まれました。これから全面的なお化粧直しが行なわれ、9月中旬には一般公開される予定です。

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▲記念撮影に臨む受賞者の皆さんと、鉄道友の会会長、副会長、専務理事、島秀雄記念優秀著作賞選考委員長の方々(後列)。'09.7.26
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今日は午前11時から東京・市ヶ谷の私学会館で鉄道友の会が選定する2009年島秀雄記念優秀著作賞の贈呈式が執り行われました。すでにご報告したように、単行本部門で湯口 徹さんのRMライブラリー『日本の蒸気動車』(上巻)がこの栄誉に浴することとなり、湯口さんご本人も朝の新幹線で神戸から会場入りされました。

090726n002あらためてご紹介すると、今年は単行本部門では湯口さんの『日本の蒸気動車』のほか、長船友則さんの『山陽鉄道物語』(JTBパブリッシング)、河田耕一さんの『鉄道風景30題』(機芸出版社)の3冊、定期刊行物部門では澤内一晃さんの「東京市の静脈物流と私有貨車」(電気車研究会『鉄道ピクトリアル』2008年1月増刊号掲載)が受賞することとなりました。また、特別部門では博物館の出版物という枠を越えて本格的な写真集として発行された点が評価され、田部井康修さんの『上州を走ったトラム 伊香保電車』(東武博物館)が選定されました。
▲須田 寛鉄道友の会会長より島秀雄記念優秀著作賞表彰状を受ける湯口 徹さん。'09.7.26
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冒頭の挨拶に立たれた須田 寛鉄道友の会会長は、発祥の地であるイギリスでは鉄道が非常に文化的意味あいを持ち、車輌・建造物のみならず資料・文献が大切に保存されているのを例に、ようやく車輌の保存に目が向けられつつあるわが国では、まだまだ文献に対する評価は低く、ともすれば単なる趣味の著作程度の評価しか受けていないと、この島秀雄記念優秀著作賞の意義を紹介されました。

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▲これが島秀雄記念優秀著作賞記念盾。たいへん重厚なもので、下部に受賞作品と受賞者名のエッチングが取り付けられている。'09.7.26
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続いて西野保行選考委員長より選考経過の報告がありました。今回の対象となった昨年1月1日から12月31日までに発行された著作物でノミネートされたのは単行本部門40作品、定期刊行物部門22作品で、このうち重複推薦等を整理して単行本21作品、定期刊行物部門17作品が選考対象となりました。最終的には両部門ともに6作品が残され、10名の選考委員が厳正に選考の末、今回の単行本部門3作品、定期刊行物部門1作品、特別部門1作品が選ばれたとのことでした。

090726n004受賞の挨拶に立たれた湯口 徹さんは、賞をいただくのは小学生の時以来と笑いを誘いながらも、いつの間にか鉄道趣味の世界にも学術世界の好ましからざる慣習が持ち込まれ、発表されたものに対する再検証がまったくなされずに、いわば“引き写し”が常態化してきているのでは…と疑問を呈されました。一次資料、とりわけ従来目を向けられなかった特許に着目して、次々とこれまでの“常識”を覆してこられた湯口さんならではのご指摘と言えましょう。
▲表彰されるのは小学生以来…とウィットに富んだ受賞挨拶をされる湯口 徹さん。'09.7.26
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090726n005JR東海の初代社長であり、会長、相談役を歴任されてきた須田会長からは、湯口さんの『日本の蒸気動車』に因んで、一昨日発表されたJR東海博物館(仮称)に明治村から移管されて保存・展示される現存唯一の蒸気動車キハ6401 (1912 年製/鉄道記念物)に関する興味深いお話もあり、実にタイムリーかつ有意義な式典となりました。
▲閉会の挨拶をされる須田会長。受賞作品『日本の蒸気動車』にちなみ、明治村の蒸気動車キハ6401がJR東海博物館(仮称)に収蔵される経緯にも言及された。左は久保 敏副会長。'09.7.26
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▲JR東海博物館(仮称)の完成予想内観パース。1階には新在8線の展示線が並ぶ予定。 (JR東海提供)

jrcsankou1014.jpg2011(平成23)年春の開業を予定しているJR東海博物館(仮称)の展示概要が決定し、その展示車輌の全貌が明らかになりました。「高速鉄道技術の進歩」を紹介すべく、超電導リニア方式による世界最高速度を記録した超電導リニア車輌MLX01や、歴代の新幹線車輌および鉄車輪系で国内最高速度を記録した300X、狭軌鉄道の蒸気機関車で世界最高速度を記録したC62 17のほか、在来線を含め36輌の実物車輌が展示されます。
(JR東海博物館の計画概要についてはアーカイブ「JR東海が“JR東海博物館”(仮称)建設へ」参照)
▲JR東海博物館(仮称)の外観パース。 (JR東海提供)
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■展示車輌(実車36輌+バス1台)/形式番号・製造年・主な特徴・従来の保管場所
1:MLX01形式 超電導リニア 車輌車号 MLX01-1 (1995年製造)
2003年、超電導リニア方式による鉄道世界最高速度を記録(581km/h)
【JR総研】
2:0系21形式 新幹線電車 車号 21-86 (1971 年製造)
0系(最初の新幹線)の先頭車
【浜松工場】
3:0系16形式 新幹線電車 車号 16-2034 (1986 年製造)
0系グリーン車の最終形
【浜松工場】
4:0系36形式 新幹線電車 車号 36-84 (1975 年製造)
博多開業にて投入された現存する唯一の0系食堂車
【浜松工場】
5:0系37形式 新幹線電車 車号 37-2523 (1983 年製造)
多目的室や車いす対応トイレを設置した0系ビュッフェ車
【浜松工場】
6:922形式 新幹線電気・軌道総合試験車 車号 922-26 (1979 年製造)
通称ドクターイエロー、主に信号の検測車輌 (2006 年8 月まで活躍)
【JR西日本】
7:100系123形式 新幹線電車 車号 123-1 (1986 年製造)
新幹線初のフルモデルチェンジとなった100系の先頭車
【浜松工場】
8:100系168形式 新幹線電車 車号168-9001 (1985 年製造)
新幹線初の2階建車(食堂車)
【浜松工場】
9:300系322形式 新幹線電車車号322-9001 (1990 年製造)
新幹線初の270km/h 営業運転を実現した量産先行試作車の先頭車
【浜松工場】
10:300系323形式 新幹線電車 車号323-未定
300系の量産車の先頭車
11:955形式 新幹線試験電車 車号 955-6 (1995 年製造)
通称300X、1996 年、鉄車輪系の国内最高速度を記録(443km/h)
【浜松工場】
12:ケ90形式 軽便用蒸気機関車 車号 ケ90 (1918 年製造)
東濃鉄道(現太多線)で活躍した小型機関車
【名古屋研修センター】
13:C57形式 蒸気機関車 車号 C57 139 (1940 年製造)
戦前の代表的な機関車で旅客列車を牽引(お召列車にも使用)/準鉄道記念物
【名古屋研修センター】
14:C62形式 蒸気機関車 車号 C62 17 (1949 年製造)
国内最大最速の機関車で、旅客列車を牽引、1954 年狭軌鉄道における蒸気機関車の世界最高速度を記録(129km/h)
【東山総合公園】
15:ED11形式 電気機関車 車号ED11 2 (1923 年製造)
東海道本線、横須賀線の電化・電気機関車運転用の機関車(米国製)
【佐久間レールパーク】
16:ED18形式 電気機関車 車号 ED18 2 (1924 年製造)
東海道本線の電化初期の主力機関車で旅客列車を牽引、その後、飯田線で活躍(英国製)
【浜松工場】
17:EF58形式 電気機関車 車号EF58 157 (1958 年製造)
戦後の代表的な電気機関車、東海道本線全線電化当時の主力機関車で旅客列車を牽引
【浜松工場】
18:モハ1形式 三等電動車 車号 モハ1035 (1922 年製造)
省線電車として中央線等で活躍、その後、三信鉄道(現飯田線)等にて使用、現存する唯一の標準形木製電車(省線電車の第一号)
【伊那松島運輸区】
19:クモハ12形式 電車 車号 クモハ12041 (1927 年製造)
日本初の半鋼製車体による電車
【伊那松島運輸区】
20:モハ52形式 電車 車号 モハ52004 (1937 年製造)
流線型電車「流電」、戦前に京阪神間の急行電車として活躍、その後、飯田線にも使用
【佐久間レールパーク】
21:クモヤ90形式 電車 車号 クモヤ90005  (1947 年製造)
戦時設計の通勤車輌(モハ63形式)として誕生した後、事業用に改造
【浜松工場】
22:クハ111形式 電車 車号 クハ111-1 (1962 年製造)
東海道本線の通勤列車で活躍した最初の直流近郊形電車
【佐久間レールパーク】
23:クモハ165形式 電車 車号 クモハ165-108 (1963 年製造)
急行形直流電車として勾配線区などの急行列車で活躍
【美濃太田車両区】
24:サロ165形式 電車 車号 サロ165-106 (1967 年製造)
急行形直流電車のグリーン車
【浜松工場】
25:クハ381形式 特急電車 車号 クハ381-1 (1973 年製造)
日本初の振子式電車で、曲線における速度向上を実現し、中央線「しなの」で活躍
【美濃太田車両区】
26:クロ381形式 特急電車 車号 クロ381-11 (1974 年製造)
381形式中間車輌をパノラマ(展望車)仕様に改造
【美濃太田車両区】
27:キハ6400形式 蒸気動車 車号 キハ6401 (1912 年製造)
動力を蒸気機関とした自動客車で現存する唯一の蒸気動車/鉄道記念物(気動車の第一号)
【明治村】
28:キハ48000形式 気動車 車号キハ48036 (1956 年製造)
初の液体式変速機による総括制御を実現した最初の量産気動車
【佐久間レールパーク】
29:キハ82形式 特急気動車 車号 キハ82 73 (1965 年製造)
特急用の代表形式の気動車で、高山線などの特急「ひだ」として使用
【美濃太田車両区】
30:キハ181形式 特急気動車 車号 キハ181 1 (1968 年製造)
日本初の大出力特急気動車で、中央線特急「しなの」として使用
【佐久間レールパーク】
31:スニ30形式 客車 車号 スニ30 95 (1929 年製造)
最初の鋼製荷物車
【佐久間レールパーク】
32:オヤ31形式 客車 車号 オヤ3112 (1937 年製造)
新線開通時や電化開業時の建築限界の測定車として使用
【佐久間レールパーク】
33:オハ35形式 客車 車号 オハ35206 (1941 年製造)
国鉄鋼製客車の標準型、三等車でありながら広い窓を採用
【佐久間レールパーク】
34:マイネ40形式 寝台客車 車号 マイネ40 7 (1948 年製造)
戦後初の一等寝台車(冷房付)で、外国人団体観光輸送などに使用
【佐久間レールパーク】
35:オハ47形式 客車 車号 オハ472098 (1954 年製造)
居住性が大幅に向上した急行用の三等車
【美濃太田車両区】
36:オロネ10形式 客車 車号 オロネ1027 (1960 年製造)
急行用二等寝台向けに製造された軽量客車
【佐久間レールパーク】
・国鉄バス第1号車(省営バス) (1930 年製造)
日本に現存する最古の国産バス/鉄道記念物(国鉄バスの第一号)
【鉄道博物館】

