鉄道ホビダス

2009年4月アーカイブ

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▲第四球磨川橋梁をゆくKUMA-1・KUMA-2。「SL人吉」号とともに人吉・球磨地域の新しい観光の担い手として期待される。'09.4.1 P:桃根 医
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090430n001.jpg「SL人吉」号の運転開始を前にした4月1日、くま川鉄道(人吉~湯前間24.8㎞)に「自然博物館列車」と銘打たれたKUMA-1とKUMA-2がデビューしました。「お客様が鉄道利用に誇りを持てるような上質な車輌とし、列車でゆく球磨盆地の旅に磨きをかける」というコンセプトのもと、こちらも「SL人吉」と同様にドーンデザイン研究所を主宰される水戸岡鋭治さんがデザインを担当、内装には木材を使用して温かみのある空間を演出しています。
▲「くま」のロゴ。形式は種車のまま変更されていない。'09.4.1 P:桃根 医
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▲発車を待つKUMA-1・KUMA-2。一見同じように見える両車だが、内装がまったく異なる点も斬新。'09.4.1 P:桃根 医
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KUMA-1は“山地に抱かれた球磨盆地を行く鉄路。河畔から山地まで、あふれる緑と自然の魅力”をモチーフに、「沿線のみどり・球磨の自然」をテーマとしています。座席定員は32名で、座席配置はロングシートにより構成。球磨盆地や周辺の植物をアクリル封入標本で紹介するクリア・アートや、自然に関わる本や絵本を常備するミニ・ライブラリーが設けられています。

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▲KUMA-1の“紋章”は「椿」、KUMA-2は球磨地域の伝統玩具である「きじ馬」。'09.4.1 P:桃根 医
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一方のKUMA-2は“球磨川に沿って盆地をさかのぼる鉄路。沿線にはぐくまれた仏教文化や奥球磨の魅力”をモチーフに、「沿線の見どころ・球磨の観光」をテーマとしています。座席定員は47名。車内はボックスシートで構成され、木製のパーテーションやテーブルによって快適な乗り心地が演出されています。壁面にグラフィックボードを設置し、球磨盆地の仏教文化など奥球磨の魅力を写真やイラストなどで紹介している点も斬新な試みといえるでしょう。

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▲KUMA-1(上)とKUMA-2(下)の車内見付。(くま川鉄道パンフレットより)
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ちなみに2輌とも1989(平成元)年製造の在来車をリニューアル改造したもので、KUMA-1はKT-203、KUMA-2はKT-103を種車としています。元形式・番号の変更は行われておらず、KUMA-1・KUMA-2は車輌としてはあくまでも愛称名ということになります。

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▲1号車・KUMA-1の客室内(左)。トイレ部分の外周にはミニギャラリーが設けられている。'09.4.1 P:桃根 医
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▲クロスシートの2号車・KUMA-2の客室内。ベンチ席上部には展示ケースが設けられている。'09.4.1 P:桃根 医
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このKUMA-1・KUMA-2は金曜日、土曜日、日曜日、祝日に運転される「SL人吉」号に接続するダイヤが組まれており、人吉を核としたエクスカーション・トリップの担い手として期待されます。なお、指定料金等の特別料金は不要で、乗車券とは別に260円を支払うと自転車の持ち込みも可能だそうです。

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▲KUMA停車駅と運行時刻 (くま川鉄道パンフレットより)
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▲白石に到着した9261レ「SL人吉」号。3分ほどの停車時間を利用して軸発熱のチェックなど各部の点検が行われる。'09.4.18 白石
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肥薩線はかつての鹿児島本線で、1908(明治41)年6月1日にいわゆる“川線”区間=八代~人吉間が開通、続いて1909(明治42)年11月21日に“山線”区間=人吉~吉松間が開通したことによって全通、初めて門司(現門司港)~鹿児島間が鉄道によって結ばれることとなりました。しかもこの人吉~吉松間開通は、明治政府が国策として推し進めていた日本縦貫線(青森~鹿児島間)の全通(関門間は航路)をも意味しており、肥薩線がわが国の近代化に果たした役割は絶大なものだったのです。

090427n059.jpgそんな旧鹿児島本線=肥薩線ですから、沿線には今もって明治期の産業遺産が数多く見られます。以前の小ブログ「肥薩線視察記」(→こちら)では、「いさぶろう・しんぺい号」の名前の由来ともなった矢岳第一隧道(2096m)や、肥後石工の伝統技術でもある加久藤溶結凝灰岩を積み上げて建築された人吉機関庫(全長約51m×幅約16m/3線矩形庫)などをご紹介いたしましたが、のちにこれらは経済産業省の「近代化産業遺産」に認定され、さらに国土交通省の「九州遺産・近現代遺産編101」にも認定されています。
▲一勝地では10分の停車。必勝お守り記念入場券で知られる一勝地駅では、「SL人吉」の到着に合わせて歓迎イベントが繰り広げられた。'09.4.18 一勝地
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▲近代化産業遺産に認定された肥薩線には百年の歴史を刻んだ木造駅舎がいくつか見られる。“川線”の一勝地とここ白石も明治期の木造建築で、「SL人吉」の運転開始に合わせて再整備が施されている。'09.4.18 白石
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▲駅名標も周囲の環境に馴染んだアンチークなものに替えられている(左)。車内から眺める新緑の球磨川はまさに絶景(右)。'09.4.18 P:桃根 医
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鎌瀬-瀬戸石間の第一球磨川橋梁(205m)、那良口-渡間の第二球磨川橋梁(179m)も、あの余部橋梁と同じアメリカン・ブリッジ製のピントラス橋で、これら開業時の構造物を積極的に活用しようとする「SL人吉」の取り組みは、これからの鉄道保存にとってもひとつの指針となるに違いありません。2年前、熊本県球磨地域振興局のお招きで出席した肥薩線開通100周年記念事業意見交換会での提言が多少なりともお役に立てたとすれば嬉しい限りです。

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▲2号車のビュッフェカウンターには「SL人吉」に因んだ各種のオリジナルグッズが揃っている。まだ白紙の乗車記念ノートはこれからさまざまな思い出で埋められてゆくに違いない。'09.4.18 P:桃根 医
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▲乗車証明書は名刺サイズ。裏面に検札印のような乗車日付印が押される。'09.4.18 P:桃根 医
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▲アテンダントや人吉駅駅舎内(右)も「SL人吉」のアンチークなイメージに合わせたトータルデザインがなされている。'09.4.18
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▲人吉駅では「SL人吉」号の到着に合わせて盛大な歓迎セレモニーが行われた。'09.4.18
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▲運行開始に合わせて人吉駅では「駅前レトロ」と銘打った祝賀祭を開催。左は25日から運行を開始した人吉市内周遊バス、右は応援に駆けつけた山江村の「マロン号」。'09.4.18 P:桃根 医
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▲第一球磨川橋梁を3号車展望ラウンジから見る。1908(明治41)年竣功のこのトラス橋を渡ると線路は球磨川の左岸へと移る。'09.4.18 鎌瀬ー瀬戸石 P:桃根 医
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ゴールデンウィーク、夏休みと「SL人吉」号は大人気となることでしょう。そして11月21日には、いよいよ肥薩線開通100周年の記念すべき日が巡ってまいります。

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▲「SL人吉」号運転予定カレンダー。夏休み期間は火曜日を除いて連日の運転が予定されている。(JR九州プレスリリースより)

■9261列車運転時刻
熊本9:41→(熊本操9:44)→(川尻9:49)→(宇土9:55)→(松橋10:00)→(小川10:06)→有佐10:13-10:17(2番)→(千丁10:23)→新八代10:26-10:26→八代10:32-10:40(4番)→(段10:47)→坂本10:56-10:56→(葉木11:02)→(鎌瀬11:05)→(瀬戸石11:10)→(海路11:15)→(吉尾11:19)→白石11:23-11:26→(球泉洞11:35)→一勝地11:42-11:52→(那良口11:56)→渡12:01-12:02→(西人吉12:08)→人吉12:13(1番)
※( )内は通過。ただし有佐は37M退避のための運転停車。

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▲まさに山笑う季節…新緑が目に眩しい球磨川に沿って「SL人吉」号がゆく。哀愁を帯びた3室の汽笛の音が、100年の歴史を刻んだ風景によくマッチしている。'09.4.18
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9時41分、定刻に熊本駅を出た試乗列車は、8620や9600など大正期の蒸機ならではの3室の汽笛の音を響かせて鹿児島本線を南下します。煉瓦積みの大矩形庫で知られ、かつては大型蒸機がたむろしていた熊本機関区は跡形もなく、九州新幹線高架工事の真っ最中。「SL人吉」号がゆく本線脇でも新幹線工事がまさに最終段階を迎えています。

090427n055.jpgさすがに本線内とあって、齢87歳を迎える老機関車も精一杯の速度で走ります。それもそのはず、後ろからは熊本を19分後に発車した俊足の37M「リレーつばめ37号」が追ってきているのです(有佐で通過退避)。かつての「SLあそBOY」の場合は熊本から豊肥本線にそのまま入っていけたわけですが、「SL人吉」では熊本~八代間35.7㎞を“本線走行”せねばならないのです。
▲日本三急流に数えられる球磨川ながら、下流域では穏やかな表情を見せる。'09.4.18 熊本
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▲「SL人吉」号の誕生によって肥薩線、鹿児島本線、そして豊肥本線をネットする観光列車網が構築されたことになる。そして時を同じくしてくま川鉄道でもリニューアル車輌が運転を開始している。(JR九州パンフレットより)
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八代10時32分着。ここからいよいよ肥薩線へと入るわけですが、発車は10時40分で8分間の停車となり、ホームでは暫しの記念撮影大会が繰り広げられていました。「SL人吉」号には女性アテンダントが乗務しており、こういった停車時間を利用しては家族向けの記念撮影のサポートを甲斐甲斐しくこなしています。車窓ガイドや沿線の名産品案内などのアナウンスとともに、乗って良かったと思える演出がそこかしこになされているのが印象的でした。

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▲車内には子ども用制服に乗車記念撮影用ボードなど、ファミリー向けのさまざまな趣向も用意されている。'09.4.18 八代
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肥薩線内に入ると線路は球磨川右岸に張り付くように上流を目指します。最小曲線半径はR260、坂本を出ると勾配も10.0‰となり、鹿児島本線内ではほとんど響かなかったブラスト音も、車内ではっきり聞きとれるほどとなってきます。

