鉄道ホビダス

2010年3月アーカイブ

E233系5000番代誕生 。

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▲東京方のクハE232-5002を先頭にしたE233系5000番代ケヨ502編成。車体のラインカラーは既存の赤系を踏襲。また、1000番代と同様に、ドア開閉ボタンは設置されていない。'10.3.29 京葉車両センター P:RM(伊藤真悟)
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京葉線向けに投入されたE233系5000番代の報道公開が、3月29日に京葉車両センターで行なわれました。同車については昨年9月の投入発表の段階でもお伝えしておりますが(アーカイブ「京葉線にもE233系」参照)、ついに現車が投入されはじめたわけです。

100331keyo0002.jpgこのE233系5000番代は、中央快速線E233系0番代、京浜東北・根岸線E233系1000番代と同様の車輌で、主要機器の二重系化を施した故障に強い車輌であるとともに、優先席を含む車輌端の荷棚、吊手高さの変更、優先席エリアの明確化のほか、床面高さを低くしてホームとの段差を縮小するなど人にやさしい車輌となっています。

▲クハE232-5000番代の後位側屋根上に設置されたWiMAXアンテナ(ドア上付近に見える突起物がアンテナ)。'10.3.29 京葉車両センター P:RM(伊藤真悟)
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▲乗務員室を見る。左手ワンハンドルマスコンなど、基本的な構造は従来車とほぼ同様。'10.3.29 京葉車両センター P:RM(伊藤真悟)
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今回公開されたのはケヨ502編成で、東京方からクハE232-5002+モハE232-5202+モハE233-5202+モハE232-5002+モハE233-5002+サハE233-5502+サハE233-5002+モハE232-5402+モハE233-5402+クハE233-5002の10輌貫通タイプです。東京方先頭車であるクハE232-5000番代の後位側屋根上にはWiMAXアンテナが2基搭載され、このWiMAXを活用して、客室内各ドア上に設置の情報案内装置から運行情報やニュース等が表示されます。

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▲客室内全景。腰掛モケットは1000番代と同じくブルー系に。'10.3.29 京葉車両センター P:RM(伊藤真悟)
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▲優先席部分も従来車と同様で、荷棚や吊手高さが低下するとともに優先席エリアが明確化されている(左)。LCD式の情報案内装置(右)。WiMAXを活用した情報表示が行なわれる。'10.3.29 京葉車両センター P:RM(伊藤真悟)
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客室設備に目を転じると、腰掛モケットは1000番代と同様のブルー系となっていますが、優先席部分は0番代・1000番代と同様の柄となっています。また、京葉線には女性専用車輌は設定されていませんが、両先頭車の吊手と荷棚の高さが優先席部分と同様に低くなっています。

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▲今年は京葉線全線開業20周年。取材終了時には記念ヘッドマークを取付けた209系500番代ケヨ33編成と並んだ。'10.3.29 京葉車両センター P:RM(伊藤真悟)
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このE233系5000番代は計25編成が投入され、10輌貫通編成のほかに6+4輌の分割編成も登場する予定となっています。6月頃までは各種試験が行なわれ、夏頃より京葉線(東京―蘇我)のほか、外房線(千葉―勝浦)、内房線(蘇我―上総湊)、東金線(大網―成東)でも営業運転を行なう予定となっています。なお、これにより、京葉線で活躍している205系や201系にも大きな動きが訪れることでしょう。
取材協力:JR東日本千葉支社

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▲戦後の片上鉄道はC11、C12、C13といったタンク機関車7輌を揃え、時として重連仕業を組んで輸送に臨んだ。おびただしい無蓋貨車の保有数とともに、この鉄道の産業鉄道としての性格を物語る。 (RMライブラリー118巻『同和鉱業片上鉄道』下巻より)
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先月に引き続き完結編としてお届けする寺田裕一さんによる『同和鉱業片上鉄道』の下巻が好評です。上巻では片上鉄道の歴史を中心に解説していただきましたが、下巻では歴代の車輌を紐解いてゆきます。

100330nRML128s.jpg片上鉄道が営業運転した68年6ヶ月の間に入線した車輌は、蒸気機関車17輌、内燃機関車6輌、内燃動車13輌、客車28輌(内燃動車からの転換を除く)、貨車211輌(うち無蓋車176輌)でした。貨車の数が突出して多いことが目立ちますが、これは貨物輸送の中心が和気での国鉄連絡ではなく、片上港で船舶に連絡していたこと、つまり貨物列車の多くが自社線内で完結していたことによります。つまり、多くの中小私鉄では国鉄の貨車が直通することが多かったのに対して、片上では自社で多くの貨車を保有する必要があったわけです。もっとも、和気での連絡貨物も少なからずあり、晩年には片上がコンテナ扱い駅となり、客車+コキ車という混合列車が運転されていたのも、他ではあまり見られないものでした。

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▲片上鉄道といえば思い浮かぶのが国鉄制式機に準じた外観を持つC13形。戦時中に中国南部の海南島向けに製造されたテンダー機関車がその出自で、南海を経てタンク機関車化改造を受けたという異色機。 (RMライブラリー118巻『同和鉱業片上鉄道』下巻より)
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下巻では片上鉄道の名物でもあったC13形をはじめとした蒸気機関車群とそれに代わって登場した5輌のDD13形ディーゼル機関車、旅客輸送の主役であったキハ41000・07タイプの気動車、ブルートレインの愛称で親しまれた客車、そして貨車について多くの写真とともに解説されています。特に片上鉄道のもう一つの主役とも言うべき無蓋車群については、寺田さんが公文書などを再検証し、可能な限りのその車歴を辿ります。

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▲国鉄から払い下げを受けたキハ07系をはじめ、多彩な気動車群も片上鉄道の魅力であった。幸いなことにその一部は現在でも片上鉄道保存会の手によって動態に保たれており、元気な姿を目にすることができる。 (RMライブラリー118巻『同和鉱業片上鉄道』下巻より)
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▲片上鉄道はのべ200輌以上の貨車を擁する貨車王国であった。とりわけ鉱石輸送のための無蓋貨車は昭和39年度に165輌を記録し、私鉄とは思えない長大編成の鉱石列車は片上の象徴でもあった。 (RMライブラリー118巻『同和鉱業片上鉄道』下巻より)
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また、巻末では片上から柵原までの廃線跡を辿ります。現在、片上鉄道の廃線跡は片上付近の山陽新幹線交差部分から吉ヶ原駅跡の柵原ふれあい鉱山公園まで全長34.23kmのサイクリングロード「片鉄ロマン街道」として整備されており、途中には駅舎などの遺構もあります。また、終点の吉ヶ原駅跡では片上鉄道保存会の皆さんのご努力により多数の車輌が動態保存されているのはご存知の通りです(→こちら)。特定日に行われる運転では、駅舎や構内などの雰囲気を含めて、現役当時の片上鉄道の姿が見事に再現されます。

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▲柵原ふれあい鉱山公園の一部として整備された吉ケ原駅跡には片上鉄道保存会の皆さんによる保存活動が行われており、特定日には現役時代さながらの姿を目にすることができる。 (RMライブラリー118巻『同和鉱業片上鉄道』下巻より)
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近年では元祖駅長ネコである「コトラ」も人気の片上鉄道。今度の運転日には本書片手に吉ヶ原を訪ねてみられてはいかがでしょうか。

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さよならE31。

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昨日3月28日に西武鉄道最後の電気機関車E31形のさよならイベントが開催されました。残念ながら私は参加することができなかったのですが、編集部からは担当の小野君をはじめ、鉄道ホビダスの伊藤君、さらには『国鉄時代』の山下君まで現地に繰り出す盛況ぶりとなりました。今日は小野君の写真とレポートでイベントを振り返ってみることにいたしましょう。

▲「さよならイベント」は、3月7日に多摩川線から小手指車両基地に回送され、同月25日に武蔵丘車両基地に回送された217Fを、E31+E32+217F+E34のプッシュプルで会場である横瀬車両基地に輸送するという嬉しい"サプライズ"で始まった。沿線の方の関心も高く、この場所でもファンに混じって地元の方もビデオカメラを回しておられた。'10.3.28 東吾野―吾野 P:小野雄一郎
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▲217Fを横瀬車両基地に回送した後は、E31+E32+E34の三重連がさよなら運転の往路として西武秩父に向かった。あいにく武甲山は雲に隠れてしまったが、E31形独特のモーター音を山並みに木霊させながら急勾配に挑んでいた。'10.3.28 横瀬―西武秩父 P:小野雄一郎
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「E31形電気機関車 さよならイベント」は、元多摩川線用の217FがE31形によって武蔵丘車両基地~飯能~横瀬車両基地と回送され、開場とほぼ同時に横瀬車両基地に到着するという嬉しい"サプライズ"で幕を開けました。E31形2輌+旧101系4連+E31形1輌という編成での運転でしたが、E31形は基本的に2輌1ペアとして運用されており、3輌が牽引に用いられた列車というのは非常に珍しいものと思われます。

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▲本線上での事実上のラストランともなる、さよなら運転の復路が西武秩父―横瀬間で運転された。往路の折り返しとなるため、こちらはE34が先頭に立った。'10.3.28 西武秩父―横瀬 P:小野雄一郎
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100329n004.jpg横瀬車両基地では、多数の来場者が見守る中、217Fを切り離したE31形3輌がE31+E32+E34の三重連を組成し、さよなら運転として11時15分横瀬を出発しました。西武秩父到着後は駅構内で40分ほど展示され、12時05分の定刻よりやや遅れて横瀬に戻りました。そして横瀬車両基地構内へ1輌ずつ入線させるため、横瀬駅下り側の築堤上で切り離しが行われ、すでに準備されていた横瀬車両基地の保存機E33を含めてE31からE34までのE31形全機が並んで展示されました。ちなみにE33は、2009(平成21)年1月末日に廃車となり横瀬車両基地に保存されていますが、E31形が4輌並んで展示されることはなかなか機会がありませんでした。
▲「さよならイベント」のもうひとつの目玉となったのが、E31からE34までの全車4輌を並べての展示撮影会。E33は普段横瀬車両基地にて保存されており、4輌が一堂に会す機会はなかなか実現していない。'10.3.28 横瀬車両基地 P:小野雄一郎
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▲E33だけは架線から直接給電していないものの、全車がヘッドライトを点灯しての4輌並びとなった。また、さよなら記念のヘッドサインも各車輌に取り付けられていた。'10.3.28 横瀬車両基地 P:小野雄一郎
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100329n006.jpg展示撮影会を終えた後は、同じく横瀬車両基地に保存されているスム201とワフ105を貨車牽引実演としてE31が牽引し、構内を二往復しました。"黒貨車"をE31形が牽引するのはおそらく十数年ぶりのことでしょう。貨車牽引実演後は、E31+E32+E34+E33の四重連に組み替えられて展示撮影会となり、14時30分過ぎに「さよならイベント」は閉会しました。
▲貨車牽引の実演として、横瀬車両基地に保存されていたスム201+ワフ105をE31が牽引し、構内を二往復した。いわゆる"黒貨車"をE31形が牽引するという、またとないシーンが再現された。'10.3.28 横瀬車両基地 P:小野雄一郎
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▲「さよならイベント」のフィナーレを飾ったのが、E31形の四重連。イベント終了後は、横瀬車両基地内のピットに納められ、静かにピットのシャッターが下ろされた。'10.3.28 横瀬車両基地 P:小野雄一郎
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余談ですが、「さよならイベント」終了後は、E34+E33がD16に押されてピット内に納められたほか、217Fの構内入換えを行ってE31+E32がピット内に入るころには、この時期には珍しく霙が舞う空模様となりました。西武鉄道によりますと、この日の来場者は約2,700人とのことで、大勢の方がE31形の最後の勇姿に名残を惜しんだに違いありません。

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東大農場の軌道。

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▲農場博物館へと続く2フィートゲージの軌道。1934(昭和9)年に建築された旧乳牛舎がきれいに整備されて博物館として公開されている。'10.2.23
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本誌最新号のトワイライトゾ?ンでもご紹介していますが、西武新宿線田無駅や西武池袋線ひばりが丘駅にほど近い「東大農場」内に、農業用の軌道が保存されています。同コーナーへの林 正樹さんの投稿でその存在が知れたもので、まさか新宿や池袋といった都心ターミナルから30分ほどの場所に、このような歴史的遺構が残されていようとは思ってもみませんでした。