そのラインナップは上記のとおりですが、少々気になるのは、今秋閉館する佐久間レールパークの展示車輌のうち、ノミネートされていないクモハ12054、ED62 14、クヤ165?1、オハフ33 115、ソ80-180、チキ6132などの去就です。

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▲館内1階・2階の平面レイアウト。車輌展示スペースの2階部分は吹き抜けとなっている。 (JR東海提供)
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館内には子供から大人までが楽しめる各種シミュレータや、日本最大面積のジオラマ、シアターなどを設けるほか、鉄道や超電導リニアのしくみ、歴史などについて、親子が一緒に体験しながら楽しく理解してもらえる展示コーナーが設置されます。主な館内レイアウトは、1階は車輌展示、鉄道のしくみ展示、ジオラマ、シアター、シミュレータ、リニア展示等が収められ、2階は収蔵展示、歴史展示、体験展示、キッズコーナー、レストスペース等が設けられる計画です。

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▲各種展示コーナーのイメージ。ジオラマは国内最大面積となる予定。 (JR東海提供)
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なお、本年8月には建物工事が開始される予定で、これに先立ち金城ふ頭の建設予定地内で8月20日には起工式が執り行われる予定です。

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日鉄羽鶴の1080が梅小路へ。

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▲専用鉄道廃止直前には鉄道友の会有志の呼び掛けで1080を磨く会が行なわれた。こののち、構内外れのハンプ線奥に設けられた保管庫に入れられて、“羽鶴の1080”は18年もの間眠り続けることになる。'91.11.16
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かつて関東地方に残った最後の現役蒸気機関車として多くのファンに親しまれながらも、その去就が注目されていた日鉄鉱業羽鶴専用鉄道の1080号機(アーカイブ「羽鶴の1080のこと」参照)が、梅小路蒸気機関車館入りすることとなりました。

1080blog002.jpg昨日(23日)付けでJR西日本が発表したもので、社会文化活動の取り組みのひとつとして梅小路蒸気機関車館や交通科学博物館の運営を行なうなど、鉄道の歴史や文化を後世に伝承するための取り組みを続けている同社が、日鉄鉱業株式会社からの寄贈の申し入れ(昨年7月)を受けて保存に踏み切ったものです。現在、梅小路蒸気機関車館に保存・展示されている蒸気機関車の中で最も古いのは8630号機(1914年6月26日製)。1080号機は1901(明治34)年製ですから、同館最古の保存機となるほか、梅小路には明治・大正・昭和の三代にわたる蒸気機関車が揃うこととなります。
▲そのバックビュー。6270形からタンク機関車化改造された際に、ラジアル式内側軸箱支持の従輪が設けられた。'91.11.16
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あらためてご紹介すると、1080号機は英国ダブス社(Dubs & Co.)製のテンダー機関車として誕生しました。鉄道作業局形式D9形651号機として就役し、東海道線の輸送力増強用として急行列車牽引等に活躍しました。今からちょうど100年前、1909(明治42)年10月1日の形式称号改訂で6270形6289号となり、中部鉄道局、神戸鉄道局、名古屋鉄道局管内などで使用されましたが、8620形の増備が進んだことなどからタンク機関車に改造されることとなり、1926(大正15)年2月7日付けで2B1タンク機1070形1080号として生まれ変わりました。改造施工工場は浜松工場で、落成後は新名古屋機関区、岐阜機関区、美濃太田機関区などで支線列車の牽引に用いられました。

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▲赤谷時代から1080を運転し続けてきた関 英郎さんの定年退職にともない最後の記念運転が行なわれた。常盤から羽鶴へ33.3‰を駆け上がる1080はとても明治生まれとは思えないほどの迫力を見せてくれた。'79.6.10
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1938(昭和13)年11月28日付けで廃車、1940(昭和15)年9月30日付けで日鉄鉱業㈱に払い下げられ、同年10月から新潟県の同社赤谷鉱山専用鉄道で鉄鉱石貨車や従業員列車の牽引に活躍しました。赤谷鉱山専用鉄道の廃止(ナローの電気鉄道に転換)にともない、1957(昭和32)年1月24日付けで完成間もない日鉄鉱業羽鶴専用鉄道に配置転換され、以後、半世紀以上にわたって葛生の山の中で暮らすこととなります。

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▲昭和27年版国鉄車輌形式図に見る1070形。6200形(ネルソン製)とそのダブス版6270形をタンク機関車化改造したのが1070形。合計49輌が誕生した。なお、日鉄羽鶴専用鉄道は1951(昭和26)年の開通時点では旧省3073号を使用しており、1080は僚機973(960形=ピーコック製5300形の2B1タンク改造機)とともに1957(昭和32)年に日鉄鉱業赤谷鉱業所より羽鶴に転籍してきたもの。
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最後に運転されたのは1979(昭和54)年ですから、ちょうど30年前のことで、以後、同機は羽鶴構内の庫の中で眠り続けてきました。梅小路蒸気機関車館ではお化粧直しのうえ、9月中旬頃に譲渡式を行ない、以後、扇形車庫で保存・展示する計画だそうで、懐かしい1080号機と京都の地で再会できるのが今から楽しみです。

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▲とりたててアナウンスはなかったものの、ちょっと気になるのが新たに展示に加わった「トキ」のショーティー(?)。なんともかわいい。'09.7.17
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今回のリニューアルは「実際に見て・触れて・体験できる」、「東武鉄道の“いま”と“むかし”をより体感できる」博物館をコンセプトに進められました。これまでに見てきたモハ5701号やED101は、まさに“むかし”を実際に“見る”展示に相当しますが、“いま”を“体験できる”新機軸も盛りだくさんです。

090723n009まず注目を集めているのが、新しく導入された50050型のワンハンドルタイプの運転シミュレータをはじめとした3基の電車シミュレータです。この50050型バージョンは実際の運転士訓練も可能な仕様を搭載した本格的なもので、既存の2機種とともに、映像のハイビジョン化と東武鉄道の信号システムである「TSP型ATS」を模擬搭載しています。開発は枚挙に暇のないほど豊富な実績を持つ株式会社音楽館。開館当初からあった10030型シミュレータと8000系シミュレータもあわせて大規模な改修が行なわれています。
▲二階回廊からショーティーの「トキ」を見下ろす。台車1台分にカットされながらも、東武鉄道の貨物輸送の歴史を語り継ぐ貴重な展示である。'09.7.17
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▲新たに導入された50050型のシミュレータ。スクリーンは65インチ(16:9)サイズの液晶。デモ運転しているのはほかならぬ向谷 実さんご本人。'09.7.17
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▲動揺装置こそないものの、202インチの大画面と音響が揺れているような錯覚まで起こさせる10030型のシミュレータ(左)。外部からは運転している様子をモニタリングできるので、ファミリーにもお薦め(右)。'09.7.17
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なかでも10030型シミュレータは、16:9ワイド画面による202インチの超大画面スクリーンにフルハイビジョン映像を投影するもので、実際の音源に近い位置に設置した6台のスピーカから発生する音源とあいまって、迫力ある臨場感が体感できます。

090723n0043機種ともに模擬運転区間は、伊勢崎線下り(区間)急行(北千住→東武動物公園)、同上り普通(春日部→浅草)、東上本線下り急行(池袋→森林公園)、同上り通勤急行(川越市→池袋)を収録、10030型と8000系では伊勢崎線系統がともに3M3Tの6連、東上本線系統が5M5Tの10連、50050型では伊勢崎線上り普通が3M3Tの6連、それ以外が5M5Tの10連に設定されています。
▲10030型シミュレータにはさりげなく「音楽館」の製造銘板も…。'09.7.17
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▲大パノラマに聳え立つ「東京スカイツリー®」。レイアウト自体は80分の1スケールだが、同一縮尺だと高さ7メートルにもなってしまうため、これだけは600分の1スケールで製作されている。'09.7.17
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線路レイアウトが全面的に変更され、話題の「東京スカイツリー®」の模型も建てられた大パノラマ(ジオラマ)も見逃せません。線路延長約400メートルという大パノラマは観覧席の3基の運転台(有料)から模型運転を行うことも可能で、今回のリニューアルにあたっては30000系ワンハンドルタイプの運転台1基が増設されています。なお、不定期ながら“DRC”1720系や5700系などが走る姿も見られるそうです。

090723n006このリニューアルオープンにあたり、現在「開館20周年・リニューアル記念イベント」が開催されます。
1:記念品進呈
開館20周年・リニューアル記念「クリアファイル」と「ポストカード」を先着10,000名さまにプレゼント。
(1)開催日 2009年7月22日(水)から
先着10,000名さまに達した時点で終了いたします。
(2)時間 10:00~16:00
(3)場所 インフォメーション
(4)対象 入館された方
2:開館20周年&リニューアル記念特別展
今年、開館20周年を迎え、ならびにリニューアルオープンを記念して、新展示車輌である特急電車モハ5701号と電気機関車101号をはじめとする、全展示車輌の搬入から展示までを紹介するほか、東武博物館における20年の歴史をたどります。
(1)開催日 2009年7月22日(水)~9月23日(水・祝)
月曜日は休館。ただし、9月21日(月・祝)は開館。
(2)時間 10:00~16:30
入館は16:00まで。
(3)場所 記念物・保存物展示コーナー、東武博物館ギャラリー
▲東京スカイツリー手前には隅田川と、もちろん浅草駅も…。'09.7.17
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▲エントランスにあるミュージアム・ショップもリニューアル。オリジナルグッズや図録を手に入れることができる。'09.7.17
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このほかデハ1形5号電車前ほかでは「プラレール」を使った7種類のアトラクション「プラレールフェスタ」(7月28日~8月9日)も開催されます。
■東武博物館
場所:東京都墨田区東向島4-28-16(東武伊勢崎線東向島駅下車)
開館時間:10:00~16:30(入館は16:00まで)
休館日:毎週月曜日(月曜日が祝日・振替休日の場合は翌日休館)

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▲37年ぶりに近江鉄道から復帰したED4001は、1930(昭和5)年の就役当時のED101の姿に復元されて展示されている。なお、この展示スペースの架線は東武鉄道が実物同様に設置したもの。'09.7.17
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新設された屋外展示場でモハ5701号とともに注目を集めているのが、近江鉄道から里帰りを果たしたED4001です。1928(昭和3)年イングリッシュ・エレクトリック(E.E)社製の本機は、東武鉄道が新製導入した最初の電気機関車であり、この里帰りによって東武鉄道の歴史を語るうえで欠かせない蒸気機関車、電車、電気機関車がすべて東武博物館に揃ったことになります。

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▲再現されたナンバープレートと社紋。栗色の車体はまるでワックス掛けしたかのように光り輝いている。'09.7.17
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37年間を近江鉄道で過ごしてきたED4001ですが、驚くほどオリジナルの部品が残されており、今回の修復に当たってはその原形部分を最大限に活かしたうえで、東武鉄道就役時のED101に近づける努力がされています。

