鉄道ホビダス

2015年7月アーカイブ

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▲国登録有形文化財となっている旧上藻別駅逓所の庭には遊具の「鴻紋軌道」が。しかしよく見るとレールは本物。'15.7.19
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鴻之舞鉱山は1973(昭和48)年に閉山。東洋一と謳われ、オホーツク有数の人口を誇った鴻之舞の町は瞬く間に廃墟と化し、そしてほぼすべての施設が撤去されて、今では一帯は深い森となってしまっています。道道305号紋別丸瀬布線を走っても、その沿道に1万5千人近い人びとが暮らした鉱山があったとはまったく思えません。

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▲鴻紋軌道は戦時中に完成し、戦後間もなく撤去されてしまったため、地形図・地勢図には記載されなかった。二十万分の一地勢図「紋別」(昭和14年要部修正・24年応急修正/地理調査所発行)に鴻紋軌道のおおまかな位置を記入してみた。
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閉山から40年以上、近年では鴻之舞鉱山の歴史を発掘する動きも盛んで、そのひとつに「銀色の道」の顕彰があります。1966(昭和41)年にダークダックスとザ・ピーナッツがそれぞれ発表して大ヒットとなった「銀色の道」は、実は作曲者の宮川 泰さんが小学生の頃に住んでいた鴻之舞鉱山での鴻紋軌道の思い出を下敷きに作られたものだそうで、閉山30年を記念して鴻之舞鉱山跡と紋別駅跡に歌碑が建立されています。

ところで、手元の『北海道鑛業誌』(北海道石炭鑛業會/1934年)によれば、鴻紋軌道敷設以前は鴻之舞~丸瀬布間に架空索道が設けられていたそうです。曰く「選鑛場丸瀬布間に架空索道を架設し、鐵道を以って丸瀬布驛に到着する買鑛鑛石を運搬(後略)」。同書所収の諸元によれば、安全索道鐵鞍式単線架空索道、水平線路13,589m、高低線路43m、搬器数273と記載されています。今でこそ「金八トンネル」(2009年開通)であっという間に通過できる金八峠ですが、粘着式鉄道ではとても太刀打ちできる峠ではなく、索道を鉄道に転換することもできず、やむなく紋別側に接続点を求めたのかもしれません。

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▲駅逓所の裏庭には鴻之舞鉱山で実際に使用されていた車輌たちが保存されている。先頭は協三工業製3tディーゼル機関車3006号。丸瀬布で保存されている3005号(昭和29年7月製/製番3098)の兄弟機だ。'15.7.19
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さて、駅逓所の裏庭には鴻之舞鉱山で使用されていた数々の車輌が保存されています。駅逓保存会の皆さんが鉱山と鴻紋軌道を偲ぶ縁にとメンテナンスを行っているもので、状態も良好で気持ちよく見学することができました。

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▲手作りの上屋に護られて保存展示されている鉱山用の各種車輌たち。手前はバケットローダー。'15.7.19
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▲グランビー鉱車(右上、左下)やチップラー用鉱車(右下)、それに小さな人車(左上)が編成になって保存されている。'15.7.19
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「動かしましょうか」...駅逓保存会の方が突然そうおっしゃられたのには心底驚きました。なんと協三工業製のディーゼル機関車は皆さんの手で"動態"に復元されたのだそうで、わずか数メートルの往復ではありますが、そこには確かに生き返った鴻之舞鉱山がありました。

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▲協三工業製ディーゼル機関車のキャブに乗り込むやエンジンを始動。盛大なエキゾーストとともに生き返った。なんと〝動態"だったのだ。'15.7.19
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▲わずか数メートルながら人車+鉱車の編成を従えて"走る"協三製キャブレス。独力でレストアしたとのことで頭が下がる。'15.7.19
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この駅逓所を起点に線路を延伸して保存車輌を走らせられればと、夢を描いておられる保存会の皆さん。ささやかな"鴻紋軌道"が復活した暁には、金八トンネルの開通で30分ほどの距離となった丸瀬布いこいの森と一体のヘリテージ・エリアとして、より魅力あるものとなるに違いありません。

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▲かつての鴻紋軌道跡へとのびる軌道。遠軽町(丸瀬布)から延伸用のレールを分けてもらってあるとのことで、近い将来、駅逓所を起点とした"鴻紋軌道"が復活するに違いない。'15.7.19
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▲真紅のトラスが印象的な鴻紋軌道五号坑橋梁。ただしトラス部分は後年送水管用に作られたもので軌道時代のものではない。'15.7.19
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「これから鴻紋軌道の跡を見に行きますが」...丸瀬布いこいの森でご一緒した髙井薫平さんの言葉に誘われて、「鴻紋軌道」という聞き慣れない軌道跡を訪ねました。営業鉄道ではなく、「鴻紋」という名称もあくまで便宜的なものですが、日本三大金山のひとつ鴻之舞と紋別を結んでいた実体を示すには、けだし的確な軌道名といえましょう。

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▲丸瀬布から金八峠を越えて紋別へと抜ける途中、山中に忽然と現れる大煙突こそが鴻之舞鉱山の名残。余談ながらこの付近はキタキツネが頻繁に横切るので運転には注意。'15.7.19
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「鴻紋軌道」は住友金属鉱山鴻之舞鉱山の鉱石輸送、人員輸送のために建設された762㎜軌間の軽便鉄道で、1940(昭和15)年に着工、1943(昭和18)年6月に完成したと伝えられます。路線延長28㎞、3輌の蒸気機関車により本格的な運輸を開始しようとした矢先、戦局の悪化とともに金鉱山であった鴻之舞鉱山の休山が決定してしまい、本来の使命を果たすことなく不本意な残務整理に利用されることとなります。

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▲道道を乗り越える鴻紋軌道五号坑橋梁の全景。1940(昭和15)年10月に完成したという。わずかな期間ではあったが、この橋梁上を蒸気機関車の牽く列車が行き来していたのだ。'15.7.19
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▲後年作られた送水管用トラスだが、上路部分の枕木方向に古レールが利用されているのがわかる。'15.7.19
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交通手段の脆弱な地域だけに、終戦後は生活路線として復活したこともあったようですが、道路の整備とともに1949(昭和24)年に運行を休止、翌1950(昭和25)年には撤去されてしまいました。全線11カ所の駅、停留所が設けられており、一万人以上の人口に膨れ上がった鴻之舞とその沿線住民にとっては、わずかな運行期間ながら忘れられない鉄道の記憶として今なお語り継がれています。

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▲藻別川を跨いでいた宝橋の橋脚。軽便線とはいえ、かなりの輸送量を想定していたのだろう、地上設備はサブロク級の立派なもの。'15.7.19
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そしてこの五号坑橋梁をはじめとした鴻紋軌道の遺構を護り、その存在を後世に語り継ごうとされているのが旧上藻別駅逓所のボランティアの皆さんです。旧上藻別駅逓所は国の登録有形文化財になっており、ボランティアの皆さんは4月末から11月末まで、月曜日以外は毎日駅逓に詰め、時折やってくる訪問客に鴻之舞金山の栄華と鴻紋軌道の様子を解説しておられます。
▲金鉱山は消え去ったが、その跡地では住友金属鉱山鴻之舞採石場がささやかに操業中。'15.7.19
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▲往時の姿を今に伝える上藻別駅逓。駅逓とは北海道特有の明治・大正期の交通の中継施設で、保存会の皆さんが護り続けている。'15.7.19
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▲昭和時代のさまざまな生活用品を展示している駅逓所内(左)。右は金鉱が見事に露出した鉱石。'15.7.19
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▲最盛期には実に人口1万人4千人以上にもなったという鴻之舞鉱山。収容人数2500人を誇る映画館「恩栄館」をはじめ、一帯はオホーツク有数の巨大な町を形成していた。'15.7.19
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駅逓内には夥しい数の写真と、鴻之舞金山ありし頃の生活用品が保存展示されており、もちろん鴻紋軌道の写真や路線図もきちんと掲出されています。ここではそのなかから敷設時の様子と休止時の記念写真の展示をお目にかけましょう。

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▲駅逓所内に展示されている鴻紋軌道敷設時の様子。機関車は日立製作所製のBタンク機。'15.7.19
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▲同じく駅逓所内に展示されている休山を前にした記念写真。3輌の在籍機関車は1Bテンダーに改造されて十勝上川森林鉄道に転じた。'15.7.19
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ところで、バルーン・スタックが印象的なBタンク機は日立笠戸製の13t機(1941年12月~1942年2月製・製番1451~1453)。番号はなぜか171~173と判じ物で、鴻紋軌道廃止後は協三工業で1Bテンダーに改造(小熊米雄『日本における森林鉄道用蒸気機関車について』北大農学部演習林業務資料別刷→こちら)されて、根室本線新得から出ていた十勝上川森林鉄道に再就職しています。ただ、こちらも5年ほどでDLにその座を明け渡し、3輌揃って1956(昭和31)年6月に廃車されてしまいます。

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▲今年の「鉄道模型ショウ」のポスターにもなっている上野駅13番線の撮影用ジオラマの現物も展示されている。'15.7.29
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今日から松屋銀座8階で夏休み恒例の「鉄道模型ショウ」が始まりました。日本Nゲージ鉄道模型工業会が主催するこの催事、毎年ファミリー層を中心に大人気で、今日もオープン直後から会場はたいへんな熱気に包まれていました。

20150729142734-d1374b334424b27a4cd5f292528389aa4ed2145e.jpg今年のテーマは「さよならブルートレイン」。今年8月に運行を終了する「北斗星」を軸に、Nスケールでも根強い人気を誇る歴代ブルートレインを、特設コーナーを例年より拡大して大特集しています。もちろん定番となっている全長40メートルの大ジオラマレイアウトが会場中央に設置され、体験運転コーナーや各社の新製品発表、さらには各種の物販など一日たっぷり楽しめるイベントとなっています。
▲今日から松屋銀座8階イベントスクエアで開催されている「鉄道模型ショウ2015」のエントランス。'15.7.29
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▲初日の朝からたいへんな賑わいぶり。体験運転コーナーは早くも45分待ちの大盛況となった。'15.7.29
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さて、目玉となっている今年の特集「さよならブルートレイン」は、模型とジオラマで消えゆくブルートレインを再現するのみならず、実物のヘッドマークをJR東日本田端運転所から借用して展示するなどなかなか力の入ったもので、スケールに関わらず、いや、模型を嗜むかどうかに関わらず一見の価値があるものと言えましょう。

