鉄道ホビダス

2012年10月アーカイブ

ヘルシンキのガントレット。

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▲ガントレット区間を行く3T系統。3年ほど前に新設された区間のようだが、一部の道幅が狭くガントレットが採用された模様。'11.8 P:松原雄一
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少々間が空いてしまいましたが、「プラハ市電のガントレット」(→こちら)をご覧になられた松原雄一さんから、ヘルシンキ市電のガントレットの画像をお送りいただきましたので、あらためてお目に掛けることにいたしましょう。

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▲前方の電車の曲がってゆく先、左手にヘルシンキの中央駅がある。'11.8 P:松原雄一
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「編集長敬白」にて、ヨーロッパのガントレットがいくつか紹介されていましたが、フィンランドのヘルシンキのトラムにも、ガントレット区間があります。ヘルシンキ中央駅から目と鼻の先の、トラム3T系統 Mikonkatuk~Aleksanterinkatu 間がガンレット区間となっています。3T路線の再編により、2009年に新設された区間らしく、この新設時にガントレットが採用されたとのことです。

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▲ガントレット区間の線路を見る。ここヘルシンキのガントレットの上下線は比較的離れて敷設されているのがわかる。'11.8 P:松原雄一
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これまでにも続報として服部重敬さんからドイツのポツダム、スイスのバーゼル、オランダのアムステルダム、オーストリアのリンツ、ポルトガルのリスボン(→こちら)、スペインのセビリア(→こちら)のガントレットを、そして渡辺康正さんからモスクワのガントレットのレポート(→こちら)をお送りいただき紹介させていただきましたが、ヘルシンキは初見です。

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▲ガントレットへのエントランス部。一見するとポイントで単線になっているように見えるが、線路は単複線となっており、上下線が交わるとことはない。'11.8 P:松原雄一
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海外の路面電車に造詣の深い服部重敬さんにふたたびお聞きしたところでは、Mikonkatuk~Aleksanterinkatuが開業して経路変更が行われたのはおそらく2009年3月30日。ヘルシンキの中心部を8の字状に走る3Tと3B系統のうち、従来は3T系統は中央駅に寄っていませんでしたが、これでは何かと不都合なため、新路線を造って3T路線を中央駅経由にして利便性を増したのではとのご推察です。その際に充分な幅員のある街路がなく、Mikonkatuk通りにガントレットで路線を敷いたものと思われます。


プラハに端を発したヨーロッパ各国のガントレット紹介も、皆さんのお力で素晴らしいアーカイブとなりました。ご協力いただいた方々にあらためてお礼申し上げます。

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▲僅かな時間ながら、作業工程の合間に雑誌社向けに公開された1000系1001号編成。なお1000系はシングルアームパンタ化されているが、同編成のみは菱形パンタグラフを維持している。'12.10.26 電車修理工場 P:RM(伊藤真悟)
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京王電鉄5000系が来年、誕生から50周年を迎えることを記念して、京王電鉄、富士急行、一畑電車の「3社共同企画」が実施されることになりました。

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▲車号が「5863」とされたモハ1101を正面から見る(左)。Hゴム部分もアイボリーに塗装されている。車体側面部分の車号も再現された(右)。'12.10.26 電車修理工場 P:RM(伊藤真悟)
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富士急行ではその第一弾として、広幅貫通路やロングシートなど同社1000系グループの中でも「京王5000系」の面影を色濃く残す1001号編成(モハ1001+モハ1101)を京王電鉄協力のもと、当時のカラーに変更し、去る10月28日に「京王5000系カラー」の出発式、イベントが開催されました。

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▲京王電鉄全面協力のもと、種別板と「陣馬」の愛称板を掲出。28日に河口湖→大月で運転の臨時列車では、実際にモハ1101(5863)に装着された。'12.10.26 電車修理工場 P:RM(伊藤真悟)
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河口湖駅では「京王5000系カラー」の出発式や車輌撮影会、グッズ販売が実施されたほか、臨時電車の運転(河口湖~大月間1往復)、RMライブラリー146『京王5000系 ―ファンの目から見た33年―』の著者である鈴木 洋氏による「トークショー電車」が河口湖~富士山~河口湖で運転されるなど、盛りだくさんの内容となり、終日多くのファンで賑わっていました。

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▲客室内は特に変更は行なわれていない(左)。車内に掲出された往時の懐かしい広告(右)。このほかにも京王5000系引退時のイベント告知広告なども用意された。'12.10.26 電車修理工場 P:RM(伊藤真悟)
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このイベント開催2日前の10月26日には、電車修理工場において「京王5000系カラー」の変更作業の合間を縫って、雑誌社向けに1001号編成の公開が行なわれました。

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▲イベントにおける撮影会第1回目は、最初で最後?の1000系5本並び。'12.10.28 河口湖 P:伊藤真悟
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「京王5000系カラー」への変更にあたっては、車体前面及び側面の車号をモハ1001は「5083」、モハ1101は「5863」と京王時代の車号に変更するとともに、前面の黒Hゴムをアイボリーに塗装、車号の標記位置も京王時代の場所にあわせ、さらには台車や床下機器の塗色も京王5000系の色とし、両先頭車のタイフォンを異なるものにするなど、忠実に再現したものとなっています。なお形式は変更していませんので、車体妻部の形式表示は従来通りとなっています。

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▲出発式では、京王電鉄、一畑電車、富士急行3社の職員の手で「陣馬」のヘッドマークがモハ1101(5863)装着された(左)。河口湖駅1番ホームにて、3社の職員の出発合図で大月行の臨時列車が出発(右)。'12.10.28 河口湖 P:伊藤真悟
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また客室内は基本的に変更はありませんが、車内吊り広告が京王時代の懐かしいものに復刻のうえ掲示されました(イベント終了後は通常広告に変更)。

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▲第2回目の撮影会は往年のライバル115系と競演。'12.10.28 河口湖 P:伊藤真悟
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かつては高尾山の麓を駆け抜けた電車が往年のカラーを纏って富士山の麓を駆け抜ける...、今後も1000系「京王5000系カラー」は大いに注目の的となるでしょう。
なお富士急行では11月18日に「富士急電車まつり2012」の開催を予定しており、メイン会場となる河口湖駅では、車輌撮影会に1000系「京王5000系カラー」が登場する予定となっています(「富士急電車まつり2012」についてはこちらの記事を参照)。

取材協力:富士急行

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京急蒲田再訪。

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▲10月21日から下り線も高架化された京急蒲田駅。京急本線上りが2階、下りが3階の2層構造となっており、空港線も3階の1番線発着と2階の4番線発着とに分かれている。箱根駅伝でも有名だった「京急蒲田(空)第1踏切道」はついにその姿を消した。それにしても毎年定点観測してきた歩道橋自体が移設されてしまうとは想定外で、従来とまったく同じパースでの撮影はできなくなってしまっていた。'12.10.27
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先週末は毎年秋の恒例となった日本鉄道模型連合主催の日本鉄道模型ショウが蒲田の大田区産業プラザ(PIO)で開催され、一週間前に上下線高架化が完了したばかりの京急蒲田駅に降り立ちました。

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▲2年前、上り線が高架化された状況。3階部分の高架橋にはまだ架線柱も建植されていない。空港線下り列車は従来通り「京急蒲田(空)第1踏切道」を通っていた。'10.10.30
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行きがけの駄賃といっては何ですが、この日本鉄道模型ショウへの道すがら、国道15号(第一 京浜)を横切る「京急蒲田(空)第1踏切道」の定点撮影を始めて足掛け5年、ついに踏切が姿を消して見事な連続立体交差が完成しました。

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▲3年前、空港線高架橋の構造自体はその姿を現したが、まだ架線柱などは未着手。背後の巨大なクレーンの下を空港線列車が行く。'09.10.24
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▲4年前、高架化工事が本格化した当時の状況。まだ高架橋の姿は想像もつかず、空港線列車が国道15号線を横断してゆく。'08.11.1
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この高架化事業(正式には京浜急行本線及び同空港線(京急蒲田駅付近)連続立体交差事業)は東京都が事業主体となって都市計画事業として進められているもので、1999(平成11)年に都市計画を決定、翌年2000(平成12)年12月に認可、2001(平成13)年12月に工事に着手されたもので、すでに十年以上が経っています。今回の京急蒲田駅下り線の高架化完成にともなって、事業費約1,892億円とされる京急本線(平和島駅~六郷土手駅間約4.7㎞)および空港線(京急蒲田駅~大鳥居駅間約1.3㎞)全事業区間の上下線高架化が完了することとなります。ちなみに、今回の高架化完成によって京急本線では新馬場駅~京急川崎駅間で「踏切」がすべて姿を消しました。

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▲高架切り替えから一週間...地上設備は急速に"トワイライトゾ~ン"化しつつある。あの名物踏切の線路が撤去される日もそう遠くないはず。'12.10.27
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さて、今年で33回目となった日本鉄道模型ショウは16番を中心にマニアックなメーカーやショップが集うことですっかりお馴染みで、初日の土曜日には開場前から多くのモデラーが列をなしていました。今年はNゲージ関連のブースも散見されましたが、やはり主体は1/80以上のブラスモデル。この会場で初お目見えする製品も少なくありません。