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▲車体側面のイングリッシュ・エレクトリック(E.E)社のプレート(左)。“DICK-KERR WORKS”(ディッカー工場)の文字も見える。右は車体裾部に取り付けられている角型の銘板で、1928年製番741と記されている。'09.7.17
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傷みの激しかった屋根上をはじめ、車体はすべて下地からやり直され、見事な栗色が塗られています。また、ナンバープレートも「101」が大きく、下に「形式ED101」と入ったオリジナルに復されています。もちろん“ディッカー”と通称されるE.E社の立派な銘板も間近に目することができます。

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▲運転台はきわめてシンプルな構造。さすがにHゴム化された窓までは復元されてはいないが、モケット地の肘掛などにいたるまで丁寧に修復されている。'09.7.17
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▲“DICK-KERR SYSTEM”の陽刻のあるマスコン(左)。右は空気圧縮機で、本来はE.E製のDH25が搭載されていたはずだが、近江鉄道でゼネラル・エレクトリック(G.E)製のAK3タイプに換装されている。G.Eのロゴにも注意。('09.7.17
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▲前照灯はなんと米国製のゴールデン・グローが付いている(左)。パンタグラフはPT42形に載せ替えられているが、1基は上毛電気鉄道から譲渡してもらったものとのこと。'09.7.17
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外観で注目いただきたいのは見落としがちな前照灯で、修復段階で塗装を剥離しているなかでゴールデン・グロー(アメリカ)の銘板が見つかり、一見変哲のなさそうなこの前照灯がウランガラスを用いた由緒あるアメリカ製の“骨董品”だったことが判明したのです。花上館長によれば、本機が製造された当時、英国の鉄道には標識灯はあっても前方を照らすという慣習がなく、やむなく米国製のライトを取り付けて輸出したのではないか…とのお話でした。

090722n011さらに機械室の中(通常は非公開)もそのまま博物館状態といって過言ではありません。コンプレッサーこそG.E製に替えられているものの、随所にオリジナルのE.E製機器が残されています。とりわけ注目なのがカム軸制御器で、見事なカム軸接触器がずらりと並んでいます。誕生以来81年、この原始的なカム軸制御器が連綿とメンテナンスされ、そして今日の博物館入りまで脈々と受け継がれてきたと思うと、機械史的側面のみならず、81年間に関わられたであろう数多の人々に思いを馳せずにはいられません。
▲主回路ヒューズなど極めてプリミティブな高圧機器類が並ぶ機械室。'09.7.17
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▲注目すべきはカム軸接触式制御装置。まだ刻印等は発見されていないというが、現存するE.E製のカム軸制御器として極めて貴重。'09.7.17
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モハ5701号とともにED101が置かれた屋外展示場は、屋外と言いながらも可動式の屋根を備えた実にスタイリッシュな空間です。お越しになった際にはどうかたっぷりと時間を掛けてご覧になられることをお薦めします。

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▲登場時のいわゆる“ネコひげ”に復元されたモハ5701。前面(のちにHゴム化)を含め木製の窓枠も作り直され、塗色も見事に再現されている。'09.7.17
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開館20周年を迎え、昨年末から休館して行われていた東武博物館の大幅なリニューアルが完成、22日(水曜日)についにオープンいたします。これまでにも新展示車輌の陸送の様子などをお伝えしてきましたが(アーカイブ「ED4001とモハ5701が東武博物館に到着」参照)、今回は先ごろ行われた内覧会から、注目すべき展示をたっぷりとご覧いただきましょう。

090719n031なんと言っても注目なのは登場時の“ネコひげ”スタイルに復元されたモハ5701号でしょう(アーカイブ「東武博物館のモハ5701が“ネコひげ”に」参照)。できるだけ原形に復したいと大規模な復元工事となりましたが、誕生時の生産図面はほとんど失われており、しかも木部が多い半鋼製車体とあってたいへんな苦労が伴ったそうです。肝心の流線型前面は栃木県にある車体専門メーカー㈱コダイラで、金型から叩き出すという本格的な新製となりました。なお、この金型もモハ5701号横に展示される予定です。
▲金型を使っての前面の打ち出し作業。'09.4.2 P:東武博物館提供
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▲客室内も可能な限りオリジナルに復元された。扇風機は後年取り付けられたもののため取り外され、私鉄では初めて採用されたという蛍光灯の室内灯も点灯できるように整備されている。'09.7.17
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▲転換クロスシートのモケットも忠実に再現された。折り畳み式のテーブルや灰皿が時代を偲ばせる。'09.7.17
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▲復元された窓のヨロイ戸(左)。半鋼車だけに木部が多く、技術的継承がなされていないだけに、復元にはたいへんな苦労が伴ったという。右は昭和26年製を示す汽車会社東京の銘板。'09.7.17
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前照灯は博物館で保管されていた1700系のものを流用しており、若干大きめではありますが、“ネコひげ”の表情が見事に甦っています。前面の取り替えに当たっては、乗務員扉後方あたりから台枠そのものを切り取って新製するというたいへん手間の掛かる作業が行われたそうです。

090719n002改めて見てみると、乗務員扉にステップや手すりがないなど、現代では考えられない部分が随所にあります。デッキ部に置かれた補助イスもそのひとつで、満席時に用いられたものだそうですが、バウハウスあたりを彷彿させる適度にバネの効いたこのイスからも、戦後間もない1951(昭和26)年に東武鉄道が威信を掛けて新造した特急車のプライドが感じられるような気がします。
▲乗務員室後ろのデッキにポツンと置かれているのは補助イス。座席定員は56人だが、満席時に実際に使われていたもので、浅草駅に辛うじて残っていたものを保存。'09.7.17
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▲運転台の機器は現状では廃車時のものが取り付けられている(左)。ラチェット式の手ブレーキなど、今後も蒐集に努めたいとのこと。固定されていない運転席のイスに注意。右は2エンド側の車販コーナー。'09.7.17
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車内は木製のヨロイ戸をはじめ見事に復元されており、誕生時にはなかった扇風機まで撤去するこだわり様には驚かされます。なお、車内の見学は通常は一部のみとなる予定だそうです。

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▲モハ5701の運転台で復元への思いを語られる花上館長。今回のリニューアルも花上館長の情熱なくしては決してなしえなかったと言える。'09.7.17
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ところで、このモハ5701号とペアを組んでいたクハ701号ですが、残念ながら今月末に解体される運命だそうです。ただ、同車が履いている汽車会社製KS‐105形(東武形式TRK‐53形)直角カルダン台車(のちにT台車化)は、保存の途が模索されています。

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『横浜市電』下巻が完成。

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▲市電1500形と東急東横線7200系との出会い。高島町方面への市電の線路はすでにアスファルトの下に消えており、全廃間近であることを実感させられる。 1972.3.29 桜木町 P:荻原二郎
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今月のRMライブラリーは先月に引き続き、岡田誠一さん、澤内一晃さんによる『横浜市電』の下巻をお届けします。上巻では1904(明治37)年に横浜電鉄として開業してから戦中までに登場した車輌を、許認可書類など多くの一次資料・文献を参考にしてまとめていただきましたが、下巻は「戦後の歴史とその車輌」と題して、戦後混乱期から1972(昭和47)年に全線廃止されるまでの車輌を収録しています。

rm120h1.jpg横浜市は華やかな観光地として多くの人々が訪れますが、それとは裏腹に、市の財政は厳しい状況が続いており、当時の市電経営も台所は火の車だったとのことです。可愛らしい木製単車が行き交う街並みは、ファンにとっては絶好の被写体ではありましたが、裏を返せば、木製車を使い続けなければならない財政事情と、単車で間に合ってしまうほどの輸送力では、とても健全な経営は望めませんでした。

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▲三角形駅舎も懐かしい国鉄桜木町駅前。米軍だろうか、無骨なアメリカ製のトラックと並んで走る大柄な単車は800形807。'51.7.22 桜木町駅前 P:伊藤 昭
クリックするとポップアップします。  (RMライブラリー『横浜市電』下巻より)

1958(昭和33)年に開港100周年が開催される頃には米軍の接収地も返還され、街全体が活気づき、市電も最盛期を迎えましたが、すぐに自動車の大洪水に飲み込まれてしまいました。こうして考えると、横浜市電が本当に輝いていた時代はわずか数年だったといえるでしょう。

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▲比較的後まで多くの単車が活躍したことも横浜市電の特徴のひとつ。左の700形717は1947年横浜車輌製作所製の木製単車。登場時は手用制動機しかなかったが、1953(昭和28)年に400形のブリル79Eを流用し空気制動機が設置されている。
クリックするとポップアップします。  (RMライブラリー『横浜市電』下巻より)

今回の下巻では岡田誠一さんに戦後活躍した車輌についてまとめて頂きました。岡田さんは本誌をはじめとして気動車や客車に関連した著作を多数お持ちですが、元職は横浜市交通局で広報担当係長をされていました。本職の傍ら、市電から地下鉄に配置転換された先輩方から、様々な聞き取りを行いながら資料集めをされていたそうです。2009年6月に横浜開港150年の節目を迎えることもあり、『横浜市電』の執筆をお願いしたところ快諾をいただきました。

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▲戦後の混乱が落ち着いてくると、積極的にボギー車の新製投入が行われた。優美な流線型のデザインを採用した1400形と、防振台車などの新技術を採り入れた1500形(左)。最後の新車となった1600形は局工場製。台ワクにエアタンクを組み込むという意欲作であったが、その活躍は短かった(右)。
クリックするとポップアップします。  (RMライブラリー『横浜市電』下巻より)

ちなみに岡田さんはRMライブラリーが創刊された際に、『キハ41000とその一族(上)(下)』でその初陣を飾っていただきましたが、ちょうど10年後に再び執筆に関わっていただくとは何かの縁かもしれません。今後、機会を見て、今回は収録できなかった系統案内や路線の変遷、運転方法などについてもまとめていただければと考えています。

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▲数多くの電車貨車が活躍した横浜市電。電動有蓋貨車はトラック輸送が充分でなかった時代、中央市場から野菜の運搬などに使用されたが、やがて一部は無蓋車に改造され、新線建設にも使用された。
クリックするとポップアップします。  (RMライブラリー『横浜市電』下巻より)

横浜市電の資料の多くは散逸してしまっていて、これまで在籍車輌の全貌を掴むことは困難でした。今回、様々な資料を掘り起こすことにより、そのほとんどを把握できたことは大きな前進といえるでしょう。ぜひ上巻とともにお手許にお揃えいただき、個性豊かな懐かしい車輌たちをご覧ください。

※今週末は不在のため小ブログは休載させていただきます。21日より再開いたしますので、なにとぞご了承下さい。

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▲有隣堂ヨドバシAKIBA店「ネコ・パブリッシング&ホビダス・フェア」は雑誌・書籍のみならず、模型やグッズ類も充実。'09.7.16

7月10日(金)から1ヶ月間、有隣堂ヨドバシAKIBA店で「ネコ・パブリッシング&ホビダス・フェア」が開催されています。今日は午前中に同店の会場にうかがってきましたが、かなりの注目をいただいているようで、ひっきりなしにお客さんがお見えになっておられました。

