鉄道ホビダス

2009年6月アーカイブ

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▲種車となるモハ1305+1205編成。2006(平成18)年9月より“マッターホルン号”として塗色変更を施されて就役していた。'06.11.11 河口湖 P:名取紀之
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今年で開業80周年を迎えた富士急行では、同社線の車輌を九州新幹線「つばめ」をはじめとする一連の車輌デザインで知られる工業デザイナー・水戸岡鋭治さんによるデザインでリニューアルし、この8月から“富士登山電車”の愛称で運行を開始します。

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▲“富士登山電車”の外観イメージ。前身の富士山麓電気鉄道時代の塗色「さび朱色」(アーカイブ「保存された富士山麓モ1」参照)をベースにしたものとなる。
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“富士登山電車”は「富士山に一番近い鉄道」富士急行線沿線の恵まれた自然環境にふさわしい健康的で魅力的な公共空間として、また富士山の麓の山岳風景の豊かさと美しさを一枚の絵のようにプレゼンテーションできる移動空間として、「富士山再認識」のための日本一ゆたかな登山電車を目指すことをコンセプトとしています。

090630n006.jpg外観は元々の開業当初のさび朱色で歴史と伝統を感じさせるたたずまいとし、内装は懐かしさと新しさを調和させたレトロモダン。ベンチ、ボックス席、ソファ、窓に面した展望席など、多様なパターンや形のシートが設けられ、サービスカウンターやミニギャラリーなどの家具造作類も設置されます。また、いずれもどこかに優美な富士山の曲線をモチーフに取り入れているほか、竹製のロールブラインドや木製の荷棚、床のフローリングなど細部までできるだけエコ素材が使用されているのも特徴です。
▲その正面。あしらわれているのは富士山麓電気鉄道の社紋。
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▲モハ1305の客室内イメージ。折りたたみ式テーブル、木製荷棚のほか、木製ロールブラインド、木製の吊手や額が備わる。
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▲モハ1205の客室内イメージ。こちらは富士山ライブラリーサロンも設けられ、本棚が設置される。
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また、デビューにあわせて“富士登山電車”が停車する下吉田駅の駅舎・待合室もリニューアルされ、同駅はレトロな味わいを生かしつつ、21世紀モダンを感じさせる駅へと生まれ変わる予定です。

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▲駅舎イメージ図。使用開始日は本年7月中旬の予定で、総工費は約40,000千円。
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“富士登山電車”概要
■運行開始日:2009(平成21)年8月上旬(予定)
       ※詳細な運転開始日と運転時刻は決まり次第発表
■運転区間:大月―河口湖間(26.6km)
■車輌:2輌1編成(モハ1305+モハ1205)

イラスト提供:富士急行/Eiji Mitooka + Don Design Associates

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入川森林軌道再訪。(下)

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▲復活した入川森林軌道の見せ場のひとつだったΩループの今昔。周囲は26年の歳月が信じられないほどに変わっていない。'09.6.20/'83.6.4
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入川森林軌道が復活するかも知れないとの情報を得たのは1982(昭和57)年冬、春の訪れを待ちかねて現地に赴いたのは翌年3月26日のことでした。残雪の渓谷から吹き上げる身を切る寒風に耐えながら軌道跡を歩いてゆくと、歩行者の皆様へと題した真新しい看板を見つけました。曰く「これより入川の上流2.2キロの間、土木工事のため軌道車を運行しております…運行期間・昭和58年4月1日より昭和58年9月30日まで」。

kawamatacolor03.jpg運行開始はなんと6日後! はやる気持ちを抑えつつさらに進んでゆくと、保線作業をしている人たちがいるではありませんか。この時、初めて「復活」が現実のものとなって目前に迫ってきたのです。聞けば姫川電力川又発電所の増設にともなう取水口工事が軌道終点の赤沢出合付近で行なわれる計画で、その資材運搬用に入川森林軌道が利用されるとのこと。起点の矢竹沢出合付近の道路と軌道敷の間に高低差があり過ぎて資材を降ろすのに索道を設けねばならず、トラック輸送を断念した結果の軌道復活でした。
▲「復活」の報に半信半疑で訪れたのは雪解け間もない頃。すでに運行に向けた軌道の整備が始まっていた。'83.3.26
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▲軌道の修復作業にはモーターカー然とした「1号機」が使われていた。ピン・リンク式の連結器を後部にしか持たず、平トロ1輌を牽引するのがやっと。'83.3.26
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▲1号機(左)と2号機(右)。富士重工のロビン10psエンジンを備えた1号機は西武建設時代からの生え抜き。一方の2号機はいすゞの工業用エンジン(D423A)からベルトドライブで変速機へつなぐという珍機関車であった。'83.3.26
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矢竹沢出合から赤沢出合までの運転区間はわずか2.25㎞。とはいえΩループやオーバーハングの岩など見どころは数限りなく、木曽森林鉄道なきあと“生きた林鉄”の息吹を再び感じられる貴重な場所でした。

kawamatacolor05.jpgこの入川森林軌道はもともと営林署の軌道ではなく、東京大学農学部付属秩父演習林の軌道として設けられたものでした。川又から滝川を遡る滝川森林鉄道が1922(大正11)年に起工、翌1923(大正12)年には入川を遡る入川森林軌道が着工され、1936(昭和11)年には現在の残存区間である赤沢出合までの延伸が完了しました。東大演習林とはいえ、軌道の運行は民間に委託されており、森林鉄道としての使命を終える1969(昭和44)年時点では、西武建設山林部が加藤製作所製のガソリン機関車などを用いて運行していました。(『トワイライトゾ~ン・マニュアル10』所収「奥秩父の森林鉄道」参照)
▲1800m地点のオーバーハング下で待機する1号機。'83.3.26
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▲地形図に見る最盛期の入川森林軌道と滝川森林軌道。現在軌道が残されているのは荒川源流地点(赤沢出合)までの2キロほど。(地理調査所1:50000地形図「三峯」=昭和27年応急修正=より加筆転載)
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▲500m地点のオーバーハング今昔。フロントに乗った係員が手で砂を撒きながらカーブを抜けて来るのは3号機。'09.6.20/'83.6.4
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森林鉄道としての運行を終了した1969(昭和44)年といえば西武鉄道秩父線が開業したその年。秩父線開業までは日帰りで都心から奥秩父を目指すのはほぼ困難で、しかも秩父湖のさらに奥ともなれば、登山の心得のある方でもなければ足を向けることはありませんでした。

kawamatamap01n.jpgところが今はすっかり道路も整備され、ことに国道140号線は「彩甲斐街道」の愛称のように、秩父から雁坂トンネルを抜けて山梨県側への往還ルートとして賑わっています。今年は西武鉄道もこの入川渓谷を荒川源流を訪ねるウォーキングコースとしてアピールしており、専用のパンフレットまで製作する熱の入れようです。鉄道・バス利用でも、三峰口駅(西武観光バス)→秩父湖(秩父鉄道観光バス)→川又(徒歩)→入川軌道跡終点(往復約3時間)→川又→秩父湖→三峰口というコースで、都心からの日帰りが充分に可能です。
▲入川渓谷にはその名も”夕暮れキャンプ場”があり宿泊も可能。
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▲渓流から吹上げてくる涼風が軌道跡を包む。列車の姿こそ見られないものの、東京近郊でこんなシーンが目に出来るのは入川ならでは…。'09.6.20
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東京都心から日帰り圏内で森林鉄道の残り香に接することのできる貴重なスポット・入川森林軌道跡。ナローゲージャーのみならず、森林浴を兼ねて、この夏は一度訪ねてみられては如何でしょうか。

※明日から出張のため、小ブログは29日までお休みさせていただきます。あしからずご了承ください。

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入川森林軌道再訪。(上)

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▲入川森林軌道跡の現在。木漏れ日の軌道に、この時期ならではのエゾハルゼミの鳴き声がシャワーのように降り注ぐ。'09.6.20
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先日、ひさしぶりに「入川森林軌道」跡を訪れました。奥秩父の入川渓谷に残されたこの軌道跡は、東京から日帰り圏内で見られる森林軌道の痕跡としては随一のもので、しかも今年になって荒川源流を訪ねるハイキングコースとして再整備されたこともあって、一般にも広く知られるようになりました。

irikawakidou01.jpgこの入川森林軌道には格別な思い出があります。1983(昭和53)年夏、軌道終点に位置する発電所取水口の工事が行なわれ、軌道が奇跡的な復活を遂げたのです。この経緯については『トワイライトゾ~ン・マニュアル5』誌上で「つかの間の夏 ~入川森林鉄道復活の日々~」として詳しくご紹介いたしましたが、とにかくひと夏限りのこの復活を見たさに、8回も“入川通い”をしてしまったのですから我ながら尋常ではありません。
▲滝川線との分岐点である川又には今でも秩父木材の木造モーターカー庫が残されている。滝川線は庫の先で左に分岐していた。'09.6.20
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▲トワイライトゾ~ンでは竹内 昭さんのレポートを中心に、これまでにも幾度となく奥秩父の森林軌道の謎を追いかけてきた。図中の武州中津川森林鉄道のみが東京営林局秩父営林署の森林軌道で、それ以外はすべて演習林と民有林の民間林用軌道。
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▲遊歩道入口には、6月17日に入川森林軌道2100m地点で熊が目撃され…と注意を呼びかける張り紙が(左)。現在、赤沢出合までの東大演習林区間はハイキングコースとして供用されている(右)。'09.6.20
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今でこそ国道140号線が整備され、大滝大橋ループ橋や大峰トンネルを経て比較的楽にアプローチできるようになりましたが、1980年代初頭の入川渓谷はとても気軽に行き来できるような場所ではありませんでした。秩父鉄道の三峰口から荒川を遡るように秩父湖(二瀬ダム)へ。ここからが尋常ではなく、交互通行のトンネルやら林道と錯覚しそうな狭隘な区間を経て、ようやく入川線と滝川線の分岐点である川又の集落へ到着します。

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▲四世紀を経た矢竹沢付近の軌道起点の定点撮影。1983(昭和58)年の復活時点では架線(索道)でこの起点まで資材を降ろし、ここから赤沢の発電所取水口工事現場まで軌道による運搬が行なわれた。あの当時の分岐器もそのまま残されている。'83.6.4/'09.6.20
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irikawakidou15.jpgさらなる困難はこの川又から先で、軌道跡のダートが延々と続き、矢竹沢の残存軌道起点まで3キロ近くを、今度はひたすら歩かねばなりませんでした。当時の愛車はすでにこの時点で17年落ちの英国車。毎回未明に東京を出て、ダブルクラッチを踏みながら延々と秩父を目指していたのですから呆れます。今さらふり返れば、何かに取り付かれたとしか思えない1983年の夏だったのです。

▲渓流を見下ろす軌道起点の今。現役時代を彷彿させるシーンに、しばしデジャブ(既視感)に捉われる。'09.6.20
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▲日南線沿線の車窓を堪能できる大きな窓が特徴の「海幸山幸」車輌。(JR九州提供)
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九州新幹線全線開業を控えた南九州の観光をより一層盛り上げようと、JR九州では日南線に観光特急列車「海幸山幸」を誕生させることとし、このたびその概要が発表されました。

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▲「海幸山幸」車輌の平面イメージ。車端にはソファーシートのほかに車椅子スペース、車椅子対応トイレも設けられる。(JR九州提供)
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列車愛称名は特急「海幸山幸(うみさちやまさち)」。愛称名の由来は潮嶽(うしおだけ)神社(北郷)や青島神社が舞台となっている「海幸彦」「山幸彦」の神話にちなんだものだそうです。