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▲今年のテーマは「さよならブルートレイン」。特設コーナーには歴代ブルートレインがNゲージフル編成で再現されている。'15.7.29
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▲「あさかぜ」「富士」といった歴史あるブルートレインの向こうをシルバーの「カシオペア」が快走する(左)。歴代略年表や走行線区略図などもわかりやすく展示されている(右)。'15.7.29
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特設コーナーの一角には夜の闇を走る「北斗星」の走行を再現したスペースがあり、暗闇の中をNスケールの「北斗星」がファンタジックに走り抜けます。しかもBGMのように流れているのは実際の車内録音で、特に掲示がないため気づきにくいかと思いますが、定期最終日上り「北斗星」上野到着前の車内音まで入っています。カレチの最終到着案内は感涙もので、来場された際はぜひお聴きになってみてください(音源はエンドレス)。

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▲特別に仕切られた一室では"夜のブルートレイン"を再現。投影機で走行中の列車が影絵のように壁面に映るギミックも。'15.7.29
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▲なんと田端運転所から借りてきたという本物のヘッドマークも展示されている。奥の「ゆうづる」はEF80時代のもの、手前の「北斗星」は現役だが、珍しい金縁の臨時用(定期用は銀縁)のもの。'15.7.29
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▲昨年の新幹線に続いて大人気なのが記念撮影コーナー。上野駅13番線の「北斗星」最終列車(?)から私も顔を出してパチリ。'15.7.29
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この「鉄道模型ショウ 2015」は今日から8月3日(月曜日)までの開催。変貌著しい銀座散策を兼ねて、ぜひお出でになってみてください。

第37回 鉄道模型ショウ2015
期間:2015年7月29日(水)~8月3日(月) 10:00~20:00(入場は19:30まで)
※最終日17:00閉場・入場は閉場の30分前まで
場所:松屋銀座8階イベントスクエア(東京都中央区銀座3-6-1)
◎入場料=一般700円、高大生500円、小中学生300円※小学生未満無料

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▲移設された西4丁目停留場。こちらは8月下旬まで使用されるとアナウンスされている。'15.7.18
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今春には開業すると伝えられていた札幌市電のループ化(アーカイブ「札幌市電M101との邂逅」参照→こちら)ですが、なんとようやく工事が始まり、先日、渡道した際にその現状を垣間見てきました。

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▲ループ化区間の概念図。駅前通り部はサイドリザベーションと呼ばれる歩道側軌道、内回り・外回りとなる。(札幌市路面電車活用計画より)
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このループ化は、現在、起点・終点となっている西4丁目停留場とすすきの停留場の間約400mを新設軌道で結び、全線のループ化を図ることによって路面電車のさらなる活用を図ろうというものです。駅前通り上は歩道側両側に軌道を敷設(サイドリザベーション)し、中間地点の狸小路付近には新たな停留場が設けられる予定となっており、完成の暁には、より柔軟な車輌運用など札幌市電の利便性は大きく向上するはずです。

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▲西4丁目の仮停留場よりかつての西4丁目停留場方向を見る。一旦軌道は撤去されているのがわかる。'15.7.18
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20150728153348-8cd7a72d9e9303b6bf6f84d43aa0ae88ea35c34a.jpgしかし、昨年1月および3月に実施した工事入札が不調に終わって予定通りに着工できず、札幌市交通局は昨年7月、「実質的な軌道敷設工事の着手は平成27年の雪解け後にすべきと判断」「路面電車ループ化開業については平成27年10月以降、遅くとも平成27年内の開業を目指す」と順延を明らかにしていました。
▲ループ化軌道工事中の看板があちこちに掲げられている。'15.7.18
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▲こちらはひと足早く仮停留場へ移設されたすすきの停留場。10月下旬まで供用されるという。'15.7.17
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▲仮設のすすきの停留場(左)と一時撤去された軌道(右)'15.7.17
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その待望の工事が始まったのが5月13日(水)。準備工事のため、まずはすすきの停留場が約100m西側(南4条西4丁目→南4条西5丁目)に移設され、続いて6月23日(火)には西4丁目停留場が同様に移設(南1条西4丁目→南1条西5丁目)されて、いよいよループ線の建設工事が本格化してきました。

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▲従来のすすきの停留場の跡地。ループ化軌道は駅前通りへと90度曲がることになるが、ことに内回りはかなりの急曲線となることが予想される。'15.7.17
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ところで今回新設軌道で結ばれる西4丁目停留場とすすきの停留場の間は、1973(昭和48)年3月31日までは軌道が敷設されていた区間で、42年ぶりの復活となります。札幌の街に雪が舞い始める頃、今度こそ、狸小路をかすめて駅前通りをゆく市電の姿が見られるはずです。

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デキ3は朝、動く。

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▲今から41年前の仲ノ町。上り1列車目。外川方面より現れたのはデハ201+ハフ2の銚子行き。'74.10.1 P:古村 誠
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現在発売中の『Rail Magazine』384号(→こちら)では、白土貞夫さんの「銚子電気鉄道デキ3の謎を再考する」を核に、その知名度の割には知られざる同機の現状と来歴の検証を試みております。ご覧になられた方からさっそくレスポンスを頂戴しておりますが、今日は古村 誠さんがお送り下さった、デキ3最後の"定期旅客仕業"の様子を連続写真でお目にかけましょう。当時、デキ3は仲ノ町から客車を連結した銚子行き上り列車にぶら下がり、折り返しでその先頭となって仲ノ町まで戻ってくるという仕業に就いていました。

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▲仲ノ町駅ホームに到着した上り列車の外川方にデキ3を連結。デキ3はそのままぶら下がるかたちで銚子駅へと向かう。'74.10.1 P:古村 誠
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「デキ3は朝、動く」というだけの情報しかなく訪れたのは1974(昭和49)年10月1日。銚子までは遠く、自宅を朝出たのでは間に合わないため前日の夜に出て国鉄の銚子駅舎で一夜を明かしての訪問でした。
現地に行ってわかったのは、銚子電鉄は朝のラッシュ時に客車を増結するのですが、銚子駅が頭端式で機回しができないため、仲ノ町で銚子行列車の最後尾にデキ3を連結し折り返し列車はデキ3を先頭に銚子駅を出発、仲ノ町でデキ3を外して機回しをするというものでした。デキ3は手ブレーキ操作のみを行うのでビューゲルは降ろしていました。それでもデキ3が本線上を走るということだけでうれしかったことを覚えています。
2年後の1976(昭和51)年8月11日に再度訪れたとき、デキ3はその役をデハ101に譲り、この仕業に出てくることはありませんでした。懐かしい思い出です。

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▲折り返しの下り列車。仲ノ町に到着しデキ3を解放したところ、デキ3は一旦本線の外川方に逃がし、機回し線を使ってデハ201がハフ2を入換える。'74.10.1 P:古村 誠
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▲デハ201の"機回し"が終わった後、外川方に逃がしていたデキ3が戻ってきたところ。列車はデハ201+ハフ2の編成で外川へと向かう。'74.10.1 P:古村 誠
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▲上り2列車目が仲ノ町に到着。今度の編成はデハ301+ハフ1。ハフまで満員なのがわかる。'74.10.1 P:古村 誠
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▲さっそく外川方にデキ3を連結。'74.10.1 P:古村 誠
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▲銚子に向かって発車。デキ3のビューゲルは降りている。'74.10.1 P:古村 誠
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▲折り返しデキ3+ハフ1+デハ301の下り列車。銚子方面から現れたところ。'74.10.1 P:古村 誠
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▲仲ノ町駅構内に入るデキを先頭にした下り列車。デハ301のビューゲルだけが上がっている。デキ3はいわば前方監視役といったところか。'74.10.1 P:古村 誠
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▲仲ノ町駅ホームに到着。'74.10.1 P:古村 誠
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▲"ラッシュ"も終り、ハフ1は入庫するため、デキ3がハフ1を牽いて本線下り方へ。'74.10.1 P:古村 誠
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▲ハフ1を機回し線に留置。'74.10.1 P:古村 誠
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▲上り3列車目が外川方面より現れた。1列車目と同じデハ201+ハフ2の編成。外川で機回し線を使ってハフ2を入換えている。'74.10.1 P:古村 誠
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▲外川方にデキ3を回す。'74.10.1 P:古村 誠
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▲デキ3を外川方に連結。この列車の客車も仲ノ町止まりなのでハフ2を解放。'74.10.1 P:古村 誠
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▲解放した客車を機回し線に。'74.10.1 P:古村 誠
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▲機回し線に留置していた客車と連結。'74.10.1 P:古村 誠
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▲機回し線の客車達を側線に持っていくためデキ3を客車達の銚子方に回す。'74.10.1 P:古村 誠
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▲デキ3が牽引して2輌の客車を側線へと移す。'74.10.1 P:古村 誠
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▲加藤祐治会長がラジオで東京オリンピック(1964年)のマラソンの実況放送を聞きながら描いたという逸話の残るC50の設計図面。もちろんCADなどあろうはずもなく、方眼紙に手書き。右の金属板は輸出モデルとして最初に開発されたアルコPA-1の彫刻原版。当日はこれらの貴重な資料も展示される予定。P:RMM
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今年は1965(昭和40)年に関水金属(KATO)が日本最初のNゲージ製品を生み出してからちょうど50年目にあたります。現在発売中の『RM MODELS』(№241)では、50周年を契機に関水金属社内で"発見"されたC50の設計図面や、初の輸出モデルPA-1の彫刻原版などを初公開するとともに、黎明期のNゲージ製品と同社の歩みを大田治彦さんのご協力を得て8ページにわたって振り返っております。

