鉄道ホビダス

2010年8月アーカイブ

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▲竣工当時のシューパロ湖三弦橋。下夕張森林鉄道夕張岳線最大の橋梁で、長さ381mにおよぶ三弦トラス橋である。  (三菱大夕張鉄道保存会提供)
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全国唯一の財政再生団体となった夕張市で積極的に鉄道文化財の保存活動を展開する三菱大夕張鉄道保存会の奥山道紀会長から、9月の恒例「汽車フェスタ」と、10月の「鉄道廃線跡ツアー」のご案内を頂戴しましたのでご紹介いたしましょう。

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▲今もシューパロ湖にその造形美を映す三弦橋。今回の「夕鉄バスで巡る夕張の鉄道廃線跡ツアー」ではこの三弦橋も訪れる。  (三菱大夕張鉄道保存会提供)
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100831n009.jpg夕張市は国内最大の炭鉱都市として発展して来ましたが、閉山とそれに続く地域再開発に失敗し、現在では全国唯一の財政再生団体となっています。市内には全国的に見ても貴重な近代化産業遺産が多く存在するものの、財政破綻はそれらの文化財の維持・活用も困難なものにしています。今年は財政破綻後3年間続いた「SL夕張応援号」の運行もなく寂しい状況ですが、市内で鉄道文化財の保存・活用を目指して活動を続けている三菱大夕張鉄道保存会では、9月26日(日)に「汽車フェスタ2010」、続いて10月3日(日)に「夕鉄バスで巡る夕張の鉄道廃線跡ツアー」を開催・実施します。
▲ダムインフォメーションセンターに展示されている三弦橋の模型。  (三菱大夕張鉄道保存会提供)
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▲夕張鉄道随一の見どころでもあった錦沢のスイッチバックをゆくセキ列車。  (三菱大夕張鉄道保存会提供)
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▲平和を発車する貨物列車。夕張鉄道では平和から錦沢へ向かう運炭列車には後部補機が連結された。  (三菱大夕張鉄道保存会提供)
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▲平和駅跡の現状(左)と、錦沢にひっそりと残る「錦沢遊園」の碑(右)。  (三菱大夕張鉄道保存会提供)
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「汽車フェスタ」は南大夕張駅跡を会場として、スハニ6などの保存車輌を中心として地域住民や行楽客が交流、今年は25日(土)夕刻から「前夜祭」として列車の灯火類点灯するほか、26日は東北ライブスチームクラブの協力によるライブスチーム運行や、保線モーターカーの試乗、部品販売、保存会グッズの頒布などが行われます(10時~15時頃)。

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▲大夕張鉄道の旭沢橋梁は独特のトラスド・ガーダー構造で、今なおその威容を見ることができる。  (三菱大夕張鉄道保存会提供)
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一方、「夕鉄バスで巡る夕張の鉄道廃線跡ツアー」は10月3日・午前8時に、最盛期は「バス+列車」の複合輸送で札幌と夕張を結んだ夕張鉄道の札幌大通バス停を出発し、野幌・栗山を経由し、スイッチバックで有名な錦沢など、夕張鉄道の廃線跡をたどり夕張に入り、実際の採炭現場が備わった夕張市石炭博物館やSL館(夕張鉄道14号・三菱大夕張鉄道№4などを保存。現在閉鎖中ですが本ツアーに合わせて特別公開)を見学、経済産業省より近代化産業遺産として認定された三菱大夕張鉄道南大夕張駅跡など、夕張市内に残された炭礦と鉄道の貴重な遺産や、シューパロ湖に美しい造形美を映す森林鉄道の三弦橋や、旧陸軍が野戦鉄道用に開発した重構桁鉄道橋を転用した小巻沢林道橋などを、近代化産業遺産に詳しい三菱大夕張鉄道保存会メンバーが案内します。

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▲実際の採炭現場を見学できる夕張市石炭博物館(左)と、今年も行われる予定の保線モーターカーの試乗(右)。  (三菱大夕張鉄道保存会提供)
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▲SL館には夕張鉄道14号や三菱大夕張鉄道№4などが保存されている。現在は閉鎖中だがツアーに合わせて特別公開される予定。  (三菱大夕張鉄道保存会提供)
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また、昼食は各自となりますが、夕張駅横に昨年オープンし、人気の屋台村「バリー屋台」に立ち寄ります。申し込み先は夕鉄旅行センター(011-382-1101 航空券・宿泊の手配も可能 応募〆切9月28日)。詳細行程については下記リンク先を参照下さい。汽車フェスタと共に多くの皆様の参加を期待しています。
三菱大夕張鉄道保存会ホームページ →こちら
夕張鉄道 →こちら
夕張鉄道>ツアー案内  →こちら
屋台村「バリー屋台」 →こちら

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▲経済産業省より近代化産業遺産として認定された三菱大夕張鉄道南大夕張駅跡には、三菱大夕張鉄道保存会の手によって数々の歴史的車輌が保存されている。  (三菱大夕張鉄道保存会提供)
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▲「汽車フェスタ」の前夜祭ともいえる南大夕張駅跡での夜景披露。"夜汽車"の雰囲気が味わえる。  (三菱大夕張鉄道保存会提供)

例年になく不順な天候が続いたと聞く北海道ですが、秋の清々しい空気の下、三菱大夕張鉄道保存会の皆さんのエスコートで炭都・夕張の地を歩いてみては如何でしょうか。

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▲晩年の岡山臨港鉄道南岡山車庫。静けさにつつまれた構内で、紀州鉄道行きを控えたキハ1003が佇んでいた。'84.9.15 P:寺田裕一 (『新・消えた轍』第9巻:中国より)
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7月末の第1回配本分(第4巻:関東 第10巻:九州・四国)が発売とともに大変ご高評をいただいております『新・消えた轍』の第2回配本分が完成いたしました。今回は東北地方を収録した第3巻と、中国地方を収録した第9巻の2冊です。

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寺田裕一さんの『新・消えた轍』は、昭和30年代以降に廃止されたローカル私鉄を対象に、現役当時の姿を可能な限り詳細に紹介するとともに、その廃線跡の現状を寺田さん本人が訪ね歩き記録したものです。また、巻末には旅客・貨物の輸送量や収支をはじめとした各路線の詳細な年度別統計データも収録おり、それぞれの鉄道の実像を知る上で、またとない資料となっています。

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▲瀬戸大橋開業の陰でひっそり消えていった軽便電車・下津井電鉄。寺田さんは部分廃止から3年後の1975年、茶屋町から代行バスでそのルートを辿っている。 (『新・消えた轍』第9巻:中国より)
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▲現在も多くの遺構が残り、見所が多い下津井電鉄の跡。児島~下津井間は架線柱やホームなどを残したまま「風の道」として整備された。 (『新・消えた轍』第9巻:中国より)
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旧版の『消えた轍』では、1977(昭和52)年の尾小屋鉄道廃止までを対象としていましたが、今回の新版ではそれ以降、現在までに廃止された路線も収録しており、これにより全10巻で再構成されています。今回の第2回配本分は第3巻:東北と第9巻:中国で、第3巻ではくりはら田園鉄道と旅客営業を廃止した岩手開発鉄道の2社を、また第9巻では岡山臨港鉄道、下津井電鉄、同和鉱業片上鉄道の3社を新規収録しています。これらの鉄道は実際に寺田さんが乗車された鉄道であり、RMライブラリーですでに発表された片上鉄道以外は訪問当時の記録を初めて収録していますので、非常にリアルな現役当時の姿が再現されます。

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▲岩手開発鉄道旅客営業最終日の情景。この日ばかりは貨物列車は全便運休となり、2輌の気動車が主役となった。 (『新・消えた轍』第3巻:東北より)
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▲旅客営業当時の岩手開発鉄道のダイヤと構内配線図。たった6往復の旅客列車に対し、貨物列車は24時間体制で運行されていたことが分かる。 (『新・消えた轍』第3巻:東北より)
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■第2回配本分の内容
〔3 東北〕
松尾鉱業・花巻電鉄・秋田中央交通・羽後交通・宮城バス仙北鉄道・秋保電気鉄道・仙台鉄道・庄内交通・山形交通・日本硫黄沼尻鉄道・岩手開発鉄道・くりはら田園鉄道

〔9 中国〕
玉野市営電気鉄道・両備バス西大寺鉄道・井笠鉄道・日ノ丸自動車法勝寺鉄道・一畑電気鉄道広瀬線/立久恵線・尾道鉄道・防石鉄道・船木鉄道・長門鉄道・下津井電鉄・岡山臨港鉄道・同和鉱業片上鉄道

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▲詳細な年度別統計データも本書の大きな魅力。磐梯急行電鉄(日本硫黄沼尻鉄道)の「輸送量および収入の推移」、「車扱貨物取扱高推移表」、「施設一覧表」。 (『新・消えた轍』第3巻:東北より)
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なお、第3回配本分は第8巻:近畿で、10月末の発売を予定しております。どうかご期待ください。
■既刊
〔4 関東〕
九十九里鉄道/鹿島臨海鉄道/鹿島鉄道/茨城交通茨城線/日立電鉄/筑波鉄道/上武鉄道/山梨交通電車線/小名浜臨港鉄道・江名鉄道
〔10 九州・四国〕
大分交通/荒尾市営電気鉄道/鹿児島交通/島原鉄道/宮崎交通/熊延鉄道/山鹿温泉鉄道/熊本電気鉄道/高千穂鉄道/日本鉱業佐賀関鉄道/伊予鉄道森松線/土佐電気鉄道安芸線/琴平参宮電鉄