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▲インテリアのイメージ。可能な限りエコ素材を使用、「木のおもちゃのようなリゾート列車」を目指す。(JR九州提供)
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▲客室乗務員が乗務し、観光案内・車内販売を行なう。車内販売では、日南線沿線の特産品などの販売も予定されている。(JR九州提供)
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種車は昨年末に高千穂鉄道より購入したTR-400形2輌(2003年3月製)で、「木のおもちゃのようなリゾート列車」をコンセプトに、オール3列シートを採用、内外装に地元素材の飫肥杉(おびすぎ)を使用するなど、列車の旅ならではのアメニティとモビリティの豊かさを実感できる質の高いデザインを目指しています。なお、定員は1号車「山幸」指定席21名、2号車「海幸」自由席30名に設定されています。

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運転開始は本年10月10日(土)。来年2月28日(日)までの土曜・日曜・祝日、年末年始期間の毎日、日南線宮崎~南郷(ただし、宮崎~南宮崎間は日豊本線)間を1日1往復します。なお、運転開始日の10月10日には宮崎駅にて出発式が行なわれる予定です。

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▲上総亀山駅でひと休みするキハ30 62。同車は相模線からの転属車で、ワイパーが増設されていることに注意。'09.4.5 久留里線上総亀山(開いている踏切から撮影) P:小野雄一郎
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先週、JR東日本千葉支社より、久留里線に残るキハ30形を国鉄色(朱色4号とクリーム4号のツートンカラー)に塗り直し、7月4日(土曜日)より運行するとの発表がありました。あらためて申し上げるまでもなく、キハ30形は通勤型気動車の標準タイプとして1961(昭和36)年に誕生したキハ35形の両運転台バージョンで、1963(昭和38)年から1966(昭和41)年にかけてちょうど100輌(0番代。ほかに寒冷地向けの500番代が6輌)が新製されました。

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▲電化直前の関西本線を走る奈良行快速キハ35系2連。もちろん「国鉄色」。関西本線はキハ35、30にとって“出生の地”とも言うべき縁ある線区であった。'73.9.23 関西本線柏原ー河内堅上 P:西田達哉さん (「わが国鉄時代」より)

キハ30形は亀山、加古川、米子、徳島、直方…等々、関東以西にも広く配置されましたが、その活躍期間の長さからしても、もっとも印象に残っているのは八高線、川越線、相模線などや、千葉局管内での活躍ではないでしょうか。久留里線を受け持つ木更津へは、新製初年の1963(昭和38)年に早くも第一陣が投入され、以後、個体の入れ代わりはあるものの、実に46年間にわたって木更津~上総亀山間32.2㎞を走り続けてきました。

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▲初春の風景の中を行くキハ30 62。なお、久留里線の3輌のキハ30のうち、同車だけ前後の向きが異なっている。'09.4.12 久留里線平山 P:小野雄一郎
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現在、幕張車両センター木更津派出に在籍しているキハ30形は62、98、そしてラストナンバーの100の合計3輌。現在98番が郡山総合車両センターに入場中で、まずはこの98が「国鉄色」となって木更津に戻ってきます。また、残りの2輌(62、100)も今年度内に同様の国鉄色に塗り直される予定で、遠からず国鉄色同士の交換シーンも実現しそうです。

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▲通常、日中は2輌編成で運転される久留里線だが、この日は沿線でのイベント対応のためか4輌編成で運転された。先頭に立つのがキハ30 98。なお、現在の久留里線色は1996(平成8)年より施工されたもので、それ以前はクリーム地にブルーのストライプを施したものであった。'08.10.19 久留里線東清川?横田 P:小野雄一郎
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なお、これとは別に房総地区で運行している113系電車4輌編成1本を湘南色に塗り直す計画も進められており、こちらは今週6月25日(木)千葉15:15発東金経由成東行き(成東15:58着)より運行が開始されます。この113系も、今後さらに追加して一部が湘南色となる予定だそうで、しばらくちば房総半島から目が離せなくなりそうです。
■久留里線キハ30形国鉄色塗り替え車
○運行開始日:2009(平成21)年7月4日(土)
○運行初列車:木更津10:54発久留里行き(久留里11:38着)
          久留里11:43発木更津行き(木更津12:28着)
 ※塗りかえ記念お披露目臨時列車として運転。
 ※上記列車に乗車した方には、記念乗車証を久留里駅にて配布
 ※7月4日(土)に木更津駅にて運行記念弁当を発売

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▲残雪の飯士山をバックにEF58をサポートする凸型車体時代のEF13 12〔水〕。 (『国鉄時代』vol.18より)
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2005(平成17)年春の創刊以来、多くの皆さんにご好評をいただいている季刊『国鉄時代』ですが、このたびvol.18が完成、すでにご覧になられた方から温かい反響を頂戴しております。今日は例によって、担当の山下より今号の見どころをご紹介いたしましょう。

kokutetsujidai18n001.jpg『国鉄時代』vol.18は「山岳線の電機」が特集です。電機の特集ですが、表紙をめくるとまず飛び込んでくるのがC62 4牽引の特急「かもめ」。意外と思われるかもしれません。巻頭は故・細川延夫さんの遺作の中から昭和30年代前半の山陽本線の蒸機で構成いたしました。卓越したカメラアイで多くの名作をお撮りになっている細川延夫さんですが、温もりのある作風と地元ならではの視点で捉えた山陽路の勇者たちの様子は、蒸機全盛時代の大いなる遺産といえましょう。解説は細川延夫さんと親交の深かった宇田賢吉さんにお願いしました。

kokutetsujidai18n006.jpgそしていよいよ特集記事です。山岳線と聞いてまず思い浮かぶのが上越線水上~越後湯沢です。当線は本年3月改正で昼行の貨物列車が復活し注目を集めていますが、特集のトップ「凸の肖像」の舞台は今からおよそ半世紀前、まだ凸型のEF13が前補機を中心に奮闘していた時代。高崎にお住まいの田部井康修さんの青春の象徴でもある凸型のEF13が、スイスを思わせる美しい自然の中を列車の先頭に立って駆け巡ります。
▲「かもめ」のヘッドマークも誇らしく山陽本線を駆ける梅小路区のC62 4。 (『国鉄時代』vol.18より)
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▲1956(昭和31)年、東海道本線全線電化でEF57は高崎第二機関区、長岡第二機関区に転じ、上越国境での活躍を開始した。 (『国鉄時代』vol.18より)
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冬は多くのスキー臨が運転され最も上越線が賑わう季節です。153系・155系によるスキー臨運転を契機に冬の上越国境に出掛けた相澤靖浩さん、ここではEF57を中心とした写真と撮影記で構成して、当時の熱気を語っていただきました。上越線のEF57はその活躍期間が5年程度と短かったため、スノープラウで雪を蹴立て豪快に駆け抜ける模様を捉えた写真は貴重です。さらに、「補機とともに」では元水上機関区機関士の水野聖策さんに、EF16の運転について現場の話をお聞かせ願いました。

kokutetsujidai18n003.jpgみちのくの山岳線の白眉はなんと言っても奥羽本線板谷峠です。最急勾配33.3‰のこの峻険な峠道では新鋭気動車キハ80系で運転される特急「つばさ」も補機の力を借りねばなりません。「板谷峠協調運転小史」では、EF16からEF64を経てEF71に至る補機の変遷を中心に、気動車特急が急勾配と格闘した電車化までの14年を振り返ります。板谷峠と並ぶみちのくの山岳線・仙山線は交流電化発祥の地ですが、まだ直流1500V時代に活躍したED14を地元仙台の菊地清人さんがじっくりと撮影されています。その思い出の情景とともに交流試作機、直流輸入機、蒸機が入り乱れた活気溢れる作並を語っていただきました。
▲33.3‰の続く奥羽本線板谷峠での電機たちの活躍も忘れられない。 (『国鉄時代』vol.18より)
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▲1958(昭和33)年春の西明石~姫路間電化まで、須磨海岸は大型蒸機の独壇場であった。酒井賢三さんの「山陽本線1957 須磨のC59」はその黄金時代最後の栄華を捉えた必見のページ。 (『国鉄時代』vol.18より)
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佐竹保雄さんの「アプトを訪ねて」、宮内明朗さんの「さらば峠の番人」では、アプト末期の碓氷峠の模様を、また成田冬紀さんには置換え間近の181系「あさま」を振り返っていただきました。宮崎 敬さんの「碓氷夜話」はそんな時代の熱気と残照を求めて、若き世代が憧れを持ってEF63と接した回想録です。

DVD2fig.jpg中央東線もスイッチバックの連続する日本屈指の山岳線。甲府電化当時の旧型電機の奮闘の記録は、やはり峠を語る上では欠くべからざるもの。伊藤昭さん、伊藤威信さんの「甲斐の山道」はEF13の中央東線投入後の記録。まだEF13に交じってEF11・EF52など古豪が姿を見せています。
▲今回も3作品を収録したDVDを付録。いずれも必見の内容。 (『国鉄時代』vol.18より)

一般記事は「須磨のC59」「鷹取工場式(簡易型)集煙装置装備の紀勢西線のC58」「大分国体お召列車 門デフC58の晴れ姿」など、巻頭の「山陽路の汽車」とともに蒸機ファンにも見逃せない内容です。
特別付録DVDは速水 璟さんの「呉線 急行『安芸』」、宮内明朗さんの「碓氷の譜 ED42最後の奮闘」、水谷年男さんの「明知線のC12」の三本立て。宮内明朗さんが同時録音したED42の走行音は映像と共にアプトを今に伝える貴重な記録です。

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湯口 徹さんのRMライブラリー『日本の蒸気動車』(上巻)が、鉄道友の会が選定する2009年島秀雄記念優秀著作賞を受賞することとなりました。同賞は、毎年1回、趣味的見地に基づき、鉄道分野に関する優れた著作物または著作物に関わる功績を選定し、鉄道および鉄道趣味の発展に寄与することを目的として、2008年に新設された賞です。

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▲汽車会社で製造された鉄道院6005形ホジ6010の公式写真。写真右側の台車が動台車。 P:汽車会社(RM LIBRARY103『日本の蒸気動車(上)』より)
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賞の名称は、もと国鉄技師長で鉄道友の会の初代会長・島秀雄さん(1901~1998)の功績を永久に記念すべく名付けられたもので、単行本部門(書籍の中から優秀な作品を選定)、定期刊行物部門(定期刊行物に掲載された著作物の中から優秀な作品を選定)、特別部門(単行本や定期刊行物以外の著作物で選考委員会が特に認めるもの、または著作物の企画、複製、展示、頒布、その他著作物に関わる功績を選定)の3部門が設けられています。

rml103boiler1a.jpg対象となるのは毎年1月1日から12月31日までに発行された著作物で、今年は単行本部門では湯口さんの『日本の蒸気動車』のほか、長船友則さんの『山陽鉄道物語』(JTBパブリッシング)、河田耕一さんの『鉄道風景30題』(機芸出版社)が、定期刊行物部門では澤内一晃さんの「東京市の静脈物流と私有貨車」(電気車研究会『鉄道ピクトリアル』2008年1月増刊号掲載)が受賞することとなりました。また、特別部門では博物館の出版物という枠を越えて本格的な写真集として発行された点が評価され、田部井康修さんの『上州を走ったトラム 伊香保電車』(東武博物館)が選定されました。
▲国鉄名古屋工場で復元修復中のキハ6401。機関部の取り外しのために煙突が2ピースとなっているのがわかる。'63年 P:国鉄名古屋工場(RM LIBRARY103『日本の蒸気動車(上)』より)
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▲唐津線山本駅に停車するキハ6414。1913(大正2)年に鉄道院九州鉄道管理局に配置された汽車会社製工藤式蒸気動車のうちの1輌である。'37.1.7 所蔵:湯口 徹(RM LIBRARY103『日本の蒸気動車(上)』より)
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鉄道友の会優秀著作賞選考委員会(西野保行委員長ほか10名)による『日本の蒸気動車』の選定理由は以下です。

yuguchusan01n.jpg「蒸気動車とは、客車に小型の蒸気機関を乗せて自走できるようにした構造の鉄道車両で、現在では博物館明治村に鉄道記念物として1両のみが保存・展示されている大変珍しい車両です。本書は日本国内で使用された約60両あまりの蒸気動車について、その導入経緯、技術的特徴、運用状況、末路などを記述したものです。本書は、上編と下編の2冊で構成され、上編では外国からの導入時の時代、国産車の時代、各鉄道・軌道での使用実績などが解説され、下編ではさらに国有鉄道での使用実績、1940年以降における動向、蒸気機関の再利用や客車への転用などについて言及されています。
蒸気動車については、これまでにも鉄道趣味誌などでたびたび紹介されたことがありますが、俗説や憶測などによる誤解もあり、導入時のいきさつやその後の使用状況などについてはなお不明な点が残されたままでした。著者は、蒸気動車に関わる特許や実用新案にさかのぼってその実用化の過程を丹念に検証し、これまでの誤謬を修正するとともに、明らかでなかった多くの事実を解明しました。
著者はすでに、日本の内燃車両に関する優れた著作をいくつか執筆していますが、これまでに発掘した特許や図面、写真が豊富に掲載され、国内で使用されたすべての車両についての車歴が網羅的に解説されています。さらに、蒸気動車としての役割を終えた後の使用例や再生例までが綿密な考察の上で明らかにされており、鉄道趣味者ならではの車両史研究の代表作として選定しました。