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▲C50の初期製品は炭水車にモーターが入っており、キャブ中の自在継手(ユニバーサルジョイント)を介して動輪を駆動させていた。この初期製品にもモーターなどの違いにより前期・後期仕様がある。P:RMM(モデル協力:大田治彦)
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20150724172933-db7503f9e7ad2baec38d49715d122b1f63125603.jpg再来週の8月8日(土曜日)・9日(日曜日)に東京ビッグサイトで開催される「鉄道模型コンテスト2015」会場でも、Nゲージ生誕50周年にちなんださまざまな催しが行われます。まず注目なのが普段はほとんど目することのできない最初期のNゲージ製品の実物展示です。
▲半世紀ぶりに加藤祐治会長の掌に戻ってきたC50初期製品。P:鈴木康浩
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■関水金属(KATO)のNゲージ初期製品
わが国初のNゲージ製品として知られるC50、オハ31のほか、のちのNゲージ隆盛を予感させる鮮やかな色彩の103系電車初代モデル13種などを展示。
展示予定品:C50、オハ31、103系電車、EF70、トキ15000、コキ10000などの初期製品。
■SONYマイクロトレーン
「幻の」と形容されるSONYマイクロトレーンは、関水金属とは別にSONYが1963(昭和38)年頃に開発を進めたNゲージサイズの極小鉄道模型。約200セットの試作品が製作されたとされるが、一般に市販されることはなく、現存するものも極めて少ない。
■Arnold V200機関車
現代とは趣を異にする製品コンセプトに基いて生産・企画されたドイツ製品。Nスケール(1/160)よりさらに小さい1/200の縮尺で製作され、今日とは異なる材質や製作技法が採用されている。
※展示品は変更になる場合があります。

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▲SONYマイクロトレーンセット。機関車に2輌の客車、線路が立派な紙箱に収納されており、これにレイアウトマットと説明書が付属する。宣伝用に関係先に配られたのみで、市販には至らなかった。P:RMM(モデル協力:大田治彦)
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▲謎の多いマイクロトレーンだが、ED75には試作途上と思われるモデルも存在する(手前)。"量産品"(奥)と比較すると手すりの再現方法などが異なる。P:RMM(モデル協力:大田治彦)
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そして8月8日(土曜日)12時30分からは特設ステージで大田治彦さんの「Nゲージ生誕50周年記念講演」が行われます。Nゲージのルーツから関水金属の初期製品までを、豊富なビジュアルとともに大田さんが解説されます。また、第2部ではNゲージ黎明期を実体験された関水金属の創業期社員の皆さんによるトークイベントも予定されており、こちらのMCは私が務めさせていただきます。
第1部 12:30~14:00
第2部 14:00~14:30

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▲初期の関水金属製品たち。103系はクハ103、モハ103、サハ103の3種にそれぞれカナリア・オレンジ、ウグイス、ブルーの4色が設定されて12種類、さらに少し遅れてブルーのクモハ103が加わって合計13種類が発売された。P:RMM(モデル協力:大田治彦)
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20150724173120-143fba9160843048c1b6a807379b1161b76c9b74.jpgさて、今年の「鉄道模型コンテスト」は高等学校モジュール部門のエントリーだけで実に145校と過去最高を記録しており、大接戦が予想されます。さらに最優秀賞校は、本年11月にドイツ・シュトゥットガルトで開催される「第10回 欧州Nスケールコンベンション」へ招待されます。果たしてどの校が海外遠征の栄冠を掴むのか、今年も審査員を務めさせていただく私としても今から楽しみでなりません。
(昨年のコンテストの様子は→こちら

■鉄道模型コンテスト2015
(期日)
2015年8月8日(土)
10:00〜18:00(入場は17:00まで)
2015年8月9日(日)
10:00〜17:00(入場は16:00まで)
(会場)
東京ビッグサイト(東京国際展示場)西3ホール
(入場料)
大人:一日1,000円
高校生以下:無料
※中高生は学生証を提示のこと。
※小学生以下は保護者同伴のこと。

詳しくはhttp://www.moraco.jp/→こちら

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新十津川駅再訪。

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▲いつできたのだろうか...駅舎の上り方には「のびのびぼくじょう」と称するミニ牧場が設けられ、ポニーたちがのんびりと草を食んでいた。'15.7.18 新十津川
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先週末は東西のお歴々の恒例の旅行会があって北海道へ。ひと足早く札幌入りし、4年ぶりに札沼線を訪ねてみました。

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▲新十津川駅全景。キハ40 402単行の5425Dが13分の停車で5426Dとして折り返すと、午前中の列車はもうない。'15.7.18 新十津川
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前回、札沼線を訪ねたのは2011(平成23)年11月のこと(本誌2012年2月号=№341)。桑園~北海道医療大学間28.9㎞の電化開業が翌年に迫った晩秋のことでした。函館本線桑園駅と、同じく函館本線滝川駅にほど近い新十津川駅間76.5㎞を結ぶ札沼線は、学園都市線の愛称を持ちながらも、いくつかの区間で異なった顔を持ちます。すなわち、札幌の通勤・通学圏として電車が走る桑園~北海道医療大学間、これはまさに学園都市線の名の通りの都市近郊線区ですが、北海道医療大学から先の非電化区間は途端に鄙びたローカル線と化します。石狩月形から先は非自動閉塞(スタフ閉塞)区間となり、さらに浦臼から終点の新十津川までは一日3往復という超がつく閑散線区となります。

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▲幾星霜の風雪に耐えてきた駅名標(左)。右は待合室に掲げられた案内時刻表で、3往復のみがささやかに記されている。'15.7.18 新十津川
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運用車輌はキハ40形の400番代2輌(401・402)。北海道用のキハ40形100番代をワンマン化改造した700番代車を、さらに札沼線石狩当別~新十津川間用にエンジンをパワーアップ(330ps→450ps)したもので、側面客室扉が萌黄色に塗装されているのが外見上の特徴です。

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▲"初列車"9時28分着の5425Dの到着を「津軽はね太鼓」の演技で迎える空知中央病院保育所の園児たち。3年ほど前から毎朝5425D→5426Dの歓送迎を行っているという。'15.7.18 新十津川
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20150722191228-bc9a2de98ac7089f40deba947c2a2983d80381a5.jpgちなみにローカル線の終着駅というと閑散とした駅周辺をイメージしますが、この新十津川は駅前に空知中央病院の立派なビルが聳え、どちらかというと街中の風情です。それもそのはず、函館本線の滝川駅とは石狩川を挟んで3キロほどの位置関係にあります。
▲一日わずか3往復の無人駅にも関わらず、ボランティアの皆さんの手によって見事に整理整頓された駅舎内。訪れた人々の思いが書き込まれた「新十津川駅ノート」は何代目だろうか。'15.7.18 新十津川
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しかし、その距離が新十津川駅の命運を左右しつつあります。新十津川町から札幌方面に出るのにわざわざ札沼線を利用することはありえず、結果、北海道医療大学~新十津川間の1キロあたりの一日平均輸送人員は81人とJR北海道中ワーストとなってしまっているのです。

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▲札沼線が全線健在だった1969(昭和44)年当時の時刻表路線図。新十津川~石狩沼田間は1972(昭和47)年春に廃止されている。
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この6月に第三者委員会「JR北海道再生推進会議」が発表した提言書では、この札沼線北海道医療大学~新十津川間を筆頭に、石勝線新夕張~夕張間、留萌線深川~増毛間、根室本線滝川~新得間、日高線苫小牧~様似間、宗谷本線名寄~稚内間、根室本線釧路~根室間、釧網本線東釧路~網走間の7路線8区間が輸送密度(1キロあたりの一日平均輸送人員)500人未満の「利用の少ない区間」とされています。新十津川駅の今後が懸念されてなりません。

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▲ホームを外れると赤錆た線路は100mほどで途切れる。かつてはこの線路が石狩沼田まで続いていた。15.7.18 新十津川
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▲キハ47形を改造したJRKYUSHU SWEET TRAIN「或る列車」。外観は金と黒に唐草模様があしらわれている。なお、前照灯が追設されているほか、後位側の側扉は埋め込まれている。'15.7.17 小倉総合車両センター P:RM(伊藤真悟)
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JR九州は、「ななつ星in九州」に続く10番目の"D&S列車"としてJRKYUSHU SWEET TRAIN「或る列車」を登場させることを発表していましたが、このほど車輌が完成し、去る7月17日に小倉総合車両センターで報道公開が行われました。

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▲1号車キロシ47-9176の客室内。テーブル席車輌で、2名利用と4名利用テーブルが設置されている。'15.7.17 小倉総合車両センター P:RM(伊藤真悟)
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「或る列車」とは、1906(明治39)年、当時の九州鉄道がアメリカのブリル社に5輌編成の豪華客車を発注したものの、九州鉄道が国有化されたため、ほとんど活躍する機会のなかったいわゆる「九州鉄道ブリル客車」です。「原鉄道模型博物館」を開設した故原信太郎さんが、この客車を自身のオリジナルを加えて模型化したのはご存じの通りです。

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▲2号車キロシ47-3505の客室内。こちらは2人用個室車輌で、雪見障子により部屋が仕切られる。なお、旅行商品では大人1名での利用も可能(テーブル席車輌は2名利用テーブル)。'15.7.17 小倉総合車両センター P:RM(伊藤真悟)
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今回登場したJRKYUSHU SWEET TRAIN「或る列車」は、故原信太郎さんが愛した幻の客車「或る列車」の模型(アーカイブ「原鉄道模型博物館 7月10日開館」参照→こちら)を元に、同館副館長の原 健人さんの監修により、水戸岡鋭治さんがデザイン・設計を行ったもので、「或る列車」の模型を1/1スケールで再生させ、そのロマン・情熱を受け継げるよう、世界の、日本の、九州の色・形・素材に匠の技を組み合わせて、質の高いオンリーワンD&S列車としたものです。