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▲最新刊はもちろん、RMライブラリーのバックナンバーなども直接手にとってお買い求めいただける(左)。右はエコーモデルの協力で実現したミニ・ジオラマの展示・即売。'09.7.16
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あらためてご紹介するまでもないでしょうが、有隣堂ヨドバシAKIBA店はJR秋葉原駅昭和通り口に隣接するヨドバシAKIBA店7階にフロアを置く大規模書店です。秋葉原という地域性もあってか、とりわけ趣味系の雑誌・ムック・書籍の品揃えが驚異的に充実しており、各種のフェア展開も積極的に行なっておられます。今回の「ネコ・パブリッシング&ホビダス・フェア」も店内の柱を丸ごと使用し、弊社鉄道書の販売のほか、鉄道ホビダス・オリジナルアイテムや注目の鉄道模型を展示・販売するなど、“書店”の概念を超えた楽しいものとなっています。

IMGP1366nn.jpgまた、エコーモデルさんのご協力を得て、『昭和の鉄道と暮らし エコーモデル・その世界』で展開されているラーメン屋さんの屋台、駄菓子屋店内、紙芝居屋の自転車といったジオラマ作例を実際に展示しているほか、該当製品もお買い求めいただけるようになっています。おうかがいしたところでは、場所柄少なくない外国からのお客さんにも大好評だそうで、東洋の不思議(?)な生活習慣が箱庭のような緻密なミニチュアとなっているのに目を丸くして見入っておられるとか…。
▲“鉄ホビ”特製品である「ダルマ倉庫」も直接目にすることが可能。'09.7.16
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▲「ネコ・パブリッシング&ホビダス・フェア」では鉄道のみならず、姉妹誌モデル・カーズやデイトナ、世田谷ベースなどのブースも展開している。'09.7.16

ほかにも鉄ホビ・ダイレクトで大人気の「観音トム」や「17m級旧型国電キット」、さらには西村慶明コレクション「ダルマ倉庫」なども、その場で直接お求めいただくことが可能です。フェア期間中に購入された方には、先着順で記念品のプレゼントもございますので、お仕事帰りや週末などは是非この有隣堂ヨドバシAKIBA店「ネコ・パブリッシング&ホビダス・フェア」にご来場いただければと思います。
■開催期間:2009(平成21)年7月10日(金)~8月10日(月)
■開催場所:有隣堂 ヨドバシAKIBA店
        TEL:03-5298-7474
        営業時間:9:30~22:00(最終日は20:00まで)

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▲アイボリー色の巨体が渋谷の街を通過する。EF13 2に牽引されて山手貨物線を鴨宮実験線へと向かうのは汽車会社製の新幹線試作電車1001号。'62.5.22 P:星 晃 (RMライブラリー『国鉄車輌誕生』より)

毎年夏休みに小誌が協力して開催しているJR上野駅Breakステーションギャラリーの企画展が今週末から始まります。今年は大好評を頂戴しているRMライブラリー100巻・101巻、星晃さんの『国鉄車輌誕生 -車輌開発の黄金時代-』をベースに、『「こだま」から「ひかり」へ 星晃の手がけた黄金時代の国鉄車両』と銘打って、オリジナルプリント18枚を展示いたします。

rml100%2C101%2C001.jpg星晃さんは1918(大正7)年、富山に生まれ、鉄道省に入省。戦後は湘南電車から初の電車特急「こだま」、新幹線電車、さらに581系寝台電車など、国鉄黄金期を象徴する数々の旅客車の設計に中心的な存在として関わってこられました。また、鉄道趣味の世界では、ヨーロッパ赴任中に鉄道撮影の魅力を知り、設計から試作、試運転、そして営業運転開始に至るまでの各段階で、自らが開発した車輌を写真に収めてこられました。このおびただしい枚数の写真は、わが国の鉄道の発展史を語り継ぐうえでも大変貴重な映像資料となっています。
▲準急「日光」の出発式。発車時刻の8時14分に合わせてくす玉割りやテープカットの最後の準備が行なわれている。'59.9.22 P:星 晃 (RMライブラリー『国鉄車輌誕生』より)

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▲新幹線の塗色試案の数々。結局赤色は採用されず、青色の2段目が試作車B編成、3段目が試作車A編成にアレンジして採用された。'62.3.16 P:星 晃 (RMライブラリー『国鉄車輌誕生』より)

星さんの車輌設計思想には、常に「旅を楽しく快適に」というコンセプトがありました。日常生活よりワンランク上の設備を備え、誰もが乗ってみたくなる、旅への郷愁を誘う車輌造りを目指されたのです。「こだま」はその星さんのポリシーの代表格で、その「こだま」をベースに国鉄の威信を掛けて生み出されたのが新幹線「ひかり」だったのです。

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▲企画展 「こだま」から「ひかり」へ ?星晃の見た国鉄車両の黄金時代? はいよいよ今週末から開催。
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会場は上野駅中央改札の2階。会期中は駅営業時間中は自由にご覧になれますので、ご旅行の行き帰りなどにもぜひお立ち寄りください。

企画展 「こだま」から「ひかり」へ 星晃の手がけた黄金時代の国鉄車両
2009年7月18日(土)~8月20日(木)
主催:東日本旅客鉄道株式会社
協力:東京都写真美術館/レイル・マガジン編集部
企画・運営:Breakステーションギャラリー事務局
会場:JR上野駅正面玄関「ガレリア」2階
入場無料・会期中無休

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浜安善のシェル。

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▲シェル石油№1。ジャックロッド式の運転整備重量25tで、場所柄、台枠下部に排気処理用水槽を備えるいわゆる“防爆仕様”となっている。冬に備えての巨大なラジエーター・ブラジャーが印象的だった。'79.11.26 シェル石油浜安善
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鶴見線浜安善駅(1986年廃止)に隣接するシェル石油の専用線でヘンシェル製のファイアレス(無火)機関車が使われているのを知ったのは、広田尚敬さんが発表されたカラー写真を目にしてからでした。いつかは訪ねてみようと思いながら歳月は流れ、シェル石油(現・昭和シェル石油横浜事業所)の構内に入ったのは、今からちょうど30年前、1979(昭和54)年晩秋のことでした。

090713n203というのも、浜安善(貨)駅周辺は在日米軍鶴見貯油施設エリアⅠが隣接する関係から、周辺の立ち入りは厳しく監視されており、安易に近寄ることもできない状況でした。ことに60年代から70年代にかけては、時代的背景もあってか、カメラを肩にして公道を歩いているだけで職質され、挙句の果てには追い出されかねないピリピリした雰囲気に包まれていたのです。
▲昭和37年製を示す日車銘板。製番は2234。'79.11.26 シェル石油浜安善
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▲DMH17C+TC2変速機という当時としては一般的な組み合わせのパワートレーンを持つ。のちに末広町の日網石油精製に転じたとされるが、その後の消息は知れない。ちなみに、ロッドを下げてもらいたかったのだが、休車中で冷却水が抜かれており、動かしてもらうことは出来なかった。'79.11.26 シェル石油浜安善
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何度も安善駅周辺までは足を伸ばしながらも、浜安善のシェル構内の様子を伺うことはできず、結局、正攻法で手紙をしたためたのが1979(昭和54)年のことでした。幸い、施設の写真はまかりならぬが機関車単体の写真を撮るだけなら…と許可をいただき、例によってペンタックス6×7を担いで、その日ばかりは大手を振って浜安善駅に向かったのでした。

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▲テキサス大学が公開している1946(昭和21)年米軍作成1:12500地形図(→こちら)に見る浜安善周辺。がシェル石油。浜安善駅はまだ“Sekiyu Station”と表記されている。
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残念ながらファイアレスの姿はとっくになく、形見となった巨大な楕円形の銘板が事務所に飾られていました。それでも1962(昭和37)年日本車輌製の、比較的珍しい25t機は健在で、“本務機”として活躍している35tBB機も撮影位置まで動かしていただき首尾よくフィルムに収めることができました。

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▲№2は同じ日車製の35t機。1969(昭和44)年製(製番2867)で、やはり防爆仕様である。各地に同系機が存在した。なお、本機はその後水江町の東亜石油専用線に転じたという。'79.11.26 シェル石油浜安善
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鶴見臨港鉄道時代はその名も「石油駅」を名乗っていたというだけあって、浜安善駅周辺にはモービル石油、ゼネラル石油、カルテックス石油、エッソ・スタンダード石油など石油関連事業所が集中しており、タンク車ファンにとっても“聖地”のひとつでした。しかしエクソンモービル専用線を最後に企業専用線はすべて姿を消し、在日米軍鶴見貯油施設エリアⅠが残るのみの今となっては、かつての賑わいは偲ぶべくもありません。

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▲品鶴線を快走する凸型車体末期のラストナンバーEF13 31の貴重なカラー写真。同機はこの写真が撮影された2年後、1957(昭和32)年3月にEF58 3の車体をもらって箱型に改造されている。'55.2.6 品鶴線西大井付近 P:三谷烈弌 (RMライブラリー№50『昭和の記憶』より)
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今日は小ブログをご覧いただいている大先輩の皆さんにお願いがございます。RMライブラリーでは今秋発行を目指して「EF13形」(仮称)を編集中ですが、車体改装前、つまり凸型時代の写真が不足しております。いかんせん、車体載せ替えは1953(昭和28)年から1957(昭和32)年にかけて行なわれており、それ以前に撮影できた方にしかお願いしようもないというわけです。

EF132nn.jpgEF13形は戦時下の貨物輸送力強化のために、極限まで資材を節約して1944(昭和19)年から1947(昭和22)年にかけて31輌が新製されました。“新製”といっても、「5年程度使えれば良い」との戦時設計型として安全性・耐久性も最低限の、しかも人手不足のため未熟練工によって組み立てられた粗製濫造機(本誌308号所収「最盛期の国鉄車輌」より)であり、現場からは「木とコンクリートで出来たひどい機関車」(同)と酷評されたといいます。
▲国境の峠を越えて水上に到着したEF13 2+EF12の牽く上り貨物列車。'55.3.27 水上 P:田部井康修 (『国鉄時代』vol.18誌面より)
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▲越後中里に停車中の上り712レ。EF58の前補機を務めるのは水上区のEF13 12。'55.4.10 越後中里 P:田部井康修 (『国鉄時代』vol.18誌面より)
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なによりも特徴的だったのはその車体で、鋼材節約のためもあって前後にボンネット状の補機室を持つ凸型となり、落成時には先台車上にはデッキもなく、粘着重量を稼ぐために各所にコンクリートブロックを積み込むという、まさに破れかぶれ状態の外観でした。