▲沼田林業機械化センターに保存されているホイットコム製ガソリン機関車から顔を出す湯口 徹さん。'07.12.2 P:名取紀之
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このような賞をいただける著作物に、微力ながら関われたことは編集者としても大きな悦びで、これを励みとして、これからも各方面から評価いただける本創りを心がけたいと思いを新たにする次第です。

■『日本の蒸気動車』以外の湯口 徹さんの主な弊社刊著作
『内燃動車発達史』上巻(戦前私鉄編)
『内燃動車発達史』下巻(戦前メーカー編)
『戦後生まれの機械式気動車』上巻(RMライブラリーNo.87)
『戦後生まれの機械式気動車』下巻(RMライブラリーNo.88)
『石油発動機関車 ー福岡駒吉とわが国初の内燃機関車ー』(RMライブラリーNo.115)

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▲東西線用15000系のイメージ。すべてのドアをワイドドアとし、駅での乗降時間の短縮をはかり、ラッシュ時の輸送改善を図る。(東京地下鉄提供)

東京地下鉄(東京メトロ)東西線に、ラッシュ時の輸送改善策として、すべてのドアをワイドドアとした新型通勤車輌15000系が導入されることとなりました。今週、東京メトロが発表したもので、2010(平成22)年春から順次営業運転を開始します。

2009.29.2njpg.jpgこの15000系は、車体は2004(平成16)年11月に東西線に導入された05系13次車をベースとし、副都心線向け10000系と同様に、完成度が高く最新の技術を用いた機器を積極的に採用するとともに、より一層バリアフリーに配慮された車輌となっています。東京メトロから発表された05系従来車との比較は主に以下のようなものです。
▲東西線用15000系の客室内イメージ。(東京地下鉄提供)
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【輸送改善】
・ 車輌のすべてのドアを従来より500㎜広げ、お客様の乗降がスムーズになることで、駅での乗降時間を短縮することにより、ラッシュ時の輸送改善を図ります。
【車内快適性の向上】
・ 車内の快適性を高めるため、冷房能力を向上させます。(48kw→58kw)
・ 座席の形状を見直し、クッション性を05系13次車より高めることで、座り心地をさらに向上させます。
【使い易さの向上】
・ 液晶画面による車内表示器を採用し、乗り換え案内、駅設備案内、所要時間等より多くの情報をきめ細かに提供できるようにします。
・ 一部の荷棚高さや吊手の高さを低位置に変更し、利便性の向上を図ります。
・ 車内の床面の高さを低くし、ホームとの段差を縮小します。
・ 立位時の姿勢保持、立ち座りの補助の目的から、座席前にスタンションポール(縦手すり)を設けます。
・ ドア部の床に床の色とコントラストを付けた配色の識別板を設け、出入口部を識別しやすくします。
・ 車輌内外からドアの開閉のタイミングを確認できるよう、出入口上部に開閉動作に合わせて点滅するLEDランプを取り付けます。
【環境負荷低減】
・ 東京メトロ車輌で従来から導入しているアルミニウム合金製車体を継承しつつ、各部材の材質を極力統一してリサイクル性を向上させます。
【火災対策の強化】
・ 火災発生時に高温で溶け落ちる材料を使用しない等、火災対策を強化します。
【車体強度向上】
・ オールダブルスキン構体の採用や車体四隅の隅柱強化及び溶接位置変更等により、車体強度を向上します。
【コストダウン・省メンテナンス化】
・ 新技術の採用や機器の集約化、車体製造工法の見直しによりコストダウンを図るとともに、車輌制御情報管理装置や新ボルスタ台車の採用により省メンテナンス化を図りました。

なお、この15000系は2009(平成21)年度末から2011(平成23)年度までの間に10輌編成13本、合計130輌が新製される予定です。

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▲戦前の横浜市電で最も重用された単車500形が高島町駅前を行き交う。背後のガードは東急東横線のもので、当時は単線だった。 (RMライブラリー『横浜市電』上より)
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RMライブラリー、今月と来月は、岡田誠一さんと澤内一晃さんによる『横浜市電』を上下巻に分けてお届けします。今月は「戦災までの歴史とその車輌」と題する、その上巻をお目にかけましょう。

RML119n.jpg今まさに開港150年を迎えて賑わう横浜市ですが、横浜に路面電車が開業したのは1904(明治37)年のことです。当初は横浜電気鉄道という民営の軌道でしたが、経営難から1921(大正10)年に市営化されました。市営化直後の1923(大正12)年には関東大震災が発生、市電も甚大な被害を受けますが、その復興とともに市電の整備・延伸が進められ、市電は市民のかけがえのない足として発展していったのです。

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▲1923(大正12)年9月1日に発生した関東大震災直後の横浜。幸いにも2輌の散水車は罹災を免れ、寸断された水道網に代わり市民への給水のために大活躍した。 (RMライブラリー『横浜市電』上より)
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joe32.33n.jpg本書はこの市電の開業から1972(昭和47)年の全廃までの全ての車輌について収録するもので、上巻では澤内一晃さんが、1904(明治37)年の横浜電気鉄道開業時から第二次大戦終戦までの車輌について解説されています。横浜電気鉄道時代のオープンデッキの単車の写真や震災後の横浜を走った「バラック電車」の図面、そして戦時下に誕生した2600形の搬入まで、貴重な写真と図面を数多く収録したトロリーファン必見の一冊です。
▲1924(大正13)年から製造された300形はその途中から鋼製車に変化した。なお、本ページをはじめ、本書では臼井茂信さん撮影の未発表の写真を多数掲載している。 (RMライブラリー『横浜市電』上より)
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▲1939(昭和14)年から局工場で製作された700形。準戦時体制下の製作とあって、車体は木造であった。 (RMライブラリー『横浜市電』上より)
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なお、7月発売予定の下巻では、岡田誠一さんが戦後、全廃までの車輌について、戦前生まれの車輌の改造も含めて解説される予定です。こちらもお楽しみに…。

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E5系量産先行車を公開。

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▲320㎞/h運転を前提としたロングノーズタイプの先頭形状が目を引く。角度によって表情が劇的に変化するのも興味深い。'09.6.17 新幹線総合車両センター P:RM(新井 正)
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2010(平成22)年12月に予定されている東北新幹線全線開業(八戸~新青森間開業)向け、新幹線の高速化に取組んでいるJR東日本が開発した新型高速新幹線車輌=E5系量産先行車が完成、昨日報道公開が行なわれました。

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▲8M2Tの10輌編成で車体はアルミニウム合金製。上部は「常盤(ときわ)グリーン」下部は「飛雲ホワイト」に塗り分けられ、中央に「はやてピンク」の帯が入っている。'09.6.17 新幹線総合車両センター P:RM(新井 正)
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試験車E954形(FASTECH 360S)の成果を反映させて新規開発されたE5系は、トンネル微気圧波を低減する“アローライン”と呼ばれるロングノーズの先頭形状が大きな特徴です。全車輌にフルアクティブサスペンションが搭載され、さらに車体傾斜制御によって曲線通過時の乗り心地向上が図られています。

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▲電動レッグレストや座席内蔵読書灯などが設備されたグリーン車座席。'09.6.17 新幹線総合車両センター P:RM(新井 正)
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▲新幹線普通席では初となる可動マクラを備えた普通車座席。'09.6.17 新幹線総合車両センター P:RM(新井 正)
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エクステリアデザインのカラーリングは「FASTECH360」の色彩構成を進化させ、先進的イメージとスピード感を表現したものとなっています。
・上部色「常盤(ときわ)グリーン」
・下部色「飛雲(ひうん)ホワイト」
・車体中央の色帯「はやてピンク」
一方インテリアデザインは、「暖かみ」「癒し」をイメージし、落ち着いたナチュラルカラーが採用されています。

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▲さながら宇宙船のコックピットを思わせる運転室。コンソールパネルに囲まれた運転席から少し後方にオフセットするかたちで補助座席が備わる。'09.6.17 新幹線総合車両センター P:RM(新井 正)
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▲動台車DT209(左)と連結部のダンパ(右)。連結面には全周ホロが備えられている。'09.6.17 新幹線総合車両センター P:RM(新井 正)
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▲量産先行車のデザインコンセプトと新技術の概要。(JR東日本提供)
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▲E5系はこれから各種走行試験を行ない、2010年度の開業時には東京~新青森間を最短3時間10分で結ぶ。
'09.6.17 新幹線総合車両センター P:RM(新井 正)

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2010年度の開業時には300km/h運転で東京~新青森間を最短3時間10分で結ぶ予定ですが、開業2年後の2012年度にはわが国最高速となる320km/h運転を開始、同区間の所要時間は最短3時間5分程度にまで縮められます。

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▲深夜の新八代駅に到着するフリーゲージトレインGCT編成。前頭部の連結器カバーは取り外されている。'09.6.12 新八代 P:桃根 医(『鉄道おもちゃ』)
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鉄道・運輸機構とフリーゲージトレイン技術研究組合が中心となって研究開発を続けている軌間可変電車(フリーゲージトレイン)の新在直通試験が始まり、先日その試験運転が報道公開されました。

090616n8113s.jpg異なる軌間、新幹線(1435㎜)と在来線(1067㎜)を自在に往来できるフリーゲージトレインの第二次試作車輌は一昨年春に完成(アーカイブ「フリーゲージトレイン第二次試作車が完成」参照)、JR九州小倉工場での構内走行試験ののち、日豊本線での在来線走行試験、JR西日本山陽新幹線新下関基地内での軌間変換試験を経て、八代市内にある新八代試験線で、在来線~新幹線間の乗り入れを行なうための新在直通試験が開始されたものです。
▲実験は深夜2時前後に行なわれた。新幹線接続駅として賑わう新八代駅もひっそりと静まりかえっている。'09.6.12 新八代 P:桃根 医(『鉄道おもちゃ』)
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▲新八代試験線位置図。 (鉄道・運輸機構/フリーゲージトレイン技術研究組合プレスリリースより)

6月1日より始まった今回の試験は、鹿児島本線有佐~新八代(新幹線発着線)間で行われました。「リレーつばめ」の走る在来線~新幹線ホーム連絡線に並行して設けられた軌間変換装置区間を含む新八代試験線を使用し、本線分岐~軌間変換装置を介して新八代12番線(新幹線「つばめ」発着線)に入線する実際の営業路線上を走らせることで、車輌とともに信号・踏切など地上側のシステムが正常に作動するかどうかを確認するのが主旨です。