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▲農場内にはいたる所に武蔵野の原風景を彷彿させる光景が広がっている。'10.2.23
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東大農場(東京大学大学院農学生命科学研究科附属農場)は1935(昭和10)年に駒場から現在地に移転したもので、東京ドームの約5個分に相当する22.2haの広大な敷地に、農地をはじめとした各種の研究用施設が展開しています。周辺の喧噪が嘘のように、まるで北海道にでも来たかのようなゆったりとした風景が広がっています。軌道の残る農場博物館は場内西側に位置し、かつての牧畜研究エリアの中心となっていた乳牛舎を修復転用しています。いただいた資料によれば、この乳牛舎は1934(昭和9)年に建築されたもので、研究用に20頭ほどの乳牛を飼育、昭和30年代には搾乳された牛乳は「東大牛乳」の名で近隣住民にも販売されていたそうです。

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▲各所に残る昭和初期の木造建築物も見所。左は旧学生寮、右は軌道が引き込まれている実習調査室(旧堆肥室)の裏手側。'10.2.23
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問題の線路はこの乳牛舎や豚舎、羊舎(ともに現存せず)、アヒル池などと飼料調整室、堆肥室(現実習調査室)を結ぶもので、飼料を搬入し、糞尿を搬出して堆肥室に運ぶために用いられていたものだそうです。

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▲農場博物館付近の構内を見渡す。さながら北海道を思わせる光景に、一瞬、都内であることを忘れる。'10.2.23
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1974(昭和49)年に乳牛舎としての役割を終えて一時は農機具展示室となっていましたが、その後はほとんど放置状態で荒廃してしまっていたといいます。3年ほど前に東大農場自体の移転計画が中止となり、この東京の大農場が市民のオアシスとしても存続できることとなったのを機に修復工事が行われ、新たに公開施設の農場博物館として生まれかわったものです。線路もそれまではほとんど土に埋まった状態だったそうですが、農場博物館オープンに合わせて"発掘"され、現在では博物館と実習調査室(旧堆肥室)間の軌道を見ることができます。

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▲農場博物館と対面に位置する実習調査室(旧堆肥室)へと引き込まれてゆく軌道。手前に唯一残された転車台が見える。かつて軌道はこの転車台から右手にのびており、豚舎、羊舎へと続いていた。'10.2.23
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考えてみればこういったポータブル軌道の始祖はフランスのドコービルで、パリ郊外の大農場の長男に生まれたポル・ドコービルは、1873(明治6)年、自らの農地から甜菜を運搬するために可搬式軌道(軌匡)を考案し、いわゆるトロッコとして全世界に伝播してゆきます(アーカイブ「ドコービルの厩」参照)。鉱山用、工事用、軍事用等々、20世紀中盤以降まであらゆる用途で活躍してきたポータブル軌道は、まさにこの東大農場と同じシチュエーションの中で誕生したものだったのです。

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▲かつては2基存在したという転車台だが、現存するのはこの1基のみ。軌道とともに半分埋まっていたものをボランティアの皆さんが"発掘"したもの。'10.2.23
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現在この農場博物館は「東大農場ボランティア」の皆さんのサポートによって運営されており、公開日には館内の貴重な歴史的農具やトラクターなどの解説もしていただくことができます。

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▲整備された農場博物館館内には引き込まれていた軌道を観察できるように床に覗き穴が設けられている(左)。右はボランティアの皆さん手作りのトロッコ。農場博物館入口で出迎えてくれる。'10.2.23
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ところで、西武新宿線田無駅と西武池袋線東久留米駅を結ぶこの西東京市周辺は、戦時中に敷設されながらも正確な経路さえわからなかった中島飛行機専用線の謎を解明するために、18年ほど前に田無市・保谷市(現西東京市)の担当者とともに幾度となく調査した地域でした。東大農場の隣接住宅での聞き取り調査まで行っていながら、まさかその横に線路が残されていようとは...なんとも不覚でした。

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▲東大農場エントランスの道。とても東京都内とは思えないゆったりとした時間が流れ、市民の憩いの場ともなっている。'10.2.23
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■東大農場農場博物館
・開館日時:毎週火曜日・金曜日10:15?14:45(祝日・年末年始は休館)
・交  通:西武新宿線田無駅北口から徒歩8分
西武池袋線ひばりが丘駅から西武バスひばりが丘団地経由武蔵境行(境04)・ひばりが丘団地経由田無駅行(田43)で約10分「上宿住宅」下車徒歩3分
※本誌誌上で「農場博物館」が「農業博物館」となっていました。「農場博物館」が正当です。お詫びして訂正させていただきます。

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▲大谷眞一さんの「仙北旅情」はお母様の故郷・石巻線にC11を追い続けた魂の記録。一見では決して撮れない作品の数々とハートフルな紀行は必見。 (『国鉄時代』vol.21より)
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100327nh1.jpg発売中の『国鉄時代』vol.21が好評をいただいております。特集は「昭和50年」。本線蒸機が全廃となったこの年は、蒸機ファンには忘れられない年です。12月14日、室蘭本線の室蘭~岩見沢間でC57 135牽引の第225列車が旅客列車最後のさよなら列車となって、あらゆる方面から注目を集めましたが、その10日後の本線蒸機運転最終日、我が国最後の蒸機牽引列車となった夕張線上り貨物第6788列車は、賑々しいセレモニーもなく、ましてや装飾もなく、普段とほとんど変わらない姿で「蛍の光」が流れる中、夕張を後にしました。あれから35年...。

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▲追分駅で蒸機最終列車6788レを迎えた夜を克明に綴る奥井伴彦さんの「終焉の日に」。同時代体験した方でなくとも普遍の共感を呼ぶ名作。 (『国鉄時代』vol.21より)
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「終焉の日に」は昭和50年12月24日、蒸機最終列車に立ち合った記録。「鉄道少年最後の夏」は、室蘭本線・夕張線に残り少なくなった蒸機を追った日々の思い出、いずれも作者は当時高校生でした。一心不乱に蒸機を追いかけた時代の熱気が今に甦ります。

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▲「鉄道少年最後の夏」は高野陽一さんの、いや「昭和50年」の北海道を歩いた皆の青春記。がむしゃらな熱意だけが台風の迫る室蘭本線・夕張線で炸裂する。 (『国鉄時代』vol.21より)
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石北本線北見~網走間を走る1527・1528列車は、普通列車とはいえ、ロネ、ハネ、ロザを含む急行「大雪5号」の編成をそのままC58が牽引、蒸機終焉の半年前まで蒸機最後の誇りを担ってC58が最果ての大地で見事な走りを見せていました。この姿のいい列車に惹かれて、追い続けた記録が巻頭の「1527列車 有終の旅路」です。

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▲いわゆる"大雪くずれ"1527レは、「昭和50年」まで奇跡的に残った。鈴木 靖さんの「1527列車 有終の旅路」は1527レを追い続けた記録。その撮影範囲は上り勾配区間はもちろん、下り勾配区間にまで及んでいる。 (『国鉄時代』vol.21より)
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また、昭和50年は3月改正で電気機関車においても未曾有の大変革が起こった年でもあります。「「昭和50年3月改正における電気機関車の動向」は、直流機・交流機の配転の全貌を展望したもの。電機ファンにとっても「熱い時代」を感じさせる見逃せない記事となっています。

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▲「昭和50年」は蒸気機関車のみならず電気機関車の世界にも激変をもたらした。犬山徹夫さんの「昭和50年3月改正における電気機関車の動向」は、この改正とその余波で5形式が形式消滅するに至る当時の状況を詳述。 (『国鉄時代』vol.21より)
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一般記事も重量級の構成。地元のベテランファン・瀬古龍雄さんが30年間に亘る新潟でのC51の活躍を総括した「越後路のC51 奮闘の歴史を振り返る」では、C51が急行牽引に返り咲く「佐渡」を頂点に、名機の盛衰を克明に綴られています。さらに、「巨人機D52と御殿場線」「天下の嶮を走ったマンモス機」では、D52の咆哮が誌面に轟くパワフルな構成。石巻線にC11を追った「仙北旅情」は、じっくりと蒸機や風土と向き合った力作です。

特別付録DVDは釧網本線・根室本線の記録「北のC58」、C56の旅客列車をクローズアップした「木次線・飯山線」、そしてC11を追った「会津の煙」の3本立て。誌面と動画で多面的に甦る"あの時代"に、もう一度戻ってみられては如何でしょうか。

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HD300‐901ついに登場。

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▲公開されたHD300形901号機。車体の基本色は昼間の識別に配慮して視認性の高い「赤」を基調としている。なお、この赤色はEF510形のものと同一とのこと。'10.3.25 東芝府中事業所試験線 P:RM(新井 正)
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JR貨物が開発を進めてきた高性能電池技術を応用したハイブリッド方式入換機関車HD300形の試作901号機が完成、昨日メーカーの東芝府中事業所で報道公開されました。

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▲エンドビームは黄色と黒のいわゆる警戒色となっている。入換機だけあってデッキ部とランボード部に多くの手すりが設けられている。'10.3.25 東芝府中事業所試験線 P:RM(新井 正)
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▲主要機器配置図。セミセンターのキャブを挟んで1エンド側に主変換モジュールと蓄電池モジュールが、2エンド側に発電モジュールが搭載されている。 (JR貨物提供)
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同機は老朽化が著しいDE10形の置き換え用として開発が進められていたもので、環境にやさしいクリーンな機関車の開発をコンセプトに、現行の入換機関車と比較して、排出ガス は30~40%以上、騒音レベルは10デシベル以上の低減を目標としています。また、CO2排出量もエンジンの効率的運転と回生ブレーキの活用により大幅な低減が期待できます。

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▲そのキャブ。運転台レイアウトはDE10形と同様に前後方向に運転台が設けられ、運転士は横向きに座るかたちとなる。'10.3.25 東芝府中事業所試験線 P:RM(新井 正)
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▲HD300形の主な特徴。運転台からの視野や操車担当者の作業性の改善などにも配慮されている。 (JR貨物提供)
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国土交通省の鉄道技術開発費の補助を受けて開発されたハイブリッドシステムは、下図のように動力源としてエンジンと高性能蓄電池を持ち、石油エネルギーを電気エネルギーに変換し、これと蓄電池からの電気エネルギーを合わせてモーターに供給するシリーズ・ハイブリッド方式を採用しています。

100326nHD300fig4.jpgあらためて申し上げるまでもなく、シリーズ・ハイブリッドのシリーズとは直列のこと。エンジンはあくまで発電用として使用されるシステムです。ちなみに自動車の場合は、トヨタのプリウスが採用しているのが、発進時や低速走行時はモーターを用い、巡航時にはエンジンとモーターの双方を用いるシリーズ・パラレル・ハイブリッド方式、ホンダのインサイトが採用しているのが発進時や加速時にモーターがアシストするパラレル・ハイブリッド方式で、いずれも何らかのかたちでエンジンが直接、駆動に関わっています。現在のところシリーズ・ハイブリッドを採用した市販量産車は存在せず、その意味では鉄道が一歩先んじたことになります。
▲HD300形主要諸元表。 (JR貨物提供)
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▲シリーズ・ハイブリッド方式の力行時とブレーキ時の概念図。 (JR貨物提供)
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▲機器室側面にはハイブリッドをアピールするために「Hybrid」のロゴが描かれている。右はデッキ部に設置された作業用照明装置。'10.3.25 東芝府中事業所試験線 P:RM(新井 正)
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▲デッキ部には作業性に配慮して広いステップが設けられている。滑り止めのメッシュが左右で異なるのは実証試験のためとのこと。'10.3.25 東芝府中事業所試験線 P:RM(新井 正)
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▲ボルスタレス軸はり式のFDT102形台車(左/1エンド)とFDT102A形台車(右/2エンド)。永久磁石同期電動機が組み込まれている。'10.3.25 東芝府中事業所試験線 P:RM(新井 正)
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DE10形と比べ、運転整備重量は5tほど軽く(65t対60t)なっていますが、軸配置の関係から軸重は増加(13tから15t)しており、最大牽引力も増加(約19.5tfから約20tf)しています。さらに公表されたスペックによると最高運転速度は110km/h(回送時)と飛躍的に向上しており、これも駆動装置からすれば電気機関車の範疇に入るシリーズ・ハイブリッドならではといえましょう。

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▲最終期の金屋口駅を忠実に再現した鉄道交流館内の16番レイアウト終端部。車輌もすべて有田鉄道に在籍したものばかり。なお、現在の鉄道交流館は画面右前方の車庫の奥に位置していることになる。'10.3.20
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新設された瀟洒な木造平屋建ての鉄道交流館館内には、Nゲージと16番の2種類の大レイアウトが設置されています。Nゲージの方は面積17㎡に延長16mの線路を敷設、現代の有田川町に有田鉄道が残っていればという想定で見事なストラクチャーとシーナリィが展開します。ことに周辺観光施設をはじめとしたランドマーク的建物はすべてスケールダウンして配置されており、各所に再現された名産のみかん畑とともに、訪れた地元の皆さんに絶大な人気となっていました。