EF1329nn.jpg偶然にもEF58(デッキ付き旧車体)と同輌数であったことが幸いして、新製車体載せ替えで不要となったEF58の車体をもらって箱型デッキ付きの後年見慣れたスタイルとなるのですが、趣味的にはクロコダイルを思わせる凸車体の魅力も捨て難く、実見した、しないに関わらず、今もって根強い人気があるのも確かです。
▲車体側面のベンチレーターがよろい戸式となっていたEF13 29〔新〕。前照灯もキャブ妻面に取り付けられていた。'54年 新鶴見機関区 P:田部井康修 (『国鉄時代』vol.18誌面より)
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わずか31輌、されど31輌…今回はぜひとも凸型車体時代の全番号の写真を収録したいと考えておりますが、いまだに下記の番号の写真が見つかっておりません。
1、3、6、8?11、13?16、19、20、22、28。
もちろん、他の番号も戦後になって装備改装が頻繁に行なわれて刻々とディテールが変化しておりますので、番号にとらわれずEF13凸の写真をお持ちの方は、ぜひ下記アドレスまでご一報いただければ幸いです。
railmagazine@neko.co.jp

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▲快走するC58 363を単焦点SMC28㎜F2.8で流す。いっさいの電子音をオフにしての一発必中撮影は、銀塩時代の心地よい緊張感を甦らせてくれる。'09.5.2 秩父鉄道親鼻ー上長瀞
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まだ厳しい寒さの残る頃でした。所沢の西武鉄道本社で編集中の『西武だいすき』の打ち合わせを終え、姉妹誌『鉄道おもちゃ』の武井編集長と喫茶店に入ると、武井さんが手にしているカメラに目がとまりました。

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▲タクマー時代の35㎜F3.5用角型フードを付けたわがペンタックス*istDS。残念ながら無限遠付近でヘリコイドの動きと競ってしまい実用上は問題あり。
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見ればレンズは懐かしいスーパータクマ-55㎜F1.8。えっ、銀塩カメラ…と本体を見れば、ペンタックス*istDSのシルバーボディーではないですか。「ちょっといいでしょ」と武井編集長。一見フィルムカメラを思わせる外観に、機械加工の金属鏡胴レンズが妙に似合っています。

090712n004ペンタックス*istDSはすでに生産終了していますが、ペンタプリズムを用いた(…近年はペンタミラーが多い)明るいファインダーや、有効610万画素ながら実に相性の良いCCDなど、試用した際にも印象に残るカメラでした。しかもマウントはいわゆるM42・プラクチカマウント対応で、マニュアル・モードに設定すれば絞込み測光でオールドレンズも使い放題ときています。
▲こちらはねじ込み式の丸型フードを付けた姿。φ49のこの金属製フードは50㎜用だが、28㎜といえども換算42㎜相当のデジタル・ユースでは画角がけられることはない。
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こうなると急に欲しくなるのは世の常。しかも“カメラ”然としたシルバーボディーでなければなりません。さすがに数世代前の機種だけあって中古価格は数万円と非常にこなれてきてはいるのですが、いざシルバーボディーを探そうとするとこれがそう容易くはありませんでした。

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▲ファインダーが明るい分流し撮りも気持ちよくこなせる。この日撮影したC58 363はトップのサイドビューとあわせて2枚の流し撮りのみ。'09.5.2 秩父鉄道影森ー浦山口
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結局、ネットオークションで新同品を落札。ついでに新宿の中古カメラ店でSMC28㎜F2.8レンズを5000円也で購入しました。28㎜は*istDSにつけると換算42㎜。もともとポテンシャルの高いレンズですが、そのイメージサークルの一番美味しい“芯”の部分だけを使うわけですから、きわめて良質な標準レンズとなります。

090712n005もちろんAFは利きませんからマニュアルフォーカスです。明るいペンタプリズムが功を奏してピントの山は掴みやすく、ついでにアナログ人間にとっては耳障りでならないあの“ピピッ”という合焦音もオフにしてしまいました。適度なトルク感のあるフォーカシングリングを回し、絞込み測光で露出を合わせ、一発必中でシャッターを切る…デジタル全盛になって忘れかけていた“写真を撮る”という心地よい緊張感が甦ります。
▲武井編集長から預かっているプリセット絞りのタクマー135㎜F3.5。アダプターを介せばスクリューマウント・レンズも使える。ちなみにこの135㎜はなんとたった千円だったとのこと。
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▲タクマー135㎜F3.5での試写結果。無補正のこの空の発色を見るとさすがに時代を感じる。ボケも2線ボケが顕著。とは言うものの、このレンズにしてみれば、まさか半世紀後にデジタルで使われようとは思ってもみなかったはず。'09.5.2 三峰口
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090712n002かくしてプライベートではすっかりお気に入りとなったペンタックス*istDSですが、先日思わぬ悲劇に見舞われてしまいました。ストラップが切れて落下してしまったのです。粋がって使い込んだ革製ストラップを付けていたのが仇となりました。ライカⅢgに付けていた細い革製のもので、手に馴染んで実に良い感触だったこともあり、*istDS用に転用したのですが、途中から見事にブチッと切れてしまったのです。
▲痛恨のストラップ。実によく手に馴染んだ革製ストラップだったがまさか切れるとは…。
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幸いカメラ本体はかすり傷程度で済んだようですが、せっかく見つけた“新品同様”のわがペンタックス*istDSは、一瞬にして見事な中古品と化してしまいました。もっとも、切れたストラップの先が本来のライカⅢgだったらと思うと、今もって冷や汗が出ますが…。

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▲直角カルダンの駆動音を響かせて坪井川橋梁へと大きくカーブをきる5102A。本車はこちら上熊本方が“平面ガエル”顔。'09.4.18 坪井川公園ー打越
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熊本電鉄に残された2輌の5000系、5101Aと5102AはRMライブラリー『東京急行電鉄5000形』によれば、東横線急行4輌運用のための増備で1957(昭和32)年1月13日に完成した3連(5031?5066?5032)の両端で、この編成から運転室が100㎜拡大されているほか、窓枠が軽合金押出型材に変更されています。1957(昭和32)年製ということは、齢52歳。日本の電車史に残る張殻構造の車体を持つ5000系の生き残りは、実に半世紀以上の歳月を走り続けているわけです。

kumaden203さて、坪井川を渡った上熊本線の列車は坪井川緑地を大きく周回するように北熊本駅へと至ります。北熊本駅に入る手前では藤崎線と並行しますが、両線ともに30分ヘッドのネットダイヤが組まれており、上熊本線(正式には菊池線の一部)の北熊本行き、藤崎線の御代志行き、藤崎宮行きの3本の列車が同時に北熊本駅ホームへと入ります。つまり、上熊本線の5000系と藤崎線御代志行きが並走しながら到着するわけで、これは大きな見所と言えるでしょう。
▲5102Aのオリジナル側運転室。1957(昭和32)年に増備された元東急5032で、ワンマン化改造されている以外はよく原型をとどめている。'09.4.18
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▲坪井川公園を周回するように北熊本駅構内に進入する上熊本線の5000系。ほぼ同時に藤崎線の列車(写真後方)が並走するように到着する。'09.4.18 北熊本
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▲北熊本駅構内全景。東側に駅本屋、西側に車庫線が並ぶ。藤崎宮?御代志間の上下列車と上熊本線の5000系は30分毎にここ北熊本で接続する。'09.4.18 北熊本
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現在、藤崎宮?御代志間の主力は都営地下鉄三田線からやってきた6000系5編成。南海高野線22000系を譲受した200形(1編成)が予備的存在となっています。6000系は編成ごとに塗装が異なっているため、北熊本駅を見渡す坪井川緑地の土手上から眺めていても飽きることを知りません。

kumaden201ところで、今や全国的にも珍しくなってしまった地方電化私鉄の昔ながらの車庫風景が展開する北熊本ですが、意外にもその歴史はそれほど古いものではありません。上熊本~北熊本間は、戦時中に国鉄貨車を引き込むための連絡線として計画されたもので、開業は1950(昭和25)年。北熊本駅そのものは前年の1949(昭和24)年に新設されていますが、それまで藤崎線は現在の黒髪町手前の併用軌道部分から国道3号線側に東進し、廃駅となった室園、松崎駅を経て、現在の北熊本駅北方、国道3号線との交差部付近で現在の路線と合流していました。
▲北熊本駅改札から構内を見る。ワンマン化されているため改札は無人で、出札は定期券・回数券等の販売のみとなっている。'09.4.18 北熊本
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そして車庫はこの旧線の室園にあったのです。1949(昭和24)年に路線変更されてからも室園車庫だけは存置され、黒髪町手前から分岐して室園へ至る旧線は車庫線としてしばらく残ることになります。結局、北熊本に車庫・工場が移転したのはかなり後の1964(昭和39)年4月でした(RMライブラリー『熊本電気鉄道釣掛電車の時代』参照)。一見かなり年季の入って見える北熊本車庫ですが、こうして振り返ってみると、5000系電車よりかなり若いわけです。

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▲北熊本駅本屋。今年ちょうど100年のアニバーサリー・イヤーを迎えた熊本電気鉄道だが、北熊本駅の開業は戦後。周囲にはショッピングセンターなど自動車利用の商業施設が広がってきている。'09.4.18 北熊本
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2輌の5000系には冷房装置がなく、エアコンに慣れた身にしてみると、これからの季節はたいへんそうですが、上熊本~北熊本間3.4km全線を乗ってもわずか9分。開け放った窓から、半世紀を走り続ける直角カルダンの走行音に耳を傾けるのも貴重な体験ではないでしょうか。

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▲夏を思わせる暑い一日が終わろうとしている。西日を浴びた5102Aが25‰の勾配を下りこんできた。'09.4.18 打越
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かつては福島交通や長野電鉄など各地で第二の活躍が見られた東急5000系ですが、さすがに新製以来半世紀を経た現在では、現役として残されているのは熊本電鉄の両運転台化改造された2輌のみとなってしまいました。

kumaden006この2輌、5年ほど前に東急時代の緑色に復元されるとにわかに注目を集めるようになり、今では藤崎線藤崎宮前付近に見られる併用軌道区間とともに熊本電鉄の見どころのひとつとなってきています。小誌でも5月号(№308)の特集“今なお現役”で岩成政和さんにその現況をレポートしていただきましたが、これからの夏休み、「SL人吉」号を撮影に熊本入りする方も少なくないはずで、せっかく熊本へお出でになったなら、ぜひともこの“青ガエル”の活躍する熊本電鉄にも足を向けていただきたいものです。
▲上熊本で発車を待つ5102A。画面後方がJR上熊本駅方向。'09.4.18
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▲坪井川公園付近の築堤を行く。木製の架線柱も健在で、ローカル私鉄ファンにとっては涙モノの情景が広がる。'09.4.18
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現在5000系が運用されているのは上熊本~北熊本間3.4㎞の通称・上熊本線(正式には菊池線の一部)。残された5000系は5101(もと東急5031)と5102(同じく5032)の2輌で、この区間は終日単行の1輌使用となっており、2輌のどちらかが一週間程度のインターバルで運用に就いています。

kumaden004“平面ガエル”の異名のとおり、両運転台化改造された側はお世辞にもかっこいいとは言えない切妻前面となっていますが、面白いのは2輌それぞれ向きが違うこと。5101(正確にはATS装備後は5101A)号は上熊本方がオリジナルの“カエル顔”、北熊本方が切妻、5102(5102A)号は逆に上熊本方が切妻、北熊本方が“カエル顔”となっています。被写体としてはどうしてもオリジナルの“カエル顔”を望みたいところですが、果たしてどちら向きになるかはまさに運次第といったところでしょうか。
▲上熊本駅は片面ホームに1線のみのレイアウトで、ポイント類はない。単行の5000系はそのまま折り返してゆく。'09.4.18
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▲道路沿いの上熊本駅駅舎(左)。熊本電鉄にはあちこちに鐘撞式の踏切警報機が残されており、あの情緒ある鐘の音を耳にすることができる(右)。'09.4.18
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この上熊本線、わずか3キロほどとはいえ、意外なほど変化に富んだ路線です。JRと熊本市交通局との接続駅である上熊本を出た列車は、R200の急曲線で市街地を縫い、韓々坂駅付近からは25‰の勾配で次の池田駅の先にある隧道を目指します。175mほどの延長のある隧道を抜けると、今度は下り25‰で打越駅へ。宅地化が進んではいるものの、なかなか雰囲気のある打越駅から坪井川を渡って大きく左カーブをきって北熊本駅へと進んでゆきます。