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▲お披露目式であいさつをする九州旅客鉄道株式会社 青柳俊彦代表取締役社長。また、JRKYUSHU SWEET TRAIN「或る列車」のオリジナル音楽は株式会社音楽館の向谷 実さんが担当し、来賓としてお披露目式に出席された。'15.7.17 小倉総合車両センター P:RM(伊藤真悟)
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また、キーワードは「ARU」で、AMAZING(「素晴らしい」九州の魅力を広く紹介)、ROYAL(「豪華な」デザイン、「素晴らしい」スイーツコース)、UNIVERSAL(「世界中の」「皆さま」に愛される列車を目指して)からなっています。
車輌はキハ47形を改造した2輌編成で、1号車がキロシ47-9176(元キハ47 176)、2号車がキロシ47-3505(元キハ47 1505)となり、形式記号に「キロシ」が初めて登場したのが特筆されます。

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▲主催者のあいさつに続き、水戸岡鋭治さんと原 健人さんが来賓あいさつを行った。'15.7.17 小倉総合車両センター P:RM(伊藤真悟)
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外観デザインは、模型の「或る列車」を手本に金と黒、唐草模様をあしらいJR九州流にアレンジしています。このため、前面から側面にかけての下部や、前面窓下の手すり・スカート部にも唐草模様が施されています。

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▲「或る列車」模型借受で模型が披露された。この模型はJRKYUSHU SWEET TRAIN「或る列車」内で展示される。'15.7.17 小倉総合車両センター P:RM(伊藤真悟)
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客室内は1号車がテーブル席車輌で、2名利用テーブルと4名利用テーブルが配され、ロマンチックな色・クラシカルな形とし、素材は明るく優しいメープル材を使用しています。一方、2号車は2人個室車輌で、落ち着いた色とウォールナットの組子に囲まれた個性的なコンパートメントとしており、厨房とカウンターが設置され、スイーツやドリンクが提供されます。

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▲「或る列車」お披露目で除幕直前のシーン。'15.7.17 小倉総合車両センター P:RM(伊藤真悟)
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このJRKYUSHU SWEET TRAIN「或る列車」は、8月8日から久大本線大分~日田間で運行を開始し、金曜・土曜・休日などを中心に1日1往復の運行を予定しているほか、今年の秋季以降には佐世保~長崎間でも運行を予定しています。また、乗車するには、JR九州旅行支店、JR九州の駅旅行センターや大手旅行会社の旅行商品を購入するかたちになります。

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▲お披露目をした後に、客室乗務員を交えてフォトセッションが行われた。'15.7.17 小倉総合車両センター P:RM(伊藤真悟)
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なお、報道公開当日は、車輌公開の前にお披露目式が開催され、九州旅客鉄道株式会社 青柳俊彦代表取締役社長のあいさつ、水戸岡鋭治さん、原 健人さんのあいさつに続き、客室乗務員の制服紹介、「或る列車」模型借受、「或る列車」お披露目(除幕)、フォトセッションが行われました。
このJRKYUSHU SWEET TRAIN「或る列車」につきましては、本誌次号(8月21日発売号)で詳しく紹介する予定です。
取材協力:九州旅客鉄道株式会社


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▲苗穂駅から見た1963(昭和38)年当時の苗穂工場。中央は定山渓鉄道から引き取られたコロ1。この後北海道炭礦鉄道い1号として復元された。'63.9 P:豊永泰太郎 (RMライブラリー『国鉄工場めぐり』上巻より)
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20150721162404-ede7611316a03520cae37b709d1b41ed4b7e39f5.jpg今月のRMライブラリーは、藤田吾郎さんによる『国鉄工場めぐり』の上巻をお届けします。現在では一般公開が行われること多くなり、ファンが目にする機会も増えた鉄道会社の工場ですが、かつて国鉄時代には秘密のベールに包まれた存在であり、WEBで地形図や航空写真が簡単に検索できる現在と違って、中にはその場所すらにわかには判然としない小規模な工場もありました。

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▲苗穂工場は北海道を代表する工場だけあって記録も多い。 (RMライブラリー『国鉄工場めぐり』上巻より)
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しかし、見学の機会を得ていったん内部に入ると、そこには検査入場中の車輌のみならず、工場から滅多に出ることのない救援車や試作車、あるいはとっくの昔に消えたはずの車輌が保管されていたりと、ファンにとってはきわめて魅力的な、非日常の空間が広がっていたのです。

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▲函館本線の車窓からよく見えた五稜郭車両センター。 (RMライブラリー『国鉄工場めぐり』上巻より)
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国鉄の工場は1949(昭和24)年の国鉄発足当時、工機部と呼ばれており、帯広、木更津、豊川など7ヶ所の分工場も含めて34ヶ所が設置されていましたが、その後の整備や統合により1973(昭和48)年時点では苗穂、郡山、盛岡、土崎、大宮、大井、大船、浜松、長野、名古屋、松任、吹田、鷹取、高砂、後藤、多度津、広島、幡生、小倉の工場19ヶ所と、釧路、新津、鹿児島の車両管理所3ヶ所、そして旭川、五稜郭、新小岩、橋本、若松の車両センター5ヶ所となりました。その後、新幹線を扱う博多、仙台が新設される一方、国鉄末期には整理・統合が進められて旭川、盛岡、橋本、高砂、若松の5ヶ所はJRに引き継がれることなく廃止されました。

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▲土崎工場の記録の数々。大型F級ディーゼル機関車DF90もここが終焉の地となった。 (RMライブラリー『国鉄工場めぐり』上巻より)
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本書は、1976(昭和51)年時点で存在した工場(車両センター、車両管理所を含む)について、国鉄当時の平面図とともに、見学の機会を得たファンによる記録を中心にご紹介するものです。上巻ではその全体像を解説する「略史」につづき、北から順に釧路、苗穂、輪西、旭川、五稜郭、盛岡、土崎、郡山、新津、新小岩、大宮、橋本の12ヶ所を収録しています。
国鉄時代に戻って知られざる工場の中を探訪するような本書、上中下の3巻構成でお送りします。ぜひご覧ください。

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▲業績改善が進むひたちなか海浜鉄道湊線。サマースクールでは吉田社長自らがその取り組みを語る。提供:ローカル鉄道・地域づくり大学
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ひたちなか海浜鉄道の吉田千秋社長を発起人とし、ローカル鉄道経営と地域共生のノウハウの体系化を目指す「ローカル鉄道・地域づくり大学」が今年もサマースクールを開講、そのカリキュラムのひとコマを私が受け持つこととなりました。

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▲サマースクールの座学の様子。今年もさまざまなテーマで座学が設定されている。提供:ローカル鉄道・地域づくり大学
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「ローカル鉄道・地域づくり大学」(2013年発足 代表理事・吉田千秋:ひたちなか海浜鉄道株式会社 代表取締役・国土交通省任命 地域公共交通マイスター)は、ローカル鉄道が地域とともに歩んでいくための知見や経験を集約し、地域コミュニティの活性化を目指して設立されたもので、恒例となっているサマースクールは今年で4年目を迎えます。これまでは将来の鉄道経営を目指す方向けの講座が中心でしたが、今年は9月に開講する第2回に初めて鉄道趣味に特化したレールファン向けの講座がプログラムされております。

20150716151336-627e4203d47ac3729c964e8f67afaaebf4f6219c.jpg2015年度サマースクール 開催概要
開催日程:第1回 8月29日(土)~8月30日(日)
     第2回 9月5日(土)~9月6日(日)

▲フィールドワークでは那珂湊駅機関区で車輌や鉄道設備に関して学ぶ。提供:ローカル鉄道・地域づくり大学
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内容:■第1回、第2回共通
・ひたちなか海浜鉄道のこれまでとこれから
・ローカル鉄道を支える地元・行政に聞く
■第1回のみ
・若桜鉄道ケーススタディ
・那珂湊駅、機関区、新旧車両見学・撮影会
・参加者による研究結果発表・講評
・ひたちなか海浜鉄道ケーススタディ
・那珂湊街めぐり
 ■第2回のみ
・ガイド付き湊線全線乗車
・那珂湊駅、機関区、新旧車両見学
・プロ写真家による鉄道写真講座
・那珂湊朝市見学
・鉄道趣味の歴史と現状
・ひたちなか海浜鉄道のダイヤ解説
対象:- 鉄道が好きで、普段は経験できないこと学びたいと思っている方
- 将来、鉄道の経営に関わりたいと思っている方
- ローカル鉄道のある地域・行政関係者など
- 旅行、乗りつぶし、写真、ダイヤ、車輌など鉄道趣味が好きなレールファンの方など
費用:29,000円
(宿泊費、1日目夕食・懇親会費、2日目朝食・昼食代を含みます。)
定員:第1回 定員40名(初参加者:20名、リピーター:20名)
   第2回 定員30名
場所:茨城県ひたちなか市 勝田駅・那珂湊駅周辺など
※第1回サマースクールは、ローカル鉄道サミットへの参加がカリキュラムの一部となっております。サマースクールの参加費には、ローカル鉄道サミットへの参加費が含まれています。
※第1回は、初めての参加者の方とリピーターの方で、カリキュラムが一部異なっております。
※第1回と第2回の両方にご参加頂くことも可能ですが、カリキュラムの一部が重複しておりますので、あらかじめご了承ください

私はこのうち9月6日(日)のカリキュラム「鉄道趣味の歴史と現状」を担当させていただきます。実はこれまでにも釧路公立大学(アーカイブ「道東の鉄道遺産を巡る」参照→こちら)や法政大学でも同趣旨の発表を行っておりますが、いずれも公募セミナーではなく、こういった形でアナウンスすることはできませんでした。ご興味のある方はぜひこの機会にご参加ください。

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▲第1回ローカル鉄道サミットの様子。提供:ローカル鉄道・地域づくり大学
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なお、同時に「第2回ローカル鉄道サミット」も開催されます。この「ローカル鉄道サミット」は、全国のローカル鉄道の経営、研究に最前線で取り組む方を迎え、ローカル鉄道と地域づくりに資する具体的な施策や、ローカル鉄道の未来についての意見を出し合うもので、2013年に第1回が開催されました。