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▲鉄道交流館館内。落ち着いた木造平屋建ての館内にはNゲージ(カメラカー含む)と16番のレイアウトのほか、各種ヘッドマークなど有田鉄道の歴史を物語る資料も展示されている。'10.3.20
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▲接続駅の藤並駅は現在の橋上駅が模型化されている(Nゲージ)。もし有田鉄道線が現代まで生き延びていれば...という設定とのこと(左)。16番レイアウトはエンド・トゥ・エンドの線路配置で有田鉄道全線が再現されている。写真のパームツリーも現役時代を知る方には涙もののはず(右)。'10.3.20
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一方の16番の方は面積11㎡、線路延長11m。こちらは有田鉄道最終期を摸したものとなっており、もちろん途中駅もすべて忠実に再現されています。ことに終点の金屋口駅構内は、まさに"現地"だけに交流館の外の風景と見比べるのも楽しく、思わず見入ってしまいます。

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▲かつては金屋口から先、清水町までの延伸計画があったという。Nゲージのレイアウトではこの幻の金屋口~清水町間も作られており、終点の清水町駅は予定地周辺のストラクチャーまで考証のうえ再現されている。'10.3.20
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▲鉄道交流館のシンボルはキハ58、ハイモ、そしてD51のピクト(左)。右は交流館入口の受付・売店。'10.3.20
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このレイアウトの建設を含め、鉄道交流館館内ショップの運営は鉄道模型ジオラマでは広く知られる株式会社ディディエフ(DDF)が行っており、随所にその豊富なノウハウが活かされています。なお、この鉄道交流館の入館料は大人(高校生以上)200円、小人(小学生以上)100円で、Nゲージレイアウトの利用料金は1路線(50分間)平日500円、土日祝日600円、車輌貸出300円、ショートタイム(車輌つき15分間)300円となっています。

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▲金屋口鉄道保存会が大切にメンテナンスを続けている紀州鉄道キハ605(←岡山臨港鉄道キハ1003←常磐炭礦キハ21)。残念ながらエンジンは不動だそうだが、木製の車内をはじめ往年の姿がきちんと残されている。'10.3.20
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さて、この金屋口駅構内ではもうひとつ金屋口鉄道保存会が活動を繰り広げています。構内奥に保存されているのはディーゼル機関車1輌(DB20)、気動車1輌(キハ605)、それに貨車5輌。このうちディーゼル機関車は動態に保たれ、気動車はエンジンの不具合で不動ながら外装の再塗装など着々とメンテナンスが行われています。驚かされたのは無蓋車で、1輌は木製の煽戸を新製するなど涙ぐましい努力の末に、まるで新車かと見まごうほどにレストアされていました。

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▲DB20(もと三菱石油DB107)は有田鉄道カラーに塗り直されて動態にある(左)。右は蒲原鉄道からやってきた木造貨車たち。'10.3.20
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▲金屋口駅本屋は廃止時のままそっくり残されている。改札ラッチから見える光景はまるで現役時代のよう。'10.3.20
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なお、これらの保存車輌は金屋口鉄道保存会のボランティアの皆さんの管理によるものですので、交流館オープン時に合わせて公開されているものではないので注意が必要です。ただし、構内横の有田川の堤防道路から見ることは可能です。

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■和歌山県有田川町鉄道交流館
〒643-0801 和歌山県有田郡有田川町徳田124番地1
〔休館日〕
毎週木曜日(ただし木曜日が国民の休日にあたる場合は休まずに営業)、12月29日~1月3日
〔営業時間〕
10:00~17:00
〔アクセス〕
・JR紀勢本線藤並駅からは「鉄道交流館」のほか、「しみず温泉」や「かなや明恵峡温泉」など有田川町内の観光施設を結ぶ無料巡回バスを運行中。藤並駅から鉄道交流館までの所要時間は約15分。
・クルマの場合は阪和自動車道有田ICを金屋・清水方面へ出て、県道22号線を東へ。ICからの所要時間は約10分。

※「金屋口」が「金谷口」となっておりました。お詫びして訂正いたします。

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▲懐かしいエンジン音を響かせて、有田川鉄道公園内を走るもと有田鉄道キハ58 003。正面が鉄道交流館。'10.3.20
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本誌最新号の表4(裏表紙)広告でもご承知かと思いますが、去る3月20日(土曜日)に、旧有田鉄道の終点・金屋口駅構内に「和歌山県有田川町鉄道交流館」がオープンしました。2002(平成14)年12月31日限りで廃止された有田鉄道は、末期の営業距離はわずか5.6㎞。1日2往復の列車も学校が休みの土曜日と日曜日には全面運休と、まさに究極のローカル私鉄でした。廃止から足かけ8年、ふたたびあの有田鉄道が戻ってきたのです。

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▲有田鉄道の起点であった紀勢本線藤並駅は近代的な橋上駅舎に生まれ変わった。駅前はまだ整備中。藤並駅と有田川鉄道公園を結ぶ巡回ボンネットバス(右)も誕生した。'10.3.20
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▲鉄道交流館のウッドデッキには人力発電の乗用ミニ列車(左)も登場。右は鉄道公園エントランスに移設・保存されたD51 1085。'10.3.20
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そんな有田鉄道の跡地を旧吉備町(合併後は有田川町)が購入し、あわせて最後の在籍車輌キハ58 003とハイモ180‐101、そして保線用モーターカーの3輌を譲り受けて、有田川町鉄道公園を計画、2年ほど前から着々と準備が進められてきました。

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▲レールバス・ハイモ180-101(右)とのツーショット。模擬運転が行われる構内の軌道は新たに敷き直されたもので、整備が行き届いている。'10.3.20
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この日オープンした旧金屋口駅跡の鉄道公園内には延長約140mの線路が敷き直され、木造平屋建ての瀟洒な鉄道交流館が新築されました。ホームをイメージしたという正面のウッドデッキからは構内をデモンストレーション走行するキハ58 003やハイモ180‐101をゆったりと眺められるほか、交流館内にはNゲージと16番(1/80)の、どちらも有田鉄道とその周辺をモチーフとした模型レイアウトが設置されています。

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▲樽見鉄道からやってきたレールバス・ハイモ180-101も動態で構内を運転。有田鉄道末期の主力車輌だった同車は初期のLe-CarⅡとしても貴重な存在。'10.3.20
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▲町所有の保線用のモーターカー(画面中央)も動態にある。左に見えるDB107は金屋口鉄道保存会の保存車輌。右は構内運転を担当する有田鉄道最後の運転士でもあった東内照幸さん。'10.3.20
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驚かされたのは鉄道公園入口の看板とともに展示されているD51 1085号機です。同機は国鉄蒸機最末期まで活躍した一輌で、1976(昭和51)年に岩見沢で廃車、翌1977(昭和52)年から藤並駅東口に保存展示されていたものですが、なんとこの鉄道公園オープンに合わせて2月13日から14日にかけて移設されたそうで、今回の計画に賭ける有田川町の意気込みが感じられます。

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11時からのグランド・オープニングののち、きれいに整備されたキハ58 003が交流館前を発車、ひさしぶりに金屋口に懐かしいエンジン音が戻ってきました。運転するのは有田鉄道最後の、しかもたった一人の運転士であった東内(とうない)照幸さん71歳。キハ58を名乗りながらも2個エンジンのうち1基を取り外してしまっているものの、長年苦楽をともにしたキハ58に久しぶりに"乗務"する東内さんは感無量の面持ちでした。

※「金屋口」が「金谷口」となっておりました。お詫びして訂正いたします。

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▲C62重連の急行「ニセコ」にテーマを絞った全紙57枚は、104レ小樽築港出区から103レ帰着までを時系列で追ったドキュメンタリーとしてまとめられている。'10.3.19
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今日から東京・六本木の富士フイルムフォトサロンで荒川好夫さんの写真展「北海道 冬 -蒸気機関車C62栄光の記録-」が始まりました。鉄道写真のフォトライブラリーRGGを主宰される荒川さんは、かつては国鉄広報部のオフィシャルカメラマンとしても活躍され、現場に密着した数々の名作を残してこられました。

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▲会場は東京・六本木の中心部に位置する富士フイルムフォトサロン。ゆったりとした会場に掲げられた作品は、モノクロだからこそのしっとりとした落ち着きを醸し出している。'10.3.19
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そんな荒川さんが仕事を超えて撮影にのめり込んだのが、かのC62重連急行「ニセコ」でした。前身の「ていね」(昭和43年10月ダイヤ改正で「ニセコ」に改称)時代から幾度となく撮影に取り組んでこられた荒川さんですが、いよいよ引退が迫った1971(昭和46)年1月、集中的に撮影に臨むことを決意、翌2月にかけて実に21日間にわたって、「ニセコ」を撮り続けられたと聞きます。

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▲そのプリントの美しさにも注目。被写体こそ還らぬものとなってしまったが、見ているうちにもう一度銀塩モノクロに回帰したい思いも強まるに違いない。'10.3.19
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▲荒川さんのカメラアイは単にC62重連にとどまらず、「ニセコ」を取り巻くあらゆる事象に向けられている。ホームのそば屋の湯気(左)、通過する上目名駅で見送る駅員(右)、そして限界状況のキャブで奮闘する乗務員...ドキュメントならではの力がそこにある。'10.3.19
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しかもその撮影は沿線での列車写真にとどまらず「ニセコ」という列車そのものをドキュメンタリーとして捉えようという強い意志の下に行われており、展示作品57点を通観するに、"時代の空気"までもが蘇ってくるような気がいたします。同時代を体験された方は少なくない(かく言う私もその一人ですが...)はずですが、"お立ち台"での撮影を終えると、銀箱にカメラをしまってしまう方が大半だったのではないでしょうか。待合室で燃え盛るストーブ、雪のホームで温かそうな湯気を上げるそば屋、C62重連の奮闘なぞ気にもかけずに車内で寛ぐ出張族...この写真展を目にして、そんな当たり前の光景こそが、あの急行「ニセコ」の欠くべからざる構成要因であったことに気付かされるのです。
そして荒川さんご本人とも期せずして同じ話題となったのが、あの倶知安の"ろくさん"(アーカイブ「さようなら倶知安の"ろくさん"」参照)のことです。荒川さんも幾度となく"ろくさん"こと高田緑郎さんのお世話になったそうで、この写真展を前にして高田さんが帰らぬ人となってしまったのは、かえすがえすも残念でなりません。"ろくさん"が日々運行を支えてきた「ニセコ」は、40年の時を経ても、こうして多くの人の心に残り、さながら磁場のように人々を引きつけているのです。

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▲あれから40年「後志の山間で多くの人・物を運ぶその勇ましい姿は、青年時代の私を魅了して止まなかった」と振り返る荒川好夫さん。'10.3.19
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実は今回の展示作品のうちの何枚かは『感動の所在地』所収の114ページにわたる長編「C62急行「ニセコ」怒涛の256㎞」で使わせいただいております。そして多くの方から共感をいただいた同連載のラストを締めくくる結言の一枚も荒川さんの作品でした。言い換えれば荒川さんの「ニセコ」なくしては連載「感動の所在地」は大団円を迎えられなかったわけで、今回の写真展で原画を拝見しながら感無量の思いでした。

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この荒川好夫さんの写真展「北海道 冬 -蒸気機関車C62栄光の記録-」はモノクロフィルムの素晴らしさを再認識させてくれるものでもあります。なぜかデジタルでは希薄な"実在感"は銀塩ならではのものでしょう。「ニセコ」世代はもちろんのことながら、必見の写真展です。

※連休中は不在のため小ブログは休載とさせていただきます。24日より再開予定ですので、あしからずご了承ください。

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▲18時48分30秒、「しんちゃん退職記念号」こと9813Mが定刻どおり磯子駅2番線に入線。'10.3.17 磯子
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「プロフェッサー吉岡」またの名を「タンク屋しんちゃん」こと、貨車研究の泰斗・吉岡心平さんがご本業を定年退職され、昨晩はその「退職記念列車」にお招きをいただきました。

100318IMGP3428.jpg吉岡さんは長年にわたって東芝の研究開発部門の重責を担っておられましたが、このたびめでたく定年を迎えられました。「しんちゃん退職記念号」は、長年職場をともにした皆さんと、趣味のお仲間が企画、お座敷電車「宴」を借り切ってのたいへん大がかりなものです。