■続巻の内容 (内容は変更になる場合があります)
〔1 北海道〕
根室拓殖鉄道・釧路臨港鉄道・雄別鉄道・尺別鉄道・十勝鉄道・北海道拓殖鉄道・夕張鉄道・三菱美唄鉄道・三井芦別鉄道・ちほく高原鉄道・三菱石炭鉱業大夕張鉄道
〔2 北海道・北東北〕
寿都鉄道・定山渓鉄道・旭川電気軌道・羽幌炭砿鉄道・天塩炭砿鉄道・留萌鉄道・南部鉄道・南部縦貫鉄道・下北交通・弘南鉄道黒石線・小坂製錬小坂鉄道
〔5 上信越〕
草軽電気鉄道・上田丸子電鉄丸子線/真田傍陽線/西丸子線・越後交通・頸城鉄道・長野電鉄木島線・新潟交通・蒲原鉄道
〔6 中部〕
静岡鉄道駿遠線・遠州鉄道奥山線・豊橋鉄道田口線・三重交通松阪線・東濃鉄道・三井金属神岡鉄道・北恵那鉄道・神岡鉄道
〔7 北陸〕
富山地方鉄道笹津/射水線・加越能鉄道加越線・北陸鉄道・京福電気鉄道丸岡線/永平寺線・福井鉄道鯖浦線・尾小屋鉄道・のと鉄道
〔8 近畿〕 (第3回配本分 10月末発売予定)
江若鉄道・北丹鉄道・淡路交通・別府鉄道・三木鉄道・能勢電鉄国鉄前線・加悦鉄道・野上電気鉄道・有田鉄道・和歌山県営

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▲腕木式の出発信号機が進行を現示。「出発進行! 発車」 指差確認の喚呼応答に続いて5室の汽笛が鳴り響き、「甲組」乗務員はいざ主戦場へ。'62.9.30 木曽平沢 P:鈴木昭平 (『「SL甲組」の肖像』5より)

蒸気機関車全盛時代、「甲組」と称される選り抜きの乗務員たちは、いったいどのように機関車と向き合い、鉄道の安全を護ろうとしてきたのか...全国各地に甲組OBの皆さんを訪ね、その証言をもとに生きいきとした昭和の鉄道の姿を後世に残そうとする椎橋俊之さんの連載「SL甲組」の肖像は、本誌233号(2003年2月号)でスタート以来70回を超える人気連載となっております。

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▲釧路機関区給水線へと向かうC58 127。道東・釧路機関区には20輌近いC58が配置され、根室本線や釧網本線で活躍を続けた。'68.11 P:酒井豊隆 (『「SL甲組」の肖像』5より)
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その連載をまとめた単行本シリーズ第5巻の『「SL甲組」の肖像 5』が間もなく発売となります。今回収録しているのは、北は釧路機関区から南は宮崎機関区までの合計12区所。なかには現在もC57 180号機を護り続けている新津機関区や、来春には動態復活を遂げるC61 20号機の最終所属区であった宮崎機関区なども含まれており興味が尽きません。

100827nH1.jpg■第5巻目次から
新津機関区 日本海縦貫線の要衝を守る。
釧路機関区 濃霧、強風、急カーブ...試練の根室本線を行く。
道東の要衝、酷寒を制す
 □座談会 先輩大いに語る
 □思い出をつづる
弘前機関区 羽州北街道 難所の関守。
五能線管理所 弘前 津軽西海岸 自然との闘い。
東能代機関区 白神山地と日本海、伝説の細道を行く。
横川機関区 勘と度胸で碓氷を登ったアプトの戦士たち。
上諏訪機関区 誇り高き山線集団。
松本機関区 主戦場は冠着越え。
 □明治、大正、昭和。激動の思い出を語り合う
 □線路の小石に聞け
木曽福島機関区 木曽谷に響いた咆哮。 
 □木曽路を行く蒸気機関車の記録
直方機関区 石炭王国に君臨した輸送戦士。
 □機関車用水に関する一調査
宮崎機関区 パシフィックの楽園。
 □見守ったC61 20の晩年
青函連絡船 津軽海峡縦断八十年。
 □青函連絡船航海の実際
 □出港――1分の重み
 □幻の青函連絡船32運航ダイヤ
機関士の「勘」に裏付けあり

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▲上諏訪機関区は全国で唯一の石炭試験機関区として名を馳せた。ギースルエジェクターの試験もここ上諏訪のD51 349(写真左)が先陣を切った。 (『「SL甲組」の肖像』5より)
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単行本化にあたっては単に連載を再録するだけにとどまらず、取材秘話「出会った人びと」をはじめ、様々な補遺資料を追加しております。特に今回は、横川機関区のアプト時代の新章を追加している点が特筆されます。横川機関区は第4巻でも収録しておりますが、この際は粘着運転を開始してからのエピソードが中心で、ED42全盛時代の記事は取材が済んでいたものの未発表のままとなっていたものです。

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▲貴重な回顧録や資料を収録しているのも本冊の特長。釧路機関区のOBによる座談会(左)と、直方機関区の機関車用水に関する調査(右)。 (『「SL甲組」の肖像』5より)
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追録した釧路機関区や松本運転所の座談会も必読です。後者に出てくる「冠着隧道環境衛生試験」では、9月下旬に行った実態調査の結果、キャブ内温度は本務・補機ともに平均59℃、最高65℃、隧道の排煙装置を使用しないと補機で最高75℃を記録。これは隧道通過時間の7分であっても人間が耐えられる温度ではなく、精神力のみで克服できる高温であると報告されています。さらに一酸化炭素濃度は平均0.3~0.4%、最高0.5%、排煙装置を使用しないと補機で1.0%、出口で最高1.6%を示し、1%の空気中で一時間呼吸すれば生命に関わるとされる中で、信じがたい数値であったことが知れます。

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▲後補機にも言い知れぬ苦労がある。弘前機関区は奥羽本線のプッシャー役として、矢立峠をはじめとした峠越えのエキスパートであった。 (『「SL甲組」の肖像』5より)
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このような過酷な状況の中でも、安全運行と定時運行を"誇り"として加減弁ハンドルを引き、投炭を続けた蒸気機関車乗務員の苦労と矜持は、鉄道というジャンルを超えて、昭和の日本と日本人を映し出しているようにも思えてなりません。そんな点もあってか、『「SL甲組」の肖像』は名誉なことに日本図書館協会選定図書ともなって、鉄道界のみならず大きな評価を頂戴しております。

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▲中央本線塩尻〜小野間の後補機仕業は木曽福島機関区の受け持ちだった。過酷な運転条件もあって、善知鳥トンネル越えは防毒マスクが欠かせなかった。P:鈴木昭平 (『「SL甲組」の肖像』5より)

なお、『「SL甲組」の肖像』第1巻、第2巻、第3巻、第4巻も好評発売中です。ぜひこの機会にお揃えください。
第1巻
盛岡機関区/小郡機関区/人吉機関区/東京機関区/青森機関区/夕張鉄道/追分機関区
第2巻
長万部機関区/倶知安機関区/熊本機関区/宮地機関区/中津川機関区/郡山機関区/郡山工場/高崎第一機関区/名寄機関区/原ノ町機関区/平機関区
第3巻
小樽築港機関区/豊岡機関区・和田山支区/福知山機関区/沼津機関区/福島機関区/長野機関区/直江津機関区/新得機関区/鷲別機関区/美唄鉄道/鉄道聯隊/水戸機関区
第4巻
広島第二機関区/瀬野機関区/飯山機関区/中込機関区/一ノ関機関区/釜石機関区/宮古機関区/盛岡機関区北上支区/亀山機関区/横川機関区/門司機関区/鳥栖機関区
各巻 定価2,800円(税込)

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▲今年の応募総数はなんと4000枚以上。次々と作品に目を通す広田さんの手の動きさえも芸術的。'10.8.25
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今年で3年目となる「タムロン鉄道風景コンテスト」(株式会社タムロン主催、さいたま市、さいたま市教育委員会、さいたま商工会議所後援、そごう大宮店、レイル・マガジン協力)は去る8月14日で公募が締め切られ、昨日、さいたま市見沼区のタムロン本社会議室でその審査が行われました。

100826n764.jpgこのコンテストは「私の好きな鉄道風景ベストショット」の副題が示すように、鉄道の風景写真を通して、全国のレイル・ファンのみならず、一般の方々にも写真の楽しさを広く知っていただこうという企画で、鉄道とその周辺を入れ込んだ写真であれば、風景・スナップなどでも応募可能で、使用機材メーカー名も問わない、きわめて門戸の広いコンテストとなっているのが特徴です。カテゴリーは「一般の部」のほかに「小・中・高校生の部」を設定して、それぞれ大賞(「一般の部」はさいたま市長賞、「小・中・高校生の部」はさいたま市教育委員会教育長賞)、準大賞、審査員特別賞、入選、佳作が選定されます。さらに、タムロン賞のほか、今年からさいたま商工会議所会頭賞として「ユーモアフォト賞」が新設されております。審査員は昨年に続いて広田尚敬さんと矢野直美さんのお二人。私もタムロン本社にうかがって、その審査を拝見させていただきました。
▲エントリーナンバーごとに並べられた作品が審査を待つ。'10.8.25
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▲「あっ、これ素敵」と、女性ならではの感性が光る矢野直美さんの選考。3年目とあって審査員お二人の呼吸もぴったり。'10.8.25
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驚いたことに今年の応募作品総数は昨年を2割以上上回る四千数百点。審査員のお二人は朝10時からそのすべてに目を通さねばならないのですから、単純計算しても1分間に10点近くを審査することになります。

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▲広い会議室には第二次審査を待つ作品が次々と並べられてゆく。作者のもとを離れて選考を待つ作品の心情や如何に...。'10.8.25
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「一年でぐっとレベルが上がりましたね」と広田さん。「一般の部」はもとより、「小・中・高校生の部」も目の覚めるような秀作揃いで、第一次選考でも数百点が残る大激戦となりました。大半が応募者ご自身がホームプリンターで出力したと思われるプリントですが、これまたどれも驚くほどに綺麗で、デジタルカメラ+デジタル出力が写真の世界を大きく変えたことをあらためて思い知りました。

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▲真剣な眼差しで膨大な応募作品に向かい合う矢野直美さん。この日のためにわざわざ北海道から駆けつけてくれた。'10.8.25
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最終的な審査結果の発表は9月下旬に入賞者本人に直接通知されるとともにタムロンのホームページ上にアップされ、続いて10月発売の本誌誌上でもプレビューを掲載する予定です。また、昨年同様に10月14日(鉄道の日)からそごう大宮店で入賞作品の写真展が開催されます。