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▲水戸岡鋭治さんプロデュースによる3輌の客車。どの号車(上から1・2・3号車)も見所がいっぱい。(JR九州提供)
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▲客車側面のロゴ各種。金色のライニングを施されたロゴが目をひく。'09.4.18 熊本
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うかがったところでは、「SL人吉」号に乗務するのは熊本運輸センターの5人の機関士の方と4名の機関助士の方たちだそうで、各種機器に改良が施されてはいるものの、チェーンによる手動式開閉の焚口戸など、いかんせん基本は大正時代の8620形、片道2時間半におよぶ運転には昔ながらの乗務員同士の“阿吽の呼吸”が不可欠だと言います。

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▲立派なヘッドマークを掲げた58654号機。前照灯こそLP403ながら、AC6425図によるローマン書体のナンバープレートに、いわゆるK-7タイプの切取式除煙板と実に魅力的な表情。'09.4.18 一勝地
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ちなみに使用している石炭はいろいろと試用を重ねた結果、インドネシア産の8000kcalクラスを使っているとのことで、車内から見ている限りでは、力行中も実に綺麗な煙がたなびいていました。

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▲熊本駅で報道陣に囲まれる「SL人吉」号試乗列車。熊本駅自体、さ来年の新幹線開業を前に大きく生まれ変わろうとしている。'09.4.18 熊本
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蒸気機関車ファンのみならず注目を集めている「SL人吉」号が、先週土曜日(4月25日)、いよいよ営業運転を開始いたしました。それに先立つ一週間前、4月18日(土曜日)に報道関係者の試乗会が行なわれ、私も2年ぶりに肥薩線を訪れましたので、その様子を紹介してみることにいたしましょう。

090427n069.jpg3年前の2005(平成17)年8月28日に、17年間にわたった「SLあそBOY」の仕業を引退し、火を落とした58654号機は、1922(大正11)年製とJR線上を走る現役蒸気機関車としては最古参。しかも走り装置の基本となる主台枠に大きな問題を生じてしまったとあって、誰もが二度と再び本線上を走ることはあるまいと思っていました。ところが、JR九州は2011年に迫った九州新幹線博多開業を前に再びの“復活”を決断、主台枠を日本車輌で新製するなどし、奇跡の再復活が現実のものとなったのです。
▲「SL人吉」号の発車は0Aホーム。A・B2線の0番線は頭端式ホームのため、「SL人吉」号は推進運転で入線する。'09.4.18 熊本
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▲「SL人吉」のトータルデザインを手掛けられたドーンデザイン研究所の水戸岡鋭治さん。木の香薫る内装に布地と本革のシートと、今回も独自の魅力溢れる空間をプロデュースされた。'09.4.18 熊本
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熊本駅“0A”ホームに推進でゆっくりと入線してきた「SL人吉」は、50系客車がベースながら、水戸岡鋭治さんのプロデュースによって見違えるようなアンチークな編成に変身。黒色に控えめなライニングを施された58654号機とあいまって、経済産業省の近代化産業遺産に認定された「100年レイル肥薩線」に相応しい列車となっています。

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▲化粧煙突には試運転時には装着されていなかった火の粉止めが追加された(左)。九州伝統の砲金製区名札も健在(右)。ただし「SLあそBOY」時代からなぜか少々小振り…。'09.4.18 熊本
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▲58654号機のキャブ内。水面計は修復作業を担当したサッパボイラによる新型のものに交換されている。'09.4.18 熊本
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▲キャブ後妻裾部に取り付けられた小倉工場の改造銘板(左)と、主台枠後端梁に取り付けられた日本車輌の銘板。機号が鋳込まれているのに注意。58654号機は日立製だが、日本車輌は今回、主台枠の新製を担当している。'09.4.18 熊本
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ダブルルーフを模した外観もさることながら、客車内に入るとその拘りにはとことん驚かされます。1号車(人吉方)と3号車(熊本方)車端にはそれぞれ異なった意匠を凝らした展望ラウンジが設けられており、パノラマ・ビューを楽しむことができます。また、各車の中央部にはショーケースが設けられ、九州の鉄道史を彩ったさまざまな蒸気機関車たちが1/80スケールの模型でディスプレーされているのも心憎い演出といえましょう。

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▲3号車(熊本方)の車内。各車とも車内中央部には間仕切りのようなショーケースが置かれ、中には九州ゆかりの機関車模型(1/80スケール)がディスプレーされている。'09.4.18 熊本
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▲2号車ビュッフェ部と客室との仕切りには暖簾が下がり、ショーケースには特産の各種焼酎が並ぶ(左)。3号車には蒸気機関車関係の雑誌・書籍を自由に見られる「ミニSLライブラリー」が設けられており、もちろん本誌も常備されている。'09.4.18 熊本
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中間車2号車には駅弁や名物・球磨焼酎、炭焼き馬刺し、焼酎アイスクリーム、さらには各種乗車記念グッズを販売するビュッフェも設けられています。3号車には自由に閲覧できる蒸気機関車関係の雑誌・書籍を集めた「ミニSLライブラリー」が設置されており、車内の壁面各所にさりげなく肥薩線100年の歴史を物語るアンチークな写真が額装されて飾られているなど、大きなものから小さなものまで、見れば見るほど“発見”のある魅力的な車内空間を演出しています。

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▲「SL人吉」号停車駅と運転時刻。(JR九州プレスリリースより)

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▲鹿児島本線を一路八代へと快走する「SL人吉」号の最後部展望ラウンジより。折りしも40M「リレーつばめ40号」がすれ違う。'09.4.18
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■これまでにご紹介した関連記事
「火を落とす58654」
「朗報! 58654が復活!」
「肥薩線視察記」
「生まれ変わる58654」
「58654号機が火入れ式」
「“SL人吉”号4月25日スタート」
「58654号機が試運転を開始」

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都電8800形営業運転開始。

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▲荒川車庫で並んだ8800形。今後、7500形を置き換える形で増備が進められることになる。'09.4.13 荒川車庫 P:RM(高橋一嘉)
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「先進性と快適性」をコンセプトとした都電荒川線の次世代新型電車8800形が完成、今日、4月26日から営業運転を開始しました。

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▲沿線に咲くバラをモチーフにした鮮やかなローズレッドとシルキーホワイトの、これまでにない塗色をとなった8800形。'09.4.13 荒川車庫 P:RM(高橋一嘉)
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ご存知の通り都電には2007年から9000形2輌が導入されていますが、9000形が“レトロ電車”という、いわば「特別仕様車」だったのに対し、8800形は8500形の後継車という位置付けであり、形式も8500形と9000形の間の8800形と名づけられています。

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▲車内の基本的なレイアウトは9000形を踏襲しているが、2段の高さの吊り手や表面を凸凹にした握り棒などユニバーサルデザインの考え方が採り入れられた。ロングシートの袖仕切りも乗客同士の接触を軽減するため大型化されている。'09.4.13 荒川車庫 P:RM(高橋一嘉)
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▲車イススペースと出口扉(左)。扉付近の床面と扉の先端部は黄色く着色されている。側窓は片面2ヶ所が上部引き違い式で開閉する。優先席のクロスシートは1輌に4箇所(右)。腰掛のモケットの柄は沿線に咲くバラがデザインされている。'09.4.13 荒川車庫 P:RM(高橋一嘉)
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3次曲面と直線を組みあせた車体デザインや、沿線に咲くバラをモチーフにしたローズレッドを大胆に配した塗色など、これまでの都電にはない外観に驚かされますが、車内もロングシート部の湾曲した握り棒や高低2段の高さの吊り手、側扉の開閉予告灯など、近年の通勤電車と同様、ユニバーサルデザインの考え方が採り入れられています。また、これまではLED式だった車内の案内表示器は15インチ2画面のカラー液晶式となり、行先・次駅表示と乗り換え案内が別々に行われるようになりました。特に乗り換え駅の多い荒川線では便利なものでしょう。

8800n08.jpgこの8800形は4月26日から2輌が営業運転を開始し、今後、7500形の置き換え用として順次導入が進められることになります。ちなみに8800形の導入に合わせ、5月31日までの間、この2輌が消費する運行電力(12,000kWh)に東京都下水道局森ヶ崎水再生センターのバイオマス発電によるグリーン電力が使用されるとのことで、8800形にはグリーン電力の利用を表記したグリーンパワーマークが掲出されます。これによりCO2削減にも貢献するとのことです。
▲今回から装備された15インチ2画面の液晶表示器。現在位置、次駅表示、乗り換え案内などを表示する。'09.4.13 荒川車庫 P:RM(高橋一嘉)
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▲運転台は従来通り、左手マスコン、右手ブレーキの2ハンドルタイプ。'09.4.13 荒川車庫 P:RM(高橋一嘉)
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▲グリーン電力での運行を示す「グリーンパワーマーク」(左)。これにより5,100kgの二酸化炭素排出が削減されるとのこと。車輌性能は9000形から踏襲しており、台車も9000形と同じ住友金属製FS91Bを履く(右)。'09.4.13 荒川車庫 P:RM(高橋一嘉)
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なお、東京都交通局ではこの新型車輌8800形の5月6日(水・祝)までの運行計画を発表しています。
■運行予定時刻
○平日:4月27日、28日、30日、5月1日 ※2輌使用
荒川車庫前 7:47→大塚駅前 8:07、大塚駅前 8:10→町屋駅前 8:45、町屋駅前 8:48→荒川車庫前 9:02、荒川車庫前 7:50→町屋駅前 8:05、町屋駅前 8:08→大塚駅前 8:42、大塚駅前 8:45→荒川車庫前 9:05
○土曜日:5月2日 ※1輌使用
荒川車庫前 7:40→大塚駅前 8:00、大塚駅前 8:04→町屋駅前 8:38、町屋駅前 8:42→荒川車庫前 8:55
○休日:4月29日、5月3日、4日、5日、6日 ※2輌使用
荒川車庫前 6:45→ 早稲田 7:17、早稲田 7:23→荒川車庫前 7:56、荒川車庫前 6:50→三ノ輪橋 7:10、三ノ輪橋 7:17→荒川車庫前 7:38

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▲京都市電といえば思い起こされるのが祇園祭との関わり。山鉾巡航の際には架線が撤去されるなど、古都ならではの伝統が息づいていた。 (『京都市電 最後の日々』上巻より)
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RMライブラリーの今月と来月は高橋 弘さん、高橋 修さんによる『京都市電 最後の日々』を上下巻にわたってお届けします。最後まで残った外周環状線と東山七条から京都駅までの区間が廃止されたのが1978(昭和53)年9月30日ですから、今年は京都の街並みから市電が消えて31年目ということになります。

RML117hi.jpg改めて申し上げるまでもないでしょうが、日本最初の電気鉄道である“京電”こと京都電気鉄道が開業したのは1895(明治28)のこと。1067mm軌間の京電は市内へ路線を延ばしてゆきますが、1912(明治45)年には競合する市営の路面電車が1435mm軌間で開業し、市内には3線区間も出現しました。結局、京電は1918(大正7)年に市に買収となり、ほとんどの路線は1435mm軌間に改軌されましたが、この時、唯一1067mm軌間で残ったのが「N電」こと北野線でした。このN電についてはすでにRMライブラリーの第33巻『N電 京都市電北野線』で、今はなき吉川文夫さんと今回の著者でもある高橋 弘さんの共著により縦横無尽にご紹介しておりますが、市電ネットワークの大勢を構成する標準軌路線についてまとまってご紹介できるのは初めてです。