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▲大きな反響を呼んだ若桜鉄道の「SL社会実験」を山田和昭社長自らが振り返る。ちなみに若桜鉄道の山田社長はサマースクール出身者。提供:ローカル鉄道・地域づくり大学
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第2回ローカル鉄道サミット 開催概要
開催日程:8月29日(土) 14:00~16:00
費用  :1,500円
     (税込/ひたちなか市民の方は、無料にてご参加頂けます。)
定員  :300名
場所  :[那珂湊]ひたちなか市那珂湊総合福祉センター ふれあい交流館「しあわせプラザ」
=登壇者(予定)=
・吉田 千秋【ひたちなか海浜鉄道 代表取締役 ローカル鉄道・地域づくり大学 理事長】
・本間 源基【ひたちなか市長】
・山田 和昭【若桜鉄道 代表取締役社長】
・小高 直弘【WILLER TRAINS株式会社(京都丹後鉄道) 常務取締役】
・中川 大【京都大学大学院工学研究科・教授 交通政策研究ユニット長(京・都丹後鉄道・技術顧問)】

■参考URL
・ローカル鉄道・地域づくり大学公式サイト
※イベント詳細、過去のサマースクールの模様は→こちら
http://www.community-daigaku.jp/
・サマースクール申し込みページは→こちら
http://everevo.com/event/25045
・ローカル鉄道・地域づくり大学公式Facebook
https://www.facebook.com/community.daigaku

※明日は不在のため休載させていただきます。

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1972年夏...立野界隈。

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▲高森線にはC12牽引の4往復の旅客列車が設定されていたが、そのうちの1往復は混合列車であった。写真は混126レだが、ポジションが悪く客車がちょうど隠れてしまった。'72.8.19 長陽-立野

先日別のネガを探している際に、ふと1972(昭和47)年8月の九州旅行のポジが目にとまりました。夜行16連泊という今さら思えば常軌を逸した自己記録を打ち立てた(?)この時の九州行きは、好天に恵まれた分だけ、日々灼熱地獄との闘いでした。

20150715134350-bfdc936f5f869430e4394090ff9f02e5bc8107cc.jpgそんな旅程の最後に立ち寄ったのが豊肥本線の立野です。当時から立野のスイッチバックは広く知られ、しかも同駅から分岐する高森線にはC12の牽く旅客列車が残っているとあって、多くのファンが足を向けた駅でした。抜群のロケーションを誇る高森線のC12は熊本機関区の所属。と言っても熊本区から日参するわけではなく、高森にあった駐泊所に常駐しているため、運用も高森起点でした。ちなみにC12牽引の旅客列車はこの時点では全国的にも高森線で見られるだけとなってしまっていました。
▲灼熱の立野駅で発車を待つC12 208〔熊〕。九州のC12とC11に特徴的な後部の換気窓に注意(アーカイブ「C11 190の換気窓」参照→こちら)。'72.8.19 立野

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▲高森線全6往復のうち2往復は熊本発着の気動車列車だった。昔も今も変わらぬ名所・第一白川橋梁を行く熊本行き2732D。'72.8.19 長陽-立野

一方、豊肥本線は熊本~宮地間を熊本機関区の9600、大分~豊後竹田間を大分機関区のC58が受け持っており、熊本の9600は一部が大分まで遠征する運用を組んでいました。ただし、立野のスイッチバックを越えて宮地以遠に行く運用は3往復しかなく、そのうち朝7時台を除けば、撮影時間帯には12時台の1795レと13時台の1794レの2本だけ。もちろん上り列車は一方的な下り込みですから、見どころは実質1795レしかないという状況でした。

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▲緩急車の誘導を先頭に立野のスイッチバック一段目を推進する1795レの9600。いかにも阿蘇らしい雄大な風景に、33.3‰に挑む凄まじいブラスト音が響く。'72.8.19 立野-赤水
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そんな中で被写体としては撮影しにくかったものの、夕闇とともに上がってくる旅客列車1727レが深く印象に残っています。豊肥本線熊本方ではわずか一往復が残された蒸機牽引の旅客列車で、高森線直通客車を併結しているため熊本~立野間は9600の重連設定となっていました。

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▲高森行き129レを分離して立野を発車、夕闇の中、スイッチバック2段目を上る1727レ。客車の白熱灯の明かりが温かい。'72.8.19 立野-赤水
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そんな豊肥本線の9600が消えたのが訪問から一年も経たない1973(昭和48)年3月のこと。高森線のC12こそ1975(昭和50)年まで生き延びたものの、再び足を向けることはありませんでした。そう、16年後にまさか復活した58654を見に再訪することになろうとは、想像さえしなかった43年前の夏でした。

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▲熊本17時30分発宮地行きの1727レは高森行きの129レを併結しているため、同区間唯一の9600重連による旅客列車だった。しかし立野着は18時36分と撮影には苦しい設定。黄昏をバックに2㎞近く続く33.3‰勾配を踏みしめる1727レ。'72.8.19 瀬田-立野
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 ▲世はまさに"ブルトレブーム"の真っただ中。東京駅ホームには連日チビッ子ファンが押し寄せていた。背後に見えるスカ線や荷物電車も懐かしい。'78.5.28 東京 P:諸河 久

8月21日(金)、22日(土)、23日(日)に、今年も「国際鉄道模型コンベンション」(JAM)が開催されます。会場はお馴染みの東京ビッグサイト(東4ホール)。16回目となる今年から運営主体が井門コーポレーション内に設けられた国際鉄道模型コンベンション実行委員会に移り、従来見られなかったいろいろな企画が展開されます。

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▲白糸川橋梁を渡り一路東京を目指すEF65 506〔東〕牽引の20系「あさかぜ」。ブルートレインのために生まれたEF65Pと20系の組み合わせは王道中の王道であった。真鶴-根府川 P:諸河 久

そのひとつが会場内の特設ステージで行われる「フォーラムディスカッション」で、『国鉄時代』ではそのうちのひとつをサポート、「さよならブルートレイン」と題して斯界を代表するお三方にブルートレインの魅力を縦横無尽に語っていただきます。

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▲1965(昭和40)年の10月改正で奇跡の復活を遂げたC62牽引のブルートレイン。「ゆうづる」のわずか2年の輝きを求めてどれだけ多くのファンが常磐に通ったことだろうか...。'67.9.2 P:諸河 久

22日(土)14時スタートのトップを務められるのは『国鉄時代』でもお馴染みの成田冬紀さん。いわゆる"ブルトレブーム"以前、まさに20系客車全盛期の状況を、同時代体験したファンの目線で語っていただきます。昭和40年10月改正で奇跡の如く誕生したC62牽引の特急「ゆうづる」。同じくC11が受け持った「さくら」佐世保編成末端区間。EF58が誇らしげにヘッドマークを掲げてブルートレインの先頭に立っていた日々を、数々の貴重な写真とともに振り返ります。

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▲関門を護るEF30にも1985(昭和60)年4月からヘッドマークが復活。短い区間ながらブルートレイン牽引の誉れであった。門司 P:諸河 久

続いて登壇されるのはミスター・ブルートレインとも言える写真家の諸河 久さん。国鉄蒸機消滅後、1976(昭和51)頃からのいわゆる"ブルトレブーム"の立役者のお一人で、惚れ惚れするほど鮮明な諸河さんの写真に、どれほど多くの鉄道少年が心を奪われたことでしょうか。諸河さんにはEF65Pが全盛を極めたまさにブルトレ黄金期のエピソードをご披露いただきます。

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▲DF50のブルートレイン牽引も忘れられない。宮崎電化直前の20系「富士」。'74.2.10 田野-青井岳 P:諸河 久

そして掉尾を飾るのが、RM本誌でもお馴染みの岩成政和さん。次第にその勢いを削がれてゆく東海道ブルトレ、そして新幹線網の整備とともに相次ぐ廃止...と、今日までの変容ぶりを客車とそのサービス面での考察を交えて紹介していただきます。幅広い知見をお持ちの岩成さんならではの引き込まれるようなトークにぜひご期待ください。

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▲昨夜行われた演者の皆さんによる打ち合わせ。左から諸河 久さん、成田冬紀さん、岩成政和さん、カツミの坂井直人さん。'15.7.13 P:名取紀之
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さらにモデル・コンベンションならではのトークも計画されています。これまでにブルートレインを模型化してきたメーカー3社(カツミ、KATO、トミーテック)の担当者の方が登壇、自社製品の開発秘話から周辺エピソードまで、これまで語られることのなかった模型としてのブルートレインにスポットを当てます。
ちなみに今回の「国際鉄道模型コンベンション」のテーマは「語り継ぎたいブルートレイン」。フォーラムディスカッション「さよならブルートレイン」が開催される8月22日(土曜日)は奇しくも「北斗星」最終列車が札幌を発つその日にあたります。半世紀以上に亘るブルートレインの歴史に思いを馳せつつ、ぜひフォーラムディスカッション「さよならブルートレイン」にご参加ください。

■フォーラムディスカッション「さよならブルートレイン」(Supported by『国鉄時代』
期日:8月22日(土曜日)14:00~16:00
場所:東京ビッグサイト(東4ホール)/「国際鉄道模型コンベンション」(JAM)会場特設ステージ
入場:入場券(当日)1,200円/前売り券(入場引換券)1,000円(コンビニで販売)
※詳しくは「国際鉄道模型コンベンション」ホームページ→
こちら

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▲連京線(満鉄本線)公主嶺駅における満鉄社線用装甲列車第3号編成。独立守備隊第一大隊兵士が搭乗している。 (髙木宏之著『日本陸軍 鉄道連隊写真集』より)