▲お座敷電車「宴」に次々と乗り込む参加者の皆さん。車内では記念のお弁当とともに、「しんちゃん退職記念号9813M~9814M運転区間貨物駅の変遷」や「吉岡心平 貨車関係著作一覧」など貴重な資料も頒布された。'10.3.17 磯子
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▲吉岡心平さんは各車を回ってご挨拶。と言っても通り一遍の挨拶ではなく「プロフェッサー吉岡」ならではの蘊蓄も...。'10.3.17
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▲「しんちゃん退職記念号 運転区間貨物駅の変遷」と題して、RMライブラリーでもお馴染みの渡辺一策さんが直々に解説(左)。「タンク屋しんちゃん」の信奉者のひとりでもある小倉沙耶さんもはるばる駆け付けてくれた。小倉さんは毒劇物取扱と危険物取扱の免許取得の際にタンク車に興味を持って以来の筋金入りのタンク車ファンでもある。(右)'10.3.17
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運転はお勤めの東芝の最寄駅、根岸線の磯子から東海道本線根府川への往復。平日とあって、お仕事が終わった職場の皆さんが間にあうように、18時49分(30)の発車に設定されました。ただ、そこはほかならぬ「タンク屋しんちゃん」の退職記念列車。大船で根岸線から東海道貨物下り本線を経由して相模貨物駅を通過するという趣向も忘れてはいません。大船で列車が東海道旅客線を乗り越えるオーバーパスにさしかかると、車内では大きな拍手がわき上がっていました。

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▲19時40分に根府川駅中線に到着、21時25分の折り返し発車までしばしの休息...といっても車内はいよいよ盛り上がって佳境となっている。'10.3.17 根府川
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列車は1号車から6号車までの6輌編成。約130名の方が乗車されましたが、1~3号車は主に会社関係の方、4・5号車が趣味の仲間、そして6号車が自らが主宰される貨車研究者協会のメンバーを中心とした皆さんと、車内を下り方に進むに従って話題もコアなものとなってゆくのが、いかにも「しんちゃん退職記念号」らしく思われました。

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▲5号車でご一緒させていただいた皆さんと。吉岡さんのお隣はお嬢様。'10.3.17
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根府川の中線で1時間45分ほど停車したのち、列車は今度は上り9814Mとして21時25分に発車、21時43分にはふたたび相模貨物駅を通って、往路と逆コースを磯子へととって返しました(磯子22時12分着)。
今後、吉岡さんは貨物鉄道博物館の副館長はもとより、執筆活動もより一層パワーアップされるとうかがっております。本誌連載はじめ、RMライブラリーでもますますのご活躍を期待しております。

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進むJR西日本の単色化。

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▲可部線を行く「濃黄色」第一号の115系3000番代N-05編成。すでに「幸せの黄色い電車」として親しまれているという。'10.1.24 三滝-安芸長束 P:田中真一
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本誌誌上でも「追跡!!JR西日本新塗装化計画」と題して連載形式でその進捗状況をお伝えしておりますが、広島支社に端を発したJR西日本の車輌塗色単色化が急速に広がっています。

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▲試9362Mで北陸本線を行く「茜色」に塗り替えられた415系800番代C7編成。一見すると50系客車のイメージだ。本来ならば北陸地区の「青系」を塗装と思われるが、金沢駅での北陸本線用電車への誤乗防止にこの「茜色」が採用されている。'10.2.17 倶利伽羅─津幡 P:湯浅 啓
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これまでに山口鉄道部、岡山支社岡山電車区気動車センター所属気動車の「朱色」、下関地域鉄道部下関車両管理所の115系3000番代の「濃黄色」、金沢総合車両所の475系の「青色」が登場していますが、先月、金沢総合車両所の七尾線用415系800番代が「茜色」となって出場、これで4色目がお目見えしたことになります。

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▲北陸地域色は「青色」。この475系A18編成がその第一陣となった。'10.2.8 松任 P:湯浅 啓
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七尾線カラーとも言える「茜色」に変身したのは金沢総合車両所の415系800番代C7編成(クモハ415-807+モハ414-807+クハ415-807)。先月2月18日に金沢総合車両所を出場しています。沿線の有名な漆塗りをイメージしたこの単色は、シックな仕上りで、出場後に行なわれた本線試運転では、誕生ホヤホヤの「青系」の475系A18編成とホームを挟みながらもご対面。単色の並びが早速に実現しています。このC7編成は翌18日の金沢6:12発─825M─高松6:49着の七尾線普通列車で営業列車に充当されました。

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▲105系初の単色車がついに登場した。可部線・呉線で活躍する広島運転所のK05編成が「濃黄色」化された。'10.3.8 幡生 P:大場伸道
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「濃黄色」も下関地域鉄道部の115系3000番代N-05編成(2扉車)に続き、一般的な3扉車の広島運転所の115系L21編成(クハ115-2109+モハ115-2022+モハ114-2022+クハ115-2014)が第二陣として登場しています。さらに3月に入ると9日に、広島運転所の105系K05編成(クモハ105-19+クハ105-19)が「濃黄色」化されて下関地域鉄道部下関車両管理室を出場しています。

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▲一般型気動車の朱色単色化も急速に進んでいる。写真は出場したばかりの山口鉄道部キハ47 95。'10.1.29 幡生 P:大場伸道
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ちなみに下関地域鉄道部のクモヤ145-1124が全般検査で入場し、果たしてどんな塗色となるのか注目されましたが、事業用車は単色化の対象外のようで、従来通りの青色と警戒色で出場しています。

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▲保線用工事列車の廃止にともない不要となった無蓋車トム301形を横瀬へと廃回するE31形プシュプル列車。折しも下り本線をレッドアローが追い抜いてゆく。'07.6.10 吾野 P:名取紀之
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先月号から本誌誌上で連載をしている西武鉄道の電気機関車E31形が、なんと再来週3月28日にファイナルランを行ってその姿を消すこととなりました。

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▲プシュプル列車の先頭にたつE31形E33。このE33号機は僚機よりひと足早く昨年1月末日付けで廃車され、現在では横瀬に保存されている。'07.6.10 吾野 P:名取紀之
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E31形は1986(昭和61)年から翌1987(昭和62)年にかけて4輌が製造された、大手私鉄最後の新製電気機関車です。"新製"といっても製造は自社の所沢車輌工場。台車や主電動機をはじめ多くの部品は同工場のストック品の流用で、今はなき所沢車輌工場ならではの、いわば忘れ形見とも言える存在でした。

100316n078.jpg新製当時、西武鉄道にはディッカーやウェスチングハウス、さらにはブラウンボベリーといった歴史的電気機関車5輌が在籍しており、西武秩父線内でのセメント輸送の旗艦であったE851形とともに貨物列車の牽引にあたっていました。しかし、すでに一般貨物輸送は減少の一途で、E31形は当初から保線用工事列車の牽引を主目的として誕生しました。ちなみに夜間の線路保守作業は、終電と初電の間隔が短い大手私鉄にとっては大きな悩みの種で、都市部ゆえ保線基地を各所に設けるわけにもいかず、終電後に郊外の保線基地から資材を運搬せねばなりません。この際に足の遅いモーターカーではなにかと不自由で、線路閉鎖をかけずとも本線上を走行できる機関車の存在は実に有用だったのです。E31形もそんな需要を背景に誕生しましたが、保線車輌の急速な進歩とともに2006(平成18)年度に新宿線、2008(平成20)年度に池袋線の工事列車が廃止されたのにともない、最近では新秋津を経由する甲種輸送に用いられるだけとなってしまっていました。
▲コロ軸化されたトム301形306。最盛期には100輌を越えたトム301形も、最後は数輌が保線用に活躍しているのみだったが、現在では全車廃車されてしまっている。'07.6.10 吾野 P:名取紀之
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▲E33+トム+ホキ+E34の編成で発車を待つ下り貨物列車。無蓋車を従えた姿は2008年を最後に見ることができなくなってしまった。'07.6.10 芦ケ久保 P:名取紀之
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西武鉄道ではこの引退を受けて、来る3月28日(日)に「E31形電気機関車 さよならイベント」を開催します。イベント当日は、E31形が三重連で横瀬―西武秩父間を1往復するさよなら運転が行なわれるほか、横瀬車両基地ではE31からE34まで4輌を並べての撮影会、貨車牽引の実演、「さよなら記念乗車券」の発売や写真展示などの各種催しが開かれます。

100316e31004.jpg■開催日時:2010(平成22)年3月28日(日) 10:00~14:30(雨天決行・荒天中止)
■開催場所:横瀬車両基地
■入場料:無料 ※現地までの交通費は各自負担
■アクセス:西武鉄道西武秩父線横瀬駅下車 徒歩5分

■イベント内容
①E31形さよなら運転・撮影会・貨車牽引実演
②さよなら記念乗車券(3枚1セットの硬券、980円)の発売
 ※3,100セット限定発売、一人2セットまで
 ※当日会場限定発売で、売り切れ次第販売終了
 ※転売目的の購入は不可
③子ども向け制服撮影コーナー
④ミニSLの運転
⑤E31形グッズ(タオル等)の発売
⑥鉄道むすめVol.10(井草しいな)の先行発売(500個限定)
⑦フワフワ等遊具の設置
⑧飲食売店の営業
※E31形電気機関車以外の展示、運転台見学、鉄道部品の販売はない

▲「南入曽車両基地 電車夏まつり」での展示を終えて横瀬車両基地に回送されるE31+E34+E32。さよならイベントでは三重単で横瀬―西武秩父間を一往復する。'08.8.30 新所沢―航空公園 P:小野雄一郎
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●E31形さよなら運転
 E31+E32+E34の三重連で横瀬―西武秩父間を1往復
 【運転時刻】
  横瀬11:15発→西武秩父11:20着(展示)
  西武秩父12:00発→横瀬12:05着。

  ※さよなら運転には乗車できない
■その他
○安全確保のため、指定場所以外の線路内立ち入りは厳禁、係員の指示に従うこと
○横瀬車両基地以外の鉄道敷地内および沿線私有地での撮影は禁止
○運行上の都合により変更または中止になることがある

▲所沢から分岐してJR武蔵野線新秋津に向かうE31+E34+247F。E31形が車輌を牽引するのはこの列車が最後となるだろう。'10.2.27 所沢―武蔵野線新秋津 P:小野雄一郎
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このE31形の引退により、ついに関東の大手私鉄で電気機関車を所有する会社はなくなってしまいます。全国に目を向けても大手ではあとは名古屋鉄道のみ、中小私鉄を含めても電気機関車を所有(稼働状態になく車籍のみ残すものも含む)する会社は18社、定期運用が組まれているのはわずか4社というのが現状です。引退する3輌が今後ふさわしい再雇用先を見つけてくれるのを祈るばかりです。

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▲朱色5号=国鉄首都圏色、いわゆる"たらこ"塗装に塗り替えられたキハ40 777。昨日3月14日から営業運転入りしている。'10.3.14 根室本線釧路 P:情野裕良
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JR北海道釧路支社では、釧路運輸車両所配置のキハ40形3輌を登場時の国鉄色(首都圏色)に復元することとなり、このほどその第1号が登場しました。先日「くしろ海底力モニター見学会&体験会」のレポート(→こちら)をお送りくださった釧路臨港鉄道の会のメンバー・情野裕良さんから速報をお送りいただきましたのでご紹介いたしましょう。

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▲釧路駅で発車を待つ塗色変更後の初列車、釧路発白糠行き2580D。'10.3.14 根室本線釧路 P:情野裕良
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JR北海道のキハ40形の国鉄色(首都圏色)と言えば、「ぽっぽや号」の撮影・増結予備車として758号車が一時的に塗色変更されて以来のことです。記念すべき塗色復活第1号は、特別保全工事未施行車で、地元では知られた存在の「777号車」が選ばれ、昨日3月14日(日)の2580Dから運用を開始しました。

100315MG_5625.jpg釧路支社は、こだわりを持って777号車を塗色変更第1号に選ばれたようで、プレスリリースに「記念すべき塗装1両目の車両番号は、縁起のよい"777"です!」と紹介しています。運用は固定されておらず、乗車派の憧れの存在・滝川~釧路間の2429Dをはじめとして、根室本線・釧路以西滝川までキハ40形の全運用に入りますので、出会えるかどうかは運次第となりそうです。残る2輌は4月下旬までに登場する予定ですが、すべてが未更新車となるかは、はっきりしていないようです。
▲年季の入ったサボが朱色5号の車体と絶妙なマッチングを見せる。'10.3.14 根室本線釧路 P:情野裕良
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どちらかと言えば、レイルファン向けのアピールが少なかった釧路支社ですが、海底力モニターツアーや釧路市立博物館主催の蒸気機関車機関庫での市民講座なども実現していただき、「SL冬の湿原号」に加えて、地域活性化に資する取り組みを始めてもらえたことは、大変うれしく思います。

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▲今後はあと2輌が塗色変更を予定されており、釧路地区の新たな名物となってゆくに違いない。'10.3.14 根室本線釧路 P:情野裕良
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当会でも、機会あるごとに国鉄色復活をお願い(ささやき?)し続けてきましたので、喜びもひとしおで、ぜひ、国鉄色キハ40を活用したファン向け企画を実現したいと願っています。
結びに、JR釧路支社からのお誘いです。
「国鉄時代に塗装されていた「昔懐かしの色(国鉄色) 」をペイントし、根室本線を運転します。アラフォー世代の通学の足として、また団塊世代にも馴染みの深いこの列車の色で昔を思い出し、郷愁の旅に出掛けてみませんか?」