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拓本取り ▲機関車の車体についたススを利用して、ナンバープレートの拓本を取るのは、このころ普通に見られた光景だ。昼下がりの常紋信号場では、機関士さん自らが拓本取りに協力してくれた。今では考えられない、大らかな時代であった。'71.8.9 石北本線 常紋(信)'71.8.9 P:熊 博毅 (『わが国鉄時代』vol.2誌面より)
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今年1月にvol.1を発行してたいへん好評をいただいた『わが国鉄時代』のvol.2が月末に発売となります。皆さんからお寄せいただいているブログ「わが国鉄時代」は、すでにそのアーカイブが1000件を超え、国鉄時代を“わが”と語れる皆さんにとってかけ替えのない共有の財産となりつつありますが、ウェッブ上だけではなく“本”として手元に残しておきたいという声は当初から少なくありませんでした。

090709n002.jpg「国鉄時代」が終わりを告げてから22年。ひと昔前までは大学の鉄研でも「国鉄」を撮ったことがある先輩は一目置かれていたそうですが、もはやそれも遠い過去の話。国鉄の終焉とともにこの世に生を受けた世代が大学を卒業するまでになっているのです。それだけにこの企画にシンパシーを感じていただける皆さんも自ずと狭まってきそうに思えますが、さにあらず。国鉄を同時代体験しておられない若い世代の方からも熱いエールを頂戴しているのは心強い限りです。
上目名通過! ▲上目名通過中のC62。函館行き104レ「ニセコ」を牽引している補機C62 32号機の機関助士がタブレットを交換している。このC62には機関士の他、助士が2名が乗務していたようだ。なお、本務機はこのカットには写っていないが、C62 2号機であった。'70.8.22 函館本線 上目名 P:高橋孝一 (『わが国鉄時代』vol.2誌面より)
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キューロクの里 ▲夏休みの少年たちで賑わう後藤寺駅の改札口の目前を補機付き石炭列車が猛然と発車してゆきます。'73.8 後藤寺 P:本荘裕二 (『わが国鉄時代』vol.2誌面より)
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あらためて「わが国鉄時代」を振り返ってみると、国鉄型車輌の魅力もさることながら、それ以上に私たちファンと「鉄道」との間の、今では考えられないほど濃密な距離感に魅力の源泉があったような気がします。そしてその濃密な距離感の中心はいわずもがな人間。駅員であり、乗務員であり、はたまた乗り合わせた乗客であり、つまり人と人との距離感にほかなりません。今回の『わが国鉄時代』vol.2でもその辺をひしひしと感じていただけるはずです。

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東京駅13番 ▲機回し下り方への連結シーン。EF58 53最後の上京、「銀河」を牽いて来た53号機は、「紀伊・いなば」を牽いて帰ります。最後は東京駅で見送りました。'80.9.24 東京 P:遠藤 享 (『わが国鉄時代』vol.2誌面より)
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ちなみにvol.1で大好評をいただいた付録・昭和39年版「日本国有鉄道路線図」は今回「東北・上信越」編です。旧型客車の車内に木枠に入って掲げられていた例の路線図で、青森から東北全域、関東、上信越まで描かれたものを原寸で復刻いたしました。前回の「北海道」と合わせてお楽しみください。なお、『わが国鉄時代』vol.2は7月29日に書店店頭に並ぶ予定です。

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復活! 足尾のフォード。

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▲加藤製4tディーゼル機関車と並んだ“フォード”。2009年生まれの“ガソリン機関車”である。P:足尾歴史館提供
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“足尾のフォード”と聞いて即座に「フォード万歳」を唱える方はかなり年季の入ったナローゲージャーに違いありません。『鉄道ファン』誌1975年4月号(№168)誌上で臼井茂信さんがその名も「フォード万歳」のタイトルで発表された一枚の写真は、大きな衝撃波となって当時の軽便ファンを包みました。かく言う私もその一人で、それ以来、“足尾のフォード”は脳裏に焼き付いて離れない存在となったのです。

090708n004.jpgその“足尾のフォード”が復活を遂げます。NPO法人・足尾歴史館が昨年より復元に取り組んできたもので、先ごろついに完成、野外展示場の「足尾ガソリン軌道・歴史館線」(アーカイブ「“パリダカ”の増岡さんと足尾・日光のトワイライトゾ~ンを巡る」参照)で試運転を行ないました。注目なのは、機関車の心臓ともいえるA型フォードガソリンエンジンを探しあて、さらにアメリカで復元用として販売されているリビルト用パーツを輸入して、外観のみならず機能的にも忠実に再現された点です。なんと、2009年製の“ガソリン機関車”が誕生してしまったわけです。
▲A型フォードのエンジン。各種のパーツはアメリカ本国から取り寄せたという。P:足尾歴史館提供
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▲完成した“足尾のフォード”。レプリカとはいえ、可能な限り忠実に再現されており、半世紀ぶりにその愛嬌ある姿が甦った。P:足尾歴史館提供
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“足尾のフォード”は大正末期に足尾銅山工作係がフォード社製自動車のエンジンを利用して自力で作り上げた機関車で、足尾の街中を走っていた馬車軌道に最新鋭の機械動力として投入されました。以後、銅山の資材や生活物資の運搬はもとより、「定時」とも呼ばれた無料の旅客列車の牽引にも用いられ、戦後まで足尾の風物詩として親しまれてきました。

090708n003.jpg「定時」の廃止は1953(昭和28)年。2年後には貨物も含めて全廃されてしまったといいます。戦後十年近く残されていたにも関わらず、この機関車に関する資料・写真は極端に少なく、復元に当たっては数々の困難が立ちはだかっていたそうです。それでも足尾歴史館の長井一雄館長の情熱と、同館理事で実作業の中心となった自動車修理業を営む町田 洋社長の卓越した技術力が、今回の奇跡的な“復活”を支える原動力となりました。
▲快調に試運転するフォード。果たして甦ったガソリンエンジンのエキゾースト・ノートは如何に…。P:足尾歴史館提供
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来る8月8日(土曜日)には「足尾歴史館ガソリンカー祭」と銘打って復元記念式典が行なわれる予定です。

「足尾歴史館ガソリンカー祭」開催
開催場所:足尾歴史館(下図参照)
開催日:平成21年8月8日(土曜日)・9日(日曜日)の2日間
開催時間:10:00~16:00
【開催予定内容】
●ガソリンカー復元記念式典/8月8日(土曜日)13時~
●2台のトロッコ機関車(加藤製作所4トン機関車とガソリンカー)の競演
●歴史館内でガソリンカーがテーマの企画展示開催
●鉄道模型と&おもちゃ鉄道の大集合
●わたらせ渓谷鐵道沿線と地元住民による「あおぞら市場」

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【交通】
わたらせ渓谷鐵道「通洞駅」下車徒歩3分
JR日光駅・東武日光駅と通洞駅間の日光市営バスもあります。
(1日4往復、片道約40分要問合TEL:0288-93-3113市民課)
【入場料】
あおぞら市場は入場無料ですが、足尾歴史館の入館と足尾ガソリン軌道歴史館線の乗車には歴史館の入館券をお求めください。
※お願い※
駐車場は限られています。わたらせ渓谷鐵道か日光市営バスをご利用ください。
【お問合せ】
NPO法人 足尾歴史館 
〒321-1523
栃木県日光市足尾町松原2825 
TEL/FAX: 0288-93-0189
ホームページ:http://www18.ocn.ne.jp/~rekisikn

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▲2輌の客車を牽いて快走する「ガソリンカー」。元遊園地の客車を牽引するというミスマッチな光景も楽しい。P:足尾歴史館提供
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この2009年生まれの“足尾のフォード”は、合計13輌存在したというフォードエンジン搭載機のうちNo.8~13を基本としていることから、続き番号としてNo.14を名乗る予定だそうです。梅雨明けの渡良瀬川の渓谷に響くであろうA型フォードのエキゾースト・ノートを聞きに、私もひさしぶりに足尾の地を訪れてみるつもりです。
なお、本機の復元作業の詳細は今月21日発売の本誌誌上で紹介いたしますのでご期待ください。

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▲風格ある車庫にて僚友キハ38・DE10と並ぶ。木更津駅構内の施設を観察するのも面白い。'09.7.2 幕張車両センター木更津派出(木更津駅ホームより撮影) P:小野雄一郎
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既報のとおり、久留里線で活躍するキハ30形3輌が順次国鉄色に塗り戻されることがJR東日本千葉支社より発表されましたが(アーカイブ「久留里のキハ30が国鉄色にリバイバル」参照)、その第一陣となるキハ30 98が国鉄色塗装となり郡山総合車両センターより出場、去る7月4日(土)に“お披露目運転”が行なわれました。

090707n002.jpg久留里線は通常、日中は2輌編成で運転されていますが、今回のお披露目は単行での運転となり、臨時のダイヤが設定されました。また、乗車された方には記念乗車証が配布され、運行記念弁当も販売されるなどのイベントも同時開催されました。

▲昭和40年代の情景が甦る。単行で久留里線を行くキハ30国鉄色。'09.7.4 久留里線俵田 P:和泉信弘さん(今日の一枚より)
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▲千葉県営鉄道に端を発する久留里線には歴史ある鉄道施設が随所に見られる。小櫃川に架かるこの鉄橋の橋脚は煉瓦造りだ。'09.7.4 久留里線東清川―横田 P:小野雄一郎
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お披露目運転当日はあいにくの空模様でしたが、それにも関わらず多くのレイル・ファンが車内に乗り込み、その様子はまさに通勤型気動車の本領発揮といった感じでした。沿線の方々も、普段とは違う塗装の車輌に、若い人から年輩の方まで興味津々の様子でした。

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▲単行のキハ30 98の車内はさながら通勤ラッシュのごとき賑わいぶり。'09.7.4 久留里線東清川―横田 P:碓井寿季さん(RMニュースより)
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現在、国鉄色車輌は他の車輌と共通運用に就いている模様で、出会えるかどうかは運次第ですが、週末、夏休みはJR線上ではここだけとなった通勤型気動車キハ30形の姿を見に出かけられてみてはいかがでしょうか。

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鐵聯E103は今…。(下)