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▲第33回日本鉄道模型ショウ会場の弊社ブースより。例年同様に多くのモデラーで終日大賑わいだった。
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121027n008.jpg詳細は『RM MODELS』の次号に譲るとして、個人的に気になったのはモデル ワムさんが出品されていたOスケールのプリムスFL1です。この車種は30年ほど前に米国のグラント ライン(Grandt Line)が超細密なプラ製キットをリリースしており、本誌108号(1992年9月号)では私が「溶けた? プリムス」と題してその製作記を掲載し、その"返歌"として翌月号では尾形奈良男さんが「溶かした! プリムス」を発表されています。
▲これがモデル ワムさんのブラス製プリムスFL1。この日初お目見えのキットで、パワートレーンも追ってリリースされるという。
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「溶かした...」はグラントラインのキット3個を惜しげもなくロストの原型として溶かしてしまうお話で、結果として見事なロストワックス製のプリムスFL1が手に入ったという顛末です。今回のモデル ワムさんのキットを目にしてまず思い起こしたのがこの記事でした。あれからちょうど20年...夢のブラス製FL1が容易く手に入るようになるとは、京急蒲田駅の変貌とともに、時の流れを実感した週末となりました。

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▲AOBA MODELとして次々と不思議(?)な製品を生み出しているのはほかならぬ"B滝さん"こと滝澤隆久さん。ブースでは新製品のED46を並べていたが、次なる製品化は「国鉄ナ10形 活魚車セット」だそう。
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▲ライダーの駅として全国的に有名になった隼駅には、北陸鉄道からED30 1、JR四国からオロ12 6が移設保存されている。展示線は新たに設けられたもの。'12.10.19 隼
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若桜町では若桜線SL復活プロジェクトの一環として昨年7月にJR四国から12系客車4輌を購入、それに先立つ2010(平成22)年11月には北陸鉄道からED30形電気機関車を譲受しています。

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▲若桜駅構内に留置されている12系3輌(スロフ12 6+オロ12 9+スロフ12 3)。手前は現役の排雪モーターカーで、冬場はとくに丹比-若桜間の山影の除雪に大活躍しているという。'12.10.19 若桜
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121020n046n.jpg12系客車は「ムーンライト松山」「ムーンライト高知」に使用されていたもと高知運転所所属車。2+1列シートのグリーン車(座席車)と同じくカーペット車で、4輌のうちオロ12 6が隼駅にライダーハウスとして利用のためED30とともに静態保存され、残るスロフ12 6+オロ12 9+スロフ12 3の3輌が若桜駅構内に留め置かれています。この12系客車は若桜鉄道SL復活計画の準主役となるもので、次はDLを購入し、2年後にはDL牽引による12系列車を試験運行する計画だそうです。
▲「枕木オーナー」という取り組みも行われている。1本5000円でこのように名前入りのプレートを掲出してくれる。'12.10.19 若桜
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▲氷ノ山(ひょうのせん)山麓には日本の棚田百選にもなっている見事な棚田が広がる。澄み切った秋の冷気の中、こんな原風景を身近に体感できるのも若桜鉄道の大きな魅力。'12.10.19
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▲若桜駅を降りると「蔵通り」「仮屋通り」と伝統的な街並みが迎えてくれる。国土交通省認定「夢街道ルネッサンス」のひとつでもある。'12.10.19 若桜町内
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121020n010n.jpg今回の見学会では宿場町としての古き佳き風情を残す若桜町内の視察も行われました。若桜宿は若桜駅から徒歩20分圏内に見どころが集まっており、若桜鉄道訪問時にはぜひ足を運んでみたい歴史遺産です。若桜宿は1885(明治18)年に大火に遭い、その教訓をもとに蔵だけを連ねた「蔵通り」や、防火用を兼ねた水路を設けた「仮屋通り」などが"現役"として機能しています。総会参加者のなかには歴史的街並みを擁する加盟団体も多いだけに、皆さん実に興味深く見学されていました。
▲家屋と道路の間にあたる幅1.2mほどのひさしが"仮屋"と呼ばれるもの。仮屋の前には水路が設けられており、清流が心地よい音をたてて流れる。'12.10.19 若桜町内
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▲左奥、背後に聳える氷ノ山(ひょうのせん/標高1,510m)は若桜町のシンボルでもある。朝のひととき、ウォーミングアップを続けるC12 167の姿はさながら現役時代そのまま。'12.10.19 若桜
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若桜鉄道は路線延長わずか19.2㎞。それにも関わらず、上下分離の実施、全域の登録有形文化財化、C12の動態復活、12系客車を用いての将来的な観光列車運転プランなど、信じられないほどの実行力を見せてくれています。しかも沿線自治体はもとより、県レベルで一丸となって再生を目指す姿は、全国から若桜の地に集った保存鉄道関係者の皆さんをどんなに勇気づけたことでしょうか。その意味でも、大きな実りある年次総会だったと言えましょう。

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▲端正な佇まいを見せる若桜駅本屋。プラットホームとともに登録有形文化財として登録されている。'12.10.19 若桜
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上下分離やC12 167号機の圧縮空気による動態化など積極的な施策で注目を浴びる若桜鉄道でもうひとつ忘れてならないのは、沿線全体の施設が登録有形文化財となったことです。2008(平成20)年6月に、「昭和初期の面影を残す鉄道施設」として文化庁に登録されたのは実に沿線23施設。まさに若桜鉄道全体が面として文化財として認められたわけです。

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▲古き佳き国鉄ローカル線終端駅の雰囲気を色濃く残す若桜駅ホーム。構内に点在する機関庫、転車台、給水塔、転轍手箱番所等々はまさにそのまま模型のレイアウトのよう。'12.10.19 若桜
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なかでも若桜駅には①本屋およびプラットホーム(昭和5年/昭和7年改修)、②物置および灯室(昭和5年)、③旧西転轍手箱番所(昭和5年)、④旧東転轍手箱番所(昭和26年)、⑤諸車庫(昭和5年)、⑥機関車転車台(昭和5年)、⑦給水塔(昭和5年)、⑧流雪溝(昭和16年)と、実に8件もが登録されており、駅自体がまさに生きたミュージアムと言っても過言ではないでしょう。

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▲レプリカではない本物の歴史が息づく隼駅駅舎内。駅務室内も「隼駅を守る会」の皆さんの手によって見事な状態に保たれている。'12.10.18/19 隼
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23件の登録有形文化財のなかで近年注目を集めているのが隼駅です。木造平屋建の本屋の北側にプラットホームが連続する昭和初期建造の典型的な小駅で、1930(昭和5)年に若桜駅まで延伸するまでの2年ほどはこの隼駅が若桜線の終点となっていました。そのため乗務員休憩所など運転関係施設も残されており、たいへん貴重な近代化遺産となっています。そしてこの隼駅に思わぬハプニングが巻き起こったのが4年ほど前、2008(平成20)年夏のことでした。スズキの大型バイク「ハヤブサ」にちなみ、バイク雑誌が同名の隼駅に集まろうと呼びかけたところ大ブレーク。それ以後"ハヤブサの日"(8月8日)には全国各地から500台を超えるライダーが集まり、住民も彼らをもてなそうと駅前を整備し、「隼駅を守る会」も設立されました。現在では委託売店でメーカー公認の「聖地巡礼之証」も販売されるほどの人気となっています。

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▲因幡船岡駅(左)や安部駅(右)の本屋も登録有形文化財に登録されている。安部駅は映画「男はつらいよ」のロケ地ともなったことで知られる。'12.10.19 因幡船岡(左)/安部(右)
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安部駅も映画「男はつらいよ」シリーズ第44作「寅次郎の告白」(1991年)のロケ地となったことで今もってファンが訪れる名所となっているそうです。本屋とプラットホームが登録有形文化財となっており、ホーム側に張り出した閉塞取扱室やホーム待合室も往時の姿のまま残されています。ちなみに安部駅の開業は全線開通から2年後。駅のある日下部地区と八東川対岸の安井宿地区との間で熾烈な駅名争奪戦が行われ、折衷案として両地区から一文字ずつ取って駅名としたという面白いエピソードが語り継がれています。

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▲若桜駅構内の諸車庫(左)や転轍手箱番所(右)も登録有形文化財になっている。このような、言うなれば"地味"な設備までもが面として登録有形文化財となっていることも特筆されよう。'12.10.19 若桜
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駅施設のほかにも6か所の橋梁(第一八東、岩淵川、第二八東、細見川、第三八東、若桜川)、雪覆、落石覆(ともに丹比-若桜間)など線路設備も登録有形文化財となっています。見学・撮影のみならず、モデラーの視点からももう一度じっくりと見て回ってみたい...若桜鉄道にはそんな魅力が溢れています。

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▲今やライダーの聖地ともなっている隼駅に到着する下りWT3001。ここ隼駅をはじめ各駅に"かかし"の乗客たちが配置されているのも面白い。'12.10.18 隼
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▲1930(昭和5)年製の給水塔(約37㎥)は転車台とともに若桜駅のシンボルとして親しまれている。圧縮空気とはいえ"動態"に復したC12 167との取り合わせも絶妙。左奥には昨年7月にJR四国から譲受した12系客車が見える。'12.10.19 若桜
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総会翌日の19日(金曜日)は朝から2班に分かれて若桜駅構内の見学と若桜街道の街並み見学が行われました。若桜駅構内の見学ではもちろんC12 167号機のデモンストレーション運転がプログラムされており、一行を迎えるかのごとく5室の汽笛が朝の若桜町に響き渡っておりました。

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▲見事なコンディションに保たれているC12 167。2015(平成15)年の"蒸気"による動態復活を目指してさまざまな取り組みがなされている。'12.10.19 若桜
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C12 167号機は1938(昭和13)年日車名古屋工場製(製番569)。同年3月20日竣功で大阪局に配属(達271号)、戦後、鳥取→加古川と転籍したのち奈良運転所に転じ、最終的には南延岡機関区で日ノ影線用として使用されたのち廃車(1974年6月12日付/工車203号)となっています(「機関車表」による)。