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▲今でこそ地下ホームを持つ近代的ターミナル駅となった台北駅だが、1960年代はまだ地上駅で、付近の踏切ではこんな光景が日常的に見られた。1966年撮影 P:杉 行夫
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今回で3回目となる金澤 忠さん、蔵重信隆さん、杉 行夫さん、野口信夫さんによる写真展「鐵樂者展」が、東京・雑司ヶ谷の三愚舎ぎゃらりーで開催されています。毎回独特のテーマを設定しての写真展ですが、今年は「蒸情台湾」と題して、1966(昭和41)年から無煙化される1979(昭和54)年までの、台湾鉄路局縦貫線とその支線をメインテーマとしています。

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▲1960年代から1970年代にかけての台南駅の風情。アルコ96ことDT560形の姿も見える。'10.8.22
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昨年開催された「羅東森林鉄道」の写真展(アーカイブ「写真展"羅東森林鉄道"を見る」参照)が台湾鉄路局の目にとまって台北駅での写真展開催にまで発展し、その際に鉄路局縦貫線の作品を再構成したことから今回のテーマが浮上したそうです。杉さんが1966(昭和41)年、蔵重さんが1972(昭和47)年から1979(昭和54)年までの毎年、そして金澤さんと野口さんが1977(昭和52)年から1979(昭和54)年にかけて撮影された作品を、撮影者別に分けることなく組写真として発表されています。

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▲厳しい制限の中で、夜間撮影をはじめ数多くのトライアルがなされてきたのには改めて驚かされる。'10.8.22
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▲1966(昭和41)年にかろうじてその姿を留めていたCT240形(日本の8900形)244号機を端緒に、その系譜に思いを馳せる展示(左)や、DT560形や古典機への眼差し(右)は、かつての"けむりプロ"に通じるもの。'10.8.22
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ご存知のように台湾は長らく戒厳令下にあり、何と公式に戒厳令が解除されたのは1987(昭和62)年7月のことでした。つまり台湾鉄路局最後の蒸機がその火を落とすまで終始戒厳令下にあったわけで、とりわけ兵站を担う鉄道には厳しい監視の目が注がれていました。それだけに今回発表された作品の撮影には言い知れぬ数々の苦難があったはずです。それでも「一日中、片田舎の町や砂糖キビ畑の線路の端で何時来るとも知れない蒸気機関車を待つのは、ちょっとした冒険の様で楽しかった...」(野口さん)と述懐される皆さんの原点は、単に蒸気機関車の魅力のみならず、そこで出会った台湾の人々の温かさにあったようです。

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▲集集線水里駅の今昔。CK120形(日本のC12形)が古典客車を牽いて、名勝・日月潭へのローカル線を往復していた。'10.8.22
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台湾鉄路局無煙化から31年。今では台湾新幹線が縦貫線として機能し、かたや復活した蒸気機関車は観光の担い手として脚光を浴びています。蔵重さんは解説で「松山空港に着陸し、機外に出ると独特の匂いがした。それは日本のそれとはまったく違う亜熱帯のねっとりした空気の中に特別の香辛料の混じったような匂いだった」と書いておられますが、今日ではすっかりそんな風情は薄れてしまいました。それだけ台湾の歳月は目まぐるしく変化してきたということなのでしょう。

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▲鬼子母神表参道にある三愚舎ぎゃらりーは規模こそ小さいものの、実にアットホームな居心地を提供してくれる。'10.8.22
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この「鐵樂者展」は、杉さんがかの"けむりプロ"のメンバーであったこともあって、図版等も交えた組写真の構成には毎回勉強させられます。今回も縦貫線以外に、外ウィンドーには頸城鉄道の2号機が最後に走った1966(昭和41)年5月12日のドキュメントが組写真として展示されており、こちらも必見です。週末にはメンバーの皆さんも会場におられるそうですので、都電荒川線の散策を兼ねてぜひ足を運んでみられてはいかがでしょうか。

※木曜日は休廊です。

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今週末は津軽鉄道80周年。

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▲定期客車列車を目にすることができるのが津軽鉄道の大きな魅力。'09.9.20 毘沙門-嘉瀬 P:三瓶嶺良

津軽鉄道では今年で1930(昭和5)年の開業以来 80周年の節目を迎えることから、今週末の8月28日 (土)から29日(日)の2日間にわたって、 開業80周年記念イべントが開催されます。企画の中心になっているボランティアスタッフの三瓶嶺良さんから詳しいご案内を頂戴しましたので、ここにご紹介いたしましょう。

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▲夜の津軽五所川原駅ホームに佇む客車。'09.9.19 津軽五所川原 P:三瓶嶺良

津軽鉄道では10年前の2000(平成12)年の開業70周年、2003年の金木旧駅舎お別れ、2005年の開業75周年の節目で記念イベントが開催されており、今回はこれに続くものとなります。

100824tsu-4.jpg今回の開業80周年イベントでは、数十年前には当たり前だった 鉄道風景へと、昔懐かしい客車列車扮する"津鉄タイムマシン"に乗ってタイムスリップしていただくことをメインコンセプトとしています。全国でも数少なくなった客車列車を主役にした今回のイベントでは、宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」で、ジョバンニとカンパネルラが乗り込んだ銀河鉄道のような、暗闇の中を走る" 夜汽車"や、津軽鉄道では昭和50年代まで運転されていた客車と貨車を連結し、各駅へ旅客とともに貨物を運んでいた"混合列車"、さらには平成8年頃まで朝の通学時間帯に使用されていた、西武鉄道クハ1151形が前歴の川造型車体を持つナハフ1200形を連結した"通学列車"を、すべて"普通列車"として運転します。
▲客車内はまさにタイムスリップの空間。'09.5.1 オハフ331車内 P:三瓶嶺良
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▲1984(昭和59)年に貨物営業を終了するまでは混合列車の姿が日常的に見られた。客車にストーブが設置されているため、入換えの便もあって機関車次位に貨車が連結される。'81.3.24 金木−嘉瀬  P:名取紀之

ダイヤの間合いには、短い区間ではありますが、2軸貨車を3輌つなげたローカル色あふれる貨物列車も特別運転するなど、模型のような世界が2日間にわたって展開されます。

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▲顔を揃えた2輌のDD350形。現役のロッド式DLとしても貴重な存在。'08.7.20 津軽五所川原機関区 P:三瓶嶺良

このほか、津軽五所川原駅構内では雪国のローカル線では定番であったラッセル車キ100の体験試乗会や、津軽鉄道の車輌撮影会、津軽鉄道運輸課長とボランティアスタッフの説明で回る車輌見学ツアーなど、数多くのプログラムが予定されています。詳しくは津軽鉄道公式サイト(→こちら)内のイベント特設サイトをご覧ください。

100824tsu-5.jpgところで、10年前の開業70周年記念イベントでは、一昨年の岩手・宮城内陸地震で遭難された岸由一郎氏がイベントの提案から企画、当日のイベントスタッフに至るまで、ご自身の母校である東京学芸大学鉄道研究部の皆さんとともにボランティアとして携わり、津軽鉄道の一大イベントを大成功に導く手助けをされました。今回は、私ども岸氏を慕う鉄道愛好家たちが集まり、地域の皆さまとともにボランティアスタッフとしてお手伝いを行います。
▲津軽鉄道ではラッセル車キ100が今なお現役。'10.2.28 津軽五所川原機関区 P:三瓶嶺良
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▲澄み渡った秋空の下、DD350形に牽かれた3輌の客車が行く。'09.9.20 川倉-大沢内 P:三瓶嶺良

是非とも全国の鉄道愛好家の皆さまにお越しいただき、津軽鉄道の更なる盛り上げにご協力いただければ、私どもボランティアスタッフとしてもこれ以上ない喜びです。皆さまのお越しを心よりお待ちしております。

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▲日本のレイアウトの概念を変えた坂本 衛さんの「摂津鉄道」蔵本村のワンシーン。とても半世紀前に製作されたとは思えない完成度の高さ。'10.8.21
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昨日までの3日間、東京・有明のビッグサイトを舞台に開催された第11回国際鉄道模型コンベンション(JAMコンベンション)は、全日好天に恵まれ、昨年以上の大盛況で幕を閉じました。会場狭しと繰り広げられたモデラーズ・パフォーマンスでは、例年にも増してさまざまなトライアルが見受けられ、一方、メーカーやディストリビューターのブースでは今回初めて発表となる新製品の数々が注目を集めていました。

100821n693.jpgもちろんJAMコンベンションの特色のひとつでもある"クリニック"も、連日各種のプログラムが用意されていましたが、ひときわ注目されたのが、今年度の「鉄道模型功労者」に選ばれた坂本 衛さんと、「エポックメイキング・モデル」に選ばれたエコーモデルの阿部敏幸さんによる特別講演(21日16:00~17:30)でした。「鉄道模型功労者」は2000(平成12)年の第1回コンベンション以来、特定非営利活動法人・日本鉄道模型の会(JAM)がその功績をたたえるべきであると考えた個人、あるいは団体に贈られてきた賞で、坂本さんは16番レイアウト「摂津鉄道」を通じ、日本のレイアウト界に「情景表現」を取り入れ、新世界を開かれた功績を主に顕彰されての受賞となったものです。
▲クリニック第2教室で開催された特別講演は満員の大盛況。左から坂本 衛さん、エコーモデルの阿部敏幸さん、そして司会進行を務めさせていただいた私。'10.8.21 P:牧窪真一
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▲「摂津鉄道」のセクションは3シーンのみ現存しており、今回のコンベンションではその実物が展示された。写真は中心となる蔵本村のセクション。'10.8.21
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いっぽう、「エポックメイキング・モデル」は今年から設定された賞で、数多の模型製品の中で感謝を捧げたい製品、企画に対して贈られるものです。エコーモデルは創業以来37年にわたって様々な車輌部品や情景部品を製品化し、しかも常に品切れを発生させない安定供給に努めてこられました。その弛みない継続的努力に対して第1回「エポックメイキング・モデル」が贈られることになりました。