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▲ジョンさんは大の日本食好き。おまけに酒も日本酒ときている。東京の地酒「澤ノ井」を嗜みながら、愛用のMacで世界各地のインダストリアル・ナローを見せてくれる。映し出されているのはかつて小ブログでも紹介した(→こちら)ウィーンの特別養護老人ホームの「給食軌道」。

ナローゲージ、とりわけインダストリアル・ナローの分野では世界的に知られるJohn Raby(ジョン・レイビー)さんがひさしぶりに来日、写真家の都築雅人さんのアテンドで再会を果たすことができました。ジョンさん(都築さんはじめ"ジョンさん"が通称となっているため失礼ながら...)とは、かれこれ20年近く前に英国の蒸気機関車研究家として知られるエドワード・タルボットさん(→こちら)を介して知り合い、同じナローゲージャー、しかもお互い嗜好が似ていることもあり急速に親しくなりました。

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▲私が英国の"NARROW GAUGE NEWS "で紹介した中国・遼東半島の塩田ナロー(→こちら)を見てからすっかりはまったというジョンさん。次々と未発表の塩田ナローを発見してきている。写真の客車は廃車体かと思いきやこれでも現役。P:John Raby

オックスフォード・ユニバーシティ・プレスの台湾マネージャー時代は、まだ台湾各地に残っていた炭礦軌道の悉皆調査を実施され、私も何度かの台湾訪問時にはその情報をおおいに活用させていただきました。その後、日本に移住され、城西国際大学の助教授を務める傍ら、アジア各地のインダストリアル・ナローをしらみつぶしに訪ねられ、その成果を主にムービーとして発表してこられました。

100312IMGP3358.jpg日本在住時には何度か撮影をご一緒したことがありますが、朝食をとりに入ったドライブインで一人だけ「和定食」をたのむほどの日本通で、日本の鉄道、とりわけトワイライトゾ~ン的世界に強いシンパシーを感じておられました。このたびの再会でもまず飛び出してきた質問が「トワイライトゾ~ンは続いているのか?」で、これにはこちらがびっくり。聞けばこの日も岳南鉄道の撮影後、製紙工場のナローの痕跡をたどってきたとかで、国境を越えたその行動力にはいまさらながらに驚かされます。
▲プレゼントしていただいた最新作DVD。中国のSand(砂)、Salt(塩)、Reed(葦)、Coal(石炭)で活躍する現役インダストリアル・ナローをまとめたもの。その道の者であれば垂涎の一枚。ちなみにレーベルにもなっているReed(葦)は、製紙原料搬出用軌道のこと。
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私と同じ英国ナローゲージ・レイルウェイ・ソサエティ(NGRS)のメンバーであるとともに、インダストリアル・レイルウェイ・ソサエティ(IRS)の主要メンバーでもあるジョンさんは、これまでにも数多くの映像をDVDとして発表してこられましたが(下記リンク参照)、今回は昨年まとめられた中国の現役インダストリアル・ナローの集大成をお土産に頂戴いたしました。聞けばこの撮影の端緒は、私がNGRSの"NARROW GAUGE NEWS "に発表した記事(→こちら)だそうで、なんとも光栄なことです。

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▲さながら爆弾のようなこの奇怪な物体も機関車。超小型のエア・ロコ(圧縮空気機関車)で、近年注目の的となっている英国のプライベート・サイト"Statford Bahn"で保存されているもの。P:John Raby

こちらからはプレゼントにRMライブラリーでご興味のありそうなタイトルを何冊かお渡ししましたが、巻末の英文サマリーを食い入るようにご覧になられ、翌日いただいたEメールでも"They are brilliant."と最大限の賛辞を頂戴いたしました。

100314IMGP3357.jpgところで、ジョンさんとの再会は寝台特急「北陸」最終日前日の11日夜。かつてこのブログでも触れましたが、十年近く前に"英国からの友人"を立山砂防軌道に案内する際、「世界的にも珍しいナローゲージのスリーパーに乗りたい」とリクエストされた...その"英国からの友人"こそジョンさんだったのです。思えばその時アテンドされていたのも都築雅人さん。「北陸」の寝台に窮屈そうにおさまりながらも、ジョンさんは大満足の様子でした。あの時乗った「北陸」は明日の夜ファイナルを迎えると伝えると、その不思議な偶然にジョンさんも感無量の様子でした。
▲ひさしぶりの再会だけに話題は尽きず、あっという間に時間が過ぎてゆく...。P:都築雅人
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※ジョンさんの各種DVDのサンプルは→こちら

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JR北海道では、軽量化などのメリットがあるアルミ合金製車体の寒冷地における状態を検証することを目的に、札幌圏用通勤電車の試作車として"735系通勤型交流電車"の開発を進めていますが、このたびその概要が発表されました。
▲アルミボディとなる735系エクステリアのイメージ。 (JR北海道提供)
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735系はJR北海道として初めてボディにアルミ合金を採用(先頭部分は従来通り鋼鉄製)し、客室は片側3扉のオールロングシートで通勤時の混雑緩和を図っており、さらに客室設備もバリアフリー・ユニバーサルデザインを考慮したものとなっています。既存の車輌より約10cmの低床化を実現し、乗降口をノンステップとしたほか、車内設備は吊り手の設置数や配置の見直し、手すりの増設など使いやすさが考慮されています。また、今までよりスペースを拡大した車いす対応トイレ、車いすスペースなども設置される予定です。

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▲吊り手の設置数や配置を含め見直しが行われるインテリア。 (JR北海道提供)
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編成は3輌編成(1M2T)で、最高運転速度は120km/h。速度0km/hまで回生ブレーキが有効な全電気ブレーキを通勤・近郊車輌としては初めて採用したことなどにより、省エネ、省メンテナンス性能の向上が図られています。3輌編成での定員は428人(座席148人)。なお、立席定員算定基準見直しにより定員数は減少していますが、実質的なスペースは731系と同等(731系3輌編成の定員は433人)で、既存の731系や721系と連結して運転することも可能です。

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▲735系の編成の概要と在来車輌との比較。 (JR北海道提供)
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 今回投入されるのは3輌編成×2本の6輌で、車輌完成は本年3月。完成後は低温時や降雪時における車体断熱性などを検証する走行試験を来年度にかけて実施する計画で、試験を実施しない夏期には営業列車として使用される予定となっています。

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▲23時30分、最後の「能登」発車まであと3分...間もなく半世紀にわたるボンネット車の歴史が終わろうとしている。'10.3.12 上野

ついにこの日がやってきてしまいました。明日3月13日(土)のJRダイヤ改正を前にして、寝台特急「北陸」と夜行急行「能登」の最終列車が、上野・金沢それぞれの始発駅をあとにしたのです。

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▲上野駅13番線は夜の帳とともに熱気に包まれた(左/プレスエリアから撮影)。14番線との間に描かれた「北陸」のヘッドマークも明日からは主を失う(右)。'10.3.12 上野
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上野駅の発車番線は両列車ともに13番線。すでに日中から名残を惜しむ多くの方が地上ホームに詰めかけ、限定で販売されている「さようなら北陸弁当」と「ありがとう能登弁当」もたいへんな人気を博していました。
仕事の関係で私が上野駅にたどり着いたのは21時を回っており、すでに13番線ホームには「北陸」の入線を待つ人垣ができていました。

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▲記念弁当を販売する売店は大賑わい。何人もの売り子さんが声をからしてアピールを続ける。'10.3.12 上野

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▲記念弁当(左)も大人気なら、ホームに隣接して特設された記念グッズ売り場も長蛇の列(右)。'10.3.12 上野
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22時45分、EF64 1052〔長岡〕に推進された14系客車が姿を現しました。最後の下り「北陸」です。寝台券はさすがに発売即完売だったそうで、リネンのセッティングを待ってプラチナチケットを手にした方々が次々と車内へと消えてゆきます。いっぽうホーム上はこの頃からほとんど満員電車状態の混雑となりはじめ、ついに東京方頭端部と連絡橋階段で入場規制が始まりました。

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▲いよいよ推回で「北陸」が入線。日々当たり前のように繰り返されてきたこの光景も今日で見納め。'10.3.12 上野

聞くところでは13番線に集まった人は何と約3000人。次第に一杯機嫌で帰路につこうとしていた通勤客までもが何だ何だとばかりに集まりはじめ、コンコースも人だかりとなってきました。しかも、どなたも携帯電話を取り出し、そのカメラ機能や動画撮影機能を使って"にわかカメラマン"と化すところはひと昔前なら考えられない光景です。

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▲コンコースの発車案内表示にも人だかりが...。携帯をかざして撮影する女性の姿も(左)。右はホーム各所に貼られた注意書き。「?安全により多くのお客さまに撮影していただくためのお願いです」とありがたい配慮に感謝。'10.3.12 上野
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沸き起こる拍手に送られて「能登」が発車してゆき、そのテールライトが見えなくなった時、あらためてひとつの時代が幕を閉じたことを実感しました。それは"ニューブルートレイン"と呼ばれた14系寝台編成の終焉、ボンネット車の定期運用消滅、そして上野駅から「急行列車」そのものが消えることをも意味しています。

■上野発「北陸」「能登」最終列車の編成
●9011レ金沢行 寝台特急「北陸」
EF64 1052〔長岡〕、⑧スハネフ14 30、⑦オハネ14 91、⑥スハネ14 752、⑤スハネフ14 27、④スハネ14 756、③オロネ14 703、②スハネ14 701、①スハネフ14 20(尾久車両センター)
●9611M金沢行 急行「能登」
⑨クハ489-5⑧モハ489-13⑦モハ488-13⑥モハ489-20⑤モハ488-205④サロ489-25③モハ489-30②モハ488-215①クハ489-505(金沢総合車両所H03編成)

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▲3号車A寝台の札差しには「ありがとう さようならブルートレイン北陸」の惜別札が...。'10.3.12 上野

改正日跨り列車ゆえ、列車番号も9000番代に変更された「北陸」と「能登」。下り9011レ「北陸」の金沢着が6時26分、9611M「能登」の金沢到着が6時29分、いっぽうの上り9012レ「北陸」の上野到着が6時05分、9612M「能登」の上野到着が6時19分...改正日の朝日が昇る前に、半世紀にもわたった「北陸」とボンネット車の歴史が幕を閉じます。

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PENTAX 645Dついに登場。

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▲11日からパシフィコ横浜で開催されるカメラと写真映像の情報発信イベント「CP+」での展示を前に、ひと足お先にPENTAX 645Dを持たせてもらう。グリップ感は645NⅡと比べても素晴らしく向上している。'10.3.10
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昨日(10日)、HOYA株式会社PENTAXイメージング・システム事業部から、ペンタックス初の中判デジタル一眼レフカメラ「PENTAX 645D」が発表されましたが、なんといち早く現物をお持ちいただくことができました。

100311IMGP3327.jpg実はこのペンタックスの中判デジタル一眼レフカメラに関しては、数年前から小誌編集部でもその構想をうかがっており、開発統括部の皆さんにご来社いただいてミーティングを行ったことさえあります。しかも一時、開発中断の報も流れただけに、実際の製品を目にすることができて、まるでわが事のように嬉しさがこみ上げてきました。あらためて申し上げるまでもなく、鉄道写真とともにあったと言っても過言ではないペンタックス中判フィルムカメラは、昨秋の「PENTAX 67Ⅱ」「PENTAX 645NⅡ」生産終了でそのファミリー・ツリーが途絶えてしまいましたが、この「PENTAX 645D」の誕生によって、再びデジタルという枝葉を伸ばしはじめたわけです。
▲パシフィコ横浜への搬入の道すがら説明に立ち寄ってくださった商品企画グループの前川さん(左)とPRチームの内藤さん(右)。'10.3.10
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▲足かけ5年...かつてその構想をお伺いした時と同じ弊社会議室で「製品」を目にできるとは感激。しかも「こんなものも持ってきました」と取り出されたのは...。'10.3.10
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▲アルミダイキャストのスケルトンボディ。意外なほど軽く、レーシングカーのシフトノブのような手触りに思わずこれ自体を欲しくなってしまう。'10.3.10
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実際に市場に出るまでにはまだ多少のリファインが加わるとはいうものの、お持ちいただいた個体はシャッターはもちろんすべてが機能しており、室内ながら"試し撮り"もすることができました。想像していたより多少大きい印象ですが、実際にホールディングしてみるとそのグリップ感は抜群で、これまた想像よりも明るいファインダーとともに、再び中判に返り咲きたくなってきます。シャッター・リリースの感触やシャッター音も適度に存在感があり、中判カメラならではの"撮った感"が残されているのも好印象です。