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▲烏丸三条の元第一銀行京都店前をゆく1800形。寺社仏閣ばかりでなく、各時代を象徴する歴史的建造物との出会いも京都市電の大きな魅力だった。 (『京都市電 最後の日々』上巻より)
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本書はN電廃止後の標準軌各線の姿を写真を中心にご紹介するもので、上巻では日本最初の電気鉄道をルーツとする伏見・稲荷線、祇園から四条大宮まで京都の中心街を東西に貫く四条線、東寺を望む大宮線、市交通局の本部である壬生車庫を持つ千本線、そして京都のメインストリートを走る烏丸線の各線を収録するとともに、N電、トロリーバス、連結運転と急行運転の3編のコラムも掲載しています。

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▲伏見線は酒処を巡る路線でもあった。建ち並ぶ酒蔵を縫うように伏見線は急曲線が多く、かつては小型車しか入線できなかったという。 (『京都市電 最後の日々』上巻より)
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▲京阪特急の電飾看板がきらめく新京極の夜。艶やかな京都の夜にも市電が似合っていた。 (『京都市電 最後の日々』上巻より)
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写真のほとんどは高橋 弘さんの情感あふれるオリジナルプリントを使用し、解説はご子息の修さんが執筆されています。30~40年前の京都の街並みとともに、あの懐かしい市電に会えるトロリーファン必見の一冊、第33巻『N電 京都市電北野線』とともにぜひお手許にお揃えください。

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▲総武本線で試運転に臨む新「成田エクスプレス」E259系12連。'09.4.23 西船橋─船橋 P:亀井 明
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259n000.jpg昨日にひき続き、新しい「成田エクスプレス」E259系の試運転の様子をご紹介してみましょう。昨日行なわれた試運転は、東急車輛を出場して逗子から横須賀線に入り、蛇窪、目黒川経由で東京地下駅へ、さらに総武本線で津田沼まで。津田沼~東京間でさらに1往復試運転を行なったのち、往路と逆コースで所属区所となる鎌倉車両センター(大船)へという行路でした。
▲N’EXのロゴは253系のものを踏襲している。'09.4.23 逗子 P:RM(青柳 明)

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▲クハE258-1(左)とクロE259-2(右)との連結面。ホロ構造がわかる。'09.4.23 逗子 P:RM(青柳 明)
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▲連結部には車体間ダンパ(左)と車端ダンパ(右)が備えられている。'09.4.23 逗子 P:RM(青柳 明)
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編成は昨日お伝えしたように、成田空港方からクロE259-1+モハE259-501+モハE258-501+モハE259-1+モハE258-1+クハE258-1(以上6輌が鎌倉車両センターNE001編成)/クロE259-2+モハE259-502+モハE258-502+モハE259-2+モハE258-2+クハE258-2(以上6輌が鎌倉車両センターNE002編成)となっています。

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▲クハE258形(横浜方先頭車)の屋根上(左)と2基のパンタグラフが備わるモハE259形500番代車の屋根上(右)。'09.4.23 逗子 P:RM(青柳 明)
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▲成田空港方先頭車クロE259形の屋根上。'09.4.23 逗子 P:RM(青柳 明)
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▲モハE259形のパンタグラフまわり。'09.4.23 逗子 P:RM(青柳 明)
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▲動台車DT77(左)と付随台車TR262A(右)。'09.4.23 逗子 P:RM(青柳 明)
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▲モハE258形床下の空調装置(左)とモハE259形床下のVVVF制御装置。'09.4.23 逗子 P:RM(青柳 明)
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詳しくは後日本誌誌上でもお伝えできると思いますが、今日は外観上気になるディテールをお見せしたいと思います。なお、このE259系試運転の様子は「今日の一枚 The Movie」で動画(下記参照)がご覧いただけますので、ぜひご視聴ください。

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▲画面をクリックすると「今日の一枚 The Movie」にとびます。さらに再生ボタンをクリックしてご覧ください。

E259系試運転開始。(上)

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▲253系成田エクスプレスと初めて顔を合わせた新鋭E259系。'09.4.23 総武本線津田沼 P:RM(新井 正)
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新東京国際空港(成田空港)アクセス特急として253系「成田エクスプレス」(N’EX)がデビューしてから今年で18年、2代目となる空港アクセス用特急車輌E259系がついに完成、本日、試運転を開始いたしました。今日と明日の2回に分けて、この注目の新車・E259系の最新画像をお目にかけることにしたいと思います。

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▲ボリューム感溢れる前頭部形状とN'EXのロゴ、それに縦型のライトケースが印象的なE259系。'09.4.23 総武本線市川 P:RM(新井 正)
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ブラックフィニッシュされたボリューム感のある貫通型前頭部に標された“N’EX”のロゴが目を引く車体はアルミニウム合金製、制御方式は当然ながらVVVFインバータ制御方式を採用。先代とはまったく異なったイメージを受けますが、側面幕板部の黒と肩部の赤は253系を踏襲しているように見受けられます。先頭車にはアクティブサスペンション(動揺防止装置)を装備するとともに、全車輌の車体間にダンパを設けて乗り心地の向上が図られているほか、床構造も改良して静粛性が高まっているそうです。

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▲総武本線で試運転に臨むE259系。'09.4.23 総武本線下総中山 P:岩片浩一さん(RMニュースより)
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先に発表されたリリースによれば、最高速度は130㎞/h。E233系と同様に、信頼性・安全性向上のため電気機器や保安装置など主要機器が二重系化されています。シートピッチも普通車1020㎜、グリーン車1160㎜に拡大、車椅子対応大型トイレや数ヶ国語による案内表示など、いわゆるユニバーサルデザインが全面的に採用され、また、荷物置場には盗難防止用の鍵が設置されるほか、出入口付近や荷物置場には防犯カメラが設けられ、より一層のセキュリティー向上が図られているそうです。

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▲東急車輛出場線で試運転を待つE259系第1編成6輌+第2編成6輌の12輌編成。'09.4.23 京浜急行電鉄神武寺 P:南 輝明さん(RMニュースより)
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新製輌数は4M2Tの6輌編成22本(合計132輌)。253系は増備車を入れて総輌数111輌でしたので、253系を20輌以上上回る一大勢力となるはずです。
■本日の試運転編成
←成田空港 クロE259-1+モハE259-501+モハE258-501+モハE259-1+モハE258-1+クハE258-1(クラNE001編成)/クロE259-2+モハE259-502+モハE258-502+モハE259-2+モハE258-2+クハE258-2(クラNE002編成)→横浜

■お詫び
2009年4月21日(火)16時03分、弊社運営の複数のWEBサイトにおいて、外部からの不正アクセスによりページの改竄が行われている事態が判明いたしました。ただちにサイトを閉鎖して該当するファイルを掌握、不正アクセスによるページ改竄の対応を図りましたが、このため小ブログも閲覧できない状態となりました。心よりお詫び申し上げます。
 (詳しくは→こちらをご覧ください)
※なお、ユーザーブログ及びショッピングモールなどのサービスへの影響はございません。また、当社運営サイトからのお客様の個人情報の流出などもございません。

遙かなり梅隆鉄路。(7)

■お詫び
2009年4月21日(火)16時03分、弊社運営の複数のWEBサイトにおいて、外部からの不正アクセスによりページの改竄が行われている事態が判明いたしました。ただちにサイトを閉鎖して該当するファイルを掌握、不正アクセスによるページ改竄の対応を図りましたが、このため小ブログも閲覧できない状態となりました。心よりお詫び申し上げます。
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▲小さなガソリン機関車に牽かれて快走する興寧支線の列車。無蓋貨車改造の代用客車とオープンデッキの硬座車は満員。'95.3.19 龍田ー興寧
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二砿への添乗ののち、西埔を後に車輌工場があると聞く西埔-龍川(老隆鎮)間の中間駅・合水(HESHUI)へと向かうことにします。合水は梅隆鉄路訪問の最大の目的でもある興寧(XINGNING)支線のジャンクションでもあり、また梅隆鉄路そのもののヘッドオフィスも置かれていると聞きます。

090418fig西埔から悪路に苦戦しながらようやく合水に着いたのはすでに夕方近くなっていました。合水工場は道路から外れた、何でこんなところに…と思うような辺鄙な場所に位置しており、ひたすら広い構内には、紅衛1形の車体やら、C2のものと同形と思われるショート・テンダーなどが転がっていました。しかしそのわりに可動状態にあるのはロッド式のC型DL(石家庄動力機械廠製NJ150形)だけで、工場そのものも休止状態のようです。

090416n003あらためて話を聞いてみると、3月から西埔-龍川(老隆鎮)間の運転を取りやめたことから、この工場も稼動していないとのこと。どうもいやな予感がして、急かすように例の二重通訳(?)経由で興寧支線の運行状況を確かめると「2月から動いていない」と言うではないですか。万事休す。最大の目的であった興寧支線が動いていないとあっては、残りの日程をどうすればよいのでしょうか…。
▲興寧支線は龍田の町を併用軌道で抜けるが、一見すると廃線跡のように荒廃している。'95.3.19 龍田
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今日の宿は興寧の街中。ちなみに興寧(XINGNING)の町は近隣では梅県に伍するほど大きく、たいへんな賑わいぶりです。梅隆鉄路興寧支線の終点・興寧駅はその町の入口、高層アパートの建ち並ぶ一角にありました。落胆しつつも駅周辺で聞き込みをしてみると、どうも人によって言うことが違います。「列車はもう来ないよ」と言う人、「今日はこないけど、明日は来る」という人…等々、なんとも要領を得ません。しかし構内のレールの踏面をつぶさに見てみると、何らかの車輌が出入りした痕跡が見てとれます。一縷の望みを明日に賭け、今日のところは名物と聞く狗(犬)鍋を食べにゆくことにします。

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▲龍田駅には駅名標どころかなんの目印もない。線路上に縁台を出していた商店が、おもむろに縁台を下げると彼方にGLの牽く興寧行きが姿を現した。'95.3.19 龍田 

翌早朝、はやる気持ちを押さえつつ、ホテルから歩いて興寧駅へ様子を見に行きますが、残念、構内には列車の姿どころかなんの変化もなく、まさに廃駅の風情。ともかくもう一度合水へ戻ろうとクルマを出してもらうことにしました。

