専用線・機関車

DD11 5 (専用線・機関車)

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元国鉄のDD11 5。1957年汽車製造会社大阪工場で製造(製番2760)され、呉に配置されて入換作業等に使用された。その後、1976年八戸通運への譲渡を経て、1984年には日本通運新旭川営業所へ再び譲渡された。転入後、山陽国策パルプ旭川工場の専用線でDD11 6(1981年、協三工業製、35t機)とともに使用された。工場では、ワム(後にコンテナ化)による紙出荷、硫酸・苛性ソーダ・石油類の受け入れを行っており、これらの貨物を新旭川駅で受け渡ししていた。一時期DD11 6の調子が悪く、DD11 5は予備機として配置されている。老朽化のため1990年頃DE15 2503に置き換えられ廃車された。なお、専用線も1997年9月廃止され、トラック輸送に切り替えられた。 '89.5 宗谷本線 新旭川 P:佐々木裕治

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大日本鉱業発盛精錬所の怪しげな電機 (専用線・機関車)

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五能線の八森駅構内には、明らかにポール集電と思われる架線が張られ、一度は視察したいものとは思っていたが、訪れたのは蒸機がなくなった後である。工場の受付にご挨拶した後見学させていただいた所、世にも奇怪なる電機を見て腰を抜かしそうになった。車体の4面がすべて異なる形態で、名板には昭和30年三菱とあった。滑車式のポールは当時でさえ日本で唯一の存在と認識。入換えにあたってはいちいちポール回しをせず、逆行の場合は逆さポールでの運転であった。電源は工場から取っていて電圧は300Vとうかがった。五能線の貨物営業はその後暫くして廃止されたので、その時に廃車されたものと思われる。この工場自体も廃止されて約20年前には更地と化していた。 '76.3 五能線八森駅付近 P:永野晴樹

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帝国車輛 DB1 (専用線・機関車)

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当時私が所属していた鉄道友の会関西支部が主催した帝国車輛見学会で撮影したものです。10tぐらいの大きさでしょうか、サイドロッド駆動と床下前端にぶら下がっているエアタンクがチャーム・ポイントです。さすがに車輛メーカー、既製品ではなくて自家製オリジナルデザイン、1956年に作られたものです。塗装は残念、錆止め塗料の(ような?)ベンガラ色に白帯(元白帯?)でした。  '66.5.7 帝国車輛工場構内 P:坂内定比古

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当時私が所属していた鉄道友の会関西支部が主催した帝国車輛見学会で撮影したものです。10tぐらいの大きさでしょうか、サイドロッド駆動と床下前端にぶら下がっているエアタンクがチャーム・ポイントです。さすがに車輛メーカー、既製品ではなくて自家製オリジナルデザイン、1956年に作られたものです。塗装は残念、錆止め塗料の(ような?)ベンガラ色に白帯(元白帯?)でした。  '66.5.7 帝国車輛工場構内 P:坂内定比古

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セントラル硝子宇部工場 No.1 (専用線・機関車)

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1964年日立製の機関車。睫毛のような丸目ライトが特徴で可愛らしかった。晩年は専用線端で休んでいることが多かった。石灰石列車廃止後もしばらくシートを被されて保管されていたが、2010年3月惜しくも現地解体された。 '09.4.11 セントラル硝子宇部工場専用線 P:浜中裕史

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セントラル硝子宇部工場 No.2 (専用線・機関車)

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1973年三菱製の35t機関車。3軸というのが特徴で、2002年頃に岩国製紙からやってきた。以来主力機として活躍。石灰石貨物列車廃止後もしばらくシートを被されて保管されていたが、2010年3月惜しくも現地にて解体された。 '09.7.5 セントラル硝子宇部工場専用線 P:浜中裕史

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