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▲現在採用されている平行カルダン駆動のB方式概念図(左)と軌間変換軌道のガイドレール部(右)。'09.6.12 新八代 P:桃根 医 (プレスカンファレンスより)
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▲軌間変換台車のモデル。一番外側に見えるのが軸箱支持レール。'09.6.12 新八代 P:桃根 医 (プレスカンファレンスより)
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▲実車のモニター画像に見る軌間変換のおおまかなプロセス。'09.6.12 新八代 P:桃根 医 (プレスカンファレンスより)
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実験車輌は在来線区間では交直両用の全M車となっており、車体はアルミニウム合金製。台車は電子制御による車体傾斜システムを備え、在来線での曲線通過性能の向上と、新幹線区間での270km/h走行のポテンシャルを秘めた3輌編成です。

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▲新八代駅ホームで待機する試験車輌。車体裾部には切抜文字による車体標記が見られる。'09.6.12 新八代 P:桃根 医
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実験車輌は6月1日から12日まで行われた新八代試験線での実験を終え、翌13日未明に熊本運輸センターへ自力回送。その後、いったん小倉工場に返却された後、7月後半海上輸送にて川内港~川内車両基地へ搬入、同月末~12月にかけて九州新幹線川内~新水俣間で高速試運転を行う計画となっています。

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写真展「ゆる鉄」を見る。

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中井精也さんの写真展「ゆる鉄 from1日1鉄」を見てきました。「ゆる鉄」とはなんとも奇妙な響きですが、イントロダクションによれば「絶景ではないけれど、感動的な情景ではないけれど、2本の線路のまわりには、思わず微笑んでしまうような“ゆるい鉄道風景”がありました。現実のようで夢のような、記憶のようで日常のような…」そんな世界感を中井さんは「ゆる鉄」と名付けたのです。

090616n004.jpg会場は新宿副都心・新宿三井ビル一階のエプソンイメージングギャラリーエプサイト・ギャラリー2。オフィスビルのフロアを進んでゆくとそこに現れたのは木製の改札ラッチ。写真展会場ではなく、駅の待合室のような会場にしたかったとおっしゃる中井さん手作りのラッチです。隣のギャラリー1では大御所・森山大道さんの写真展が開催されており、言うなれば「犬の記憶」と「ゆる鉄」が対極のコントラストを醸し出しています。それにしても、学園祭のようなこちらの会場は、一瞬戸惑うものの、会場内で時を過ごすにつれ、その目指すところが鮮明に見えてくるから不思議です。
▲エプソンイメージングギャラリーエプサイト・ギャラリー2はちょうど駅の待合室ほどの広さ。'09.6.16
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▲巨大な布状の写真はプレミアムサテンキャンパスロールと呼ばれる素材にプリントアウトされたもの。厚くて柔らかなコットンとポリエステル混紡の光沢タイプのキャンバス地のメディアで、絵画を思わせる仕上がりとなる。'09.6.16

090616n002.jpg会場内に展示されている作品はすべてスクエア・フォーマット。ハイキーなトーンとあいまって川内倫子さんの一連の作品を想起させますが、もちろん銀塩ではなくデジタルで、トリミングすることを前提に撮りおろした作品群とのことです。あえてスクエア・フォーマットに拘ったのは、横位置、縦位置の写真が混在することによって連続性が阻害されることを嫌ったのと、もうひとつは駅の待合室に並んだ窓に見立てたかったからだそうです。
▲「待合室」だけにベンチもある。平日の午前中にも関わらず、ギャラリーが絶えることがない。'09.6.16
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▲これが「ゆる鉄」の真骨頂。一言のコメントが「ゆるい鉄道風景」を大切な何かに変える。'09.6.16
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090616n003.jpg通常の鉄道写真展とは違い、それぞれの写真には撮影場所も撮影年月日もなく、一言のコメントが添えられているだけ…。しかしこのコメントが実に効いていて、見事に心象風景を浮かび上がらせてくれます。ほんとうに絶景でも感動的でもない「ゆるい鉄道風景」がこれほどまでに迫ってくるとは思いもしませんでした。お見事です。鉄道写真に多少なりとも興味のある方には、ぜひともご覧になっていただきたい、いや、ご覧になるべき写真展です。
▲「改札ラッチ」に立つ中井精也さん。この写真展を“ライブ”と語る中井さんご本人は、25日までの会期中、別の講演が入っている21日を除いてベタで会場におられるとのこと。直接ディスカッションする絶好のチャンスでもある。'09.6.16
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▲「門鉄デフ」の最も象徴的な角度。K-7タイプを装備したC55 57。'69.1.2 若松機関区 P:関 崇博 (『門鉄デフ物語』より)

あらためて申し上げるまでもなく、「門鉄デフ」とは国鉄門司鉄道管理局(略して門鉄)管内の蒸気機関車で多用された切取式除煙板(デフレクター、略してデフ)を指します。デフレクターは国鉄蒸気機関車の顔ともいえ、その形態で機関車そのものの容姿が大きく左右されますが、さながらはばたく羽根のような「門鉄デフ」は、蒸気機関車を愛する者にとって特別な魔力を持っていました。1970年代には、九州のみならず各地に散ったこの「門鉄デフ」を求め、多くのファンが全国を行脚しました。そしてその神通力は現代にも届き、さきごろJR東日本の「SLばんえつ物語号」のC57 180がこの「門鉄デフ」に改装され、大きな反響を呼んだのは記憶に新しいところです。

090615nn00.jpg1970(昭和45)年初頭に『鉄道ファン』誌を飾った関 崇博さんの連載「“門鉄デフ”調査レポート」は、その魅力を広く知らしめた原点とも言えるものでした。1970(昭和45)年といえば国鉄機関車の動力別在籍輌数が蒸気機関車を電気機関車が上回ったターニングポイントとも言うべき年です。それでも国鉄蒸機在籍輌数は1601輌。全機関車数の33%を占めていたこの当時、同レポートは全国を行脚し続ける蒸機ファンにとって羅針盤役ともなっていました。

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▲「門鉄デフ」には装飾を施したものも少なからず存在した。また、数々のお召装備も忘れえぬ存在であった。 (『門鉄デフ物語』より)

この「“門鉄デフ”調査レポート」は30年あまりの時を経て、2004(平成16)年から翌年にかけて、再び『鉄道ファン』誌に新編として連載されます。「門鉄デフ」に代表される切取式除煙板を装備した蒸気機関車は15形式216輌。40年の歳月を掛けてそのすべてを克明に調べ上げ、正攻法でその全容に迫ろうとする悉皆調査は、一部の車輌部品をテーマにしながらも、わが国の車輌史研究にとっても金字塔であったと言えましょう。

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▲第1章では国際的視野から切取式除煙板の歴史を顧みる(左)。各所に挿入されている工場図面(右)も本書の見どころのひとつ。 (『門鉄デフ物語』より)
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▲数あるタイプの中には1形式1輌にとどまった試作的要素の強いものもあった。K-4タイプもそのひとつで、1953(昭和28)年1月に大分区のC55 11に装備された。 (『門鉄デフ物語』より)

その「“門鉄デフ”調査レポート」が交友社『鉄道ファン』編集部のご理解を得て、『門鉄デフ物語-切取式除煙板調査報告-』として弊社から単行本となります。現在は「鉄道友の会」専務理事をお務めの著者が、40年の歳月を掛けて集めつくした写真・図面が満載の本書は、蒸気機関車ファンはもちろんのことながら、模型ファンにも必読・必携の一冊です。

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▲G-6タイプの切取式除煙板を装備した長門機関区(もと正明市機関区)のC58 10。廃車が1974(昭和49)年4月と遅いわりには残された写真が少ない。 (『門鉄デフ物語』より)

090615nn06.jpg〔主な内容〕
1章:切取式除煙板の概略史
除煙板(風導板)の誕生/除煙板の機能/切取式除煙板の登場と背景/世界の切取式除煙板装備機/我が国の切取式除煙板
2章:切取式除煙板の形態分類
 小倉工場の切取式除煙板/鹿児島工場の切取式除煙板/後藤工場の切取式除煙板/長野工場の切取式除煙板
3章:切取式除煙板への装飾/お召装備された切取式除煙板装備機
 展示機関車としての装飾/除煙板のマーク、飾りなど/お召装備された切取式除煙板装備機
4章:切取式除煙板ア・ラ・カルト
 切取式除煙板の譲渡・振替・撤去/幻の蒸気機関車C63/切取式除煙板装備の保存機/郵便切手になった切取式除煙板装備機/蒸気機関車終焉を見とどけた切取式除煙板装備機/動態保存機58654号への採用/小倉工場の切取式除煙板装備のミニSL/JR東日本の動態保存機への採用
5章:切取式除煙板の形式別採用
▲巻末には形式別切取式除煙板装備機一覧を収録。 (『門鉄デフ物語』より)
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門鉄デフ物語
――切取式除煙板調査報告――
関 崇博 著
定価3,600円(+税)
・B5判168ページ(うちカラー8ページ)/上製本
※6月下旬発売

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萩中公園の東武34号機。

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▲スポークの美しい5フィート(1524ミリ)動輪のスプラッシャーにはベヤー・ピーコックのプレートが残る。'09.5.4
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さきごろ栃木県佐野市の嘉多山公園(かたやまこうえん)に保存されている東武鉄道30号機をご紹介いたしましたが(アーカイブ「嘉多山公園の東武30号機」参照)、今日は東京都大田区の萩中公園に保存されている僚機34号機を紹介してみましょう。

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▲ベルペア火室と直線のランボードが特徴のピーコック34号機。再整備も施されて良い状態に保たれている。'09.5.4
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090614n12.jpgこの34号機は1914(大正3)年英国ベヤー・ピーコック製(製番5841)。東武鉄道形式B3形に属し、1966(昭和41)年6月30日の東武鉄道無煙化まで残された5輌(No.30・31・34・39・40)のうちの1輌です。30・31・34号機がピーコック製、39・40号機がシャープ・スチュワート製で、現存しているピーコック製は30号機とこの34号機の2輌だけとなっています。廃車後、大田区が子どもたちの教材用にと本機を譲り受け、京浜急行大鳥居駅にほど近い萩中公園内の交通公園の一角に保存したものです。
▲キャブ側面に残る東武鉄道の社紋とナンバープレート。'09.5.4
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▲運転台は右側。加減弁ハンドルは絶妙なカーブを描く。キャブ床には第二動輪のスプラッシャーが顔を出している(右)。'09.5.4
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萩中公園には本機のほかにも都電7502号(残念ながら2006年に解体)や、公園展示としては珍しい貨車移動機など鉄道車輌以外にも、消防自動車やトラック、ロードローラーなどさまざまな乗り物が展示されており、そのいずれもが見るだけでなく自由に乗り降りできるようになっている点が特筆されます。

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▲展示スペースは自由に出入りすることが可能で、キャブ内の見学も可能。ご覧のように嘉多山公園の僚機30号と比べると格段に状態が良い。'09.5.4
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090614n15.jpg説明板によれば、傷みがひどくなってきたため1996(平成8)年9月に大改修工事を行ったとありますが、その時点からさらに十年以上の歳月が経っているにも関わらず、保存状態は決して悪くはありません。休日にはひっきりなしに親子連れがキャブ内に出入りし、子どもたちの歓声に包まれているこの34号機の方が、人知れず荒廃の度を深めつつある嘉多山公園の30号機より幸せなのかも知れません。
▲テンダーは3軸式。リベットがない上部は増設された部分。'09.5.4
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▲ナハフ1の車体側面に残る帯と三菱のマークの痕跡。'09.5.24 P:三菱大夕張鉄道保存会
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全国唯一の財政再建団体となった夕張市で、鉄道遺産の保存活動を進める三菱大夕張鉄道保存会では、三菱鉱業大夕張鉄道線では唯一の自社発注客車となるナハフ1の補修を本格化させています。今日は同会からお送りいただいたレポートをご紹介いたしましょう。