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▲派手なアイドリング音とともに列車が停車すると、次々とお客が乗り込んでゆく。集金は運転士と助手が行っていたが、乗車券のようなものはなく現金の受け取りだけ。'95.3.19 龍田

興寧-合水間には龍田という小さな町があり、軌道はこの街中を半分併用軌道となって抜けています。商店の縁台が軌道上にまではみ出してしまっており、これでは列車が通れるはずもありません。いったいいつから列車は来ないのか、この商店主なら知っているだろうと尋ねてみると、「興寧行きは9時に来るよ」と言うではないですか! しかもこの場所が龍田駅で、列車はここに停まると教えてくれました。

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▲小さな列車は結構な乗車率。オープンデッキの硬座車YZ2616の後部デッキにも乗客が溢れている。'95.3.19 龍田 P:水野克成

どこからともなく三々五々お客が集まりはじめ、商店主はやおら縁台を軌道上から撤去…すると彼方から乾いたエンジン音とともに、小さなガソリン機関車に牽かれた列車が姿を現したのです。

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▲会場は東京・銀座の中心。辺りの喧騒が嘘のような静かなギャラリーで、ゆっくりと作品を鑑賞することができる。

連載でお送りしている「遙かなり梅隆鉄路」はいよいよ佳境となってまいりますが、ちょっとお休みして昨日から始まった河田耕一さんの作品展「鉄道の風景を描く」-北から南まで-をご紹介いたしましょう。

090416n052.jpg河田耕一さんといえば、名著『シーナリィ・ガイド』(機芸出版社)の著者としてご記憶の方も多いのではないでしょうか。国鉄幹線の駅構内配置から軽便鉄道の沿線風景まで、モデラーの目線で克明に記録された写真と味わい深いフリーハンドの図の数々は、レイアウトを志向する者のみならず、広くファンの共感を呼びました。私が『RM MODELS』月刊化にあわせて始めた『模「景」を歩く』も、なにを隠そう、河田さんの『シーナリィ・ガイド』に“実測”というエッセンスを加えたものでした。
▲最新作「地底を巡る」(横浜高速鉄道/2008年)を前にした河田耕一さん。『シーナリィ・ガイド』の時代から、駅間でのいわゆる列車写真はほとんど撮らず、駅とその周辺に拘り続けてこられたという。
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現在は四国にお住まいのその河田さんが、東京・銀座のギャラリーで作品展を開催すると聞き、会期を心待ちにしておりました。今回の作品展は、1953(昭和28)年から2008(平成20)年までの各時代の、列車、駅、機関区、そして沿線、旅客、鉄道員が織りなす鉄道のさまざまな場面を描いた風景画40点により構成されています。

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▲「入換作業」(相模線寒川/1964年)と、「牧場の朝」(浜中町営軌道秩父内/1966)。ともに『シーナリィ・ガイド』時代の古き佳き情景。
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事前にお送りいただいたポストカードの絵柄が、山手線渋谷駅を出るE231系だったのには、正直なところ少々驚かされましたが、展示作品を拝見して改めて河田さんの思いに気づかされました。北から順に展示された作品は、昭和20年代の風景から最新作のみなとみらい駅まで新旧とり混ぜて並べられていますが、河田さんは時空を超えてどの時代の鉄道にも魅力を感じておられ、それを分け隔てなく表現されようとしておられるのです。昨年作の東京駅新幹線ホームを描いた作品の解説文には「16両編成の高速列車が2、3分おきに発着する鉄道風景は世界一壮観だ」と記されており、河田さん=『シーナリィ・ガイド』=枯れた昔の鉄道情景と勝手にイメージを創ってしまっていた自分を恥じ入るばかりです。

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▲「駅裏の夕暮れ」(和歌山線御所/1957年)と、対照的な「ときを追う」(阪神電鉄梅田/2008年)。河田さんのお話では、写真ではとかく邪魔な電柱などが、絵画の場合は大きな効果を生むという。
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お伺いしたところでは、このような形で作品をお描きになり始めたのは、表装を手掛けておられる奥様の勧めもあって2年ほど前からのこと。撮りためた写真をベースにミリペンでデッサンを描き、油性パステルや水彩絵の具で仕上げを施されているそうです。どの作品も絵画としての素晴らしさはもちろんながら、モデラーとしての細部への拘りは驚異的で、たとえば「信号所のある風景」(1953年鳥栖)では、目をこらして見ると遠方の線路のディテクターバー(分岐器鎖錠装置)までが正確に描き込まれています。

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▲会場では額装レプリカや特製ポストカードブックなども販売されている。

「これは二次元レイアウトなんです」とおっしゃる河田さん。まさに模型のレイアウトの三次元に対して、二次元のレイアウトに違いありません。なお、この作品展は月曜日まで。あと数日ですが、会期中は河田さんご本人も会場におられるそうですので、週末はぜひ足を運んでみられては如何でしょうか。
■会期:2009(平成21)年4月15日(水)~4月20日(月)
■時間:11:00~19:00(最終日は17:30まで)
■会場:ミレージャギャラリー(※入場無料)
     〒104-0061 東京都中央区銀座2-10-5 オオイビル4F 

■アクセス
 東京メトロ有楽町線銀座1丁目駅11番出口より徒歩1分。出口すぐのホテルモントレー角を右折した南隣りオオイビル4F。
 JR有楽町駅京橋口より徒歩10分
■問合先:ミレージャギャラリー TEL:03-6303-8844  http://www.mireyagallery.com

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※明日から出張のため、小ブログは20日(月曜日)まで休載とさせていただきます。あしからずご了承ください。

遙かなり梅隆鉄路。(6)

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▲西埔から二砿へは急勾配と急曲線が続く。途中、道路を跨ぐ大橋梁がこの専用線のハイライト。谷間に盛大なブラスト音を響かせてC4が喘ぐ。'95.3.18 西埔-二砿 P:水野克成

梅県~西埔間の本線混合列車仕業は紅衛1形DL、西埔~龍川(老隆)間は運休とあっては、このままではC4が活躍する姿を目にすることができません。機務段に尋ねると、しばらく後に二砿へ上がる列車が出るとのこと。これは好都合とこの二砿へ空車を上げる7216号機を狙うことにします。

09415n025西埔駅の北側には大規模な専用線が2本のびており、手前が炭礦へ、奥が鉄鉱石鉱山へと続いています。列車はこの炭礦線の二砿へと上るのですが、聞き込んだところではどうも並行道路がないようです。これでは先回りして撮影どころの話ではなく、急遽方針転換、終点の二砿まで貨物列車に乗せていってもらうことにしました。空車のゴンドラを見ると二砿近辺の住民らしき人の姿もちらほら。どうやらこの専用線貨物列車も便宜的に沿線住民の足となっているようです。
▲二砿は緩やかな山の斜面に広がる大規模な炭礦。'95.3.18 二砿
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▲盈車の列を牽いて西埔へと戻る列車。大きな曲線を描くこの橋梁はかなりの高度もある。'95.3.18 二砿-西埔
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どうせ無蓋貨車に乗るのだったらと、私は機関車のキャブに添乗させてもらうことにしました。ナローだけに決して広くないキャブには機関士、機関助士、石炭かき寄せ要員、砂撒き要員とすでに4人もが乗り込んでいますので、そこにカメラを手にした余計な輩が入るとほとんど満員状態です。

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▲空転につぐ空転…道半ばにして列車はついにスタックしてしまった。キャブから身を乗り出しているのは私。'95.3.18 西埔-二砿 P:水野克成

090415n051.jpgC4の運転台は右側。空車だけに軽々と西埔駅構内を出た7216号機ですが、専用線に入ると途端に速度が落ちはじめ、身震いするような力闘が始まります。何パーミルなのかは定かではありませんが、25‰程度はありそうな急勾配と急曲線、それにウェットなレール踏面と悪条件が重なり、先行きが案じられます。
▲C4のキャブ内。右側運転台である。逆転ハンドルはえらく小さな回転式のもの。'95.3.18 西埔 P:水野克成
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090415n028ところがキャブ内はさほどの緊張感は感じられず和気藹々(?)。そのうちに機関車全体が身震いするような振動とともに大空転。「SL甲組」なら機関士は事前に空転を察知すべく全身全霊を傾け、片手は加減弁ハンドル、片手は砂ハンドルに、助士は火床の荒れを最小限に食い止めるため、瞬時に焚口扉を開けるべくハンドルに手を掛け…といったところでしょうが、このC4の場合滑りっぱなし、加減弁を閉めようとさえしません。「早く閉めないと火床が! 砂、砂…」などと心の中で焦っているのは異邦人の私だけで、結局いつの間にか粘着を回復、助士は火床の状態を確認するでもなく、何事もなかったかのように再び列車は走りはじめました。
▲砂撒管も詰まり、ついに助士が砂撒きにキャブを降りる。'95.3.18 西埔-二砿 P:水野克成
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▲スタックした機関車の前のレール踏面に手作業で砂を撒いてゆく。空車とはいえ自重6.5tのゴンドラを10輌以上連ねているだけに、C4にとっては苦難の道が続く。'95.3.18 西埔-二砿
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▲再びアドヒージョンを回復して二砿へと登り始めた列車。ゴンドラに添乗している人たちはシンダの雨に傘をさしている。'95.3.18 西埔-二砿 P:水野克成
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▲巨大なホッパー・ビンが聳える二砿へと到着。二砿駅構内には広大な貯炭設備が広がっていた。'95.3.18 西埔-二砿 P:水野克成
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ところがそれ見たことか(!)、ド、ド、ドドッ…とその後も何度かの大空転を繰り返したのち、ついににっちもさっちもゆかなくなって7216号機はスタック。どうやら砂撒管が詰まってしまい、砂が出ていないようです。助士がスパナを持ってランボードに上り、ガンガンと砂撒管を叩くものの復旧せず。最終的には機関士以外の全員がキャブを降りて砂を撒くはめとなってしまいました。

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▲隣にあった三砿正門(左)。なかなか凝った意匠だ。右はその構内で見かけた架空線式電気機関車。こちらはかなりの年代物に見受けられた。'95.3.18 三砿
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▲選炭ポケットにゴンドラを入れ、ようやく編成から解放された7216号機。積み込みが終わると、今度はさきほどの急坂を盈車を従えて西埔へと降りねばならない。'95.3.18 二砿
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シンダで体中ざらざらになりながらようやく二砿に到着。中国での蒸気機関車添乗経験は何度かありますが、それにしてもなかなか強烈な運転方法ではありました。

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遙かなり梅隆鉄路。(5)

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▲梅隆鉄路の主力硬座車YZ20形2605。自重13.5t、載重7.5t。妻面には「広東梅隆鉄路」銘の検査標記が記されている。'95.3.18 西埔
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梅隆鉄路は2フィート6インチ(762㎜)軌間の地方鉄路としては路線延長も長く、そのためか、車輌、運転、保安等すべてが鉄路局に順じた本格的なシステムとなっていました。機関車のみならず被牽引車輌も“本線”同様に形式番号がふられ、それぞれに自重・荷重・換算と検査標記が入れられているのはご立派です。