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▲シリンダーブロックも組み込まれた下回り。残念ながらメインロッド、サイドロッドはまだ再生されていない。'08.10.17 Blankenburg P:U.Przygoda
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さて最後に、ドイツでこういった保存車輌の整備、レストアを行っている工場についても少し紹介しておきましょう。ドイツ鉄道(DB)の工場であるマイニンゲン蒸気機関車工場(Dampflokwerk Meiningen)は、蒸気機関車の完全新製も出来る技術力を持つ工場で、近年ではイギリスのA1プロジェクトのためにボイラーを新製したことでも知られるように、全欧州の保存鉄道から多大な信頼を得ています。ただし料金体系は高く、弱小の保存会、クラブにとっては敷居が高いのも事実です。出来るだけ自分たちで作業するか、他の工場に依頼して、マイニンゲンでなければ出来ない事のみをしてもらう、というのが一般的なやりかたのようです。ではほかにはどんな工場があるのでしょうか…そのいくつかをご紹介してみましょう。

e103n301まずは、マロヴァ(MaLoWa)鉄道工場有限会社。ポーランドのPilaにある鉄道工場と旧東ドイツ・マンスフェルトにある鉄道工場が共同して“ポーランドの価格でドイツのクオリティを提供する”という共同戦線を張っています。マンスフェルトは東独時代に銅山があり、その専用線工場が独立したもの。標準軌蒸機の全検から小型モーターや農業機械のレストアまで引き受けているほか、主に東欧の中古車輌の売買も行っています。
▲腐食が激しくほぼ新製となったサイドタンク。'08.2.22 Blankenburg P:U.Przygoda
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▲再生されたキャブとサイドタンクが組み込まれた。最大のネックであるボイラーは果たして…。'09.2.24 Blankenburg P:U.Przygoda
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続いてご紹介するのは社団法人ブリュッケ(Bruecke)。ナローの観光鉄道、軽便博物館などの車輌レストアに関しては、このブリュッケという工場名が頻繁に出てきます。ハルツ、ブランケンブルクにある施設は、旧東独DRの工場施設を利用して、EU、ドイツ政府、州労働局などの補助金により運営されています。インフラの虚弱な地方の経済活性化を図るのが主な目的であり、鉄道車輌のレストアは、その活動の一部分と位置づけられています。ここでは専門技術者による作業と共に若い労働力の技術研修も行われています。そのため低コストで車輌のレストアを請け負う事が可能で、資金に乏しい弱小観光鉄道、クラブ・博物館などにとっては願ってもない工場となっています。

E103n002今回の主人公E103も、2006(平成18)年からこのブリュッケで静態レストアが行われています。フランクフルトの方針は出来るだけオリジナルの状態に近づけて動態復活させること。鉄聯時代、走行安定性が悪いとされ、ボイラー中心高が下げられていますが、これは缶胴受をオリジナルの状態に復元し、すでにもとの高さに復されています。足回りもロッド以外はレストアがほとんど終了しており、今後はボイラーをどうするかが最大の焦点です。ボイラーのレストアもしくは新製はマイニンゲンに委託する予定ですが、昨年からの世界的経済危機の影響は容赦なくここフランクフルトにも及び、援助金の削減、カットという事態に立ち至り、現在レストアは一時休止状態となっています。
▲西武鉄道の3輌のEは安比奈から玉川上水駅に隣接した西武倉庫の敷地へと移された。写真はE16(西武2)。'76.8.11 西武倉庫(玉川上水) P:名取紀之
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▲Eの細部を見る。第4軸と第5軸の間はギア連動で、外側台枠のため第5動輪はほとんど見えない(左)。連結器はドイツ式のオリジナルの上部にいわゆる朝顔カプラーが追加されている(右)。'76.8.11 西武倉庫(玉川上水) P:名取紀之
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▲スチームドーム上の安全弁(左)。前方に見えるのはA8系の西武鉄道6号機。キャブ屋根上のベンチレーターを見る(右)。'76.8.11 西武倉庫(玉川上水) P:名取紀之
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なお、このE103号プロジェクトは、ヘッセン州博物館協会、ヘッセン州科学文化省、AdolfChrist財団、NASPA財団の援助を受けています。そのほかにも個人の寄付も募っており、博物館のサイトでも、250ユーロ(約34000円)以上寄付をされた方には製造銘版のレプリカを進呈する、というキャンペーンを展開しています。自分の寄付が一助となって復活した機関車、それも日本から里帰りした機関車がドイツで走っている、というのも楽しいのではないでしょうか。

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▲まるで百足のごとく並んだEの足回り。第1軸と第2軸、第4軸と第5軸がギアケースで結ばれているのがわかる。'08.5.11 Blankenburg P:R. Fach
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木村右史さんありがとうございました。7年前にわが国を旅立っていったあのE103が、着々と甦ってゆく様にあらためて嬉しさがこみあげてきます。フランクフルトの地で動態復活したE103と再会できるのも、決して遠くないかもしれません。

photo courtesy
U.Przygoda
R. Fach
Juergen Ssteimecke
Vielen Dank an Herrn Fach vom Frankfurter Feldbahnmuseum fuer die
Bereitstellung von Information und Fotos.


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鐵聯E103は今…。(中)

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▲鉄聯のEはボイラー中心高を下げる改造が施されていたが、オリジナルに復元される計画。'08.9.16 Blankenburg P:Juergen Ssteimecke
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さて、E103は2002(平成14)年12月にフランクフルトに到着、2004(平成16)年にマロヴァ(MaLoWa)という工場で分解の上、今後の方針を決定するために細部の検査が行われました。この現状査定のためのコストは約4000ユーロ(現在の為替レートで単純計算すると約54万円)だったそうです。

e103n110その際、足回りはルッター・メラー装置を含め大変良い状態にある事が確認されました。日本での走行距離は多くなかったろうと推察されたそうです。重心の問題(レール=軌匡の問題?)もあり、鉄道聯隊時代には持て余されていたのではないかとも推察されました。これに反してボイラーは中心高が下げられただけでなく、火室長が約15㎝短くされている事が判明。そのため、このオリジナルボイラーをレストアするべきか、設計図に基き新製すべきか、難しい議論になっています。
▲最大の特徴であるルッター・メラー式の5軸も見事に復元された。'08.5.11 Blankenburg P:R. Fach
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▲修復作業中の主台枠。手前には復元されたサイドタンクなどが並ぶ。'08.5.11 Blankenburg P:R. Fach
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e103n302メインロッドとサイドロッドは失われているため新製しなければなりません。そのほかにも新製するパーツは数多く、第1、第5軸用バネ装置、安全弁用バネ、給水バルブ、水位計、グリース圧入装置、ピストンリング(蒸気シリンダ、バルブシンリダ)、煙室扉、水吸上用ポンプ、インジェクター、配管類、ランプ、プレート類などで、多大な資金が必要になる事は間違いなく、クラブでは長期に渡るレストアを覚悟しており、資金繰りに合わせて部分的なレストアを進めることになるようです。
▲分解中のドイツ式カプラー。'08.5.11 Blankenburg P:R. Fach
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▲安比奈時代のE。手前がフランクフルトへと里帰りしたE103(西武3)。'65.3.2 安比奈 P:三谷烈弌

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▲ユネスコ村に保存されていた頃の2輌のE。右がE18(西武1)、左がE103(西武3)。'78.4.9 ユネスコ村 P:名取紀之
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たとえば 車輪プロファイルの切削と軸の芯出しにはすでに約6000ユーロ(現在の為替レートで単純計算すると約81万円)が支出されています。2005(平成17)年からはブリュッケ(Bruecke)という工場でレストア作業が行われています。フランクフルトでは別の機関車のレストアも進んでおり、2輌を並行して自力でレストアする余裕はなく、援助金を頼りに外注に出さざるをえなかったのです。ブリュッケにおける静態レストアのコストは17500ユーロ(現在の為替レートで単純計算すると約236万円)と見積もられていますが、これは状況次第でさらに変動する可能性もあります。

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鐵聯E103は今…。(上)

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▲一部新製されたサイドタンクとキャブが主台枠に載せられ、いよいよ全体像が見えてきたE103。'09.2.24 Blankenburg P:U.Przygoda
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2002(平成14)年に静態保存されていた丸瀬布いこいの森から生まれ故郷のドイツに里帰りしていった旧鉄道聯隊E103号ですが、現地在住の木村右史さんから最新情報が届きましたのでさっそくご紹介してみることにいたしましょう。彼の地の保存鉄道に対する取り組み方も理解できる興味深いレポートです。

e103n104旧日本陸軍鉄道聯隊の機関車が西武鉄道での砂利運搬など紆余曲折の生涯を過ごした後、北海道丸瀬布からドイツに里帰りしたのが2002年。このコッペル製機関車のその後の様子を報告いたしましょう。
この機関車については既に様々な記事が書かれていますが、基本的にドイツの鉄道聯隊で使用された機関車と同型であり、走り装置には野戦鉄道での急曲線通過のためにルッター・メラー(Luttermoller)式と呼ばれるギヤを使用した動軸遊動機構が採用されています。
▲取り外された煙突とドームのケーシング。バキュームホースの巻き取り座があるサンドドームは新製されたもの。'09.2.24 Blankenburg P:U.Przygoda
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5動軸でこの方式の機関車はドイツでも保存例がなく、引き取り先であるフランクフルト軽便鉄道博物館(Frankfurter Feldbahnmuseum、軽便鉄道とドイツ語のFeldbahnは意味が異なりますが、ほかに適切な訳が見つからないのでこのまま使用します)の見解では、歴史的・文化的に保存価値の非常に高い車輌という評価が与えられています。フランクフルトでは動態復元を最終目標にレストアが進められており、一日も早く復活を目にしたいものです。

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▲完全に分解されてレストアされるボイラー。最終的には動態化を視野に入れた作業が続く。'09.2.24/'08.10.18 Blankenburg P:U.Przygoda
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このフランクフルト軽便鉄道博物館、博物館という名がついていますが基本は同好会、クラブです。ドイツではこういった同好会に対しては税金控除などの特典が与えられていますが、その代わり文化活動を通じて地域住民に還元する事が要求されます。そのため鉄道車輌の収集・レストアを主目的にしているクラブは自ずと博物館と命名される事が多いのですが、これは日本の公的団体が運営する博物館とは意を異にします。彼らは主に会員とヘルパーからなり、小さいクラブでは主に会費のみで運営されています。地元の企業がスポンサーになることもありますが、これは現物支給、技術的援助である場合が多いようです。

e103n102フランクフルトは、そういった軽便鉄道博物館としてはドイツで最大規模のクラブで、その活動も敬意をもって評価されています。こういった博物館は週末や特定の日に一般客に解放され、活動内容の説明、軽便鉄道や車輌の解説や運転が行われます。またテーマに沿ったフェスティバルが開催される事もあります。日常的には車輌の確保、レストア、車庫・倉庫などの拡充、線路の敷設、部品や工作機械の調達、事務作業など山積みの仕事をこなさなければなりません。それだけに、積極的な会員は余暇の大半をクラブの活動に費やしています。無論会費だけ払って実際の活動には参加しない会員もいます。ただ、現在こういったクラブはフランクフルトも含めて会員数の減少傾向が問題となっており、新会員獲得が大きな課題となっています。
▲火室側を見る。長さが150㎜短くなっていることも判明。'08.12.17 Blankenburg P:Juergen Ssteimecke
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ここフランクフルトでE103号機は16号機と呼ばれています。既に15輌の蒸気機関車がレストアされ、動ける状態で保存されているので、その追い番を付されたわけです。勿論ほかにもDL、ELを多数所有しており、隣接する公園には600mmゲージのレールが敷かれ,常設駅も2箇所あり、この路線の保守だけでも大変な作業です。しかも路線は徐々に延長されているのだから驚きです。現在、会員は約150名、創立は30年以上前であり、年間を通じての訪問者数は1万1千人を超えているそうです。