090613n004.jpgナハフ1は大夕張炭礦の専用鉄道として開通した同線の地方鉄道化に備えて、1937(昭和12)年に日本車輌東京支店で製造、1967(昭和42)年に車掌室が設置されナハフ1となりました(RMライブラリー『三菱鉱業大夕張鉄道』参照)。ほかの車輌とともに炭礦の盛衰を見つめ、1987(昭和62)年の廃止後も、付近の公園化を前提に南大夕張駅構内に残されていましたが、1999(平成11)年には雪の重さで転倒し、多方面の協力を得て復旧したものの、屋根等の損傷が激しくシートを被せたままの状態となっていました。
▲一部補修の完了したホーム。停まっているのはキ1。'09.5.24 P:三菱大夕張鉄道保存会
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▲数年ぶりに姿を現したナハフ1。外板もかなり傷んでいる。'09.5.24 P:三菱大夕張鉄道保存会

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▲本格的な修復に向けてナハフ1に組まれる足場。'09.5.24 P:三菱大夕張鉄道保存会
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その後、2007(平成19)年にはナハフ1修復「サボ募金」を展開する一方、車輌内部から、屋根枠の製作・取り付け作業を進めてきました。今年に入り、内部の作業も一段落し、5月には数年ぶりにシートを外し、足場を組み屋根の木材交換や板金作業を進め、窓枠補修・車体塗装後、9月に開催予定の「汽車フェスタ2009」で一般に公開の予定です。

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▲帯の入った大夕張の客車。昭和35年の清水沢駅ホーム。 (RMライブラリー『三菱鉱業大夕張鉄道』より)

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▲ナハフ1形竣功図。(三菱大夕張鉄道保存会提供)
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夕張が日本一の炭礦都市として賑わった昭和30年代、大夕張の客車には国鉄客車との誤乗防止のため、窓下に「うすいグリーンクリーム」の帯が巻かれ、三菱の社紋が入っていました(RMライブラリー『三菱鉱業大夕張鉄道』参照)。古い塗装の下からは、これらの痕跡も確認でき、今後の作業でこれらも再現していきたいと考えています。スリーダイヤモンドの色など、不明点もありますので、当時のカラー写真などがあれば、参考になります。ご一報願えればと思います。

090613n008.jpgまた、民間企業の公益信託助成金を活用して、荒廃したホームの一部も補修しました。ホームは同線廃止後、一部崩壊し、公開されている客車・スハニ6への出入りに際しても支障のある状態でしたが、5月末には地元建設会社の手によりホーム延長の約3分の1の工事が完了しました。保存車輌の隣接地には、近くで建設の進むシューパロダムのインフォメーションセンターもオープンし、三菱大夕張鉄道の資料も一部展示されています。
▲新設されたインフォメーションセンターの展示資料。'09.5.24 P:三菱大夕張鉄道保存会
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▲保存車輌の隣接地にオープンした「夕張シューパロダムインフォメーションセンター」。'09.5.24 P:三菱大夕張鉄道保存会
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また、ナハフ1同様三菱鉱業独自発注の9600形№4が保存されている歴史村・SL館については、昨年から閉鎖されたままですが、有効活用を行政側へ働きかけていきたいと考えています。保存会の補修作業は毎月1回、南大夕張駅跡で展開しています。今後の作業予定日は6月21日、7月26日、8月23日、9月(未定・汽車フェスタ2009)、10月25日、11月15日となっています。気軽に参加、見学して下さい。

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▲大宮総合車両センター内の仮設スペースに置かれた0系21-2。仮置きなのでスカートは外されたまま。'08.8.31 大宮総合車両センター P:RM(新井 正)
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JR東日本が昨年8月にJR西日本から譲り受け大宮総合車両センターで保管されていた0系新幹線が、10月から鉄道博物館で公開されます。すでに到着の様子は小ブログでもご紹介しましたが(→こちら)、いよいよ公開に向けて本格的にプロジェクトが動きはじめたわけです。

090612n0omiya.jpg今回展示されるのは、1964(昭和39)年の東海道新幹線開業に向けて最初に量産された360輌のうち大阪方先頭車(21形)の1輌(21-2)で、大阪府吹田市にあるJR西日本の社員研修センターで保管されていたもの。1964(昭和39)年7月24日に日車支店で落成した本車は、開業時は「N2」編成の1号車=新大阪方先頭車を務めた歴史的車輌で、残された0系の中でも当初の原型の姿をとどめる貴重な1輌です。
▲大宮に来てから半年あまり、桜の花が春の訪れを告げる。P:JR東日本/鉄道博物館提供
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▲クレーンで吊り上げられる21-2の車体。昨年8月28日午前0時にトレーラーに載せられて吹田を出発、8月31日午前4時に大宮総合車両センターに到着した。'08.8.31 大宮総合車両センター P:RM(新井 正)
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▲新設される0系新幹線用展示棟の概要。(鉄道博物館提供)
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鉄道博物館ではヒストリーゾーンの大宮駅方に新たに専用の展示棟を設置、展示棟内では、東海道新幹線開業当時の東京駅ホームの情景を一部再現し、車内への立入り見学を可能とするほか、床下機器、台車等が見学できるようになります。また車輌前方にスペースを設け、正面からの記念撮影ができる配慮もされるようで、鉄道だいすきファミリーには人気のスポットとなるに違いありません。

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▲伊藤 昭さんが撮影されたト31形の貴重な形式写真。所沢工場を検査出場したばかりの姿である。側面の白い十字標記は制動筒(ブレーキシリンダー)を持たない貨車を意味する。'51.5.25 井荻 P:伊藤 昭(所蔵:伊藤威信) (RMライブラリー『所沢車輌工場ものがたり』(上)より)
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さて、そのト31の実車についてのお話です。戦前・戦中の東京都市部での糞尿処理は、まず木製の肥桶(18?)に汲み取り、大八車やリアカーで街角の集積所へ運び、そこからはトラックで都内主要河川の河岸に設けられた中継場の貯溜槽へ、そして今度は伝馬船に積みかえられて東京湾に海中投棄されるという手順でした。ところが戦争の激化とともにガソリンが統制され、木炭ガスなどの代用燃料に頼るも、トラックがまともに動ける状況ではなくなってしまったのです。つまり輸送の中間部分が稼動しなくなってしまったわけで、窮地に追い込まれた東京都は、鉄道によって区部の糞尿を郊外の農村地帯に輸送して肥料として活用することを計画します。

to31fig03.jpg1944(昭和19)年4月、東京都はこの計画を実現するために運輸通信省(旧鉄道省)をはじめ、各私鉄に協力を要請しますが、さまざまな理由をつけて断られ、最終的に協力を買って出たのは西武鉄道(旧西武鉄道=村山線・川越線)と武蔵野鉄道(のちの池袋線)、それに東武鉄道の3社のみでした。戦後、武蔵野鉄道と西武鉄道(旧)、それに食料増産が合併して「西武農業鉄道」(1945年9月22日~翌年11月14日)を名乗ったこともあってか、鉄道事業者側の思惑で糞尿輸送に関わったかのごとき誤認を生みがちですが、決してそうではなく、むしろ東京都の窮地に手を差し伸べたわけです。
▲積込所と貯溜槽の概念図。(益井茂夫さん作成。『トワイライトゾ~ン・メモリーズ1』所収)
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かくして西武鉄道では戦時中の1944(昭和19)年6月から糞尿輸送を開始します。現在の新宿線系統では井荻、池袋線系統では長江(東長崎-江古田間)に積込場を設け、前者では田無、東小平、東村山、小川に、後者では清瀬、狭山ヶ丘、高麗の各駅に貯溜槽を設置したとされます(益井茂夫さんによる)。

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▲『トワイライトゾ~ン・マニュアルⅣ』の戦後50年特集では「神聖なる不浄」と題して、新宿線井荻駅の貯溜槽線にずらりと並ぶト31を紹介している。1946(昭和21)年6月25日号の『アサヒグラフ』に掲載されたもので、まだほとんどの車輌の上部に柵状の囲いがあるのに注意。 (『トワイライトゾ~ン・マニュアルⅣ』=品切=より)
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この輸送用に改造を施されたのがト31形です。やはり益井さんの調査によれば、判明している車番は34、37、68~76、83、90~101、107の25輌で、いずれも川越鉄道と多摩鉄道からの引き継ぎ車ですが、堤康次郎は「糞尿専用タンク車を早急に115輌ほど新造する」必要があると考えていたとの記述も見受けられ、旧西武・武蔵野あわせてかなりの輌数が存在したものと思われます。

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東京都との輸送契約は1953(昭和28)年3月末まででしたが、燃料事情の好転もあって、それよりかなり前、1951(昭和26)年頃には糞尿列車は運転されなくなっていたようです。今回、伊藤威信さんのご理解を得て再掲させていただいた伊藤 昭さん撮影のト69の写真は、その最末期を捉えた極めて貴重なものと言えましょう。
▲村山線(新宿線)系統積込所・貯溜槽配置概念図。(益井茂夫さん作成。『トワイライトゾ~ン・メモリーズ1』所収)
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ちなみに、実態は木造タンク車なのにも関わらずなぜ無蓋車=トなのでしょうか。もちろん煩雑な形式変更手続きを嫌ったとも想像できますが、もうひとつの鍵は初期の写真にあるタンク体上部の柵にあります。手すりともつかないこの柵、渡辺一策さんのご教示によれば、“返空”時に農地からの野菜を載せてくるためのものらしいとのこと。なんと、ト31形は期せずして双方向輸送を実現していた元祖エコ貨車だったわけです。

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毎週月曜日の午前中は部内の会議で、RM、RMM編集部をはじめ、営業部、広告部、鉄道ホビダス各部署から各種の報告、起案がなされます。当然“会社”ですから数字だらけのシビアな会議となり、面白かろうはずもないのですが、今週の会議はなぜかB滝さんが小箱を抱えてそわそわ…。会議が終了して編集部に戻って初めてそのわけがわかりました。
▲ほぼ一日で組み上げたというB滝さんのト31。エバーグリーンのプラ製部材を巧みに組み合わせ、一部にはグラントラインのボルトを奢っている。
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小箱の中身は週末に作ったという「ト31」。木造タンク車のような奇妙なスタイルと「ト31」と聞いて「えっ、あの貨車」と反応される方は、古くからトワイライトゾ~ンをご愛読いただいているに違いありません。そうです、西武鉄道の糞尿輸送用貨車です。かねてよりこの貨車に異様な興味(?)を示していたB滝さん、持ち前の速攻技法で試作車を完成させたというわけです。しかもブラス派のB滝さんが今回はマテリアルにプラを選択、その面でも“量産”への意気込みが伺えます。まずは本人からその製法について…。

090610to31n02.jpg試作品の上廻り(車体)は、製作のし易さを考えてエバーグリーン製のプラ角材(2×2mm、1.5×1.5mm)と筋目板2種、そして3.5×3.5mmの角柱、Φ3.0mmの丸棒などを用いて製作してあります。図面については、種車となった西武ト31形の外形寸法を基準として、RMライブラリー掲載の写真(伊藤 昭さん撮影)をはじめトワイライトゾ~ン各巻掲載の写真、資料などをもとに作製してみました。下廻りは、t0.5の真鍮板を床板とし、1×3×1mmのチャンネル材で台枠作成。軸受はエコーモデルのシュー式、同社製ブレーキテコを使用してユニットにし、出来上がった上廻りを下廻りユニットに被せてビス留めしてあります。
少なくとも5輌は一編成としなければサマになりませんが、うまいこと編成になったら、渡辺一策さんが実見されたというE51形牽引の“黄金列車”を16番の線路上に再現したいと思います。
▲プロトタイプは底板がV字に傾斜しているタイプ。タンク体(?)が完全に矩形のものも存在した。
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▲上部にあるハッチが積込口(左)。“積荷”は底部に設けられたパイプ(右)から貯溜槽へと排出される。
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▲B滝さん作成の図面(?)。かなりアバウトだが、その割り切りが速攻製作の秘訣かも…。
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ところで、とかく面白半分で語られることの多いト31と糞尿輸送ですが、トワイライトゾ~ンでは今は亡き益井茂夫さんのお力もお借りして、1991(平成3)年5月号(№91)以来何回にもわたってその謎解きに挑戦してまいりました。この機会に明日はそのアウトラインをあらためてご紹介してみたいと思います。