『国鉄蒸気機関車史』の著者、髙木宏之さんが新刊『日本陸軍 鉄道連隊写真集』(潮書房光人社刊)を上梓され、さっそく見本を頂戴いたしました。前著『写真に見る鉄道連隊』(2011年)に続く鉄道連隊関係の写真・資料集ですが、収録写真類380点あまりのうち、実に約320点が前著出版後に新たに蒐集されたものというから驚きです。

20150710135015-d00ddd6f399706723164797c10201501c5988195.jpgしかも『国鉄蒸気機関車史』と相前後して本書をご執筆されていたわけですから、そのパワーにも圧倒されます。

本編は内地訓練、日露戦争、シベリア出兵、満洲方面、北支方面の5章と資料編に分けられ、それぞれの写真・資料には驚異的な造詣の深さに基づく詳細な解説が添えられています。ことに撮影地点の同定と撮影年の推測、さらには撮影時刻の類推まで実に理路整然と行われており、今後、鉄道連隊を語るうえで決して欠くことのできない第一級の資料集となっています。

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▲鉄道第一連隊営の西側における軽便鉄道列車(手前側)と普通鉄道列車(奥側)で、背景に同連隊の通用門が見える。写真の双合機関車(A13+B13)は連隊内で「九一式」と称された改装機で、煙突も独楽形に変更されている。 (髙木宏之著『日本陸軍 鉄道連隊写真集』より)

髙木さんはもともと標準軌間蒸機党で、軽便双合機関車に代表される鉄連車輌にはあまり関心がなかったのだそうですが、ご勤務先に鉄道第三連隊下士官のご子息がおられたのが縁で、本誌に「或る鉄道兵の記録」を寄稿、それをきっかけに鉄連関係の絵葉書や古写真を集め出し、ある程度まとまったところで前著『写真に見る鉄道連隊』を発刊されました。

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▲鉄道第二連隊材料廠組立工場内部の状況(左)。機関車は双合機関車A69。右は九一式貨車。 (髙木宏之著『日本陸軍 鉄道連隊写真集』より)
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▲本邦初出と思われる「九四式軌条敷設車」の稼働中の姿(左)。1936(昭和11)年頃、都賀-園生間での状況。右は小湊鉄道沿線と思われる農村部での双合機関車運転状況。 (髙木宏之著『日本陸軍 鉄道連隊写真集』より)
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本書の「あとがき」にも記されていますが、前著出版直後よりなぜか優れた資料が集まり出し、ご本人曰く「小生の努力で集めたと言うよりは、向こうから小生の目に留まるように自然と現われて、何か"お前ん家に行きたい"と言う声が聞こえるような気がして...」膨大な新資料が集積されてきたのだそうです。

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▲弁装置の点検を受ける広軌機関車2。いわゆる「鉄連ミカ形」で、2は第一連隊配置であった。 (髙木宏之著『日本陸軍 鉄道連隊写真集』より)

初出の装甲列車写真の数々も注目ながら、田園風景の中での双合機関車訓練の様子なども必見。また、銚子遊覧鉄道・黒部鉄道・西武鉄道・中国鉄道・京成電気軌道・参宮急行電鉄などの建設支援・災害復旧シーンは今後、民鉄史研究にも欠くべからざるものとなりましょう。巻末資料編には明治末~終戦直後の各年代における千葉・津田沼付近の旧版地形図を掲載しているほか、双合機関車と炭水車、さらには97式軽貨車の組立図なども収録されています。髙木さんは、願わくば、鉄道史・軍事史研究のみならず、近代史・郷土史研究の方面にも広く受け入れられて欲しいもの、とおっしゃっておられます。

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▲哈爾濱駅第一ホームに据えつけられた満洲皇帝乗用トク1。右下には伊藤博文公遭難メモリアルが写り込んでおり、両者を同一画面に写し込んだまさに近代史の縮図の一枚。 (髙木宏之著『日本陸軍 鉄道連隊写真集』より)

日本陸軍 鉄道連隊写真集
髙木宏之/潮書房光人社
B5判上製本/256頁/4800円+税

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▲暮れなずむダージリン駅構内をサリーを纏った女性が家路を急ぐ。"Darjeeling"(かつては"Darjiling")はもともとサンスクリット語の"Durjay Ling"に由来し、シバ神、雷神(Dorji)の場所(Ling)を意味するという。'15.5.1 Darjeeling
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さらばダージリン
たび重なる災害で路線が分断されて5年近く、なんとか復旧の目途がたって試運転も始まったとの報に、雨季が始まる前にと単身ダージリン行きを決めたのですが、結果としてはご覧いただいたように、"Joy Ride"以外のBクラス牽引列車を目にすることはできませんでした。かえすがえすもマハナディへの週末便がキャンセルとなってしまったのは悔やまれます。

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▲DHR(Darjeeling Himalayan Railways=ダージリン・ヒマラヤン鉄道)のロゴマーク。'15.5.3 Darjeeling
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ダージリンは決して手軽に行ける場所ではありません。デリーもしくはコルカタから国内線でバグドグラ空港、さもなければコルカタから夜行列車一泊でニュー・ジャルパイグリへ。しかもどちらにせよ、そこからダージリンまでは過酷な山道を数時間かけて攀じ登らねばなりません。かつての姿を知る先輩方からすれば、すっかり観光化されてしまったダージリンは魅力の褪せた存在に見えるかも知れませんが、それでも足掛け5日の滞在で、ヒマラヤン・2フーターまだまだ魅力的で、偽りなく世界屈指の存在であることを再認識いたしました。

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▲バタシアループを目指してヒル・カート・ロードを力行する786号機の牽く"Joy Ride"52548レ。'15.5.1 Darjeeling-Ghum
※クリックすると動画(「今日の一枚The Movie」)にとびます。

そんなダージリンですが、なんとその後復旧も進み、現在では見違えるように列車本数も増えています。2ヶ月早すぎた...との思いも去来しますが、最後に6月24日現在の最新運行状況をお知らせいたしましょう。
●New Jalpaiguri-Kurseong - Siliguri-Darjeeling(DL牽引)
02541 レ NJP 8:30発、 Siliguri Junction 9:30、 Tindharia 11:45、 Kurseong 14:30、Darjeeling着17:15
02540 レ Darjeeling10:15 発、 Kurseong 12:50、Tindharia 14:56 、Siliguri Junction 17:13 、NJP 17:45着
※Tindharia〜Kurseong間は未だに運休。
●Joy Trains: Darjeeling-Ghum-Darjeeling (往復運転)
52546レ Darjeeling 8:00 発(DL牽引)
52548レ Darjeeling 10:40発
52574レ Darjeeling 11:00発(DL牽引)
52549レ Darjeeling 13:20発
52575レ Darjeeling 13:35発(DL牽引)
52547レ Darjeeling 16:05 発
●'Red Panda': Darjeeling-Kurseong-Darjeeling(蒸機牽引)
52570レ (火・木・土曜運転) Darjeeling発9:10→Kurseong着12:45
52571レ (火・木・日曜運転) Kurseong発14:00→Darjeeling着17:50
●'Himalayan on Wheels': Kurseong-Mahanadi - Kurseong(蒸機牽引)
52573レ (日曜運転) Kurseong発10:15→Mahanadi着11:25、Mahanadi発11:55→Kurseong着12:35
52572レ (土曜運転) Kurseong発14:00→ Mahanadi 15:10着、 Mahanadi発15:40→ Kurseong着16:20
●Darjeeling- Kurseong - Darjeeling (DL牽引)
52587レKurseong発7:00 →Darjeeling着9:45
52588レDarjeeling発16:00→Kurseong着18:40
●'Jungle Safari': Siliguri Junction - Rangtong - Siliguri Junction(蒸機牽引)
52551レSiliguri Junction発10:30 →Sukna 11:20→ Rangtong着11:55
Rangtong発12:25→Sukna13:00→Siliguri Junction 13:40着

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▲そして、5日間をともに過ごしたあの犬たちに見送られてダージリンを後に...。'15.5.2 Darjeeling
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さようなら「天ノ川」駅。

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▲廃止から一年ぶりに一同に会した江差線廃止区間の駅名標。中央に「天ノ川」駅駅名標が見える。'15.7.5 P:辻 晴穂
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江差線の木古内~江差間42.1キロの営業運転が終了してからはやいもので一年あまり(アーカイブ「江差線木古内~江差間最後の日」参照→こちら)、同区間のシンボル的存在として親しまれてきた架空駅「天ノ川」駅がついに解体・撤去されることとなり、去る7月5日(日曜日)惜別イベントが開催されました。

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▲当日は雲ひとつない快晴。列車が通らなくなって一年、ついにこのレールも撤去されることになる。'15.7.5 P:辻 晴穂
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「天ノ川」駅は木古内~江差間活性化の一助にと「北海道夢れいる倶楽部」が1995(平成7)年の七夕に湯ノ岱-宮越間に設置したもの。ちょうど1輌分に相当する模擬ホームに実物と同様式の駅名標を建て、ファンのみならず観光客にも人気を博していました。ちなみに「天ノ川」は付近の河川・天ノ川が由来で、撮影名所であった第一・第二天ノ川橋梁でもお馴染みでした。

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▲函館バスが「天ノ川臨時停留所」を設置する粋なはからいをしてくれた。'15.7.5 P:辻 晴穂
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▲一日限りのバス停「天ノ川」。上下各2便ではあるが、ちゃんと時刻表も掲出された。'15.7.5 P:辻 晴穂
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路線廃止から一年が経過し、維持管理もままならなくなってきたことからついに撤去が決まったものですが、最後を盛り立てようとイベント当日には函館バスが会場前に臨時のバス停を設置、木古内-江差高校間の路線バスが上下各2便"天ノ川"に停車しました。函館バスのプレスリリースに曰く「江差線の最終運行日までに"天ノ川駅"に列車を停車させることは叶いませんでしたが、江差線代行バスの"天ノ川"臨時停留所の設置をもって、20年間テーマとしてきた"夢の天ノ川駅"にピリオドを打ちたいと思います」。