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▲有効約4000万画素という超高精細画像を実現させ、"中判のペンタックス"の面目躍如たる中判デジタル機PENTAX 645D。P:HOYA株式会社PENTAXイメージング・システム事業部提供
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この「PENTAX 645D」は35ミリ判の約1.7倍もの面積サイズを誇る44mm×33mmという大型で高性能なイメージセンサー(Kodak社製高性能CCD)を搭載し、独自の画像処理技術などにより、有効約4000万画素の超高精細で圧倒的な解像力が得られる高画質画像を実現しています。アウトドアで試写された画像をPC上で拝見しましたが、極めて微細な部分を拡大してもその画質は圧倒的で、逆によくぞレンズの性能が追いついているなと感心するほどです。実は「PENTAX 645D」の開発に合わせて、光学系に高性能ハイブリッド非球面レンズを用いてデジタル撮影に最適化した光学設計の「D FA645」レンズが開発されており、第一弾として短焦点タイプの標準レンズ「smc PENTAX-D FA645 55mmF2.8AL[IF] SDM AW」(35ミリ判換算で焦点距離43.5mm相当)が発売されます。

100311FA645_55mm_F2.8AL.jpgこのほかにも、SD/SDHCメモリーカード用メモリーカードスロットを2基搭載し、記録形式に応じて画像を記録するカードを振り分けたり、片方を同じデータのバックアップに使用することもできる機能など数々の興味深いスペックが並んでいますが、詳細は同社のリリース(→こちら)をご覧いただくこととして、個人的にシンパシーを感じたのは撮影者の意図や撮影シーンに応じて画像仕上げを選択できる全8種類の"カスタムイメージ"機能の中にある"リバーサルフィルム"です。これは現在広く使われているリバーサルフィルムの仕上がりに近づけた"カスタムイメージ"だそうで、こんなところにも"中判のペンタックス"の拘りを見てとることができます。
▲ボディのみならず645判フィルムサイズをカバーするイメージサークルを備えた「D FA645」レンズも開発。第一弾としてリリースされるのは単焦点標準レンズ「smc PENTAX-D FA645 55mmF2.8AL[IF] SDM AW」。5月中旬発売予定で、実勢価格は10万円前後となる模様。P:HOYA株式会社PENTAXイメージング・システム事業部提供
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▲その背面。すべての操作系が大きくゆとりを持ってレイアウトされている。画像モニターは3.0型約92.1万ドットの大型液晶。アイカップも従来より柔軟性に富んだものとなっている。'10.3.10
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ペンタックス645の開発に関わられ、リタイヤされた今では『国鉄時代』でもお馴染みの庄野鉄司さんをはじめ、同社の開発・設計部門には驚くほどレイルファンが多く、今回の「PENTAX 645D」開発にも"同好の士"が深く関わられていると聞きます。
気になる販売価格はオープン価格ながら実勢80万円前後となる見込みで、もちろん従来の中判用レンズが有効活用できますから、ペンタックス中判ユーザーにとっては何よりも気になる存在でしょう。発売は5月中旬とアナウンスされています。

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▲コロラド・ロッキーのシンボルでもあるアスペン(ポプラ)の紅葉のピークは一週間ほど。眩いばかりの黄金色に輝く森の中を行くD&SNG鉄道の列車を捉えたこの作品はヘリコプターによる空撮。 (写真展案内ハガキより)

今週月曜日から古川 享さんの写真展「古川 享 写真展 -コロラド山岳鉄道の魅力-」が始まりました。毎年夏休みに東京ビッグサイトで開催される「国際鉄道模型コンベンション」を主催する日本鉄道模型の会(JAM)会長を務めておられた古川さんは、アメリカはロッキー山麓に展開するいわゆる"ロッキー・ナロー"の大ファンで、長年にわたって撮影を続けておられます。

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▲会場の「ギャラリー・しらみず美術」は銀座の中心地とは思えない静かな空間。スペースこそさほど広くはないものの、ゆったりと作品を鑑賞することができる。'10.3.9

今回の写真展では、現在でも保存鉄道として走り続けるデュランゴ&シルバートン・ナローゲージ(D&SNG)鉄道と、クンブレス&トルテック・シーニック(C&TS)鉄道をテーマに、両鉄道に深く関わられている古川さんならではの作品が並びます。

100310nMGP3325.jpgというのも、古川さんは両鉄道の強力なサポーターでもあり、多方面からの根気強い支援を続けてこられているからです。"Sam"の愛称で現場の皆さんからも慕われる存在だからこそ、被写体と撮影者の絆とも言える信頼関係が作品にも滲み出てきているのでしょう。
▲ヘリコプターでの空撮に臨む古川さん。お話を伺うに、とても高所恐怖症の身には真似できそうもない撮影に脱帽。。
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大のモデラーとしても知られる古川さんですが、もとは日本のパーソナル・コンピュータ黎明期からその基礎を築かれた方で、マイクロソフト㈱の社長、会長、最高技術責任者、米マイクロソフト社の副社長を歴任、現在は慶應義塾大学大学院、メディアデザイン研究科で教授をお務めです。もちろん鉄道写真も筋金入りで、ナローゲージ・コンベンションで何度かご一緒する機会がありましたが(アーカイブ「ナローゲージ・コンベンションの旅」参照)、そのアグレッシブな撮影には、こちらが圧倒される思いでした。

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▲古川さんはカリフォルニアの"NARROW GAUGE PRESERVATION FOUNDATION"からロッキー・ナローを応援する写真集を相次いで出版されている。これは昨年刊行された最新刊『Durango & Silverton』

その古川さんがここ数年はまっているのがヘリコプターによる空撮だそうで、会場内に展示された作品もかなりの枚数が上空から撮られたものです。高度が低いため一見して空撮には見えないものも少なくありませんが、現地の地形を知っている者にしてみると、こんな角度に足場はないはず...と不可思議に思う絵柄が少なくありません。古川さんは近年C&TS鉄道の写真集(→こちら)とD&SNG鉄道の写真集(→こちら)をあいついで出版されており、空撮の成果はこれらの写真集にも反映されています。

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▲お気に入りの作品の前に立つ古川 享さん。超がいくつも付くようなご多忙にも関わらず、そのバイタリティーにはいつも脱帽させられる。'10.3.9

ちなみにこの写真集は会場内でも販売されており、5000円で購入すると古川さんご本人が同額の5000円を追加(マッチングギフト)してパラリンピック支援に寄付する活動も行われています(古川さんのツイッター参照→こちら)。

■古川 享 写真展 -コロラド山岳鉄道の魅力-
3月8日(月)~3月16日(火)
12:00~18:30
※日曜休廊/最終日17:00まで

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▲22時45分、13番線に入線した「北陸」を多くの人が取り囲む。今日の牽引機はEF64 1052〔長岡〕。'10.3.8 上野
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ついに今週末でその姿を消す寝台特急「北陸」とボンネット車の夜行急行「能登」...まさに秒読みとなった両列車の様子を見に、昨晩は弊社社長・笹本とともに通勤ラッシュも一段落した上野駅地上ホームへと向かいました。

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▲「北陸」の推回シーンが見られるのも残すところあと4日...。'10.3.8 上野
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3011レ「北陸」の入線は22時45分。古くから長距離夜行列車の定席でもある13番線では、すでに信じられないほど多くの方がその到着を待ちうけていました。あらためて驚かされるのは女性の方の姿が少なくないこと。さらにその年齢の幅広さも再認識いたしました。なかには"クラカメ"の範疇に入る銀塩カメラを大事そうに抱えた年配の方の姿も見うけられ、半世紀にわたって走り続けてきた「北陸」とボンネット車への哀惜の深さが知れます。

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▲今週は「能登」の発車も13番線に変更されている。発車が23時33分と遅いにも関わらずテールライトが見えなくなるまで多くのファンが見送り続ける。'10.3.8 上野
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23時03分に「北陸」の発車を見送ると、10分後の23時13分には同じ13番線に611M「能登」が入線します。これまでは16番線発着だった「能登」も、今週は「北陸」と同じ13番線発着に変更されており、数百人にはなろうかと思われるホームの人並みの注目を一身に浴びて入線。3623M「ホームライナー古河3号」として間合い運用をこなしたあとゆえ、ヘッドマークには「ホームライナー」のカバーが掛けられており、作業員の方がこのカバーを外すと、いよいよ「能登」のヘッドマークが姿を現わします。

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▲「北陸」と「能登」の側面方向幕。489系の車体にはさすがに経年の疲れが隠せない。'10.3.8 上野
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あらためてその姿を間近で見るに、「こだま」以来のボンネット車の流麗なスタイルがいかに普遍のものであるかに気付かされます。さすがに個体としての経年の老化は隠せないものの、「昭和」の特急電車の顔として、その存在感は何者にも代えがたいものです。

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▲「最後にひと目見ておきたい」と弊社社長・笹本も13番線に駆けつけた。昔とった杵柄(?)だけあってカメラを構える姿だけは様になっている。'10.3.8 上野
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気づけばラストランまであと3日。「北陸」と「能登」、歴史を刻んだ両列車の最後の花道をつつがなく見届けてあげたいものです。

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▲快走する三菱製トロリーロコ。'10.2.20 釧路コールマイン坑外軌道 P:釧路臨港鉄道の会(モニター体験会で撮影)
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釧路製作所
釧路製作所では今年も大歓迎を受け、食堂・休憩室にお招きをいただき、体を暖めながら雄別鉄道で活躍した8722号の解説を聞いた後、現車を見学しました。大正生まれの蒸機が企業のシンボルとして大切に守られていることをお伝えできたと思います。

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▲近代化産業遺産の8722号(旧雄別鉄道)を見学。昨年、一部を塗りなおしたので、輝きが増した。'10.2.20 釧路製作所 P:釧路臨港鉄道の会
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釧路コールマイン
最初に敷地外から坑外軌道を見下ろす丘に行きました。経験上、動きやすい時間帯にあわせたものの、到着時は動きがなく、だんだんと焦りの色が見え始めた頃に、なんとか機関車が動き出し、ほっと胸をなでおろしました。午後からの「視察研修会」では、VTRと座学により、輸入炭の安定供給に資する同鉱での海外技術者研修や商業採炭継続の意義への理解を深めてもらいました。

100306MG_4689.jpg今回も特別に許された坑外軌道見学では、昨年と違う三菱製改造のトロリーロコ(TL=電気機関車)がニチユ製6tバッテリーロコ(BL)とともに用意され、2~3往復の走行場面を再現していただきました。事前にお願いしていた形式写真撮影もOKが出て、訪問時間帯がシフトしたことで側面にもなんとか光が回り、参加者一同、大興奮のひと時でした。
▲610㎜軌間のナロー。ここは構内踏切で、普段は立入厳禁。'10.2.20 釧路コールマイン坑外軌道 P:釧路臨港鉄道の会(モニター体験会で撮影)
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▲ニチユ製のバッテリーロコ走行シーンを目にすることもできた。'10.2.20 釧路コールマイン坑外軌道 P:釧路臨港鉄道の会(モニター体験会で撮影)
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今回のツアーも現場職員の皆様の全面的なご協力により、実り多い物となりました。昨年の経験もあってスムーズな調整ができ、また私どもからのリクエストを少しでも実現できるようにとご尽力いただき、感謝の気持ちで一杯です。産業観光への理解が広がりつつあることにも手ごたえを感じました。これも昨年ご参加いただいた皆様のマナーの素晴らしさがあったからこそで、心より感謝いたしております。

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▲高い採炭・保安技術や海外技術者研修など釧路炭鉱について理解を深めた(左)。ここから従業員の皆さんが人車に乗り込む(右)。'10.2.20 釧路コールマイン P:釧路臨港鉄道の会(モニター体験会で撮影)
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▲特別に坑外ナローを目の前で見学。'10.2.20 釧路コールマイン坑外軌道 P:釧路臨港鉄道の会(モニター体験会で撮影)
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現場訪問を主体とするゆえ、状況に合わせて内容は毎回変化し、臨機応変の対応もつきもので、訪問時間帯に制約がある中で順光線を追い求めるため行程もハードになってしまうのですが、それもまたこのツアーの個性かと思います。皆さんの笑顔と夜の「飲み鉄」(釧路の旨い魚と鉄話で一献)を楽しみに頑張っている、お人好しの道産子たちが企画した手作りツアーですが、来年度も継続できるよう努力していきたいと思います。