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▲いよいよデビューする11000系。ベース車同様、10000系に比べ乗務員室が拡大され、乗務員扉の位置も後退している。'09.5.28 厚木 P:RM(高橋一嘉)
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相模鉄道の新型電車11000系が完成、営業運転に先立ち、先日鉄道雑誌社向けの報道公開が行われましたので、本誌次号で詳報する前に、さっそくその概要をお伝えいたしましょう。

090609n02.jpgご存知の通り、前作の10000系電車はJR東日本E231系(総武緩行線用)をベースとしていましたが、今回の11000系はE233系(中央快速用)をベースとしたもので、主要機器の二重系化、客室のバリアフリー化ならびにユニバーサルデザイン化の推進、運転室のクラッシャブルゾーンの設定などが図られています。また、10000系は相鉄の車輌限界に合わせて車体幅がJR車より狭い2930mmとなっていましたが、今回の11000系では、その導入に先立ち相鉄の車輌限界が変更され、JR車と同じ2950mmになっていることも特徴のひとつと言えましょう。
▲相鉄初のHID灯が採用された先頭部。車体幅は今回からJR車と同じ2950mmに拡大されている。'09.5.28 厚木 P:RM(高橋一嘉)
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▲客室。オムスビ型の吊り手、パイプ式の荷棚はE233系とは異なり、10000系と同様の仕様となっている。'09.5.28 P:RM(高橋一嘉)
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▲車椅子スペースは両先頭車の車端部に設置(左)。車端部および女性専用車である4号車は荷棚の高さがその他に比べ50mm低く設定されている。車内の情報提供装置は京浜東北線用のE233系と同じく17インチワイド画面を2画面装備する(右)。'09.5.28 P:RM(高橋一嘉)
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運転台はE233系同様、3画面の液晶パネルに表示類を集約したもの。なお、相鉄ではJR直通運転に先駆け、2011年頃にATS-Pやデジタル列車無線の導入など保安装置の改修を完了する予定で、11000系の運転台はすでに新機器類に対応した準備工事が施されているほか、屋根には信号炎管の準備工事も施されています。

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▲運転台はE233系同様、計器・表示類を3画面の液晶画面に集約したタイプ。すでにATS-P、デジタル無線の準備がなされており、現行のATS表示灯は不要となった際に取り外すことを考慮して右の液晶画面上に取り付けられている。腰掛右側には見える緑色の箱は現行の誘導無線の端末。'09.5.28 P:RM(高橋一嘉)
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▲今回導入される10輌編成2本のうち、第2編成の海老名方5輌はJR東日本新津車両製作所が製作を担当しており、該当車輌の車内の標記も東急車輛とのダブルネームとなっている。'09.5.28 P:RM(高橋一嘉)
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気になるのは2015年に予定される相鉄・JR東日本の直通運転との関係ですが、今回の11000系は「ユニバーサルデザイン・サービス向上を目指した線内車輌」という位置づけであり、JR直通用車輌は事業の進捗・協議の進展を見て開業時までに準備される予定とのこと。とは言え、この11000系もすでに一部準備工事などJR直通を視野に入れた設計となっているとのことで、条件さえ整えば6年後にはこの11000系がJR線を経由して渋谷・新宿まで顔を出すことになるかもしれません。また、2019年に予定される東急線との直通運転用車輌は、車体幅や加速度・減速度が大きく異なるため、JR線直通車輌とは分けて考えられているそうで、これも事業の進捗・協議の進展を見て開業時までに準備される予定とのことです。

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▲10000系、8000系と顔を並べた11000系。塗色変更を進み、都心直通に向けて相鉄へ着実に変化しつつある。'09.5.28 かしわ台電車基地 P:RM(高橋一嘉)
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この11000系電車は6月15から営業運転を開始が予定されています。なお、それに先立ち、6月14日には相模大塚駅構内での撮影会も催されます。詳しくは鉄道ホビダスの鉄道ニュース欄(→こちら)をご覧ください。

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▲木村定男さんが遺された絵本の数々。戦後復興期から高度経済成長へ向かう日々の中で、子どもたちの胸をどれほどときめかせてきたことだろう。'09.6.5
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東京・新宿のギャルリー・トラン・デュ・モンドで、6月14日(日曜日)まで「木村定男“のりもの絵本”の世界展」が開催されています。先週末、遅ればせながら会場にうかがってまいりました。

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▲会場はファンにはすっかりお馴染みの東京・新宿のギャルリー・トラン・デュ・モンド。受付には奥様・木村満子さんの姿も…。'09.6.5
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090608IMGP1068.jpg鉄道友の会が昨年制定した「島秀雄記念優秀著作賞」で、『のりもの絵本‐木村定男の世界‐』(監修・文:関田克孝/フレーベル館)が栄えある第1回(2008年)単行本部門を受賞したのは記憶に新しいところですが、今回の作品展はこの受賞を記念し、なおかつ没後十年を機会に企画されたものだそうで、同書と同じく関田克孝さんが総合プロデューサー役を務めておられます。会場には遺された2,000点にもおよぶ「のりもの画」の中から、代表的な絵本の原画、油彩画、水彩画、さらには最近出版社より返還された戦後間もなくの作品など50点あまりが展示されています。
▲木村さん愛用の品々。カメラはゼンザブロニカS2を使われていたという。'09.6.5
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▲古くは1950年代からの原画がずらりと並ぶ。いずれもまるで昨日描かれたかのように鮮やかな彩度のまま残されているのは驚き。'09.6.5
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木村定男さんは1922(大正11)年大阪のお生まれ。戦後直後から「のりもの画」を手掛けられ、1956(昭和31)年に神奈川県逗子市に移られてからは、一層精力的に作品制作に励まれました。時代はまさに戦後復興から高度経済成長へ…鉄道を中心とした“のりもの”こそが子どもたちの憧れの中心であり、木村さんはその“夢”の提供者として多くの鉄道少年たちの心に残ることとなります。

090608IMGP1073.jpg1999(平成11)年、77歳でお亡くなりになるまで、実に53年間にわたって絵本画家として活躍され、後年は絵本のみならず東武博物館のポスター原画や、交通博物館の美術資料展にも出品されるなど、幅広い活躍をされました。今回の作品展にはその東武博物館開館記念の鉄道図鑑シリーズのポスターや、交通博物館(鉄道博物館)収蔵の油彩画(30号)も展示されており、実際にその実物に接することができます。
▲絵本には“未来”が欠かせない。開業を控えた東海道新幹線の貨物輸送計画もいちはやく作品に採り入れられている。'09.6.5
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▲東武博物館のポスターも木村さんが手掛けられた。今回の作品展では同館の協力で歴代のポスターも展示されている。'09.6.5
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作品を目にしてあらためて驚かされるのが、その原画の鮮やかさです。奥様のお話では、とりたてて格別の保管をしていたわけではなく、トランクの中に収納してあっただけとのことですが、1960年代に描かれた作品もまるで昨日描き上げられたかのごとく生き生きと鮮やかで、その鮮やかさが一層あの“のりもの絵本”全盛時代の昂揚感を思い出させてくれるようです。今回展示されているなかで最も古い作品は、近年出版社から返却されてきたという「雨の数寄屋橋」で、他の作品と異なり、黄昏の数寄屋橋を行く都電をファンタジックな筆致で仕上げられています。すでに半世紀以上を経ているにも関わらず、この作品もさながら近作のごとく鮮やかです。

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▲木村さんの作品はもちろん鉄道だけにとどまらない。自動車、飛行機など、時代を画した“のりもの”はすべてそのモチーフとなってゆく。'09.6.5
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会期は今度の日曜日まで。“のりもの絵本”で鉄道趣味の世界に最初の一歩を踏み出された世代の方はもとより、多くの皆さんにぜひ足を運んでいただきたい作品展です。

「木村定男“のりもの絵本”の世界展」
■会期:2009(平成21)年5月31日(日)~6月14日(日)
     11:00~18:00(最終日16:00まで)/入場無料
■会場:新宿 ギャルリー・トラン・デュ・モンド
     東京都新宿区歌舞伎町2-46-5 KM新宿ビル9F
     JR新宿駅東口より徒歩8分
     西武新宿駅北口正面
     TEL:03-5273-4557
■主催:木村満子/SADAO★STATION
■後援:株式会社 フレーベル館
■監修:関田克孝

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吉川文夫さんを偲ぶ会。

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▲献杯の挨拶に立たれる広田尚敬さん。鎌倉のご自宅周辺を自転車で撮影に廻られる際の吉川さんのエピソードなど心温まるお話に、会場内にあらためて吉川さんの懐かしい姿が甦った。09..6.6

昨日(6日)午後、東京・高田馬場のビッグボックス9階バンケットルームに於いて、「吉川文夫さんを偲ぶ会」が開催されました。早いもので吉川さんが亡くなられてからこの8月で2年の歳月が流れようとしています。かねてより偲ぶ会を…という声は多く、幼友達でもある青木栄一さんが呼びかけられて発起人(ほかに今津直久、白土貞夫、宮澤孝一、宮田寛之の各氏と私の6名)が集い、このたびの開催となったものです。

090607n1117.jpg吉川文夫さんは1932(昭和7)年12月のお生まれ。日本大学工学部を卒業後、池貝鉄工㈱に勤務、その後は関東学院大学、神奈川大学の非常勤講師をお勤めになられました。鉄道友の会は創立以来の会員で、東京支部長、理事などを歴任され、さらに長らく副会長の要職に就いておられましたが、2003(平成15)年夏、ヨーロッパ各都市の路面電車探訪の旅からご帰国のあと体調不良を訴えられ、療養生活に入られるも2007(平成19)年8月11日、不帰の旅へと旅立たれました。
▲吉川さんは熱心なモデラーでもあった。ペーパー製の横浜市電400形は葉書を使ってのスクラッチで、特徴的な ブリル79E-2台車も自作。'09..6.6
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▲中締めの挨拶に立たれる宮澤孝一さん。吉川さんは長年にわたり鉄道友の会の要職を歴任され、多くの後継者を育てられた。宮澤さんのお話のなかにもそのお人柄がひしひしと偲ばれた。'09..6.6
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鉄道史研究から車輌解説、写真撮影、そして旅紀行から模型製作まで広範囲に趣味を楽しまれた吉川さんだけに、偲ぶ会にはわが国の鉄道趣味界を代表する錚錚たる方々80名あまりが集い、故人の思い出を語り合いました。

090607n1092.jpg最初に挨拶に立たれた西野保行さんからは、1956(昭和31)年の『鉄道ピクトリアル』誌主催の第2回鉄道写真コンクールにまつわるエピソードが披露されました。このコンクールで吉川文夫さんの「ちび助力走」が推薦を獲得、当時としては斬新な流し撮りが注目を集めたのですが、同じ推薦を射止めたのが西野さん、そして田部井康修さんらでした(ちなみに同回の特選は高橋 弘さん)。そして当時このコンクールで毎回凌ぎを削っていたのが広田尚敬さんでした(広田さんは第3回に「N電暮色」で特選)。自らもエントリーされ上位入賞を果たされていた西野さんは、吉川さんが次々と繰り出される斬新な撮影手法に、広田さんばかりか吉川さんも将来鉄道写真家になられるのでは、とさえ思っておられたそうです。
▲司会進行役は私が務めさせていただいた。'09..6.6