090413n032本線列車に充当される客車はもちろん硬座車で、記号は鉄路局本線と同様のYZ。車体標記はYZ20 26XXとなっていますからYZ20形と思われますが、窄軌(ナローゲージ)客貨車の形式称号の実態はほとんど知られておらず、推測の域を出ません。いずれにせよTR47を思わせる本格的な台車を履くこの客車は、本線用客車をダウンサイジングしたような立派なものです。
▲硬座車YZ20形の客室内。木製の椅子が並び、意外と小ざっぱりしている。'95.3.18 西埔 P:水野克成
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▲ほとんど有蓋貨車にしか見えない代用客車CP15008。いったいこのような代用客車が何輌あるのかはわからなかったが、休車となって留置されている一般客車も見受けられ、なぜわざわざ代用客車を仕立てる必要があるのかも不明。'95.3.18 西埔 P:水野克成

それに対して驚かされたのがステンシルで「代用座車」と標記された有蓋車です。梅県~西埔間の定期混合列車には3輌のYZ20形が組み込まれていましたが、そこに継ぎ足しのように連結されていたのがこの「代用座車」。列車が停車して乗客がばらばらと降りてくるまでは“客車”とは思いもしませんでした。

090413n031CP15008(鉄路局標記に従えばCは無蓋車、Pは有蓋車の意か…)と標記のあるこの代用客車、トラディショナルなアーチバートラックを履いた鉄側有蓋車に申し訳程度の窓を設けたもので、重そうな外吊式の側扉もそのままです。車内にはさながら公園のベンチのような椅子が設けられてはいるものの、正規の客車YZ20との格差は歴然。運賃が別設定となっているとも思えず、この代用客車に乗り合わせた方は不運以外のなにものでもありません。
▲その室内。木製のベンチシートがあるだけでほとんど貨車そのもの。窓も極端に少ない。'95.3.18 西埔 P:水野克成
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▲「代用座車」の標記がわかるCP15014。天気さえ良ければ無蓋車に乗ったほうがよほど楽かもしれない。'95.3.18 西埔 P:水野克成

それにしても広東省内陸部といえば夏場の蒸し暑さは尋常ではないはず。側扉を空けっぱなしで走行できるようにスライド式の転落防止柵が車内に設けられていましたが、なんとも信じられないスパルタンさです。

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▲本線列車の最後部に連結されるブレーキバン。アメリカ流に言えば“Bay Window Caboose”と呼ばれるタイプ。この車輌も張り出し窓以外に窓らしきものがない。'95.3.18 西埔
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▲石炭・鉱石輸送の主力はこのボギー・ゴンドラ。荷重16t、自重6.5t、容積15.3?。C15027の標記があるが、Cは無蓋車を示すので、形式はC15なのだろうか…。'95.3.18 西埔
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西埔で産出される石炭と鉄鉱石を運搬するのが主目的の梅隆鉄路だけに、貨車の大半は16t積みの無蓋車、いわばゴンドラでした。本線の混合列車は機関車の後ろに延々とこのゴンドラを連結し、その後に代用客車+YZ20形客車3輌、そしてカブースという編成でした。

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遙かなり梅隆鉄路。(4)

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▲給水を終えて待機するC4形7216号機。梅隆鉄路所属のC4形は4桁ナンバーの頭2文字が製造年を示しており、本機は1972(昭和47)年製。'95.3.18 西埔
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それではここらで梅隆(meilong)鉄路本線で活躍する車輌たちを紹介してみましょう。貨物輸送の主力機関車はC4形蒸気機関車ですが、C4形は戦後のポーランド国鉄のナロー用標準型機Px48形に範をとった0-8-0機で、長いボギーテンダーが特徴です。訪問時、機関区の運用状況を示した黒板にリスティングされていたC4形は5、7、11、13、14、16、17、26の8輌でした。

090413n041中国のナロー用蒸機というと、四川省の芭石や黒龍江省の樺南など、現在でも一部で活躍が見られるC2形がまず頭に浮かびますが、C2形が自重28tなのに対してC4形は42t、全長も3m以上大きく、製造銘板にも「窄軌大型机車」(窄軌は中国語でナローゲージの意)と明記されています。これまで確認されたのはいずれも華南地区で、広東省以外では湖南省などで同形機が記録されていますが、総輌数はC2形と比べてかなり少なかったと思われます。
▲7215号機のキャブに付けられた製造銘板。「C4型窄軌大型机車」と記されている。'95.3.18 西埔 P:水野克成
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▲整備を終えて出区してゆく7215号機。C4形はソ連のPT-4形をベースとしたC2形と比べるとかなり大きい。'95.3.18 西埔
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梅隆鉄路の所属機は、英国インダストリアル・レイルウェー・ソサエティーによる1985年からのサーベイ(下記参照)で総計14輌。1970(昭和45)年製の7004号機から1973年9月製の7326号機までが現認されていますが、4桁の下2桁がシリアルナンバーだと仮定すると、26輌もが在籍していたことになります。なお、梅隆では全機が広州製でしたが、他所では広州から西へ約50キロ、三茂線の起点である三水工場で製造された個体も確認されています。

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▲紅衛1形0010号機。側面裾部には中国鉄路局式に「梅鉄西段」(梅隆鉄路西埔機務段)の標記がある。本線用の主力ディーゼル機関車で、わが国のDD50のように片側運転台式。2輌背面合わせで使用するのかと思いきや、後部はホロを露出したまま運用に就いていた。それにしても立派な後部前照灯(?)は如何に…。'95.3.18 西埔
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本線旅客列車の牽引はもっぱら「紅衛形」ディーゼル機関車です。梅隆鉄路では「紅衛1形」と「紅衛2形」の2種類を確認しましたが、多少スタイリッシュで新しそうな紅衛2形の方はなぜか全機が休車中で、DD50を連想させる紅衛1形がもっぱら運用に就いていました。両形式ともに製造はその名のとおり「広州紅衛机車車輌廠」。このほかに「広州動力机廠」なる銘板を付けたボギー機が修理中でした。

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▲英国インダストリアル・レイルウェー・ソサエティー(IRS)のリサーチによるほぼ同時期の梅隆鉄路所属機のロスター。(“INDUSTRIAL LOCOMOTIVES OF THE PEOPLE'S REPUBLIC OF CHINA”1996より)
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遙かなり梅隆鉄路。(3)

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▲紅衛1形ディーゼル機関車に牽かれて梅県からの152列車が西埔に到着する。後部に連結された客車内は満員で、あふれた乗客はゴンドラにまで乗り込んでいる。'95.3.18 西埔
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梅県空港に着いた時にはすでに昼過ぎ、まずは梅県駅へと急ぎます。なにしろ極めて断片的かつ時間の経った情報しか入手していませんから、駅へ行くまでは果たしてどんな運行状況なのか皆目検討もつかないのです。

090412n004梅県駅はクルマさえ入れないような細い道の奥にありました。それなりに広い構内を持ってはいるものの、恐れていたように構内には貨車1輌見当たりません。構内に運転指令室らしきものを見つけ、例の日本語→北京語→客家語の“伝言ゲーム”状態で質問を重ねますが、これまたまったく要領を得ません。かろうじてわかったのは、すでに今日の列車はなく、しかも蒸気機関車は走っていないということだけ。成田を経ってから3日目にして、列車の姿さえ見ることができないのです。
▲西埔駅駅舎。梅隆鉄路の中心駅ながら極めて質素。隣に小さな売店(画面右端)がある程度で、駅周辺には商店さえ見当たらなかった。'95.3.18 西埔
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のちにわかった情報を総合するに、この時、運転指令氏が言っていた“今日の列車”とは、梅県を発車する旅客列車のことで、“蒸気機関車は走っていない”とは、旅客列車の牽引は蒸機ではない…との意だったようです。通訳も現場の人も、貨物列車のことなどハナから頭にないのはよくある話ですが、もう少し突っ込んでいればと悔やまれてなりません。

090412n021結局、この日は宿泊地の興寧(Xingning)まで移動せねばならないため、梅県での撮影は断念。翌朝は早朝5時出発でスイッチバックの要の部分に当たる西埔(Xibu)を目指します。梅隆鉄路は梅県~西埔、龍川(老隆)~西埔と2つの本線が西埔でスイッチバックのように合流する線型となっており、炭礦地帯のこの西埔から搬出される石炭が貨物需要の大半を占めています。
まったく照明のない未舗装路を飛ばすこと1時間半、ようやく辿り着いた西埔駅は、これまた何の目印もなく、機関区を併設したやたらと広い構内の片隅に小さな待合室があるだけでした。もちろんホームと呼べるような設備はなく、この鉄道にとって旅客輸送は明らかに二の次なのでしょう。
▲出札窓口。小さな黒板には老隆(龍川)方面の旅客列車は「全部停発」とある。'95.3.18 西埔
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▲折り返しの梅県行き153列車は12時55分発。ミキストの旅客車は窄軌硬座客車3輌と代用客車1輌のみでかなりの混雑ぶり。閑散としていた構内がにわかに活気づく。'95.3.18 西埔
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ここで初めて最新の運転状況が把握できました。梅県~西埔間には3往復の旅客(混合)列車が設定されているものの、実質運転されているのは2往復だけ。龍川(老隆)~西埔間の旅客列車はなんと3週間ほど前、3月1日に廃止されていたのです。それもあってか、機関区にはつい最近火を落としたばかりと思われるC4形がずらりと並んでいました。

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▲西埔機務段はささやかながら検修設備も備える。かなりくたびれたC4形7215号機が整備中。'95.3.18 西埔
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▲炭礦への専用線の起点でもある西埔は広大な構内を持つ。線路も縦横無尽に敷設されており、予想もしないところから単機が現れたりする。'95.3.18 西埔
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ところでここ広東省をはじめとした中国沿海地域は、特区を中心とした著しい経済発展と、とり残された内陸部の経済格差がニュース等でもたびたび話題となりますが、昼食をとろうと入った西埔駅構内の売店で出てきたのは、なんとお湯をかけたインスタントラーメン。煮るのでもなければカップ麺でもなく、具のない乾麺にお湯をかけただけのものです。つい2日前、香港で前夜祭と称して食した“広東料理”との落差に、図らずも現代中国のひとつの断面を体感することとなります。

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遙かなり梅隆鉄路。(2)