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▲ドイツ流に赤く塗装されて組立を待つ主台枠。缶胴受は原設計で新製され、ボイラー中心高もオリジナルに戻される。'08.6.28 Blankenburg P:R. Fach
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ではこういった大きなクラブがどのように資金を調達しているか見てみましょう。主な資金源は以下のように分類できます。
・メンバーの会費、作業
・EUから地元まで、公共団体の文化財源による援助金
・文化財団による援助金
・企業のスポンサリング(資金援助、技術援助、現物支給)
・個人による寄付金

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▲本機の最大の特徴であるルッター・メラー動軸遊動機構は徹底的に分解修理され、密閉されたギアボックスに収納された。'08.5.11 Blankenburg P:R. Fach
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どこのクラブでも基本は「自分で出来る事は自分でする」です。金がかからず、しかも会員の勉強にもなるからです。各クラブには大抵は鉄道のプロがいて、メンバーの技術指導に当たっています。地元公共団体からは頭割りで援助資金が出る場合もありますが、一般に援助金はプロジェクトに対して支給され、クラブは文化財団や公的機関に対して自分のプロジェクトをプレゼンテーションし、その文化的意義をアピールしなければなりません。

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▲安比奈採砂場に放置されていた頃のE。手前からE18(西武1)、E16(西武2)、E103(西武3)。'65.3.2 安比奈 P:三谷烈弌

今回この記事を書くにあたって、フランクフルト軽便博物館が文化財団との間に交わした書簡を見せてもらうことができましたが、神経を使う、事務的かつ長期にわたる交渉力が要求される仕事であることが知れます。それぞれ仕事を持つメンバーが余暇を使ってこういった仕事をこなしていくのは、車輌や施設の保守同様たいへんな事でしょう。本当に好きでなければとても出来ない、と頭が下がる思いです。

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十鉄三沢駅を訪ねる。

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▲昭和の佇まいがそのままの十和田観光電鉄三沢駅。出札口では硬券の入場券を買うこともできる。'09.6.28
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先日、およそ2年半ぶりに十和田観光電鉄を訪れました(アーカイブ「北東北を巡る」参照)。梅雨時にも関わらず、幸いまたとない好天に恵まれ、真夏を思わせる暑い一日でしたが、三本木原台地で孤軍奮闘を続ける十鉄(とうてつ)の今をつぶさに拝見することができました。

misawa0003.jpg終点の十和田市駅は1986(昭和61)年の移転で大きく様相を変えてしまいましたが、起点の三沢駅は1964(昭和39)年に青森県初の民衆駅として生まれ変わって以来ほとんど変化しておらず、かつては東北各地で見られた地方鉄道の起点駅の面影を色濃く残しています。今は亡き岸由一郎さんの著書RMライブラリー『十和田観光電鉄の80年』によれば、リニューアル時には一階に駅事務所のほか、地元特産品やおみやげを販売する売店や飲食店街、二階にはレストラン、食堂、喫茶店が入居し、「三沢観光センター」の名称で多くの観光客で賑わったそうです。
▲JR三沢駅に到着するE751系の下り特急「つがる」。かつては貨物倉庫が建っていたJRと十鉄構内の間は、現在ではパーク&ライドの駐車場となっている。'09.6.28
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▲JR三沢駅(左)と十和田観光電鉄三沢駅(右)。頭端式ホームの先の長細い本屋を抜けるとJR駅前(画面左奥)に出る。'09.6.28
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▲JR駅前から見た十鉄三沢駅入口(左)。構内の踏切には鐘撞式の警報機が健在(アーカイブ「“鐘撞き”の踏切」参照)。'09.6.28
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▲かつては民衆駅「三沢観光センター」として賑わった細長い本屋の中には、今でもそば屋などが並ぶ。寒さ厳しい冬は、電車を待つ人たちにとってつかの間のオアシスになるに違いない。'09.6.28
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もちろん今では往時の賑わいは知れませんが、それでもJR側から十鉄三沢駅に入ると、さながらアーケードのような細長い通路に沿ってそば屋さんなどが並んでおり、その片鱗を伺うことができます。ちなみに、三沢駅は1961(昭和36)年2月まで古間木(ふるまき)駅と称していました。現在、隣接している有名な温泉が古牧温泉ですが、こちらは“こまき”温泉で、なんとも難解です。

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▲十鉄三沢駅の28年目の定点観測。画面右端の米軍表記の倉庫は駐車場となったものの、背後の建物から左端のパン屋まで驚くほど変わっていない。“旧写真”の方に写っている電車は定山渓鉄道からやってきたモハ1207+クハ1208。'09.6.28/'81.3.21
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今回も例によって「定点観測」を試みました。元写真に相当するのは今から28年前、1981(昭和56)年に写した一枚。当時はとりたてて気にもとめませんでしたが、停車しているのは定山渓鉄道からやってきた湘南顔のHL車。プリントを片手に位置を同定しながらの撮影でしたが、ファインダーをのぞいてあまりに変化していないのに驚きの声を上げてしまいました。ちなみに元写真のカメラはペンタックス6×7、フィルムはもちろんトライXです。

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▲三峰口で発車を待つ“秩鉄カラー・リバイバルトレイン”1002F。手前からクハ1202+デハ1102+デハ1002の3輌編成。もちろん、新性能電車の元祖・もと国鉄101系の生き残りである。'09.6.20 三峰口 P:名取紀之
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一昨年9月に1011F(Mc1011+M1111+Tc1211)がオレンジバーミリオンに塗り替えられて以来、1001F(Mc1001+M1101+Tc1201)がスカイブルー、1012F(Mc1012+M1112+Tc1212)がカナリアイエロー、1009F(Mc1009+M1109+Tc1209)がウグイス(関西線仕様)と次々と塗り替えが進み、今や4色の「国鉄色」が揃って人気を博している秩父鉄道に、今度は自社のオリジナル塗色であったはだ色とあずき色のツートーンを施した“秩鉄カラー・リバイバルトレイン”が登場しました。

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▲ちょうど50年前、新製直後の300系。1959(昭和34)年に登場した300系は当初2連であったが、2年後にはアルミ製の中間車を加えて3連となった(アーカイブ「“秩父路”のアルミカー」参照)。上の現状写真と比べると、背後の山容がまったく変わっていないのがわかる。'59年 三峰口 P:三谷烈弌
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これは秩父鉄道の前身である上武鉄道が設立(1899年11月8日)されてから今年で110周年に当たることから、その記念キャンペーンの一環として施工されたもので、去る5月30日(土曜日)の熊谷発影森行き臨時急行としてデビューを飾り、以後は一般運用に充当されています。

090702n004.jpg今回の種車となったのはデハ1002+デハ1102+クハ1202の3輌。秩父鉄道最初の鋼製車として1950(昭和25)年に誕生以来、1988(昭和63)年まで40年近くにわたって秩父鉄道の主力電車であった100形の塗色を復刻したデザインとなっています。もっともこのはだ色とあずき色のツートーンをベースに、前面にウイング状のあずき色の帯をあしらったデザインは100形だけにとどまらず、湘南スタイルの300系や500系にも用いられており、1980年代中盤までの秩父鉄道のアイデンティティーとして強く印象に残っています。
▲木造のホーム屋根のむこうに伝統の秩鉄色車…妙に様になる光景だ。'09.6.20 三峰口 P:名取紀之
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▲この“秩鉄カラー”1000系の誕生で、旧国電カラー4種類と合わせて5編成の1000系が塗色変更を施されたことになる。'09.6.20 三峰口 P:名取紀之
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それだけに平板な切妻の1000系に果たして“秩鉄カラー”が似合うのだろうかと、多少いぶかしく思っていましたが、先般、遅ればせながら実車を見る機会があり、その意外(失礼…)なマッチングぶりに驚かされました。単色の国鉄カラー4兄弟よりぐっと落ち着きがあり、デキ1形や300系が活躍していた時代を思い起こさせてくれます。
(秩父鉄道1000系については本誌309号収録の「元祖新性能国電健在なり」および列車ダイヤをご参照ください)

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叡電前「交叉点」追録。

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▲元田中の平面交差をゆくポール時代の叡電デオ200形202号。左のビル2階に喫茶「交叉点」が見える。'78.9.3 P:鈴木千亜希

5月末から6月にかけて3回にわたってご紹介した京都市電叡電前電停(叡電元田中駅)ですが(アーカイブ「私の“京都市電最後の日々」「叡電前“交叉点”は今…」「叡電前“交叉点”に寄せて…」参照)、今度は神奈川県にお住まいの鈴木千亜希さんから嬉しいお便りをいただきましたのでご紹介してみましょう。

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▲撮影効率を考えて平面交差を集中的に狙ったという鈴木さん。写真は西大路三条をゆく嵐電モボ116(左)と、同地点で捉えた京都市電22系統の1869号。'78.9.3 P:鈴木千亜希
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鈴木さんはお撮りになった古い写真のデジタル化を進めている中で、偶然このブログで話題となっていた元田中交差点の喫茶「交叉点」がしっかりと写り込んでいる写真を発見、劣化したネガをご自分でわざわざ画像補正までしてプリントをお送り下さいました。

090701n006.jpg撮影は私が最後に「交叉点」を訪れてから半年後の1978(昭和53)年9月3日。京都市電廃止まで一ヶ月を切った、まさに最後の日々です。飯田線の撮影をメインにした旅行だったそうで、鈴木さんが京都市電を撮影できるのは一日のみ。そんな事情もあって、撮影効率を上げるために「叡電前」をはじめとした平面交差部分を集中的に狙ったのだそうです。写真を拝見すると、市電の廃止を前提とした工事なのか、叡電の元田中駅はPC枕木が置かれるなど、改修工事の真っ最中のようです。
▲元田中駅を出た叡電下り列車は警手の手旗に誘導されて交差点へと進行する。'78.9.3 P:鈴木千亜希
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▲改修工事中の元田中駅に到着した鞍馬線岩倉行きデオ300形302号。ポール集電時代最後の記録である。'78.9.3 P:鈴木千亜希

「それにしても、当時はお金が無くて撮れなかった写真が一杯ありました。今のデジタルカメラが当時欲しかった!」と鈴木さん。撮影したカメラはニコマートFT2だそうで、数々の写真とともに“あの時代”が鮮明に甦ってくる気がします。あらためて鈴木さんありがとうございました。

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レイル・マガジン

2009年7月   

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