121020n020n.jpg廃車後は再び本州に戻り、兵庫県加美町の中央公民館に保存されていましたが、1944(昭和19)年から1946(昭和21)年まで鳥取機関区在籍中は若桜線にも使用されていたことから、若桜駅に残る鉄道遺産を利活用するためのシンボル的存在にしたいと誘致の機運が高まり、その甲斐あって2007(平成19)年8月8日に当地へとやってきました。車輌そのものは無償だったそうですが、アスベストを除去するのが移設・譲渡の条件で、この処理に多額の費用が必要であったと聞きます。
▲そのキャブ内。圧縮空気ながら原理は蒸気とまったく同じで、運転操作もほぼ同様。'12.10.19 若桜
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▲1930(昭和5)年製の手回し式転車台(左)。ピットがすり鉢状になっているのは、流水を導いての融雪・凍結防止のため。右は木造1線の矩形庫。「SL復活計画」に寄付をされたドナーの皆さんのリストも掲出されている。'12.10.19 若桜
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若桜鉄道、若桜駅を元気にする会などが中心となってこのC12 167の動態化を目指し、まずは圧縮空気による運転が計画されました。コールバンカー内にエンジン発電機とコンプレッサーを巧みに組み込み、8㎏/㎠の圧縮空気を蒸気溜ではなく元空気溜に送り込んで、これを圧縮空気ボンベとして利用するという手法です。

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▲構内運転に使用されているト6は元長野電鉄の木造無蓋車(重量6t、全長6.5m)。あおり戸左隅には乗降用の扉が新設されている。'12.10.19 若桜
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121020n044n.jpg2008(平成20)年10月からは若桜駅構内の展示走行線(約140m)を使っての"動態運転"が開始され、現在では3月から11月の間の第2・第4日曜日に一日2回の展示運転が行われています。また、長野電鉄から譲受した木造無蓋貨車ト6を乗用に改造、この無蓋車への乗車も可能となっています(若桜駅構内の見学には入構料大人300円が必要)。
今回は総会参加者の皆さんを乗せてのフル稼働となりましたが、保存鉄道関係者とはいえ"貨車"に乗る機会はまずないだけに、その面でも大きな反響を呼んでいました。

▲手回し転車台の体験も...。大井川鐵道をはじめ実際に転車台を有している加盟団体も少なくなく、一同興味津々。'12.10.19 若桜
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▲総会参加者を乗せた"列車"が発車。秋空に気持ちの良い汽笛が響く。'12.10.19 若桜
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さらに「SL体験運転」として4月から11月の毎月第3土曜日には、実際にこのC12 167の運転台に乗っての体験運転プログラム(完全予約制)も設定されており、こちらもたいへんな人気を博しているそうです。

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▲何回かに分けてト6に分乗。わずかな距離ながらオープンエアーの爽快感に一同笑顔。ちなみに"煙"は地元名産の杉の端材を燃やして演出している。'12.10.19 若桜
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「若桜線SL運行委員会」(八頭町商工会、八頭町観光協会、若桜町商工会、若桜町観光協会、因幡船岡駅の活性化を考える会、隼駅を守る会、安部駅を守る会、若桜駅を元気にする会、若桜鉄道株式会社)では「平成27年のSL観光列車運行実現」に向けて「若桜線SL復活募金」を募っています(→こちら)。C12 167号機が実際に営業運転を行えるようになるためには、機関車自体の復元費用・検査費用のほかに、若桜線内の交換設備の新設、検修庫の新設、ディーゼル機関車等の購入費用など約5億円が必要とされています。あと3年ほどでその夢が正夢となるのか、これからがまさに正念場と言えましょう。

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▲総会の翌日行われた若桜駅の見学会では、JR四国から譲渡された12系客車内で昼食ののち、C12が12系を"牽引"して夢の未来の片鱗を見せてくれた。'12.10.19 若桜 P:名取紀之
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日本鉄道保存協会の年次総会が先週10月18日(木曜日)に鳥取県若桜町の若桜町公民館で開催され、全国から保存鉄道関係者約100人が集いました。

121020n024n.jpg若桜鉄道は旧国鉄特定地方交通線・若桜線を引き継いだ第三セクター鉄道ながら、3年ほど前に「地域公共交通の活性化及び再生に関する法律」に基づく初の"公有民営化"に踏み切ったことで大きな注目を浴びています。公有民営化とはいわゆる"上下分離"方式で、"下"に相当する線路や駅施設等のインフラを地元自治体が第3種鉄道事業者として保有管理し、"上"に相当する車輌や運転関係人員を若桜鉄道が第2種鉄道事業者として管理・運行するというものです。従来の第三セクター方式では財政的にも運営に行き詰まりかねない事業者が少なくないなかで、かねてよりその有用性が注目されてきたのがこの"公有民営化"でした。それだけに具体例としての若桜鉄道(若桜町)を実見できるのは、全国の保存鉄道関係者の皆さんにとっても千載一遇の機会だったようです。
▲事例報告会では延長1.6㎞におよぶ運行が人気のりくべつ鉄道を運営する陸別町商工会の発表に注目が集まった。'12.10.18 P:名取紀之
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▲北は北海道から南は九州まで全国から集った保存鉄道関係者の熱気に包まれた若桜町公民館。'12.10.18 P:名取紀之
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事業報告・会計報告など総会議事が滞りなく終了したのち、元鳥取環境大学教授渡邊一正さんによる基調講演「若桜の歴史と文化」が行われ、続いて「若桜駅を元気にする会」と「NPO市民文化財ネットワーク」から開催地報告が行われました。荒れ果てていた若桜駅構内の転車台を、地元の中高生の自主的な参加も得て復活させてゆく様は、参加者の大きな感動を呼びました。

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▲来賓挨拶をされる自由民主党石破 茂幹事長の奥様佳子さん(左)。右は同じく来賓挨拶をされる平井伸治鳥取県知事。'12.10.18 P:名取紀之
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今年の事例発表は北海道鉄道文化保存会、陸別町商工会、博物館明治村、片上鉄道保存会の4団体が予定されていましたが、北海道鉄道文化保存会の皆さんが飛行機の遅れで羽田で乗り継げずにやむなく欠席というハプニングに見舞われ、結局3団体の発表となりました。

121020n034n.jpg一昨年の開催地団体でもあった陸別町(→こちら)の「ふるさと銀河線りくべつ鉄道」では今年度から駅構外の1.3㎞(金澤踏切~松浦踏切)の体験運転コース(銀河コース)がスタート、すべてがパックとなったセットが5万円と高額にも関わらず大人気を博していることが報告されました。続く博物館明治村からは一昨年年末から運行を休止していた「京都市電」の1号車の修理が完了、電気配線の絶縁対策強化など永続的な運行への取り組みが紹介されるとともに、現在大阪のサッパボイラで修理中の12号蒸気機関車の状況についての報告が行われました。また、20周年を迎えた片上鉄道保存会では最近行われたキハ702の塗色変更が物議を醸していることや、同時に常にこういった新しい取り組みによって毎年3%ずつ来園者が増えている状況が報告されました。
▲例年通り司会進行は私が務めさせていただいた。'12.10.18 P:井門義博
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▲19日付の『日本海新聞』では総会の様子が報じられるとともに、一面のコラム「海潮音」でも「若桜町にとって、総会開催の意義は大きい」とその詳細が取り上げられた。
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質疑応答では「りくべつ鉄道」の保守管理、ことに保線関連費用の捻出方法や、明治村12号蒸機の修復費用といった具体的な経費とその出所に関する質問が多く出され、観る側ではなく実際に運営する側の皆さんが如何にシビアな状況にあるかがひしひしと伝わってまいりました。

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▲登録有形文化財の転車台、給水塔、そしてうっすらと煙を上げるC12に囲まれて記念撮影。天気にも恵まれて全国各地からの参加者にとって実り多い二日間となった。'12.10.19 若桜
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顧問も務められている東武博物館の花上名誉館長からは、先日復活を果たした8111号編成の経緯についての説明もありました。同じ加盟団体の日本ナショナルトラストが所有するC12 164号機に類例があるものの、今回の8111号編成は所有が東武博物館、車籍が東武鉄道という注目すべきスキームを実現しており、今後の動態保存のあり方に一石を投じるものとして参加者の皆さんの大きな関心を集めていました。

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▲吹雪をついて七谷に到着するモハ61の上り列車。交換する下り五泉行きはこれから冬鳥越の豪雪に挑まねばならない。全線が健在だった頃のひとコマ。'80.12.27 P:名取紀之
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なぜか毎年この季節になると消えた新潟の私鉄、越後交通、新潟交通、そして蒲原鉄道が思い出されてなりません。ハザ木が並ぶ越後平野の秋の夕暮れ、そしてその秋を追うようにやってくる雪また雪...そんな情景の中を行く小さな電車に魅せられて新潟通いが続いのはかれこれ30年以上も前のことでした。

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▲遥か越後山脈の山々を望む雪原をひた走る村松行のモハ31。'81.2.20 大蒲原-高松 P:寺田裕一 (RMライブラリー『蒲原鉄道 最後の日々』より)
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今月発売のRMライブラリーは、そんな独特の魅力を持っていた新潟のローカル電車から、寺田裕一さんによる『蒲原鉄道 最後の日々』をお送りします。

121016_RML159sn.jpg蒲原鉄道の全廃は1999(平成11)年10月4日。まだ13年ほどしか経っておらず、実際に訪ねられた方も少なくないかと思います。しかし、この時点で残されていたのは村松~五泉間4.2㎞のみ。ほぼ道路と並行して南北一直線に走る姿からは蒲原本来の魅力は感じにくいものでした。1985(昭和60)年3月限りで廃止された村松~加茂間17.7㎞こそ、山あり、谷あり、田園地帯ありの、まるで日本のローカル私鉄の魅力を凝縮したような沿線風景で、そこを走る直接制御の古めかしい電車とともに、訪れた多くのファンを虜にしたのでした。