100821n707.jpg坂本 衛さんは1935(昭和10)年のお生まれ。1953(昭和28)年に国鉄に入られ、駅務から車掌を経て、1987(昭和62)年にブルートレインの専務車掌として退職されるまで一貫した鉄道人生を送ってこられました。その坂本さんが自作した車輌を走らせる場を作りたいとレイアウトを志向されたのは東海道新幹線開業前のこと。伝説となる「摂津鉄道」が連載として『鉄道模型趣味』誌上を飾るのは1964(昭和39)年になってからでした。当時は組立式のいわゆる"お座敷レイアウト"が全盛の時代。そんな時代に日本の当たり前の田舎の風景を、自作のストラクチャーとシーナリィによって再現しようと試みられたのですから、その衝撃は現代では想像さえできないほどのものでした。
▲近作を前にご自身の模型感をユーモアたっぷりに語る坂本 衛さん。'10.8.21
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▲坂本さんが「摂津鉄道」で切り拓いたシーナリィ技法は現在も受け継がれているものが少なくない。右は農業倉庫のセクションに見られる畑の畝だが、ご本人によれば失敗作とのこと。農業を営んでおられたお父上曰く、この形状の畑の場合、両端に90度向きの違う畝2本を入れ、なおかつ長手方向両端には全長に渡る弓状の畝を入れるのがセオリーとのこと。'10.8.21
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遅れること数年、阿部さんもご自身のレイアウト「城新鉄道」(弊社刊『昭和の鉄道と暮らし エコーモデルその世界』参照)の製作を開始されます。エコーモデルの原点はまさにこの「城新鉄道」で、そこで育まれたモデラーとしての熱い思いこそが今回の「エポックメイキング・モデル」の受賞対象ともなった数々のパーツを生み出し、そしてその卓越した供給態勢を培ってきたと言えます。今回の講演ではそんな背景に鑑みて、阿部さんにもレイアウトのお話を中心にうかがうことといたしました。

100821n715.jpgさて、その坂本さんと阿部さんですが、驚いたことにこの日が初対面だそうで、特別講演もたいへんな盛り上がりとなりました。坂本さんが「国鉄」をキーワードに日本の原風景を再現しようとされたのに対し、阿部さんは同じ日本の原風景を「小私鉄」の世界で表現されようとしたところに微妙な違いがあるのも興味深い点です。言うならば、最終的に目指す世界は同じで、プロセスが国鉄と私鉄に分かれていたことになりましょうか...。
▲16番モデラーであれば知らない人はいないエコーモデルの阿部さん。どんなパーツも品切れさせることなく100%供給し続けるのが理想と熱く語る。'10.8.21
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エポックメーキング・モデル賞に選ばれたエコーモデルのパーツ群。どんな時もメジャーは必ず持ち歩いているという阿部さんならではの拘りが凝縮している。P:RMM(青柳 明)
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今でこそありとあらゆるマテリアルが市販されていますが、「摂津鉄道」の時代には鉛筆削りのカスで下草を作り、ミシンを用いて稲株を作るといった"無いものは作る"創意工夫こそがレイアウト・ビルダーの醍醐味でした。当時を振り返って坂本さんは「それまでのレイアウトは"公園"を作っていて、"自然"を作ろうとしなかった」と語っておられます。また、「水の色は青、地面は茶色といった先入観」を振り払うことがスタート地点だったと、今の時代にも通じる示唆に富んだ述懐もあり、半世紀前に道を切り拓かれたパイオニアならではのお話に、会場を埋めた皆さんも終始真剣に聞き入っておられました。

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▲昨年作られたという坂本さんの近作6275。なんと先輪とテンダ車輪以外はすべてスクラッチで、Φ19㎜の動輪もご覧のように自作(背後にスポークを抜く前の輪心とタイヤとなる真鍮パイプの輪切りが見える)。'10.8.21
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ところで、完成すれば6畳間ほどの大きさになるはずだった「摂津鉄道」はついに完成を迎えることはありませんでした。坂本さんご自身が腰を痛められてしまったことが原因だそうですが、シーナリィ付きのセクション・レイアウトという概念を初めて知らしめてくれた「摂津鉄道」が、もしあの時代に完成し、運転されたならば、わが国のその後のレイアウトの方向性もまた変わってきたのかも知れません。会場内からは残された3つのセクションをベースに、残りの部分を皆で手分けして新製し「摂津鉄道」を完成させてはという声も上がりました。半世紀を経てコンプリートされる歴史的レイアウト...そんな限りない夢も見させてくれた特別講演でした。

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▲東京では耳慣れないクマゼミの鳴き声がシャワーのように降り注ぐ。炎暑の路上で待つこと一時間あまり、西工場から4号機の牽く列車が姿を現した。'10.7.17
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かつて都市部の工業地帯には大小さまざまなインダストリアル・ナローが息づいていましたが、さすがに21世紀に入るとその姿を拝むことは難しくなってしまいました。東京近郊では辻堂の関東特殊製鋼が姿を消してついに壊滅状態となってしまいましたが、阪神地区ではいまだに尼崎の住友金属でその姿を垣間見ることができます。

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▲西工場から東工場へ県道57号線を横切る4号機。松山重車輌工業(MJK)製の10tセミセンターキャブ・タイプのDL。'10.7.17
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この尼崎をはじめ、安治川(大阪)工場や和歌山工場といった住友金属工業の主要工場にはそれぞれ独自の専用軌道が張り巡らされており、その実態は伺い知れなかったものの、2フィートゲージ(安治川・和歌山)や2フィート6インチゲージ(尼崎)のナローが長年にわたって活躍を続けてきました。残念ながら安治川や和歌山の軌道はすでに過去のものとなってしまいましたが、尼崎地区ではいまだ現役で活躍するナローの姿を目にすることができます。

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▲踏切から西工場構内を見る(左)。工場建屋を縫うように軌道が敷設されている。右は県道踏切の信号操作盤。'10.7.17
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▲阪神の尼崎駅から工場地帯を貫く県道57号尼崎港線を歩いてゆくと突然「50m先ふみきり」の表示が...(左)。県道57号線を尼崎港の方へさらに進むと「跳橋」があるようだ(右)。'10.7.17
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電子国土(国土地理院)に見る阪神電車尼崎駅との位置関係。
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阪神電車の尼崎駅から県道57号尼崎港線を南下すること20分あまり。辺りは右を向いても左を向いても工場、また工場。行き交うクルマもたまにやってくるバスを除けば大型トラックや特殊車輌ばかり...そんな県道に忽然と"踏切"が現れます。左右は住友金属工業㈱鋼管カンパニー特殊管事業所の西工場と東工場が広がっており、762㎜軌間の軌道はこの特殊管事業所の東西工場をつなぐものです。

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▲東工場入口。運材台車のような鋼管用台車を牽いて県道を横切るのは2号機。右端に守衛所が見える。'10.7.17
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インターネット上の地図や航空写真を見ると、東西の工場内には網の目のように軌道が敷設されており、現役ナローとしてはただならぬ規模であることがわかります。しかし一般人がその姿に接することができるのはこの踏切部だけ。まずは怪しまれないように踏切横にある守衛所で来意を告げ、炎天下の歩道上で機関車が出てくるのを待たせてもらうことにしました。運良くすぐに東工場方から2号機に推進された列車が姿を現し、これは幸先が良いと期待したものの、以後は待てど暮らせど列車が現れる気配は一向になく、持参したペットボトルの水も飲みほして、ついに時計の針は一時間を軽くオーバー。熱中症で倒れそうになりながらも、最終的にはなんとか西工場から戻ってくる4号機の牽く列車をキャッチすることができました。

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▲西工場入口。機関車はMJK製の2号機で、現認できた範囲では4号機と同形機のようだ。'10.7.17
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現在この工場の軌道は㈱濱本ジェネラルコーポレーションという会社によって管理されており、機関車の車体側面にも社名標記が入れられています。資料によればかつては濱本工運という会社だったようで、日本輸送機や日本車輌製の6~8t機が多数在籍した記録があります。現在このMJK機をはじめいったい何輌の機関車が活躍しているのかは不明ですが、同社のホームページを拝見すると、「軌道車壁紙」「や「軌道車ペーパークラフト」のダウンロード・サービスも見受けられ、機関車たちが大切にされている様子がうかがえて、思わず嬉しくなってしまいます。

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▲動画 画面をクリックすると「今日の一枚The Movie」にとびます。

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▲南海時代のグリーン塗装となったモ163と顔を合わせる"旧都電色"のモ502。 (阪堺電気軌道提供)
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すでに本誌のニュース等でご存じの方も少なくないかと思いますが、なにわの路面電車として親しまれている阪堺電気軌道のモ502号が、東京都交通局の旧都電カラーとなって、去る6月6日の「路面電車まつり」から営業運転を開始しています。

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▲モ501形5輌のうちモ504号と505号は登場時のクリームとグリーンのリバイバルカラーに塗られている。 (阪堺電気軌道提供)
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▲PCCカーの影響下に、路面電車の新時代を切り拓かんと誕生した意欲作モ501形。空気バネ台車はもとより、カム軸制御や電空併用ブレーキなど、当時としての新機軸が満載であった。 (阪堺電気軌道提供)
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これは、東京都交通局と南海グループ(南海電鉄)が平成20年度から実施している共同誘致活動の一環として、阪堺電車と都電荒川線のさらなる活性化を目的に、「PR相互乗り入れ」と題して、お互いの旧塗装に塗り替えた電車の運行を開始したものです。阪堺からはモ502号が、都電からは7511が選出され、前者は黄色に赤帯の昭和20~50年代の旧都電塗色に、後者は昭和40年代の南海電鉄軌道線時代のグリーンに塗られ、東西の路面電車がエールの交換をするかたちとなりました。

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▲定期的に一般運用に就く電車としてはわが国最古参のモ161形。モ162、163の2輌が南海大阪軌道線時代のシックな塗色に戻されて活躍している。 (阪堺電気軌道提供)
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阪堺のモ501形は1957(昭和32)年に帝国車輌で5輌(501~505)が新製された意欲作で、路面電車としては初めて空気バネを採用するなどエポックメーキングな車輌です。昨年、モ504号とモ505号の2輌もクリームとグリーンのリバイバル色=通称"金太郎塗"となって注目を浴びていますが、今回のモ502号の旧都電色化で、オレンジ色に雲形塗装の標準色車(501号)、広告電車(503号)とあわせて4種類のバリエーションが揃うことになります。