今回、発起人会では、この第2回鉄道写真コンクール推薦受賞作の被写体でもあり、吉川さんが最も愛しておられた“ちび助”こと西武鉄道モハ21形への短文と写真6ページを含む、20ページの冊子を製作、ご出席いただいた皆さんへお配りしました。

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▲記念撮影に臨む参加者の皆さん。80名あまりの趣味界を代表する方々が吉川さんを偲んで一同に会された。'09..6.6
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この小冊子には青木栄一さんが悉皆調査ともいうべきご努力で作成された吉川文夫さんの著作目録が収められていますが、あらためてその著作数とジャンルの幅広さには驚かされます。単行本100冊以上、雑誌への寄稿は模型誌まで含めておよそ全誌に及んでおり、1970~1990年代は、各月どこかの雑誌に吉川さんの著作が見られるほどです。

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▲当日頒布された著作目録などを収録した記念冊子(左)。右はその裏表紙にもなっている広田尚敬さん撮影の吉川文夫さん。'09..6.6

身長178センチと長身ながら、周囲を威圧することなく常に温和な空気の中におられた吉川さん。その存在感、そして、あらためてその喪失感を感じざるをえないひとときでした。

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▲オハ35 206の車内。見事に整備されたレトロな雰囲気に、乗車したことがない方でも懐かしさを憶えるに違いない。'09.6.2 P:RM(小野雄一郎)
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引き続き佐久間レールパークの展示車輌を見てゆきましょう。客車では、スニ30 95・オハフ33 115・オハ35 206・マイネ40 7・オロネ10 27・オヤ31 12が保存されています。これらの客車のうち、今回車内が公開されたのはオハ35 206とオヤ31 12の2輌でしたので、この2輌を中心にお伝えいたします。

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▲オハ35 206の外観。代表的な戦前製の三等客車で、戦後も各地で幅広い活躍をした。'09.6.2 P:RM(小野雄一郎)
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オハ35形は、1939年に製造開始された、戦前の代表的な三等客車です。窓の寸法を大きくしたことで車内が明るくなり、誕生時から好評を博したと伝えられています。その車内は、やや無骨な感じのする木造製で、天井にも桁が見られるのが特徴です。

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▲オヤ31 12。この車輌が牽引される列車は「オイラン列車」としてレイル・ファンに親しまれた。'09.6.2 P:RM(小野雄一郎)
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▲オヤ31 12の車内。測定用腕木の奥はロングシートが続き、その奥の左側にトイレ・右側に洗面台などが設置されている。そして車端部には別の測定用腕木が設置されている。'09.6.2 P:RM(小野雄一郎)
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090606n3-5.jpgオヤ31 12は、建築限界測定車と呼ばれ、新線などで建造物が建築限界に抵触していないかどうかの測定を行ないます。具体的には、車体の両端および中間部分から腕木を出して、建造物との間隔を測定します。この建築限界測定車が牽引されて走行する列車のことをレイル・ファンは「オイラン列車」と呼んで親しんできました。車内は、測定用腕木を収納するために一部が凹形となっているほか、測定作業などに使用する机などが設けられています。また、天井にも窓が設けられており、そこから差し込む光はまさに神秘的な様相を呈しています。旅客に供する車輌ではないため、車内を観察することはまず不可能なこの車輌、7月に特別公開となる予定です。
▲上の写真の反対側。こちらの車端部にも測定用腕木が設置されている。天井から差し込む光がなんとも神秘的だ。'09.6.2 P:RM(小野雄一郎)
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▲0系の21-2023の先頭部分。階段から車内に入り、運転台を見学することができる。'09.6.2 P:RM(小野雄一郎)
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また、先頭部のみですが、新幹線0系21-2023の先頭部も展示されています。0系が山陽新幹線から昨年11月末に引退したことは記憶に新しいところですが、その0系の運転席に座ることができます。また、運転席横の窓が開きますので、記念写真を撮影するのにも適しています。

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▲0系の運転席。なお、窓を開けることができ、窓から顔を出しているシーンを右側に見える階段の上から撮影できる。'09.6.2 P:RM(小野雄一郎)
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3回に分けてお伝えした、ファミリーでも楽しめる佐久間レールパーク。11月1日の閉園まで残された時間は5ヶ月を切りました。屋外に展示されている貴重な車輌の数々を間近に見学することができる最後のチャンスです。休日や夏休みに、鉄道の歴史を支えてきた名優たちとふれあいに訪れてみられてはいかがでしょうか。

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このたびの報道公開では、クモハ12054・クハ111-1・キハ48036・キハ181-1・オハ35 206・オヤ31 12において、通常は入ることのできない車内の公開も併せて行なわれましたので、今日は小野君のレポートでその模様を中心にご紹介いたしましょう。なお、ED11 2は修繕中とのことで公開はされませんでした。
▲飯田線の貨物列車牽引に活躍したED62 14が、キハ48036・クモハ12054と並ぶ。'09.6.2 P:RM(小野雄一郎)
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機関車はED11 2およびED62 14が展示されています。ED11 2は、1922(大正11)年にアメリカGE社で製造されて日本に輸入された電気機関車です(RMライブラリー『国鉄輸入電機の系譜』参照)。1928(昭和3)年には1011からED11 2に改番され、1956(昭和31)年に浜松工場に移ってからは長らく構内入換機として晩年を過ごしていました。一方のED62 14は、1959(昭和34)年6月にED61 16として製造された後、1978(昭和53)年2月にED62 14に改造され1984(昭和59)年に廃車、その後浜松工場にて保管されていた車輌です。

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▲クモハ12054。1996年3月まで鶴見線にて同形式の活躍を見ることができたので、その姿を記憶されている方も多いのではなかろうか。'09.6.2 P:RM(小野雄一郎)
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▲クモハ12054の車内。それぞれのドア付近にセンターポールが立っている。'09.6.2 P:RM(小野雄一郎)
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電車はクモハ12054・モハ52004・クハ111-1・クヤ165-1の4輌が展示されています。このうち、クモハ12054とクハ111-1は車内も公開されました。クモハ12形は1931(昭和6)年に製造されたいわゆる17m級国電(『ガイドブック 最盛期の国鉄車輌 1』参照)。車内に足を踏み入れると、木造の車体がもつ独特の温かみを感じることができます。天井には白熱灯が取り付けられており、また、それぞれのドア付近にセンターポールが立っているのは、若いファンにとっては意外に感じられるかもしれません。

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▲湘南色のクハ111-1。原型タイプのライトを保っている。'09.6.2 P:RM(小野雄一郎)
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090605n2-5.jpgクハ111形は1962(昭和37)年に登場した車輌(『ガイドブック 最盛期の国鉄車輌 3』参照)で、弟分にあたる113系とともに東海道本線の主として2006年まで活躍していた姿は記憶に新しいところです。車内の様子は、青色のシートに灰皿付きと原形を保っていることが特徴のほか、計器類の並んだ運転席も必見です。速度計が少し意外な位置に設置されています。なお、このクハ111-1は、9月に特別公開される予定です。
▲クハ111-1の運転台。計器類などが並び、いかにも“電車”という印象を受ける。速度計の位置に注意。'09.6.2 P:RM(小野雄一郎)
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▲旧国鉄色を纏うキハ48036。晩年は茨城交通(現ひたちなか海浜鉄道)で活躍した。'09.6.2 P:RM(小野雄一郎)
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▲キハ48036の車内(左)。車体中央付近の左右の壁面に伸びているパイプは排気管である。その運転台(右)。比較的シンプルな構成となっている。'09.6.2 P:RM(小野雄一郎)
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気動車はキハ48036・キハ181-1が展示されています。キハ48000形は、キハ45000形(後のキハ17形)の両運転台車として1955(昭和30)年に製造が開始された車輌で、後にキハ11形を名乗り日本各地のローカル線でその姿を見かけることができました。この展示車輌は、晩年は茨城交通(現ひたちなか海浜鉄道)で活躍していた車輌で、佐久間レールパークの開園に合わせて保存されることになった車輌です。車内は、ほぼ原型を保っており、いわゆる「バス窓」や「直角イス」などを見ることができます。

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▲その優美な姿は今もなお色褪せないキハ181-1。'09.6.2 P:RM(小野雄一郎)
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▲キハ181-1の車内の見所は、客室から貫通扉へと至る通路だろう。両側に窓がないため、実際にはかなり暗く感じられる。'09.6.2 P:RM(小野雄一郎)
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090605n2-11.jpgキハ181形は、特急型気動車として1968(昭和43)年に製造が始まり、特急〈しなの〉への投入を皮切りに各地で活躍しました。現在でも〈はまかぜ〉で最後の活躍を続けており、その優美な姿は多くのファンを魅了してきました。また、車内の見所は、客室から貫通扉に抜ける通路であるといえましょう。現在、営業列車でこの通路を通ることができる機会はそうそうなく、一見の価値はあります。6月中はこのキハ181-1が特別公開されています。
▲キハ181-1の運転台。シンプルながらも重厚なつくりだ。'09.6.2 P:RM(小野雄一郎)
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▲車輌展示スペースの手前には閉園までのカウントダウンが掲示されている。訪れることができるのもあと5ヶ月足らず。'09.6.2 P:RM(小野雄一郎)
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一昨日、JR飯田線中部天竜駅に隣接している佐久間レールパークの報道公開が行なわれ、編集部から伊藤真悟君と小野雄一郎君が現地に行ってまいりましたので、今日から3回に分けて閉園まで5ヶ月を切った佐久間レールパークの様子をお伝えいたしましょう。

090604n1-1.jpg既報のとおり、2011年春に予定されているJR東海博物館(仮称)のオープンに伴って、佐久間レールパークは今年11月1日に閉園することが決定しており、屋外に展示されている貴重な車輌の数々を間近に見学することができる期間も残りわずかとなってまいりました。まずは展示車輌や園内の各種施設をダイジェストでご紹介しましょう。
▲飯田線中部天竜駅を下車すると、目の前が佐久間レールパーク。手前の建物が展示室、奥が車輌の展示場だ。'09.6.2 P:RM(小野雄一郎)
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▲展示スペースを俯瞰する。なお、展示車輌の順序は随時変更されている。'09.6.2 P:RM(小野雄一郎)
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090604n1-5.jpg展示車輌は、電気機関車ED11 1・ED62 14をはじめとして、電車はクモハ12054・モハ52004・クハ111-1・クヤ165-1、気動車はキハ48036・キハ181-1、客車・貨車はスニ30 95・オハフ33 115・オハ35 206・マイネ40 7・オロネ10 27・オヤ31 12、操重車ソ180+チキ6132の計16輌、そして新幹線0系の21-2023の先頭部分が展示されています。0系の運転席には実際に座ってみることが可能なほか、毎月1輌ずつ車内が特別に公開される予定です(ちなみに6月はキハ181-1が公開されています)。
▲昔の駅長室を模したスペース。タブレット閉塞器を間近に観察することができる。'09.6.2 P:RM(小野雄一郎)
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▲第1展示室に入るとNゲージの大レイアウトがお出迎え。壁一面には飯田線の駅名板がずらり(左)。第1展示室は、記念きっぷやサボ、書類などの貴重な資料が展示されている(右)。'09.6.2 P:RM(小野雄一郎)
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園内には第1展示室・第2展示室・プラレール広場の3つのブースが設けられています。第1展示室には、実物のマスコン・ブレーキハンドルを握って運転できるNゲージの大レイアウト(運転する場合は有料)が広がっているほか、飯田線の車窓風景をモニターで見ながら実物の運転席に座って運転体験ができるコーナー(有料)、かつての駅長室の雰囲気を再現したコーナー、飯田線をはじめとする懐かしい記念切符やサボなどが展示されています。