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▲炭鉱OBから採炭方法や様々な機械について解説を受けた(左)。ハードスケジュールもなんのその、希望者自主参加による夜の懇親会で親交を深めた(右)。'10.2.20 炭鉱展示館 P:釧路臨港鉄道の会
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釧路臨港鉄道の会の皆さんありがとうございました。お送りいただいた写真を拝見していても、ツアーの充実ぶりと参加された皆さんの興奮が伝わってくる思いがいたします。来年度も続行されることを願ってやみません。
※釧路運輸車両所ならびに釧路コールマイン構内での写真は、産業観光モニター・視察研修会参加のため、必要な調整と安全策を講じた上で立ち入りを許可された「海底力モニター見学会&体験会」で撮影したものです。両所とも通常の立ち入りは厳禁であり、電話での問い合わせ等も受け付けておりません。

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▲敷地外の小公園より坑外ナローを遠望。折よく櫓の上に小さなパンタグラフを載せたトロリーロコがやってきた。'10.2.20 釧路コールマイン坑外軌道 P:釧路臨港鉄道の会
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2年目を迎えた「くしろ海底力(そこぢから)モニター見学会&体験会"冬のSLと石炭のマチ・釧路~釧路の石炭産業・鉄道名所を体験する3日間~"」は、内容面では昨年の参加者からアンケートで寄せられた声を参考にさせていただき、各現場の皆様との調整を行い、可能な範囲で新たな魅力を盛り込みました。では、主な訪問先をご紹介いたしましょう。

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▲午前中の見学の様子。この後、D401を順光位置まで移動してもらいながら、ロッドの動きを見学。'10.2.20 太平洋石炭販売輸送臨港線春採 P:釧路臨港鉄道の会
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JR釧路運輸車両所
今期限定の湿原号10周年記念ヘッドマークをつけた2輌のC11を機関庫内で撮影・見学しました(昨日の画像参照)。機関庫の雰囲気や運転台見学はレイルファン以外の参加者にも好評でした。また、特別にターンテーブルを回してもらい(実車は無し)、凍結防止の蒸気に包まれた味のある光景を見学できました。前回と比べて場内警備も必要程度に簡素化され、レイルファンへの信頼と理解の深まりをうれしく思いました。

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▲なかなか見る事ができないDE601の第1エンドを順光で撮影。'10.2.20 太平洋石炭販売輸送臨港線春採 P:釧路臨港鉄道の会
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▲DE601の運転台を見学(左)。リクエストに応えていただき、キャタピラー製エンジンも披露(右)。'10.2.20 太平洋石炭販売輸送臨港線春採 P:釧路臨港鉄道の会
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100306MG_4623.jpg太平洋石炭販売輸送
今回は、モニター見学会実施日が石炭列車が営業運転を行う期間となるか直前まではっきりせず、また名物機DE601の重要部検査もあり、運行拠点である春採駅での車輌・施設見学に重点を置きました。結果的に2日間とも1往復ながら営業運転が決まり、駅側で荷主様と調整して出発時刻もある程度固定していただき、沿線で1往復半の撮影ができたほか、知人貯炭場ではバスの到着を待ってもらい、少々離れた位置での荷役とはなりましたが、桟橋上から石炭を落とす様子を見せていただきました。
▲名取編集長の自己紹介写真でお馴染み、いまや当鉄道のまさしく"顔"となったスノープラウ・通称「シャーク」もパワーアップ? '10.2.20 太平洋石炭販売輸送臨港線春採
P:釧路臨港鉄道の会

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▲太陽光線を考慮して午後一番で再び春採駅を訪問。再塗装によりピカピカに輝くDE601。今度は第2エンドを撮影。'10.2.20 太平洋石炭販売輸送臨港線春採 P:釧路臨港鉄道の会
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また、春採駅の訪問時間帯を午前と午後に分けて全4機のDLとMC2台の順光撮影を実現、ほぼ出場段階で美しい姿のDE601を庫外に引き出してもらい、両エンド順光で撮影し、皆さん大満足の様子でした。

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▲D701とD801のコンビで結氷した春採湖岸を行くシャトルトレインを撮影。折り返しは千代の浦海岸、翌日は春採湖を見下ろすお馴染みの俯瞰ポイントから撮影した。'10.2.19 太平洋石炭販売輸送臨港線春採-知人 P:釧路臨港鉄道の会
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小ブログでもお知らせしたとおり、2年目を迎えた「くしろ海底力(そこぢから)モニター見学会&体験会"冬のSLと石炭のマチ・釧路?釧路の石炭産業・鉄道名所を体験する3日間~"」が、去る2月19日(金)から2泊3日の日程で行われました。盛況に終わった今年のツアーの報告を、企画の中心となった釧路臨港鉄道の会の皆さんからお送りいただきましたので、普段は目にすることのできない貴重な画像の数々とともにご紹介いたしましょう。

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▲バスの到着を待ってもらい、知人貯炭場で石炭の荷卸しを見学することができた。'10.2.19 太平洋石炭販売輸送臨港線知人貯炭場 P:釧路臨港鉄道の会
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このモニターツアーは、商工会議所、釧路市などでつくる「くしろ圏広域観光推進コンソーシアム」が経済産業省の支援事業の認定を受けて、JR北海道釧路支社と企画したもので、今年もコース内容の企画とガイドは、私たち地元ファンでつくる釧路臨港鉄道の会が担当しました。

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▲初日の石炭列車が順調に走ったため、空き時間を活用して釧路川橋梁で「SL冬の湿原号」を出迎えた。'10.2.19 根室本線東釧路-釧路 P:釧路臨港鉄道の会
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100306MG_4342.jpg石炭と鉄道のマチ・釧路のオンリーワンの魅力を組み合わせた「レイルファン向け産業観光プログラム」として、「石炭を掘る、運ぶ、使う」の側面から、2日間で釧路コールマイン、炭鉱展示館、太平洋石炭販売輸送、釧路製作所(近代化産業遺産の8722号)、JR釧路運輸車両所機関庫、家庭用石炭の販売所などを訪問、最終日は「SL冬の湿原号」の体験乗車なども可能なコースを組みました。マーケティングも重要な要素ですので、昨年は羽田発着釧路空港利用でしたが、今回は道内からの集客を第一目的に札幌発で実施し、道外からの参加(特に中部、関西方面)を考慮して新千歳空港発着も設定しました。
▲釧路運輸車両所では、まずは帰区整備の様子を見学。'10.2.19 釧路運輸車両所 P:釧路臨港鉄道の会
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▲キャブ内の見学もできた(左)。さらに、ターンテーブルが回転する様子も...(右)。'10.2.19 釧路運輸車両所 P:釧路臨港鉄道の会
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▲機関庫で休むC11 207号機と171号機(後方)。今期は10周年記念ヘッドマーク付きで運行中。'10.2.19 釧路運輸車両所 P:釧路臨港鉄道の会
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では、今年のツアーの状況について、企画・ガイドの立場からの感想も交えて、ご紹介をさせていただきます。特徴としては、札幌発のコース設定でしたが、参加22名(おかげさまで今年も満席となりました)のうち半数を超える方が道外からの参加者となり、本州方面のニーズの高さが顕著であったことと、道内版の新聞で取り上げられたことで炭鉱ファンや一般客、撮影中心に偏らない軽装備なレイルファン層の参加が増えたことです。3名のリピーターの方にもお越しいただきました。天候は、初日は降雪となりましたが、2日目からは概ね好天となりました。

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C61 20号機は今...。(下)

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▲取り外されたC61 20号機のキャブ。区名札差に入っている砲金製の「宮」の区名札は、本機が華蔵寺公園に保存されてしばらくたってから宮崎機関区有志から寄贈されたもの。'10.3.1 大宮総合車両センター P:RM(小野雄一郎)
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C61 20号機に関しては、現存しないとされていた機関車履歴簿の複写を同機の保存に尽力された広瀬啓明さんが保管しておられ、現在発売中の本誌でその半生を詳しくたどることができました。

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▲分解されたLT253形従台車。V字状になっている先端が心皿座金部(前部)、手前に下がっているのが釣合梁受で、ここにイコライザー中心ピンが入る。'10.3.1 大宮総合車両センター P:RM(小野雄一郎)
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▲同じく従台車心皿座金部を正面から見る(左)。右は先輪と従輪で、手前にC60 9の刻印の残る丸穴ウエップ付第2先輪が見える。'10.3.1 大宮総合車両センター P:RM(小野雄一郎)
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ボイラを流用すべく弘前機関区所属のD51 1094号機が三菱重工業(三原)に送られたのが1949(昭和24)年2月14日。C61形に生まれ変わって同年8月1日に糸崎~笠岡間1470レ・1471レ(単機)で試運転に臨んだ20号機は、以後24年間にわたって270万キロあまりを走り続けてきました。1957(昭和32)年3月の郡山工場甲修繕入場時には大宮工場で新製されたボイラに振替えられています。

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▲留置されているテンダ。まだ手つかずの状態のようだが、今後は重油タンクの埋め込みなどの改造工事が行われるはず。'10.3.1 大宮総合車両センター P:RM(小野雄一郎)
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今回の報道公開では折りよく中間検査Bで入場中のD51 498号機の姿も見ることができました。来春以降は同じ高崎に所属し、夢の"競演"を演じてくれるであろう両機の初顔合わせに、ますます期待が高まります。

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▲中間検査Bで入場中のD51 498号機も同じ建屋の中で作業中。手前に引き抜かれたピストンが見える。'10.3.1 大宮総合車両センター P:RM(小野雄一郎)
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▲D51 498のクロスヘッドや各種ロッド類(左)。横には取り外された火格子も見られる(右)。'10.3.1 大宮総合車両センター P:RM(小野雄一郎)
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▲D51 498のテンダと削正の完了した動輪。D51 498号機はまもなく出場し、今シーズンの運転が始まる。'10.3.1 大宮総合車両センター P:RM(小野雄一郎)
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C61 20号機は今...。(上)

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▲ケーシングが外されてすっかり剥き出しとなったボイラ胴と火室。ボイラは昭和32年に大宮工場製新罐に載せ替えられている(本誌「履歴簿に見るC61 20の半生」参照)。足回りもすっかり分解されて棒台枠構造の主台枠がよくわかる。'10.3.1 大宮総合車両センター P:RM(小野雄一郎)
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去る1月20日未明に群馬県伊勢崎市の華蔵寺公園から大宮総合車両センターへと運び込まれたC61 20号機は、その後順調に復活に向けた分解作業が進んでおり、今週月曜日(3月1日)にその現況が報道陣に公開されました。

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▲給水温め器が取り払われた前端梁部から罐台を見る。正面の丸穴部が排気膨張室。'10.3.1 大宮総合車両センター P:RM(小野雄一郎)
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▲ケーシングの外されたシリンダー部(左)。尻棒案内や気筒安全弁も取り外されてシリンダー前蓋だけが残る。右は取り外された火格子部から見上げた火室内。パイプはアーチ管で、ここに耐火レンガを組んでレンガアーチを形作る。'10.3.1 大宮総合車両センター P:RM(小野雄一郎)
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C61 20号機が入っている大宮総合車両センターの"車体C棟"には、ちょうどD51 498号機も中間検査Bで入場しており、今後は同じ高崎所属機として活躍することとなる両機が期せずして一足早い顔合わせをしております。

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▲露出したシリンダーブロック。上部のバイパス弁も外されている。側面中央の穴は空気弁の取付穴。'10.3.1 大宮総合車両センター P:RM(小野雄一郎)

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▲モーションプレート部。すべてのバルブギアは取り外されているが、スライドバーとクロスヘッドは残されている。'10.3.1 大宮総合車両センター P:RM(小野雄一郎)
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▲罐胴受(後部)の構造。台枠中央の罐胴受はボイラの膨張を受ける構造となっている。すでに締結ボルトは外された状態。'10.3.1 大宮総合車両センター P:RM(小野雄一郎)
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▲モーションプレートと一体化している前部の罐胴受(左)。右は機関車後端梁。中央が中間緩衝器受、その下の角穴がドローバーポケット。'10.3.1 大宮総合車両センター P:RM(小野雄一郎)
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現在C61 20はボイラケーシングを外され、足回りも主台枠とシリンダーブロックだけを残す状態にまで分解されており、各部品は探傷検査等に回されています。いっぽうテンダはほとんど手つかずのままで、こちらの作業はエンジン部が一段落してから着手されるものと思われます。ストリップ状態となったボイラは近日中に大阪の専門メーカー・サッパボイラに送られるはずで、今年中には蘇って大宮の地へと戻ってきます。

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▲罐膨張受の構造。火室下部の滑り金が膨張伸縮を受け止める。めったに目にすることのできないまさに蒸気機関車ならではの構造。'10.3.1 大宮総合車両センター P:RM(小野雄一郎)
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▲EF510-501を新たに迎えてずらりと並んだ特急牽引機たち。幸い好天に恵まれ、またとない揃い踏みが実現した。'10.3.3 田端運転所 P:RM(新井 正)
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本日、東京の田端運転所で、JR東日本が寝台特急「カシオペア」「北斗星」牽引用として新製したEF510形500番代の公開が行われました。同機についてはすでにその試運転の様子をご紹介しておりますが(アーカイブ「EF510-500ウォーミングアップ開始」参照)、正式な報道公開が行われるのは今日が初めてです。