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▲東京都交通局側では荒川線7511が南海塗色となった。荒川車庫で保存車6086と顔を合わせる。 (阪堺電気軌道提供)
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100819n022.jpgところで、阪堺電気軌道では、このモ501形新製時のパンフレットを復刻し、「復刻版・モ501形パンフレット」(左写真参照)として1,000円/冊で、阪堺電車我孫子道乗車券発売所、または本社2階営業課(郵送も可)で発売していますが、阪堺さんのご厚意で、本誌読者の皆様への特典として、このパンフレットを購入する際に「レイル・マガジン見たよ!」と申し添えて(郵送の場合は書面で)いただくと、特典として、「阪堺オリジナルポストカード」をプレゼントしていただけることになりました。この機会にぜひご利用ください。
※特典期間:本年9月10日まで(郵送の場合は当日消印有効、送料は負担が必要)
●問い合わせ先:〒558-0033 大阪府大阪市住吉区清水丘3丁目14番72号
 阪堺電気軌道株式会社 業務部 営業課 ℡06-6671-3080

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▲車庫に整列した京都市電、都電、南海...手前のモ256は元京都市電1800形1870号で、すでに車籍はないが、京都市電時代の塗色に復元されて保存されている。 (阪堺電気軌道提供)
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なお、この「PR相互乗り入れ」は、都電荒川線では来年3月頃まで、阪堺電車では約2年間運行される予定となっています(※それぞれ運用により運転しない日があります)。また、阪堺モ502が塗色変更候補に選ばれた経緯など、今週末発売の本誌最新号誌上で詳しくご紹介しておりますので、ぜひご覧ください。

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▲雪の浅瀬石川を渡るサハ1700をはさんだ3輌編成。先頭はモハ1121、しんがりを元阪和が務めている。'80.2.10. 田舎館-境松 P:湯口 徹 (RMライブラリー『弘南鉄道』下巻より)
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上巻がたいへんご高評をいただいている髙井薫平さんによるRMライブラリー『弘南鉄道』、その下巻が完成しました。

rml133n.jpg先月発売の上巻では弘南鉄道の沿革、施設、路線などを通観したのちに、開業時の蒸気機関車から電化、昇圧時の電車までを収録しましたが、続く下巻では1970(昭和45)年、弘南鉄道に引き継がれ大鰐線となった旧弘前電気鉄道の車輌を端緒に、モハ11やクハ16といった国電タイプの転入、続く東急3600系の大量投入、そして東急6000系や南海1521形の活躍を経て、現在までの姿を収録しています。もちろん機関車や歴代の除雪車、それに貨車もダイジェストとしてこの下巻に収録しております。

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▲種々雑多な車輌による朝の6輌編成。手前から元伊那電気鉄道のクハニ1271形、2・3輌目は東急から来たモハ3400形、4輌目が元阪和モヨの電装解除車、5輌目は弘南鉄道唯一のサハ、6輌目は元国鉄のモハ1120である。'80.8.27 弘南黒石-境松 P:寺田裕一 (RMライブラリー『弘南鉄道』下巻より)
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なかでも30代以上のファンにとって、弘南鉄道と言えば思い出すのが、17m級国電と元東急3600系一党でしょう。17m級国電と一口にいっても、元モハ30の切妻車、元モハ50、さらには西武鉄道で戦災復旧を受け西武311系となった張上げ屋根車などなど、形態・出自は様々。それは元東急3600系も同様で、東急時代の車体新造時期の違いや弘南での改造などにより形態は様々でした。さらにこの時期には松尾鉱業の廃止により転入した元阪和のモヨ100形も加わっており、読者の皆さんの中にもこれらの活躍を求めて弘前を目指した方が少なくないものと思います。

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▲1952年に開業した弘前電気鉄道は、秩父鉄道で鋼体化工事により不要となった木造車の車体に、その建設に関わった三菱電機による電気品を組み合わせた電車3輌が用意された。 (RMライブラリー『弘南鉄道』下巻より)
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なお、表紙写真は荻原二郎さんによる弘前電気鉄道時代のモハ105+クハニ200形です。弘南鉄道の旧型電車と言えば赤茶色とベージュのツートンカラーがお馴染みですが、この写真は淡いグリーンとクリーム色のツートンカラーという、モハ105号の更新当初の塗色を記録した大変貴重なものです。ちなみに弘前電気鉄道は、この後、赤一色という珍しい塗装を採用した時期もありました。

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▲1975年から1981年にかけて計20輌が転入した元東急3600系は、7000系ステンレスカー導入までの間、弘南鉄道の主力となったが、その形態は様々であった。 (RMライブラリー『弘南鉄道』下巻より)
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現在もラッセル車キ100や元東急6000系の運転などで注目を集める弘南鉄道ですが、ふた昔前の、電車ファンにとっては忘れえぬ時代の弘南鉄道を記録する2冊、ぜひ書架にお揃え下さい。

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▲今年もビッグサイトに熱い夏がやって来る。はたしてこの週末はどんな出会いが待っているだろうか...。'07.8.9

今年もJAMコンベンションの季節がやってきました。2000(平成12)年に東京・新宿で第1回が開催されて以来、今回で11回目となる国際鉄道模型コンベンション(JAMコンベンション)は、途中第7回が大阪で開催されたほか、毎年ビックサイトを会場に開催されており、今年もあの大コンベンションホールが大小様々な鉄道模型で埋め尽くされます。

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▲見渡す限りの広大な会場を埋め尽くす巨大レイアウト群。ギャラリーのテンションもJAMならではのもの。'08.8.9
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昨年の来場者数は実に3万4300人と発表されており、モデラーズパフォーマンス部門の出展70(個人・団体)、企業出展60社にのぼる、文字どおりわが国を代表する鉄道模型イベントとなっています。規模の大きさや日替わりのクリニックなどから、とても一日ではすべてを見て回ることは不可能で、東京以外にお住まいのモデラーの中には、この季節に夏休みをずらして泊りがけでお出でになる方も少なくありません。

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▲屋上展示場には大型乗用模型や5インチライブが大集合。ファミリーには大型鉄道模型に親しむ絶好の機会。'09.8.21
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今年もモデラーズパフォーマンスは見所いっぱいです。また、昨年からJAMコンベンションの一環として開催されている、学校のクラブ活動として鉄道模型を楽しんでいる生徒たちが、精一杯の力を出し切って制作したNゲージモジュールを持ち寄り、その出来映えを競う「全国高等学校鉄道模型コンテスト」も見逃せません。今年は果たしてどんな若き情熱に出会えるでしょうか...。

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▲間もなく発売のRMモデルズ最新号に掲載予定のJAM EXPRESS。コンベンションの詳細はJAMのHP(→こちら)をチェック。
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そしてもうひとつ注目したいのが、今年度の「鉄道模型功労者」に選ばれた坂本衛さんと、「エポックメイキング・モデル」に選ばれたエコーモデルの阿部敏幸さんによる特別講演です。改めてご紹介するまでもなく、坂本衛さんはTMS誌上に発表されたご自身の「摂津鉄道」で日本のレイアウトの流れを変え、現代の表現スタイルを切り拓かれた先駆者のお一人です。また阿部敏幸さん率いるエコーモデルは、車輌用パーツからストラクチャアクセサリーまで、ユニークなパーツを絶やすことなく常に供給し続け、鉄道模型工作のあり方そのものを変えた功績が顕彰され、「エコーモデルの日本形16番パーツ群」が今年の「エポックメイキング・モデル」に選定されたものです。実はお二人の顔合わせは初めて! いったいどんなお話が飛び出すのか、今から楽しみです。
ちなみにこの特別講演(21日16:00~17:30)の司会進行は私が務めさせていただく予定です。

■第11回 国際鉄道模型コンベンション
開催日時:8月20日(金)~8/22(日) 10:00~18:00(最終日は17:00まで)
会場:東京ビッグサイト(東京国際展示場) 西4ホールおよび屋上展示場
入場料:大人1,500円(会期中何度でも入場可能) 中学生以下 無料

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▲市内線の渡辺通一丁目と城東橋の間には大牟田線との平面クロスが見られた。ラッシュ時には、市内線電車が大牟田線の遮断竿が上がるをの数珠つなぎになって待っていた。 (『西鉄電車おもいでアルバム』より)
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福岡在住のベテランファンで、『復刻版 優等列車編成順序表』の発行に際しては、原本のご提供をはじめ語り尽くせぬご助力をいただいた大田治彦さんが、このたび『西鉄電車 おもいでアルバム』と題した豪華な写真集を上梓されました。

100813n001.jpg「昭和晩年の福岡市内線・大牟田線急行電車・宮地岳線」と副題の付けられたこの本は、1979(昭和54)年に全廃された博多の路面電車=西鉄福岡市内線をさまざまな切り口で紹介したページを核に、大牟田線や近年部分廃止された宮地岳線の記録を盛り込んだA4変形判168ページの大冊です。大田さんは1952(昭和27)年のお生まれ。ご多聞に漏れず、いわゆる「SLブーム」の際に鉄道写真に開眼したお一人で、そのカメラアイは地元の西鉄電車に向けられる時にも、数多の経験に裏打ちされた卓越したものがあります。前半を構成する福岡市内線では、貫線、城南線、循環線、貝塚線と各線別に章分けされ、さらにその中に「放生会の夜」、「天狗松の夕焼け」、「天神の夜」といったフォトジェニックなセンテンスが盛り込まれており、各線の個性を際立たせています。

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▲博多どんたくに合わせて運行される「どんたく花電車」は博多市民にとって大切な歳時記であったという。大田さんはこの花電車を地元ならではの目線で撮影し続けてきた。 (『西鉄電車おもいでアルバム』より)
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大田さんご本人が前書部で「...福岡市内線となると、廃止の頃は白黒写真がカラー写真に置き換わろうとしていた時期でもあり、廃止間際に比較的多くの写真が撮られたにもかかわらず(中略)このせいか現在に至っても先に廃止された貫線や城南線の色鮮やかなカラー写真を見る機会は少ないように思われます」と記しておられますが、改めてこうやってカラーで、ことに花電車の夜景など拝見すると、一見の訪問では気付かなかった福岡市内線の魅力にあらためて気付かされます。