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▲西埔機務段を出区してゆく7326号機。1973年広州製のC4形で、確認できた梅隆鉄路所属のC4のなかでは最も新しい。汽笛の蒸気のように見えるのは蒸気溜の加減弁リンケージからの盛大なリーク。'95.3.18 西埔
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梅隆鉄路の起点である広東省梅県(Meixian)は、現在では中国鉄路局が管理する広汕線で結ばれ、広州から夜行で8時間ほど(445km)とアプローチしやすくなっていますが、この当時はまだ広汕線も開業しておらず、まさに陸の孤島。返還前の香港から曜日限定で飛んでいる中国南方航空のチャーター便を利用して梅県を目指すしか術がありませんでした。

090411n003.jpgチャーター便とは地方行政府や旅行会社などが航空会社に委嘱して運行している便で、定期便とは異なり必ずしも定時性が保証されていない不安があります。へたをすると利用客が少ないことを理由に欠航してしまう例さえあり、わずかな休日を使って往復しようという身にとってはかなりリスキーではあります。往路はともかく、他の交通手段がない地域の場合、復路がキャンセルされてしまおうものなら目もあてられません。香港・啓徳空港発梅県行きの出発は昼前。そんな不安にかられながら、同行の水野克成さんと朝早めに出発ロビーへと向かいました。
▲香港発梅県行き中国南方航空3080便のワッペン。これを付けて待つ。
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090411n002.jpgチェックイン・カウンターで梅県行き中国南方航空(CZ)3080便のインフォメーションを探しますが見当たりません。ようやく見つけた表示板の行先は梅県ではなくなんと「中国」。香港が英国から中国に返還され、特別行政区となるのはこの2年後のことですから、確かにこの時点ではCZ3080便は“国際便”というわけです。それにしても出発時刻もゲートナンバーもブランクのままでいよいよ不安が募ります。
▲梅県空港の香港便。飛行機と空港建物の間は延々と歩かされる。これでも一応“国際空港”だ。'95.3.20 梅県機場 P:水野克成
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見れば湛江への便は半日もディレイとの表示。これは梅県便も…と悪い想像が過ぎりましたが、結果的にはたいした遅れもなく11時50分に離陸。機体も737‐300で、まずはひと安心です。

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▲C4形は大型のボギー・テンダーを持ち、自重42tとC2形と比べてかなり大きく「窄軌大型机車」と称される。'95.3.18 西埔
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梅県着は12時35分。わずか40分ほどのフライトでした。一応国際空港(?)とはいうものの、梅県空港はたいした設備もないまさに“飛行場”といった感じのところで、駐機場のタラップを降りると、ターミナルビル(?)までは延々とコンクリートの路面を歩かねばなりません。荷物は…というと、軍用のようなジープがCZ3080便から降ろした荷物を満載した台車を牽いてそのままロビー(?)まで乗り込んできてびっくり。あたりに排気ガスの臭いが充満していました。

090411n004.jpgさて、ここで頼んでおいた現地ガイドと合流ですが、梅県地区ではもうひとつ大きな問題があります。実は梅県を中心とする広東省東部は「客家語」(はっかご)の本拠で、北京語(標準話)が通じない人が少なくありません。鉄道現場ともなればなおさらで、交渉をするにも客家語を話せる通訳が必要です。ところが客家語と日本語の直接通訳が可能なガイドがおらず、結果的に客家語-北京語、北京語-日本語と二人の通訳がつくこととなってしまいました。
▲西埔機務段にずらりと並んだC4たち。西埔?龍川(老隆)間の運用消滅で火を落としたばかりのカマも見られた。'95.3.18 西埔
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メインとなる北京語-日本語のガイド・黄さんは地元大学の外国語科の講師だそうですが、失礼ながらそれほど日本語が達者ではなく、結果的には英語を交え、日本語+英語(私たち)→北京語(黄さん)→客家語(高さん)→現場の人と、まさに隔靴掻痒の毎日が繰り広げられることとなります。

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▲給水スポート横で待機する本線仕業機。画面左端に見えるのが梅県方面への本線。'95.3.18 西埔
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ちなみにこの客家語は中国七大方言のひとつだそうで、清の時代に台湾に移住した人々によって、現在でも台湾の一部で話されていると聞きます。

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遙かなり梅隆鉄路。(1)

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▲盛大な排気音を響かせて梅隆鉄路興寧支線をゆく謎の列車。この珍奇な支線列車との出会いが、今もって梅隆鉄路そのものの印象として強烈に脳裏に刻まれている。'95.3.19 興寧
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来週以降は大きな話題となるであろう新車の登場など、小ブログもにわかに忙しくなることが予想されますので、端境期といってはなんですが、この機会にひさしぶりに海外ナローの話題をお届けしたいと思います。と言ってもコンテンポラリーな話題ではなく、かれこれ14年ほど前の、中国は広東省のお話です。

090410fig1.jpgまだインターネットが本格的に普及していなかった80年代から90年代初頭にかけて、海外の未知の蒸機情報を得る手立ては、イギリス、ドイツ方面から届く同人誌的情報誌が最有力でした。なかでも英国のコンチネンタル・レイルウェイ・サークルが発行する“Continental Railway Journal”(CRJ)誌はその速報性が抜きん出ており、ほとんど文字だけのその誌面を目を皿のようにして見続けたものです。余談ですが、『RM MODELS』誌ですっかりお馴染みとなっている“STOP PRESS”(ストッププレス=印刷機を止めてまで入れる最新情報の意)は、米国のガゼット誌(Narrow Gauge and Short Line Gazette)の“In Brief…”欄をヒントに、このCRJ誌のはみ出し情報欄の名称を私が拝借したものです。
▲梅県のおおまかな位置。現在では中国鉄路局の管理する地方鉄道新線(広汕線)が開通して陸路でもアプローチしやすくなっている。

090410fig2n.jpgさて、そんなCRJ誌に、ある日、気になるナロー情報が掲載されました。香港からほど近い広東省の梅県なるところにかなり規模の大きな地方鉄路があり、C4形蒸機をはじめ奇妙な内燃車輌、さらにはオープンデッキの客車などが活躍しているというのです。当時は全国的に数多く見られたC2形ではなく、ひと回り大きいC4形というところが強調されていましたが、個人的にはどちらの形式もさほど強く惹かれるものではなく、むしろそれ以外の車輌のバラエティーが気に掛かりました。
▲梅隆鉄路概念図。現地に着いてから聞きこんだところでは、つい一ヶ月ほど前に西埔~龍川(老隆)間の定期旅客列車が廃止になり、旅客営業しているのは梅県~西浦間のみとのことだった。
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そうこうしているうちに、当時本誌の連載“World Steam Report”で次々と魅力的な海外蒸機を発表下さっていた都築雅人さんが現地に飛び、その成果を拝見する機会を得ました。例によって独特のフォトジェニックな写真の数々に吸い込まれるようにポジを括っていると、この世のものとも思えないガソリン機関車が牽くミキストの写真に目が止まりました。これは行かねばなるまい…かくして梅隆鉄路への旅が始まったのです。

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▲宗谷本線咲来駅。黄色いしっかりとした待合室があり、ホームもしっかりしています。午後の上り列車が順光で撮影できます。'07.7.15撮影 藤村巌雄さん(東京都) (「ホビダス・ステーション」より)

ニュース性、季節性のある「今日の一枚」など人気ブログに比べてどちらかというと地味目ではありますが、ご投稿いただいた皆さんの写真で日本全国の駅を埋めてゆこうという壮大なプロジェクト「ホビダス・ステーション」が3000駅を突破しています。

090409soya200.jpgふだん通学・通勤で利用する駅から、旅行途中に見かけた気になる駅までどんどんご投稿いただき(基本的に1駅1枚先着順、ただし駅舎改築などの変化があった場合には随時更新いたします)、いずれは日本全国のJR・民鉄駅すべてを網羅する巨大データベースにと一昨年末にスタートを切ったこの「ホビダス・ステーション」ですが、一年半あまりでわが国に存在する駅のおよそ3分の1を収録できたことになります。

←宗谷本線を例に実際の検索を擬似体験。宗谷本線の路線上には、すでに投稿があった駅を示すマーカーがびっしり。右側には投稿された駅が最新投稿順に並ぶ。
画面をクリックすると実際のサイト画面にとびます。

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▲さすがに3,000を超えてくると、どの駅が投稿されていないかを探すのが大変。各路線ごとのページを見て投稿されていない駅を探すこともできるが、「駅名検索」を使って探すのがお薦め。赤枠で囲っている駅名検索のボックスに、任意の駅名(ここでは士別駅)を入れて検索ボタンを押す。
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▲しばらくすると検索結果が表示される。この場合、下士別駅はすでに投稿されているが、士別駅はまだ投稿されていないことがわかる。つまり、検索結果で表示されない駅が投稿されていない駅となる。
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国土地理院の統計を扱っている財団法人日本地図センターのデータによれば、同一大字・丁目に属する駅は1駅としてカウントした場合の全国の駅数は9,237。昨年(2008年)には東京地下鉄副都心線の開業(16駅新設)や京阪電気鉄道中之島線の開業(5駅新設)などで78駅が新たに誕生し、三木鉄道や島原鉄道の部分廃止などで41駅が消えてゆきました。このほか駅名が改称されたものが17駅あり、路線別にすると駅数は総計で10,368となるそうです。

090409sakkuru200.jpg■都道府県別駅数(10,368)
北海道:589駅、青森県:172駅、岩手県:204駅、宮城県:184駅、秋田県:160駅、山形県:144駅、福島県:206駅、茨城県:138駅、栃木県:129駅、群馬県:150駅、埼玉県:264駅、千葉県:388駅、東京都:910駅、神奈川県:421駅、新潟県:222駅、富山県:186駅、石川県:75駅、福井県:132駅、山梨県:76駅、長野県:290駅、岐阜県:198駅、静岡県:234駅、愛知県:538駅、三重県:251駅、滋賀県:130駅、京都府:260駅、大阪府:579駅、兵庫県:410駅、奈良県:147駅、和歌山県:129駅、鳥取県:80駅、島根県:122駅、岡山県:191駅、広島県:276駅、山口県:172駅、徳島県:83駅、香川県:106駅、愛媛県:168駅、高知県:176駅、福岡県:371駅、佐賀県:85駅、長崎県:142駅、熊本県:164駅、大分県:90駅、宮崎県:80 駅、鹿児島県:131駅、沖縄県:15駅 (財団法人日本地図センターによる)
▲宗谷本線咲来駅のページ。各駅のページでは駅前情報をはじめとするコメントも投稿することが可能。
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3000駅を収録できたとはいえ、道半ばどころか全駅網羅まではまだまだ前途遼遠です。どうか今後とも奮ってご投稿のほどお願い申し上げます。