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▲1980(昭和55)年、寺田さんが3日間にわたって撮影を続けた夏の記録。 (RMライブラリー『蒲原鉄道 最後の日々』より)
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▲加茂~村松間最期の冬となった1985(昭和60)年1月の記録。ED1による除雪も行われたが、撮影行の最後には列車をあきらめ、バスで蒲原を離れることに。 (RMライブラリー『蒲原鉄道 最後の日々』より)
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筆者は『新 消えた轍』シリーズでもおなじみの寺田裕一さんですが、寺田さんも1976(昭和51)年にはじめて蒲原を訪ねて以来、その魅力の虜となり、何度となく現地を訪ねておられます。その中で職員の方々とも顔見知りになり、ついには当時所属していたクラブで会社創立60周年の記念列車の運行まで実現しました。

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▲各車輌の竣功図を基に車輌を解説。 (RMライブラリー『蒲原鉄道 最後の日々』より)
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本書は、そんな寺田さんの、臨場感あふれる昭和50~60年代の現地レポートを中心に、開業から全廃までの沿革、駅や橋梁などの施設、そして車輌について解説するものです。幸い、蒲原鉄道の車輌の多くはかつての沿線を中心に保存されています(編集長敬白アーカイブ「蒲原のモハ1を見る」参照→こちら)ので、今度新潟方面へお出かけの際には、ぜひ本書を片手に保存車を訪ねてみられてはいかがでしょうか。

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▲第11回「日本鉄道賞」に輝いた東京駅丸の内駅舎の復原。写真はグランドオープン当日の様子。'12.10.1 P:松山政昭 (「今日の一枚」より)
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1872(明治5)年10月14日に新橋~横浜間に鉄道が開通してから今年で140年。またこれを記念して1994(平成6)年に定められた「鉄道の日」も今年で19回目となり、昨晩は東京・台場の「ホテルグランパシフィック LE DAIBA」で「鉄道の日」実行委員会(国土交通省、鉄道事業者、鉄道建設・運輸施設整備支援機構などで構成)主催の盛大な記念祝賀会が行われました。

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▲ことしの「鉄道の日」記念祝賀会は「ホテルグランパシフィック LE DAIBA」のバンケットルーム「パレロワイヤル」で盛大に開催された。'12.10.15
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これに先立ち10月6日(土曜日)・7日(日曜日)にはすっかり恒例となった「鉄道フェスティバル」が明治公園の霞岳広場を会場に開催されました。例年日比谷公園で行われていたこのフェスティバルですが、今年は14日(日曜日)までIMF(国際通貨基金)総会が東京国際フォーラムをメイン会場とした日比谷周辺で開催されたこともあって、場所と日程を変更しての開催となりましたが、それでも会場は終日ファミリーの熱気に包まれて賑わっていました。

121015n606.jpgさて、毎年この「鉄道の日」の祝賀会で発表されるのが「日本鉄道賞」です。「日本鉄道賞」は、「鉄道の日」創設の趣旨である鉄道に対する国民の理解と関心をさらに深めるとともに、鉄道の今後一層の発展を期することを目的として、2002(平成14)年に創設された表彰制度で、「鉄道の日」実行委員会の日本鉄道賞表彰選考委員会によって選考されます。今回、第11回となる日本鉄道賞の選考は、家田仁東京大学大学院教授を委員長とする表彰選考委員会(委員8名)によって各応募案件(計29件)を応募書類から選考、評点の合計値が高位のものから計8件をヒアリング対象案件としてスクリーニングし、さらにそこから総合的な視点から見て極めて優れたものと、特定の視点からみて優れたものの2つの視点から選出されました。
▲開会の挨拶をされる中村英夫「鉄道の日」実行委員会会長。'12.10.15
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▲今年は明治公園で開催された「鉄道フェスティバル」。一時天気がぐずついたものの、終日親子連れでたいへんな賑わいだった。'12.10.6
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この選考の結果、今回の「日本鉄道賞」に選ばれたのは、東日本旅客鉄道株式会社による「国指定重要文化財である丸の内駅舎を創建当時の姿に復原します。」です。

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▲浪瀬佳子選考委員より「日本鉄道賞」を受ける東日本旅客鉄道株式会社(JR東日本)の冨田哲郎社長。'12.10.15
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121015n603.jpg選考理由として表彰選考委員会は「大正3年に竣工した東京駅丸の内駅舎は、わが国の駅舎建築の古典的金字塔であるのみならず、繊細さを併せ持ったそのシンメトリックな巨姿は世界でも屈指の"美駅"であった。今、太平洋戦争末期の東京大空襲によって破壊された3階部分や南北のドームが復原され、本来の姿を取り戻した丸の内駅舎は、首都東京に新たな魅力的名所をもたらすこととなった。この復原事業は、国民として誇りうる優れた文化的遺産を後世に引き継ぐという意味で極めて大きな意味をもつ。しかし、そればかりでなく、①最新の地盤工学や構造工学の技術を駆使して実現した耐震上の画期的改良、②現代社会にふさわしい空間と新たな機能の創造的付加、③駅舎の上空空間の利用権を周辺地域に移転売却することによって同事業を財務的に実行可能にした官民関係者の都市計画制度上の柔軟な工夫力、の諸点から見ても注目に値する。総合的に見て、まさにわが国鉄道の歴史に長く記録されるべき事業といえよう」と発表しています。
▲来賓挨拶をされる羽田雄一郎国土交通大臣。'12.10.15
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▲乾杯は「鉄道の日」実行委員会副会長で東日本旅客鉄道株式会社の清野 智会長の発声で。左端は国土交通省橋本清仁大臣政務官、右端は同じく川村秀三郎大臣政務官。'12.10.15
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今回は表彰選考委員会による特別表彰も2件が選定されました。そのひとつ「鉄人」特別賞が小ブログでもご紹介した(→こちら)原鉄道模型博物館の「日本の鉄道の発祥の地、横浜に世界最大級の鉄道模型博物館オープン!!」です。

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▲「鉄人」特別賞に選定された原鉄道模型博物館。写真はそのメインステージともいえる「いちばんテツモパークジオラマ」。'12.6.20
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選考委員会は「世界的に著名な鉄道模型製作者・収集家である原信太郎氏の約80年にわたる膨大なコレクションは、国内外の鉄道の技術・文化・歴史を物語る重要な役目を果たしている。実際の鉄道走行機能を再現した精巧なジオラマ製作をはじめ、原氏の鉄道にかける情熱と生き様は感動的であり、展示に工夫を凝らしてそれを具現化したこの博物館は まさに"鉄人"による知的創造の情報発信地と言える。今年7月に日本鉄道発祥の地・横浜に開館後、わずか55日で来場者数10万人を達成した。鉄道愛好者や鉄道模型ファンの枠を超えて、一般にも鉄道の素晴らしさや楽しさを広く伝え、鉄道愛に共感を呼んでいる点に評価が集まり、今後の展開にも期待が寄せられる」としています。

121015n604.jpgもう一件の特別表彰は「蘇ったレール」特別賞で、NPO法人神岡・町づくりネットワークの「廃線を抱えた田舎町の遊びゴコロ「自転車とレールで風になる」レールマウンテンバイク・ガッタンゴー」が選ばれました。このレールマウンテンバイクが評価されたのはなによりも「独自性とユニークさ」で、「地元の人のアイデアから生まれ、バイクは地元鉄工所・木工所の手作り。宣伝費はパンフレット代の8万円しかかけていないが、ユニークさが受けて利用者は年々増加し「黒字営業」を続けている。また"困難を乗り越えた"績も大きい。鉄路を生かし新たな観光資源つまり地域の新たな財産を創出したことで全国から見学も相次いでいる。そして何より選考委員に共感を与えたのは"レールを残したい"という鉄道への深い思いが原点になったという点だ」と選考委員会。全線廃止になった鉄道に係る取り組みが「鉄道賞」を受けるのは異例ですが、先進性に加え、鉄道が地域の人たちにとっていかに重い存在であるかを訴えていることが大きな受賞理由となったようです。
▲受賞式に臨まれた原鉄道模型博物館の原 丈人副館長。'12.10.15
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※日本鉄道保存協会年次総会出席のため、小ブログは今週は休載とさせていただきます。

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▲140年目の「鉄道の日」、そして梅小路蒸気機関車館の開館40周年を祝って、C62 2が3年半ぶりに元気な姿を見せてくれた。'12.10.14 梅小路蒸気機関車館
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ご案内したように、昨日の「鉄道の日」は15時05分から16時55分にかけて梅小路蒸気機関車館からNHKラジオの鉄道特番「唄う鉄道芸人with鉄道MEN ~近畿編~」が生放送され、監修を仰せつかった私もひさしぶりに梅小路にうかがいました。

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▲扇形庫12番線に設けられた特設ステージに並んだ関西5社の代表の皆さん。'12.10.14 梅小路蒸気機関車館
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この特番は全国放送ながら、関西の鉄道会社5社の代表の方にお集まりいただき、フリートークとリスナーの皆さんからの質問で関西の鉄道の魅力を発信しようという一風変わった趣向です。タイトルにある"唄う鉄道芸人"とは、関西を中心に活躍する元祖お囃子カントリー「ぐんきち」のみなさん。3人のユニットですが、笛を担当されている桂しん吉さんが超がつくほどのレイルファンで、「十三で逢いましょう」や「進め!阪堺電車」、「盲腸線サバイバー」といった鉄道をテーマとした楽曲を数多くお持ちです。