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▲主催する「北海道夢れいる倶楽部」では記念切符や記念スタンプを用意してイベントを盛り立てた。'15.7.5 P:辻 晴穂
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ところでこのイベントとあい前後して道内では再び路線廃止の動きが表面化してきているようです。『北海道新聞』をはじめとした道内メディア各社は、留萌線留萌~増毛間16.7㎞が2018年度までに廃止と報じています。江差線木古内~江差間廃止以降、同線五稜郭~木古内間の第三セクター移行(道南いさりび鉄道)以外、大きな路線廃止・短縮がなく推移してきた道内の路線網ですが、これから目を離せなくなってきそうな気配です。

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▲留萌線廃止を大々的に報じた7月6日付け『北海道新聞』紙面。折しも天ノ川駅さよならイベントの翌日の紙面であった。提供:辻 晴穂
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聖地 ダージリンへ。(11)

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▲ホームで暮らす"ストリート・ドッグ"たち。全部で十数頭はいるだろうか、人間との絶妙の距離感が感動的ですらある。'15.4.30 Darjeeling
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ダージリン余話
今回は直接鉄道とは関係しない周辺情報をいくつかご紹介いたしましょう。
ダージリンの駅に降り立ってまず驚くのは「犬」です。ホームであろうと駅前であろうと、はたまた機関区の庫内であろうと、とにかくいたるところに決して綺麗とはいえない犬がうろうろしています。市街もしかりで、ダージリンはまさに犬の街です。

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▲決して死んでいるのではない、ただ寝ているのだ。周りの犬釘がいわゆる"犬顔"ばかりなのがダージリンの長い歴史を物語る。'15.5.3 Darjeeling
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20150706192319-d151ae97acc064b1b62433bc0d43719169a1734d.jpgホテルのオーナー氏によれば、ダージリンの人びとは犬が大好き。だからといって家で飼うのは稀で、「ストリート・ドッグ」をこよなく愛しているのだそうです。ストリート・ドッグ、つまり野良犬だと思うのですが、数日にわたってその様子を見ていると、どうも私たちがイメージする野良犬とはずいぶん違うようです。つまり、それぞれの犬の"定位置"が決まっていて、いわば地域猫ならぬ地域犬としての生活を営んでいるようなのです。
▲仲良く並んで爆睡中。'15.5.1 Darjeeling
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人びとも実に温かい目で犬たちを見ていますが、そのわりに撫でることはおろか、触ろうとする人は誰一人いません。人に向かって吠える犬の姿はついに一度も見ませんでしたし、なんとも絶妙な距離感なのです。高級なペットフードを食べながらもストレスの塊のような日本の犬たちとはなんとも対照的ではあります。

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▲街で暮らす分にはエサには困らない。商店主やら通行人やらが気前よく食べ物を置いてゆく。ただ、もちろんドッグフードではなく人間の食べ残しで、例のマサラ味、つまりカレー系のはず。大丈夫なのだろうか? '15.4.30 Darjeeling
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▲『犬の記憶』(森山大道さん)風に一枚。それにしても生まれてこのかた一度も洗ってもらったことがないのだろう...。'15.4.30 Darjeeling
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さて、一人でインドへ...というとまず「お腹を壊しませんでしたか?」と訊かれます。強烈なマサラ風味の食事と決して衛生状態が良いとはいえない飲料が主体ですから、えてして体調を壊しがちですが、今回もなんとか持ちこたえることができました。

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▲ホテルのルームサービスで頼んだチキンカレー。手前はパンに相当するローティ、左後ろはスナックのパパドゥ。カレーは110ルピー(約200円)、ローティとパパドゥはそれぞれ15ルピー(約30円)。「外国人」のためにちゃんとフォークとスプーンが添えられていた。'15.4.30 Darjeeling
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20150706191649-e07f4853b818388dc7454718c3038aea59ee448f.jpgチベット国境に位置するダージリンでは食事の主体はインド料理というよりはチベット料理。ただ、もちろんカレーをはじめとしたインド料理は人気です。例によってベジタリアンとノンベジとは区分されているものの、都市部のように部屋自体が露骨に区切られているようなことはなく、両者が比較的フレンドリーに共存している雰囲気です。そして、ノンベジのメインはチキンカレー(間違ってもビーフカレーなどというバチ当たりなものはない)。日本のインド料理店では一般的なナンは専用の窯が必要なため、全粒粉を鍋でパン状に焼いたローティやチャパティが主体です。
▲こちらは同じくルームサービスの朝食。トーストと奇妙なオムレツ、それにコーヒーが付く。'15.5.1 Darjeeling
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▲ダージリンはインド料理よりもチベット料理が主流。これは「モモ」と呼ばれるチベット餃子。グームの町外れの決して綺麗とはいえない小さな食堂にて。パクチーの効いたスープがついて30ルピー(約60円)。'15.5.3 Ghum
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▲たまにはアメリカン・ジャンクフードが恋しくなる。駅から徒歩20分ほど、町の中心部で観光名所にもなっているチョウラスター広場周辺にはファストフード店もある。ただし値段はえらく高く、写真のピザハットのMと7upのセットが実に479ルピー(約950円)。上掲のモモと比べればコストパフォーマンスの差は歴然。なお、ここでもマサラ・パウダーの小袋(画面右)が付いてくる。'15.5.2 Darjeeling
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▲ファストフードといえば一時インド進出がニュースにもなったマクドナルド。写真はニューデリーの店で、もちろん牛肉系はいっさいない。大別してチキンとベジタブルの2種で、フラッグシップ的存在の「チキン・マハラジャ」セットは250ルピー(約500円)。'15.5.5 New Delhi
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ところで、都市部以外では厄介なのがアルコールです。一日の撮影を終えて冷たいビールで...と思い描いても、アルコール類を置いてあるレストランは指折り数えるほどで、ことにダージリンではリカーショップさえほとんどありません。ようやく見つけたリカーショップは路地の片隅の景品交換所のような佇まい。しかも全面に格子窓が嵌められており、その隙間から金を払うと一本一本新聞紙でぐるぐる巻きにされた缶ビールが手渡されるというまるで密売所の雰囲気で、これには何とも閉口しました。

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▲さすが「0」を発見した国だけあって外見とは裏腹にネット環境は充実している。ダージリンの機関庫前でiPadで小ブログを確認する。'15.5.3 Darjeeling
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※明日は不在のため休載させていただきます。

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聖地 ダージリンへ。(10)

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▲商店街をかすめてグーム市街を行く786号機の牽く52548レ。商店の看板には携帯プロバイダーの看板が目立つ。ちなみに"airtel"は今回の渡印でもWi-Fi接続でお世話になった。'15.5.3 Ghum
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グーム博物館
グーム駅本屋2階に設けられた博物館はその規模からして決して期待されるものではなく、"Joy Ride"のチケットに入場券が含まれていることからしても、観光客向けのおざなりなものとばかり思っていました。

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▲グーム駅本屋2階にあるミュージアムへの跨線橋。かつてのグッズヤードへの橋で、実に良い雰囲気を醸し出している。'15.5.3 Ghum
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ところが実際に目にするとこれがなかなかの展示内容です。歴史的写真の数々はもとより、詳細な路線変遷、車輌や地上設備の変遷、それに部品展示など見れば見るほど興味深いもので、じっくり見て回るには数時間が要りそうです。

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▲博物館内部。展示手法こそ決してあか抜けてはいないが、それぞれの展示物はなかなか深い。'15.5.3 Ghum
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▲ずらりとディスプレーされたBクラスの銘板類。センターのボールドウィンS/N44913は793号機のもの。チンダリア工場の銘板も見られる。'15.5.3 Ghum
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▲グームやダージリンなど全駅の歴史的写真も展示されている(左)。右はアッサムのティポン炭礦に転じた789号機の姿(アーカイブ「ディビッドに会いにインドへ行く」参照→こちら)。'15.5.3 Ghum
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"Joy Ride"の折り返し時間はどの便も30分。駅売店のチャイで一息つき、記念撮影に興じているうちにあっという間に発車時間となってしまうため、2階にあるこのミュージアムまでやってくる乗客も限られています。たとえ展示室に入ってきたとしても、さっと一巡して戻ってゆくのが関の山で、"Joy Ride"が発車してしまうと館内には誰もいなくなってしまうのが常でした。それどころか、鍵を閉めてしまうこともあり、別料金(20ルピー≒40円)で一般見学も受け付けているという建前とはかなり異なる対応のようです。

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▲全盛期のアッサム州近隣鉄道路線図。ダージリンのある西ベンガル州や隣のビハール州も含んでおり、メーターゲージはもとより2ftゲージ路線も少なくない。'15.5.3 Ghum
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▲LMSの"ROYAL SCOT"6120号の横に並んだダージリンBクラス(802号機と思われる)。スタンダードゲージとこうして並ぶといかに小さいかがわかる。1927(昭和2)年の撮影。'15.5.3 Ghum
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ちなみに構内谷側のかつてのグッズヤードは博物館の屋外展示場となっており、各種の貨車が展示されていますが、最も目をひくのがBクラスをミニチュアにしたような小さなBタンク機です。

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▲駅舎の周囲には世界遺産登録後に設置された説明板がいくつも設置されている。'15.5.3 Ghum
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▲アンチークな郵便ポストも目をひく(左)。右は屋外展示場に保存されている2軸有蓋貨車。'15.5.3 Ghum
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"BABY SIVOK"と名付けられたこの小さなブルーエンジン、車体に付けられた銘板によれば1881(明治14)年製。1991(平成3)年にチンダリア工場でリビルトしたものと記されていますが、出自はどう見てもコッペル。とするとコッペルが自社生産を始めたのが1892(明治25)年とされていますから、それより十年以上も前の生まれとなり整合性が疑われます。いっぽう、これまで発表されてきたロスターによれば製造は1911(明治44)年、リビルトは2000(平成12)年とされ、銘板とは大きく隔たっています。開業時の機関車として展示されているこの"BABY SIVOK"がいったい何者なのか、解明が待たれます。