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▲まるでSF漫画に出てきそうな初代リニアML100。車体中央部にガルウィング・ドアを持つ。定員は4名とのことだった。'72.10.15 鉄道技術研究所
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昨日は山梨リニア実験線の改良型試験車輌MLX-01-901A(先頭車)+MLX-01-22A(中間車)の概要をお伝えいたしましたが、原稿を書きながら思い出したのが、今から37年前に初めて遭遇した“リニアモーターカー”のことです。

Linear01n.jpg時は1972(昭和47)年10月。まさに「鉄道100年」を迎え、各地でさまざまなイベントが行なわれていましたが、東京・国立の鉄道技術研究所では「鉄道記念日」の14日前後に所内の一般公開が行われ、その目玉ともいえるのが一般には初公開となるリニア・インダクション・モーター(LIM)で推進する磁気浮上式リニアモーターカーの試験車輌でした。磁気浮上(Magnetic Levitation)の頭文字と「鉄道100年」の100をとって形式を“ML100”と名づけられた実験車輌は、全長7mのさながらUFOのような形態。車体側面の“JNR”のロゴがなんとも誇らしげでした。
▲公開日の鉄道技術研究所正面。リニアが当日の目玉で、カラー印刷のパンフレットも用意されていた。'72.10.15 鉄道技術研究所
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▲実験線のホーム(?)で発車を待つML100。それにしてもなんとも長閑な実験風景だ(左)。車体側面には“JNR”のロゴが入れられている(右)。'72.10.15 鉄道技術研究所
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このML100形、さながら跨座式モノレールのようなガイドウェイ上を走行するのですが、今さら思えばとてつもなく大仰な、まるでロケットの発射のような前振りの割りにはたいしたスピードでもなく(公称最高時速60㎞/h)、ましてや“浮上”したかどうかは目視不能でした。

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▲いざ走行試験開始。上下の2枚を比べてみると多少車体が浮上しつつあるようにも見える。背後の見物人も時代を感じさせる。'72.10.15 鉄道技術研究所
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車体中央にガルウィング・ドアを持つ“リニアモーターカー”は、大阪万博2年後の時代背景のなかで、多くの来場者に“未来の鉄道”への限りない夢を与え、4日間の一般公開を終えたのでした。

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▲改良型先頭車MLX-01-901Aを先頭に山梨実験線を駆け抜ける超電導リニア実験車輌。'09.4.3 山梨実験センター P:善名良行(『鉄道おもちゃ』編集部)
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JR東海は昨年5月から山梨リニア実験線の延伸にともなう本格的な工事を進めていますが、このたび従来の試験車輌MLX-01を改良したMLX-01-901A(先頭車)とMLX-01-22A(中間車)が完成、去る4月3日(金曜日)から走行試験を開始しました。

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▲先頭部形状の改良前後のイメージ。(提供:JR東海)

この2輌は新製車輌ではなく、2002(平成14)年以来、営業線用車輌へ発展させるための走行試験を行ってきた試験車輌MLX-01をベースに、これまでに得られた各種データを活かし、さらなる車内空間の確保や居住性の向上をはかるべく改良を施したもので、主な変更点は以下のようなものです。

090407n002.jpg走行性能は同等としつつ、先頭部の長さを短縮することによる車内空間の確保や車体断面の角型化による居住性の向上を目指して車輌形状を改良。
・先頭車輌(MLX-01-901A、もとMLX-01-901)
先頭部の長さを従来(MLX-01-901)の約23mから約15mに短縮するとともに、車体上部の両側を従来の円形から角形に変更。
・中間車輌(MLX-01-22A、もとMLX-01-22)
車体上部の両側を従来の円形から角形に変更。
以上の改良を行うことにより、より営業線に近い仕様の車輌として試験走行に臨むこととなります。
▲一昨年春以降、一般試乗会は中断されているものの、見学センターからは実験の様子を見ることが可能。'09.4.3 山梨実験センター P:篠原早苗(『鉄道おもちゃ』編集部)
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山梨県立リニア見学センターに備え付けられた速度表示電光掲示板(左)。右は見学センター内部。一階にはお土産売場もある。'09.4.3 山梨実験センター P:善名良行/篠原早苗(『鉄道おもちゃ』編集部)
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改良車輌は4輌編成の甲府方2輌に組み込まれ,東京方にはエアロウェッジ型のMLX-01-2が組成されています。報道公開された試運転初日・4月3日はまだまだ“足慣らし”の段階で、明かり区間での最高速度は200㎞/h程度に留まりましたが、最終的には500㎞/h での走行試験が行なわれる予定です。

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▲山梨実験線きってのシーニック・ポイント中央自動車道を跨ぐ橋梁を行く改良試験編成。下は同編成を東京方から見たところ。東京方の先頭部形状はエアロウェッジ型のまま変更されていない。'09.4.3 山梨実験センター P:善名良行(『鉄道おもちゃ』編集部)
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なお、延長18.4㎞の山梨実験線は現在進められている延伸工事が完成した暁には延長42.8㎞となり、2013(平成25)年度以降は最大12輌編成での試運転が開始される予定です。

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▲「北陸」用1000番代と顔を並べた37号機。基本的に「あけぼの」は0番代が充当されるが、検査等で1000番代が代走することもある。'09.3.11 長岡車両センター P:RM(新井 正)
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本誌今月号でも速報をお伝えしておりますが、3月14日のダイヤ改正で寝台特急「あけぼの」の上野~長岡間の牽引機が、青森車両センターのEF81形から長岡車両センターのEF64形0番代へと置き換えられています。

090406n002.jpg「富士・はやぶさ」の廃止に象徴されるように、このところブルトレを取り巻く環境は一層厳しさを増してきており、そんな中、ひさしぶりに明るい話題といえるのではないでしょうか。今回の置き換えに際しては高崎車両センターからEF64形37号機と38号機が長岡車両センターへと転属、受け持ち変更にともなって「あけぼの」のヘッドマークもわざわざ新調されました。
▲新調された「あけぼの」のヘッドマーク。ぶどう色の37号機にも意外とマッチしている。'09.3.11 長岡車両センター P:RM(新井 正)
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改正初日は1000番代(1052号機)が充当され、以後しばらく1000番代での仕業が続いてファンをやきもきさせていましたが、3月18日に38号機が運用に入ったのを皮切りに、翌19日はぶどう色塗色の37号機が初めて任に就き、以後、ほぼ0番代2輌のどちらかが「あけぼの」の先頭に立っています。

090406n003.jpgEF64形0番代がヘッドマークを掲げて定期寝台特急列車の先頭に立つのは誕生以来初めてのことで、すでに沿線には「あけぼの」を撮影しようと早朝からカメラを構える皆さんも多いとか…。上野到着6時58分と撮影条件は決して良くないものの、ちょうど日一日と日の出が早まってきている時期でもあり、先週末に自ら撮影に出向いた「お立ち台通信」担当の山下の話では、すでに晴れていれば上尾付近まで撮影可能になってきているとのこと。夏至の頃には高崎(5時12分着)以北での撮影も可能になるはずで、これからの季節、眠い目を擦りながら高崎線沿線に立たれる方も多いのではないでしょうか。

▲38号機を先頭に一路上野へと向かう2022レ「あけぼの」。'09.3.18 尾久-上野 P:林 豊さん(東京都) (「今日の一枚」より)
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嘉多山公園の東武30号機。

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▲D9(6200系)と同等の5フィート(1524ミリ)動輪とベルペア火室が特徴の30号機。本機を含む6輌が東武鉄道形式B3形となった。'91.11.16 嘉多山公園
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大手私鉄のなかでも東武鉄道は昭和40年代まで蒸気機関車を使用しており、しかもそのいずれもが英国生まれの2Bテンダー機であったことで知られています。7月にリニューアルオープンを予定している東武博物館(→こちら)に保存されている5号機、6号機も、無煙化の前年、1965(昭和40)年まで現役で活躍していたピーコック機です。

090316n024.jpg世代的にはタッチの差で実見することかないませんでしたが、佐野線とその支線用に残された東武鉄道最後の蒸気機関車が廃止されたのは1966(昭和41)年6月30日。最終的に残されていたのは30・31・34・39・40号機の計5輌で、30・31・34号機がベヤー・ピーコック製、39・40号機がシャープ・スチュワート製の英国製2Bテンダー機でした。余談ながら、“2Bテンダー”と呼ぶよりは、“よんよんれい”と英国流のホワイト式で呼んだ方がしっくりくるのは、いかにも英国紳士を思わせるその流麗な容姿ゆえかも知れません。
▲5500形と比べると角張った印象のキャブを持つ。'91.11.16 嘉多山公園
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▲5500系や6200系が傾斜のついたランボードが特徴なのに対し、本機のランボードは直線。本来スプラッシャーにはピーコックの装飾プレートが付けられていたはず。'91.11.16 嘉多山公園
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その5輌のうちの1輌30号機は、最後の活躍の地となった栃木県・葛生の公園に保存されています。1914(大正3)年に増備されたグループでピーコック製(製番5837)。直径1524ミリと6200形(ネルソン)と同径の巨大なスポーク動輪を持ち、ベルペア火室が特徴的です。

090316n021.jpg今回ご紹介する写真は公園整備途上の状況ですが、その後、屋根が設けられ、隣には遊具のローラースライダーが設置されるなど、周囲の様相は大きく変化してしまっています。しかも現在ではナンバープレートが失われ、前照灯のレンズが割られるなど、保存状態は決して良いとはいえなくなってしまいました。わが国に輸入された最後のピーコック“よんよんれい”6輌のうち、現存しているのは本機と東京・大田区の萩中交通公園の34号機のみ。それだけに再整備されて末永く保存されることを祈りたいと思います。
▲テンダーは5500形と同形の3軸のもの。'91.11.16 嘉多山公園
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▲ラストラン間近。多くのファンに見守られて発車してゆく現役時代の30号機。記念列車の牽引は僚機34号機が務めた。'66.6.26 P:笹本健次
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なお、この30号機の保存場所は古くからほとんどの文献が「喜多山公園」と表記していますが、正しくは「嘉多山公園」(かたやまこうえん)で、現在は市町村合併で佐野市所管の公園(佐野市嘉多山町1790番地)となっています。

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▲レジン製のタンク体に固着したラッテンストーンの超微粒子を柔らかいブラシで慎重に払ってゆく。
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2月15日(→こちら)に、続編はまた一ヶ月後に…とお伝えしたスモーキー・ボトム・ランバー・カンパニー(SBL)製のOスケール給水(給油)タンクキットですが、3月は「富士・はやぶさ」の廃止をはじめ、名古屋や鉄道博物館でのイベントなど、全週末がつぶれてしまい、未だ完成にはいたっておりません。それでも第二段階といえるところまでは辿り着きましたので、今日はその中間報告をさせていただきましょう。