121015n302.jpg登壇された5社代表のみなさんはいずれ劣らぬ"濃い"キャラクターぞろい。前打ち合わせやリハの段階から個性炸裂、自社愛に満ちた前哨戦が繰り広げられ、立ち会った東京人の私はそのノリに終始タジタジ...。リスナーの方々から寄せられるお便りも関西の鉄道への思いが溢れるものばかりで、これまたびっくり。また、京阪神、阪奈、阪和と都市間連絡で常に競合してきた関西の鉄道には、良い意味でのライバル意識と各社独自のアイデンティティーがあり、2時間の放送本番でもそんな関西の鉄道ならではの話が次々と飛び出しました。
▲生演奏を披露する元祖お囃子カントリー「ぐんきち」の皆さん。'12.10.14 梅小路蒸気機関車館
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▲関西5社の皆さんが同じ雛壇で顔を合わせるのは画期的。上段左から近畿日本鉄道株式会社秘書広報部福原稔浩さん、京阪電気鉄道株式会社広報中西一浩さん、南海電気鉄道株式会社新今宮駅駅長清井昭彦さん、下段左から西日本旅客鉄道株式会社広報齋木吉晶さん、阪急電鉄株式会社都市交通事業本部運輸部営業藤田雅之さん。'12.10.14 梅小路蒸気機関車館
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121015n301.jpg「阪急さんはいつまで"マルーン色"を続けるつもり?」といったきわどい質問から、「うちの会社では"車内放送コンクール"をやっているが他社さんは?」といった挑戦的な問いかけ、さらにはシート自慢までまさに前代未聞の公開バトルとなりました。ちなみに近鉄の福原さんが来春デビューする「しまかぜ」(→こちら)のシーピッチ125㎝という本革シートを自慢すれば、阪急の藤田さんが「ウチのシートはすべてアンゴラヤギの毛で、他社さんより毛足が1㎜長いんですわ」と切り返す、さらにJR西日本の齋城さんが山陽・九州新幹線用N700系7000番代の普通車指定席のラグジュアリーさをアピールするといった具合で、実に楽しい盛り上がりとなりました。
▲局内屈指のファン、しかもこれまでも多くのNHK鉄道番組のナレーションを担当してきた別井敬之アナウンサーだけに、そのトークは絶妙。後ろには手の届くほどの位置にD51 1が。'12.10.14 梅小路蒸気機関車館
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リスナーのみなさんに参加いただく音クイズも好評だったようです。近鉄に残る鮮魚列車の音、京阪3000系(初代)や近鉄5800系L/Cカーのシート転換音の違いなどはかなり難易度が高く、電話に出られた方が正解されたのも驚きでした。

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▲2時間の特番後半では、スチーム号で働いていたC62 2が転車台に戻ってきて力強い汽笛を聞かせてくれた。ステージの向こうにはあのつばめマークが光る。'12.10.14 梅小路蒸気機関車館
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MC役は前日まで名古屋ドームでプロ野球の実況を担当していたという別井アナウンサー。学生時代は京阪の枚方市駅で朝の通対のアルバイトをしていたほどの筋金入りのファンで、小ブログもご愛読いただいているとのこと。いずれにせよ、その知識なくしてはこれほどの盛り上がりはなかったに違いありません。番組後半ではお聞きになっていた関東私鉄の社員の方から「関東編はいつ?」といった声も寄せられており、続編が期待されます。

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▲開館40周年を迎えた梅小路蒸気機関車館ではさまざまなアニバーサリー・イベントが繰り広げられている。この日は1080、9633、C11 64、B20 10が並んでライトアップによる夜間開館も行われていた。'12.10.14 梅小路蒸気機関車館
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ところで会場となった梅小路蒸気機関車館は先週10月10日にオープンから40周年を迎えました。鉄道100年の記念事業の一環として国鉄が開設した梅小路蒸気機関車館も、これまでに扇形庫が国指定の重要文化財となり、一連の施設等が経産省認定の近代化産業遺産、また機関車群を含めた関連施設が準鉄道記念物に指定されるなど、ますますその重要度を高めています。現在、梅小路蒸気機関車館では40周年記念特別展を開催中で(来年3月31日まで)、さらに10月一杯は「スチーム号」の牽引機にC62 2が充当(場合によっては代機となる場合もあり)される予定です。この機会にぜひ梅小路に足を運んでみてはいかがでしょうか。

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C58 239が動態復活へ。

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▲岩手県営運動公園内の交通公園に静態保存されているC58 239。後ろにはオハ35 2001とワム187953が続いている。'02.5.14 P:名取紀之
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本日午後、JR東日本からたいへん嬉しいニュースが飛び込んできました。岩手県営運動公園内の交通公園に静態保存されているC58 239号機が動態復活することになったのです。D51 498号機、C57 180号機、C61 20号機(復活順)に続いてJR東日本としてはついに4輌目の動態復活蒸機誕生です。

c58239_0001n.jpgJR東日本のプレス発表によると、このC58 239号機は修復整備のうえ2013年度冬以降の運行を計画しており、釜石線を中心とした東北エリアで「SL銀河鉄道」(仮称)として運転される予定です。土休日を中心に年間80日程度運行され、また東北各地で開催されるイベントやキャンペーンにあわせて東北エリアの各線区での運行も検討しているそうです。

▲静態保存中のC58 239を正面から見る。宮古機関区時代は郡山工場式の集煙装置を装備し、前照灯もシールドビームのLP405の2灯であった。'02.5.14 P:名取紀之
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▲テンダーには1500ℓの重油タンクが搭載されている。区界峠をはじめとした難所を担当する宮古区のC58にとっては、集煙装置とともに欠くことのできない装備であった。'02.5.14 P:名取紀之
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c58239_0008n.jpgところでこの「SL銀河鉄道」(仮称)は、釜石線では急勾配区間を走行するなど、C58のみでの牽引が困難であることから、動力付のキハ141系(旧50系客車改造車)をJR北海道から購入して改造する予定だそうです。この専用客車(気動車)は指定席車及びオープンスペース車からなる4輌編成で、コンセプトはもちろん「銀河鉄道」。世界的な工業デザイナーでKEN OKUYAMA DESIGN 代表の奥山 清行氏のプロデュースにより、東北の「文化・自然・風景」を感じことができる車内空間として誕生する予定とのこと。
▲キャブ機関士側から公式側前方を見る。盛岡SL等保存会の皆さんの献身的な整備でまるで現役機のよう。'02.5.14 P:名取紀之
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▲そのキャブ内。機関士側(左)、機関助士側(右)ともに欠品もなく素晴らしい状態に保たれているのがわかる。'02.5.14 P:名取紀之
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今回動態復活が決まったC58 239号機は1940(昭和15 )年6月に川崎重工業兵庫工場で製造(製造番号2321)され、1940(昭和15)年6月26日付け達529号で名古屋局に配置、1941(昭和16)年3月に奈良機関区に配置されたものの、戦時中の1943(昭和18)年5月に宮古機関区に転属し、以後1970(昭和45)年3月に盛岡機関区に移るまで一貫して山田線・小本線(岩泉線)を中心に活躍してきました(詳しくは『「SL甲組」の肖像』第4巻「慟哭の区界峠 -宮古機関区-」参照)。1972(昭和47) 年5月22日付けで廃車となるまでの32年間のうち実に27年間を岩手県で活躍してきた機関車です。また、1970(昭和45) 年2月28 日の山田線「さようなら蒸気機関車」(C58 90号機との重連)の前補機の重責も担っています。

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▲C58 239号機を護り続けてきた日本鉄道OB会の皆さん。'02.5.14 P:椎橋俊之
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岩手県営運動公園には1973(昭和48) 年5月1 日より保存されていますが、この清掃・整備を自主的に担ってこられたのが「日本鉄道OB会」を中心とした盛岡SL等保存会のメンバーの皆さんです。あの奥中山三重連のレギュレータを握った盛岡機関区OBの皆さんだけに蒸気機関車への愛着は格別で、その献身的な活動があってこそ本機が素晴らしい保存状態を保ってこられたと言っても過言ではないでしょう(『「SL甲組」の肖像』第1巻参照)。

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▲「SL銀河鉄道」(仮称)のイメージ。"客車"はJR北海道のキハ141系(旧50系客車改造車)を譲り受けて改造を施す計画。(JR東日本提供)
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ちなみにC58 239の後ろにはオハ35 2001とワム80000の187953号が続いており、両車もすこぶる良好な状態を保っています。ことにオハ35形のトップナンバーである2001号車(電暖化にともなって原番号に2000をプラス)はニス塗りに白熱灯の車内もまるで現役かと思わせるほど綺麗で、その意味では主役たるC58 239なきあとの去就が注目されます。

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▲素晴らしい状態に保たれているオハ35 2001。1939(昭和14)年日本車輌製で、こちらも博物館級の鉄道遺産。'02.5.14 P:名取紀之
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▲その車内。通常は公開していないだけに見事なコンディションに保たれている。'02.5.14 P:名取紀之
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▲オハ35 2001の妻面に残る銘板類。「更新改造Ⅰ長野工機部 昭和25年」や「更新改造 2 大船工場」など、歩んできた歴史が凝縮されている(左)。右はワム187953の内部に設置されたキャビネットで、蒸機時代の資料等が整理保管されている。'02.5.14 P:名取紀之
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▲現在の花屋敷停留所付近。道路は拡幅され、バスベイがあるためか広く感じる。なお、日本無軌道電車時代はループ線を設ける用地がなかったため、道路中央に転車台を設けて方向転換をしていたという。P:宮武浩二
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「日本無軌道電車」をご存知でしょうか?
無軌条電車=トロリーバスが「軌道ニ準スベキモノ」として法制上は鉄道(軌道)の仲間とされているのはご承知と思いますが、無軌条ではなく"無軌道"とは如何に? 無軌道な若者...等々、現代では決して良い意味では使われない無軌道という言葉ですが、かつては無軌条電車ではなく無軌道電車という用語が汎用されていたと言います。そして、この無軌道を冠した社名を持つわが国初の営業用トロリーバスが「日本無軌道電車」です。