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▲市内線の西端、室見橋~姪の浜間は単線になっており、タブレットの授受が行われていた。遅延した電車の救済にタブレットをバイクで"陸送"する様など、密着した撮影をしていなければなしえない貴重な記録も...。 (『西鉄電車おもいでアルバム』より)
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本書は体裁こそ写真集ですが、その詳細なテキストにも驚かされます。とりわけ車輌や運転関係の解説は、写真のキャプションを含めて実に深く、長年にわたって西鉄電車を観察し続けてきた著者ならではのものと言えましょう。そんな信頼性もあってこそ、本書は企画・協力として西日本鉄道株式会社の名を冠しています。

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▲最後の活躍を続ける大牟田線の300系を追った記録(左)や、甘木線の200系撮影記(右)も共感を呼ぶに違いない。 (『西鉄電車おもいでアルバム』より)
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ところで、所収の写真の多くは1971(昭和46)年に購入したというニコンFによって撮影されています。「まさに一生一台のカメラ」と限りない愛着を注がれたこの"F"によって生み出された作品の数々は、これまた伝説のコダクローム・フィルム(KⅡ、KM、KR)に焼き付けられたものです。近年の高彩度の写真を見慣れた目には少々違和感があるかも知れませんが、その群を抜く先鋭度の高さとしっとりとした色調を見るにつけ、もう一度コダクロームを使ってみたい...とかなわぬ夢を見てしまうのです。

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▲博多湾鉄道汽船時代の生き残りであったモ1をはじめとした宮地岳線車輌のバラエティーも、長年にわたって観察を続けてきた著者ならではのもの。 (『西鉄電車おもいでアルバム』より)
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この大田治彦さん渾身の書『西鉄電車 おもいでアルバム』(定価3,800円+税)は福岡市の櫂歌書房(とうかしょぼう)発行、星雲社より発売中です(→こちら)。西鉄ファンの方のみならず、鉄道写真に興味をお持ちの方にも必ずや得るところのある一冊です。

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▲西大寺鉄道のキハ7を模して、なんと前後に荷物台が設けられた「SAI BUS(サイバス)」。デザインは両備グループのデザイン顧問を務められている水戸岡鋭治さん。写真提供:両備ホールディングス
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岡山電気軌道や和歌山電鐵を運営する「両備グループ」が7月31日に100周年を迎えました。約50社を数えるグループ会社の母体は両備バスで、それはとりもなおさず1910(明治43)年7月31日に創立総会を行って設立された西大寺軌道(→西大寺鉄道→1960年に両備バス鉄道部)の一世紀後の姿にほかなりません。

100811nRML089.jpg3フィート(914㎜)という珍しい軌間を採用して西大寺軌道が開業したのは1912(明治45)年1月28日。以後、1962(昭和37)年に国鉄赤穂線が全通するまで西大寺市~後楽園間11.4㎞を結んで走り続けてきました(詳しくはRMライブラリー『西大寺鉄道』参照)。有名な西大寺会陽の参詣輸送のために集められた車輌は実に多種多様で、無煙化以前には特徴的な煙突を持つ9輌ものBタンク機、晩年は梅鉢製の単端式気動車や前後に荷物台を持つ気動車などが異彩を放っていました。

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▲その室内(左)と、荷物台への自転車の積み込みデモンストレーション(右)。写真提供:両備ホールディングス
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今回のグループ100周年に際して、驚くべきは西大寺鉄道の荷物台付き気動車を現代に再現したバスが誕生したことです。 両備ホールディングスの小嶋光信社長は「西大寺鉄道の気動車のように自転車を載せるデッキをバスにつけると最初に私が提案したときには、上手く出来るかと現場は半信半疑で、中古のバスの改装でしたいと回答がありました。却って中古の方が、新車の買えない地方バス会社らしいし、古いバスでも生き返る証拠になるので、オーケーを出しました」とその経緯を語っておられます。

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▲いっぽう8月4日には和歌山電鐵の貴志駅の全面改築が完成。猫型(?)の駅舎に"たま駅長"も大喜び。写真提供:両備ホールディングス
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この西大寺鉄道風荷物台付きバスは西大寺鉄道のサイと西大寺観音院の犀(さい)をかけて「SAI BUS(サイバス)」と名づけられました。 西大寺は、元は犀戴寺(さいだいじ)と称していたそうで、SAI BUS(サイバス)には、可愛い犀がマスコットキャラクターとして用いられています。現在、岡山駅から西宝伝まで犬島の渡船につなぐ路線バスとして運用されています。

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▲両備グループによる西大寺鉄道特設サイト。軽便ファンのみならず必見の内容。
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このほかにも100周年関連として数えきれないほどの施策やイベントが繰り広げられていますが、趣味的にとりわけ注目したいのが、西大寺鉄道特設サイト(→こちら)の開設です。通常、鉄道事業者が自らの出自を振り返るのは社史程度で、意外と冷淡な例が少なくありませんが、両備グループでは自社HP内に西大寺鉄道を回顧し顕彰する特設サイトを設けて、貴重な写真や資料を公開しています。

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▲特設サイト内では約20分の動画も見られる。単端の運転操作や、荷物台からの自転車の取り卸しなど、まさに息をのむ映像。
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とりわけ驚きなのは路線廃止を前に両備バス自らが山陽映画株式会社に依頼して製作した西大寺鉄道記録映画「風雪五十二年」(約20分)が視聴できることです。西大寺市立中学校で挙行された閉業式典の様子や、その前後の日常風景が実に見事なカメラワークで記録されており、ぜひともご覧いただきたい作品です。

※明日より取材のため小ブログは15日まで休載させていただきます。

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▲2基のクレーンによって吊り上げられる0系21形21-86。この後、台車を履かせて館内へと搬入される。'10.8.9 P:山田 司
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先日、先陣を切ってC62 17号機が館内に入れられた(アーカイブ「JR東海博物館(仮称) 展示車輌搬入を開始」参照)JR東海博物館(仮称)に、次々と展示車輌が搬入されています。

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▲展示室にずらりと並んだ歴代新幹線車輌。壁側から300系量産車の先頭車323‐20(J21編成)、300系量産先行試作車の先頭車322‐9001(J1編成)、100系の先頭車123‐1(X2編成)と2階建て食堂車168‐9001(X1編成)、0系21‐86(K17編成)。'10.8.9 P:山田 司
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昨日9日に報道公開されたのは、同博物館の大きな特徴でもある歴史的新幹線車輌の筆頭に位置する0系新幹線の先頭車21形。すでに浜松工場で入念に整備されている21-86は、昼過ぎから2基のクレーンで慎重に吊り上げられて館内へと送り込まれました。

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▲浜松工場で新製時と見間違うほど整備された21-86。1971(昭和46)年に製造された0系の新大阪方先頭車。'10.8.9 P:山田 司
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館内にはすでに300系や100系新幹線が運び込まれており、0系21-86は4線目の先頭に展示されることになります。とにかくこの新幹線車輌展示エリアの層の厚さはさすがJR東海と思わせるものがあり、最終的には0系4輌、100系2輌、300系2輌、検測・試験車輌2輌、合計10輌の新幹線車輌が一同に会することとなります。

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▲在来線車輌も続々と搬入されつつある。写真左は手前からED11 2、ED18 2、C57 139。右は館内への搬入を待つクハ111-1とキハ181-1。'10.8.9 P:山田 司
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一方、在来線関係の展示車輌も着々と準備が進んでいます。C57 139号機の整備が続いているほか、まだシートが被されたままながら、展示場にはED11やED18の姿も確認することができました。

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▲博物館用地から見たあおなみ線金城ふ頭駅。金城ふ頭駅からはほとんど直結状態となるのがわかる。'10.8.9 P:山田 司
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ところで、博物館のロケーションはご覧のように名古屋臨海高速鉄道あおなみ線金城ふ頭駅の真横。ほぼ直結状態で博物館にアプローチすることが可能で、名古屋駅から24分というアプローチの良さも手伝って、オープン時には大きな話題となるに違いありません。

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▲素晴らしい状態で保存されている伊予鉄道1号機。1967(昭和42)年10月14日付けで鉄道記念物に指定されている。'10.6.25
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夏目漱石の小説『坊つちやん』に登場したことから、「坊っちゃん列車」として全国的に有名となったのが、伊予鉄道創業期の蒸気列車です。もっとも小説『坊つちやん』では「マッチ箱のような汽車」と記述されているだけで、とりわけ詳述されているわけでもなく、いつの間にか有名になっていたというのが真相かもしれません。2001(平成13)年には外観を忠実に模した軌道線用のディーゼル機関車D1・D2形が誕生して、「坊っちゃん列車」は今や伊予鉄道を象徴する観光資源となっています。「坊っちゃん列車」の機関車は伊予鉄道本社前に置かれているものをはじめ、数多くのレプリカが存在します(アーカイブ「越中島の"坊っちゃん列車"」参照)が、唯一の本物は高浜線沿いにある梅津寺公園に保存されています。

100809n640.jpg伊予鉄道"甲1形蒸気機関車"は1888(明治21)年に神戸以西では最初の私鉄として開業した同社が、東京の代理店・刺賀商会を介してドイツのクラウスから輸入した自重6.1tのウェルタンク機で、1888年に2輌(製番1774・1775)、1891(明治24)年に2輌(製番2584、2585)が導入され、1~4号となりました。その後"甲2形"(5~6号)、"甲3形"(7号)、"甲5形"(11~14号)、"甲6形"(15)号と、同系列のクラウス製Bタンク機合計12輌が松山の地を走り回ることになります。
▲キャブ横に付けられたクラウスのエージェントであった刺賀商会の銘板。1888年製番1774の文字が見える。近藤一郎さんの著書『クラウスの機関車追録』によれば、クラウス側の受注は同年2月4日、出荷は5月19日だったという。'10.6.25
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▲驚くほどの整備状態を保つ足回り部。クラウスの特徴でもある傾斜した弁室に注意。'10.6.25
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▲弁装置は外側スチブンソン式(左)。右はビッグエンド部に残る「2585」の打刻。「2585」は3号機のもの。'10.6.25
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▲火室下部を見る(左)。灰落としハンドルも残されている。連結器はスクリュー&リンク式で、緩衝器は中央に1基備わる(右)。'10.6.25
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▲インゼクタや水面計も復原され、見事に整備されたキャブ内。運転台は右側。'10.6.25
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郡中、横河原・森松線は戦後も非電化のまま残され、郡中線は1950(昭和25)年までに電化を達成したものの、横河原・森松線では相変わらずこのクラウス機が主力を務めていました。しかし、車輌そのものの老朽化に加えて石炭価格の高騰によって内燃動力化を図ることとなり、まず6号機(1898年製)が森製作所の手によってディーゼル機関車化改造されました(拙著『森製作所の機関車たち』参照)。このDB1を端緒に同社は1954(昭和29)年までに完全無煙化を達成、1号機関車は記念物として道後公園に保存されました。