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▲第2展示室では、昔の職員の制服や車輌・施設の部品などが展示されている(左)。プラレール広場には大きなジオラマが広がっている。子供連れのためのスペースも設けられている(右)。'09.6.2 P:RM(小野雄一郎)
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第2展示室では、昔の制服を展示しているほか、電気機関車EF60のマスコン、急行〈富士川〉のヘッドマークや日章旗、基準天秤や運転台の計器類などの鉄道にまつわる各種部品を展示しており、なかなか目にすることができない貴重な品々を間近に見ることができます。第1展示室の2階はプラレール広場となっており、巨大なプラレールのジオラマが2セット展示されているほか、お子さんも遊べるように絨毯を広げたスペースも確保されています。

090604n1-9.jpg佐久間レールパークの閉園を惜しんで各種催しも開催されています。来園者へのポイントプレゼントや臨時列車〈佐久間レールパーク1号〉記念乗車券配布、記念弁当の販売、記念台紙付き入場券の販売、スタンプラリーの開催、子ども制服記念撮影会などが行なわれております(詳細はこちら)。また、〈佐久間レールパーク号〉に使用するヘッドマークデザインの公募も新たに始まっています(詳細はこちら)。
▲豊橋駅で限定販売されている記念弁当。大人向け(左/「佐久間レールパークべんとう」800円)と子ども向け(右/「佐久間レールパーク寿司べんとう」550円・いずれも価格は税込)の2種類がある。'09.6.2 P:RM(小野雄一郎)
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▲現在とは微妙に山容の異なる武甲山をバックにずらりと並んだ機関車+緩急車の列。手前からデキ104、ヨ18、ED38 1、ワフ32、国鉄ワフ、国鉄ヨの順。'79.3.31 秩父
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昨日は現役のヲキフをはじめ、三峰口の秩父鉄道車輌公園で保存展示されているワフやヨをご紹介いたしましたが、今日はその補遺編として30年ほど前の秩父鉄道の緩急車の姿をいくつかご紹介してみましょう。

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▲秩父駅構内に留置中のワフ43。古めかしい9t積木造有蓋緩急車で、出自は大正中期の天野工場製とされる。画面左奥に見えるデキ202はのちに三岐鉄道へと転じる。'79.3.31 秩父
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時は1979(昭和54)年春。まだ三ヶ尻線(武川-熊谷貨物ターミナル間)が開業する前で、セメント関連輸送も鉱石輸送のみならずスム車を使った袋詰め輸送が行なわれていた時代です。もちろん武甲線(影森-武甲間)や影森以遠の車扱い貨物も健在で、それだけ緩急車の需要もあったわけです。

090603chichibu008.jpgこの時点で在籍していた緩急車・車掌車はヲキフ100形、ワフ30形、ワフ40形、ヨ10形の4形式。スム車改造のワフ50形はまだ誕生しておらず、有蓋緩急車は阪和電気鉄道出身の鋼製有蓋車を種車とするワフ30形と、大正生まれの木造ワフ40形の2形式だけでした。両車ともに走り装置は前時代的なシュー式で、ことに側面はおろか妻面にも筋交いが目立つワフ40形は、私鉄最大の貨物輸送量を誇る秩父鉄道にあって少々場違いな印象さえ受けたものです。
▲真横から見るとその“珍車”ぶりがひときわ目立つヨ10形18号。台車中心間距離も異様に短い。'79.3.31 秩父
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▲7t積の鋼製有蓋緩急車ワフ30形32号。出自は阪和電気鉄道からの国鉄買収貨車ワ21600形で、有蓋貨車ワ150形としてしばらく使用されたのちに緩急車化された。左側は“同郷”のED38。'79.3.31 秩父
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もっとも、当時はまだ生え抜きのデキ1形5輌や阪和電気鉄道の生き残りED38形3輌も現役だったわけですから、あながちワフ40形のみが時代的に浮いていたわけではないかも知れません。“小型”と称されたデキ1の牽く普通貨物列車の最後部にちょこんと付いたワフの姿は、重厚な20輌編成のヲキ列車とはまた違った魅力でした。

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▲ヲキフ100形130号(川重製)。35t積ホッパ緩急車であるヲキ100形は1956(昭和31)年から37輌が新製された。現在車籍を有するのは1966(昭和41)年以降の増備車13輌。'09.5.2
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かつて貨物列車といえば最後部に緩急車が連結されているのが当たり前でした。しかもその緩急車たるや実にバラエティーに富んでおり、次の列車にはどんな形式が付いてくるだろうとわくわくして待ったものでした。もちろん模型の世界では今もって根強い人気がありますが、実物の方は1985(昭和60)年3月の国鉄ダイヤ改正以降、原則として緩急車の連結が省略されるようになってしまい、最後部にときめく楽しみも失せてしまいました。

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▲台車はTR41Cを履く。台枠中央部の積空標記の横の札差しが編成番号で、基本的にはヲキ9輌+ヲキフ1輌の10輌で編成を組む。この130号の場合は第11編成となる。'09.5.2
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国鉄のみならず、ワフやトフといった個性豊かな面々が揃っていた私鉄からも緩急車の姿は消え、そのうちに貨物列車そのものの姿も歴史の彼方へと去っていってしまいました。そんな中、嬉しいことにいまだに緩急車の姿を日常的に目にできるのが秩父鉄道です。これまでにも幾度となくご紹介(アーカイブ「秩父鉄道に鉱石列車を訪ねる」「ふたたび秩父鉄道へ」参照)しているように、秩父鉄道では秩父太平洋セメント三ノ輪鉱山からの鉱石輸送列車にヲキ+ヲキフ編成を運用しています。残念ながら20年ほど前から車掌は乗務しなくなってしまいましたが、三ノ輪鉱山への影森構外側線(アーカイブ「影森、魔境の残り香」参照)での入換え作業の便もあって、いまだにヲキフ100形が現役として働いています。

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▲車体長半分にも満たない緩急室の奇妙な形態のヨ10形15号。9輌が東横車輌の改造により誕生したが、1988(昭和63)年に用途廃止となり、現在はこの15号が三峰口に残されているのみ。'09.5.2
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090602IMGP0645.jpg秩父鉄道ではほかにも個性的な緩急車を見ることができます。現役ではありませんが、三峰口駅に隣接する鉄道車輌公園に保存されているヨ10形15号と、ワフ50形51号です。前者は現在運用されているヲキ100形より一代前のヲキ1形の台枠・台車を流用して誕生したもので、一見なにかの荷台かと見間違う無蓋部分は形式“ヨ”が示すとおりただのスケルトンフレームで、珍車の部類と言えましょう。
▲車体長が2軸ワフより短いにも関わらずボギーのヨ10形。スポーク車輪のアーチバー台車が時代を感じさせる。種車は1925(大正14)年汽車会社製のホッパ車。'09.5.2
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▲ワフ50形はワフ30形や40形の老朽化にともなって1979(昭和54)年に改造により誕生した形式。結局、8年ほど使用されただけで用途廃止となった。'09.5.2
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もう1輌のワフ50形51号は1979(昭和54)年12月にスム4000形を日本車輛で改造したもの。ヲキフ100やヨ10と比べると没個性的な有蓋緩急車ですが、こちらは公園開園時間であれば車掌室室内も公開されており、緩急車の乗務環境を後世に伝える貴重な保存車輌です。

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▲ワフ51の車掌室内。執務室中央には石油ストーブが備えられている。'09.5.2
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▲出入口側にはささやかな事務机が備わり、その上部には車掌弁が下がっている(左)。右はデッキ部の手ブレーキハンドル。'09.5.2
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デキ1形やED38が現役だった頃の秩父鉄道には、ED38と同じ阪和電気鉄道出身のワフ30形や木造のワフ40形なども健在で、列車後尾のそれらを見送るのも楽しみのひとつでした。貨物列車の最後部が、空のコキ車に付けられた円板だけという状況にいつまでたっても馴染めない身にとっては、秩父鉄道は最後の桃源郷なのかもしれません。

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今朝、先日の「叡電前“交叉点”は今…」に、佐野 徹さんから嬉しいお便りを頂戴しました。なんと日曜日にわざわざ「定点観測」をしてきてくれたというではないですか。以下、佐野さんのお便りをかいつまんでご紹介いたしましょう。
▲佐野さんが昨日わざわざ撮影してくださった定点観測。当然のことながらあの趣ある木橋は現代的な鉄橋に架け替えられている。'09.5.31 三宅八幡-八瀬比叡山口 P:佐野 徹
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▲もういちど“元写真”をお目に掛けよう。周囲の木立もそれほど繁茂しておらず、この当時は土手上をゆく電車が気持ちよく眺められた。'78.3.28 三宅八幡-八瀬遊園 P:名取紀之
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編集長が1978(昭和53)年3月28日に撮影されたうち、2枚の写真の(ほぼ)定点撮影を本日2009年5月31日にして参りましたのでご報告させていただきます。先ず1枚目の三宅八幡-八瀬遊園の木橋の横を通るデナ500形の写真ですが、木橋は鉄橋に架け替えられ、その位置もやや北寄りに移動しているようです。ただ、小踏切から橋へ下る道はそのままで当時の面影が残っていました。

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▲こちらは三宅八幡駅に進入してくる出町柳行き。画面左側の建物や架線柱は驚くほど変わっておらず、一番変わったのは車輌であろうか…。'09.5.31 三宅八幡 P:佐野 徹
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▲その“元写真”。実に31年の歳月を経て佐野さんの手によって定点観測をしていただいたわけで、撮影時には予想だにしていなかった展開。'78.3.28 三宅八幡 P:名取紀之
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次の2枚目の三宅八幡駅で撮影された写真ですが、踏切に警報機が設置され、三宅八幡宮の石碑は見えにくくなっています。写真右側奥の蔵のような建物は現在無く、アパート(?)が建っています。いっぽう、写真左側の建物に大きな変わりは無く、当時の面影が残っています。踏切の幅が昔より少し狭くなっているほか、階段の手すりも作り変えられています。当時の運転士さんの詰襟服が懐かしいですが、今は添付写真の通り女性運転士さんも活躍しておられます。

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▲高橋修さんがお父様のネガの中から探し出してくれた叡電前「交叉点」の写り込んでいる写真。先日の定点観測(→こちら)と比較すると、やはりビルは現在でもそのまま残されていることがわかる。'78.8 叡電前(元田中) P:高橋 弘
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佐野さんありがとうございます。まさか私のブログの写真を片手に定点観測写真を撮影しに行ってくださる方がおられるとは、驚きとともに感激です。かさねてお礼申し上げます。

kousaten02.jpgそしてこの叡電前「交叉点」のお話はまだ続きます。先日定点観測を試みてくださった高橋 修さんが、お父様・高橋 弘さんのネガを探して喫茶「交叉点」の写っている写真を見つけ出してくださったのです。時は市電廃止一ヶ月前の夏。このお話の発端となったあの京都特有の暑さの中、デナ21形2連が高らかにポールを掲げて平面交差を横切ってゆきます。そしてその画面右端にはあの喫茶「交叉点」が…。
▲その拡大写真。確かに喫茶「交叉点」の文字が読み取れる。ちなみに31年前、最後に入った時のオーダーは手帳によれば「イタリアンスパゲティセット」500円也。いったいどんなスパゲティだったのかは記憶にない。
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▲同地点で少しカメラを左に振ったカット。京都市電22系統との平面交差状態が良くわかる。'78.8 叡電前(元田中) P:高橋 弘
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なにげなく撮った一枚の写真が、歳月の中で醸成され、さらに「定点観測」によって新たな命を吹き込まれる…皆さんのおかげで、期せずして鉄道趣味の醍醐味を再認識できた展開となりました。あらためて佐野さん、高橋さんにはお礼申し上げたいと思います。

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