121011n002.JPG日本無軌道電車は現在の阪急宝塚線雲雀丘花屋敷駅と新花屋敷(川西市満願寺町付近)間1.3㎞を結んで1928(昭和3)年8月1日に開業しました。花屋敷は明治時代から炭酸泉の天然温泉として知られ、第一次世界大戦後の好景気を背景に、この地に温泉保養施設のみならず住宅地と遊園地を建設して周辺開発の拠点としようとする計画が持ち上がりました。しかしながら新たに開発された新花屋敷温泉は花屋敷駅から2キロほどの距離があり、しかもその全行程が急勾配(142‰)の上り坂で、利用者の輸送が大きな課題となっていました。そこに持ち上がったのが当時上海で実用化されていたトロリーバスの導入です。ゴムタイヤのトロリーバスであれば粘着式鉄道では登坂不可能な急坂での運転も可能で、しかも本邦初とあって宣伝効果も期待できます。
▲郵便ポストの見えるあたりが、つつじが丘停留所。交換設備があったとされる。横断歩道から先はSカーブとなる。P:宮武浩二
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▲つつじが丘停留所の現在。当時はここで上り下りの無軌条電車が離合していた。P:宮武浩二
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▲つつじが丘を過ぎるとSカーブとなる。急勾配を進むバス。P:宮武浩二
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▲つつじが丘からSカーブを過ぎると万年坂。新花屋敷まで急勾配が続く(左)。万年坂の急勾配はこんなにすごい(右)。P:宮武浩二
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車輌(2輌)は日本輸送機製作所(1922年創業。1937年に日本電池の子会社である「日本輸送機株式会社」に事業一切を継承)が独力で製造したもので、車体長5.5m、質量3.5t、直流20馬力モーターを2基備え、定員は28名(立席6名を含む)。独自の変電設備を持たないため、親交の深かった阪急から受電して運転を開始したそうです。ちなみにこの日本無軌道電車については地元の宝塚市ふじガ丘自治会のホームページ(下記)に写真や図をともなって詳しく紹介されていますのでご参照ください。
http://fujigaoka.biz/f830.htm

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▲万年坂を登る。右手が当時からあるお地蔵さん。P:宮武浩二
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▲新花屋敷終点。現在は長尾台と地名が変わっている。峠茶屋の場所が新花屋敷温泉の本社跡。当時はループ線が設けられていたという。P:宮武浩二
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この日本無軌道電車の"路線跡"を宮武浩二さんが訪れてレポートをお送りくださいました。現在では日本無軌道電車が走った道路には阪急バス満願寺線が運行されており、今さらながらにその厳しい地形条件を知ることができます。

121011n009.JPG一時は能勢電の多田まで延伸するという計画まで抱いていたこの日本無軌道電車ですが、1929(昭和4)年の世界恐慌の影響を受けて資金繰りが悪化、無軌道電車に限りない夢を描いていた社長が自殺してしまうという悲惨な展開となります。結局、新花屋敷温泉そのもの経営悪化とともに1932(昭和7)年1月に運行を停止し、4月には廃止となってしまいましたので、実質的な運転期間はわずか3年半ほどだったことになります。
▲乗用車の並んでいるあたりから時計回りに方向転換していた。手前の広場が車庫跡、右奥の赤い屋根の建物あたりに本社があった。P:宮武浩二
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▲煉瓦の痕跡が無軌条電車の車庫建物跡とされる。廃止後、トロリーバスの車体はこの終点近くで公衆便所となって果てたという。P:宮武浩二
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宮武さんは「日本無軌道電車の車輌は電車型の車体に直接制御器をつけた、いわば電車に近いトロリーバスだと思います。このあと京都市に登場したものはバスに電気品を付けたもので、バスの車体を借りた電車に進化したというのがトロリーバスではないかと考えています」と書かれていますが、確かにわが国初のこのトロリーバスがより電車に近いものであったのは興味深く感じます。ちなみにこの日本無軌道電車は、その認可にあたって前例がないため、軌道条例に準拠するか乗合自動車営業取締規則に準拠するか判断が分かれ、結果的に後者、つまり自動車の範疇となったため、わが国最初のトロリーバスであるにも関わらず、鉄道史のいわば「正史」には登場しない憂き目をみることになってしまいました。その意味でも何とも不運としか言いようがありません(無軌条電車は戦後1947年より"鉄道"として管理されています)。
なお、この日本無軌道電車については、『熱き男たちの鉄道物語』(ブレーンセンター2012年4月発行)の第2章「日本初に賭けた三人の男たち」(森 五宏著)に詳しく紹介されています。

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▲ガントレット区間を抜けて複線に戻ってゆくモスクワ市電24系統。'12.7 P:渡辺康正
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先日の「プラハ市電のガントレット」(→こちら)をご覧になった渡辺康正さんから、モスクワ市電のガントレットの写真をお送りいただきました。これまでほとんど紹介されていない珍しいものですので、お便りとともにさっそくお目に掛けることにいたしましょう。

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▲ガントレット区間のトンネルの上には列車線が走っている。入口上部にはなぜか"ARTPLAY"なる文字が...。'12.7 P:渡辺康正
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▲ガントレットを抜けてくる24系統。トンネルは歩行者用も兼ねている。'12.7 P:渡辺康正
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ブログ「編集長敬白」でプラハ市電のガントレットを興味深く拝見いたしました。旧共産圏の特色?というわけでもないのでしょうが、実は、モスクワ市電でもガントレットが健在ですので、今年7月半ばに訪れた時の様子を写真でご報告しようと思います。

121009n3n.jpgモスクワ市電のガントレット区間は、モスクワ市内にある長距離ターミナル駅のひとつクルスク駅の南に存在します。クルスク方面への列車はクルスク駅から築堤上の線路を南下しますが、クルスク駅の南西側から発着する市電24系統は鉄道線路の西側を少し南東に走ってから、そのまま南下する20系統と別れ、鉄道の築堤を併用軌道のトンネルでアンダークロスし北東に抜けます。このトンネル、なぜかポータルには英文字で"ARTPLAY"と記されているのですが、その幅が狭く、複線が敷けないためガントレット区間になっています。
▲吊るされた表示は客扱いをしない運転停車のみであることを示している。'12.7 P:渡辺康正
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▲このガントレットは上下線のレールが比較的離れていてその構造がよくわかる。'12.7 P:渡辺康正
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トンネルの手前には通常の電停と同じ形ですが"ТЕХНИЧЕСКАЯ ОСТАНОВКА"(技術的停留所、つまり運転停車用の停留所といったところです)と記された標識と,電車を交互に通すための信号があります。1系統だけですので次々と電車がやってくるというほどではありませんが、時々ガントレット区間手前で電車が待ち合わせることもあります。

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▲ガントレット区間でトラムバイの行き来を見ているうちに、モスクワの夏特有のにわかの土砂降りに見舞われた渡辺さん、仕方なしにガントレットのトンネル内でしばし雨宿となったそう...。'12.7 P:渡辺康正
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渡辺康正さんありがとうございました。ガントレットに関してはもう一件、続報(→こちら)をお送り下さった服部重敬さんからポツダムとスペインの古都・セビリアの写真を頂戴しました。ポツダムについては前回の解説でも触れられていたものの、写真がフィルムだったため同報できず、その後わざわざスキャニングしてくださったものです。

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▲ポツダムのナウエン門を潜るガントレット区間。P:服部重敬
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もう一枚はセビリアです。セビリアには路面電車がありませんでしたが、スペインのLRTブームにのって2007年10月にストリートカー(地上部分の短距離を走るLRT)と、2009年に地下鉄方式のLRT路線が開業しています。このうちストリートカーは、地下鉄や近郊電車のセルカニアスの駅から、世界遺産の大聖堂などのある都心部へのアクセスを高めるため建設された2km強の路線で、その路線の内、大聖堂の横を走る区間約200mがガントレットになっているそうです。

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▲セビリア大聖堂の横をガントレットで抜けるACR。架空線がないのにご注意。P:服部重敬
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そして、セビリアの方は写真をご覧になるとおわかりのように、架線が張られていません。これは景観の保全をはかるため、ACRと呼ばれるシステムの急速充電システムによるバッテリートラムを開発して架線レスとしたためです。当初は架線集電で運行されていましたが、このウルボス3と呼ばれるバッテリートラムによって、2011年4月からは架線レス運転が行われているそうです。

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▲今年も世代を超えたナローゲージャーで終日熱気に包まれた第8回軽便鉄道模型祭の第1会場。手前は木曽モジュール倶楽部の出展。'12.10.8
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昨日は山手線目黒駅にほど近い「目黒さつき会館」で、すっかり恒例となった軽便鉄道模型祭が開催されました。8回目となるこの軽便鉄道模型祭は、たった一日だけの開催ではありますが、その濃密さは尋常ではなく、しかもいろいろな意味で毎年進化を続けている稀有なイベントでもあります。