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▲編成を組んで展示されている2軸客車は、貨車の足回りを流用して再生されたレプリカ 。'10.6.25
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100809n654.jpg現在、梅津寺公園に保存されているのはこの1号機で、貨車の足回りを利用して再生された2軸客車とともに素晴らしい状態で展示されています。もっとも、道後公園保存時はかなり荒廃の度を深めてしまっていたようで、1965(昭和40)年に愛媛大学に寄贈されていた3号機の部品を利用して伊予鉄道自らの手で大修理が敢行されました。このため各部品の打刻を見ると、3号機の製造番号2585を発見することができます。ちなみに、鉄道記念物に指定された説明板には「米1升が4銭5厘の時代に、9700円でした」との解説が見られます(近藤一郎さんの著書『クラウスの機関車追録』によれば出荷時の価格は8200マルク)。
▲軸箱蓋には伊予鉄道の社紋が入れられている。'10.6.25
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▲現在の展示状況。梅津寺公園入口を入ってすぐ右側に展示されている。梅津寺公園の入園料は50円。'10.6.25
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保存場所である梅津寺公園は昨春までは遊園地「梅津寺パーク」として知られていましたが閉園、現在は梅津寺公園と名称を変えて公開されています。1号機関車はこの際に再整備されたとのことで、見事な状態に保たれており、伊予鉄道を訪問された際にはぜひとも足を向けてみられることをお勧めします。

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▲晴れわたった夏の一日が終わろうとしている。家路につく人々の頭上に淀川橋梁の威容が聳え立つ。'10.7.17
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木造の人道仮橋との併用という不思議な形態を維持してきたこの城東貨物線淀川橋梁ですが、遠からずその風景も過去のものとなりそうです。というのも、2年前に放出~久宝寺間が先行開業した「おおさか東線」(アーカイブ「おおさか東線間もなく開業」参照)の未開業部分・放出~北梅田(仮称)の工事が本格化すると、城東貨物線の複線化にともなって仮橋部は本来の線路にスペースを譲らねばならないからです。

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▲淀川橋梁は下路ワーレントラスの開床式。下から見上げると、自転車が木製の仮橋を渡るカタカタという音が聞こえる。'10.7.17
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おおさか東線は城東貨物線を旅客線化すべく、大阪府、大阪市、東大阪市、吹田市、八尾市、それにJR西日本などの出資による第三セクター「大阪外環状鉄道」が第三種鉄道事業者として建設し、JR西日本とJR貨物が第二種鉄道事業者として運営する形でスタートを切りました。放出~久宝寺間の先行開業時点では延伸区間は放出~新大阪間、開業は2012年春とされていましたが、その後、新聞報道等によると新大阪からさらに梅田貨物線を経て、再開発著しい北梅田(仮称)まで延伸されることとなり、これにともなって開業も2018年度末へと延期されています。このような状況ですから、現在のような赤川仮橋の姿がいつまで見られるかは極めて流動的と言わざるをえません。

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▲日曜日は運転本数が減るとはいえ、撮影に訪れる人は後を絶たない。12時10分、高速貨87レが結構なスピードで通過してゆく。'10.7.18
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▲淀川橋梁を渡りきり、終着・百済へとラストスパートをきる4076レ。'10.7.17 (17:23)
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赤川仮橋を訪ねるにはいくつかのルートがあります。阪急京都線の淡路駅から歩くのが一般的ですが、淀川橋梁まで城東貨物線と並行する道路はなく、途中で迂回を余儀なくされます。時間にして徒歩15分程度ですが、夏の炎天下などひと苦労ではあります。その面で楽なのがバス利用でしょう。大阪駅北口~井高野車庫前間を結ぶ市バス37号系統を利用し、「東淡路1丁目」バス停を降りれば淀川堤防の下に出られます。大阪駅北口のバス乗り場"青4番"から日中も10~15分毎に出ており、所要20分弱。一方、時間的ゆとりのない出張帰りなどには新大阪駅から直接タクシーという手もありましょう。

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▲右岸と左岸を結ぶ人道橋が少ないこともあって、赤川仮橋は想像以上の交通量。ただし、渡れるのは人と自転車のみで、原付・バイクは通行できない。'10.7.18
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さて、肝心の列車時刻ですが、貨物列車、しかも日曜・休日運休や臨時列車なども混在しており、ある程度のリスクを承知のうえで訪れられるのがよいでしょう。定時であれば、貨物時刻表記載の吹田(信)発着時刻からプラスマイナス10分程度で淀川橋梁通過時刻となります。なお、赤川仮橋は想像以上に交通量が多く、撮影・見学の際は通行の邪魔にならないよう心配りをお願いします。

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▲西日に照らし出された夏の土手を、高速貨84レを牽くDD51が横切ってゆく。'10.7.18 (16:35)
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▲「電子国土」に見る赤川仮橋の位置。急ぐ場合は新大阪駅からタクシー利用が便利。
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最後に、最近愛用しているZOOMの高音質ムービー"Q3 Handy Video Recorder"(→こちら)で録音・録画した動画をお目にかけましょう。この"Q3 Handy Video Recorder"は従来のビデオカメラでは得られない高音質ステレオマイクを搭載し、毎秒30フレームのなめらかなムービー撮影も可能にしたコンパクトな録音・録画機材で、パソコンに接続すれば専用アップローダーが自動的に立ち上がってYouTubeに即アップロードできる機能も備えています。搭載レンズは固定焦点距離ですので、ビデオカメラというよりは画像も撮れる高性能ステレオレコーダーといった感じで、動画が記録できることによって"音の記憶"がより鮮明に蘇ることになります。

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▲高音質を誇る"Q3ハンディ・ビデオ・レコーダー"(ZOOM)。トップの黒い帽子のようなものはウィンドスクリーン。

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▲画像をクリックすると「今日の一枚 The Movie」の動画がご覧になれます。
(※通過直後に風圧で揺れてしまっておりますがご勘弁ください)

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▲猛暑とはいえ、たっぷりとした水量をたたえた淀川には涼風が吹きぬける。'10.7.17
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先日、所要で大阪を訪れた際、淀川に架かる通称・赤川鉄橋を訪ねてみました。最近とみに人気を集めている"赤川鉄橋"は、正式には城東貨物線淀川橋梁と言います。片側に併設された木製の人道橋・赤川仮橋が有名となり、いつしか橋梁そのものが赤川鉄橋と通称されるようになったようです。

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▲木製の欄干には「赤川仮橋」のプレートが付けられている。今日も羽目板の音を鳴らして自転車が駆け抜ける。'10.7.17
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この橋梁、大阪在住でない方にとっては位置関係もよくわからず、貨物線だけに運転情報も限られているとあってついつい及び腰となってしまいがちですが、実は新大阪駅からも至近距離にあり、出張の帰りなどに訪ねてみるには絶好のロケーションです。詳細は後述するとして、あらためてこの世にも不思議な併用橋を見てゆくことにいたしましょう。

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▲時ならぬ轟音を響かせて淀川橋梁を渡る高速貨84レのDD51 837〔吹〕。'10.7.17(16:40)
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片町線の貨物支線として城東貨物線が開業したのは1929(昭和4)年3月。これに先立ち淀川を渡る18連のワーレントラス橋が汽車会社・川崎造船で製造されましたが、将来的な輸送需要の増加を見越して複線仕様で造られ、そのまま架橋されました。軌道は複線の下流側のみに敷設され、上流側のスペースを使って、いつしか人が行き来できる"仮橋"が設けられました。ここに橋長610mと長大な鉄道橋梁に木製の人道橋が"間借"するという奇妙な共存関係が生まれたのです。

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▲広大な河川敷は市民の憩いの場。木製の仮橋が都会のオアシスの光景に見事に馴染んでいる。'10.7.17
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実際に現地を訪れてみるとわかりますが、左岸の大阪市都島区と右岸の大阪市東淀川区を結ぶ淀川の橋は、上流側は菅原城北大橋、下流側は長柄橋まで2キロほどなく、ちょうどその中間に位置する赤川仮橋が渡れないとすると、住民の皆さんはかなりの不便を強いられることとなります。

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▲風雨にさらされながらも辛うじて残る汽車会社・川崎造船の製造銘板(左)と、河川法許可標識(右)。正式名称は「市道 JR貨物線 赤川仮橋」となっている。'10.7.17
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このため、現在でも大阪市建設局の手によって例外的な人道橋として維持管理されており、「河川法許可標識板」によれば、目的は「道路(旭西淀川自転車道線)赤川(人道橋)」、占有期間は「平成19年4月1日から平成24年3月31日まで」と表示されています。あくまで期間限定のやむを得ぬ便宜処置といった感じで、この更新がこれまで幾度となく繰り返されてきたに違いありません。

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▲湧き上がる入道雲、土手の草いきれ...大阪駅から至近にありながら、淀川橋梁(赤川仮橋)は不思議な魅力に満ち溢れている。'10.7.17

きちんと整備されているとはいえ、いかんせん木造の"仮橋"、しかも0.6キロ以上の長さがあるとあって、初めて渡る者にとってはちょっとした冒険気分も味わえます。実際、岸側では微風程度の風が、河川中央部に行くとかなりの風速となり、足元のギシギシといった羽目板の鳴き声とあいまってゆく足を鈍らせます。もちろん、日常的にこの赤川仮橋を利用している地元の方はまったく意に介さないようで、買い物かごを満杯にしたママチャリが結構な勢いで行き交っている姿を目にするにつけ、この橋梁が何十年にもわたって地域の生活の中に生き続けてきたことを思わずにはいられません。