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▲ラッテンストーンに漬け込んで一ヶ月。ひさしぶりに取り出したパーツ類。テスターズのダルコートの固着力はすこぶる強力。トップコート等ではなかなかこうはゆかない。
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今回の工程は“魔法の粉末”ラッテンストーン(Rottenstone=和名・トリポリ石)に漬け込んでおいたパーツを“発掘”する作業から始まります。約一ヶ月間にわたって安置しておいたパーツを慎重に取り出し、柔らかいブラシで余分な微粉末を払います。“落とす”と表現するよりは、さながら煙のように微粒子が舞い上がり、最後はエアーダストスプレーを軽く吹いておきます。これでダルコートが接着剤の役目をしたトリートメントの完成です。

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▲着色に用いる油絵の具類とターペンタイン(左)。右は一回目の着色を終えて乾燥させた状態。
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次に付着したラッテンストーンに着色を施してゆきますが、ここで使用するのは油絵具です。“バーントシェンナ”や“ローシェンナ”それに“ブルーブラック”などの油絵具を精製テレピン油・ターペンタインで溶いてゆきます。ターペンタインとは松の樹液より蒸留精製した無色透明、揮発性の絵画用溶剤です。この溶剤で絵具を薄める…というよりは、白紙の上にたらしてわずかに染みがつく程度にまで薄め、塗るのではなく染み込ませるように着色してゆきます。

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▲レジンの素材感が完全に消えた“OIL AND WATER FACILITY”のタンク体上部のアップ。
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このターペンタインは揮発性とはいうものの非常に乾きが遅く、一度染み込ませては数日乾燥させ、そののちまた染み込ませるという手間のかかる作業となります。とりあえずタンク体上面部分のフィニッシュはほぼ完了したものの、全体を組み上げるまでにはまだ少し時間がかかりそうです。

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阪急嵐山線が6300系に。

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▲6300系置き換え初日「桂-嵐山」の行先表示を掲げて営業運転に就く6300系。'09.4.2 上桂-松尾 P:高間恒雄
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1975(昭和50)年にデビュー以来、長きにわたって阪急京都線の特急専用車として君臨してきた6300系ですが、近年の特急の停車駅の増加などの施策によって、扉が両端にある6300系は乗降に手間取る状況となり、3扉クロス車の9300系に順次置き換えが進められています。今日はレイルロードの高間さんからお寄せいただいた最新状況レポートをお送りいたしましょう。

090403n002.jpg京都線には1960(昭和35)年に登場した2300系もまだ残っているため、嵐山線の2300系を6300系に置き換えることとなり、4連3編成がリニューアルを行って、4月2日から嵐山線列車がすべて6300系となりました。車内は2+2のクロスシートを2+1のセミクロスシートに変更し、モケットはもとよりデコラ、床、さらには日よけや窓ガラス自体も変更する新車と見紛うばかりの徹底したリニューアルが施されており、乗客にはたいへん好評のようです。
▲6300系化を前に嵐山線各駅には2ドア車運行にともなう乗車位置変更のお知らせが掲出された。'09.3.31 P:高間恒雄
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▲桜が咲き誇る上桂で離合する6300系。本線特急時代とはうって変わってのんびりとした雰囲気を感じさせる。'09.4.3 上桂 P:高間恒雄
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▲車体側面中央の車号上部に戻された新社紋(左)。右は徹底したリニューアルを施された車内。側面ガラスもブルーがかった新たなものに取り換えられている。'09.4.2 桂 P:高間恒雄
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なお、この置き換えに伴い、嵐山線から2300系が姿を消して、2309編成に残っていた運行標識板もついに見られなくなりました。ただし大型連休などの多客時には従来どおり3扉車の6連が運用されますので、撮影に訪れる場合は注意が必要です。また嵐山線には4月から5月にかけて、神戸・宝塚線からの臨時直通電車や河原町からの臨時直通電車も運転されることが発表されています。

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▲本線特急の6300系と並ぶ嵐山線用6300系。6300系が本線特急に充当されることは少なくなってきており、この2ショットを撮るのにもかなりの忍耐が必要だったとか…。'09.4.2 桂 P:高間恒雄
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2扉車で車内には転換クロスシートがずらりと並んだ6300系には新鋭9300系にはない特急車としての存在感があります。しかしここ1年で本線特急に運用される6300系はめっきり少なくなり、2~3列車のみとなっており、6300系の充当列車が3扉車に変更されることも多いようです。今後9300系が増備されれば、これらも遠からず引退することが確実と思われますので、記録はお早めに。

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ケ90を訪ねる。

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▲JR直轄管理の保存機とあって状態は良好。ただし、もともと中部鉄道学園の教材であっただけに、ボイラーやシリンダーなど一部はカットされてしまっている。雨宮(大日本軌道)の特徴でもある蒸気溜め上部の加減弁に注意。'09.3.21
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先日、「鉄道フェスティバル2009 inなごや」に伺おうと会場の吹上ホールの所在地を調べていると、かねてより訪ねてみたいと思っていた「ケ90」の保存場所であるJR東海社員研修センター(動力車操縦者養成所)が目と鼻の先であることに気づきました。名古屋を訪れる機会は少なくないのですが、時間に追われていることが多く、ましてや昼間に市内の保存機を観察できることはまずありません。それだけにこれはまたとないチャンスと、会場入りの前に千種区の保存場所へと向かいました。

ke90n05n.jpgところで、「ケ90」と聞いて“国鉄機”と直感できる方は少ないのではないでしょうか。鉄道院時代の湧別線(現在の石北本線の一部)を端緒として、国鉄には2フィート6インチ(762㎜)軌間のいわゆる“狭軌軽便線”が戦後まで存在していました。「ケ」はその軽便線用車輌の形式記号で、蒸気機関車においては1912年製の最初の湧別線用C型機をケ200形とし、次いで1919年に新製したB型機をケ100形としたことから、B型機を100の前後、C型機を200の前後として形式展開されることとなったものです。ところがこれがかなりいい加減。基本的にケ100、ケ200より小さいものをそれ以下の番号の形式、大きいものをそれ以上の番号の形式にすることを原則としたようですが、きちんとした倍数で形式を割り当てずに追い込んで付番してしまったため、その形式展開は理解を超える難解なものとなってしまったのです。
▲街路から見た状況。「ちくさ きしゃ コーナー」と名づけられた門扉は、「都合により当分の間閉鎖します」という表示とともに閉ざされている。'09.3.21
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たとえば、ケ100形(当初6輌でケ100~ケ105)の手前を見てみると、1輌のみだったものがケ99形ケ99、2輌在籍したものがケ97形ケ97・ケ98(有名な“オーガスタ”と“ベアトリス”)、次がやはり1輌でケ96形ケ96…とまさに判じ物です。ケ90形は2輌で、ケ90とケ91が同形です。一部は正規の形式図にも収録されているこれら狭軌軽便線用蒸気機関車ですが、国鉄の機関車でこれほど判りにくい形式称号はほかに例をみません。

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▲全長4mあまりの6t機とあって“国鉄機”としては異例の小ささ。今頃は周囲の桜並木も満開となっているに違いない。'09.3.21
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▲形式番号を示す「ケ90」のナンバープレートと、メーカー「大日本軌道株式会社」鉄工部の銘板。ちなみに大日本軌道鉄工部は本機製造の翌年、雨宮製作所へと改組される。'09.3.21
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さて、ケ90形は旧東濃鉄道(のちの東濃鉄道とは別で現在の太多線の一部)の1・2号機で、大日本軌道鉄工部1918(大正7)年製。1926(大正15)年に買収されて国鉄(鉄道省)に編入されたものです。B型6tのサイド・ウェル(ボトム)タンク機で、数年間は“国鉄機”として使用されたものの、1930(昭和5)年5月には早くも廃車されてしまっています。

ke90n02n.jpgところが幸いなことにケ90形は2輌ともに解体されることなく、ケ90は1935(昭和10)年3月に名古屋鉄道局の教習所へ、ケ91は浜松工場へ、ともに教材として送られることになります。ただし、両機ともに教材だけに内部の構造がわかるようにカットモデルとなってしまっており、ことにケ90の方は1963(昭和38)年2月に稲沢第二機関区でボイラー、シリンダー、蒸気溜め等が派手に切開されてしまっています。その反面、国鉄→JRと直轄管理下に置かれていただけあって、廃車後80年近くを経た現在でも極めて良好な保存状態に保たれているのは嬉しいかぎりです。
▲そのバックビュー。コールバンカは雨水を防ぐためか塞がれている。'09.3.21
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▲ケ90と向き合うかたちで保存されているC57 139号機。1971(昭和46)年に廃車となるまで、戦後一貫して名古屋機関区に所属した機関車で、いわゆる二次型C57のトップナンバー。1962(昭和37)年5月20日に名古屋機関区最後のお召列車を牽引しており、ランボードには当時を髣髴させる手すりが残る。準鉄道記念物にも指定されている。'09.3.21
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現在、ケ90は千種区のJR東海社員研修センターに設けられた「ちくさ きしゃ コーナー」にC57 139号機とともに保存されていますが、残念ながらこの「ちくさ きしゃ コーナー」そのものが閉鎖されてしまっていて、中に入ることはできません。それでも歩道から間近に観察することができ、わずかな時間ではありましたが、遠い昔に消え去ってしまった国鉄狭軌軽便線に思いを馳せることができました。なお、僚機ケ91は現在、浜松工場近くの「堀留ポッポ道」に保存されています。かれこれ25年ほど前に一度訪ねたきりとなっており(アーカイブ「臼井茂信さんを偲ぶ」参照)、こちらもまた近いうちに様子を見に行ってみたいと思います。

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▲クリックすると実際のサイトにとびます。

新年度に入り、進学・就職等々新たな門出を迎えておられる皆さんも多いことと思います。ご愛読をいただいているこの“鉄道ホビダス”のオフィシャル・ブログも、新年度を迎えて新たなコンテンツを準備中ですが、まずは吉岡心平さんのブログ「タンク屋しんちゃんのブログ」が今日からパワーアップしてリニューアルしております。

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ところで、吉岡さんは長年にわたってご自身のホームページ「吉岡心平の貨車ホームページ」も運営されておられます。なかでも、形式別はおろか番号別の私有貨車解説「特別編」は常軌を逸したもの(…失礼!)で、その密度の高さには言葉を失います。そんな「特別編」が先日1000回に達しました。同一車輌は解説していないので、週代りも含めると1400輌あまりの私有貨車の“個体”を解説したことになるそうで、まさにギネスブック級のアーカイブと言えるでしょう。「これからもRM連載の“貨車研究室”の補完資料として続けて参ります」とのコメントもいただいておりますが、ぜひこの機会に覗いてみられては如何でしょうか。

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※『西武だいすき』は、駅売店をはじめ即日完売店が続出し、たいへんご迷惑をお掛けしております。順次追加販売できる予定です。

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