121008n013.jpg会場は大会議室を第1会場、B会議室を第2会場、C会議室を第3会場とし、第1会場には物販関係出展社各社と木曽モジュール倶楽部(KMC)など、第2・第3会場には軽便モジュール倶楽部やクリッターズ・クラブなどエントラントのレイアウトや作品が並びました。また、今回は前日に当たる10月7日に、プレイベントとして講演会『軽便讃歌III』が開催され、 髙井薫平さん、湯口 徹さん、西村 光さん、畑中 博さんらが、貴重な写真・資料を交えて内外のナローゲージ鉄道の魅力を語られるというスペシャル・プログラムも用意されていました。
▲前日に行われた講演会『軽便讃歌III』に出演された湯口 徹さん(中央)と髙井薫平さん(左)の姿も。アートプロのブースで気動車のホワイトボディを手にとって熱い会話が交わされていた。'12.10.8
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▲石井伸明さんの機関庫(Oスケール)は鹿島鉄道の石岡機関区の工場で見たカウンターシャフトとプーリー、ベルトによるプリミティブな動力伝達を再現しようと試みたという。機関庫の精密さはもとより、庫外に打ち捨てられたバグナルの廃車体(下)の表現など、まさに世界レベル。'12.10.8
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日本のナローゲージャーにとっては年に一度の晴舞台とあって、このイベントを目指して昼夜兼行で完成させたという車輌やレイアウトも少なくありません。石井伸明さんのOスケールの機関庫ジオラマ(赤石鐵道比尻機関區/450×450㎜)もそのひとつ。鹿島鉄道の石岡機関区に範をとったという木造矩形庫は究極の精密さで、覗き込むギャラリーからは感嘆の溜息が漏れていました。

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▲陸中松川にあった松川石灰の軌道にインスパイアされて製作に臨んだというDMCの新井一雄さんのセクション。木橋もさることながら、「ある夏休みの一日、汚れたスバルで河原に釣りにやってきた親子...」といったプロットと、おにぎりを傍らに釣りに興じる少年(左)、さらに水中に再現した魚(右)など、思わず微笑むギミックも満載。'12.10.8
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HOスケールではDCCの効用もあって、その走行状態の良さが際立っていました。思えば1976(昭和51)年に開催された最初の「軽便祭」では、メーカーブースを含めて完調で走行できる出展がほとんどなく、かく言う私も、まともに走らないHOn2/7㎜ゲージの自作レイアウトと最後の最後まで格闘していた覚えがあります。今では携帯電話用をはじめとした極小モーターの進化や、電子制御技術の汎用化で走行性能の向上は信じ難いほどで、親指の先ほどの機関車がLEDライトを点灯させてスケールスピードで快調に走る姿を目にすると、キャラメルモーター世代には隔世の感を禁じ得ません。

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▲毎回驚きの発想を見せてくれる管 晴彦さんの新作は「日出生交通ヒラバル(平原)線」。スイッチバックとオメガループの連続する斜面をBクラスのショーティーが客車1輌を従えてよじ登る。頂上のトンネルからは裏面に隠されたスパイラルループを駆け下りて、列車は再び最下段のシェッドから登場する。なお、管さんは先日シアトルで開催された第32回ナローゲージ・コンベンションのコンテスト(Special Equipment部門)で2位に輝いている(右上)。'12.10.8
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今ではすっかり定着した"モジュール"の概念ですが、新たな動きも見受けられました。ひとつはDMCが出展したOスケールのモジュールで、展示台の高さ(収納箱の規格)と軌道の高さ・接続穴の位置のみ共通化し、モジュールそのものは大きさを含めて自由裁量としたものです。しかも「水平面から作ることが多い情景(模型)を、面ではなく立体から構想することを共通のテーマとしました」と解説展示されているように、その試行は旧来のモジュールの概念に新風を吹き込むもので、今後の発展が楽しみでなりません。

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▲植生表現の見事さで注目を集めていた大竹尚之さんのOスケールレイアウト(900×400㎜)。プリザーブド・フラワー用の溶液とステインを駆使して自作したシーナリィーは圧巻。'12.10.8
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もうひとつは市販のN用のレールを使用してA4サイズの長手半裁ほどのベース板をモジュールとした「ケートラ」(Ke-TRUCK)の始動です。展示台の代わりにも使え、週末のちょっとした時間で気軽に情景工作ができるこの新しいモジュールも、今後新しいウェーブとなってゆくと期待されます。

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▲「お見せしたいものが...」と谷川雄介さんが取り出したのが、何とあの島軌道の"ウシ"(編集長敬白アーカイブ「北ドイツのナローを巡る ~「ウシ」のこと~」参照→こちら)。鼻血ブー(?)のイラストも忠実に再現されていてびっくり。'12.10.8
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121008n101.jpg模型以外で注目されたのが南軽出版局による新刊書籍『基隆炭鉱鉄道』です。KEMURI PROを核とした南軽出版局が、台湾の基隆炭鉱で活躍した蒸機2フーターを纏めたもので、かつて『鉄道讃歌』やキネ旬の『蒸気機関車』誌でその一部が発表された"基隆"のまさに集大成ともいえる一冊。80頁あまりの誌面に踊る生き生きとしたナロー蒸機の姿はあまりに感動的で、「「風景・人々・出来事」を羅列してでも、一つの鉄道を表現することにあった」(あとがきより)というKEMURI PROの一貫したスタンスとあいまって、ナローファンのみならず、鉄道写真を志す方にもぜひご覧いただきたい写真集となっています。なお、書泉グランデをはじめ、一部の模型店でも今後取り扱いがあるそうです(A4変形ダブルトーン/2,300円)。
▲南軽出版局の新刊『基隆炭鉱鉄道』。"Steam on 2ft.Lines Ⅰ"のサブタイトルにあるように、今後も2フィート蒸機関連の続刊を計画しているという。'12.10.8
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▲Oナローモジュールクラブの小林隆則さんの新作から。草軽や伊香保など、高原の独特の空気感が見事に再現されている。'12.10.8
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▲10月14日の生放送の特設スタジオが設けられる梅小路蒸気機関車館。放送時間中に「スチーム号」の運転も予定されている。写真はターンテーブルで転線する1080。'09.9.14 梅小路蒸気機関車館
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来週の日曜日、10月14日は「鉄道の日」。全国各地でさまざまなイベントが繰り広げられますが、NHKラジオ第1ではあの梅小路蒸気機関車館に特設スタジオを設けて2時間にわたる鉄道特番が生放送されます(→こちら)。

121005n002.jpg15時05分から16時55分にかけて生放送されるのは「唄う鉄道芸人with鉄道MEN ~近畿編~」。梅小路蒸気機関車館の扇形庫12番線を特設スタジオとして、阪急や阪堺など関西私鉄をテーマとした楽曲で人気の元祖お囃子カントリー「ぐんきち」さんのライブを交え、鉄道の"音"を語り尽くそうという企画です。驚かされるのはJR西日本と関西の私鉄各社が企画に全面協力して、それぞれの"精鋭"が生出演することで、鉄道事業者の枠を超えて、しかもJRの施設内から中継されるのは画期的なことと言えましょう。
▲特設スタジオは12番線に設けられる。関西各社の皆さんがこの扇形庫に集合して熱いトークを繰り広げるはず。'09.9.14 梅小路蒸気機関車館
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ご出演されるのは近畿日本鉄道株式会社秘書広報部福原稔浩さん、京阪電気鉄道株式会社広報中西一浩さん、南海電気鉄道株式会社新今宮駅駅長清井昭彦さん、西日本旅客鉄道株式会社広報齋木吉晶さん、阪急電鉄株式会社都市交通事業本部運輸部営業藤田雅之さん(五十音順)ら。司会は学生時代、枚方市駅で朝の通対のアルバイトもしていたという別井敬之アナウンサー。元運転士さんやらグッズ開発の最前線で活躍する方やら、各社各人の"自社愛"を生トークで引き出してくれるはずです。

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▲NHK番組ホームページ(→こちら)より。番組では生放送に向けたさまざまなお便りをお待ちしているという。
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現在、特設HPでは、ご出演される関西の鉄道マンが答える「鉄道あれこれ何でも質問」や、「関西の鉄道のココが好き!あなたのオススメの鉄道・駅員・その他 なんでもエピソード」、「アナタのびっくり!体験 IN 関西の鉄道」を募集中だそうです(→こちら)。全国放送ですが、ことに関西在住のファンの皆さんにとっては必見、いや必聴の特番となるはずです。

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ガントレット続報。

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▲ポルトガルはリスボンのガントレット区間。ポール集電のため、架線も上下線用2本が張られているのがわかる。P:服部重敬
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帰国後、さっそくプラハ市電のガントレットの件を服部重敬さんに報告申し上げたところ、さすが世界のトラムに精通しておられる服部さんだけあって、即座にヨーロッパ各地で見られるガントレットについての解説とお写真をお送りいただきました。例によって服部さんのお言葉に甘えて、プラハ以外で見られるガントレットのいくつかをご紹介させていただきましょう。

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▲スイスのバーゼルでは橋の下を潜る部分でガントレットが見られる。P:服部重敬
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服部さんによれば「欧州の場合、街路が狭いことから、複線軌道を敷く用地が確保できない場合が少なくありません。その対策のひとつがガントレットですが、その事例は少なく、多くの場合、その区間を単線化したり、あるいは違う街路に単線で線路を敷いたりして対応しています」とのことで、ヨーロッパといえどもそう数多く存在するわけではないようです。

120926n203.jpgさらにガントレットのパターンとして、ひとつは建物や門の中をくぐる場合、もうひとつは複線区間で一部だけ道幅が狭く、複線の軌道を敷くスペースがない場合、と2パターンがあるようです。前者の例のひとつが昨日ご紹介したプラハですが、ドイツのポツダムのNauener Torではガントレットで門の中を潜っているそうです。また、スイスのバーゼルでは、動物園の近くの橋の下を潜る箇所で、ガントレットが用いられています。
▲バーゼルのガントレットを列車のいない状態で見る。ガントレットの構造がよくわかる一枚。P:服部重敬
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後者の例は数多く、服部さんは代表的なものとして、アムステルダムのLeidse通の画像をお送り下さいました。ここはアムステルダム随一の繁華街ですが、道幅が狭く、3箇所にわたってガントレット区間があり、道幅が広がる運河の橋の上のみ通常の複線として、ここで電車が行き違う線型となっているそうです。