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▲屋外展示場の"BABY SIVOK"。コッペル製のBタンク機で、開業時のものを復元したとされるがかなり怪しい。'15.5.3 Ghum
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▲首都圏の代表的な路線ごとに基礎的な資料や写真などを展示している。また下部にはお子さん向けにクイズが設けられているが、ファンでも難しいと思えるような設問もあり、解き応えがある。'15.7.2 鉄道博物館 P:RM(小野雄一郎)
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鉄道博物館では、2015年夏の企画展として「みんなのでんしゃ展 ~今度の電車はてっぱく行きです~」を明日7月4日(土)から今年9月27日(日)まで開催します。昨日2日、展示会場が一足先に報道公開されましたのでその模様をレポートしたいと思います。

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▲自動起床装置も実演展示されている。背中の袋に起床時刻になると空気が入って膨らむことで、覚醒させるというもの。ちなみに私も特別に体験させていただいたが、これで目を覚まさないでいられるのは至難の技であろう。'15.7.2 鉄道博物館 P:RM(小野雄一郎)
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会場はお馴染みの2階スペシャルギャラリー1。会場内は3部構成で、「カラフルなでんしゃたち」、「でんしゃジオラマ」、「乗務員の一日」を主題としています。

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▲山手全駅発車メロディ。タッチパネルに山手線の全駅が表示されており、駅名を押すことで内回り・外回り両方の発車メロディを聞くことができる。'15.7.2 鉄道博物館 P:RM(小野雄一郎)
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▲でんしゃジオラマ。首都圏の代表的な路線のNゲージを展示しており、手元のボタンを押すことで動かすことができるほか、プロジェクターから卓上にさまざまな映像が投影される。'15.7.2 鉄道博物館 P:RM(小野雄一郎)
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まず、「カラフルなでんしゃたち」では、山手線、中央線、京浜東北線、湘南新宿ライン、上野東京ライン、総武快速・横須賀線、埼京線、常磐線、京葉線、総武線といった首都圏の代表的な路線を取り上げ、路線距離や駅数、歴史などの基礎的資料や現在走行している車輌の写真を展示。また、展示パネルの下部にはクイズが設けられており、垂れ幕をめくると回答が表示されます。

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▲鉄道博物館2015年夏の企画展「みんなのでんしゃ展 ~今度の電車はてっぱく行きです~」の入り口。ちなみに過去の写真一枚に最近の写真二枚が横に添えられているが、これは「この昔の写真は現在のどの路線でしょう?」というクイズになっているのだとか。'15.7.2 鉄道博物館 P:RM(小野雄一郎)
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▲「プリクラ」風に、首都圏の代表的な路線の車輌とともに写し込める機械も限定設置されている。'15.7.2 鉄道博物館 P:RM(小野雄一郎)
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続いて「でんしゃジオラマ」では、ボタン操作によりNゲージを動かすことができ、また卓上にはプロジェクターにより各種映像が表示されています。そして「乗務員の一日」では、運転士ならびに車掌の具体的なタイムスケジュールの展示のほか、乗務に際して携行している各種道具の実物の展示、また自動起床装置の実演展示も行われており、普段窺い知ることのできない乗務員の生活を知ることができます。

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▲乗務員が携行している各種道具の実物も展示されている。左側が運転士、右側が車掌が持つ道具で、中央の赤い部分に展示されている道具は両者が携行している道具である。'15.7.2 鉄道博物館 P:RM(小野雄一郎)
※撮影のため特別にガラスケースを外しています。
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どちらかといえばファミリー向けの企画展ですが、ファンの方でも一見の価値はある展示といえるでしょう。夏休みでご家族で楽しまれるのはもちろん、鉄道博物館を訪れた際には、あわせて見学したい企画展です。

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鉄道博物館2015年夏の企画展
「みんなのでんしゃ展 ~今度の電車はてっぱく行きです~」

■会期:2015年7月4日(土)~2015年9月27日(日)
■会場:鉄道博物館2階 スペシャルギャラリー1
■入場料:鉄道博物館の入館料のみで見学可能
■主催:鉄道博物館
■協力:東日本旅客鉄道株式会社・株式会社交通新聞社・株式会社東京フジカラー

取材協力:鉄道博物館


▲国鉄201系電車の運転台も展示されており、株式会社音楽館が撮影した中央線201系の映像とともに、2010年10月17日で勇退した中央線201系電車の往時を思い返すことができよう。'15.7.2 鉄道博物館 P:RM(小野雄一郎)
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▲国鉄の新性能電車の嚆矢といえる国鉄101系電車の客室内(右)と山手線に投入される新型車輌E235系の客室内の原寸大モックアップ。数値とともに比較してみると新たな発見があり、興味深い。'15.7.2 鉄道博物館 P:RM(小野雄一郎)
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▲三田駅に到着する神戸電鉄1501F。右手の防護柵に開業当時のレールが再利用されている。'15.6.27 P:宮武浩二
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今回あらためて気付いたのですが、神戸電鉄三田駅構内の踏切防護柵に神戸有馬電気鉄道開業当時に使用された古レールが再利用されていました。1927(昭和2)年八幡製鐵所製の37㎏/mレールで、沿線を丹念に見て回ればもっと探し出せると思います。

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▲現在の神戸電鉄三田駅ホーム。1981(昭和56)年に4輌編成が発着できるように構内の線形を大幅に変更。その際に国鉄線との連絡線が撤去された。'15.6.14 P:宮武浩二
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▲三田駅手前の踏切。右手の防護柵に使用されている古レールはが神戸有馬電気鉄道の開業当時のもの。'15.6.28 P:宮武浩二
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▲防護柵の古レールは八幡製鐵所製の37㎏/mレールで、1927年9月と読める(左)。右は三田駅踏切横に残る神戸電鉄の境界線を示す標識。'15.6.14/'15.6.27 P:宮武浩二
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話は三田駅から外れますが、神戸電鉄の道場駅横には有馬鉄道と神戸有馬電気鉄道をおこした山脇延吉の顕彰碑があります。道場駅はこの両方の鉄道が並行して走っていた場所で、両鉄道を創った山脇翁の顕彰碑の場所としてはぴったりのロケーションでもあります。

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▲有馬鉄道、神戸有馬電気鉄道をおこした山脇延吉翁の顕彰碑は神戸電鉄道場駅前にある。'15.6.28 P:宮武浩二
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▲山脇延吉翁の功績を紹介する説明板。'15.6.28 P:宮武浩二
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また、この道場駅前には有馬鉄道の小さな碑が建てられており、有馬線の跡であることを知らせてくれています。碑文には「この橋下に線路敷が残っている。大正4年に三田~有馬間の営業が開始され、一日七便、13㎞弱を28分かけてのんびり走っていたが、太平洋戦争中、戦争に無縁な閑線と判断されて、昭和18年営業休止となり、線路等の施設は、軍事物資輸送をはかるために篠山線に使用された。以後、復活されないまま廃線となった。」と記されています。

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▲神戸電鉄道場駅横にある有馬線の線路跡に建つ記念碑。神戸市北区役所などが設置したもので、表題には「有馬軽便鉄道」と記されている。'15.6.28 P:宮武浩二
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▲三田駅3番ホームに到着した381系の「こうのとり」。以前は1番線と3番線の間に通過線として2番線があったが、4番線とともに撤去されて現在に至っている。駅舎は橋上駅化、駅前広場は人工地盤となり、商業施設と連絡している。'15.6.14 P:宮武浩二
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これまでにも神戸有馬電気鉄道の遺構探訪(アーカイブ「神戸有馬電気鉄道の遺構」参照→こちら)などをお寄せいただいている宮武浩二さんから、今回は福知山線三田駅周辺の鉄道遺構のレポートを頂戴しました。

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▲有馬線が発着していたホーム。現在の線路は新たに敷設されているためホームには沿っていない。神戸電鉄線との連絡線は右手にのびていた。'15.6.14 P:宮武浩二
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本誌今月号の「福知山電車区381系の現況」に触発されて、このところ福知山線の381系詣でをしているという宮武さんですが、撮影の合間を縫ってトワイライトゾ~ン的視点も忘れてはおられません。それでは宮武さんのレポートをご覧いただきましょう。

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▲三田駅前人工地盤から見た神戸電鉄三田駅。左手には旧有馬線のホーム跡が見える。'15.6.28 P:宮武浩二
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まずは有馬鉄道(→国有化後は有馬線。アーカイブ「有馬温泉と三つの鉄道」参照→こちら)時代の三田駅ホーム跡。もちろん現在は使われていませんが、ほぼ当時の姿のまま残されています。そのすぐ横に神戸電鉄三田線が接続していますが、福知山線の非電化時代は神戸電鉄と線路がつながっていた時期があり、その廃線跡も見ることができます。

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▲三田駅3番ホームから見た1番ホームと旧神戸電鉄連絡線跡。遠くに見える高架道路の手前まで神戸電鉄の架線が張られていた。当時は福知山線は非電化で、神戸電鉄の電動貨車などが国鉄線上に乗り入れていたことになる。'15.6.28 P:宮武浩二
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▲神戸電鉄側から見た旧有馬線のホーム跡(左)。右は旧有馬線ホームの突端部。蒸気機関車と客車2輌分のホーム長である。'15.6.27 P:宮武浩二
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いろいろ調べていますと、神戸電鉄からの連絡線は国鉄線の先まで電化されており、入換えの都合か福知山線の構内入換線まで電化されていたことがわかりました。つまり電車または電気機関車が国鉄線に乗入れしていたことを示すものです。貨物扱いが当初の目的だったようですが、貨物輸送が廃れていく中で、川崎車輌からの新車搬入線としての活路があったそうです。1981(昭和56)年に輸送力増強のため三田線は3輌編成から4輌編成となったために三田駅構内線形を変更せねばならず、その時に新車搬入線は粟生線市場駅に新たに作られ、三田駅の連絡線は廃止・撤去されてしまいました。

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▲神戸電鉄三田駅正面。開業当時の駅舎を改修して現在も使用しているが、駅前広場の人工地盤の陰になり薄暗い雰囲気になっている。'15.6.27 P:宮武浩二
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