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▲羽田空港国際線ビル駅の1番線を通過する羽田空港第1ビル行き1000形。同駅は曲線上に位置している。 '10.8.2 羽田空港国際線ビル P:RM(伊藤真悟)
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続いて東京モノレールの新駅を見てみましょう。東京モノレールの羽田空港国際線ビル駅は天空橋駅と新整備場駅の間に位置し、2Fに改札コンコース、3Fに相対式下りホームと改札口及び上りホームが設けられています。下りホーム(羽田空港第1ビル駅、羽田空港第2ビル駅方面)が1番線、上りホーム(浜松町方面)が2番線となっています。

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▲東京モノレールの羽田空港国際線ビル駅構内図(東京モノレールパンフレットより転載)。
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テーマは「より早く便利に」「より安心に」「より優しく」「より良いサービスを」とされ、浜松町方面からモノレールを利用した場合、ターミナルの出発ロビーと同じ階であるため、改札口を出てわずか1分で旅客ターミナルのチェックインカウンターまでアクセスすることが可能となります(「より早く便利に」)。

hanedan0008.JPGさらに4カ国語対応サインや多機能案内板の配置やユニバーサルデザインの展開、ホームドアの設置、車輌とホームの隙間を解消する可動ステップの設置(下りホームのみ)、ガラス面で覆われた駅のホームから富士山をはじめとした眺望可能な構造、太陽光発電システムの設置が行なわれ(「より安心に」「より優しく」)、訪日外国人の利用客へのサービスを中心に展開する「JR EAST Travel Service Center(JR東日本外国人旅行センター)」が2Fに開設されます(「より良いサービスを」)。
▲羽田空港国際線ビル駅の駅名標。中国語を含めた4カ国語で記載されている。 '10.8.2 羽田空港国際線ビル P:RM(伊藤真悟)
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▲ターミナルビル3Fから見た羽田空港国際線ビル駅改札口。この写真の左手側へ向かってわずか1分でチェックインカウンターにアクセスすることができる。 '10.8.2 羽田空港国際線ビル P:RM(伊藤真悟)
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▲左はターミナルビル2Fから見た羽田空港国際線ビル駅改札口。改札を入り、左手側が羽田空港第1ビル駅・羽田空港第2ビル駅方面。右手が浜松町方面。どちらもエレベータやエスカレータ、階段を利用して3Fに上がる。右は2Fに開設される「JR EAST Travel Service Center(JR東日本外国人旅行センター)」。JR EAST PASSの引き換え、発売などのサービスを英語・中国語・韓国語・日本語で対応する。'10.8.2 羽田空港国際線ビル P:RM(伊藤真悟)
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こちらも開業後は「空港快速」をはじめとする全列車が停車し、浜松町から羽田空港国際線ビルまでの所要時間は「空港快速」で13分となります。さらに、羽田空港国際線ビル駅から羽田空港第1ビル駅は3分(「空港快速」「区間快速」)、羽田空港第2ビル駅へは5分(同)で結ばれることになります。

取材協力:東京国際空港ターミナル、京浜急行電鉄、東京モノレール

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▲幅員が約14mとなった羽田空港国際線ターミナル駅1番線ホーム。北総7300形が通過中。 '10.8.2 羽田空港国際線ターミナル P:RM(伊藤真悟)
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来る10月21日に予定されている羽田空港新国際線旅客ターミナルビルの供用開始に向けて、現在準備が着々と進められていますが、昨日8月2日にはマスコミ向けの見学会が実施されました。
この見学会では、新国際線旅客ターミナルビルとともに、同じく10月21日に開業する京浜急行電鉄の「羽田空港国際線ターミナルビル駅」と東京モノレールの「羽田空港国際線ビル駅」も公開されました。ちなみに新国際線旅客ターミナルビルは、3Fが出発ロビー、2Fが到着ロビーとなります。

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▲京急の羽田空港国際線ターミナル駅構内図(京浜急行電鉄パンフレットより転載)。
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haneda0002.JPG京浜急行電鉄の羽田空港国際線ターミナル駅は、天空橋駅と羽田空港駅(10月21日より羽田空港国内線ターミナル駅に改称)の間に位置し、ホームは地下2Fとなります。相対式2面で、ホーム延長は160m。国際空港にふさわしい駅として、利用客の使いやすさを最優先に設計、ホームで荷物用カートが利用できるように配慮されています。このためホーム幅員は最大部で13.850mの広さとなり、大型エレベータも複数設置され、荷物用カート転落防止用にホーム柵が設置されています。なお、羽田空港駅(羽田空港国内線ターミナル駅)方面の下りホームは1番線、品川・横浜方面の上りホームは2番線となっています。
▲羽田空港国際線ターミナル駅の駅名標。駅ナンバリングも実施され、同駅は「KK16」となる。 '10.8.2 羽田空港国際線ターミナル P:RM(伊藤真悟)
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▲1番線ホームの改札口は進行方向前寄り(2・3輌目)付近にある。改札を出た先に大型エレベータやエスカレータが備わっている。 '10.8.2 羽田空港国際線ターミナル P:RM(伊藤真悟)
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また、外国人の利用客への対応として、2Fの改札口付近には案内カウンターが設置されるほか、10月21日より京急線全駅で駅ナンバリングが導入されます。案内カウンターでは4カ国語対応のコンシェルジュが常時配置され、外国人の利用客に対面で乗車券を販売するほか、観光案内など様々なサービスが提供されます。また、駅ナンバリングは品川駅を「01」として、浦賀方面に「02・03...」の順に駅番号が付番されるもので、路線記号として「KK」が付加されます。

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▲こちらは羽田空港国際線ターミナル駅の2階部分。左手が品川・横浜方面の改札口。 '10.8.2 羽田空港国際線ターミナル P:RM(伊藤真悟)
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haneda0006.JPGこのほか、環境への配慮として、駅舎屋根に大田区と連携してエレベータ7基分の電力をまかなうことができる太陽光発電設備が設置されています。一部の太陽光パネルは透過型とされていて、上りホームへの連絡通路内に自然光を取り込むことにより、照明負荷の軽減が図られています。

▲品川・横浜方面の改札を入ると、ホームへ向かう通路の天井に透過型の太陽光パネルが設置されている。 '10.8.2 羽田空港国際線ターミナル P:RM(伊藤真悟)
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開業後は「エアポート快特」をはじめとする全種別の列車が停車し、品川駅から羽田空港国際線ターミナル駅までの所要時間は「エアポート快特」で13分となります。また、羽田空港国際線ターミナル駅と羽田空港国内線ターミナル駅は2分で結ばれます。
明日は続いて東京モノレールの「羽田空港国際線ビル駅」をご紹介いたしましょう。

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昨年夏に上梓した関 崇博さんの著作『門鉄デフ物語』が、鉄道友の会が選定する「2010年島秀雄記念優秀著作賞」を受賞いたしました。同賞は、毎年一回、趣味的見地に基づき、鉄道分野に関する優れた著作物または著作に関わる功績を選定し、鉄道および鉄道趣味の発展に寄与することを目的として、2008(平成20)年に新設された賞で、今回が3回目となります。
▲後藤工場施工の"G-3"タイプに準じたデフレクタを装備したD51 498号機。本機の切取デフ装備にも『門鉄デフ物語』は少なからぬ影響を与えた。'10.6.6 小淵沢
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あらためてご紹介するまでもありませんが、本書は、著者が今から40年ほど前に『鉄道ファン』(交友社)に連載し、さらに2004(平成16)年から翌年にかけて、再び『鉄道ファン』誌に決定版として掲載した連載をベースとして、単行本に再構成したものです。

090615nn00.jpg今年の島秀雄記念優秀著作賞選考委員会は、鉄道関係の著作物に精通した鉄道友の会会員10名(委員長:西野保行氏)で構成されており、本書の選定理由として...「蒸気機関車の形態を大きく左右するデフ(除煙板)にこだわり続け、趣味者の視点で40 年間の歳月をかけてまとめた本書は、まさに鉄道趣味の原点を示したものと言えます。デフは蒸気機関車の付属的な装備に過ぎませんが、客観事実と著者の考察・推測を明確に区分して記述し、著者の永きにわたる調査・研究の成果が集大成されています。デフの分類についても、実物の調査をベースとして資料の引用により的確な考察が加えられており、鉄道研究における指導的な役割を果たす作品として、選定しました」と高く評価されています。

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▲中には1形式1輌にとどまった試作的要素の強いものもあった。K-4タイプもそのひとつで、1953(昭和28)年1月に大分区のC55 11に装備された。 (『門鉄デフ物語』より)

10_07_31n_takayanagi.jpgなお、今年の受賞作品は以下の6作品でした。
単行本部門(4作品/発行日順)
和久田 康雄 「日本の市内電車」 成山堂書店(2009)
関 崇博 「門鉄デフ物語」 ネコ・パブリッシング(2009)
奈良崎 博保 「九州を走った汽車・電車」 JTBパブリッシング(2009)
宇都宮 照信 「食堂車乗務員物語」 交通新聞社(2009)
定期刊行物部門(1作品)
大熊 孝夫 「雪国を駆けぬける「スノーラビット」」(交友社「鉄道ファン」2009年5月号掲載)
特別部門
「日本鉄道旅行地図帳」の刊行に対して (新潮社)

▲すっかり「門鉄デフ」が板に付いた秩父鉄道のC58 363号機。夏休み中は形式なしのナンバープレートが装着されている。'10.7.31 秩父鉄道樋口―野上 P:高柳 功 (「今日の一枚」より)
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▲加工を終えて塗装を待つ秩父鉄道のC58 363号機の門鉄デフを前にした関 崇博さん。本機の「門鉄デフ」装備に際しても関さんの『門鉄デフ物語』が指標的役割を果たした。'09.11.10 広瀬川原
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弊社としては、昨年の湯口 徹さんのRMライブラリー『日本の蒸気動車』に続く受賞となり誠に光栄なことです。ただそれ以上に、一部の車輌部品をテーマにしながらも、40年の歳月を掛け、まさにライフワークとしてその全容に迫ろうとする関さんの取り組みこそが、誤解を恐れずに言えば鉄道趣味のまさに真髄であり、栄えある島秀雄優秀著作賞に本書が選定されたことは、志を同じくする多くの人たちにとって今後の活力となるに違いありません。

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レイル・マガジン

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