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▲アムステルダムの繁華街に敷設されたガントレット区間。複線用地がない3箇所がこのようなガントレット区間となっているという。P:服部重敬
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さらに、オーストリアのリンツでは市街地南部への延長にあたり、Ebelsbergの町中の道路が狭い部分でガントレットが用いられています。このガントレット区間は距離が長く、数百メートルもあるそうです。ドイツにもこうした事例のガントレットがいくつかあり、ベルリンのBornholmer Str.では、かつての東西ドイツ国境の橋を越えて西ドイツ側に延長する時に、橋の部分が拡幅できないので、そこをガントレットにして運行しているそうです。

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▲リンツ市内の長大なガントレット区間。上下線の間隔はかなり離れており、一見すると1ft3in(381㎜)ゲージあたりの極小ナローゲージが複線で敷設されているようにさえ見える。P:服部重敬
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このほかにもデュセルドルフやハノーバーにもガントレットがあるようで興味は尽きません。そんな中、今回服部さんからお送りいただいた中で一番印象に残ったのがトップでご紹介したリスボンのガントレットです。グラサの狭い街路に入る手前、短い複線区間の間にあるそうで、いかにもポルトガルらしい光景の中をポール電車がググッとカーブをきって来る姿は何とも印象的です。服部重敬さん、ありがとうございました。

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▲ガントレット区間に入る20系統のタトラT6。ガントレットのエントランス部は一見ポイントのように見えるが、複線の線路は微妙に隣合わせており、相互に乗り入れることはできない。'12.9.19 Malostranske namesti―Malostranska
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このところ新車関連の記事が続いておりましたが、今日は先日夏休みをいただいて回ってきた中欧の話題をお届けいたしましょう。といってもプライベートな、しかも"テンダー付き"とあって、終日鉄道三昧というわけにもゆかず、極めて断片的なご紹介である点はあらかじめお含みおきください。

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▲ガントレットから出てくる22系統8179(タトラT3)を待つ7041(右)。余談ながら車体広告にあるマクドナルドの「マックダブル」は35コルナ、日本円にして約140円。'12.9.19 Malostranske namesti―Malostranska
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さて、チェコの首都プラハは旧共産圏各国に夥しい輌数の路面電車を供給してきたタトラ社の本拠としても知られ、しかも市内には実に140㎞以上の路面電車網が張り巡らされた路面電車王国でもあります。実際に"電停"に立ってみるとわかりますが、そのフリークエンシーの高さは驚くべきものがあり、ほとんど続行状態で次から次へとトラムがやってきます。しかも、系統と本数こそ限られるものの、深夜時間帯も途切れることなく運転されており、実質的な24時間運転が実施されています。

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▲ガントレットのクロッシング部を見る。複線レールはほとんどガードレール状態で隣接しているのがわかる。'12.9.19 Malostranske namesti―Malostranska
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そんなプラハ市電(正確には市が主体となったプラハ交通)にガントレット区間があると聞いて訪ねてみました。ガントレットとは「単複線」とも和訳され、ポイントを使わずに複線の線路を重層させることによって狭隘区間を通過させるもので、わが国では1976(昭和51)年まで名鉄瀬戸線本町駅構内で見られたものが有名です。プラハ市街は街全体が歴史的建造物に溢れ、1875(明治8)年に馬車鉄道で開業したというプラハ市電も、すでにその時点で存在する多くの建造物を縫うように路線を伸ばしてゆきました。そんな中で、日本人の目から見ると線路を敷設するにはかなり無理な状況が数多く生まれ、その最たるものが、既存の建物を壊さずに複線を通り抜けさせるガントレットでした。

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▲ガントレット区間を出てくる20系統の8281。画面右端に信号が見えるが、ガントレット区間への進入はこの信号によって管理されている(動画参照)。'12.9.19 Malostranske namesti―Malostranska
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お目当てのガントレット区間があるのはプラハ屈指の観光地カレル橋の西詰めを少々進んだ決して広くはない街路。観光スポットからは外れているため、地元の方しか利用しないような道ですが、プラハ市電にとってはモルダウ川(ヴルタヴァ川)西側から橋梁を渡って旧市街中心部へと向かう複数路線が集まったボトルネックのような部分です。それだけにこのガントレット区間を行き交う列車本数も夥しく、常に上下列車どちらかが通過待ちをしているような状況です。

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▲これまでに見てきたのとは逆側、Malostranske namesti電停側からガントレット区間を出てくる22系統の8348(タトラT3)を見る。右側は一方通行の車道となっている。ちなみに22系統はプラハ城方面から市街を東西に貫く観光客にも人気の主要路線。'12.9.19 Malostranske namesti―Malostranska
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▲プラハ市電(地下鉄含む)の路線図。左側にマーキングした部分が今回訪問したガントレット区間。
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わが国であればガントレットなどにせず、区画整理でたちどころに"改良"してしまうところでしょうが、ある意味、それは路面電車そのものの存在価値を脅かしかねない発想でもあります。その点、頑なに景観を変えようとしないプラハ市電の生き生きとした姿に、少なからず心打たれた訪問でもありました。
なお、スチルではなかなかお分かりにならないこのガントレット、今回は動画も録ってまいりましたので、下記よりご覧ください。列車頻度も必見です。

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▲クリックすると「今日の一枚 The Movie」にとび、動画(2分57秒)がご覧になれます

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▲日光線用205系リニューアル車のイメージ。(提供:JR東日本大宮支社)
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JR東日本大宮支社は来年、2013(平成25)年3月以降、日光線で使用中の107系および宇都宮線(東北本線)小金井―黒磯間で使用中の211系を、205系リニューアル車に置き換えることを発表しました。主な運転区間は日光線用が宇都宮―日光間、宇都宮線(東北本線)用が小金井―黒磯間ですが、宇都宮線(東北本線)用車輌については日光線の運用に充当されることもあります。

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▲宇都宮線(東北本線)用205系リニューアル車のイメージ。(提供:JR東日本大宮支社)
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この205系リニューアル車輌は4輌編成。日光線用の宇都宮方、宇都宮線(東北本線)用の黒磯方先頭車(4号車)の後位4位側にトイレ、3位側に車椅子スペースが設置されます。また側扉は半自動式とされ、帯色はこれまでの日光線107系および宇都宮線E231系のイメージを踏襲したものとなります。

投入本数は日光線用が4輌×4編成(16輌)、宇都宮線(東北本線)用が4輌×8編成(32輌)の合計48輌。主に種車はE233系5000番代増備に伴うもと京葉線用車輌で、日光線で運用されている107系(編集長敬白アーカイブ「JR日光線が変身中」参照→こちら)はデザイン変更後4年あまりで205系リニューアル車に道を譲ることになります。

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▲1966(昭和41)年日本車輌(名古屋)製のキハ30 62と並ぶ2012(平成24)年新潟トランシス製のキハE130-101。46年という年差がありながら、窓や機器類の基本的な配置がほぼ同じというのは興味深い。3ドア・ロングシート構造の気動車という観点では、キハE130-100はキハ35系の後継に位置しているといえるだろう。'12.9.27 木更津 P:RM(小野雄一郎)
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本誌最新号でもお伝えしている通り、久留里線のキハ30・37・38形の置き換え車輌となるキハE130形100番代が落成し、先週9月27日に久留里線の車輌基地である幕張車両センター木更津派出にて報道公開が行われました。

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▲キハE130-103を上総亀山側(下り側)から見る。こちら側が2エンドとなり、手前の台車が新潟トランシス製の従台車TR259A。水郡線のキハE130形と外観の基本的な構造は同じだが、カラーリングが緑色・黄色・水色を主体としたものに変更されており、前面の形式・車号の記入位置も異なっているのが目をひく。'12.9.27 幕張車両センター木更津派出 P:RM(小野雄一郎)
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キハE130系には、2007年に営業運転を開始した水郡線用のキハE130形(両運転台・トイレ付き)とキハE131形(片運転台・トイレ付き)、キハE132形(片運転台・トイレなし)の3形式が存在しますが、この度落成した久留里線用のキハE130形100番代は両運転台・トイレなしで、水郡線用車輌に共通していたクロスシートからロングシートに変更されているのが特徴です。

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▲キハE130-103の車内を上総亀山側から見る。ロングシート・トイレなしの構造で、優先席と車椅子スペースが用意されている。バリアフリー対策も施され、車内構造の基本的な考え方はE233系などと同じであろう。なお、各ドアにはドアボタンが設置されている。'12.9.27 幕張車両センター木更津派出 P:RM(小野雄一郎)
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▲キハE130-103の木更津側の乗務員室背後を見る。無人駅で乗車した際の乗車証明書の発行器が取り付けられており、乗務員室扉上部には停車駅などを表示する行先案内表示器が設置されている。なお、右下に写りこんでいるのは屋根に通じるエンジンの排気管が入っている囲い。'12.9.27 幕張車両センター木更津派出 P:RM(小野雄一郎)
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JR東日本千葉支社のプレスリリースによれば、久留里線に投入されるキハE130形は合計10輌となっており、残り7輌が遠からず木更津まで輸送されてくる見込みです。
また、キハ30・37・38形の運転最終日は12月1日(土)とされ、房総半島をはじめ北海道・東北を除く日本各地で活躍したキハ30形、試作的要素が強く5輌しか製作されなかったキハ37形、そしてキハ35形の後継車として八高線で活躍したのちこの久留里線で活躍を続けるキハ38形...これら3形式が久留里線で活躍する姿を見ることができるのはあと2か月ほどとなります。
なお、本誌次号では、キハE130-100の詳細を多数の写真とともにご紹介する予定です。

取材協力:東日本旅客鉄道株式会社千葉支社

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