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▲EF64 1031〔長岡〕には残すところ十日ほどとなった「北陸」のヘッドマークが輝く。'10.3.3 田端運転所 P:RM(新井 正)
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▲「カシオペア」「北斗星」「北陸」「あけぼの」...JR東日本の寝台特急ヘッドマークの数々。この3月改正以降は3種類となってしまう。'10.3.3 田端運転所 P:RM(新井 正)
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田端運転所には主役のEF510形500番代のみならず、JR東日本が運転する4系統の寝台特急列車の牽引機が勢ぞろいして新しい仲間を迎えるというまたとない演出もなされました。ただ、ご承知のようにこの4兄弟のうちの「北陸」は今月13日のダイヤ改正で廃止されてしまいますので、EF510形500番代が実際に営業運転入りする時にはすでにその姿を目にすることはかないません。

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▲ずらり並んだ特急牽引機たち。左からEF510-501〔田〕、EF81 99〔田〕、EF81 97〔田〕、EF64 1032〔長岡〕、EF64 1031〔長岡〕。'10.3.3 田端運転所 P:RM(新井 正)
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今回の報道公開に合わせて発表されたのが、注目の「カシオペア」専用塗色機のデザインです。「北斗星」用機のブルーに対して、「カシオペア」用機は全面シルバーの車体に、側面には流星、前面前照灯周りには「カシオペア」のシンボルカラーである青・紫・赤・橙・黄の5本のストライプがあしらわれており、これまでにないテイストが注目されます。

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▲初めて明らかになったEF510「カシオペア」塗色のデザイン。2輌がこの専用塗色となって竣功する予定だという。
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これまでにもアナウンスされているように、JR東日本が新製するEF510形500番代は総計15輌。このうち2輌が「カシオペア」用塗色となります。登場時期については明らかにされておりませんが、現車の誕生が今から待ち遠しく思われます。

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▲現在H4編成前面には白地、H7編成前面には赤地のハート型ヘッドシールと、「201系、愛されて30年」の文字が貼られている。'10.2.14 立川 P:臼井 楽さん (「今日の一枚」より)
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先月2月1日("2010年2月01日")を「201系の日」とし、「中央線201系・愛されて30年」キャンペーンを展開中のJR東日本八王子支社から、ついに残された2編成(豊田車両センターH4編成、H7編成)引退が発表されました。

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▲気付けば周りはみんな銀色...。'10.3.1 神田 P:長谷川拓也さん (「今日の一枚」より)
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引退日はH4編成は6月、H7編成は夏で、これを前に来る4月1日から「さよなら中央線201系」キャンペーンが始まります。第1弾では、H4編成を6輌編成とし、これまで201系が走ってきた各路線の"さよなら"運転を記念ヘッドマーク付きで行ない、最後に10輌編成でのラストランを行なう「びゅう旅行商品」を販売するほか、中央線201系関連グッズ等の販売が予定されています。

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▲白いハートの201系H4編成が、「青梅特快」でやって来ました。'10.2.18 西荻窪―吉祥寺 P:中西裕一さん (「今日の一枚」より)
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■キャンペーン〈第1弾〉期間
 2010(平成22)年4月1日(木)~2010(平成22)年6月20日(日)
 ※引き続き〈第2弾〉を夏頃まで実施する予定
■「さよなら中央線201系」びゅう旅行商品の販売
 201系H4編成の引退を記念し、様々な方面への旅行商品を販売
①「さよなら中央線201系(H4編成)富士急行線 河口湖」★6輌編成
○設定期間:4月11日(日) 日帰り
        6月13日(日) 日帰り
○募集:両日とも240名
○食事:昼食(「さよなら中央線201系」特製弁当)
○旅行代金:おとな7,000円 こども4,400円
○内容:JR運賃+富士急行線運賃+昼食+記念乗車証
○行程
 三鷹10:32頃→(201系 号車指定・定員制)→河口湖13:21頃
  ~車輌写真撮影ができる~
 河口湖16:00頃→(201系 号車指定・定員制)→三鷹18:56頃
 ※時刻は変更することがある
②「さよなら中央線201系(H4編成)武蔵五日市」★6輌編成
○設定期間:4月17日(土) 日帰り
○募集:240名
○食事:昼食(「さよなら中央線201系」特製弁当)
○旅行代金:おとな3,300円 こども2,700円
○内容:JR運賃+昼食+記念乗車証
○行程
 三鷹10:19頃→(201系 号車指定・定員制)→武蔵五日市11:32頃
 武蔵五日市12:14頃→(201系 号車指定・定員制)→三鷹13:10頃
 ※時刻は変更することがある
③「さよなら中央線201系(H4編成)奥多摩」★6輌編成
○設定期間:4月25日(日) 日帰り
○募集:240名
○食事:昼食(「さよなら中央線201系」特製弁当)
○旅行代金:おとな4,000円 こども3,100円
○内容:JR運賃+昼食+記念乗車証
○行程
 三鷹10:32頃→(201系 号車指定・定員制)→奥多摩12:27頃
  ~車輌写真撮影など~
 奥多摩13:30頃→(201系 号車指定・定員制)→三鷹15:20頃
 ※時刻は変更することがある
④「さよなら中央線201系(H4編成)初狩スイッチバック体験+笹子設備トレーニングセンター見学」★6輌編成
○設定期間:5月8日(土) 日帰り
○募集:240名
○食事:昼食(「さよなら中央線201系」特製弁当)
○旅行代金:おとな7,000円 こども4,400円
○内容:JR運賃+昼食+記念乗車証
○行程
 三鷹10:32頃→(201系 号車指定・定員制)→(初狩スイッチバック体験)→笹子12:54頃
  ※2班に分かれて2箇所を見学(各箇所約1時間での入れ替え)
  A班:(1)笹子設備トレーニングセンター→(2)笹子トンネル(近代化産業遺産)
  B班:(1)笹子トンネル(近代化産業遺産)→(2)笹子設備トレーニングセンター
 笹子15:35頃→(普通電車 普通車自由席)→大月15:47頃~16:05頃→
  (201系 号車指定・定員制)→三鷹17:24頃
 ※時刻は変更することがある
⑤「さよなら中央線201系(H4編成)高麗川・河辺」★6輌編成
○設定期間:5月16日(日) 日帰り
○募集:240名
○食事:昼食(「さよなら中央線201系」特製弁当)
○旅行代金:おとな3,800円 こども3,000円
○内容:JR運賃+昼食+記念乗車証
○行程
 三鷹10:19頃→(201系 号車指定・定員制)→高麗川11:32頃
 高麗川11:46頃→(201系 号車指定・定員制)→(河辺駅留置線)→三鷹13:42頃
 ※時刻は変更することがある
⑥「さよなら中央線201系(H4編成)ラストラン山梨 そして信州へ」★10輌編成
○設定期間:6月20日(日) 日帰り
○募集:420名
○食事:昼食(「さよなら中央線201系」特製弁当)
○旅行代金:豊田駅発着 おとな10,000円 こども6,000円
         甲府駅発着 おとな 7,000円 こども4,400円
○内容:JR運賃・料金+昼食+記念乗車証
○行程
 豊田10:19頃→(201系H4編成ラストラン 号車指定・定員制)→甲府→松本14:30頃
  松本市内:自由行動
 松本→(特急列車 普通車指定席または普通車自由席)→甲府→(特急列車 普通車指定席または普通車自由席)→八王子→(普通列車 普通車自由席)→豊田
 ※時刻は変更することがある
 ※松本までのラストランを終えた201系H4編成はその後、廃車となる

■びゅう旅行商品申込方法等の詳細は→こちら

これまでにない規模のファイナルステージとなる201系ですが、間もなく開花するであろうあの外濠の桜との組み合わせもついに最後と思うと、あらためて寂しさがこみ上げてきます。

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▲前補機C62 32〔築〕+本務C62 3〔築〕で倶知安に到着した上り「ていね」。さっそく燃料掛による給水とカマ替え、石炭の掻き寄せ作業が始まる。'70.8.19 倶知安 P:笹本健次
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先週2月24日付けの『交通新聞』に目を通していて、倶知安の"ロクさん"こと高田緑郎(たかだ ろくろう)さんの訃報に接しました。「太鼓たたいて応援」の見出しの記事は、戦後間もないころから札幌鉄道管理局野球部の応援を続け、スタンドで太鼓を打ち鳴らすその独特の応援スタイルから"太鼓のロクさん"として親しまれてきた高田さんが21日、94歳でお亡くなりになったと報じています。

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▲限界走行を続けてきた重連の「ていね」(「ニセコ」)にとって、道中の倶知安でのメンテナンスは不可欠のものだった。わずか4分の停車時間に後半行路の命運がかかる。'70.8.19 倶知安 P:笹本健次
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残念ながら野球の応援での活躍ぶりは存じ上げませんでしたが、高田緑郎さんといえば「ニセコ」世代のファンにとっては"倶知安のロクさん"としてつとに知られた存在でした。倶知安機関区の燃料掛として給水スポート下で待ち受けるロクさんは、その小柄な体躯とは裏腹に、C62を駆る乗務員にとっても守り神のような存在だったといいます。
「補機の停止位置にアス番のロクさんが立っていて、ぴたりと位置が決まると『うまい!』って大声で褒めてくれるんですなぁ。自分の体より機関車がずれると『だめ!』とか『惜しい!』とかね。長万部の甲組でロクさんを知らない乗務員はモグリだっていわれていました」(長万部機関区甲組・門間 勇さんの証言『「SL甲組」の肖像』2より)。
わずか4分の停車のなかでの給水、点検、カマ替え、そして石炭の掻き寄せ...そのすべての作業を仕切り、C62重連を再び氷雪の路へと送り出し続けたのがロクさんだったのです。

100301nIMGP3257n.jpgロクさんこと高田さんは、戦前は樺太鉄道の機関士を務め、敗戦直後の混乱のなかでは引き揚げ列車を大泊港まで運転し、ソ連軍将校にそのまま引き揚げ船に乗ってもよいと言われたにも関わらず、さらなる引き揚げ列車の運転を全うするために樺太に留まったという武勇の主でもあります。そんな辣腕機関士だったロクさんですが、引き揚げ後配属された倶知安機関区で、当時の人員過剰から機関助士を命じられ「頭を下げてまで乗務はしたくない」と、自ら誰もが敬遠する燃料掛を志願したと聞きます。それだけに、名にし負う「ニセコ」の乗務員といえども、ロクさんには一目も二目も置かざるをえなかったのでしょう。
▲2月24日付け『交通新聞』の訃報記事。ろくさんはJR北海道野球部の私設応援団としても半世紀以上にわたって活躍してこられたという。

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▲1971(昭和46)年以来、実に34年ぶりの「再会」。日本鉄道保存協会の総会で訪れた際のひとコマ。「羊蹄太鼓」の創始者として、晩年は北海道文化財保護功労賞も受賞されたという。'05.10.8 倶知安
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「18時05分、倶知安の到着時刻である。だが"ていね"は走りつづける。車内で先程の客専が、倶知安2分延着の車内放送を始めた。
左に大きくカーブし、速度を緩める。二つ目を輝かせた96がいる。デッキに出、右側の扉を開いた。ホームがすべり制動音があがる。客車全体が振動し、やっと停まった。列車全体がにわかに活気づく。乗り降りの客、駅弁売りの声もあわただしい。二台の機関車は火床整理に、給水に地上の燃料掛が4分間の闘いを始めた。僕が先頭の機関車に着いた時、そこでひとりの年老いた燃料掛が一心に火床整理をしていた(倶知安機関区の名物男、ろくさん)。動輪よりはるかに小さな体、汗ばんだ彼の顔が、まだ燃えきらない石炭の火で赤く光った。給水が終わりテンダーの上にいた燃料掛が飛び降りた。発車定刻はとっくに過ぎている。
やっとホームのベルが鳴りだす。火床整理も終わった。機関士がゴーグルをつけようとすると、その手から逃げるように地上に落ちてしまった。発車をうながすブザーが鳴る。ろくさんがそれを拾って投げた。雪まみれのゴーグルが機関士の手に握られる。「出発進行!」「ありがとう」と機関士がろくさんに声をかける。ろくさんが手を振る。ここにも列車を時間通りに走らせるための、縁の下の力持ちがいるのだ。
動き始めた客車のデッキに飛び乗った。そのまま手すりに掴まって後方を振り返る。倶知安の灯はどんどん遠ざかった。」
 (弊社刊『日本の蒸気機関車』所収「C62重連」煙管プロより)

あらためてご冥福をお祈りいたします。

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